椎名作品二次創作小説投稿広場


ニューシネマパラダイス

オペラ座の怪人(後編)


投稿者名:UG
投稿日時:12/12/ 4

 旧市街区
 21世紀中に起こった様々な災害とインフラの劣化により人口が激減した地域にあって、その劇場の周辺は全盛期に劣るもののそれなりの賑わいを維持していた。
 周囲にはあまり上品ではない遊興施設が点在し、非合法ギリギリの商品を扱う露店がその間を埋めている。
 あまり雰囲気は良くなかったが、それでも人の持つエネルギーを感じられる分、完全にゴーストタウン化した美神事務所周辺よりはマシだった。
 21世紀初頭に建てられた石造りの建物の前にエアカーを停めたピートは、ハリソンと共に真新しい壁面に設置された看板を見上げる。
 青みがかった黒髪の少女と、赤いメッシュが入った銀髪の少女が意味深に絡んだ構図の看板は、今どきめずらしい塗装によって描かれた一点ものだった。

 「派遣されたGSの方ですか?」

 声は固く閉ざされた入り口からではなく、裏口に向かう路地の方からかけられた。
 ピートとハリソンが同じタイミングで振り向くと、バンダナを頭巾のように被った女が姿を覗かせる所だった。

 「今回の公演で総監督をしている猪狩です。話は白井さんから先程・・・・・・」

 ピートとハリソンの表情から目的の人物であることを読み取ったのか、猪狩と名乗った女はバンダナを外し二人に深々と頭を下げる。
 二十代後半と覚しきスリムな女性だった。
 ノースリーブから覗く筋肉質な二の腕と、切れ長の目が活動的な印象を与えている。
 情報端末を外し挨拶を返そうと思ったピートだったが、目の前でバンダナを巻き直した猪狩の腋の下を直視してしまい慌てて視線を外す。
 挨拶のタイミングを逸したピートに別段何の反応もせず、バンダナを巻き直し終えた猪狩は、そのまま踵を返し裏にある通用口まで二人を案内した。

 「早速ですが、脅迫文があった所までご案内します。それと、演目の内容でしたっけ?」

 「はあ、よろしくお願いします」

 基本的に人の話を聞かない性格なのか、猪狩は後ろを振り向くことなくスタスタと廊下を歩いて行く。
 狭く入り組んだ舞台裏特有の構造に戸惑いながら、ピートとハリソンは早足で猪狩の後を追った。

 「さっきは大変だったでしょ?」

 「え?・・・・・・」

 廊下に積まれた大道具を避けながら、後ろを振り向きもせず猪狩は口を開く。
 ピートはさっきが何時のことを指すのかわからず、咄嗟に答えることができなかった。
 どうやら彼女は話を聞かない性格なのではなく、会話の内容が自己の中で完結しやすい性質らしい。

 「ホラ、白井さんの部屋で流れていた映像。全く、来客中に18禁のハーレムものを流しっぱなしにしとくなんて・・・・・・・・・こっちにも分かるくらい音が聞こえていたから、結構目のやり場に困ったんじゃないかしら?」

 猪狩がフランクな話し方になったのは、ピートを年下と判断したためか。
 先程の白井とのやりとりでは、彼女は派遣されたGSがバンパイアハーフであることを知らされてはいなかった。 

 「はは・・・・・・若干。でも、音だけでわかるものなのですか?」

 「最近入手したコレクションを自慢された時に見かけたからね。まあ、普段はすごく理知的でいい人だから勘弁してやって。マニアって趣味に暴走している時は周りが見えなくなっちゃうものなのよ。ホラ、わざわざこんな旧時代の劇場を買い取って、私みたいな若手にチャンスをくれるような人だもの・・・・・・」

 猪狩は誇らしげに周囲を見回す。
 複雑に絡み合う滑車や、大規模な昇降装置、劇場内に音を響かせるための音響板。
 そのどれもが、現代の劇場では見かけなくなった旧時代の舞台機構だった。

 「凄いでしょ? 今回の演目に相応しい、20世紀に多く見られた劇場の再現・・・・・・・・・・・・ホント、ここまでして貰ったら、何が何でも成功させなきゃって気になるわよね」

 最後の呟きは既にピートに対するものでは無かった。

 「と言うことは、今回の演目は白井氏の希望で?」

 「いいえ。100%私の趣味・・・・・・」

 「あなたも、お好きなのですか? その、『GSもの』が・・・・・・」

 「ええ、好きよ。それも寝取られたり、焦がれ死んだりするような、かなりドロドロしたものが・・・・・・・・・・・・」

 猪狩の浮かべた笑みにピートは顔を引きつらせる。
 そんなピートの反応に気付かぬまま、猪狩は歩みを止め楽屋のドアを指さした。    

 「さて、ここが問題の楽屋。女優は気味悪がって昨日から使ってないから気にせず入ってね」

 「だ、そうだ。ハリソン」

 猪狩の言葉を受け、ピートはすぐ後を歩くハリソンに道を譲った。
 ハリソンはドアノブにチラリと視線を奔らせてから、ノックも無しにいきなりドアを開く。
 注意深くセンサーを動かし、部屋内部に霊体がいないことを確認してから、楽屋内部に入り壁の一角をじっと見つめた。

 「どうかな?」

 ハリソンはピートからの問いに力なく首を振る。
 霊視モードに切り替えた視野に様々なデータが表示されるが、そのどれもが決定力にかける情報だった。

 「うーん。正直よくわからないッス。ただ霊気の残留物があるんで、科学的に作られた消えるインクの類じゃ無いことは確かですね」

 「え!? それじゃ、本物の霊障だったの? 人の悪戯なんかじゃなく?」

 ドア越しに覗いていた猪狩の声に驚きが含まれる。
 その驚きに恐怖のニュアンスが含まれていないことに、ピートとハリソンは呆れたように笑った。

 「いや、霊体の反応があったからって霊障とは限らないッスよ。この辺にある非合法のオカルトショップでも低級霊入りの塗料が手に入りますし、魔術の知識が少しあれば動物の血と低級霊で似たようなモノは作れますから・・・・・・ただし」

