2013.11.25

里山で思うこと ネットでパソコンを探して、注文します から 続く

当世パソコン事情

Windows Xpのサポートがまもなく終了ということや、ローカルサークルでのネットでのやり取りに
支障をきたしているというドメスティッククレームもあり3年ぶりの更新 

パソコンについては NEC PC8001MkUでスタート以来ちょうど30年のキャリアがあり、
その進化と一緒に歩き、お金もそこそこに使って、これまでスキルについては自信があったのですが、
この数年(大阪)日本橋への足も遠のき、そのブランクとIT環境・技術の変化は大きく
購入するパソコンの仕様をどのように決めればよいのか ちょっと悩みます

大型家電店で最新機種と仕様、価格を確認、店員に使用目的、条件を挙げてお勧めを聴く
OSはもうほとんどがWindows8搭載になっていて、その扱いにくさ(使用目的に対して)が予想できるので
入手したいWindows7を選択できるのはHPかDELLのデスクトップに限られるのだと
ノートパソコンでない展示品を見て回ると、なぜかモニターばかりであのタワー型の箱がない

主流はモニターの裏側に電源・CPU・etcもろもろを詰め込んで一体型になっていました。
これは使う側のプロ(自称だけれど)から見ればとんでもないこと
故障は部分部分で起こるのに切り離せないし、メインテナンスも間違いなく手が出しにくい
過去にそんなモデルもありましたが、管理者には散々なものでした
メーカーは判っているはずなのに、消費者を馬鹿にして、ユーザーに中を触らせるつもりはないのです

IT関連会社を経営している若い友人(私よりも)に相談して、ふところ具合にも相談して仕様を決め、
Cpu OS メモリー・・・とWeb画面で順にオプションを選択していくと金額が変り、確認して注文をかけると完了
それでも昔の周辺装置(たとえば40MBハードディスク)一台分よりも安いくらい

ちなみに今回内蔵のハードディスクは500GBでその40MBの12500倍の容量
(PC8001MkUの記憶媒体はカセットテープしかなかったけれど)
PC8001MkUのメインメモリーは64KBで今回オーダーしたのは4GB、実に62500倍
インターネットが影も形もない頃から電話回線を使ったパソコン通信があり300ボーという通信速度でも画期的でした
それがいま伝播媒体は音から光になり200Mbps 実に67万倍

PC8001MkUはいまも自宅屋根裏で動態保存されています 



2013.10.22

6月頃に始まって、まもなく終わりますが、このところほぼ毎日生駒山に続き六甲山を間近に眺めて、
神戸の西の端、須磨の橋梁補強工事現場へのワイドな広域通勤
往復4時間近い車中は膝にのせたノートパソコンに向かうか、読書三昧
そのなかでブックオフで見つけた2冊の本を面白く読みました

1冊は高倉健さんのエッセイ 「あなたに褒めてもらいたくて」 
もう1冊は田辺聖子さんの 「姥ざかり花の旅笠」

江戸末期 筑前は中間(なかま)付近のアラフィフのおばちゃんたち4人が男性3人のお供を引き連れて、
お伊勢参りに加えて善光寺・日光参りをします。
2冊の後者はこの中でリーダー的な宅子(いえこ)さんと久子さんが残した二つの紀行文(東路日記と二荒詣日記)を、
聖子おばちゃんが面白く、しかし歴史的考証に基づき幅広く解説しながら味と色をつけたもの

中間はわがふるさとに近く同じ筑前 交わされる言葉(聖子さんの味付け)は懐かしく、
この時代市井の主婦たちにどのような旅ができたのだろうか非常に興味深いものがありました。

一方、普通なら読んでみようか、という気にはならないだろうタレント本、それも寡黙な健さんのエッセイ
なぜ手に取ったのか
二つの本には大きなかかわりがあるのです
健さんは北九州の出身 聖子さんの本の冒頭で宅子さんは高倉健の5代前の先祖様 ということが明かされます
そして読み始めてすぐにブックオフの棚で健さんのエッセイを見つけたのです

エッセイの中で健さんはそんなこと(宅子さんの紀行文、善光寺参り)を知らず、
以前から毎年(脱稿時点で31年間)善光寺参りを続けていたと話しています

幸せの黄色いハンカチ 最近作では あなたへ 映画の世界では好きな俳優でしたが、エッセイを読んで、
ただ寡黙な人と思っていた健さんがまじめで優しくて思いやりがあるだけでなく少年のような茶目っ気もあることを知って、
チャラチャラしたタレント本と違って(といってもそんな本は読んだことはないのですが)
読み応えのある、感動をもらう本でした

