ついにノートと呼べなくなった原稿。
迫力に押され呆然と見守る横島くん。
そして、満面の笑みで振り向く小鳩ちゃん。
「さすがは横島さん、小鳩が見込んだとおりです。これで小鳩たちは勝てます。」
「はいい?!な、ナニをおっしゃってるのかが拙には皆目見当もつきやせんが。」
「練習というのは嘘です。横島さんのノート、いえ、横島さんの本で勝負です!」
横島の目の前で、精魂こめて描きあげてきた小鳩による原稿が本人の手で引き裂かれる。
彼女はこの行動をファミレスで思いつき、描き始めの横島の助言の時には決心していた。
想い人の欲目を無視しても、なおも感じた彼独特の感性と、そしてクレバーな着眼点に。
そしてカッターで断たれたノートは全て綴じ込み部のみ、つまりページの境目であった。
全てが寸分違わずそこから断たれており、積み上がる紙は確かに原稿の体を成していた。
そして横島が初めてこのノートを持った時の違和感の正体、それは材質の違いによる物。
通常のノートを分解して内容部を130kg上質紙に綴じ換えたカスタムノートなのだ。
「で、でもさ、これってノートだったんだぜ?マンガにするには小さくないかな?」
「だから横島さんにはミリペンで描いてもらったんです。後で拡大をするんです。」
ある程度の知識がある方には、そのやり方は間違っていると言われるかもしれない。
通常のマンガ原稿というものは印刷サイズよりも少し大きく描き、縮める物なのだ。
しかし、ここに小鳩の秘策があった。一つは横島に渡したペンがミリペンと呼ぶ物。
しかも0.2mmサイズという特に細い部類のものを渡して描かせていたのだった。
これは拡大してもむしろ細すぎる感のある太さである。これに肉付けする気なのだ。
「おおおおお!小鳩ちゃんの手が見えないっ!!」
ミリペンの線に次々と筆肉が盛られていき、勢いのある流線が形成されていく。
丸いだけの瞳に細かな光沢が、直線だけの指に爪が、靴紐に縄目が形成される。
流線は角がピンと立ち、適当な箱は実在のビルに、そして空間は空と風と雲に。
これがもう一つの秘策。彼女は卓越した技術以上にその手の早さが自慢なのだ。
それは同人に限らず、その社会経験全てにより積み上げられてきたものである。
彼女の腕はその動きでかすみ、やがて幾筋にも見え始める。
「お、俺も手を貸すぜ!そうだ、おっぱいを押さえとこっか!」
「それはすっごく助かります!横島さん、ぜひお願いします!」
「うはは、冗談だよ冗だ……ええっ?!いいの小鳩ちゃん?!」
「本当に腕振るのに邪魔なんです!ぜひ!早く!お願します!」
おそるおそる胸に手を伸ばす横島少年。だが、のこり僅か1cmから先に動かない。
ただ、確かに指先には風圧を感じる。小鳩の胸が腕の振りによって左右に動くのだ。
鬼人のごとき迫力で手を進めていた小鳩が、ふとその動きを止め、横島の手を掴む。
「手伝うんですか!?手伝わないんですか?!はっきりしてください!」
「あのう、本当にいいの小鳩ちゃん?俺が、乳をその、嫌じゃないの?」
「小鳩が頼んでるんです!横島さんが嫌かどうかです!違いますか?!」
小鳩の迫力に押されて、少年は重量感のある双球をその手いっぱいに押さえた。
その瞬間、小鳩は首から肩にかけての緊張が一気に解きほぐされたのを感じた。
そして小鳩の手は横島の手首から飛び立ち、原稿上の大空に羽ばたいていった。
「初めての体験ですけど、今すごく楽です。……横島さんはつらくないですか?」
「お、俺は俺ですごく楽しいんで気にしないでくれ!さあさあ、つづきつづき!」
