時は流れ,世は事もなし 虎口4
「渋鯖,診察の時間だぜ!」
ドアが開き白衣を羽織った男が,お気楽な物言いで病室に入ってくる。
それを受け渋鯖がベスパを揺さぶって”起こし”,ベスパも重症患者っぽく辛そうに顔だけを向ける。
‘付き添いは二人‥‥ 兵士としては屈強そう‥‥ 小銃は持っているが,狭い病室でどれだけ使えることやら‥‥’
医師についてきた兵士を値踏みするベスパ。
二人とも警戒はしているが,『特に』という感じはない。医師がよほど巧く,こちらの”容態”を信じさせたのだろう。
ここまでは想定通りなので幾分,緊張を緩め手当てしてくれた医師を見る。
年齢は渋鯖と同じくらい。体つきは,やせ気味に見えて実は筋肉質の渋鯖よりもさらに筋肉質。百年未来でも(とういか,百年未来の方が)美男子で通用するきりっとした目鼻立ち,褐色に近い地肌が,医師というインテリからは考えられない野性味というか精悍さを印象づける。
値踏みをするベスパの視線を察したのか渋鯖が
「彼は”腕”は良いって,近所でも評判ですが,下半身が無責任なのが困りものです」
「おいおい,深夜に転がり込んできた怪我人を文句も言わず診てやったのに『下半身が無責任』なんて誤解を招くような紹介はないだろ!」
「文句を言わなかったのはベスパさんが美人だったからだろ! 手当てしながら,直った時の口説き文句をぶつぶつ口にしていたのは聞こえていたぞ」
「うるせぇ! こんな美人をそのままにしておくのは男の恥! お前みたいに聖人君子ぶった幼女嗜好者と一緒にするな!!」
「だっ,誰が幼女嗜好者だよ!」とけっこう本気で憤慨する渋鯖。
実直な渋鯖にしては人を腐す言い回しと,開けっぴろげなやり合いにベスパは二人にある確かな信頼関係を認める。
「うっ‥‥」
と,掛け合いの区切りがついたところでベスパは一つうめいて見せ,苦しげに上半身を起こす。
「‥‥ 確かに“腕”は良いようだ。昨夜のひどい有様に比べると幾らか楽になった。言える立場かは微妙だが,体の持ち主に代わって礼を言わせてもらう」
演技ではない素直な感謝に医師は何度かかぶりを振り
「いや〜 意識は魔族だそうだが気性もさっぱりとしたイイ女だねぇ ホント,こいつって幼女にしか興味がないクセに,イイ女と縁があるんだから、あやかりたいぜ!」
「だから,幼女趣味だって風評を立てるのはよしてくれ!」
半ば怪しがるベスパの視線に焦る渋鯖。
ごほん! 後ろの兵士が怒りを込めた咳払い。
当時の意識として容疑者は犯人であり,そんな連中と親しげに言葉を交わす医師に苛立ちを覚えるのは当然のことだ。
『へいへい 解りました』と医師は大げさにうなずく。
「姐さん,診察させてもらうぜ! これでもお前さんの主治医だからな」
「いいよ,任せる」とベスパ。
医師は,さも重傷者に配慮するような慎重な動きでベスパ上半身を抱き起こす。そのさい,数カ所ある小さな結び目をほどくと,拘束レベルで巻かれていた包帯や添え木が,ゆるむ。
ベスパの目配せで,それを確認した医師は当たり前のように浴衣を大きく寛げる。当然のように,こぼれ出る乳房。
女性が半裸でいるのも珍しくない時代ではあるが,顔だけでなく体型もそっくりなので,そのボリュームはこの時代の常識を大きく上回る。
反射的に兵士の意識がそこに集まり,その隙に医師に躍りかかる渋鯖。
それに驚いた(フリの)医師は大きくのけぞりかわすが,結果として背後いた二人の兵士にぶつかる。
「どけ!!」「邪魔だ!!」
目の前を遮られた上にバランスを崩した兵士は,それでも医師を押しのけ銃を構えようとするが,わずかに後れを取る。
そこに踏み込んだ渋鯖のアッパーカットがきれいに顎を撃つ。反動で脳が揺れ意識を途切れさせる。一方,跳ね起きたベスパは残る兵士の背後を取ると首筋を軽く掴む。そのさい,指先から送り込まれた高霊圧パルスが,一瞬で兵士の意識を奪う。
「霊力が使えないのに,やるじゃねぇか,姐さん!」と医師。
渋鯖が倒した兵士の首に腕をまわすと頸動脈を締め,より深く意識を沈める。
「こいつのおかげだよ」ベスパは手首の包帯を示す。
包帯の下には銃から回収したレアメタル結晶の欠片。これの効果で限られた範囲だが,結界の影響が弱められている。
意識をなくした兵士に申し訳なさそうな渋鯖に目を移し
「それより凄いのは,あんたが一発で相手を沈めたことさ。学者肌のヤサ男だと思っていたんだのが,とんだ眼鏡違いだよ」
手はずを聞いた時には心配したが,杞憂だった。一連の動きは,相当に場数を踏んでいなければできない。
「まあ,こいつのおかげで修羅場をくぐる場面が多くて‥‥ 主に女関係とか,女性関係とか,異性関係とかですが」
世間の常識で,医師はまず間違いなく『女たらし』ではあるが,一線を越える決定は必ず女性に委ね,強要したことは一度もない。とはいえ,その女性の親とか恋人,ヒモ,パトロンからすれば,『だから』許せるというモノではなく,激高した彼らと親友が血を見そうな場面に巻き込まれたことが再々以上にある。
「うるせぇ! その分,ボンボンが色々と”社会勉強”ができたんだから文句はあるめぇ」
医師が『悪友』らしい論理で自己を弁護する。
