第76夜 back number
   
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■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 2002/12/20/Fri. ■■■
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  .:*:・'゜★。 シネマントロプスの百一夜物語  ☆彡
 .:*:・'゜☆。 第76夜-----女たちの犯罪
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 町外れの道路で、轢死しているのを発見された隣人の元夫。

 殺害されてから道路に捨てられたということで、隣には捜査官が何度
もやって来ました。
 うちにも一度だけ聞き込みにやって来たのですが、痛くもない腹を探
るような目つきがどうも苦手で、「ここには来たばかりで…」と、わざ
とたどたどしい英語で応対すると、型どおりの質問を済ませてさっさと
帰ってゆきました。

 一昨日、隣人の元妻が、というよりローラの母親が、殺人と死体遺棄
容疑で逮捕されました。
 さらに最近ちょくちょく出入りしていた女友だちも共犯で逮捕され、
驚きました。
 元夫に追いかけ回され、すっかり精神的に参っていた彼女の力になり、
宗教に勧誘したのも、その友だちだったそうです。
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 【バウンド】(1996年度)。【マトリックス】(1999年度)
で一躍有名になった、アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャ
ウスキー兄弟の監督、製作、脚本作品です。

 ビアンキーニ(マフィア)一家の世話で、マンションの一室の修繕を
任されたコーキーは、出所したばかりのケチな女泥棒。一方その隣に住
むヴァイオレットはマフィアの幹部、シーザーの情婦。
 エレベーターですれ違い、互いに惹かれたコーキーとヴァイオレット
は、たちまち愛し合い、シーザーの目を盗んで密会するようになります。
 野蛮でゲスな男たちにうんざりしていたヴァイオレットは、シーザー
の手下が横領した大金を横取りして逃げようと、コーキーに持ちかけま
す。
 しかし、ただ金を持ち逃げしたのでは、地の果てまでも追いかけられ、
殺されてしまいます。
 二人の女は、親分の息子とシーザーがいがみ合っているのを利用し、
相手の裏切りに見せかけて金を奪おうと企むのですが…。

 「猜疑心を煽り、仲間割れしているスキに金を奪って逃げる」
 暴力では適わない女たちの、心理的弱点を突いた何と女性的な知能犯
罪でしょう。ヴァイオレットは、こっちに囁きあっちにチクり、巧みに
危険をすり抜けます。
 一方、シーザーもバカではありません。罠にはめようとしているのが
自分の女だとは気づかないまでも、最悪の事態を何とか切り抜けようと
必死で知恵を絞ります。そして女たちの考えも及ばない大胆な行動に出
たことから、彼女たちの計画に狂いが生じます。
 女性と男性の心理と行動の違いを浮き彫りにした、みごとな脚本です。
 コーキーが計画の一部始終を語って聞かせるシーンが、いつのまにか
実行シーンにすり替わる手際も卓越しています。

 自然光でない光と影の絶妙なバランスは、限られた空間での緊張感を
高め、壁にめり込む銃弾のスローモーションは逆にスピード感をつのら
せます。また、カウンターの上に置かれたオブジェの切り子細工一つ一
つに映るシーザーの顔は、まさに千々に乱れる心理を表現しており、生
きているように床を這う血だまりが恐怖感を煽るいった具合に、秀逸
なアイデアが活かされた映像が見所です。
 そして玄関扉の覗き穴、洗面所やトイレの配水管、狭い空間をくぐり
抜けるカメラアングルが、さらに緊迫感を高めます。
 シーザーがヴァイオレットの不審な挙動に気づき、彼女が手にしてい
た受話器を奪ってリダイアル。電話のベルが聞こえてくるのは、コーキ
ーのいる隣の部屋。その電話線をカメラが伝い、息を潜めるコーキーと
耳をそばだてるシーザーが、薄い壁一枚を隔てて対峙する場面は、手に
汗握る臨場感に溢れています。

 横領した金が見つかったとたん、頭を吹っ飛ばされた裏切り者の手下。
金が血まみれになったため、せっせと一枚ずつ洗って部屋中に干すシー
ザー。紙幣が部屋中に干され、親分が到着するまでに一枚ずつアイロン
を掛け、機械で束にするシーンが圧巻です。
 「マネーロンダリング」とは「金を洗浄する」ことですが、それは多
数の銀行の口座間を移動させて、金の出所などを分からなくするという
意味で、勿論、金を水洗いすることではありません。
 しかし文字通り「金を洗ってアイロンを掛ける」ハメになった間抜け
なマフィアの姿が滑稽です。

