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時は流れ、世は事もなし

虎口1


投稿者名:よりみち
投稿日時:20/11/ 8

 当作品の主な登場人物(1)

ベスパ 
 本作の主役。意識体(魂)のみで過去(1894年の日本)に。自分のオリジナル(作品中では霊基構造体のパターンを提供した者の意)と思われるフォンという少女の魂がない肉体に憑依中。その中で出会ったホームズたちと協力関係を結ぶ。

シャーロック・ホームズ
 表向きはヨーロッパの犯罪王であるモリアーティーと格闘の末,ライヘンバッハの滝に落ちて死亡とされている。実際は死の寸前から吸血鬼化の末に再生,世界見聞の旅の途中に日本に立ち寄る。そこでこれも死を偽っていたモリアーティー(作品中では,しばしば”教授”と呼ばれる)と会い,そこでフォンに取り憑いた者の正体を探ることを依頼される。以後,なし崩しに元始風水盤−”蝕”にまつわる諸々に関わることになる。
 なお,”教授”の用意した資料から一連の出来事の背後に人を越えた者が存在している事を理解している。

渋鯖 光一
 経済界の大物,渋鯖栄一の庶子,オカルトと科学の両面に通じる若き天才。父親が抱いた元始風水盤への疑念を”教授”に相談したことで”教授”側の調査が始まっている。現在,”教授”の要請でホームズに協力する。

芦 優太郎
 アシュタロスが己の霊基構造体をベースに創造した上級魔族級の力を有する使い魔。過去世界において進められている”計画”の実行者。ただし,現時点では,自分の正体については知らず,霊能者であっても普通の人間で帝国陸軍対霊的戦闘部隊の指揮官だと思っている。なお,すべての感覚はアシュタロスとリンクし,それを介してアシュタロスは彼を操ることができる。

フィフス
 現在(21世紀初め),アシュタロスを蘇らせるために必要なコアとしての芦を拉致するために反デタント派が過去に送り込んだ使い魔。極微使い魔を使って人間の精神を支配できる。原形はベスパと同じもので,彼女とはルシオラやパピリオと同じ意味で姉妹の関係(ちなみに名前−フィフスは制作順で五番目だから)。過去世界では”蝕”に協力している。物語始めに,フォンから魂を抜き取ったのも彼女。


 ルシオラのオリジナルと思われる少女で”乱破”。個人としての戦闘力は高く薬物を使った幻術を得意とする。芦の対霊的戦闘部隊の一員で”教授”を護衛中。

蝶々
 パピリオのオリジナルと思われる少女。テレパシーをベースにする超常能力者(エスパー)で,その変形発動により虫から小動物あたりまでを操り,それが得た情報を自分のものにできる。一定以上の精神的ポテンシャルを持つ生物にはそれは使えないが,対象の感情はある程度,透視(よむ)ことはできる。芦の対霊的戦闘部隊の一員で”教授”を護衛中。

 前回『対面』のあらすじ(それ以前のあらすじは13・16に掲載)

ベスパはホームズたちに協力を求めるため正体と任務の一部を明らかにする。 そんな中に届く元始風水盤の最終実験が三日後にあるという情報。
 その日こそが”蝕”が本来の目的−元始風水盤の奪取−を果たす日と見なし,ホームズ,ベスパ,そして新たに加わった渋鯖が動く。

 ホームズが先に済ませておきたい用件があるということで一行は横浜へ。屋敷を出たところで”蝕”の一人が現れるが,ベスパはそれを撃破する。横浜でベスパはフィフスと出会い自分たちが”姉妹”であることを知らされる。その後,戦いになり,ベスパはフィフスに圧倒されるものの渋鯖の支援もあって退けることに成功する。



時は流れ,世は事もなし 虎口1

 それぞれに美女と形容できる二人(近くで目撃していれば,少なくともその一方は人でないことは分かるが)の超常の戦いとその余波での建物の崩壊。駆けつけた警官隊が最初に手を付けたのは,集まった野次馬を現場から追い立てることであった。
どうしても手荒くなる公権力の執行者と,それに反発する者たちとの小競り合いが続く中にあって超然としているホームズは嫌でも目立つ。
当然,口コミでその人物が事件に関わりがあるとの情報が広がり,ほどなく警官たちの耳にも届く。