窓の外の兵士は,脅されたという設定で医師が招き入れ,フォンがさっき同じやり方で意識を奪う。その二人も縛り上げた後,医師の立場−脅され,無理矢理やらされた−に説得力を持たせるため縛り,ベスパが一発入れる。
前にのめり倒れつつ医師はベスパの胸に顔を埋めようとし,かなり本気の”オマケ”をもらう。
より説得力ができたと苦笑する渋鯖,時間を稼ぐため結界の強度をさらに上げる。ちなみに、強度を上げた分だけ効果は早く切れ、それが解放のタイミングになる。
最後に,彼らしく意識のない兵士に深々と頭を下げ謝罪,ベスパと診療所を後にする。
医院を出た二人は,途中まで車で移動。適当な場所で乗り捨て,横浜の一等地で営業する商社−ユニバーサル貿易を訪ねる。
ここでホームズと落ち合うことになっており,途上,渋鯖が説明するところでは‥‥
「”教授”から聞いたことですが,この商社ってホームズさんの兄上が作らせたもので,その実態は”日の没せざる帝国”の諜報機関。主要都市に支店があって,それらは情報収集と秘密工作の拠点だそうです。このあたり,まったく抜け目のない国ですよね」
そう聞いていたので,対応に出てきた支店長が,商人としての人当たりの良さの下に訓練された将校の顔を覗かせていても驚かない。合い言葉で身元を確認すると余計な詮索はせず,ホームズが朝にここを訪れすぐに出発したことを伝え,残していった紙片を差し出す。
受け取った渋鯖は,先にベスパに渡し,その後,渡されたのを一読するや燃やす。
「おい,いきなり何てことを!」とあわてるベスパ。
びっしりとそれなりの分量で書き込まれたので,あとでじっくりと頭に入れようと流し読みしかしていない。内容にすれは一割ほどしか頭に残っていない。渋鯖もそんな程度の流し読みだったはずだ。
「えっ?! 『For Your Eyes Only』の指示通りにしただけですよ」
と残った灰も入念に散らす渋鯖。
「いや,その通りなんだが‥‥」
「ああ,大丈夫ですよ。内容は一字一句正確に憶えていますから」
まるで人一人の名前を覚えただけという渋鯖に,ベスパは天才とは何かということをあらためて理解する。
さらに,ホームズから頼まれ用意した装備を受け取り(こちらに判断を委ねていた割に,ここに来て,追いかけるのを既定なこととしているのは笑うところだろうが),これも用意されている馬で目的地に向かうことにする。
休暇をもらった以上は本部を離れるべきだが,蛍と蝶々は何か事態に関われる切掛けが掴めないかと控え室で居つづける。無為に時間が流れ,日が傾く頃,二人は芦からの呼び出しを受ける。
「残っていてくれて助かった」と切り出す芦。その声は、どこかうれしげで
「横浜から報告が入った。ホームズ氏が未明に,渋鯖君と女魔族は昼過ぎに,それぞれ拘束した場所から逃げたそうだ」
‥‥ 喜ぶわけにもいかず蛍と蝶々は戸惑いのまま顔を見合わせる。
ただ,そのまま無言というわけにも行かず
「渋鯖様はともかく,ホームズ様についての連絡が少し遅くありませんか?」
言った直後に”犯罪者”に敬称を付けたことに気づくが,上司は何も言わない。
「任せた者が取りあえず自分で解決しようと動いたようだな。結局,行き詰まって隠し切れなくなったということだ」
余計に傷口を広げた形の副官に同情する芦。
だいたい,この件の原因を突き詰めれば自分かもしれない。外国人一人に世間知らずのボンボンと侮ったところはあった。それこそ,ホームズが怒ったのも,軽く見させる芝居であったかも知れない。
「それでお前たちに新しい任務を与える。すぐさま横浜に向かい三人を追って捕らえろ。逃げた以上は有罪,手に余るようなら殺してもかまわん」
「殺せって‥‥ 本気ですか?」と思わず反論する蛍。
‥‥ 一瞬,間ができる芦,言い訳をするように
「手に余ればと言ったはずだ! お前にせよ,蝶々にせよ,そうならないための手段は持っているだろう。お前たちに任せるのは,三人の顔を知っているし,ここまで一緒だったことで立ち回り先も,他の者よりは見当がつくはずだ。もちろん,人手は要るだろうから,現場で軍なり警察なりを使えるよう手配はしておく」
事件の本流から離れ,どんどん支流に流される形に途方にくれる蛍,渋鯖たちをどう探すかについても何も思いつかないまま廊下を歩く。
こんな不甲斐ない”姉”をどう思っているかと横を歩く蝶々を見ると,考え込むようではあるが,それほど深刻な感じはない。
何を考えているのかを聞こうとした時,大きく頷く蝶々,”姉”の方に顔を上げると懐から封筒を取り出し
「いよいよ,これの出番のようでちゅね!」
「それは何?」としかない蛍,封筒には見覚えがあって”教授”が日々使っているものだ。
「朝,兵隊さんに来る前に呼ばれて”教授”から預かったものでちゅ。いよいよ困ったら中を読むようにって」
「そうなの」と説明はあっても要領の得ない蛍。
受け取った封筒の中身は便箋,それに目を通すと表情がぱっと明るくなる。
そこには,まるでこうなるのが判っていたかのような形でのアドバイスが入っている。これなら,任務を果たすという命令に反しない。
前回では気づきませんでしたが、医師は褐色系の人っぽいですね。
これからすぐに次を読みます。 (UG)