 「ただし?」

 「昨夜の警告が霊障にしろ人の仕業にしろ、今回の公演を中止させたい意志を持った何者かが存在するのは確かッスね。何か思い当たる点はありませんか?」

 「有りすぎて困るわ。人だとしたら白井さんから抜擢されたのをやっかむ連中もいるし、先日シャワー室が覗かれたっていうから、怪しい男性スタッフを首にしちゃってもいるしね。霊障だとすると、今回はかなり大胆に原作いじっちゃったから・・・・・・・・・・・・」

 ハリソンからの問いかけに、猪狩はさほどたいしたことがないという風に思い当たることを指折り数える。
 その数が片手の指を超えたのを受け、呆れた表情を浮かべたハリソンにピートは声をかけた。

 「・・・・・・・・・・・・ハリソン。現時点での君の見立てを聞くことは出来るかい?」

 「はは、勘弁してください。俺たちは直感とか閃きってヤツが苦手なんです。現時点ではデータが不足しすぎていて、有機的に関連づけるのは不可能ッスよ。今現在もその処理をやってますが、演算機能にかなり負荷をかけちゃってます。通信機能が生きているならデータを逐一ボスに報告して、判断を任せたいくらいっス」

 「すまない。通信機能に障害を起こさせるなど軽率過ぎた・・・・・・」

 「あ、すいません! 俺、そんなつもりで言ったんじゃ無いッス!! 記憶とんでるんで良く分からないけど、軽率だったのは絶対に俺ですから!」

 ピートの浮かべた表情に、ハリソンは大いに慌てていた。

 「俺、今までのことでボスの置かれている状況が何となくわかりましたし、安易に情報検索するんじゃなく、もっとよく考えて行動しなきゃいけないことも学習しました。だからさっきも言ったとおり、今の俺はベストコンディションなんです! じっくり情報を集め、それを自分自身で判断する・・・・・・俺という存在に、ボスのパートナーが務まるのかを試すにはもってこいの状況じゃないッスか! と、いう訳で猪狩さん」

 「は、はい」

 不意に話を振られた猪狩は、急に饒舌になったハリソンに心配そうな表情を向けていた。
 情緒強化型のアンドロイドを見るのは初めてではないが、目の前のハリソンは過去に見たどのアンドロイドよりも人間くささを感じさせている。
 それは彼女にニュースで見た、アンドロイドの暴走事件をイメージさせていた。

 「ちょっと熱くなりましたがご心配なく。俺はこれから暴走防止に再起動しますんで、それが済んだら演目についての話を聞かせてください。それと稽古も見たいッスね。劇団員全員が見れる通し稽古がいいかな。演目の説明にもなるし。それらの情報が手に入れば、なんか分かると思います・・・・・・それでは猪狩さん、ボス、少しの間、失礼します!」

 一方的に話した後、ハリソンは急に糸の切れた人形のように床にへたり込んだ。
 そしてすぐにシステム終了の為の処理に移っていく。
 そんな彼を引きつった顔で見つめる猪狩に、ピートは深々と頭を下げるのだった。






 『あら、シロちゃん? おはよう』

 『おっ! おキヌどのでござるか』

 女優たちのよく通る声が、3人しか観客のいない客席に響き渡った。
 演目である『心中天の横島』は、横島の部屋から朝帰りするおキヌと、散歩中のシロが出会うシーンで幕を開けている。
 シロ役の女優は活発さを表現したカットジーンズの衣装、おキヌ役の女優はコートを羽織ったごく普通の出で立ち。
 眩く輝く舞台の上で繰り広げられる彼女たちの演技を、客席からピート、ハリソン、猪狩の3人が見上げている。
 ハリソンの再起動を待ってから客席に移動したピートは、彼の希望を叶え、通し稽古を見学しつつ猪狩から演目についての話を聞くことにしていた。 

 『こんな時間から散歩?』

 『いやいや、これはちょっとしたトレーニングというか、鍛錬みたいなものでござるよ。それに一人で走るのはサンポではござらぬ』

 舞台では二人の女優が、朝方の町並みを表した書き割りの前で演技を続けていく。
 当たり障りの無いごく普通の会話。
 冬の早朝の何気ないシーンが、シロ役の女優がとった匂いを嗅ぐような仕草で一変した。

 『あ、やっぱりわかっちゃう?』

 この後に続く横島との肉体関係を匂わす台詞が、舞台での人間関係を明らかにしていた。
 密かに横島との肉体関係を結ぶおキヌと、それに気づき見守るシロ。
 この二人を中心に物語は進んでいく。

 『―――知らぬは家主ばかりなり、でござるか』

 第一幕最後の台詞が終わり、おキヌ役とシロ役の女優が、それぞれ舞台の下手と上手に別れていく。
 舞台が暗転し、舞台上では黒子姿の大道具担当が書き割りの移動を始めていた。

 「・・・・・・これも『ハーレムもの』なんスか?」

 第一幕が終了し、大まかな人間関係を把握したハリソンが隣に座る猪狩に質問する。
 舞台に登場したのは二人だったが、彼女たちによって語られた、横島、美神を合わせた4人が物語に登場している。
 芝居からは横島という男のイメージは伝わってこなかったが、白井の所でみた「ハーレムもの」の影響か、ハリソンは横島をやたらにモテる種馬のような男と思い始めていた。

 「いいえ。『心中天の横島』は情念ものの一つで、この話の中では横島はおキヌとしか肉体関係をもたないわ・・・・・・」

 「情念もの・・・・・・そう言えば白井さんもそんなこと言ってましたね。情念ものってどんな話なんスか?」

 「痴情のもつれから破滅に向かっていく話が多いわね」

 「破滅・・・・・・ッスか」

 「ええ。登場人物が死んだり、壊れたり・・・・・・R・嘉門の作品だと死ぬ場合が多いかな」

 「死ぬ場合が多いって・・・・・・そんなの見て楽しいんスか?」

 「『楽しい』ではなく『楽しめる』ね。破滅に至る過程が綺麗に描かれているから心に残るのよ。ザラッとした感覚がいつまでも・・・・・・まあ、この辺は好き好きだし、実際に見て貰わないとね」