 土地柄,警官隊の全員がヨーロッパから来たと思われる人間の扱いには注意を要することを知っている。相互に目配せを交わす中,責任を取るのが仕事という点で,部下たちの視線に押されるように警官隊の指揮官がその外国人の前に立つ。



‥‥ 自分の前に来た警官をホームズは分析する。

 年齢は三十代半ば,この国の住人としては大柄でそれなりに鍛えられた肉体を備えており,現場での指揮官としてはまず及第点が出る印象。国家権力の執行者であることを示す制服と併せ,庶民であれば(たとえ後ろ暗いところがなくとも)彼の前に恐れ入るしかない。
 もっともホームズの観察眼にかかれば,成り行きを伺う周りにチラチラ目をやっているコトや強ばった追従笑いで,波風を立てずにこの場を済ませたいと願っていることは察せられる。

‘早くコトを済ませたい‥‥ こちらと意見が一致しているのはありがたいことだ’
 と出方を決める。
 ことさら尊大さを押しだし,『日の没さない帝国』と呼ばれる国の大使館に属している者だと自分を紹介する。

‥‥ 明かされた身分に目を泳がせる警官。
 列強の中の列強,ロシアと並んで慎重な対応が求められる国の人間,それも外交に関わっているらしいとなれば鬼門中の鬼門,ことの次第では,自分ばかりか上司の”首”までも一絡げに飛びかねない。

 そうした動揺にダメを押す高圧的な物言いでホームズは起こった出来事を相応に脚色して説明する。



「‥‥ つまり‥‥ 突然,魔族が現れ暴れたと?」

「そういうことだ。奴らが公然と暴れるなどあまり聞く話ではないが事実は変えようがない。私の護衛がそれを阻止しようとしたのだが‥‥ 見ての通りだ」

「あなたの護衛が‥‥ これをした魔族を撃退したと?」
 壊れた建物をちらりと見る指揮官,それほど戦える人間を従えるこの人物がただ者でないとことを改めて印象づけられる。

「そういったはずだが! 護衛は王室から派遣された霊的な戦いのプロフェッショナルでね。彼女のおかげで被害は最小限になったことを思えばそちらから感謝状の一枚ももらいたいところだ」

 『王室』とか『霊的な戦い』とか畳み込むように繰り出される自分が属する世界とは縁のない単語にますます相手は逃げ腰になる。

 脅しが効いたことを認めホームズはこれ見よがしに懐中時計を取り出し
「さて,私に協力できることはこれだけだ。そろそろ大使館に戻りたいのだがかまわないだろうね?」

「はい! ご協力,感謝します!!」と話を終えられることに胸をなで下ろす指揮官。

 敬礼を鷹揚に受け去ろうとしたホームズに
「お待ちください!」と声が割って入る。

 大英帝国の威信を背に一喝,無視する策(て)も思いつくホームズだが足を止める。それは声に込められた,相手が誰であろうと実力行使を厭わないという明確な意志を感じたから。

 その声の方を向くと二十代半ばの軍服の男性。
 すらりとしているが無駄のない筋肉を備えた上背。ルネサンスの彫像のような端正な目鼻立ちに青みがかっているようにも見える色白な肌や後ろに束ねられたプラチナブロンドの長髪と併せ,およそこの国の人間には見えない。着るものを選べば,欧米で王侯・貴族を名乗っても疑われないだろう。
 記章から陸軍少佐。この国の人事基準には詳しくないが,常識に照らし合わせば,まずない高い地位。身分的な理由がないとすれば,当人の破格な能力が推測できる。

 そうした容姿と地位を有する人物がいることを聞いていたので,ホームズは旧知の友に出会ったような態度で握手を求める。
「芦少佐ですね。初めまして,私の名はホームズ,シャーロック・ホームズです」

