時は流れ,世は事もなし 虎口3
「すまない,休んでいるところをまた来てもらって」
渋鯖はそういう他人行儀は必要ないことは知っているが,診療所の医師に深く頭を下げる。
実際,医師は怒ることもなく,癖毛の上に起きたてのためにぼさぼさになった髪を漉くようにして頭をかき
「いいってことよ! 夜中に,訳ありの美女を連れ込んだわけで,イレギュラーな展開は覚悟している。とはいえ,まる一日,休ませるって言っていたのが,どういう状況の変化だ?」
「来るはずの人が来ないからだ。その人から,来ない場合は第一級の警報と見なして動くよう言われている。だから,できることを,今のうちにしようってことさ」
「別に時間を約束したってわけじゃなし。朝まで待ってっていうのなら分かるが,二・三時間連絡がないからって,心配のし過ぎじゃないのか? まあ,慎重居士のお前らしい,っていえば,お前らしいわけだが」
「言われなくても,自分の性分は分かっているよ」と自嘲を見せる渋鯖。
それでも判断は変えないと
「それで、予定を早めるのに,お前に“とっておき”を使ってもらうつもりだけど,いいかな?」
「お前が言い出すってことは,必要だからだろう」
「助かる! あと,これから付き合ってもらうことも,法とかにも引っかかるが,覚悟はいいか?」
「いいも悪いもねぇ! お前のことだ,ヤバイことはしても間違ったことはしてはいないだろ!」
「もちろんだ! 僕は間違ったことをしているつもりはない!」
「なら,十分だ!」と気楽に受け入れる医師。その上でと露悪的に笑い
「ただし,最低限のつじつま合わせはしてくれよな。あと,礼は言葉やお気持ちじゃなく,形にして頼むぜ」
と付け加える。返事を待たず右の掌を差し出すと,そこからうっすらと紫色の光が放たれる。
数分後,患者に触れていた掌を離し,額の汗をぬぐう医者。
「ふう〜 これでよし! この姐さん,霊力は高いから,明日の昼前には完全に回復しているはずだ。だだ,体は全力で治ろうとしているので,当分は昏睡状態だ。朝までは,水をぶっかけたって起きないから,そのつもりでな」
「ああ,わかっているよ。次は偽装だが‥‥ しまった!!」
「何だ,いきなり!?」突然,狼狽する渋鯖に,医師も緊張する。
「これから彼女の体に触れるのに,了解を取っていない! もう起こすわけにはいかないよな?」
「治癒が始まったところだから中断はしたくないな。だいたい,そんなことに気遣うのは,お前ぐらいだぜ」
と医師は肩をすくめる。
当時の女性観からすれば,そんな心配をする方が異端だが,生来かつ筋金入りの平等主義者であるのは知っている。
しばらく,葛藤する渋鯖だが,自分でケリをつけ
「分かった,彼女には後で謝るとして,すぐに取りかかろう。すぐに包帯と添え木の用意‥‥ あと,血は僕から採ってくれ!」
‥‥ 目覚めたベスパは部屋に差し込む光で昼近くまで眠っていた事に気づく。
すぐに自分の体を点検するが,何の異常も感じない。
渋鯖とのやり取りで心に余裕が生まれ,ゆっくりと休めたおかげだろうと考える。
‘それにしたって‥‥’
”借り物”の体を酷使している。オリジナルがこの体に戻った時には頭の一つも下げなければと思う‥‥ と,気楽な感想が浮かぶ。
横を向くと椅子に掛けた渋鯖が座ったままで寝息を立てている。ますます気が緩むが,自分を取り巻く“力”に気づき現実に引き戻される。
状況を確かめようと体を起こそうとしたところで体が思うように動かないのに気づく。
一瞬,怪我が悪化したかと思うが,理由はすぐに解る。
体にミイラかと思うほど大量の包帯が巻かれ,手足のあちらこちらに添え木が当てられているから。オマケで言えば,包帯の何カ所かで血が滲んでいるが,そこに傷を負った覚えはない。
ベスパがモゾモゾしたことで渋鯖が目を覚ます。
「あわてないで! 大丈夫です,さしあたり何の危険もありません!」
『そうか』と動くのを止めるベスパ。
五感で気配を探るが,確かに危険は感じられず,事情を聞く余裕はありそうだ。
顔だけを向けるベスパに渋鯖は微笑み
「まず,今の状況ですが,僕とあなたはスパイ容疑で逮捕され軍の監視下にあります」
「妙な“力”もその絡みか?」とベスパは宙に視線を向ける。
霊感がうまく働かないので見当はつくが,一応,確認はしておきたい。