さて宅子さん達のお伊勢参りツアー 訪れた土地、名所を以下に追いかけてみました

筑前中間から大阪
中間 芦屋 赤間関(下関) 長府 小郡 湯田温泉 山口 富海(防府) 三田尻(防府) 錦帯橋 岩国 
宮島 鞆の浦 三原 尾道 丸亀 金比羅さん 児島瑜珈大権現 赤穂 三光山(赤穂四十七士縁)
姫路城 高砂  加古川 明石 須磨寺 大阪住吉  天王寺 住吉大社 今宮神社 

大阪から伊勢神宮 
深江(東大阪) 暗峠(生駒山) 尼ヶ辻 奈良 興福寺 春日大社 東大寺 
郡山 平群 法隆寺 竜田神社 当麻寺 八木(大和三山) 桜井 長谷寺 阿部の文殊 
吉野 蔵王堂 水分神社 上市 伊勢街道 宇陀 高見山 飯高 宮川田丸 伊勢神宮 

伊勢神宮から善光寺 
宇治 津 白子 四日市 海路 熱田神宮 名古屋城 内津 虎渓山 
土岐 中津川 馬籠 妻籠 広瀬・大平 木曾峠 飯田 宮木 小野 塩尻
越後街道 松本 浅間温泉 仇坂峠 刈谷原 立峠 青柳 麻績 姥捨山 
篠ノ井 川中島 丹波島 犀川 苅萱山西光寺 善光寺

善光寺から日光東照宮
篠ノ井 上田 海野 小諸 追分 下仁田 妙義山 榛名山 高崎 前橋 足尾 日光

日光東照宮から江戸
中禅寺 野沢 宇都宮 小金井 那須 古河 利根川 春日部 荒川 越ヶ谷 草加 千住 
浅草寺 上野寛永寺 馬喰町 江戸城 吉原 

江戸から名古屋
日本橋 新橋 品川 大森 多摩川 川崎 神奈川 程ヶ谷(保土ヶ谷) 戸塚 鎌倉
江ノ島 藤沢 厚木 甲斐北都留郡 勝沼 上諏訪 高遠 宮田村 小川峠(小川路峠) 上村
青崩峠 水窪 秋葉神社 戸倉 青山峠 鳳来寺 新城 豊川稲荷 御油 藤川 岡崎
矢作橋 三河八橋 池鯉鮒(知立) 笠寺観音 鳴海 熱田神宮 

名古屋から京都
佐屋街道 津島神社 今尾(海津市) 養老の滝 沢田(養老町) 関ヶ原 不破の関跡 寝物語の里(今須)
醒ヶ井 番場 望湖堂(摺針峠) 彦根 鳥居本 多賀神社 越知川(愛知川)守山 三上山 焔魔堂
草津  瀬田 石山寺 三井寺 志賀山 白川 三条大橋 東本願寺 清水寺 八坂神社 知恩院 南禅寺 
法然院 北野天満宮 上賀茂神社 満福寺 柳谷観音 釈迦堂 二尊院 宇治橋 平等院 橋姫神社

京都−大阪−(海路)−中間
三十石船 枚方 長柄橋 土佐堀 住吉大社 四天王寺 生魂神社 道頓堀芝居見物 天満天神 難波新地 
天保山 (以下は海路) 岩城島 大島下島 室津 赤間関 芦屋 中間

天保12年(1841年)正月16日から150日かけて800里(3200キロ)を歩くこのコースが凄い

宅子さん達は出女をチェックされる関所を避け、山の中の道を抜けます
特に江戸から名古屋に帰る道は、箱根の関、東海道を避けて北に中仙道に回り、
勝沼、諏訪、高遠、飯田から秋葉街道を経て、鳳来寺に抜けるのですが
これはまさに発表されたリニア新幹線のコースライン

秋葉街道は現在でも秘境のとんでもない峠を持つ街道ですが、当時はさらに山の中の道、
今は車が走れるように等高線状に曲がりくねった道筋ですが、
昔はどこも高低差に関わらず距離が短くなるように直線で結んでいたのです
だからこのあたりは南アルプス登山のようなもの それが当時の街道だったのです

当初宅子さん達はお伊勢参りだけの予定ですが、目標達成時点の思いつき、衆議でさらに東へ東へと進みます
彼女らが、現在私たちが持っている地理的情報を持っているはずがない、は思い込みなのか?
伊能忠敬が測量しながら歩いて日本の形をはっきりさせたのはこのわずか20年前の時代です 

