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午前の勤務を終え、道場のほうから場内へ戻る途中、バレリアは真っすぐに兵舎に戻らず図書館の前を横切り、城下町の方へ向かった。
今日はシーナがリーダーのラオと共にトランの方へ向かったため、街でうろついていることは無いだろう。
先日桟橋でのことがその後、あらぬ噂を引き起こしてしまったため彼と顔を合わす事に気まずいものを感じていた。
人の噂も時間が消して行くのだが、こういった型の噂はあまり立てられたことがなかったバレリアは対処にかなり困った。そのためか、無意識のうちに兵舎や道場、大広間の往復のみで日々を過ごしていたのだ。
湿気た空気が生ぬるく、珍しく湖から吹く風は無いため日が高くなるごとに絡み付く暑さが汗を誘う。
バレリアも額ににじむ汗を手の甲で拭い、肩にかかる長い髪を払った。
「暑いな・・・」
「まったくだよ」
思わず口をついて出た呟きに、合の手が入る。
足を止めて振り返ると、暑苦しそうに上着を揺らしながら風を送り込むシーナが、ゆらゆらとした足取りで着いて来ていた。
「シーナ・・・殿?!」
ラオと共に出たはずのシーナがなぜここにいるのか、バレリアは目をむいて彼を見つめた。
「いや〜、そんなに熱い眼差しでバレリアさんに見つめちゃ照れるって〜」
「別にそんなふうに見ていません」
間発入れずシーナの戯れ言に否定の意を表して、目を背け歩を進める。
いたっていつもと変わらぬ調子でシーナは彼女と肩を並べた。
しばらく歩いてからふと重要なことを思い出し、バレリアは再び足を止めた。
「シーナ殿は確か今朝、ラオ殿とトランに向かったのではなかったのですか?」
彼はそのまま2、3歩進んで彼女を振り返る。
「あぁ、体調が悪いから早退させてもらった」
額を押さえながら、バレリアはため息をついた。
「早退って・・・」
シーナは手近にあった大きな石に腰掛けて、ひざに頬杖をついてほほ笑んでいる。
「心配ないよ、マチルダの兄さん2人が一緒だし、・・・」
「・・・・・・レパント様にはお会いになられたのですか?」
彼の前に膝をつき、目線をシーナよりも低くして、真っすぐに見上げた。
レパントの名前が出たとたん、彼の視線が激しく動き、逆にいつも達者な口が凍りつく。
やっぱり・・・と言った感じで、バレリアがため息をついた。
「シーナ殿は・・・お父上が嫌いなのですか?」
「いや・・・そんなんじゃないけどさ〜苦手って言うか・・・」
それだけ言うと彼は足をぶらぶらさせ、黙ってうつむいてしまった。
「シーナ殿。貴方らしくないのではないですか?いつもならひねてても、もっと堂々としてらっしゃるのに・・・」
「ひねてって・・・」
「それは冗談ですが、何かあったのですか?」
穏やかな口調の中に、回答の拒否を許さぬ厳しさを含ませてバレリアは問い直した。
彼は頭の後ろで軽く腕を組み、バレリアに背を向ける。しばらく何も言わずに空を見上げ、シーナは何か小さく呟いた。
「・・・・・・・さんとの約束だから・・」
「え?何ですか?」
風の呼んだ木々のざわめきに阻まれて、シーナの声が遠のく。バレリアはなびく髪を押さえながら聞き返した。だがシーナは口元を押さえてから、どこか照れたような笑いを浮かべてから腰に手をかけ上半身を振り返せた。
「あ・・いや、俺もまだまだだからな〜。今帰っても小言言われるだけだし、何か胸張って言える何かを土産にしてやりたいわけよ。まぁ、ちょっとした親孝行ってやつ?」
そのとき浮かべられたシーナの笑顔は、いつもの軽いどこか自分を隠したようなそれとは違って、秋風のように清々しく精悍なものだった。
この人も一応はちゃんとした芯をもっていらっしゃるのだな・・・
彼の一瞬見せた表情で不意に安堵感に似た安らぎを感じた。バレリアはシーナの背中をポンと押すと、うっすらと微笑みを浮かべ、
「そういう気持ちでいてくれることを、私もうれしく思います。及ばずながら私も協力しましょう、頑張ってくださいね」
と激励を送って再び歩き始める。そして、ふと何かを思い出したように振り返った。
「これから鍛冶屋に行こうと思いますが、ご一緒にいかがですか?」
「えっ?誘ってくれるの?喜んでお供しますって!」
パッといつもの底抜けに明るい表情に戻ると、シーナは軽い足どりでバレリアに続いた。
バレリアはふと誰との約束なのだろうと、気にはなってそれとなくたずねてみたのだが、彼はただ、「バレリアさんがいっち番知ってて、一番解らない人」とだけしか答えてくれなかった。
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