「ええ,霊力を無効にする結界と内からの力学的作用を打ち消す結界で部屋が覆われています。効果はかなり強く,部屋の中で霊的な力はほとんど使えませんし,内側から外に出ることもできません」
「つまりは,監禁に近い軟禁というところか?」
「妥当なところですね。あと,それに加えて,ドアの向こうに二人,窓の外に二人,兵士が見張っています」
「物々しい‥‥ といいたいところだが,魔族が取り憑いた人間相手に緩(ぬる)い処置だな」
「いや,今のあなたを見れば,これでも警戒し過ぎと考えますよ」
「これって,それを狙って‥‥ 」
聞かれている可能性に思い至り,最後で声を落とすベスパ。
「大丈夫です。外への力学的な力を消すということは,音も伝わらないということですから」
と心配を払う渋鯖。
「で,推察の通りです。おかげで,看病を名目で一緒にいることも認めさせましたし。もっとも,こうした処遇には渋鯖の名前を出したことも大きいでしょうが」
必要に応じて手持ちの”カード”を使いこなす柔軟さを持つ青年を見直すベスパ。
「しかし,ここに来た時に,監禁なんて話は欠片もなかっただろ。こんな風にしておこうって,よく思いついたな」
「ホームズさんが来ませんでしたし‥‥ 時間がたてば“蝕”が探りに来る可能性もあるので,偽情報を流してみるのも策(て)かなって考えてのことです。それが,こっちに使えたのは怪我の功名ですが」
「ホームズにしてもお前さんにしても何手も先を読んでいるわけだ」
今は亡き主が,こうした人間を一度でも出し抜いたのは凄いことなのだと思う。
「‥‥ あと,休んでいる間に,体を触れることになって申し訳ありません」
と謝る渋鯖。
‥‥ 一瞬,ベスパは何を詫びられたのかが解らずきょとんとする。
すぐに理由が分かるが,この時代の人間にしては異性に誠実なのだと,妙なところで感心する。
「いいさ。持ち主にも説明しておいてやる。ただ,その上で怒ってもしらないからな」
「ありがとうございます」
心の重荷が取れたという相手を面白がりつつ
「それにしたって,いきなりスパイ扱いとは穏やかじゃないねぇ あたしたちがいったい何をスパイしたっていうのかい?」
「元始風水盤は国家機密ですよ。それに関わろうとするだけで逮捕されても文句は言えません」
「そうだったな」自分の迂闊さに気づく。
百年未来の核兵器以上の力を持とうとするプロジェクトなわけで,市井の人が気安く触れていいわけはない。
「同じ理由でホームズさん,”教授”も似た状況にあると思います」
「まあ,あの二人は主犯だからねぇ そうだとして,誰があたしたちまで容疑を広げたんだい?」
「芦少佐ですね。見張りの兵士から聞いたところでは,監禁を命じたのも,結界の呪符を用意したのも彼だそうです」
「どうして,ここでアシュ‥‥ 芦少佐の名前が出てくる! まさか,あの二人が‥‥」
姉と妹にそっくりなので,つい信じてしまうが,(たとえ,霊基構造体のオリジナルであったとしても)あくまでも別人であり,彼女たちの忠誠心は芦に向けられており,こちらの動静を報告していてもおかしくない。
「今回についてはホームズさんでしょう,ここに僕たちがいることを知っているのはホームズさんだけですし。昨夜,少佐と会ったに違いありません」
「少佐と会った‥‥ たまたま立ち寄った先で会うなんて,偶然としてはでき過ぎじゃないのか?」
「いや,そこは偶然ですよ。ただ,単純な偶然ではなく,一定の必然性の上での偶然だったと思います」
「あまり端折らず話してくれないかなぁ あたしはあんたやホームズほど察しがイイわけじゃないからね」
『そんなつもりは‥‥』絡まれ口調に困り顔の渋鯖だが,そこは口にはせず
「昨夜,少佐が横浜にいたのは”蝕”が横浜で何かをしようとしたのを掴んだからでしょう。そして,それを知った”蝕”が陽動のためフィフスを使って騒ぎを起こした。彼女にはあなたと会う理由と戦う理由はあるようですが,あの時,あの場で戦いになったのは陽動という別な目的があったからだと思います」
「奴にとってはそっちが本命ってわけか! どおりで見かけが派手な割にぬるい攻撃だったわけだ」
と”善戦”を思い出すベスパ。