「判りました!これなら小鳩も本気を出せそうです!任せましたよ横島さん!!」
小鳩の動きがさらに大きく早くなり、横島は頭を下げ、うつ伏せに寝そべった。
ふと見上げると、小鳩の腕の残像が背中から6本ほど羽根のように生えている。
手の平にある硬軟織り交ぜた極上の感触とは別な意味で、横島は感動していた。
その頃、GSメドヨコに同人勝負を依頼した哲少年はしゃがんでいた。
その目の前には、ベッドに横たわる少年。心なしか、目に精気が無い。
どうやらこの病床の少年が、彼の言っていた『再起不能の弟』らしい。
「あ、あー、うー、うああああああ。」
「もう大丈夫だぜヒロシ!俺が最強の助っ人頼んだから!必ず助けてやるからな!」
「あうー、おおおおお、おいえああああ。」
「あとさあ、次のコミケの買い漁りどうする?やっぱ東北東プロジェクトかなあ。」
「流石に香港アリスは爆撃するには多すぎだろ。もっとニッチに攻めようぜ兄貴。」
「やっぱりそうだよなあ……んん?!ヒロシ、いま再起不能治ってなかったか?!」
「ううう、ごじゃっぺえ。ごんたくれえ。」
「気のせいか……待ってろヒロシ!兄ちゃん必ずお前の尻子玉を取り戻してやる!」
非常に麗しい兄弟愛である。
ちなみにヒロシくんは尻子玉を抜かれて再起不能になったが、別に精神崩壊した訳ではない。
尻子玉の有るとされる場所は、その、字面通りの、あー、詳細を書くのが難しい場所にあり、
抜かれた際に大のおとなでも度し難い程の刺激が発生する為、そのショックで放心するのだ。
皆さんも尻子玉を抜くような妖怪に出くわしてもいいように、訓練しておくのも良いだろう。
そして日は押し迫り、期日はもうすぐそこに来ていた。
小鳩ちゃんも横島くんも、それぞれの役割に集中し続けた2日間であった。
背中から感じる横島の鼻息にもすっかり慣れた小鳩が、鼻息の主に話しかける。
「横島さんは、なんか決まったあだ名とかありますか?それか雅号とか。」
「あだ名は無いなー。なんせ俺の苗字って珍しいし。それがどーしたの?」
「……わかりました!では横島さんのペンネームは『ヨコシマン』です!」
塗りつぶし用の黒い毛筆にインクをたっぷりと含ませた小鳩が、手早く何かを書いた。
それは表紙。その表紙の下段いっぱいに『作:ヨコシマン』と達筆で書き殴っていた。
「ちょ、ま、小鳩ちゃん!『ナハト・コバルト』の本じゃねえってのはマズイってば!」
「これは横島さんの本です。それにペンネームは一つだけなんてルールはありません。」
「じゃあ、せめてあの小鳩ちゃんの本も出したほうがイイって!スゴイ良かったのに!」
「大丈夫です。この本は世界一素敵な横島さんが描いた世界一素敵な同人誌ですから。」
満面の笑みを浮かべてそう言い放つ小鳩。そして、二の句を告げられなくなる横島。
それは決して彼女の言う内容が、くさいとか馬鹿げてるとか彼が感じたのではない。
花戸小鳩の笑顔が、横島忠夫が望む光景を描いたあのイラストそのままだったから。
横島くんは放心したまま、その決定に首を縦に振る以外の行動をとれずに終わった。
そして日本最大の同人誌即売会コミックケツァルコアトル81の朝はやってきた。
湾岸独特の底冷えする潮風が吹き付ける中、猛者たる無数の男女が集まり始める。
依頼主の少年と、横島、小鳩、そして何故かメドーサも合流し、挨拶を済ませる。
寒さには弱い筈のメドーサだが、今日もいつもと同じ一張羅のボディコンである。
どうやら特殊な術を使って温度を維持しているらしい。