 猪狩に促され舞台に目をやると、書き割りを始めとする大道具はすっかり室内を表現したものに姿を変えていた。
  
 『だ、大丈夫、シロちゃん? 手伝おっか?』

 『なんのこれしき。心配御無用にござる』

 舞台の上では再び登場した、おキヌ役の女優とシロ役の女優が仲良く布団の虫干しをしている。
 二人の姿からは猪狩が語ったような、おどろおどろしい未来は想像もできなかった。
 昼食に蕎麦を食べ、その場にいないタマモの話題などを口にしつつのんびりとした時間を過ごしていく。
 そんな日常の風景に変化の兆しが現れたのは、昼寝中のおキヌにかけられたタオルケットがきっかけだった。

 『冷やすとお腹の赤ちゃんによくないでござるよ』

 妊娠を知らされ驚いたのは舞台上のおキヌだけでは無かった。
 自分の知る史実と異なる出来事に驚いたハリソンは、横目でピートの反応を伺う。
 その視線に気付いたピートは、無言のまま小さく首を振った。

 「・・・・・・実際には無かった話って訳ッスね」

 「展開予測という手法よ。こういう展開もアリなのではという視点に基づいた物語の創作・・・・・・そこでは史実以上に創作者の願望や嗜好が強い意味を持つの。まあ、おキヌが非処女だった話とか書くとファンの亡霊が障るから、流石に多少の自重はされていたようだけどね」

 「はは、自重ッスか・・・・・・」

 白井の部屋で見たハーレムものを思い出し、ハリソンは力なく笑った。
 
 「そう・・・・・・今回の演目も相当自重されていたわ。あの後書きを見るまでは気がつかなかったけど」

 「後書き?」

 猪狩の言葉に含まれた感情の揺らぎに気づき、ハリソンは舞台上の芝居に向けたリソースを30%程彼女との会話に振り分ける。 
 舞台の上では妊娠を知ったおキヌと、それを静かに見守るシロが芝居を続けていた。

 「『心中天の横島』は、見た者が登場人物たちの行く末に悲劇を予想し、不安をかき立てられるように計算されているの。私自身、最悪な結末を想像して胸が締め付けられる想いでこの作品に触れていた。でもね・・・・・・白井さんがあの男から手に入れた初公演のパンフレットを見て、その想像が間違っていたことを知ってしまった」

 「あの男って、数日前に白井さんが便宜を図ったっていう男ッスか?」

 「ええ。どこかのエンジニアらしいけど、白井さんが所有する不動産の一つを借り受けるだけで、白井さんが舞い上がるくらいのコレクションをプレゼントしていたわ。この劇場にも一度だけ来たし・・・・・・・・・・・・ぱっと見、コレクションのためなら悪魔に魂を売るタイプ。いや、私には悪魔そのものかな。パンフレットの後書きにあったR・嘉門が考えた最悪の展開を読んで、原作に挑む誘惑に駆られてしまったのだから」

 「さっき原作を大胆にいじったって言ってましたが、展開を変えるってことですか? その、猪狩さんなりの最悪の展開に」

 「原作のラストシーンは変えないわ。私はただ、最終幕のシナリオにR・嘉門がパンフレットに書いた展開を加えただけ。挑むと言ったのは、それを観た観客が、その後のおキヌの運命をどのように想像するかよ。R・嘉門の考えた最悪の展開か、それとも私の考えた最悪の展開か・・・・・・もし、今回の騒動が、私の不遜さに対するR・嘉門の亡霊の仕業だとしたら、呪われる覚悟はできているわ」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 自分に言い聞かすような猪狩の言葉に、ハリソンはそれ以上の質問を躊躇っていた。 
 原作との乖離が騒動の理由ならば、原作を知らない状態での情報収集はミスリードの危険を内包する。
 ハリソンは猪狩との会話に裂いたリソースを再び舞台上に向けると、舞台上で起こる出来事に集中した。


 『――堕ろさないのでござるか?』

 『なんで?』

 『なんでって、その――――お腹の子は魔族にござろう?』


 舞台の上では、おキヌと横島の子が魔族であることが発覚していた。
 それがどのような意味を持つのかハリソンにはわからない。
 隣に座るピートに視線を送ったが、無表情を貫く彼の姿からは何も窺い知ることは出来なかった。
 しかし、直接の質問が躊躇われるようなことであることは理解出来る。
 恋敵らしき魔族の転生体を産む決意を固めるおキヌと、それを見守るシロ。
 ハリソンの演算装置に正体不明のストレスを与えつつ、舞台は淡々と進んでゆく。
 二人の関係に変化が生じたのは、横島の部屋から帰らぬタマモに、おキヌが苛立ちを見せたシーンからだった。


 『・・・なれば、滅するより他にありますまい』

 『――え?』


 戦ってタマモを殺せというシロに、おキヌは絶句していた。
 目の前のシロは明らかにいつもの彼女ではないらしい。
 人と妖の違いを淡々と語り続けるシロ。
 先ほどまでの天真爛漫な明るさはそこにはなく、その言葉は獲物を追い詰める肉食獣の冷徹さでおキヌの心を絡め取っていく。
 美神の怒りを心配し、未だに自分の妊娠を明かせないおキヌ。
 そんな彼女に囁かれた「それなら美神を殺害するか」という提案は、あくまでも仮定の話ながらおキヌとシロの関係を決定的なものとしてしまっていた。
 そして―――


 『あー! ダメでござるよ、おキヌどの!!』


 ベッドから起き上がり、体に負った火傷の跡を確認していたおキヌを部屋に入ってきたシロが窘める。
 おキヌはタマモとの直接対決により火傷を負ってしまっていた。
 舞台の上ではおキヌとタマモの戦いは演じられていない。
 ただ、二人の台詞回しで、横島に横恋慕したタマモがおキヌに狐火を放ち、おキヌの放った魔力に撃退されたことが語られる。
 そして、その魔力がお腹に宿した魔族の影響であること、そのことによって横島の子をおキヌが宿したことを美神が知ってしまったことも・・・・・・