だけでなく、途中で足を伸ばして立ち寄る古事記、万葉集、古今集、源氏物語、説話etcに因む名所旧跡は
現代ではその由来を知らない人がほとんどでしょう 
これらを旅の途中で思い出し訪ね、懐古の情を歌(和歌)に残す、その博識素養が凄い
すべての人がそうではないでしょうが、江戸時代の文化レベルは今よりもずっと高いのでは

それから宅子さんが感ずる地域の格差 
今でこそ日本全国ほぼ同等同様の生活・文化レベルですが、
その当時は藩ごとに外国のようだったかもしれない経済格差、文化格差にも触れています
ちなみにこの旅の費用を現在のお金で推定すると一人あたり126万円になるそうです

(明治維新より27年前の)江戸時代がどのような時代であったのか、ライン状にですが見せてくれて
これこそ歴史の教科書として相応しいものに思えるのですが・・・・・

どちらの本も200円で手に入れたものですが、まことに一読の価値があります。

他にも健さんのエッセイがないかとAmazonで探すと、ありました
「旅の途中で」 
このエッセイも健さんのやさしい想いが伝わる文章で1話ごとに目頭が熱くなります
売値1円送料250円でこれが商売になっているのも凄い




2013.3.8

なかまのリンクになかまのページを追加しました

少し年下の友人夫妻デュオのページです
かおりんは娘ほどの年下だけど 二人は休日に大阪や神戸でライブ活動をやっています
平日夜のライブもあって、行ける時には観客になって声援を送ります
設計部時代からの同僚で、彼は今も橋の設計技術者であり、かつては昼休みの卓球仲間でしたが、
彼は今も週一昼休みに階下の卓球場で汗を流しています。

ホームページができた!(かおりんがやっているので創ったとは言わない) と告げられ 
その後 見た? 見た? と顔を合わせるたびにうるさいのでチェックしました。
かなり質が高い音(本人曰く)を動画に乗せられたということで、よければチェックしてみて下さい 
花☆キャラ カオリン



2013.2.9−11

この三連休は福岡に帰省していました

母の白寿のお祝いをしよう、と兄弟姉が集まったのです
数え歳で99歳、三連休の明けた日が満98歳の誕生日

往路は二度目のピーチ便 関空では前回はなかった専用ターミナルができて様子が変っていました
空港島はずれの専用ターミナルへはバスで移動しなければならず、時間に厳しい条件が付くのは以前と同じ
ターミナルと言ってもゴルフの打ちっぱなし練習場みたいな遠景の、歩いてタラップを登るまでの待合所で、
空港駅周辺にはそこに行くまでの案内はどこにもなく、まったく不親切
迷って間に合わない人もいるのでは

飛行機は無事着陸し、福岡空港では他社と同じ扱い ターミナルの前である人と待ち合わせ
今回はおまけの予定があり、それは空港に近い宇美町に住む友人Hさんに会うこと
40年以上前、同じ病院で結核と闘った、いや、闘病・療養というより、一緒に遊んだ仲間なのです
国立福岡東病院 その頃、その結核療養所の方針は症状が落ち着くとあとは時間との闘い、
午前と午後の安静時間は(勝手に)フルに読書の時間でそれ以外はすべて自由時間

玄界灘を望む松原砂浜を散策し、また春蘭を探して深い雑木林へ入り、
Hさんが飼っていた肉食熱帯魚の餌を求めて大根川に鮒ハヤなどの魚釣りに、
Hさんが作る刺?画の糸を求めて街中へ、読む本がなくなると博多の町へ調達に、
文庫本を一日一冊ペースで読んでしまうので毎回両手に重い荷物
まったく自由な生活を楽しんでいたのです

退院して数年後に一度訪ねたことがあるのでまったく40年ぶりということではなかったのですが
懐かしくうれしい再会でした。

空港まで車で迎えに来てくれて、お昼を食べに行こう、と連れて行ってくれたのは 天ぷらのひらお
空港に近い板付の店は1時半を過ぎたというのに広い駐車場はいっぱい 店の外にも人の列
少し走るけれど時間もずれて大丈夫だろうと直営の別の店に行くと、コの字縦長の長いカウンターは人で埋まり、
それを取り囲むように、店の3辺窓際いっぱいのベンチにもびっしり人が座っていて、
勝手がわからないでいると座っている人に、あっち と行くべき場所を指し示されます
そこは窓際コの字ベンチの一番端で座り待ち行列の最後尾 もう2時をだいぶ過ぎているというのに