「初めまして,ホームズさん」とこちらも親しみを込め握手を受ける軍人−芦。
「どこで私の事を? 大英帝国の”高官”に知ってもらえるほどの名ではありませんが」

  ”高官”に込められた皮肉でホームズは安っぽいブラフが通用しないことに気づく。大げさに困った顔をして
「(私は)そんな大それた者ではありません。確かに大使館の偉い人に,それなりのコネはありますが,ただの観光客です。諸々,面倒を避けたかったもので些か立場を誇張させてもらっただけです」

「面倒を避けたいというのは分かりますが,だからといって,身分を偽るのは賢明とは言えませんな?」

「そう言われてしまえば言葉はありませんな。まあ,弁明させてもらえば,急ぎ果たしたい仕事があっての方便,けれど,こうしてあなたに会うことできたので,それも過去の話になりました」

「つまり,私に会うため? 横浜に来たのも,私を追ってきたのですか?」

「ここに訪ねたのは別件,それを済ませた後にあなたを訪問するつもりでした。そういう意味では,私も運が良い! こうしてあなたと会うための時間と手間を節約できたわけですから!」
 と芝居めいた大げささで喜んでみせるホームズ。
「それで初めの質問に戻りますが,あなたがよく知る外交アドバイザーからあなたのコトを伺っていたからで,訪問も,その人からの依頼です」

「私が知る外交アドバイザー‥‥ ああ”教授”ですか。そこに嘘ではないようですが‥‥ どうして”教授”はあなたを私の元に寄越したのでしょうか? 連絡だけなら,霊的な連絡手段はあるし,蛍を介してもできるはずなのに」

「かなり重要で微妙な案件だからです」と態度をあらためるホームズ。
「私の仕事は諮問探偵でして‥‥ 諮問探偵は分かりますか?」

「諮問探偵‥‥? あまり耳にしないお仕事ですな」と首を傾げる芦。
 この国で,そうした仕事が認知されるのはもう少し先のことになる。
「意味的には,誰かしらが抱える問題を調査し解決する,そんなお仕事ですか?」

「おおよそその通りです。付け加えれば,その問題の解決に公的機関が動かない,動けない,動いてはいけない場合に出番が回ってきます。本来はロンドンがホームグランドですが,時折,こうして出張で働くことがあります」

「わざわざ大陸の反対側まで‥‥ ですか,酔狂なことだ」
 とあきれる芦。ただ,ホームズの観察力をもってすれば,そこに厳しい警戒が隠されていることは判る。

「今回は偶然。たまたま立ち寄って国に知り合いがいて依頼されたというわけです」

「それで依頼というのは? ”教授”はあなたに何を頼んだのでしょうか?」

「ここ一年,首都を中心に凶行を重ねる賊−”蝕”−について重大な提案があって,それをあなたが受け入れるよう説得することです」

「”蝕”‥‥ 確かに,私に関わる案件ですが‥‥ そうだとして”教授”も困ったお人だ! 純然たる国内問題に外交アドバイザーが首を突っ込むだけでなく外国の方を巻き込むとは,ずいぶんとは軽率な判断ですな」

「その賊に命を狙われたとなれば手段は選んではいられないでしょう」

「身の安全は用意した屋敷と護衛で十分のはず。立て籠もっていれば済んだ話なのに」

「老いても獅子は獅子。攻撃こそ最大の防御という信条であの歳まで生き延びてきたのはご存じでしょう。それに,あなたという”蝕”最大の敵の頭脳を”教授”が請け負っているという偽情報をリークされ囮に仕立てられた身としては,自前で反撃もしたくなるというものです」

「その反撃とやらは”蝕”よりも”エサ”に仕立てた私に向けられたもののような気がしますな」

「そういう解釈ができる余地はあるでしょうね」と間接的に肯定するホームズ。
「ただ,ご老体のおかげでこの国の未来,元始風水盤に関わる”蝕”の暗躍が明らかになってきたのですから」