 『まあ、美神どのも今日のところはどうすることもありますまい。せっかくだから、ゆっくり休んだほうがよろしかろう』


 シロのヒーリングを受けながら、おキヌは再び眠りに落ちていく。
 その全てを委ねるかのような無防備さは、彼女のシロへの依存を感じさせていた。

 「さて、ここまでは原作どおり・・・・・・」

 隣に座る猪狩の呟きに、舞台に集中していたハリソンの演算処理に割り込みが入った。
 舞台の上では室内から野外の田舎道へと書き割りの変更が行われている。
 それならば、ここから先は猪狩によって加えられた独自の展開となるのか?
 ハリソンの演算装置に浮かんだ疑問は、不敵な笑みを浮かべた猪狩によってすぐに払拭されることとなる。

 「ちなみにこれからの場面展開も原作どおりよ。私はただ二人の会話に原作では語られなかったエピソードを盛り込んだだけ・・・・・・R・嘉門が初公演のパンフレットのみに記載した、エピソードをね。アナタたちはこれからこの二人がどんな運命をたどると思う?」

 「はは・・・・・・俺たちはその手の予測が苦手ですからね。でも、嫌な予感というか、警戒の必要性はひしひしと感じます」

 現在の状況からある程度の予測を行う機能は実装されているが、舞台のような抽象的な情報からの予測は難しい。
 困ったようにピートに視線を向けると、先ほどから無言で観劇していた上司がその口をようやく開き始めた。

 「先ほど情念系は死ぬ話が多いと聞きましたが、やはりそういった展開になるのでしょうね。展開予測でしたっけ? R・嘉門が行った展開予測では、美神事務所のみんなは全員死んじゃうことになるのかな?」

 芝居と割り切って見ているためか、友人たちの死をピートは簡単に口にしていた。
 そんな彼の発言に、猪狩は我が意を得たりとばかりに反応する。

 「うふふ。最悪のシナリオを予測すれば、そう考える人は多いわよね。R・嘉門もパンフレットの後書きにそう書いてあったわ」

 猪狩は楽しそうに、R・嘉門の筋書きによる美神の行動を口にする。
 おキヌの妊娠を知った備えられた美神は、事務所に火を放ち横島と無理心中を行う。
 タマモはその巻き添えで死亡するとのことだった。

 「尤も原作では『恨むわ』と『また千年待つわ』という台詞のみしか語られないけどね。ただ、その裏設定によって観客は自分にとっての最悪のシナリオを想像し、ラストシーンのおキヌ、シロの姿に言いようのない不安を覚える・・・・・・・・・でもね、パンフレットの後書きにあった、おキヌ、シロ、そしてお腹の子についての展開予測が、私にはどうしても最悪のシナリオには思えなかったのよ」

 「だから急遽シナリオを変更したと?」

 「そう。横島を寝取られた美神が、来世で一緒になろうと死を選択したことをちゃんと観客に提示し、それを知った観客がおキヌとシロのその後の運命をどう予測するかを知るためにね。アナタも今のところ、おキヌとシロにも死の影を感じている・・・・・・これから始まる最終幕を見た後でもそう感じるか教えてもらいたいものね」

 猪狩はそう言うと、会話を打ち切り視線を舞台に向け直す。
 再びライトアップされた舞台上には、古ぼけたバス停のセットが用意されていた。


 『あー、次のバスはまだしばらく先でござるな』


 おキヌとシロ役の女優が舞台に現れ、バスの到着時間についての会話を始める。
 その会話からは、おキヌが実家に帰り出産に備えようとしていることが覗えた。
 身重の体を気遣うシロと、出産に対しある種の覚悟を固めたおキヌ。
 淡々と二人の演技は続けられ、やがて美神事務所で起こった事件を語るためシロが美神の名を口にする。


 『・・・やはり、美神どのにはかないませなんだなあ』


 これから始まるシナリオの変更部分に、猪狩の表情に緊張が増してゆく。
 だが自身が行った演出への期待は、彼女が全く予期していなかった方法で裏切られることになる。
 突如舞台中央に落下した照明装置が激しい衝突音と共に火花を散らす。
 文字通り降りかかった災厄に、真っ先に反応したのはハリソンとピートだった。
 彼らは照明装置が舞台上に激突した瞬間には、既に席を立ち舞台上に走り出している。

 「ハリソン上へッ!」

 「了解ッス!!」

 ピートの指示を理解したハリソンが、天井に向けてロケットアームを発射する。
 そして、梁を掴んだアームのワイヤーを巻き上げ、たちまち自身の体を天井部分へと移動させてしまった。
 照明装置の落下が何者かによるものだった場合、犯人が霊体かソレ以外にかかわらずハリソンのセンサーがその存在を捕らえるだろう。
 犯人の追跡および追撃の防止を彼に任せ、舞台上に駆け上がったピートは女優たちの安全を確認する。
 鉄骨に連なった数個の照明装置は、舞台上の女優たちからわずかに外れた場所に落ちていた。
 棒立ちに固まってはいるが、おキヌ役、シロ役の女優とも怪我はしないで済んだようだった。
 徐々に状況を把握しだしたのか、おキヌ役の女優が小刻みに震え始める。

 「大丈夫ですか? 気分が悪いようなら舞台袖で休憩を・・・・・・」

 それを恐怖によるものと判断したピートは、そっと彼女の肩に手をかけ舞台袖の方へ誘導しようとする。
 しかし、それに対する女優の反応は、とても先ほどまで気弱な少女を演じていた人物とは思えない怒声だった。