 そしてもう一つの見所は、何と言ってもコーキーとヴァイオレット、
女同士のスリリングな関係ではないでしょうか。
 ジーナ・ガーション演じるコーキーの、タンクトップから伸びている
逞しい腕、拗ねた眼差し、薄笑いを浮かべるとやや下品に歪む大きな口。
悪ぶった小悪党のセクシーな魅力を放っています。
 一方ヴァイオレット役のジェニファー・ティリーですが、そのハスキ
ーな甘い声が魅力的で、一度聞いたら耳に付いて離れません。黒の下着
とみだらな姿態でコーキーを挑発するのですが、彼女自身に色気を感じ
るというよりも、むしろその彼女に「感じている」コーキーの表情にそ
そられます。
 「女はすぐ人を読みたがるから嫌いよ」と、男の心を持ったコーキー
も、ベッドの中では女性らしい仕草で、これまた色っぽいのです。

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 【数に溺れて】(1988年度。ピーター・グリーナウェイ監督、脚本)。
 「シシー・コルビッツ」という同姓同名の三人の女たち。
 彼女たちは祖母、母、孫娘という関係で、それぞれの夫を、風呂、海、
プールで水死させます。浮気者の夫、欲求を満たしてくれない夫、幻滅
した夫…用済みになった男たちはあっけなく殺されてしまいます。
 そして検死官マジェットを丸め込み、結託して罪を隠蔽しようとする
のですが…。
 そこには心の葛藤や罪悪感のかけらはありません。一言で言えば、
「身勝手な女の死のゲーム」ということになるでしょうか。
 サスペンスドラマとしては、いかがなものかと思うのですが、芸術的
完成度、グリーナウェイ独特の世界観を遺憾なく発揮している点におい
ては、最高級の映画といえるでしょう。

 検死官の息子スマットは、木の葉、海の魚、髪の毛など、何でも数を
数えたがります。
 数字をカウントしながら哲学的なセリフが挿入され、画面のどこかに
1から100までの数字が隠されています。
 その数字は、人生そのものを暗示しているかのようです。
 なぜなら、星の数を数えながら縄跳びをしている少女が、「なぜ
100まで(しか数えないの)?」と尋ねられ、「充分だわ。100以
上はみんな同じよ」と答えるシーンがあるからです。100以上は同じ
…つまり「死」こそが何人においても、同等であるということではない
でしょうか?

 また、次々と奇妙なゲームが登場します。「逆ストリップゲーム」や、
「死人のキャッチボール」、「首吊りゲーム」などなど…。
 「逆ストリップゲーム」なるものは所詮、他愛ない子供のゲームに過
ぎないのですが、「死人のキャッチボール」は、三人の女と男たちの未
来を暗示するかのようで、実に薄気味悪いゲームです。
 そして最後に登場する究極のゲーム「首吊りゲーム」に至っては、も
う子供の遊びと笑ってはいられません。「首尾良く首が吊れたら勝ち」
、「勝者が敗者でもある」というルールは、すなわち「死」を意味する
からです。

 極端な遠近法や光と影の使い方、綿密に構成された構図など、グリー
ナウェイならではの映像美が堪能できます。
 とくに浴槽の置かれた部屋や庭の描写は絵画そのもので、映画である
ことを忘れてしまうほどです。
 オレンジの灯りをともしたクラシックカーが夜の森をゆく幻想的なシ
ーン、印象派の絵画を彷彿とさせる霧に覆われた田園風景、濃紺の空と
エメラルドグリーンの水をたたえたプールの色鮮やかな対比…。
 何度観ても溜息が洩れます。
 また音楽は、グリーナウェイ作品ではおなじみのマイケル・ナイマン
が担当していて、耽美的な趣にさらに色を添えています。
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 母親が逮捕され、娘のローラのことが心配です。
 連日連夜、人の不幸につけ込むマスコミが、遠慮会釈もなく隣の家に
押し掛けて、家から一歩も外へ出られない状態が続いています。
 迷惑なのは隣ばかりではありません。
 少しでも窓に人影を認めると、コメントを求め、映像を流そうと、う
ちにも押し寄せて来ます。
 二、三日もすれば、この異様な事態もいくぶん収拾するでしょうが…。
 今日明日にでも、Rightと「ローラ救出作戦」を実行するつもり
です。どうかそれまで、一人で頑張っていて欲しい。
                     シネマントロプスより…

By Sana Tsukimori  月森 砂名
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