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『最後の時間移動』他(「GS美神」短編集)

吾妻公彦は静かに暮らしたい


投稿者名:あらすじキミヒコ
投稿日時:10/12/22

   
 夕暮れ時ともなれば、大学のキャンパスを歩く人々もまばらになる。学生運動がさかんだった10年前とは、状況が大きく異なるのだ。
 若い学生は、バイトやサークルなどに明け暮れている時間帯だろう。まだ校舎に残っているのは、卒業研究に従事している最終学年か、あるいは、夜遅くまで研究室に居て当たり前の大学院生くらいかもしれない。
 そんな中、一人の青年が、校舎へ向かってトボトボと歩いていた。休学中の大学院生なのだが、研究室の教授に呼び出されたのだ。

「何あれ……ちょっとヤな感じ?」
「どんよりとして……まるで妖怪ね」

 すれ違った女子学生たちが、そんな言葉を交わす。これが、他人から見た、青年の印象であった。
 彼は、多少くたびれてはいるが安物ではないスーツを着こなし、また、ワイシャツの第一ボタンは緩めているが、一応、ネクタイも締めている。
 それでも……どこか独特の雰囲気を漂わせていたのだ。顔だって醜いわけではないのだが、不気味な面構えをしていると言われることも多かった。
 
「シーッ!
 ……聞こえるわよ!?」

 もう一人の学生が、友人たちに注意する。
 遠ざかっていく彼女たちは、ボリュームを落としたが、まだ話題を変えていないらしい。もう離れたから聞こえないだろうとタカをくくっているようだが。

(僕には……すべて聞こえている……)

 口に出した声ではなく、心の声が。
 彼のところに、しっかりと届いてしまうのだ。
 なぜなら、彼――吾妻公彦――は、精神感応者(テレパス)なのだから。





       『吾妻公彦は静かに暮らしたい』



 吾妻公彦には、他人の頭の中が見えてしまう。それは物理的な距離とも相関しており、近づけば近づくほど、鮮明になる。
 だから彼は、自分の屋敷に籠って、他人を近寄らせないようにしている。外出するのは、今日のようにやむを得ない場合だけだった。
 もちろん、彼を知る者たちも、彼に近寄ろうとはしない。先ほどの少女たちは、何も知らないからこそ、そばを通ってしまったのだ。

(人の心が全部読めるなんて……地獄だ)

 あの少女たちは、彼を馬鹿にしていた。だが、その言葉自体は、今さら彼の心に響かない。
 それよりも。
 見知らぬ他人を蔑すむことで、優越感を得ようとする気持ち。そんな心の醜さを見せつけられる方が、彼には苦痛だった。
 しかも。

(ああやって……微笑ましく
 語り合っている間も、心の中では……!)

 仲の良さそうな少女たちだったが、そこに友情は存在していない。互いを思いやる気持ちもなく、ただ自分だけを大切している若者たち。
 友人たちを咎めていた少女も、その性格を丸裸にしてみれば、いい子ぶるだけの偽善者であった。

(人間とは……
 なんて、あさましい生き物なのだろうか。
 ほかの動物の方が……ある意味、まともだ)

 今さらのように、あらためて、そう思いながら。
 彼は、校舎の裏口のドアを開けた。


___________


 吾妻公彦のテレパシーは、生まれついての能力ではない。
 事故にあって昏睡状態に陥り、そこから回復した際に、突然、身に付いた力だった。
 昏睡状態から目覚めるという奇跡と、テレパシー能力に目覚めるという奇跡。
 公彦は、神に感謝し、同時に、神を呪った。
 それ以来、流れ込んでくる思念の渦に悩まされる日々が続いている。耳を塞ごうが目を閉じようが、決して止められないのだ……。

 ギギーッ……。

 今、建物に入った彼は、厚めの鉄の扉を、しっかりと閉めた。
 外の騒音が聞こえなくなり、外の人々の心の声も、少し弱くなった。
 だが、建物の中には、それなりの人数が残っているようで、様々な思考が彼の頭の中をかき回す。

(この程度ならば、まだ耐えられる……)

 彼の目的地は、三階にある大講義室だ。正面の階段から行くのが最短ルートなのだが。

(たしか、むこうの階段を使う生徒は、
 ほとんどいなかったはず……)

 建物の南端まで進み、非常口近くの小階段を上がっていく。
 使用頻度が低いせいだろうか。ここは、照明器具も少ない。昼間ならば、窓から日光が差し込むのだろうが、今の時間帯では、薄暗いだけだった。
 ある意味、オバケでも出そうな雰囲気だ。
 いや、実際に。