「で、相手はどこのどいつだ少年!この俺様に刃向おうって不届き者は!」
「あ、あいつです!!」
その指の先。チケットをスタッフに渡す角が生えた赤ら顔の少年が横切り画面から消える。
そしてその向こうに数人の男女が立っていた。紳士と女性の4人組、そして車椅子の少年。
小鳩と横島はその中の幾人かにかなり最近に見覚えがある。特に髭の生えたメガネ中年に。
「じゃあ頼んだぜナハトコバルト!俺はエロエロウハウハ同人誌を買うので忙しいんでな!」
「てめえガキのくせに18禁のエロ本買おうたあイイ度胸じゃねえか!通報するぞこのー!」
「へ、生年月日的にはもう29歳なんだっての!だから青少年保護育成条例とか関係ねえ!」
「確かに俺も17歳とかいいながら生年月日的には40前なんだっけ。じゃあ問題ないわ。」
皆さんはご存じないかもしれないが、豊島区池袋では時間軸が狂う。
横島くんがいつまでたっても年をとらないのは、池袋のせいなのだ。
走り去る少年と入れ替わり、先程の集団が小鳩らに歩み寄ってくる。
小鳩と横島はメドーサに搬入をお願いし、その5人と向かい合った。
「確かあの子、弟を再起不能にされたって……美神さんが子供を再起不能に?信じられません……」
「普通に考えりゃありえん。でも美神さんと親父ならやりかねん。あの人らはそういう生物だぜ!」
一方。
「あら、あの子おたくのモトカレじゃない?フラれた腹いせの意趣返しも兼ねてるってワケ?」
「ち、ちがうわよエミ!横島クンが出るなんて知らなかったし!それにフラれたんじゃない!」
OGSO、小笠原除霊事務所所長の小笠原エミが美神令子のすぐ横に同席していた。
トップクラスのGSである美神令子、彼女が唯一認める好敵手、まさに双璧である。
そして、双璧が揃い解決できなかった霊障は一つも存在しない。GS界の切り札だ。
更に両者とも、露出の高いボディコンや胸元が大きく開いたライダースーツではない。
共に地味な色の防寒装備であり、昔から居たかの様に周囲の参加者に溶け込んでいる。
かなりの下調べをした上なのか、以前から余程熟知していたかである事は間違いない。
「親父がなんでそっちにいるんだよ!急な仕事って言ってたのは、まさかそんな事なのかよ!」
「お前は何か勘違いをしている様だがな、美神さんの邪魔はするなよ。遊びじゃあないんだ。」
「言ってくれるじゃねえか!こっちだって金もらって依頼受けてんだ、邪魔するならつぶす!」
「貴様ごときの小童につぶされる俺ではない。そして美神さんも勝負に負ける人間ではない。」
腕を組み息子を見下げる父親。その子は、拳を握り腰を落として父を睨む。
その周囲には俄かに旋風が巻き起こり、晴天の筈だが曇天雷鳴さえ見える。
その頃、女性陣は女性陣で向かい合っていた。
しかし、やはり美少女美女の集いは和やかだ。
けっして、怒鳴ったり叫んだりはしていない。
「小鳩ちゃん、前にも忠告したと思ってたけど、横島クンはやめた方がいいわよ?」
「美神さん、それについては同じ事をお答えします。『小鳩は負けません』です。」
「ま、ケダモノ飼おうっていうのは個人の勝手だけど。後悔しても知らないわよ?」
「ケダモノという動物なんかいませんし、後悔についてはそのままお返しします。」
こちらもまた暗雲と雷鳴が浮かび上がる。特に、小鳩の背後に。
目の前の赤毛の長髪がエネミーファクターであると感じたのだ。
だが当のエネミーファクター嬢は、余裕の表情で微笑むのみだ。
「……おっけ、その話はこれでおしまい。で、今日ここに来てるのはやっぱ勝負なの?」