 「気分が悪い? 冗談じゃないわ! 最悪よっ!!」

 おキヌ役の女優はピートの手を払いのけると、イライラをぶつけるようにやや青みがかった黒髪のカツラを足下にたたきつける。
 そして、自前の髪を押さえていたネットを外し、亜麻色の長い髪を書き上げ舞台下まで走り寄ってきた猪狩にこう宣言した。

 「やってらんない。降ろさせてもらうわよ・・・・・・」

 おキヌというより美神役の方がしっくり来る勝ち気な話し方だった。
 そのまま落ちてきた照明を一またぎし、おキヌ役の女優は大股で舞台袖へと消えて行こうとする。 
 そんな彼女の歩みを、猪狩の怒鳴り声が静止する。

 「待ちなさい。ひろみ! 舞台を降りることは許さないわ!!」

 旧知の間柄らしく、猪狩の怒声はひろみと呼ばれた女優にさほど畏怖を与えていなかった。
 ひろみは落ち着きを取り戻すようにため息を一つつくと、女優特有のよく通る声で猪狩にこう宣言した。

 「ご生憎様。私はたった今許したわ」

 「逃げる気? たかが亡霊くらいで?」

 「挑発しても無駄よ。芸の幅を広げるために古典にチャレンジするのもいいかと思っていたけど、土壇場でシナリオを変えた上にこのゴタゴタ・・・・・・悪いけど、これ以上アンタの趣味に付き合う気はないわ。もっと派手でゴージャスな演目をやる気になったら声をかけて頂戴な。それじゃお疲れさん」

 最後の挨拶を一音一音区切るように口にしたひろみは、絶句する猪狩を残し控え室へと姿を消してしまう。
 突如降板を宣言した主演女優を止められなかった猪狩は、イラつきを隠せない様子でひろみが叩き付けたカツラを拾い上げると、舞台裾で様子をうかがっていたジャージ姿の少女にそれを差し出すのだった。

 「マリ子。あなたがやりなさい」

 「え?」

 突如代役を指名された少女は戸惑いの表情を浮かべている。
 度重なるトラブルに、主演女優の降板。
 彼女が公演の中止を予感していても無理は無かった。

 「公演を行うにはおキヌ役の役者が必要よ。もう一度言うわ。マリ子。あなたがやりなさい」

 「で、でも、練習生の私なんかに務まる訳が・・・・・・」

 自信なげにマリ子が後ずさる。
 しかし猪狩は、有無を言わさぬ調子でマリ子に詰め寄るのだった。

 「その練習生になるときの必死さを忘れたの? 熱心にひろみの本読みに付き合い、全ての台詞を記憶しているアナタなら出来るわ! みゆきもそう思うわよね?」

 「え? ええ・・・・・・そうね」

 突如話題を振られたシロ役の女優は、一瞬戸惑ったものの猪狩のアイデアに追従する姿勢を見せる。
 彼女にとっても、折角よい役を射止めた公演の中止は避けたかった。

 「ひろみさんの代役って荷が重いとは思うけど、私もマリ子ならできると思う・・・・・・」

 「決まりね。公演はマリ子をおキヌ役にして予定通り行う! 気味悪いことが続いて不安を感じる子もいると思うけど、ほら、紹介はまだだったけど、白井さんが派遣してくれたGSも来てくれているわ。彼らが動いてくれればもうこんなことは起こらない・・・・・・そうでしょう? えーっと」

 劇団員の不安を払拭するためにピートに話題を振った猪狩だったが、このときになって初めて対面時に彼の名を聞いていない事に気づく。
 そんな猪狩の表情を察したピートが何か言葉を発しようとしたのだが、その言葉は天井からの降下を始めたハリソンによって遮られた。

 「そうッスね。もう、この手のことは起きないと思っていいですよ」

 天井付近の観察で何かを掴んだのか、ハリソンの口調には確信を含んだ力強さがあった。

 「犯人の手がかりがあったという訳かな?」

 ロケットアームのワイヤーを伸ばし静かに舞台上に降り立ったハリソンは、ピートからの問いかけにワイヤーを巻き戻しながら大きく肯く。
 その自信に満ちた姿に、猪狩を始めとする周囲の劇団員たちから安堵のため息が聞こえた。

 「ええ。俺とボスが受けた依頼―――劇場の初公演を予定通り行えるようする程度には」

 ハリソンは微妙な言い回しで左手に持ったロープを掲げる。
 視線でそのロープを追ったピートは、ロープの端が舞台袖に固定されていることに気づいた。

 「えーっと、さっき出て行った女優さんを呼び戻してもらえませんか? 彼女にもう大丈夫だって言えば公演は予定通りいけると思うんスけど」

 「ダメね」

 依頼遂行の為の提案を即座に否定され、ハリソンの表情がわずかに引きつる。
 自身の表情を決めかねるハリソンの反応に気付いた様子も無く、猪狩はため息と共にもう一度キャスティングの変更を宣言した。

 「ひろみは一回ヘソを曲げると、しばらくは人の話なんか聞きはしないわ。今言ったとおり、おキヌ役はマリ子でいきます」

 「マジっすか?」

 「ええ、大まじめよ。この子はこの公演の話が動き出してからウチの劇団に入った新人だけど、誰よりも熱心に稽古していたわ! こんな事態になったから言う訳じゃないけど、昔のよしみで参加してもらったひろみなんかよりも、おキヌ役はマリ子の方がイメージに合う」

 既に猪狩の中では決定事項なのか、当のマリ子本人を他所に勝手に話を進めていく。
 ハリソンは固まった表情を崩さないマリ子に視線を向けつつ、困ったようにため息をついた。

 「まあ、そっちの場合でも妨害行動の再発は抑えられるかな・・・・・・道義的に問題があるのと、不確定要素が三割近くあるのが不安ッスけど」

 どことなくめんどくさそうにハリソンが呟く。
 口にした彼自身も戸惑いを感じる程、生じためんどくさいという感情には違和感があった。
 今までに入手した数々の物的証拠と、公演を予定通り行えるようにするという依頼内容、そして上司とその友人たちの物語をめぐる各人の思い入れ、それらの様々な情報がハリソンの中で有機的に結びつき、彼の演算装置にかなりの負荷を与え始めている。
 緊急にマリアと『融合』しなくてはならない程のストレスではないが、暴走の危険性をそろそろ心配しなくてはならない位の負荷は溜まっていた。

