晴れ渡る朝空の下。
若々しい会話が繰り広げられている。
「あんた昨日、新宿でデートしてたでしょ!」
「ウソウソっ、優子が……!?」
「今日の除霊実習、実戦形式だって!」
「えーっ、かったるいなー」
「あといくつ寝ると……」
「育江は気が早いのね」
ワイワイ、ガヤガヤ、キャピキャピ……。
女三人よればかしましいとも言われるが、三人どころではない。
今は、ちょうど登校時刻。最寄りのバス停から、あるいは近くの駅から、たくさんの女子生徒が、学園へ向かって歩いていた。
「……平和なもんだな」
塀に寄りかかっていた男が、小さくつぶやく。
黒いトレンチコートに身を包み、帽子を目深にかぶった男。
校門からかなり離れており、また、半ば電柱のかげに隠れていたが、どうやら彼の姿は、この場に似つかわしくなかったらしい。
「……何かしら、あれ?」
「変質者だと思う、たぶん」
「まさか……例の怪人では!?」
「シッ、目が合ったら大変だわ!
無視しましょ、無視……!!」
そんな声も聞こえてくるが、彼は動じない。
「『例の怪人』……か。
一応、噂になってるわけか……」
むしろ、口元に笑みを浮かべていた。
その『怪人』から、この学園の生徒を守ること。それこそが、今の彼の……伊達雪之丞の仕事なのだから。
『乙女心の始まりは……』
伊達雪之丞は、モグリのゴーストスイーパー(GS)である。GS資格試験の合格ラインをクリアしたこともあるのだが、ワケあって資格は剥奪されてしまった。
今は、一つところに居を構えることもなく、仕事を兼ねて、修業の旅を続けている。
無免許の彼のところへ転がり込む依頼は、いわゆる裏の仕事が多い。だが、今回の仕事は、珍しく真っ当なものであった。
「ウチの生徒が襲われちゃって〜〜」
のほほんとした口調で、ギョッとする言葉を口にする依頼人。彼女は有名な女子高の理事なのだから、その意味するところは……。
「あら、やだ〜〜。
そういう意味じゃなくて……」
イヤンアハンお嫁にいけないわ……の類とは違うらしい。純粋に暴力的な意味で『襲われた』のだそうだ。
一ヶ月くらい前から始まり、被害者は全部で六人。さいわい、かすり傷程度であり、跡が残るような者はいない。だが、学校側としては放っておけない。
なにしろ。
「襲われたコは霊能科の生徒ばかりなの〜〜」
この学園は、GSを養成する女子高として有名なのだ。GS試験合格者の三割が、ここの出身だとさえ言われている。もちろん合格者は女性だけではないのだから、それを考慮すると、驚異的な数字である。
そんな名門校の、GSのタマゴたちに、傷を負わせるくらいなのだから。
(ただの通り魔じゃない……。
犯人は……それなりの遣い手ということか?)
雪之丞の興味をそそるには、十分な話であった。
そもそも、趣味や嗜好を抜きにしても、これは、是非とも引き受けるべき仕事なのだ。
(この依頼をしっかりこなせば、
……何かあった時、
口をきいてもらえるかもしれん)
GSエリート校の理事なのだから、依頼人は、GS協会にも影響力を持っていることだろう。
一応、以前に小竜姫――外見はカワイコちゃんだが実は偉い神様――から仕事を受けた際、GS協会のブラックリストから外してもらえるよう、頼んではある。しかし、その後どうなったか聞いていないし、それに、コネやツテが増えるに越したことはないのだ。
(だが……なんで俺なんだ?)
雪之丞は、少し不思議に思った。
これだけの人物ならば、雪之丞のようなモグリに頼まずとも、GSの知人は多いだろうに……?