「はい、横島さんが受けた依頼です。同人勝負だろうともGSメドヨコは負けません。」
「大きく出たわねー。もしこっちが相手だったとしても同じことが言えるのかしらね?」
「もちろんです。天下の『E&M』が相手だろうと、横島さんの本は絶対負けません。」
「あらそ。じゃあ『ナハト・コバルト』イチオシの横島クンの本、楽しみにしてるわ。」
二人は同時にきびすを返し、それぞれの属する集団に戻っていった。
なぜ美神令子は小鳩の雅号『ナハト・コバルト』を知っていたのか。
そしてなぜ花戸小鳩は美神に『E&M』という名詞を言い放ったか。
それも追々説明しよう。
一方の横島くん側は順調に親子で対立して、喧嘩別れしていた。
あらん限りの侮辱のポーズを父親の後姿にとり続ける横島くん。
視界から消えたのを確認すると、晴れやかな笑顔で振り向いた。
しかしコバルトちゃんは横島くんと反対に表情を曇らせていた。
「あれ?あ、あのー、うーん、……ちょ、ちょっとだけやりすぎちゃったかな、俺?」
「いいえ、小鳩は別にかまいませんけど、あの、メドーサさん早く追いかけないと。」
「あああ!そうだった!!もしかして今頃キレて大暴れしてるかもしれんぞ!急げ!」
依頼主の少年は今回一般参加である為に外で別れ、2人はチケットを手に会場内に入る。
サークルチケットの3枚目は、メドーサが先行で搬入整理するためにすでに使っている。
打ちっぱなしのコンクリ床に無数の荷物と無数の机と無数の椅子と無数の人間。
もっとも、開場前の人数なぞ、これから始まる宴に比べれば無に等しいのだが。
「この机が私たちの城です。勝つも負けるもすべてこの机で決まります。」
「なるほど。だが俺にはどう見ても健康診断の長机にしか見えんけどな。」
「まぁ同じ物ですから。……でも、凄く綺麗に磨いてある。一体誰が……」
小鳩の視線は、脚を組んで出来立ての本を読みながら笑っている竜神に注がれた。
それに気がついた竜神は、キョトンとしながらその視線を受けていた。
小鳩から簡潔に質問を受け、それに答えだす。
「あんまりにも汚いから掃除してやったよ?なんかまずかったかい?」
「あの、ありがとうございます。なんか手伝ってもらっちゃって……」
「絵描き以外なら手伝うさ。なんなら乳だって持っててやったのに。」
「なにー?!だめだメドーサ!あれすげえ難しいの!俺以外は無理!」
焦りながら必死にメドーサを否定する横島少年。
だが珍しく、メドーサも否定したりしなかった。
無骨な武人の彼女とて、多少は気がまわるのだ。
三人が盛り上がる中、コミックケツァルコアトルは会場のブザーを鳴らした。
これは合図。同人誌という戦場を駆け巡る男女たちに対する鬨の声でもある。
そして開場を知らせる女性のアナウンスと、サークルによる拍手、ざわめき。
その後、ものの数秒で地響きが建物内に轟き、入り口から人海が流入をする。
「あった!『コバルトユニオン』!今度こそ偽サークルじゃないんだな!」
「似非プロにならない辺りが流石のコバルト!まさかのオリで復帰とは!」
「売り子にエロコスだと?気合が違う!間違いねえ!コバルト完全復活!」
ちなみに買いにきた男子たちもやっぱり横島をナハトコバルトと勘違いしている。
そして小鳩とメドーサをえっちなコスプレをした雇われ売り子と勘違いしている。
そんな彼女らの机の前列があっという間に埋まり、やがて行列になっていった。
三人は必死に次々と捌いているのだが、それでも後ろの列は伸びる一方である。
そして列の後ろでは携帯電話片手に喋る者、携帯のメールを打つものが目立つ。