カウンター席が空くとはるか向こうの先頭の人が席に付き、空いた所を埋めるように全体が先頭に向けてベンチを移動するのです
よほど魅力的なのでしょう
ようやく座って天ぷら定食の券を出すとごはんと味噌汁、天つゆと揚げ皿が出ます。しばらくして揚げたての白身魚が乗せられ、
食べていると次はカボチャ、また次は、と食べる速度にあわせて揚げたてがひとつずつ入れられ、かなり出ました。
テーブルにはいかの塩辛(これがまたおいしい)大根の煮付け、おしん香など4種が容器にたっぷり、取り放題
そしてこの定食が670円 Hさんに奢ってもらいました。
いろんな天ぷらの定食があるのに、一人ひとりに何をだしたのかよく憶えているもの

お互い20代だったのにHさんはもう70代、待ち時間のおかげで互いの退院後の来し方をゆっくり話せたのは幸いでした
お互い"悪い肺を切除してしまおう"とHさんは特に強く担当の先生に勧められたのですが、
そのようなことをしなくて、このように半世紀を恙なく過ごしてこれたのは有難いことです。
JR宇美線と篠栗線が交差する長者原の駅に送ってくれたので手を握って別れ、電車で篠栗の町へ

昔おやじと一緒にルーツを探した跡をトレースしてみようと思い立ったのです。
22年前、そのときは車でこの日は徒歩、そんなに開発が進んだ様子もないのですが、
思いついて来たので過去長を見せてもらったお寺も本籍地もわかりません。

博多駅前、弟の単身赴任の住まいに泊めてもらった二日目の朝 
お昼の待ち合わせ時間まで二人で福岡市西新のわが母校を訪ねます。
赤レンガの門の前には懐かしい赤レンガのチャペルが今もどんと立っていました。
でもなぜか蔦は絡まっていない 今は西南学院大学の博物館 

あとで調べると保存用に一度解体して復元されたようで、どうりで雰囲気が以前よりスッキリしていた
チャペルに続いて高校校舎があったのですが今はすべて大学のキャンパスに
半世紀近く前、学校グラウンドの裏はすぐに砂浜で、
九州場所が開催されている時は塀の向こうの海の家で花籠部屋二子山部屋が巡業の部屋を構えていました
西鉄ライオンズの寮も近くにあってバスに乗って移動する選手も見ていました


守衛さんに高校はどこに行ったのか、と尋ねると、ずっと遠くの建物を指してあのあたりだと 
海は今ずっと先まで埋め立てられ、福岡タワーやヤフオクドームが出来ていますが、昔そのあたりはかなり沖のほう
500m程歩くと、当時はなかった小学校と隣り合わせで瀟洒な煉瓦色で統一された中学・高校の建物が広い敷地に広がっていました
これだけ状況が変わってしまうと、これが母校であるとは認識しづらいものです。
さらに海を目指すと松原が見え、シーサイドももち海浜公園、
もちろん埋め立ててからの松原で、植林してまだ20年ほどだというのに見事な白砂青松が拡がっていました。

博多駅で母兄弟姉と待ち合わせて向かう白寿のお祝い場所は温泉宿 グリーピア八女
JR鹿児島本線羽犬塚駅から送迎バスで片道40分 山をどんどん登って標高460m高原状の山の上

敷地は広くメインの宿泊施設の他にコテージが点在し、プールや体育館、フットサルコート、
遊技施設などあるのですが、ちょっとくたびれていて今も活用されているのかはっきりしないものもあります。

公営施設のようですが、パンフレットではそう読み取れない 従業員に聞いてみるとやはり以前は公営施設だったそうで

Wikipediaによると
グリーピア(大規模年金保養基地)として厚生年金保険を使って1980年から1988年にかけて年金福祉事業団が設置し、
全国に13の施設を地方自治体に委託して運営していたそうですが、年金問題の負の資産として赤字経営で2005年頃に売却。
年金保険料1,953億円を投じたグリーンピアの売却総額は、わずか約48億円だったそうです。

年金保険施設 昔は厚生年金なんたらといろんな形で全国に数多くありましたが、
それがいま問題となっているように年金のもとを食い潰していたとは・・・・

まあ 今回はその遺産でわりあい安くご馳走と温泉を楽しませてもらったので、
とりあえず良し、  とするのはやはり甘すぎるでしょう




2013.1.1

新年あけましておめでとうございます。



 今年は明るい年になってほしいものです

これらの作品 花で飾ったのはむすめです