Marshalse監獄の塀

 ロンドン地下鉄ノーザン・ラインのBorough駅を降りると小さい公園がある。そこに、かつてのマーシャルシー監獄の塀だけが残っている。この監獄は、ビクトリヤ時代に、負債者を収監した監獄で、Dickensの父親も一時ここに入れられたことがある。家族の者は、監獄に出入りできたので、その間、Dickens自身も、ここに出入りしたのである。ディケンズの小説Little Dorrit[7]は、ディケンズ自身の経験に基づいて書かれている。

 現在は、ただ一枚の、長くて高い監獄の塀しか残っていないのは、残念な気がする。もし監獄の内部が残っていたら、この小説に描かれた監獄の雰囲気が、もっと身近に感じられる筈だからである。
 幸い、リトル・ドリットには、邦訳がある。[18]

 左図は、その塀の一部を示している。塀は、この左右も続いている。右端近くのベンチには、気味の悪い男性が寝ていたので、カメラを向けるのを遠慮した。

 
 塀の中程には、二つの門扉がある。各々、入口と出口になっていたのだろう。これが、小説に描かれた監獄の戸口で、実際に、ここを跨いでDickens自身がが出入りしたのかと思うと、感慨無量であった。
 そしてその時、ディケンズについて、さらに当時の様子をもっと知りたいと思ったのである。
 当時のことを伝える、文字や画像などを通して、どんな時代にディケンズが生きていたのか知りたいという欲求に駆られた。
 ディケンズは、今も大変な人気がある作家である。
 この公園の入口に、一つの掲示があった。Southerwark Councilからのもので、その一部を紹介すると、

 DICKENS
 DIVULGED

 JOIN THE RANGERS ... FOR A
 LEISURELY STROLL ROUND THE BOROUGH. WE WILL
 REDISCOVER THE HAUNTS THAT DICKENS MADE
 FAMOUS IN OLIVER TWIST, ....
.........
COME WITH GREAT
EXPECTATIONS !
などとあり、集合場所はサザック教会の庭園となっていた。我々は、帰国するので行けなかったのは残念であった。


 この監獄の様子は、インターネットで、ある程度知ることができる。その一つは、この塀の写真と監獄のスケッチであり、(その1およびその2)、他のひとつは、ビクトリヤ時代のロンドンの地図である。残念ながら、この地図の解像度は、あまり高くない。しかし、十九世紀のロンドンの市街図は、色々残っている。それによって、この監獄の敷地が細長かったらしい。しかし、建物のスケッチが正しいことを確認するために、平面図は残っていないものだろうか。教えて戴ければ幸いである。
 私の手元にあるロンドンの地図を見ると、前世紀の間に、鉄道線路が敷設され、狭い小路に家屋が込み合うようになったことがわかる。そして、小説リトル・ドリットにみえる、当時の様子が理解できる。現在は、大きな道路が整備され、当時の面影を留めていない。
 地図には、家屋の区画が一軒一軒描かれているものがある。それによると、裏庭か共同の空き地と思われる広い空地があるのが通例である。現在の日本にみられる、全く庭がない建て売り住宅は、あるべき姿ではあるまい。


 サザックの教会(Southwark Cathedral)にも行ってみた。すると、Annual Reportと'Reports & Financial Statements Sustentation Accounts'という資料が持ち帰られるように置かれていた。これらは、この教会の運営の方針や財政状況の詳細を記したものである。
 このような形で、教会が情報を公開しているのは、私には始めてである。情報公開に対する積極的な姿勢に感銘を受けた。


ホームページにもどる。
Copyright(c) 1999 Satoshi.Hoshino (shoshino@kcn.ne.jp) All Rights Reserved

Last updated on 13 April 1999.