「うーん、思ったより伸びが遅いですね……」
「えー?こ、これで遅いのかよ小鳩ちゃん!」
「お、うちより向こうのが長いみたいだね。」
メドーサは手元を見ながら顎だけでとある方向を指す。
それは、壁際から発生した長蛇のごとき大行列である。
先端には大きな布のタペストリーが張り出されていた。
「バイクに乗る羽付きコブラ!ま、まさかジャンル転向してたなんて……」
「すっげえ行列だな!あのお店、小鳩ちゃんの知り合いだったりするの?」
「偉名山の如し、壁から離れぬクリフハンガー。同人の頂点の一角です。」
その大行列の隙間から、眼鏡をかけたチャイナ服の女性が横島にウィンクする。
横島の記憶の遠くに、あの格好の女性がいる。しかし何故か思い出せなかった。
そこにメドーサの一言が呼び水となった。
「なんだありゃ、下手な変装の美神令子じゃないか。」
「ええー?!なんで美神さんが同人誌やってるんだ?」
「ミカレイは同人界最後の大物非プロ同人ですから。」
小鳩の手の動きが鈍り、焦燥ゆえかその額に汗が浮かぶ。
横島とメドーサは小鳩の速度が落ちた分まで手を早める。
E&Mとは正式名称E&M同人事務所。作家エミりゅんとミカレイの合同サークルである。
プロ化してない日本最大の超大手サークル、熱狂的ファンも多数、伝説も枚挙に暇はない。
小鳩は男性向け創作、E&Mは女性向けで畑は全く逆だが、その存在は小鳩も知っていた。
「こ、小鳩ちゃん!ありゃあ相手が悪すぎるってば!あの人は勝つ為なら地球だって売るぞ!」
「ですが、私達はあれに勝たなければいけません……大丈夫です、ここの本は絶対勝てます!」
「小鳩の言う通り、戦いに想定外は付き物なんだよ。弱音なんか吐く前に手を動かしな横島。」
女性陣に励まされ横島もヒートアップ、周辺は異様な興奮に包まれはじめた。
小鳩の店は既に捌き切れる列幅を超え、周辺サークル有志が列整理を始める。
一方E&Mは明らかにプロの警備員と思わしき迷彩服の男たちが現れだした。
「E&M名物の私設警備員です。あれが出てきてからが向こうの本番なんです。」
「私設警備員ってヘンリーとジョーとボビーかよ!エミさん所も大変なんだな!」
「小鳩、またしかめっ面になってるじゃないか。ほれ、鏡でも見てみるんだね。」
だが、メドーサが出したのは一枚の130kg上質紙であって鏡ではなかった。
それは横島の書いたノートの中で唯一印刷に回らなかった、小鳩ノートである。
そこには横島が最後のページに描いていた、紙いっぱいの小鳩の笑顔があった。
「一冊づつですね?お買い上げ、ありがとうございます!」
「ほい、700が2つで1400、おつりは600だね。」
「興奮しすぎて鼻血出すなよな?!のっぴょっぴょーん!」
笑顔を取り戻した小鳩に両脇の少年と女神が呼応する。
やがて、うず高く積まれていた段ボールの山はその標高を下げていく。
開場から4時間と45分、ついに標高が平地と同じくする瞬間が来た。
「か、完売じゃー!30000部完売!もう1ミリも手が上がらん!」
「お、ありゃあ例の29歳の小学生じゃないか。随分重そうだねえ。」
「さすがコバルト、ヒロシの意識が戻ったぜ!俺たちは勝ったんだ!」
「お前は買っただけだろ。……てことは俺ら、美神さんところに……」
しかし横島は絶望的な光景を見る。
E&Mの行列が未だ続いているのだ。
しかも勢いは開場当初より明らかに大きい。
「なん……だと……」
「あ、あれ、美神さん、ですよね?」
行列の隙間から眼鏡姿にチャイナ服のミカレイが横島のサークル前に歩いてきた。