「元始風水盤‥‥ それをどこで?! ああ,それも”教授”ですな」
 さりげなく投げられた”爆弾”に芦の目は,人を刺せるほど鋭くなる。表面的には変わらないトーンで
「ホームズさん,そろそろ場所を移しませんか? どうも立ち話で済ませるわけにはいかないところまで話は行きそうですし」

「そうですな,人の耳目を引くと拙い話も出るところですから」
 ホームズは一考もなく応じる。
 モリアーティーの推測通りなら目の前の人物こそ,上位存在が仕掛けた元始風水盤を巡る諸々のキーパーソン。彼との対決なしに解決はあり得ない。



 ホームズは芦が呼び寄せた馬車に乗って軍の駐屯地に入る。そして通されたのは施設に相応しく質素ながらも整った調度が並ぶ部屋。
 たぶんここの司令官の執務室であり,深夜でもここを用意させられるというのは招いた人物が階級以上の権限を持っていることを物語る。



 芦は付き添ってきた兵士二人に部屋の外で待機するように命じ,部屋を二人だけにする。気の置けない旧友が週末にカードを楽しんでいるという雰囲気で向き合う中,ホームズは”手札”を場に並べていく。



「つまり”蝕”は西の大国から送り込まれた工作員だと?」

「こちらが集めた情報から‥‥ということですが」ホームズは慎重な口調で修正する。
「”蝕”自体は,超自然的な力を使えることを”売り”にしているという特徴はあっても,彼の国に多く存在する犯罪結社の一つ。普通なら反社会的集団として政府に追われる立場なのが,彼等を国家間のパワーゲームの駒に使うことを思いついた偉い人がいるようです」

「それで,奴らがやった非道の狙いはオカルトの力を誇示し,元始風水盤の意義を印象づけることにあった‥‥ その上で,造らせた”風水盤”を奪い,この国の壊滅を図る‥‥ それこそが奴らの目的がある‥‥ と」

「実際,壊滅させるところまで考えているのか,それともそれを脅しの材料にして両国の懸案を自国に有利に解決しようと考えているのか‥‥ そこまでは決めつけられませんが,全体像についてはその理解で結構です。そして奪取を試みるのは三日後‥‥ ああ日付が変わっているので,二日後,”風水盤”は最終実験が終わった後です」

「最終実験まで‥‥ そういえば,それも”教授”には伝えていましたな」
 芦は不要な情報を出してしまった自分を嗤う。淡々と,それでいて威圧を強め
「言っておきますが。元始風水盤は我が国の重大な機密,誰であろうとその存在に触れるだけでも重罪とされるのは解っていますか?」

「もちろん承知しております。かといって,それを理由に多くの人々が災厄に見舞われるのを見過ごすわけにはいかないでしょう」

「人命第一‥‥ 立派なお考えですが,あなたがたイギリス人が,我々,非ヨーロッパ人を,それも極東の蛮族を人と見なしているとは意外ですな」

「我が国にそうした偏見を持つ者が多いのは確かですが,だからといってそれでイギリス人全体を一括りにするのも偏見ですよ」
 ホームズはさらりと混ぜ返す。
「それに,自国を卑下しているようですが。我が国の戦略から見れば,この国を大切に扱う理由は十分にありますよ」

「東アジアで走狗になるなら‥‥ 助ける意味はあるというところですか」

「世界最強の国に,そこまで認めさせるというのは誇って良いと思いますがね」

「しかし,現実問題として,本当にそんなことがありえるのでしょうか? 世間を騒がすとはいえ,十数名,多くとも二十名を越えない賊徒が一国を潰すとか‥‥ 三文戯作者が筆先から紡ぐホラにしか思えませんが。そもそも,聞いた範囲では,その答えを捻り出した根拠とやらは,状況証拠や推論の積み重ねばかり,直接的な証拠は何一つないのではありませんか?」

「さすがに鋭いですな! 指摘の通り今の話を裏付けるモノは何一つありません。仮にこの話を公のところで訴えたところで,一笑に付されて終わりでしょう。けれど元始風水盤の力を知るあなたなら,万々が一そうなった場合,どれほどの被害が出るかはご存じのはず。それであれば,可能性は低いという理由で何も手を打たないのは,犯罪といって良いのではありませんか?」