それを素直に口にした彼に対して、相手は、次のように答えた。
「でも女のコが狙われてる仕事に、
女性GSを雇うのは危険で〜〜。
そうかといって、
男のコをうろつかせるのも……」
信用のおける男性GSということで、雪之丞に白羽の矢が立ったらしい。
「雪之丞さんの噂は、色々と聞いているから〜〜」
個人的な知り合いを介してなのか、あるいは、GS業界で流れている噂か。
どちらにせよ、雪之丞を高く評価してくれているようだ。
確かに、GS資格試験では、その実力を思う存分、GS協会の面々に見せつけていた。また、香港の元始風水盤の事件を伝え聞いた者は、雪之丞のことを『神様が直々に仕事を依頼するような大人物』だと過大評価しているかもしれない。
さすがに、目の前の依頼人は、そんな誤解はしていないだろうが。
(男としても信用されてる……ってことか。
まあ、悪い気はしねーな)
しかし。
実は、この点に関しては、微妙な勘違いが関与していた。
雪之丞は知らない。人々が口にする雪之丞の噂を。
曰く、色気よりもバトル……という戦闘狂。戦ってさえいれば、それだけで、身も心も満たされる。
曰く、極度のマザコン。女性に求めるものは、母親の面影。だから、同年代の女子には見向きもしない。
まあ、噂には尾ひれがつきものだ。実際は、雪之丞だって思春期まっさかりの男のコなわけで。人並み程度には、女のコへの関心もあるわけで。
だが依頼人は、噂を鵜呑みにして、雪之丞ならば大丈夫と判断していたのだった。
___________
(そろそろ……登校時間は終わったな)
雪之丞の仕事は、これ以上の襲撃を防ぐことである。
あくまでも学園の外を見回るだけで、潜入捜査ではない。生徒が中に入ってしまえば、あとは学校の教師に任せてよかった。
下校の時間帯まで、特にやるべきことはないのだ。
雪之丞は、塀から離れて、歩き出した。
(ま、一応、聞き込みはしておくか)
この仕事は、今日で三日目。
昨日も一昨日も、昼間は近所をブラブラし、それとなく事件の噂を収集していた。
犯人を捕まえることまでは求められていないようだが、雪之丞の手で解決できるのであれば、その方が良いだろう。
駅に向かう最短コースからは外れて、女子高生が寄り道しそうな場所を探して、歩き回る。
そして。
(今日は、ここにするか。
どうせ必要経費だ……!
ケチケチすることもねーからな)
一軒の喫茶店が、彼の目に留まった。
___________
赤レンガ造りの、少し古めかしい店構えだ。入り口近くに置かれた案内灯には、『喫茶パイン』と記されている。
ドアをくぐると、カランコロンとベルが鳴った。
カウンターの奥では、店のマスターが、皿か何かを磨いている。昔の刑事ドラマに出てきそうな髪型の、中年の男だ。チラッとこちらを見ただけで、また元の作業に戻ってしまった。
まだランチタイムには早いし、モーニングには遅い。微妙な時間帯なせいか、客は一人もいないようだ。
「ブレンドコーヒーを」
カウンター席に座った雪之丞は、とりあえず一杯注文する。最初は『コーヒーを』と言いそうになったのだが、コーヒーの種類が多そうな店で、それではダメだと思ったのだ。
黙ったまま、サイフォンを操作するマスター。その背中に声をかけた。
「マスター……。
何か食べるもの……できるか?」
この店で食事する客は滅多にいないのだろう。メニューも見当たらない。
雪之丞の言葉に応じて、マスターが手書きのカードをよこした。
書かれているのは、四つだけ。ナポリタン、サンドイッチ、フレンチトースト、ホットケーキ。
(これじゃ……流行らないだろうな)
女子高生が入る店ではなさそうだ。失敗したかな……とも思うが。
「それじゃ……ナポリタンを頼む」
無言で頷くマスターが、目に入った。
___________
「お!