『苦シイ……タスケテ!』
『パパ……ママ……ココドコ……?』
『俺ノ話ヲ……聞イテクレ……!!』
『アイツノセイデ……私ハ……』

 彼の周囲を、幽霊たちが飛び回っている。
 ただし、これらは、公彦が引き連れてきたものだった。幽霊たちは、彼の能力に惹かれて、集まってくるのだ。
 素直に成仏しないくらいだから、皆、恨みつらみが尋常ではないのだろう。それを誰かに理解してもらいたいらしい。その『誰か』として、テレパスは、うってつけの存在なのだ。

(話だったら……聞いてやる……!
 だから……)

 そもそも幽霊とは、誰にでも認識してもらえるものではない。年期の入った幽霊は例外だが、普通は、霊力の乏しい人間の目には映らないし、声も聞こえないのだ。
 だが、ハッキリと目視はされずとも、禍々しい雰囲気だけは、何となく伝わる場合がある。例えば、先ほどすれ違った少女たちが公彦に感じた不気味さも、周囲の霊団に由来するものなのだろう。彼は、そう理解していた。

(頼むから……おとなしくしててくれよ)

 現在の公彦には、霊の声が聞こえるだけでなく、その姿も見えている。テレパスとなった時に、霊力もアップしたからだ。
 だが、それは霊体の一部が局所的に肥大化しただけであり、その霊力で自ら悪霊と戦うような芸当は無理であった。
 今、周りを飛び回る霊たちに襲われたら、なす術がない。それに、大学の中には、他にも人間がいるのだ。こんなところで暴れられたら、それこそ大惨事になってしまう。

(だから……本当は、来たくなかったんだがな)

 そうこうしているうちに、目的の部屋に辿り着いた。
 真っ暗な、無人の教室。
 とりあえず灯りのスイッチを入れ、彼は、一番後ろの席に座る。


___________


 吾妻公彦に遅れること、半時間。
 彼を呼び出した教授が、大講義室へと入ってきた。

「おお、吾妻くん。
 ……待たせたようで、すまんな」

 そう言いながら、教壇へと向かう。公彦が挨拶を返してきたが、教授はロクに聞いていなかった。

(ここまで離れれば……大丈夫だろう)

 彼は、公彦がテレパスであることを知っている。その力を――時々ではあるが――彼らの研究にも活かしているくらいだ。
 近寄れば心を読まれてしまうと思うからこそ、こうしてわざわざ広い部屋を――ラクに200人は収容できる規模の教室を――用意し、その端と端とに陣取っているのだった。
 学生と指導教官との、一対一のディスカッション。普通ならば、教授室で行うべきことだろうが、異様な人物と相対するには、異常な準備が必要となるのだ。

(ちゃんと、わかっているようだな。
 途中で近づかんでもいいように……)

 教壇の上には、公彦が持参してきたレポートが置かれていた。前回の話し合い以降、公彦がコツコツと研究してきた成果だ。それが、堅実なデータと柔軟な考察に基づいて、記されている。

「では……始めようか」
「……はい。
 今回は、まず、蟻の集団を……」

 教授は、公彦に話を促し、その報告に耳を傾けた。


___________


 吾妻公彦の所属する研究室は、動物行動学を専門としている。特に、昆虫を対象とした研究がメインであり、公彦に与えられた研究テーマも、それであった。
 事故にあって以来、まっとうな社会生活を送ることは難しくなり、大学院も休学した公彦。だが、教授の好意で、研究だけは続けさせてもらっていた。

 彼しか使わないであろう機材や昆虫を自宅へ持ち帰り、そこで研究するよう、許可を与えられていたのだ。
 もちろん、大学に来なければ出来ない作業もあったが、その場合は、深夜の無人の研究室に来て、そこで行う。彼らのところはそうでもないが、分野によっては24時間稼働しているラボもあるわけで、夜中の大学へ実験しに来る者がいても不自然ではなかった。

 なお、教授とのディスカッションは、主に、電話で済ませるしかなかった。
 これが21世紀であるならば、学生と忙しい指導教官とが電子メールで実験データのやりとりをするのも一般的な話なのだろうが、まだまだ当時は、インターネットなどなかった時代である。時には、詳細なデータを見ながら話し合うために、顔を合わせる必要があった。
 だから、今日のような場が設けられるのであった。


___________


 吾妻公彦の報告が、最後まで進んだようだ。

「……というわけです。
 一応、レポートに記したように、
 それが現時点での僕の結論となります」

 教授は、少し考え込むかのような表情を見せた後で、満足げに笑ってみせる。

「すごいな吾妻くん、これで
 我々の仮説は正しいと確信できたよ。
 他の学生にも、見習ってほしいものだ……」

 しかし、心の中では、顔をしかめていた。

(このデータ……信用できるものなのか?)