 「何よ。そのもったいつけた言い方は? 私のキャスティングに何か問題でもあるっていうの!!」

 ひどく感情的な物言いだった。
 新たなストレッサーの出現に、ハリソンは内心舌打ちをする。
 自分に詰め寄る猪狩に、ハリソンは暴走の危険性が数%上昇したことを感じていた。
 依頼の遂行と、自己の暴走を押さえるため、彼の思考ルーチンは情報の出力を選択する。

 「いや、だって、その人犯人ですし・・・・・・」

 ひどく素っ気ない調子で、マリ子を指さしたハリソンに周囲が凍り付いた。
 二の句が継げず、口をぱくぱくさせるだけの猪狩を余所に、ハリソンは手に持ったロープを掲げながら更に先を続けていく。
 一部の思考ルーチンが今の情報開示によって終了し、演算装置への負荷が軽くなっていくのをハリソンは感じていた。

 「巧妙にカモフラージュされてますけど、コレ、呪縛ロープなんですよね。照明装置の固定に使われていたのが、念を込めるだけで解けるロープだったんスから、こりゃ犯人は亡霊でなく人間でしょう。そんでロープに残った残留霊力を頼りに犯人を捜そうと思ったら、霊力の持ち主が舞台袖にいるんですもん・・・・・・・・・・・・いくらGSが観客席にいることを知らなかったとはいえ、あっけなさ過ぎて逆にビックリしましたよ」
 
 ハリソンの言葉に、凍り付いたままだったマリ子の口元がわずかに歪んだ。

 「どうして・・・・・・? どうして、そんなことしたの?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 猪狩の呼びかけにもマリ子は応えない。
 彼女は何故そのようなことをしたのか?
 当然ともいえる命題に演算装置が圧迫されないよう、ハリソンは現時点の予想を口にした。

 「んー。その人、この劇団に熱心に入ろうとしてたんですよね。そのことから『GSもの』に何かしらの想いがあることは明白でしょう。なのにとった行動は初公演の妨害で、結果、主演の女優が降板してしまった・・・・・・・・・・・・この一見矛盾する行動も、自分が主役になるための計画だとすれば」

 「ふざけないでッ!!」
   
 マリ子の怒鳴り声に、ハリソンの思考に割り込みが入る。
 彼女の声は、かなりの確率で彼の予想が間違っていたことを表していた。

 「なんで私がこんなヒドイ演出の主役を狙わなければならないのよ! アンタ、高性能なのはセンサー類だけ? 演算装置狂ってるんじゃないの?」

 絵に描いたような豹変だった。
 だがマリ子が口にしているのは、自分の犯行を否定する言葉では無い。 
 それならば彼女の動機は一体?
 追加された情報をもとに、ハリソンは再度の演算を試みようとする。
 しかし事態は、そんな彼をあざ笑うように、予想と関係ない方向へ突き進んでいくのだった。

 「ちょっと! ヒドイ演出ってどういう意味よ!!」

 「そのままの意味よ。もともと含まれていなかったエピソードをシナリオに盛り込むなんて神経を疑うわ。古典は原作に忠実にやっていればいいのよ!」

 猪狩があげた抗議の声に、嘲りのニュアンスを込めてマリ子が返す。
 見当違いの創作論へと発展した二人の会話に、ハリソンはただ戸惑うばかりだった。

 「はん! にわかが! そのエピソードが、R・嘉門自らが書いたものだって知っても同じ事が言えるのかしら?」

 「初公演のパンフレットのことを言っているのかしら? そんなもの中学生の頃から知っているわよ! 知ったばかりで嬉しくなって、つい付け足しちゃったのかしら? ホント、どっちがにわかかしら」

 「クッ・・・・・・それなら、アナタはあの後書きに何も思うところはなかったの?」

 「あったとしてもそれが何? 原作者は見た者が何を感じるか計算して創作しているのよ、原作者があえて作品中に書かなかったことを盛り込む必要はないわ」

 「伏線なら伏線だって、ちゃんと言ってあげないとわからない観客もいるのよ・・・・・・中には美神が心中したことにも気がつかない人もいるでしょうね。私は美神と横島が心中したことを知った観客が、おキヌのその後をどのように考えるか知りたかった。」

 猪狩の言葉から興奮による熱が消えて行く。
 彼女の目には妄執に捕らえられた者特有の光があった。

 「R・嘉門が後書きに書いたように、横島が死んだことを知った、生まれたばかりのルシオラに殺されると考えるかしら? 少なくとも私はそうは思わなかった、私がルシオラなら来世で出会う可能性を完全に潰しておく。自分の存在を足かせに死という選択肢はとらさない。父親が欲しいとだだをこねて適当な男とくっつけるかしら・・・・・・それともシロに懐き彼女への依存を助長する? とにかく私ならおキヌを新たな人間関係に埋没させ、横島以外の人間と幸せに暮らさせるわ。来世での縁が薄れるようにね・・・・・・」

 「そんな展開は認めない。美しくも劇的でもないわ・・・・・・」

 「アナタが認めなくても、これが私の考えた最悪の展開・・・・・・・・・・・・アナタ、あの後書きを見たといったわね」

 「だから何よ・・・・・・・・・・・・」

 「アナタも、あの後書きとは違う展開を予測したのじゃないかしら? だからそれを伝えようと、必死でこの劇団に入ろうとした」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「言ってごらんなさい。私がやろうとしていることを妨害してまでこだわった展開を・・・・・・・・・・・・もしそれが、私の考えたものよりも情念にまみれたものであるならば、すぐにでも脚本を書き直してあげるわ」