不意を突かれた形で姿勢が固まる横島と小鳩。メドーサは裏で段ボールの整理中。
美神は横島のサークルに唯一残った見本誌を一分程の時間で吟味し、そっと戻す。
「さすが『ナハトコバルト』噂通りね。……聞くけど、なんで3万なの?タネ銭切れ?」
「……タネはもう少し有りました。だけどこれ以上の数を出すべき本じゃありません。」
「今回は部数勝負だって知ってたから、私は10万刷ったわ。ほぼジャンル人口分ね。」
「くうっ………」
小鳩は唇を噛む。その通りなのだ。
勝負であれば部数の天井は相手に乗り越えられた瞬間に負けを意味する。
悔しさ故か目尻に薄く涙さえ滲ませる小鳩。憐れむように見下ろす美神。
「プロとして、勝負師として、あなたには足りないものが多すぎるわ小鳩ちゃん。」
「………………………………………………………」
「あと、自分で描いてればもっといけたのだって判るでしょ?結局あなたには――」
無理、そう言いかけた瞬間、高笑いが周囲に木霊する。
その発生源はコバルトユニオン隣の机上。全ての人が見上げる格好になっていた。
そこにも当然売り子も店もあるわけだが、迫力に押されて足を支えたりしている。
「あははははは!面白いこという雌犬もいたもんだねえ!片腹痛いとはこの事さ!」
「だ、誰なのよあんた!」
「あたしかい?あたしの名前は……ヘビ山ヘビ子!泣く子も寝る同人屋さんだよ!」
「聞いたこと無いわよ!」
ヘビ山ヘビ子さんは謎の人である。
胴体には段ボール。その正面にガ●ダムと書かれている。
顔には段ボールで出来た仮面舞踏会風のマスク、そして頭に何故か一本のツノ。
むろん観察すれば誰だかは判りそうなもんではある。
プロのGSという意味で現場勘に欠けると言えなくも無い。
とはいえ彼女もレイヤーである。コスプレに目を奪われた事を責めるのは酷というものだ。
「ミカレイ、これあんたの本だよね?!」
「そ、そうよ!○楽追悼記念笑●メンバーTSものよ! 言っとくけど6万超えたわ!!」
「表紙箔押し全160頁フルカラーで、たった100円だって?そりゃ6万も超えるさ!」
「そ、それってなんか凄いの小鳩ちゃん?なんだかよく知らない単語ばっかなんだけど。」
「……そうですね、評判の行列店の高級チョコレートを100円で売るようなものです。」
「え、えげつねええええええ!だがさすがは美神さん、汚い手を使わせたら宇宙一だな!」
周囲のサークルが一斉にミカレイを見つめる。その視線は軽蔑だ。
無論赤字を出すこと自体は特に問題は無い。問題など欠片も無い。
しかし、然したる目的もなく度が過ぎていれば、本意を探られる。
そしてミカレイは確かに部数勝負と自分で口にしてしまったのだ。
「……これが、こんな結末が、E&Mの看板を背負った貴女の出した結論なんですか?」
「勝負には勝ちと負けしかないの。準備も過程も結果を出して初めて意味が有るのよ。」
「こ、小鳩ちゃん気にするな!この人には善意とか常識とかは元から装備されてねえ!」
「これが!私の原稿を拒絶してでもクォリティにこだわったE&Mの正体なんですか!」
小鳩と美神は仲介者を挟んで、一度まみえている。
片や巨魁同人E&Mのサークル代表として、片や寄稿専門の作者として。
仲介者からの依頼通りの筋立てに依頼以上の精緻さで作品は仕上がった。
だがその原稿は1週間後、約束された報酬を同封し返送されてしまった。
そしてその封筒には90kg紙にマジックで書かれた一文も入っていた。
『愛が足りないぜ』