 公彦は、彼のテレパシー能力を研究に使い過ぎている。そこを教授は心配していた。
 まあ、テレパシーで生物の心を読むだけならばいい。だが、もしも、もう一歩踏み込んで相手を操ってしまった場合には、データの価値は皆無となる。
 対象となる動物が、本当に動物自身の意図で行動しているのか、あるいは、こちらの思惑に合わせて動いてしまったのか。それ次第で、公彦のレポートは、紙クズ同然となるのだ。

(そもそも、これじゃ……公表できん。
 あいかわらず、使えないデータばかりを
 持ってくる奴だな、まったく……)

 そう、かりにデータが全て正しいとしても、それでも。
 動物の行動の意図を、テレパシーで読み取りました……。そんな胡散臭い話、論文に書けるわけがないのだ。
 学術集会における口答発表ならば、記録に残らないため正式な報告とは認められない――誤ったデータが発表されることすら有り得る――のだが、そうした場でさえも、こんな話をしたら失笑されてしまうだろう。

(……とはいえ、無駄にする気はないがな)

 そう、公表できないデータであっても、それが正しいのであれば。
 研究の方向性を見定める上では、役に立つのだ。一種の予備実験である。
 そもそも、どうせ公彦は社会に出られる人間ではない。だから、彼を学者として育て上げる必要はないのだ。
 公彦の実験結果を参考にして、研究プランを組み直し、他の大学院生にやらせればいい。そうすれば、彼らの手柄になるし、彼らの出世に役立つだろう。

(まあ、せいぜい利用させてもらうさ……)

 心の中では、完全に悪人づらの教授であった。


___________


 吾妻公彦には、教授の内心など全てお見通しだ。
 これだけ距離をおけば大丈夫というのは、教授の素人考えに過ぎなかった。

(それでも……僕は、やっていない!)

 教授の疑念に対して、内心で反論する。
 確かに、教授の思うように、テレパシーで他者の行動を制御することは可能だ。脳に直接、強力な暗示をぶちこめばよいのである。
 だが、そんなことをするわけがない。それでは、実験自体がダメになってしまうではないか!

(それだけ、僕という人間を
 信用していないわけだな……)

 そもそも。
 テレパシーとは無関係に、普通の実験においても、データの改ざんや捏造は容易である。誰にでも可能であるが、しかし、それをしないのが研究者の良心だ。そうした良心を皆が持っているという前提で、学者の世界は成り立っているのだ。
 では、なぜ教授は、公彦にだけ疑いの目を向けてしまうのか。

(まあ……わからんでもないが)

 根底にあるのは、わけのわからないものに対する不信感なのだろう。
 特に、科学者は、それが人一倍強い。
 『わからない』が嫌だからこそ、わかろうとする。多くの謎を、自分自身の手で解き明かそうとする。
 他人の論文に関しても、その内容を鵜呑みにせず、その結論が正しいのかどうか、自分で判断しようとする。他人の実験結果であっても、手法や原理さえキチンと理解していれば、判断できるのだ。
 そうした人種にとって、テレパシーという『わけのわからないもの』を駆使する公彦は、なんとも胡散臭い存在なのだろう。

(……そんな僕を、教授は利用している)

 一方、『利用している』ことに関しても、公彦には、その背景が理解できてしまうのだった。
 公彦のデータは公表せず、他の学生の研究に活かす……。
 それは、一見、手柄をかすめ取ろうとしているようにも思える。だが、そうではない。公彦の成果をそのまま他の学生の成果として発表するわけではないからだ。別の学生には、ちゃんと追試実験などを行わせる。あくまでも、公彦のデータは『予備実験』として使うのだ。
 だいたい、一つの研究をまとめあげる上で、たくさんの未発表データがあるのは、どこの分野でも当たり前の話である。だから、公彦のデータを秘匿しても教授に罪悪感はないし、教授としては、筋が通った行動をとっているつもりだった。