「可能性は『低い』のではなく『ない』のです」
芦はホームズの論拠を一言で切って捨てる。
「元から,その重要性により警備には万全を期しています。奴らにオカルトがあったとしても同じこと。そのような心配すること自体,我が国への侮辱といっても差し支えはないでしょう」

「連中には女魔族がついており,奴には人の心を操れる術があります。裏切り者が相次いで出ればどんな警備も役に立たないのではありませんか」

「何度かその術で痛い目には会っていますが,それだけに対処法は考えています。ここのところ,奴らはそれを使わないので効果は確かめられてはいませんが,まず,使えると思っています」

「検証できていないというのなら,そこまで言い切るのは軽率ではありませんか?」

「我々の文化圏には謙遜という美徳がありましてね」と懸念を一蹴する芦。
「だいたい,危険性を過大に評価するは過小に評価するのと同じ程度に間違いだと考えます。あり得ない可能性まで心配するというのは,それこそ天が落ちてくることさえ心配するのと同じではありませんか」

「ここの文化圏では杞憂と表現するのでしたね」

「よくご存じで」と芦,揶揄を多めに匂わせ
「それで,ホームズさんとしては,そんな可能性まで考慮に入れて,どのように対処するのが一番だと?」

「簡単なことですよ。最終実験を止めれば良いのです。起動できない状態なら奪われてもどうということはないでしょう」

‥‥ 何か大切なことを聞き落としたのかという顔の芦。
 対処がそれだけだと解ると失望を隠さず
「それって問題の先送り‥‥ ではないのですか? 次となれば月の関係で一ヶ月後になるわけですが,それで何が変わるというのですか?」

「その一ヶ月の時間があれば‥‥ いや,二週間もあれば”蝕”を壊滅させられるからですよ」

「奴らが暴れ始め約十ヶ月,個々の犯行は阻止できても捕らえることのできなかった連中を,たった二週間で捕らえてみせるというのですか?!」

「そうですよ。ヨーロッパ最大の犯罪組織を動かした人間とそれを壊滅させた人間が手を組むわけで,二週間というのも”謙遜”という美徳の中での話‥‥ 『十日で』と区切っても良いところです」

 ホームズは自信をたっぷりに言い切るが,実のところ何の裏付けもない。二日後に全てが決まる以上,幾らでもホラは吹ける。

「付け加えれば,もともとの完成は来月以降なのでしょう。半島情勢も急を告げるとはいえ今日明日と切迫しているわけでもないので,(延期をしても)実害はないのではありませんか?」

「私に頼みたいというのは,実験の延期を進言せよということですか?」
 それが会いたいという理由かと芦。

「”蝕”に対してこられた人物の提案なら説得力は十分でしょう。それに直接的な責任こそありませんが元始風水盤建造を推進した人物としての重さも加わるわけで,提案させすれは,延期になるのではありませんか?」

‥‥ しばらく考え込む芦,その間にホームズは出された(冷めた)紅茶で喉を潤す。

 一分ほどの沈黙,考えがまとまったのか
「一つ確かめておきたいのですが‥‥ 最初にも言わせてもらいましたが,そもそも裏付け一つない話,それを理由に拒否すればどうするつもりですか?」

「その場合,”教授”が外交顧問として別なルートでしかるべき地位の者に訴えるでしょうね。雄弁さにかけては,ご老体は一流以上。タイミングはギリギリになるでしょうが,上層部を丸め込んで‥‥ いや,説得して,延期を認めさせることはできると思います」

「お二人とも裏付けのない話でそこまでの熱意を持って動けるとは信じられませんな!」
 呆れるのを通り越したと芦,再度,軽く目を閉じ考え込む。

‥‥ こちらも,再度,辛抱強く待つホームズ。

 さっきほどの時間は取らず芦は目を開き親しげな口調で
「お話は良く分かりました。全てを受け入れたわけではないですし,結果の保障することもしません。けれど,計画の責任者に,”教授”の提案を考慮するよう伝えます」