E&Mはその時初めて新刊を落とし、以後、不定期参加となっていった。
そして男子を虜にし続けたナハト・コバルトの寄稿もまた途絶えたのだ。
「私に『かなわない』と、そう思わせた貴女の実力ならこんな手を使うまでも無かったはず!」
「美神さん相手に説教は意味無いって小鳩ちゃん!俺よりもプライド換金率が高い人だぜ?!」
「……ふふ、そうでも無いみたいだよ横島。ミカレイの奴、思ったより堪えてるみたいだね。」
美神は後ろを振り返っていた。
つづら折りに並ぶ長蛇の列。誰とも知れぬ売り子に無言で金を渡す買い子。
そしてその中の数人に見覚えがあった。常連。心酔するファンたちである。
本来は忌み嫌い近寄らぬ地獄でありながら。嗅覚を襲う悪寒に耐えながら。
好奇心に晒されながら。ミカレイとエミりゅんを追い求めて。
「……自分の居るべき場所にお帰りください。貴女は『こちら側』ではありません。」
「わかったわ、最後に一つだけ教えてくれる?これの仕上げは何日かけたのかしら。」
「横島さんの原稿修整の事でしたら彩色込み360頁で48時間です。それが何か?」
「まだまだね。私の彩色修整だったら24時間720頁は越せるわよ。つまり―――」
小鳩のすぐ脇を抜け、美神は彼女の耳元で一言二言だけ呟くと悠然と歩き去っていった。
広大な館内で周囲に行き交う幾万もの雑踏雑音に負けないほどの高笑いを口にしながら。
そして小鳩は、呆然とその囁かれた言葉を咀嚼していた。
『あたしの隣にいるべき横島クンがいなかった、たったそれだけの話だったのよ。』
小鳩は呆然と横島のほうを見つめ続ける。
横島は意味も判らず、手を振って応えた。
そしてメドーサがコスプレ撮影を終えて戻ってくる。
「そ、そうだ!メドーサ、いつの間にそんな同人誌に詳しくなったんだ?」
「簡単だよ、部屋に本が置いてあったろ?暇なんで読んでおいただけさ。」
事前調査のために買い込んだカタログや評論誌を、流し読みした情報だったという。
だが、横島も小鳩も不在のGSメドヨコを全て仕切る彼女にいかほどの暇があろう。
その意味に気付いた小鳩は笑みを浮かべ、その意味が判らない横島は釣られて笑う。
「……で?あのアバズレビッチは負け認めて土下座して横島の肉奴隷になるって言ったかい?」
「いやー、すげえ惜しい所までいったんだけどさ、ほら小鳩ちゃん天使の様に優しいじゃん?」
「そ、そういうわけじゃ……でも、たぶんですけど、私たちの勝ちです。そんな気がします。」
無邪気にはしゃぐ横島と、少し複雑な表情で微笑む小鳩。
メドーサはそんな二人の首根っこを左右の腕で絡めとる。
そして二人だけに聞こえるようにと、頭を寄せて呟いた。
「こういうのは勝ったって言った方が勝ちなんだとさ。とびっきりの大声出してみな。」
目を丸くして驚き、口を押さえる小鳩ちゃん。
目を薄くして意地悪く口角を上げるメドーサ。
そして。
「勝った!E&Mに瞬く間に勝った!ナハトコバルトは永遠に不滅じゃああああああ!」
「え?……さ、さすがヨコシマンさんです!お見事な勝利でした!完全勝利ですよっ!」
「あはは、その調子だよ!」
目も合わせず即座に実行する横島。
周囲もそれに釣られて、やがて盛大に拍手が巻き起こる。
超が付くほど大手の巨大サークルに勝った島内サークル。
『コバルトユニオン』のこれが最大最後の伝説となった。
「貴女の瞳に、そして我々の仕事の成功に、乾杯。」
ホテルメガロポリタン。池袋駅前0分の立地を誇る有名ホテルである。
その最上階にあるラウンジのカウンターバーに着飾った男女が座する。