「で,駆けつけたところで残ったホームズと会って話になる。その流れなら,あたしたちのことを聞いていてもおかしくはないか‥‥ でもホームズ経由なら,こっちがスパイなんかじゃないのは知っているはずだが‥‥ だいたい,歴史の残る名探偵が手を貸そうっていうのに,この扱いはないだろう」
「ホームズさんが歴史に残る名探偵‥‥ そういえば,以前,ホームズさんにもそんな意味のことを言ったとか?」
「そうだったかな‥‥ それがどうした? あの男の評価はそんなところだろ‥‥」
何かおかしなことを言ったか,という風のベスパ。インストールされた一般常識を確認するが間違っていない。
「そうですね‥‥ ホームズさんなら,そう評価されて当然だと思います‥‥」
何かをはぐらかす感じの渋鯖。
「そんなことより,こうなったのはホームズさんの提案がお気に召さなかったからだと思います」
「まだ,話が見えないな‥‥ ホームズは少佐に何を話したっていうんだ?」
「”蝕”が元始風水盤を狙っていて,それを阻止するには実験を延期するのが一番だって」
「実験の延期だって?」後半は初めて聞く話とベスパ。
「まあ,最終実験をしなければ完成はない‥‥ 完成しなきゃ奪われることもない‥‥ 安全保障に関わるタイムスケジュールが簡単に変わりゃしないだろうが,提案だけならおかしくないと思うがね? それに,気に入らないなら断って終わりじゃないのか?」
「こちらが,それで諦めると言えばですが。でも,ホームズさんは,きっと言ったと思いますよ。あなたが拒否しても,こちらは(延期に)動くって」
「一外国人のホームズに,そんなことが‥‥ ああ,その場合は,”教授”の出番か? あの老人が動いたところで,(延期の)可能性は低いだろ?」
「低いでしょうね。でも,少佐にとっては,その可能性すら潰しておきたいのでしょう。だからスパイ容疑をかけ,僕たちの動きを封じたわけです」
「‥‥ 少佐が,そこまで実験にこだわる理由って何だ?」
「少佐も”風水盤”を手に入れたいと考えているからです」
‥‥ 渋鯖があっさり言った内容に息をのむベスパ。
未来人である自分は,元始風水盤建造が”主”の仕掛けによるもので,芦=プローブを介して何かをしようとしていることを知っているわけだが,この時代を代表する天才達はその類い希な知性で真相の一端を掴んだようだ。
どこまで知っているかを聞き出そうと
「どうして,少佐がそう思っているって?! あんな代物,個人が手に入れても持て余すだけだろ」
「一国を屈服させる”力”を手にできるとなれば,そんな常識なんてすっ飛んでしまうのが人間って生き物ですよ」
魔族とそこは違うと渋鯖。
「ただ,少佐については,野心に取り憑かれてではないというのがお二人の考えです」
「‥‥ どういう意味だ,それは?」
「”教授”もホームズさんも建造に係わる一連の動きには,それを背後で操っている存在がいると考えています。元始風水盤が必要としているのは,その存在で,少佐も”蝕”もその存在が用意した駒に過ぎません」
「そんなところまで気づいていたのか?!」と,つい声が上ずるベスパ。
一端どころか,ほぼ全貌を掴んでいる。あらためて人が神魔族に比べればおそろしく卑小であるが,同時に恐るべき可能性を秘めた存在であることを教えられた形だ。
「‥‥ やっぱり,そのあたりも知っているのですね!」
推測が当たっていたと渋鯖は喜ぶ。
「さすがに,そうした策略は人の手に余る‥‥ というか,”教授”やホームズさんがその気になればやってのけそうですが‥‥ 手に余るので,神とか魔の超存在が係わっていると考えていたのですが,あなたの耳に入っているということは,その存在は魔族‥‥ それとも,対抗すべき敵の情報ということで神族‥‥ まさか,人が知らない第三勢力がいるとか‥‥」
「そこまで複雑に考えなくていいよ。仕掛けているのは魔族の大物さ。まあ,こっちに来る前に噂として聞いただけで詳しいことは知らないけどね」
と,すぐに底が割れそうな口実で取り繕うベスパ。
魔族からの情報は重視ないということか,真偽を確かめようともせず
「僕も”教授”からその可能性を聞かされた時には驚きましたが,今は,それが正しいと確信しています」
「少佐がホームズやあたしたちを捕まえたから‥‥ それが,まるまる,二人の妄想ってこともあるだろう? 単純にスパイと見なしての逮捕かもしれないじゃないか」