……うまいな」
思わず、口に出してしまった。
高級感はないが、万人受けする味付け。日本人ならば誰もが懐かしさを感じるような、そんなテイストだ。
それに、不思議とコーヒーにも合う。
ふと顔を上げると、いつのまにか、マスターが笑顔を向けていた。
「さすがだな、マスター。
この店……長いのかい?」
「……ああ」
ようやく口を開いたマスター。
だが、それ以上会話は続かない。
雪之丞も、黙って食事を続ける。
元始風水盤事件の際はガツガツしてしまったが、あれは周りのペースに巻き込まれただけだ……と自分では思っている。
一匹狼を自称する彼としては、静かにハードボイルドを気どるのが、しょうに合っているのだ。
「……なあ、マスター」
食べ終わってから。
雪之丞は、再び、話しかけてみた。
「『ブラック・レインコート』って、
……聞いたことないか?」
ピクッと、マスターの眉が動く。
「お客さん……あんた、探偵さんかい?」
___________
ブラック・レインコート。
それが、少女連続襲撃犯に付けられた呼び名であった。
どこの誰なのか正体は知らないけれど、誰もが皆、その怪人物の噂を知っている。
風のように現れて、女生徒にケガを負わせ、風のように去っていく……。
それは、漆黒の雨合羽をまとった怪人。
黒いレインコートで上手く全身を隠しているが故に、被害者が死んだわけでも意識不明なわけでもないのに、その正体は謎のままなのだ。
「……という噂くらいは、聞いてるよ」
思わせぶりな態度ではあったが、マスターは、通り一遍の風評程度しか知らなかった。
「そうか……ジャマしたな」
「いや、いいってことよ。
……解決したら、またおいで。
とっておきの豆を挽くからさ」
話始めてみれば、マスターも気さくな人物であった。
すっかり長居してしまったが、特に収穫はない。
「ああ……またな!」
適当に挨拶して、店を出る雪之丞。
ふと、見上げると。
朝の晴天が嘘のように、どんよりと薄暗い雲が、空の半ばを覆っていた。
(何か……嫌な予感がする……)
そろそろ、下校する者もいるであろう時間だ。
今までの生徒は帰宅の途中に襲われているのだから、この時間こそが、雪之丞の仕事のメインとなる。
通学コースへと急ぎながら、雪之丞は、頭の中で情報を整理した。
(これまでの被害者は……)
GSになるより芸能界デビューした方がいいくらいの、超美人。
金持ちが多い場でも『金持ち』と言われてしまうほど、凄い大富豪の娘。
テストでは満点しかとったことがない、大天才。
いつも明るく元気な、誰からも好かれる人気者。
クラスで一、二を争うほどの霊能力の持ち主。
運動神経だけは誰にも負けない、スポーツ万能娘。
(共通点は……目立つ、ということか?)
おとなしい地味な女のコは、被害者には含まれていない。これは重要なポイントかもしれない。
だが、それよりも気になることは。
(やはり……そこそこの手だれだな)
強い霊力の被害者と、運動神経抜群の被害者。彼女たちも、軽く一蹴されているのだ。相手にとって不足はない……。
雪之丞が、そこまで考えた時。
「キャアーッ!?」
遠くから、悲鳴が聞こえてきた。
___________
「しまった……!!」
雪之丞は、走り始める。
駅とは反対の方角だ。
寄り道していた生徒が、襲われたのだろう。
「……ん!?」
だが、少し進んだだけで――角を曲がったところで――、彼は足を止めた。
行く手を遮るかのように、一人の大男が立ち塞がっているのだ。
先ほどの叫びは、もっと遠くからだったはず。雪之丞は、疑問に思いながらも、問いかける。
「そっちから出てきてくれたなら、
むしろありがたいぜ……!
……今日はカッパじゃないのか?」
バイザーのような、色の薄いサングラスをかけた男。筋肉美が自慢なのであろう、上半身には何も来ていない。半裸で女子高の近所を歩き回るとは、まるっきり変質者だ。
だが。
「……なんのことだ?」
大男の言葉を聞き、雪之丞は、心の中でチッと舌打ちする。
どうやら、ブラック・レインコートとは違うらしい。ならば、こんな奴を相手にしている場合ではない!
「どけっ、ジャマだっ!!」
___________
男へと襲いかかる、雪之丞の霊波砲。
しかし、男は、これを巧みに避ける。巨体に似合わぬ、身軽な動きだ。
「女が相手ならイザ知らず、
キサマの攻撃など……食らってたまるか!」
不敵な笑みを浮かべて、雪之丞を徴発する。
「伊達雪之丞……!
