たからもの 
「カミュー」
 肩で息をし、名を呼べば、彼はゆっくりと振り返って自分を見上げてきた。
「あれ、マイクロトフじゃないか。そんなに息きってどうしたんだい?」
「どうした……って、覚えてないのか?」
「何のこと――」
 言いかけて、カミューは不意に思い出したように、瞬きした。
「ああそう言えば、遠乗りに行こうとか約束したっけ」
 頷けば、言葉だけは殊勝にけれど態度はいつもと変わりなく、穏やかな笑みを見せる。
「ごめん。忘れてた」
「……そうだと思った」
 低く、答えるそのマイクロトフの声に、カミューが微妙に笑みを深める。
「もしかして、探させたかな?」
「思いっきり探した」
「それは悪かった。すまなかったね」
 その、あまりにもあっさりとしたカミューの言い方に、マイクロトフはがっくりと肩を落としたのだった。
 

 そもそもはずっと本拠地にこもりきりだったことから、その話は出た。たまには気晴らしに遠乗りにでも行こうかと、どちらからともなく話がまとまり、日にちも決定したのだがその肝心の日にちに雨が降ったのがいけなかったか。延び延びになっているうちに今日になり、厩舎でマイクロトフは馬の相手をして待っていたのだが、待てど暮らせど相手が来ない。不審に思って近くを通りかかった赤騎士に聞けば、カミューは朝からいないという。たまに姿を消すことがある元赤騎士団長のこと、彼はたいして気にもせずに答えてくれたのだが、それですっかりマイクロトフは困ってしまった。
 既に陽は高く中天にある。朝からいないのが本当ならば、もう半日は姿を見かけていないことになるか。
 もしかして自分が約束の日にちを間違えているのかと思いつつ訓練場を覗き、レストランを覗き、部屋を何度も行き来し、終いには本拠地のありとあらゆるところを探す結果になった。
「それにしてもよくここが判ったね」
 カミューが感心したように呟いた。それもその筈で、ようやく見つけたカミューは本拠地のどこにもいなかった。カミューの言うここ、とは本拠地から少し離れた土地にある、ある切り立った崖を指す。
 ここをお気に入りとしてるとは、赤騎士の誰に問うても判らないわけだ。最も、自分さえ知らなかったのだから、それも無理はないのだろうが。
「探したからな」
 憮然として言えば、カミューは困ったように立ち上がってマイクロトフに並んだ。
「ごめんって」
 そばまで来て、笑いかけてくる。
「せめて居場所くらい言っておくべきだと思うぞ」
「それは何度か考えたんだけれどね。でもなんとなく言いそびれてたんだ」
 カミューがそういうのも判らなくもない。マイクロトフはここから見える風景に目を細めた。
 遠く、はるか彼方まで見通せる静かな波の湖と、青く広がる空が遠くで重なって一つの青を作り出している。ゆっくりと過ぎてゆくのは、白く浮かぶ雲。
 ここから見える光景は日常的な戦いとは縁遠くて、心を穏やかにさせてくれる。誰にも知られたくはないと思うのも無理はなくて。
 ――最も、おそらくカミューがここをお気に入りに選んでいるのは、それとは違う理由だろうが。
「それにしても……」
 マイクロトフはため息をついた。
「本当に探したぞ」
 恨みがましく見つめてみる。今日のこの日は久しぶりに気晴らしが出来るものと思っていたのに。
「ごめんって」
 さして悪いと思ってはいない、そんな調子で言われて、マイクロトフはふと首を傾げた。
「……カミュー?」
「なんだい?」
「何か企んでいるだろう?」
「企んでいるだなんて人聞きが悪いなあ。勘ぐりすぎだよ」
 そうは言いつつ、けれどカミューは相変わらず深い笑みのままで。
「勘ぐり過ぎか? そんなことはない――……カミュー」
 不意に閃いたそんな考えに、ばかばかしいとは思いながら、けれどそれこそが正解のような気がして、マイクロトフは一呼吸置いた。
「カミュー」
「さっきからなんだい?」
「わざと、オレに探させただろう?」
 カミューは答えず、ただ微笑した。それよりここに座らないかと手招きされて二人並んで座りつつ、そんなカミューの様子に確信を持つ。
「約束を忘れたなんて嘘だ。わざと姿をくらまかして、オレに探させたな?」
「……今日の遠乗りは、私自身も楽しみにしていたんだけれどね」
「本当にそうなら、もう少し悔しそうな表情をして見せたらどうだ?」
「充分、悔しいんだけれどね?」
「そうは見えないと言っている」
「そう?」
 まるでいたずらを思いついた子供のように楽しげな色を浮かべて見つめてくる瞳を、真直ぐに見返す。
「カミュー」
 名を呼べば、彼はくすりと声をたてて笑った。
「やっぱり、マイクには全てお見通しだね」
「……たちが悪いぞ」
 一体、どれくらい探し回ったと思っているのだろう。どの赤騎士に聞いても誰も知らなかった、この本拠地の外にある場所を、どれほど歩き回って突き止めたと思っているのか。
 この、カミューしか知らない場所を。
「振り回してくれる」
「うん。実はマイクに探し出してもらいたいなあと思ってたんだ」
「何でまた……」
 呆れてため息をつくマイクロトフに、カミューは実に楽しそうに答えてくれた。
「この間ね、小さい頃の話を思い出していたんだ」
「小さい頃、か」
「そう。初めてロックアックス城へ来たときとか、初めて騎士の位を受けたときとか」
「初めて剣をあわせたときとか?」
「そうそう、それも思い出していた」
 初めて出会ったとき当然のことながら、互いにまだ騎士でも何でもなくて、それでもお互いをライバルとして意識しあっていた。
「ここから見える夕日がとっても大きいってことは知っていたか?」
 突然、カミューがそんな事を訊いてきた。
「いや?」
「ここからね」
 カミューが穏やかに言葉を続けた。
「見える夕日がとっても大きくて、昔のことを思い出していたんだ」
「夕日がか?」
 今はまだ夕日にはほど遠く、太陽はいまだ中点にある。白く輝くそれを片目を細めて見つめ、その眩しさに目をそらした。気がつけば、カミューにも太陽の光は降り注ぎ、赤く鮮やかな色を映しだしている。
「そう。昔隠れん坊をしたことがなかったかい? 確か、マイクが鬼だった」
「…………」
 不意に黙ったマイクロトフに、カミューはくすりと相手には見えないようこっそりと笑みを漏らした。
「忘れてないんだ? 確かマイクロトフは最後の一人が見つからないって、ぐずっていなかったかい?」
「……カミューの記憶違いだろう」
「そう? でもそうだなあ。隠れん坊ってたいしたことない遊びなのに、あの頃は毎日それをしていたような気がするよ。一体何が楽しかったんだろうね?」
 問われて、マイクロトフはじっとカミュー見た。
 