(だが……。
 これでは学者としては、生きていけない。
 ……死んだも同然だ)

 例えば、論文発表において、そこにデータとして載せられてはいないが重要な予備実験があった場合、そうした実験を行った者を共同研究者として記名するかどうか。その辺りは、責任著者――この場合は教授――の胸三寸である。
 残念なことに、教授は公彦の名前を加えないだろうと、彼にはわかっていた。だから、いくら公彦が成果をあげても、彼の名は、世には出ないのだ。
 しかし、この点に関しても、教授には教授なりの理屈があった。

(僕は……教授に便宜をはかってもらって、
 そのおかげで、研究の続きができている……)

 研究バカな教授にしてみれば、学者としての立身出世など、それほど大きなポイントではない。学者としての知的好奇心を満足させられるかどうか、それが一番大事なのだ。
 その意味で、教授は、公彦を厚遇しているつもりだった。人並みの社会生活も送れぬ公彦に研究を続けさせ、結果を出させる。研究バカから見れば、これだけで十分な御褒美なのだ。

(なまじ、それがわかってしまうからこそ……)


___________


 吾妻公彦は、他人を憎悪しない。
 テレパスとなってから、もう誰も憎めなくなったのだ。

 基本的に、人は、他人を完全には理解できない。だからこそ、他人と衝突する。
 しかし、強力なテレパシー能力を持つ公彦は、他人の心を全て読み取れてしまう。全て理解できてしまう。

 普通、人は、不当な仕打ちを受ければ、納得いかんと憤るわけだが……。たとえ他人の目には理不尽に見える行為であっても、行為者である本人には、その人なりの理屈があるのだ。

 極論するならば、例えば猟奇的な殺人鬼にだって、その殺人鬼にしかわからない『理屈』があるのだろう。他人にはわからないような境遇や生い立ちが背景となって、特異な行動をとるようになるのだろう。

 そうした個々人の『理屈』が見えてしまえば、怒るに怒れない。哀れむことはあっても、そこが限界だった。
 公彦には共感できない『理屈』であっても、理解してしまえば、受け入れるしかなかった。しょせん彼も学者気質であり、『情』より『理』で動いてしまう側面が強かったのだ。

 ただし、これは、公彦が悟りの境地に至った……という意味ではない。
 だから。

「……どうもありがとうございました。
 では、次回もよろしくお願いします」

 今、そう言いながら席を立つ彼の内心は、穏やかではなかった。
 心の内に積もり積もって、どんどん重くなっていく……。


___________


 吾妻公彦は、大学を出た後、自宅への道を足早に歩いていた。
 この辺りは駅から遠くないのだが、歓楽街というよりも、むしろ住宅街。すっかり暗くなっており、仕事帰りのサラリーマンの姿も見られなかった。
 しかし、外を歩く人々はおらずとも、その分、それぞれの家の中は賑やかなのだろう。壁や窓を通して、様々な家庭の思念が、公彦のところへ飛んでくる。
 いや、人々の想いだけではなかった。

『死体ガ……埋メラレテ……』
『聞イテクレヨ……俺ノ話…………』
『死ニタクナカッタ……』
『パパ……ママ……イカナイデ……』

 生者に忘れられた哀しき霊たちが、波間さすらう難破船のように、声を上げ飛び交う。
 それが公彦を煩わせるのだが、止めることは出来なかった。

(いや……むしろ、ここまで
 よく我慢してくれたと言うべきか)

 鬱陶しく思いながらも、少しばかり感謝する公彦。
 今はうるさい彼らだが、学校では、比較的おとなしくしていてくれたからだ。
 公彦だって、さすがに教授との個人面談中は、そちらに意識を向けていたのだ。霊たちも、自分たちの叫びに耳を傾けてくれないとわかって、口数を抑えていたらしい。

(……その分、今、ちゃんと聞いてやろう)

 公彦の意志が伝わったのか、幽霊たちは、いっそう騒がしくなった。
 このようにコミュニケーションがとれるのであれば、まるで愛玩動物のようでもあるが、そんな可愛らしいものではない。しょせん、彼らは、悪霊だった。中には、荒くれ者もいる。

『オイ……チャント聞イテイルノカ?』
『ナメトンノカ、ワレ……!?』

 新参者が――帰り道で霊団に加入した者が――暴力に訴え始めたようだ。

(痛っ!?)