キサマを倒すよう依頼されたのだ。
闇討ちしてもよかったのだが……。
どうせなら、正々堂々と戦う方がよかろう!?」
男の依頼主は、GS試験で雪之丞にやられた若者の家族だった。若者は、雪之丞の二回戦の相手だったそうだ。正攻法を好み、神通棍で戦ったのだが、滅多打ちにあい、再起不能。これは、その復讐らしい。
仕事を引き受けて以来、大男は、雪之丞を――日本にいることが少ない雪之丞を――探しまわり、ようやく見つけたのだった。
大男自身、同じGS試験で二回戦敗退だっただけに、依頼者家族の気持ちに、ついつい共感してしまう。それでも、せっかく強者と戦うのであれば、正面から挑みたかった。
「俺だって……あれから
強くなったのだからな!!」
「そういうの嫌いじゃないぜ……。
だが……急いでるんでな!!」
男の言葉を受け入れたためか、あるいは、本当に急用があるためか。雪之丞が、魔装術を展開した。最初から全力勝負だ。
ならば……!
「120%だ!
もう出し惜しみはせん!
120%の力で勝負してやろう……。
はああーっ!!」
大男も、ゴゴゴゴッと霊力を高める。その余波が、全身から溢れ出す。
もしも普通の人間が相手ならば、霊圧だけで吹き飛ばされるであろう……と男は自負していた。
もちろん、目の前の雪之丞は普通の人間ではない。冷静に、こちらを見ているようだ。
「おまえ……頭ん中も筋肉か?
どうやって100%を越えるんだよ!?」
「……フン!
限界を越えた戦いにこそ……
男の生き様が見えてくるのだ!
それがわからぬようでは……
まだまだ未熟だな、キサマも!」
雪之丞めがけて、大男は走り出した。相手も、同じく、向かってくる。
そして、二人が激突した!
___________
雪之丞としては、別に接近戦に応じる必要はなかった。
大男の動きは意外に機敏なようだが、それでも、どう見てもパワー志向の相手だ。距離をとった方が、戦いを有利に進められるはず。
そう判断できたのだが、ついつい、バトルマニアの血が騒いでしまった。相手の流儀で戦ってこそ……面白い!
(パワー自慢の奴を、パワーでねじ伏せる……。
それが可能なだけの力を、俺は手に入れた!)
攻撃スピードは、相手の方が速かった。
正拳突きであろうか、大男の右手が迫る。
それを左腕ではね除けて、逆に右ストレートを叩き込む!
だが、しかし。
「ふっふっふっ……。
しょせん、この程度か。
……効かんな!」
嘘。思いっきり涙目になっている。
それでも。
「魔装術のパンチを受け止めるとは……。
ただの筋肉ダルマじゃねーってことか!」
体勢を立て直す暇も与えずに。
そのままの姿勢から、雪之丞がくり出したローキック。
大男は、これを向こう脛で受け止めていた。
「き、効かんな……!」
嘘。ボキッという音がした。
「それじゃ、これはどーだ!?」
今度は、渾身のヘッドバットが炸裂。
「きか……」
最後まで言うことは出来ず。
大男は、その場に崩れ落ちた。
___________
(……とんだジャマが入ったぜ!)
再び駆け出した雪之丞。
その耳に飛び込んできたのは、少女たちの争う物音だった。
(あれか……!?)
河原の空き地で、三人の少女たちが戦っている。三人とも、同じ制服を着ていた。
一人は、長い黒髪の少女。まじめそうな眼鏡をかけている。その手のマニアには、ウケがいいかもしれない。
二人目は、クルクルふわふわした感じの髪の少女。それを、大きめのリボンで二カ所でくくっていた。これで顔にソバカスでもあれば、少女漫画の主人公になれるだろう。
そして、最後の一人は……。
(何かに……取り憑かれている!?)
イッちゃった目付きで、口をガーッと大きく開けて、級友を襲う。
どう見ても、正気ではなかった。
「どうしちゃったのよ、風香!?」
「無駄よ、由美子!