美神除霊事務所所長美神令子と村枝商事ナルニア支社長の大樹である。
「私の目に狂いは無かった。美神さん、まさにプロに相応しい仕事でした。」
「あの、ええ、喜んでいただけて嬉しいですわ。結果がすべて、ですから。」
美神令子は、その目を少しだけ濁らせていた。
果たして本当に勝ったのか、と自問しながら。
その姿を一瞥した横島大樹はこう畳みかける。
「貴女は一流のプロだ。一流とは結果を残すことが科せられた義務です。」
「も、もちろんですわ。……でも……」
「忠夫の事ですか?……忘れてしまいなさい。貴女と居た忠夫じゃない。」
絶妙のタイミングで弱った獲物の隙へとにじり寄る、猛禽類のような中年男性。
そしてその獲物の顎に、手をゆっくりと添え、少しだけ上を向かせ視線を奪う。
抵抗は無い。潤んだ瞳が大樹を見つめ返す。そして美神の視界に大樹が広がる。
「さ、美神さん、ここからがやっと大人の時間でs―――ぶげらっ!」
「くううう!その顔見てると横島クンたち思い出してムカムカする!」
「だ、だから忘れろって言ってるじゃn―――――ちぇげばらっ?!」
「うあたたたたたたたたたたたたたたたた!ほあっちゃあああああ!」
横島大樹に美人を殴るという選択肢は無い。抵抗すらしないのだ。
徒手格闘無敗の彼が女性問題で体に傷をつけるその理由でもある。
そして秒間百連発の美神の必殺の突きも、横島大樹は全て受けた。
「あーすっきりした!じゃ、横島クンのお父さん、支払いよろしくー!」
「と、とんだじゃじゃ馬だがそこがいい!任せときなさい!……げふ。」
こうして横島大樹は帰国、美神も貞操の危機を脱するに至った。
貸切のバーラウンジには壊滅的な被害が発生したわけなのだが、
大樹の『船も即決で買える黒光りするカード』で事無きを得た。
そして、その数日後のヨコメド除霊事務所の朝。
「うげえ、な、なんだよこれええええええ!郵便受けが変な色の封筒で溢れてるぞ!」
「――えっと、ヨコシマン様、『ららかるレノボ』で寄稿お願いします、ですって。」
「あー、こっちはもっと凄いね。日本中の印刷屋から料金表が山のようにきてるよ。」
「うわ、メドーサさん、ヘビ子さんの写真送りますって………え?これパンチラ!?」
「だーかーらー!俺は大人で忙しいの!!同人誌で遊んでちゃ生活できねーんだよ!」
横島くんの叫びが池袋の朝に木霊する。
なぜ匿住所が普通の同人作家の郵便受けに荷物が来る様になったのか。
その秘密は、メドーサさんが奥付に実住所を記載したせいでしたとさ。
教訓:個人情報は取り扱いに注意しましょう。
つづく。
という訳でまさかの前後編アップとなりました。
今回は蛇と林檎『BLACKDIABLO』の再構成です。
あれと見比べるとそれぞれの立ち位置の違いが楽しめます。
そしてにじファン版の大壁面突入と違うのが、横島くんを同人屋にしなかった点です。
あの時モヤっとした感じを自分でも受けてたんですけど、その違和感の正体は紙の重さ
ではなく(笑)横島くんがこの回だけ変に活躍していることなんだと気がつきました。
やはり横島くんはお姫様役でないとGS美神っぽくないですからねw
ちなみにGS美神原作ではこの様な同人に関する記載は一切ありません。
つまり美神さんが同人をしていた完全な否定も成立してはいないのです。
屁理屈ではありません。二次創作とは原作の隙間を埋める遊びですから。
原作世界観の主幹を把握して弄らなければ、二次の可能性は無限大です。
さて、次回は小鳩ちゃんのお給料が上がる話です。
乞うご期待w
ではではw
(まじょきち)