 自分の腕に目を落とす。霊に体当たりされた部分が、やけどのような傷になっていた。
 公彦の周りに集まる霊たちは、普通は、救いを求めてきた連中だ。凶暴性は低いと思って、油断していたのかもしれない。

(……チッ!!)

 公彦は、走り出した。彼には、身を守る術もないのだ。

『駄目ダヨ……ヤメヨウヨ……』
『殺シチャッタラ……話、聞イテモラエナイ』

 おとなしい霊たちが、抗おうとしている。
 霊団が仲間割れしている今のうちに、逃げるしかなかった。


___________


 吾妻公彦は、人生に悲観している。死んでしまいたいという気持ちが、心の奥底で、たゆたっている。
 だが。

(冗談じゃないっ……!!)

 同時に、死んではいけないという気持ちにも、駆られてしまう。
 なにしろ、毎日毎日幽霊たちの話を聞かされているのだ。死ぬことの苦しみや辛さは、誰よりもよく知っているつもりだった。
 それに、公彦自身が、九死に一生を得た人間なのだ。命の尊さは誰よりもよく知っていたし、生存本能の強さも、身をもって感じていた。

(……こんなところで死ねるものか!
 せめて……もっと意味のある死を!!)

 だから、今。
 彼は、息を切らしながら、全力で逃走していた。
 凶暴な霊を引き寄せてしまったことは、これが初めてではない。だが、何とか生き延びてきたのだ。今回だって……。

『オイ……逃ゲルナヨ……』

 後ろを見ずとも、感じられる。どうやら、かなり迫ってきたらしい。

(くそう……ッ!
 僕が……何をしたというのだ!?)

 こういう時、公彦は、神を呪う。
 テレパスである彼にも、神の御心は、理解できないからだ。
 だから、天に対しては、呪詛の言葉を吐けてしまうのだ。
 そして、神を信じぬ者の末路は……。

『サア……追イツイタゾ……』

 怨念の手が、公彦の肩に届く。
 その時。

 キィィイィィン……!!

 一条の光が飛来し、悪霊たちをなぎはらった。
 同時に、言葉も投げかけられた。

「こんな霊団を引き連れたまま、
 外を出歩くとは……。
 ……ずいぶんと無茶をする人間だな、君は!」


___________


 吾妻公彦は、声の主へと視線を向ける。
 電柱の陰から、ヌッと現れた人物。それは、半袖の黒服を着た男だった。街灯に照らされて、胸元の十字架がキラッと輝いている。
 視界を半分遮りそうな長めの前髪に、二枚目然とした端整な顔立ち。年齢は公彦と同じくらいだが、女性に与える印象は、さぞや異なることであろう。

『……邪魔ヲ……スルナ!!』

 生き残った悪霊が、攻撃の矛先を男へと向けた。
 先ほどの男の一撃で、か弱い霊たちは一掃されたのだが、肝心の奴は、残ってしまったらしい。
 だが。

「主と精霊の御名において命ずる!
 なんじ汚れたる悪霊よ……
 キリストのちまたから立ち去れッ!!」
『ギャ……ァアアッ……!!』

 男の反撃にあい、今度こそ、消滅する。
 そうした光景を目の当たりにして、公彦の口が開いた。

「あ……あなたは……」
「ゴーストスイーパー唐巣だ!
 ……GS協会から話を聞いて、
 君の家を訪ねるところだった」

 身分証を見せながら、男は公彦に答える。
 公彦としては、別に質問したわけではなかったし、そもそも、言われずともわかっていることだった。なにしろ、公彦はテレパスなのだから。
 ただ、彼は、驚いていたのだ。

(この人は……僕を助けようと……。
 僕に……救いの手を……!)

 霊に脅かされる公彦は、これまで何度も、ゴーストスイーパーを雇おうとしてきた。だが、誰も依頼を引き受けてくれなかった。公彦の能力を恐れて、皆、近づくことすら躊躇したからだ。
 一応、GS協会に話は預けておいたが、公彦は、誰か来てくれるなんて期待していなかった。それなのに……!

「色々と詳しく聞きたいところだが、
 まずは……さあ、帰ろう!」

 そう言って。
 男は、公彦に、手を差し伸べた。


___________
___________


 そして……。


___________
___________


 鉄仮面に顔を隠して十と七年……いや、それどころか、もう二十年以上だ。
 念のためにそれを被ったまま、公彦は、今日もフィールドワークに明け暮れていた。
 ここは、彼が住居としている南米の奥地ではない。素人が見れば同じジャングルなのだが、生態系は、全く違う。ここでしか観察できない動物を調べる必要があり、わざわざ一人で、やってきたのだ。

(……ん?)