今の小西さん……普通じゃないわ!!」
リボンの少女も眼鏡の少女も、防戦するだけで手一杯だ。
一方、攻める側の少女――会話から察するに小西風香という名前らしい――は、折り鶴らしき物に霊力を込めて、それを武器としていた。接近戦ではナイフのように、遠距離攻撃では手裏剣のように、扱っている。
ちょうど今も、それを二人に投げつけようとして……。
「あぶねえーっ!!」
戦闘に乱入する雪之丞。
霊力の塊をぶつけて、折り鶴を弾き飛ばした。
「げえっ、バケモノ!?」
「……怪人エビ男!?」
リボンと眼鏡が、怯えたような視線を向ける。雪之丞の姿を見て、誤解してしまったようだ。
彼は、魔装術を展開させたままだった。素人目には、赤黒いヨロイを着込んでいるように見えるのだろう。トゲ状の小さな突起でカバーされた、エビやザリガニをイメージさせる硬そうなヨロイだ。
どこから見てもスーパーヒーローじゃない。少女漫画の王子様にもなれない。だが、二人の少女の危機一髪をご期待どおりに救ったことだけは、間違いなかった。
「もしかして……味方!?」
「助けてくれるの……!?」
「……離れてろ!
コイツは……俺がやる!!」
二人を下がらせ、あらためて『敵』を睨む雪之丞。
後ろからは、アレも友だちなのよとかヤッちゃダメなのよとか聞こえてくるが。
(言われんでも……わかってるさ!!)
目の前の少女は、ガルルッと唸るだけ。まともにしゃべることも出来ないようだが、雪之丞の力は、本能的に察知しているのだろう。攻撃の手を止めていた。
(こういうのは……苦手なんだがな)
この少女も生徒であるというなら、傷つけるわけにはいかない。
ブラック・レインコートそのものなのか、その手下なのか。何に操られているか不明だが、ともかく、少女の体にはダメージを与えず、中の邪念だけを倒す……。
そのつもりで細く小さくコントロールした霊波を、ピンポイントで照射する!
「これでもくらえっ!!」
___________
「あれ……私……。
今まで、いったい何を……!?」
どうやら成功したらしい。
憑き物が落ちたようなスッキリした表情で、しかし茫然と立ち尽くす少女。
「……小西さん!
正気に戻ったのね!?」
黒髪の少女が駆け寄り、介抱する。
小西と呼ばれた少女も、少しずつ、自分を取り戻しつつあった。
「そういえば、私……。
黒いレインコートの人に襲われて……。
……あれっ、その先の記憶がないっ!?
えっ、えっ、ええっ……!?」
一方、クルふわヘアーの少女は、雪之丞に頭を下げる。
「……ありがとうございました!
でも……まだ、
かおりが……弓さんが……」
それを聞いて、ハッとする雪之丞。
「本命は他にいるってことか……?
じゃあ、ブラック・レインコートも
……そっちにいるんだな!?」
ウンウンと頷きながら、彼方を指さす少女。
それ以上、何も聞かずに。
少女が示した方角へ、雪之丞は、再び走り出した。
___________
鉄橋の下の河原で争っていたのは、二人の人物。
一人は、瞳が特徴的な少女。ひと昔前の少女漫画のキャラクターのように、星が煌めいている。
そして、彼女に襲いかかっているのが、漆黒の雨合羽の怪人。つまり、ブラック・レインコートであった。
「あなた……大村真由ね?
大村さんでしょうっ!?
そんな格好をしていても、
私にはわかるわ……!
霊波が同じですもの……!!」
星の瞳の少女は、ブラック・レインコートの正体を看過したらしい。
さすが、怪人と一対一で渡り合うだけのことはある。
かなり霊力のレベルも高いようで、ギロッと睨んだだけでバチッと霊波の火花が飛んでいる。
さすが、瞳に星が煌めく人は違う。がんばれば星々の砕ける様が見えるかもしれない。
そんな二人のバトルに、雪之丞が飛び込んできた。
「新手……ですの!?」
星の瞳の少女は、戸惑った。すわ三つ巴か……とも思ったが、それも一瞬。
姿カタチは異形なれど、この男は、彼女を後ろ手にかばうような立ち位置だ。この向きでは顔も見えず、どんな表情をしているかわからないが、とりあえず敵ではなさそうだ。
「ブラック・レインコート!
