1963(昭和38)年発売のシングル



伊藤アイコさんについて
(尋ね人コーナーより抜粋)

たっちゃん さん
尋ね人コーナー(隠れ美女ご紹介)パート
 2003.1.4(Vol.338) 初出___Cont.No.tacha401    
 昭和30年代に伊藤あい子というアイドルがいたと思いますが、横本メイさんと並ぶような、 綺麗なおしりまである長髪でした。
雑誌「平凡」か「明星」に、髪の長いタレントベスト1で載っていた記憶があります。
とろりん村のとろり さん
尋ね人コーナー(オレ知ってるゾ)パート
 2003.1.11(Vol.342) 初出___Cont.No.toro201    
私は「モナ・ムール!歌謡ポップス」のウェブマスター・「とろりん村のとろり」と申します。私は 伊藤アイコの豪快で粗削りな歌唱、歌うことが心の底から好きだということがリスナーに痛いほど伝わって くるあの歌唱がほんとうに大好きで、彼女について、いろいろ調べてきましたが、まだ、完全に判明してい ません。ただ、わかったことをできる限り書きます。

1.「夜櫻の夢」(いとう愛子)のジャケット裏面に掲載されているプロフィール

本名 伊藤愛子
生年月日 1949(昭和24)年5月10日
身長 156p
体重 42q(B・80 W・55 H・83
趣味 読書、レコード鑑賞、詩作
特技 モダンバレー、日舞
好きな音楽 ポップス、カンツォーネ、ジャズ
好きな歌手 ミルバ

2.バイオグラフィー

57年4月  劇団ひまわり入団、子役として活躍
60年12月  同劇団退団、ジャズ喫茶に飛び入りしスカウトされる。
63年10月  読売ホールで初リサイタル
 
60年代前半 「伊藤アイコ」として「さいはての慕情」「チコと鮫」 「サンライト・ツイスト」などの曲をビクターでリリース。
 
60年代後半?「伊藤愛子」としてRCAで「忘れないわ」をリリース。
 
72年   ヤマハ・ポプコンに出場。「忘れたはずの愛」(フィリップス)でグランプリ、歌唱賞を受賞。
 
74年  「いとう愛子」として「夜櫻の夢」をワーナー・パイオニアでリリース。
 
(おそらく、この頃、全日本歌謡選手権で10週勝ち抜いている。) 
 
78年  「伊藤愛子」として「愛のいのち」をキャニオンでリリース。
 
82、3年頃、シングルを出している。
(100%の確信はないが、東芝EMIからリリースしていたと思う。中古レコード店で見かけたことがある。)

3.彼女の髪の変遷と彼女の心境の変化の考察

「伊藤アイコ」(ビクター)時代には「三つ編みのおさげ」が彼女のトレードマークでしたから、 この頃の彼女の写真は全て「三つ編みのおさげ」の髪型です。
三つ編みにして、あの髪の長さですから、ロングというよりはベリーロングだったと思います。

「伊藤愛子」(RCA)時代には、髪はロングヘアーだったと推測します。
「忘れないわ」のジャケット写真に彼女が横顔で写っていますが、ストレートの ロングヘアー(髪先だけカールしてある)が非常に美しく輝いています。彼女もこのきれいな ロングヘアーを大切にしていたのではないでしょうか。

ところが、「忘れたはずの愛」になると、どちらかといえば、セミロングにパーマをかけている ような感じで、髪の長さに迷っているような気がします。

そして、「いとう愛子」(ワーナー・パイオニア)時代になると転機が訪れます。髪を切り、 ミディアム・ボブにしているのです。
これはおそらく、過去の自分と訣別するというくらいの決意のあらわれだったのではないかと思います。

しかし、その後の「伊藤愛子」(キャニオン)時代になると、再び、ロングヘアーに 戻しています。
「愛のいのち」のジャケット写真では、ロングヘアーにパーマをかけています。 「いとう愛子」時代には演歌を歌いましたが、演歌では彼女自身を表現できなかった のでしょう。
そこで、原点回帰するためにロングヘアーに戻したのではないでしょうか。

4.終わりに

長々と書いてしまい、申し訳ありません。

上記であげたレコードジャケットは、私のホームページの「EP盤リスト」に掲載し ていますので、 よろしければ、ご参照なさってください。

                            とろりん村のとろり

http://www.geocities.co.jp/MusicStar/7402/