 ひらけた草地に出た彼は、違和感を覚えた。
 澄み渡る晴天の下、本来ならば、鳥や小動物が穏やかに暮らす場所なのだが。
 彼らは今、怯えあがり、逃げまわっているのだ。

(元凶は……あれか!)

 騒動の源が、ちょうど、こちらへ向かってくる。

「ガルルッ……!!」

 それは、大きな虎だった。いや、正確には、大きな虎として見えていた。
 公彦の目にもそのように映っているが、そう見えているだけであることを、彼は理解していた。

(君も……精神感応者なのか……!)

 虎の姿に見えるが、実は、ただの大男だ。
 これは、彼の能力――幻覚を見せる能力――が暴走しているだけなのだ。心の暴走が、能力の暴走を引き起こしているだけなのだ。
 それは、仮面をしていても流れ込んでくるほどの、強い感情だった。

(女性を恐れる気持ちと、
 女性を好む気持ち……。
 まあ、男なら誰しも
 持っているものではあるが……)

 ここまで強力なのは、珍しい。
 なまじ性格が真面目なのが、災いしているようだ。ふだん理性で抑制している分、一度タガが外れると、止まらなくなるのだろう。

(これは……)

 一つ決意して、公彦は、鉄仮面を外す。そして、テレパシーを飛ばした。

(鎮まれ、鎮まれええっ……!!)


___________


 大男が自分を取り戻すまで、かなりの時間を要した。
 公彦のテレパシーのおかげなのか、時が解決してくれたのか、判別できないくらいだ。

「あんた……何者ジャー……!?」

 膝をついたまま、驚きの表情を見せる大男。
 彼に対して、公彦は、やわらかく微笑みかける。

「君と同じ……精神感応者だよ。
 私も、かつて苦しんでいたんだ。
 だが……ある人物に助けられた……」

 そう、あの出会いがなければ。
 今の公彦は、なかったであろう。

「誰が……誰が助けてくれたんですケエ?」
「ゴーストスイーパーだ」
「ゴースト……スイーパー……?」

 大男は、その言葉を繰り返した。まるで、自分の胸に刻み込むかのように。

「ああ、そうだ」

 優しい目付きで、公彦は頷く。
 公彦の力を抑制する鉄仮面、これは、一人のゴーストスイーパーが用意してくれたものだ。
 大学に戻れるようになったのも、仮面のおかげだった。休学中の身でコソコソと通うのではなく、正式に復学したのだ。
 そして、誰にも文句を言わせないだけの研究成果を上げて、公彦は、今では教授という立場になっている。この20年の間に科学は大きく進歩した――特にバイオテクノロジーの発展は目覚ましかった――が、公彦は公彦独自の手法を貫いて、ここまできたのだった。

(……それだけじゃない。
 彼のおかげで、妻とも出会えたのだ……)

 公彦は、大男から視線を外し、青空を見上げた。

(あの頃……まだまだ私は青かったな)

 ふと、当時を思い出す。
 若い頃、公彦の視野は狭く、考えも浅かった。人の心を読んで色々と知ることはあっても、それは『知』であって『智』ではなかったのだ。
 そんな公彦を大きく変えたのは、一人の女性だった。自分も命に関わる大問題を抱えているのに、絶対に屈しようとはせず、他人を助けようとさえしていた女性。
 彼女と関わることで、物の見方が変わり、心も軽くなったのだ。
 その後、彼女は公彦の妻となり、ちょうど世間から隠れる事情もあったため、ジャングルの奥地で二人で仲睦まじく暮らしている。今も、公彦の帰りを、温かく待っていることだろう。

(だから……)

 公彦は、回想をやめて、大男へと視線を戻した。
 目の前の大男も、一流のゴーストスイーパーの助けを借りられれば、色々と変わるはずだ。もしかすると、その能力を封印することさえ可能なのかもしれない。

「君にも、きっと……
 私と彼のような出会いが訪れるよ。
 希望を持って生きなさい」

 と、励ましの言葉を与える。
 そして。

(こんなセリフ、私のガラじゃないな。
 これでは、まるで……)

 かの友人を思い出しながら。
 公彦は、つけ加えるのだった。

「……大丈夫、信じなさい。
 神は……ちゃんと見ておられるのだから!」




       『吾妻公彦は静かに暮らしたい』 完
   
 
   


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