……これ以上、悪さはさせねーぞ!!」
実際、異形の男は、漆黒の雨合羽に対して敵対宣言をしている。
そして。
「……」
ブラック・レインコートが、何も言わぬまま、大きく後ろへ飛びずさる。そのままクルリと反転、戦場を離脱した。
「……チッ!!」
異形の男も後を追う。
少女だけが、その場に残される形となった。
「待ちなさい、あなたたち……」
一応、叫んではみたものの。
二人の姿は、すでに遥か遠くに消えていた。
もはや追っても無駄だ。いや、それどころか。
「……くっ!」
独りで戦った疲れが、ドッと出たのであろう。彼女は、その場に膝をついてしまうのであった。
___________
小さなビルの屋上で対峙する二人。
漆黒の怪人と、伊達雪之丞。
怪人は屋根伝いに跳んで逃げてきたのだが、雪之丞も、ここまで追って来たのだ。
「もう逃げられねーぞ……。
観念しろ、ブラック・レインコート!」
「……」
チラッと後ろを振り向く怪人。
その背中の向こうに、これ以上の建物はなかった。もう逃亡を続けるのは難しそうだ。相手の力量を直感で見抜いたため、直接対決は避けたかったが……討って出るしかない!
だが、怪人の決意は、すでに遅かった。
ビュウゥウーッ……!!
雪之丞の霊波が、怪人を襲う。
薄く鋭くした霊力のカッターだ。怪人のレインコートのあちこちが破れ、中に来ていた服が露呈する。
「やはり……同じ学校の生徒か」
服装だけではない。
フード部分もバッサリ切り落とされたため、その素顔も明らかとなった。
それは、ショートヘアーの少女だった。短いわりにボリューム感があるのは、毛先に段差を付けているからであろう。レイヤーボブと呼ばれる髪型だ。
「ママに……似てない」
「……」
正体を知って、少しゆとりが出来たのか。雪之丞の口から、戦場には似合わぬ言葉が出てきたが、少女は無反応であった。
___________
ちなみに。
雪之丞は、薄皮一枚、うまく雨合羽だけを切り裂いている。制服も乙女の柔肌も、切り刻んではいない。念のため。
「おとなしく降参しろ。
女をいたぶるのは、
気がすすまねーからな……」
降伏勧告を口にする雪之丞だが、アッサリ受け入れてもらえるとは思っていなかった。
何者かが、彼女の意志をコントロールしているからだ。最初はレインコートが悪意の象徴かとも思ったが、そうではない。それは、彼女の心の中に存在している!
(この女も、取り憑かれているわけか)
ただし、先ほど河原で戦った女子生徒とは、少し事情が違う。目の前の少女が本物のブラック・レインコートであることは、間違いない。だが、この少女がブラック・レインコートになってしまったのは……。
「……しまった!?」
どうやら、雪之丞が悠長に考えている間に、先手を取られてしまったようだ。
ブワーッと黒い風が吹き付けてきた。
少女が巻き起こしたものだ。いつのまにか編み棒を手にしており、クルクルと回して、風を生み出している。
「これは……瘴気か……?」
風を浴びた途端、心がざわめく。体の中を駆け抜ける、強烈な負の感情。
おそらく、先ほどの女子生徒――小西風香――は、これを受けて、操られてしまったのだろう。
これまでの被害者や、橋の下で戦っていた少女は、この風の攻撃を食らっていないようだが、何が違うのか?
「……そうか!
彼女たちは、襲撃のメインターゲット。
やっつけたい気持ちはあっても、
わざわざ操ろうとは思わんのだな?」
つまり、この風は、手下を作るためのもの。
だが、雪之丞を『手下』にしようなどとは、笑止千万!