 マリ子に詰め寄る猪狩の姿に、ハリソンは混乱の極みにあった。
 実際に起きたことを整理すれば、マリ子の罪状は脅迫と器物破損。
 照明を落下させた際に、役者への殺意が認められれば殺人未遂も視野に入る。
 どれをとっても立派な犯罪である。
 なぜ猪狩は公演を妨害したことを断罪せず、これほどまでに物語の展開にこだわるのか?
 マリ子の動機が芝居の解釈を巡ってのものだと言うことも、ハリソンには到底信じらるものではなかった。

 「わ、私は・・・・・・・・・・・・」

 自分なりの展開予測を口にしようとするマリ子を見て、ハリソンは急激にストレスが増大するのを感じた。
 多分彼女が口にする内容も、自分が先ほどの観劇から予測した展開とは異なるのだろう。
 ハリソンは己のものとは異なる予測を聞いた時に生じる、ざらっとした感覚に恐怖する。


 ―――これ以上のストレスの蓄積は、暴走の危険性を増大させる。


 ハリソンは再起動を行い、己の思考ルーチンをリセットすることを決意する。
 舞台から降りるのは忍びないが、暴走して周囲を危険な目に遭わせる訳にもいかない。
 しかし、再起動のコマンドを選択しようとした彼の動きは、突如会話に加わったピートの声に止められるのだった。

 「まあ、その辺は別にハッキリさせる必要はないんじゃないかな。現実の横島さんたちはこの舞台のようにはならず、自分たちでちゃんと決着をつけてますし・・・・・・」

 それは場違いに感じるほど暢気な声だった。
 ピートは終始にこやかな笑顔を崩さず、猪狩とマリ子を交互に見つめる。

 「誰の考えた展開が一番正しいのかなんてこだわらず、自分にとって一番納得がいく展開を想像すればいいと思いますよ」

 一見とりなすような発言だが、その実どうでもいいと言っているに等しい。
 そんなピートの言葉に、真っ先に反応したのはマリ子だった。
 罪を犯してまで原作にこだわった彼女にとって、それ以外の展開は受け入れがたいものらしい。

 「素人は黙りなさい! リアルを引き合いに出すなんて・・・・・・どうせまともに原作を読んだこともないんでしょう!!」

 「作品を一番理解しているのは自分・・・・・・その辺が動機という訳でしょうか?」

 「そうよ! それの何が悪いというの!!」

 「作品を愛するという点においては悪くないでしょうね。でも、君の場合、リアルで罪を犯しちゃってるでしょ。ハリソン。手錠を」

 ピートからの指示を受け、ハリソンはバックパックに収納されていた手錠をマリ子にかける。
 その動きにはわずかな停滞も見られない。
 一番正しい展開を予測しようと負荷をため込んでいた演算装置は、上司の一言によってストレスから解放されていた。

 「さて、詳しくは署の方で・・・・・・」

 急な逮捕劇に周囲がざわつく。

 「はは、今日は家の手伝いで来ましたが、本業はオカルトGメンでして」

 やや芝居がかった仕草でピートは猪狩に自分の身分を告げる。
 オカルトGメンに所属し、横島忠夫についてまるで友人のように話す若いGS。
 ある人物を連想して顔を引きつらせた猪狩に対し、ピートは顔の大半を隠していた情報端末を外してから、彼にしては珍しい何か含むところのある笑顔を浮かべた。
 
 「あ、名乗るのが遅れました。私、オカルトGメンに所属するピエトロと申します。大変魅力的な舞台でした。公演の成功を陰ながら応援していますね・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・」

 静まりかえる周囲に、ハリソンは事件が完全に収束したことを理解する。
 演劇になぞって言えば、この舞台は上司がつけたオチによって幕が降りた。
 あとは現行犯逮捕したマリ子を署に連行するだけだろう。
 ハリソンはメモリに置いたままだった情報を一つ一つ解放していく。
 壁にあった脅迫文に始まり、マリ子の逮捕によって終わった有機的に結びついた情報群。
 それらに関連することなく残った情報の一つにハリソンが違和感を覚えた瞬間、舞台上の沈黙を引き裂くように女の悲鳴が響き渡った。

 「キャーッ!!」

 声の主は先ほど退場したひろみという名の女優だった。
 その悲鳴とメモリに残った情報が結びつき、ハリソンは戦闘モードへの移行を選択する。

 「ボス! シャワー室です!! この劇場が抱えたトラブルは一つじゃなかった!!」

 情報の一つにあったシャワー室での覗きは、マリ子が起こした一連の騒ぎと無関係だった。
 怪しい男性スタッフをクビにしたと聞いたこともあり、重要度を落としてしまったうかつさに歯がみする。
 ピートと共にシャワー室に駆けつけると、バスタオルで最低限体を隠したひろみが大慌てでシャワー室から跳びだしてくるのが見えた。

 「ハリソン! シャワー室に何かいるぞ!!」

 「俺が対応します! ボスはその人を!!」

 腕に装備されたマシンガンの安全装置を解除しつつ、ハリソンはひろみと彼女を保護したピートを背後にかばう。
 彼のセンサーは、シャワー室内に高エネルギー反応をとらえていた。
 キャッチした駆動音や放出されたエネルギーのパターンが、一瞬で記憶領域のデータと照合されハリソンの脳裏に予想外の事態を告げている。
 シャワー室にいるのは自分と同型のパシリスクタイプ。
 しかもその異常とも言えるエネルギー放出は、典型的な暴走状態だった。

 「気をつけて! 暴走してます!!」

 警告と同時に人影が湯気を切り裂き跳びだしてくる。
 自分と同等のパワーを持った相手の、リミッターが外れた状態での突進。
 暴走したパシリスクを止めるのに躊躇は禁物だった。
 ハリソンは右腕のマシンガンをパシリスクに向け、膝関節に照準を合わせる。
 ジーンズ越しの膝関節に十字線がロックされた瞬間、ハリソンは毎分1000発を超えるマシンガンの連射を叩き―――込めなかった。

 「ちちしりふともも―――っ!!」

 その叫び声を聞いたハリソンのジャイロ機能にノイズが奔った。
 重力と平衡感覚が喪失し、派手に前につんのめる。


 ―――何なのだこの同型機は?


