国宝 過去現在因果経絵図
源 豊宗 解説
この図は過去現在因果経の釈迦若き日の物語の一部である。過去現在因果経とは、釈迦の前世の生涯から現世に生まれて仏陀となり、数多の弟子達に悟りの道を説くに至る一種の釈迦伝に他ならない。
この絵因果経の魅力は、その稚拙性の美である。それは第一にはお伽噺的な純朴な描写、第二は彩色・構図の簡潔な造形性である。さらに又釈迦伝という説話の絵巻的展開方式の作品として、中国四世紀末の女史箴図巻の羅列方式とはちがった美術史的な大きな意義を有することを挙げなくてはならない。それと共に、この下段に書写されている経典の文字の、天平時代の端厳雄勁な書風の伴奏があって、この絵因果経に更に一段と高き芸術性を与えていることを注意したい。
国宝 絵因果経(京都 上品蓮台寺所蔵)
皆さんは、"お経"というと漢字ばかりでむずかしいものと考えていることでしょう。でも、今回、紹介する"'お経"は、なんと図解(ずかい)つきで絵解(えと)きがされているお経なのです。
このお経は、「絵因果経(えいんがきょう)」と呼ばれているもので、紙の下半分にはお経が書き写されていますが、上半分には下のお経にある代表的な場面を絵で表したものなのです。そのお経の正しい名前は、『過去現在因果経(かこげんざいいんがきょう)』といって、お釈迦(しゃか)さまの前世(ぜんせ)の修行物語から始まり、お釈迦さまがどのような原因で人間の根源的(こんげんてき)な苦しみや迷いから開放されて、仏さまという悟(さと)りの結果を得たのかということを物語風に説いたものです。いえば、お釈迦さまの伝記のようなお経です。
前世の修行物語は別にして、お釈迦さま白身は、今から約2500年前のインドに生まれた人で、姓をゴータマ(瞿曇(くどん))、名をシッダールタ(悉達多(しっだった))といいました。お父さんは、カピラヴァスツ(迦毘羅(かびら)城)という城の王さまで、名をシュドーダナ(白浄王(びゃくじょうおう)、一般には浄飯王(じょうぼんおう)という)といい、お母さんはマーヤー(摩耶夫人(まやぶにん))といいます。ですから、お釈迦さまは王子(太子)さまとして生まれたのです。このカピラヴァスツ(迦毘羅城)は、現在のネパールとインドの国境付近にあったところで、お釈迦さまの誕生の地として知られるルンビニーもその近くにあります。
王子さまとして育ったお釈迦さまですから、少年時代や青年時代は何不自由なく育ったのです。京都(きょうと)の上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)というお寺に伝わっているこのお経は、ちょうどそのような少年時代を過ごした十歳の様子から始まっています。その頃のお釈迦さまはいとこのダイバダッタ(提婆達多(だいばだった))や母違いの弟にあたるナンダ(難陀(なんだ))らと技(わざ)くらべや力くらべをしていましたが、いつもとび抜けた技や力を発揮(はっき)したそうです。そのような様子を描いた一場面が最初の写真の部分です。
この場面は、金や銀でできた七つの太鼓のような的を矢で射(い)る抜くらべの場面を描いたところです。的が七つありますから、全部を射るためには七本の弓矢が必要になるわけですが、なんとお釈迦さまは一本の弓矢で七つの的を一度に射ぬいてしまったのです。
また二枚目の写真の部分は、お釈迦さまがお城の東南西北の四つの門から外に出て老人・病人・死人・出家者(しゅっけしゃ)を見る場面のうち、南門から出て病人を見る場面が描かれているところです。これまで病気にかかった人を見たことがなかったお釈迦さまは、人は皆このように病気になるのかとおそれ、心に深く感じるのです。
この他、力くらべで相撲(すもう)をとっている場面や田を耕している様子など、いろいろおもしろい場面も描かれています。
このお経は、奈良(なら)時代に書き写されたもので、お経の文字は本当にきれいな楷書(かいしょ)ですし、絵に塗られている絵具の色も大変鮮(あざ)やかで本当に驚くばかりの美しさを今に伝えています。また、この「絵因果経」は、奈良時代の絵画を今に伝える数少ない遺品(いひん)であるとともに、後の平安(へいあん)時代以降に盛んに制作された絵巻の先駆的(せんくてき)作品としても位置づけられることにもなります。さらに、中国(ちゅうごく)・朝鮮(ちょうせん)半島を含めた仏教文化圏のなかでも8世紀という古い時代のお経で、このように絵解きもされていて保存状態もすばらしいお経はほとんどありません。