「この国にとって,良い判断だと思います」

 これで済んだと緊張を解くホームズに芦はついでという感じで
「そういえば,横浜には渋鯖君に連れてきてもらったということですが,彼は今どこにいますか?」

「彼は知り合いが勤めているという診療所にいます」

「診療所? 怪我でもしたのですか?」

「彼は無事です。怪我をしたのは,こちらについた女魔族−”ベスパ”の方。フィフスと名乗る”蝕”の女魔族との戦いでダメージを負ったのです」
 ホームズは,そう前置きをして状況を説明する。その際に,聞いていた診療所の場所も教える。

「その女魔族‥‥ “ベスパ”とやらは,私の部下に取り憑いているのでしょう?」

「ええ,霊体になったところ”たまたま”そこに魂のない肉体があったので使わせてもらったとか」

「肉体のない魂,魂のない肉体,それらが居合わせる偶然が本当にあると信じておられるのですか?」

「まさか! 何らかの必然はあったと思っています。彼女も,その辺について心当たりはあるようです。もっとも,今のところは,そこを明かすつもりはないようですが」

「秘密を抱えた魔族と行動を共にする‥‥ 控え目に見て放胆,普通なら愚行とされる行いではないでしょうか?」

「おっしゃる通りですな! 仮に私が第三者として評価しろと言われれば,同じことを言いますよ」
 とホームズは反論しない。
「ただ,こちらも使える手札が少ないものでして‥‥ ”蝕”についた女魔族と敵対しているのなら,敵に敵は味方と見なして使うのはアリでしょう」

「両魔族は私を巡って対立しているのでしたね」
 本題のオマケという感じで出た情報を芦は思い出す。

「”ベスパ”はそう言うだけで,何の裏付けもありませんがね。何でも魔族の有力者の復活にあなたの魂が必要だとか」

「”蝕”が”風水盤”を狙っているという話以上に荒唐無稽な話ですな」

「それも同意しますよ。私としても話半分でしか聞いていません」
 ホームズはそう言うと,申し訳ない様子で
「とにかく,魔族があなたの部下の体を使うことを黙認していただけませんか? ”蝕”の手元にある”魂”を取り戻した時,近くに肉体があるのに越したことはないですしね。同行を許しているのも魂の近くに体を運ぶ手段と考えていただきたい」

「いいでしょう。けれど上司として,彼女を同行したことに抗議したことを覚えておいてください。それから,同じく上司として彼女の安全に対する最大限の配慮を要求します」

「可能な限り配慮しますし”ベスパ”にもよく言っておきます」と神妙にホームズ。
「それにしても意外ですな。あなたが部下の身をそこまで心配するとは‥‥ 部下の扱いについて,もう少し合理的,というか乾いた対応をする方だと思っていたのですが」

「軍人として,合理的な理由があるのなら部下を死地へ送るのを躊躇いませんよ。けれど,意味もなく死地に送り込むのは,合理的ではないでしょう。まして,今回のように当人の意志に反してとなるとね」
 と芦,答えてもらう必要はないと
「とにかく,その女魔族からは目を離さないようしてもらいたいですな。身体を持ち逃げされた日には目も当てられませんから」

「その心配はないと思いますよ。魔族ながらメンタリティは我々とさほど変わらず‥‥ というか,並の人間よりは誠実なところが見て取れます」

「騙されて‥‥ とまでは言いませんが,見間違いでなければ良いのですがね」
 と芦は皮肉ることで話の終わりを告げる。副官を呼び幾つかの指示を出した上でホームズに向き直ると
「いつの間にか,日付は変わっていますね‥‥ こんな時刻です,これから副官に宿舎に案内させますのでお泊まりください」



「ずいぶんとお怒りでしたよ。これでも会話できるくらいの英語は知っていますが理解できないスラングがぽんぽん出るは扉や壁をところかまわず殴るは蹴るなど,とても紳士の国の住人とは思えませんね」
 休息のためと案内した部屋にホームズを閉じこめた副官が苦笑混じりに報告する。