「相手が悪かったな!」
かつて雪之丞は、魔族メドーサの配下だったのだ。
そこから脱却した雪之丞である。今さら、この程度のマイナスエネルギーに飲み込まれる男ではなかった。
「邪念よ、消え失せろっ!」
全身から霊気を放射し、風に抗う。
その力は、逆に少女へと襲いかかり……。
「これで……終わりだっ!!」
「……!!」
___________
「私……私は……」
その場にペタリと座り込み、うつむく少女。彼女の目からは、涙がこぼれ落ちている。
彼女の心を支配していた邪念は消えたが、当時の記憶は鮮明に残っているのだ。
「学校の理事……
六道さんのところへ行くことだな。
あとの始末は、むこうでやってもらえるはずだ」
「……はい」
一介の教師に預けるより、お偉いさんに任せたほうが早い。そう考えて、雪之丞は、彼の依頼人のもとへ向かうよう、少女に勧めた。
雪之丞に促され、共にビルの階段を降りながら、少女は語る。ポツリポツリと。
「……うらやましかったんです。
みんな……美人で、上品で、金持ちで、
頭よくて、霊力もすごくて……」
同じ学園の生徒とは思えない。どうしたら、あんなふうになれるのか。ああ、自分には無理だ……。
胸の中で、そうした気持ちは、悪い方向に育っていく。
「なるほどな。
妬み、そねみ、嫉妬、羨望……。
……そうした感情がふくれあがって、
一種の妖怪になっちまったわけか」
コクンと頷く少女に、雪之丞は、優しい言葉をかけた。
「妖怪ジェラシー……とでも言うべきかもな」
まあ、運も悪かったのだろう。
この少女一人の怨念ではなく、女子高にうごめくドロドロとした感情が、一番大きい気持ちを核として集まってしまったのではないか。
雪之丞は、そう思った。
「これは、ダチから聞いた話だが……」
劣等感というマイナス思念が寄り集まって、コンプレックスという妖怪を生み出すこともあるそうだ……。
そんな事例も述べて、少女を慰める。あまり慰めになっていないが、女性に対する雪之丞の話術など、この程度である。
(悪さをしてしまった後、
そこからどう立ち直るか……。
それが一番大事なんだろうさ)
我が身も振り返りつつ、そう考える雪之丞。
だが、敢えて、それを口には出さなかった。
ただ、一言。
「……がんばれよ」
「はい……」
ちょうど二人は階段を降りきったところだ。
ビルを出て、ふと、空を見上げる。
いつのまにか曇天は終わっており、あざやかな夕焼け空となっていた。
___________
ちなみに……。
ジェラシーから解放された少女は、この後しばらくしてから、クラスに復帰。
明るく元気になった少女は、魅力的な女性となり、校外で彼氏もゲット。
しかしクリスマス間際になっても手編みのセーターが完成せず、クラスメートが浮かれる教室で、一人で編み物に没頭することになるのだ。
ドヨヨヨ〜ンとした空気を発して、ブツブツと何かつぶやきながら、チャカチャカと編み棒を操る少女。一種のノイローゼ状態であり、今度は妖怪ノイローゼを生み出すのだが……。
それは、また別のお話である。
___________
一方。
雪之丞とブラック・レインコートの決着がついた頃、弓かおりは、夕暮れの河原にたたずんでいた。
「かおりーっ!!」
自分を呼ぶ声がする。そちらに顔を向けると、友人の由美子が、走ってきていた。
「……大丈夫だった?」
「ええ、もちろんですわ」
由美子の問いかけに、平然と答える。
半分は強がりだが、半分は本音である。なにしろ、切り札は出していなかったのだから。
弓式除霊術奥義、水晶観音。宝珠を強化服に変化させてパワーを増幅する技だ。
だが、それを披露するほどの相手ではないと思ったのだ。ピンチになれば使ったかもしれないが、その前に救援が来たのだった。
「あ……。
かおりも彼に助けられたの!?」
由美子も、あの異形の男に救われたのだ。
突然現れて、風香をサッと正気に戻した男。
その風香の介抱は相方に任せて、由美子は、弓の様子を見にきたのだった。
「カッコは不気味だったけど、
ちょっとイイ感じだったわね……」
男のことを語る由美子の目は、王子様に憧れる少女のように、キラキラと輝いていた。
弓は、少し顔をしかめる。
「あら……あんなの、
たいしたことありませんわ。
やっぱり、私たちのあこがれは、
……美神令子おねーさまだけ!!」
別に、彼女は男嫌いなわけではない。
