♪BGM “ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲 ”
『イズァローン伝説』より 王子と従者を。 ちょっと語ります。長くなります。 竹宮惠子大先生の作品で、 友人に借りて読んだのはつい最近(笑)。 ですが、圧倒されてしまいました。 もっと早く出会っていれば、 私の人生上で何かが変わって いたかもしれません。 文庫版でも出ています(全8巻)ので、 ご興味のある方はぜひともご一読ください。 簡単にまとめますと、 イズァローン王国の嫡出王子・ティオキアは プロトタイプ(両性体)。従兄弟の ルキシュが「男」であったため 宮廷内の派閥争いに巻き込まれ、 かつて親しんだルキシュとの関係は 硬いものになってしまっています。 そんなある日、ティオキアは父王の意向で 隣国・イシュカへ使者として出向きます。 その時に供を申し出たのが、学士 カウス・レーゼン。 そしてイシュカで、王子とカウスの運命が 動き始める─── という感じです。 さて───────。 ティオキアにとって、ルキシュとは“恋” だったけれど、カウスとは“愛”だった のではと思うのです。 カウスも初めは忠誠心と向学心で ティオキアに付いていったけれど、 イシュカで王子を想う気持ちに 変化が現れています。 ティオキアの方でも知らず知らずのうちに カウスを頼っていくようになっているし、 でもそのことにティオキア自身が 気づいていなかったことが 悲劇の一因と言えなくもないかも。 例えば愛は底深く静かに流れる大きな河で、 恋は水踊るせせらぎだとすれば、 きらきらと音のするせせらぎの方には気づいても 気配のない深い河の方には気づきにくい ものなのかもしれません。 気づいても、底が見えなければ 「怖い」と感じてしまうかもしれないし。 |
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カウスはティオキアを愛していたけれどティオキアに「愛されたい」と思ったことは 多分、一度もないのでしょう。 そしてルキシュはティオキアに「種族(または人類・ヒト)」の象徴として愛され、しかしカウスは 「個人」として愛されたのだと思うのです。 だから「ルキシュの血が流れているルキシュの子孫」として、ヒトは永遠にティオキアに愛されるけれど ティオキアにとってカウスは、永遠にたったひとりの「個人」でなくては ならなかったんだと思います。 血を継いだ「子孫」や「生まれ変わり」ではなく、その人本人でなければならなかったんだと。 それからこれはこじつけかもしれないのですが。話の流れが、多少前後しながらも何となく タロット(大アルカナ)の順に微妙になっているような気がします。 魔術の始まり(1‘魔術師’)からリスレルとの出会い、流転、ルキシュの結婚、フレイアとアスナベル、 いろいろあって処刑(15‘悪魔’)、崩壊(16‘塔’)、復活(20‘審判’)、 そして砂の平原を進むカウスは0‘愚者’だとすると、最後はやはり 全ての完成・成就(21‘世界’)になるはず──カウスとティオキアは長い長い時の果てに、必ず再び 出会うはず。という思想の下、上絵はその「先の国」で再会したふたりを描いてみました。 カウスなら、一万年の砂漠をも越えてゆける。 ティオキアに会うまで解けない「永久の命」の魔法。 カウスに会わねば解けないティオキア自身の憑魔。 ふたりが「はるか先の国」で再会しカウスがティオキアを腕に抱くことで ふたりの魔法は完成し、同時に魔法からの解放にもなる─── カウスの「それですべての魔法がとける」を私はそう解釈しています。 本当に壮大な、これはひとつの創世記です。 *** 上のイラストでは、金髪の方がアル・ティオキア王子、青銀髪の方がカウス・レーゼンです。 最初に読んだときのBGMがたまたま新居昭乃嬢の『空の森』だったため、私の中ではこのアルバムは 別名イズァローン組曲です(笑)。 「三日月の寝台」なんかまんまルキシュから観たティオキアだし、 「凍る砂」は古代イズァローン地下帝国、「風と鳥と空」は荒野(マキュロス)、 「炎と永遠」はカウスとティオキア……とかいう具合にね(末期症状……)。 関係ありませんが、私はティオキアの髪は長い方が好きだな…。 2002.8.24~のトップ。 |