「それなら,これだけ重要な案件,すぐに取り調べとなるはずです。それが,こんなお手軽な拘束で終わり。兵士によれば,数日はこのままだとか。これだって少佐が,自分の論理で動いていない証拠だと思います」
「‥‥ ひょっとして,ホームズが少佐の立場に勘づきながら延期を提案したのは,推測の裏付けを取るためだったとか?」
「当たりですね。延期だけなら”教授”が,少佐の頭越しに政府を説得する手もあったわけですから。わざわざ,少佐に訴えたのは,そのリアクションで自分たちの推測がどれだけ真実に近いのかを測ったんだと思います」
「なるほどなぁ」と事情をかみ砕き解説してくれる渋鯖にありがたみを感じるベスパ。
こうした”読み”は自分には縁がなく,目の前の青年が居なければ,事態の展開に右往左往するだけだっただろう。
「‥‥ それにしたって,測るのと引き換えに捕まってどうする‥‥ まさか,そうなっても困らないという当てがあるとか?」
「ええ,ホームズさんにはあると思いますよ。先に横浜へ廻ったのも,その手はずを整えるためだと思います」
「あの女だな!」
ベスパはホームズが会いに行った”人にあらざる”者を思い浮かべる。正体は分からないが”力”は相応−少なくとも普通に拘束された人間を助け出す程度には−ありそうだ。
「それで,残る問題は僕たちがどうするかです。この状況を受け入れれば,もう危険な目に遭うことはないわけですが」
「ここが思案のしどころってわけか?」とベスパ,ふと思いつくところがあり
「この状況もホームズがあたしたちに選ばせようって考えたからか?!」
「(そう)でしょうね。付け加えるなら,降りることができるのに降りない以上,どんな結末になっても,文句を言えないってことです」
「‥‥ 相変わらず底意地の悪いやり口だな」
「悪く取ればキリがないですよ」
と一応は弁護する渋鯖,口元には同意の笑みが浮かんでいる。
「それに,あなたの場合は体が体ですから。持ち主のことを考え,降りるという選択はある気はしますが」
「ふん! 生憎と,こっちは魔族でね。そんな,人間っぽい考えは持ってないよ」
と憎々しげに拒否するベスパ。
本心は,自分の”オリジナル”なら,どんな形であれ−例え,魔族に体を使われたとしても−芦のために働きたいと思うに違いないと考えたから。少なくとも,後日,魂が戻ったとして,現場に居合わせなかったとなれば,なぜ居ないのかと責めるに違いない‥‥ と思い込めるのは,単なる身勝手かもしれない。
「さっきの台詞と反対ですが、僕もそうすべきだと思います。人の心を決めつけるのは傲慢ですが,僕の知るフォンさんなら,魔族に体を使われるだって,少佐のためなら喜んで認めると思います」
「あんたも持ち主を知っているんだよな」
「もともとの護衛だった蛍さんや蝶々ちゃんよりは少ないですが、少佐の側に付いてからは何度も会っています」
少し懐かしむ風の渋鯖。
「そういえば,あなたの言葉遣いや振る舞い、考え方って、フォンさんと似ている‥‥ というか,同じに見えてしまって‥‥ 賛成したのも、そうした印象があるからかもしれません」
「‥‥ だとしても,あたしの責任じゃないね」
”オリジナル”との関係を指摘された気がしてどきりとするベスパだが、そこは顔に出さず
「で、あんたはどうするつもりだい? 戦う力のないあんたこそ,ここで降りるという判断はあると思うし,そうしたって誰も咎めたりはしないだろう」
「(僕も)行きますよ。そもそも僕が”教授”のところに”風水盤”の話を持ち込んだのが始まりですから。結末がどうなろうと見届ける責任があります。それで提案ですが,これからも一緒に行動しませんか? お互い助け合える点は色々とあるでしょうから」
「頭脳労働担当と肉体労働担当ってわけか」ベスパはそう茶化してから
「オッケー,その話,乗った! あんたの脳ミソは思った以上に使えそうだからな。ただ,断っておくけど,アタシはアタシの目的を優先するからね! そのせいであんたが死んでも、そこも自己責任ってことだよ」
「もちろん。その覚悟がなければ,最初から大人しくしています」
渋鯖は日頃に変わらない静かな口調だが、揺るぎない意志を込め言い放つ。
「それで,ここからの逃げる策(て)ですが‥‥」