男嫌いで有名な女神アルテミスは、月と狩猟の女神ということで時々弓を手にするが、だからといって『弓』を名前に冠した家系が男嫌いになるわけではないのだ。
実は、由美子同様、弓も心の中では、
(たしかに……王子様だったのかも……)
と思っている。少しだけだが。
意識していればこそ、比べるかのように『美神令子』の名前を口にしてしまったのだ。
だが、そうした乙女心は、まだまだ小さなものだった。今回の『王子様』への気持ちは、数日もしないうちに忘れてしまう程度。淡い淡い乙女心だった……。
___________
その夜。
事件の報告を終わらせて、雪之丞は、依頼人の屋敷をあとにする。
(さて、次は……どうしようか)
元々あまり先の計画は立てていない上に、今回の事件は、予定よりも早く終わったのだ。これから何処へ行くというアテもなかった。
(ふところも、また寂しくなった……)
今回の依頼料は、現金払いではなく、銀行振込ということになっている。
今日明日の金には不自由しそうだが、貧乏には慣れているから、困りはしない。
それよりも。
(修業の成果は……それなり、か)
今日一日のバトルを振り返る。
大男と、操られた少女と、雨合羽の怪人と。
三連戦だった。
自分の力が着実についてきたことを実感できたし、同時に、このままでは限界が近いとも感じる。
(そろそろ、妙神山へ行くべきだな……)
そうだ、そうしよう。
(それならば、ついでに……)
今晩の宿と夕飯を思い浮かべて。
雪之丞の足は、友人のアパートの方角へと向かっていた。
___________
___________
それから、しばらく経って……。
___________
___________
クリスマス合コンに参加したと思ったら、いつのまにか雪ダルマの大群と戦っていた。
何を言っているのかわからない話だが、頭がどうにかなることはなかった。さいわい、一人ではなかったからだ。
「こっちはまかせろ!!
後ろは頼んだからなっ!!」
「フン……!!
安心なさって、
私はヘマなんかしないから!」
伊達雪之丞は魔装術を、弓かおりは水晶観音を、それぞれ展開させて共闘する。
(かわいくねー女だが……)
雪之丞は、かつて助けた少女が弓であると、気づいていなかった。あの時、意識のほとんどは敵に向けられており、弓のことはチラッと見ただけだったからだ。
そもそも、今日の女の子たちの学校が、あの時の女子高だ……ということもわかっていない。おキヌから学校名を聞いていたはずだが、それが、頭の中であの学園とつながらなかった。おキヌがGSのエリート校に通うというイメージが、なかったのである。
(背中が頼りになるってのは……)
一方、弓も気が付いていなかった。現在背中を預けている男こそ、あの時の『王子様』なのに……!
だが、それも無理はないだろう。合コンでは最初、他の男性が気になっていたし、雪之丞の魔装術にしたところで、以前とは全く違うからだ。
弓の『王子様』の魔装術は、もっとトゲトゲしい、モンスターのような形状だった。しかし妙神山での修業を経て、スマートに洗練され、むしろ正統派ヒーローのイメージに変わっていた。
(悪くない気分ね……!)
そんな二人ではあったが、心の奥のアンテナは、お互いに正しく感知していたのかもしれない。
なにしろ……。
この後、二人は、恋人として付き合い始めるのだから。
『乙女心の始まりは……』 完
さて、私は最後の部分を先に書いてしまうことが多いのですが、この作品も、そうでした。ラストシーン(大きく時間が経過した後の場面)だけは前々作『乙女の眠る氷室にて』を投稿した時点で書き上がっており、しかし、それ以外は構想すら固まらないという極端な状態でした。
そもそも、原作の妙神山修業編を読み返すうちに「この直前の時期の雪之丞の仕事を書いてみたい」という気になって、考え始めたSSです。「せっかくだからサバイバル合コンと繋げよう」とは思ったものの、肝心の出会い(すれ違い)となる事件が、なかなか思いつかない……。香港がらみや白龍会がらみなどは、既に多くのSS作家の方々が通った道でしょうし。
有名なのに読んだことないSSに似てしまうのは、恐い。でも、読んだこと自体を忘れてしまっている(印象的なシーンのみが無意識で印象に残っている)SSに似てしまうのは、もっともっと恐い。さて、どうしようかな……と考えているうちに頭に浮かんできたのは、こんな物語でした。
いかがだったでしょうか。では、今後もよろしくお願いします。 (あらすじキミヒコ)