「そうか」芦は残念そうに眉をひそめる。
 ”教授”からメッセージを託された人物として,また相対した印象として手強い人物だと思ったが,本質は小者のようだ。
 小さく息を吐き切り替えると,ことさら事務的に必要な命令を出していく。



‘それにしても”蝕”が元始風水盤を乗っ取りこの国を壊滅させようなどと,バカバカしい‥‥ ん?!’
 無駄になった時間を忘れようとするが自分の内面に小さなトゲが刺さったような違和感を見いだす。

本当に,今感じている通りなのだろうか‥‥
 省みると,途中まではあり得ることと聞き,延期も一つの方策かと思っていた。それがいつの間にかホラ話と切って捨てたばかりか,スパイとして関係者を拘束する決定までくだした。

‘もう一度,全体を俯瞰して,提案を考えてみても‥‥’
『いいのではないか』とする気持ちが浮かぶが,それも急激に色あせ意味を失う。
 この話はここまで,二日後に控えた最終起動実験に立ち会うためにすべきことは数え切れないほどある。





「‥‥ どうなされたのですか?」

 呼びかけに我に返るアシュタロス。
「いや何でもない」と平板なトーンで答える。

 問うのは秘書官を務める女魔族。自分に相応しく高位な一族の出自で,補佐する能力に優れる。腹心の一人だが”表”に方にしか関わらせていない。少し迷ってから
「どうも疲れたようだ。今日はここまでにする。お前も下がって休むがいい」

「はい」と異議を挟まず受け入れる秘書官。
 こんな時間で仕事を切り上げることで生じる様々な問題とその調整が頭を過ぎっているが顔には出さない。どんな不条理でも上司の意向に汲むのが役目だと割り切っている。



 秘書官が下がり周囲に自分を”見張る”存在がないかを確認した上で,プローブからの情報について考えを巡らす。

‘ここにきて,人間が気づくとは‥‥’
 あと一歩まで迫ったところで,邪魔が入るとは思わなかった。前回に懲り人という種を侮ったつもりはないが,まだ甘かったというところ。

怪しまれないよう延期することもできたが,ホームズという人間の言葉通りに”蝕”が壊滅してしまえば計画は大きく見直さなければならなくなる。何かしら怪しみ邪魔をする気満々の至高者を考えると,手直しする時間は惜しい。
その意味で,強硬手段に出たプローブは正しい。

ただ‥‥
‘プローブが迷ったのは意外だな‥‥’

 プローブを動かしているプログラムは大きく分けると芦優太郎のパーソナリティを司る自律プログラムと使い魔としての役割を果たさせる基本命令。本当の意味で”計画”がスタートしていない今の段階では自律プログラムが主人格だが,常に基本命令がそれを監視,場合によっては修正している。
 その場合,すべてはバックグランドで処理され,当人の意識するところではないが,違和感のいう形で基本命令の修正が意識化した。

 考えられるのは経験の蓄積で自律プログラムが強まり,基本命令に抵抗できるようになったということ。仮に,このまま自律プログラムが強くなっていけば‥‥

ふっ と自分を笑う。
 構造として自立プログラムが基本命令を上回ることはない仕様だ。それに万一そうなっても,こちらが介入すれば終わる。

‘そういえば女魔族のこともあったな‥‥’
”蝕”に手を貸す魔族,存在を知った最初こそ至高者あたりの嫌がらせかと警戒したが,”計画”の邪魔どころか後押しするかの振る舞いに,様子見という形で判断を先送りにしてきた。

 ここにきてその魔族の目的が判明した形だが,何らかのフェイクだろう。

 高い霊力を持った人間を生け贄(触媒)にして強い”力”を持った存在を生み出すというのはある話で,そのために人間と手を組むのも,まあ,ないとは言えない。
 しかし,十ヶ月近くの時間で一度もその動きを見せないのは怠惰に過ぎる。魔族に取って元始風水盤の完成を待つ理由はない。

‘魔族の思惑が何であれ,残すは二日‥‥’
 まったく引っかかりがないかというと嘘になるが,人間の想定外の動きを含め流れのままに押し切るのが一番と結論づける。


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