 ハリソンは激しく混乱していた。
 通常パシリスクの暴走は、論理的矛盾を抱えた状況下に長く置かれた時や、自己の存在に対する哲学的思考にとらわれ過ぎた時、想定を超える過度のストレスを与えられ続けた時に生じる。
 しかし、目の前に迫ったパシリスクからは、ひろみの裸体に対する欲求しか伝わってこない。
 それは自分の人格パターンにある『女好き』とは比較にならない露骨さだった。
 彼は何故暴走した?
 それ以前に何故こんな人格プログラムを?
 そもそも何故ここに最新式である同型機が?
 次々に浮かぶ何故という思考が演算回路を圧迫する。
 接近を許してしまったパシリスクの足にすがりつけたのは単に幸運なだけだった。
 自分を引きずりながら、半裸のひろみににじり寄る謎の同型機。
 通信機能の故障から、彼の識別番号を確認することはできない。
 せめてその外見的特徴をと、彼の顔を見上げたハリソンは見てしまう。
 Gジャン・バンダナ姿の同型機の首筋に、斜め45度の角度から打ち込まれたピートの手刀による一撃を。
 激しい衝撃を首筋に受け、音も無く崩れ落ちる同型機。
 その同型機の姿形から連想される一人のGSが、彼の混乱に益々拍車をかけていた。
 人々を数々の危機から救い、様々な美女たちから想いを寄せられ、死語100年以上経った今でも一部の人々の心に熱く生き続ける伝説的なGS。
 ハリソンの中で、そのGSと目の前の同型機がどうしても結びつかない。

 「横島さん・・・・・・・・・」
 
 「ええーっ!?」 

 今のピートの声には紛れもない戸惑いと、友人に向けられた親しみが混在していた。
 ハリソンの中で、横島忠夫というGSのイメージが音を立てて崩れていく。
 いろいろ聞きたいこともあったが、過度に溜まった疑問によるストレスはもう限界まで来ている。
 これ以上の思考は暴走を引き起こす危険があった。


 ―――思考してはいけない。結論だけを受け入れよう。


 そう判断したハリソンは、少しのためらいも無く再起動を選択した。
 












 数日後
 オカルトGメン本部。
 オフィスとして与えられている小さな個室で、ピートは届いたばかりの報告書に目を通していた。
 内容は謎のパシリスクについての分析結果。
 しかしその内容は、彼の期待を満たすものでは無いという点においてほぼ予想通りと言える。
 『不明』の羅列でしか無い報告書をゴミ箱に捨てていると、用事を頼んでいたハリソンが外出先から戻って来た。

 「ただいまッス」

 「お帰り。どうだったかな? 芝居見物は?」

 「はは、比久さんを欺すみたいで気が引けましたが楽しめました。結局、猪狩さん原作どおりのシナリオに戻してましたね。まあ、ひろみさんも降板を取り消してくれたし、当初予定されていた通りのこけら落としで『めでたし、めでたし』なんじゃないッスか」

 「まあ、あんなことがあったのだからそれが妥当だよね。まさか、マリ子さんがR・嘉門の子孫だったなんてね」


 ―――それだけじゃないと思いますけどね。


 ハリソンはつい出そうになった言葉を飲み込んだ。

 『先祖の書いた作品が変えられるのが我慢できなくなって、ついやってしまった』

 取り調べの最中に判明したマリ子と原作者の関係は、犯人であるマリ子に情状酌量の余地があることを示す材料として弁護士に歓迎されている。
 しかし猪狩への影響は、ピートの出現によるところが大きいとハリソンは思っていた。
 創作物の収集家としての白井と、創作活動を行う猪狩とでは、ピートとの出会いが起こす衝撃の意味合いが異なるのだろう。

 「そう言えば白井さんボスが来なくて残念そうでしたよ。本当に良かったんですか? もらったチケット、俺と比久さんで行っちゃって」

 「白井さんならわかってくれるよ。大人だからね・・・・・・・・・・・・それに君が比久さんを連れ出してくれたから、『彼』について分析することができた」

 『彼』とは暴走している所を捕らえた謎のパシリスクのことだった。
 ピートは『彼』を物扱いせず、暴走を起こしたパシリスクが辿る一般的な扱い―――メーカー送りにして原因究明後、廃棄処分の流れを頑なに拒んでいる。
 そのためカオス商会からの出向職員である比久には『彼』を接触させず、『芝居見物中にハリソンが感じたストレスの原因究明』など尤もらしい理由をつけて、比久を分析作業から遠ざけたりもしていた。
 製造元の職員に嘘をつく形となったハリソンだったが、カオス商会製品の仕様か、それとも独自のプライオリティーなのか、喜々として比久の連れ出しに協力している。

 「お、結果が出ましたか? 結局、何者だったんです?」

 正体不明の同型機が気になるハリソンは、不躾にピートの机上に展開した電子データをのぞき込む。
 しかし目的の報告書は、ピートが既に削除してしまった後だった。

 「わからない・・・・・・ということがわかっただけかな。でも、それがわかったからこそ、次の手が打てるのだけどね」

 「なんスか次の手って? スゲー気になるなぁ・・・・・・・・・・・・あの芝居を見た比久さんが言ってましたよ。想像力をかき立てる物語の構造が俺らの思考ルーチンに良くないって。ということで、もったいつけずに教えてくださいよ。俺はボスのパートナーでしょ!」

 すっかりパートナーの座に納まったハリソンにピートは口元を緩める。
 彼は自分の発する言葉に、パートナーがどんな顔をするのかを想像していた。

 「知り合いに、わからないものを見通せる神族の調査官がいてね。彼女に視てもらおうと思うんだ」

 それを聞いたハリソンは、演算回路に正体不明の不安が広がって行くのを感じ、何とも奇妙な表情を浮かべるのだった。




 ―――――― オペラ座の怪人 ――――――


           終


 【人工幽霊はGSの夢を見るか?】に続く


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