不思議な感覚だった。
傷だらけの体は他人の物のように自由がきかず、意識は羽のようにふわりと浮き上がるような感じがする。
建物のいたるところから戦禍の声が響き、耳につく。
クルガンはうっすらと目を開き、白い天井を見つめた。
「おわった・・・」
自分のものとは思えないほどかすれた声は、誰に届くでも無く高い天井との間に消えた。
同盟軍の最後の攻撃が今、長かった戦いに終止符をうとうとしてる。 不落と信じてきた祖国が歴史の中に消える。その瞬間、自分もまたそれと共に消えて行くのだ・・・
全ての感覚がマヒしてしまっていた。
視界もほとんどかすんでいて、見慣れた天井の色もはっきりと写らない。
少しずつ近づいてくる死神の指先…喉をひとつ突かれればこの色のない世界から逃れることができるのに・・・
クルガンはゴロリと頭を横に倒した。すると、真っ白な世界の中にひとつ・・・ただひとつだけ色をもった存在があることに気づいた。
真っ白な中に深紅のライン、それをたどって行くとわずかに赤みを残した・・・しかしそれも今にも白に飲み込まれていってしまいそうな肌の色の首筋、輪郭、唇、鼻筋を経て赤い髪にたどり着く。
「・・・・・・・シー・・・ド」
はっきりとその姿を捕らえ認識した途端、今まで色のなかった景色がシードを中心にして爆発するように色が放射状に広がった。
それと共に、今まで夢心地にあった体に現実が蘇ってくる。
燃えるような痛み、目眩を伴った体のだるさ…全て自分が未だに生きていること物語っていた。
しかし、痛みとともに感覚が戻った体は、ゆっくりとではあるが動かすことができた。
もう何年も動かしていないブリキの人形のように、ギシギシと音をたてそうな体を起こし、シードのそばにずりよる。
シードの顔についた半分乾き始めた血を撫で取り、それでも取れない血痕は舌で湿らせて袖でふき取った。
「・・・・・・」
前線に立ち、それなりの大軍を統べる地位にある以上、いつかこうなることは分かっていた。
クルガンは、いつかシードが戯れ言のように笑って言ったことを思い出した。
『お前、俺が死んだら絶対泣くだろ?』
突然シードが言い出した台詞に、クルガンは口につけていたグラスをおろしベッドの方で腹ばいになって、同じようにグラスに口をつけているシードの方に目を向けた。
「なんだ?突然・・・
いきなり酒が飲みたいといって、人の部屋に入り込んできてもう酔っているらしい。
シードはしわくちゃにしたシーツを手繰り寄せて、その中からクルガンを見上げている。
「なぁ、どうなんだよ。泣くだろ?」
にししっと、笑いながら空になったグラスの縁をなめた。
「・・・・・・泣かん」
クルガンはシードから視線を外し、グラスの残りのブランデーを飲み干してからベッドで転がるシードのとなりに腰を下ろす。
「なにぃ?何だよそれ!」
軽く握ったこぶしをクルガンの脇腹に当ててから、彼のシャツを握り込む。
クルガンはサイドボードに置かれたブランデーの瓶を取り、空いたグラスに静かに注いだ。
シードは不機嫌そうにクルガンのシャツを引っ張り、上目使いに睨みつける。
「あぁ〜、その程度ってわけね。ふーん・・・
「ん?何だ、シード」
瓶をサイドボードに戻し、あいた手でシードの髪を撫でる。
それを払いのけ、クルガンの膝に空になった自分のグラスを放り込むと、シードは手繰り寄せていたシーツにもぐりこんだ。
「何をすねているんだ?シード」
シードのグラスと自分のグラスをサイドボードに置いて、シーツの中をのぞき込む。
「別にすねてなんかねーよ・・・
クルガンに見えなくなるように、シードの赤い髪が深々と白い布の中に埋もれて行く。
そんな彼のしぐさに苦笑しながら、灰色の髪をひと撫でしてからクルガンは軽く天井を仰いだ。
「この私が泣くと思うか?」
「・・・・・そうだよな〜。お前みたいな冷血漢が、俺が死んだぐらいじゃ泣かねーよな」
「シード・・・
ひとつ大きく息をついてから、半ば強引にシードのくるまるシーツを引っ剥がし、彼を自分の腕の中に引っ張り起こす。
始めは駄々っ子のように暴れたが、じっと見つめるクルガンを見上げシードもおとなしくなったが、目を合わせないようにクルガンの胸に額を押し付けた。
「お前が死ぬなどという事は考えられない。悲しみはすれど、泣くかどうかは私にもわからんよ」
あやすようにシードの髪をなでる。
柔らかい感触が指に心地よい髪、その赤い髪が揺れ、シードはクルガンの肩に手をかけてゆっくりと顔を近づけた。
「お前は絶対泣くよ。絶対に・・・
シードはそう呟くとやんわりと誘うような軽い口づけをして、艶やかに笑った。
『俺が死んだら・・・お前は泣くよ』
あのころのような笑顔はもう見ることはできない・・・
あのころのようには温もりを分かつこともできない・・・
「・・・シード」
無意識に寄せた唇は冷たく、目の前の肉体が抜け殻であることをまざまざと感じさせられた。
再び視界がかすみ、後頭部にじんわりと熱いものを感じる。
「・・・・・・・・」
一度瞬くと視界が急にはっきりと開いて、シードの頬に雫がつたっているのが見え、また視界がぼやけた。
シードの頬をつたうものに指を当てると、ほんのりと暖かみを感じる。
(・・・・涙・・?)
もう既に事切れて久しいシードのものではないことは、考えなくてもわかっていた。
・・・・・・自分が・・・泣いている。
何があっても、決して泣くことはなかった…泣くことなど考えられなかった。
(これが最後になるとは・・・情けない話だな)
クルガンは遠のいて行く意識の中で、シードの言った言葉を思い出し苦笑した。
(お前にはかなわんようだ・・・シード・・・・・)
横たわるシードの隣に倒れ込み、目の前の赤い髪を見つめながらクルガンは最後の力を振り絞ってシードの髪に手を伸ばした。
劇終した後に幕が下ろされるように、だんだんと目の前が暗くなって行く。
まもなく、一つの国が歴史の中に消る。
長い戦いは、多くの魂を連れて終幕へと向かった。
デュナン統一戦争 終結・・・・・・
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