 

 昔むかし、マイクロトフがまだ少年だった頃。
 マチルダの領土では隠れん坊の遊びが流行っていた。それは子供ならば一度は興ずる遊びだろう。その鬼にマイクロトフがなった。本音を言うと、こう言うことが大の得意だったマイクロトフは必死になって探し回った。
 最初の一人は案外早くに見つかった。二人目もすぐに見つけた。三人目はちょっと遠くにいた。四人目は、少し難しかったものの、それでもちゃんと見つけられた。
 ――なのに、最後の一人がどうしても見つからなかった。
 ほとんど意地になって探し回っていたように記憶している。意固地になって、誰の助けも借りなかった。どんどん時間が過ぎ、太陽が傾き、夕方になってやっぱり最後の一人がみつからなくって、一人で途方に暮れていたとき、耳元で声が聞こえた。
『夕日だ』
 見上げれば、オレンジ色の視界の中に朱色の夕日。雲がうっすらと赤紫色に染まっていた。空の彼方からは夜の気配が満ちてきている。
 昼と夜の両方に挟み込まれた雲と太陽。
 黄昏時の、顔も良く見えない相手だった。隠れん坊の仲間相手じゃなかったのに、けれどマイクロトフはそれを不思議にも思わなかった。
『誰だ?』
 ぶっきらぼうな質問に、それでも相手は振り向いた。それは夕暮れの光の中かでしかとは見えなかったのだけれど。
『……何が?』
『名前、だ』
『それを訊くならまずは自分から名乗るのが筋じゃないかい?』
 そう言われて、けれど納得してしまったマイクロトフもマイクロトフだったかも知れない。
『マイクロトフだ』
 案に相違して、すっかり夕日の色の中にとけ込んでいた彼は不思議そうな表情をした。マイクロトフが名乗るなんて予想していなかったのだろうか。とすると、もしかしたら自分は挑発されていたのか。
 彼は一度頷き、名前を声にした。
『マイクロトフ、か』
『そうだ。――お前は?』
 彼は瞬きを数度繰り返した。それから真っ直ぐにマイクロトフを見返す。
『……カミュー』
 それは、噂に疎いマイクロトフでも知っていた、異国のグラスランド出身の少年の名だった。
 
 

「隠れん坊も、ああそうだ、宝探しもそうだね。何が楽しいんだろう?」
 くすくす笑いながら、カミューが問う。絶対あの時のことを思い出しているに違いない。マイクロトフは憮然とした。
「探している間が楽しいのかな? それとも宝物を見つけた瞬間かな?」
 それがあんまり楽しそうで、笑みを深めたりなんかするから。
「――そんな事は決まっている」
 ふっと、マイクロトフは手を伸ばした。カミューが目線をあげる、それより先に顔を近づける。
 吐息が触れる程の、距離。
 そっと息をすれば、それさえも感じる事が出来てしまえるような。
 触れなくてもそのぬくもりが伝わってきそうな。
 かすかに合わせるだけの口づけ。
「探し当てた宝物を開ける瞬間だ」
 言い終えた瞬間にぱっとその手を離す。素早く立ち上がって、マイクロトフは辺りを眺める仕草をした。
 そんな照れ隠しも、きっとカミューには伝わっていると思うものの、これ以外に他にしようがなくって。
 しばらく、何の反応もなかった。そっぽを向いたマイクロとにはしかと判らないが、カミューは珍しく惚けたままで動かない。
 そっと視線を戻す。
 カミューは肩を震わせて必死で笑みをこらえていた。
「……おい、カミュー」
「ご、ごめん」
「そんなに笑うことあるか」
「ごめんって」
「カミュー!!」
 半ば自棄になって、マイクロトフはくるりと背中を向けた。さっさか早足で歩き出すマイクロトフを、カミューがそれでもまだこらえきれない笑い声を立てながら追いかける。
 
 

 結局、マイクロトフが探していた五人目は見つからなかった。遊びに飽きて、途中で帰宅してしまったらしい。そんな事も知らずにマイクロトフはずっといない五人目を探していた。
 けれどそれも無駄ではなかったように思う。
 五人目は見つからなかったけれど、それよりももっと大切なものを見つけた。その宝物の中身はまだまだ未知数で限りなくて。
 赤い色の夕日の中で見つけた、宝物はそれいらいずっとマイクロトフの心の中に居続けている――――。

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結城 あきら様から
誕生日のプレゼントで
頂きました
貰いまくりです(笑)
ありがとうございました!