椎名作品二次創作小説投稿広場


『最後の時間移動』他(「GS美神」短編集)

山の彼方の空遠く幽霊住むと人のいう


投稿者名:あらすじキミヒコ
投稿日時:10/11/26

   
 彼女は幽霊である。名前はまだ無い。
 とはいうものの、幽霊としての正式な名前――死者におくられる戒名――が『無い』だけであり、ちゃんと生前は名前があった。
 普通の人間だった頃……彼女は、おキヌと呼ばれていた。





       『山の彼方の空遠く幽霊住むと人のいう』



 どこでどう死んだのか、彼女自身にも、とんと見当がつかぬ。なんでも、山の噴火を鎮める儀式で人柱になったらしい……ということだけは記憶しているが、どうも曖昧である。
 それもそのはず。実は、単純な『山の噴火』ではないのである。普通の『人柱』ではないのである。『儀式』自体も、途中で邪魔が入って大変だったのである。
 わかりやすく漫画で説明しても三十ページ近く費やすほど、ややこしい話なのだが……。当の彼女は、ケロッと忘れていた。
 ただただ単純に、

『私のような霊は、
 普通は地方の神様になるはずなのに。
 才能なくて、成仏できないし、
 神様にもなれないし……』

 と思い込んでいたのである。
 そして、彼女自身の認識が微妙に間違っているとしても、おキヌが山から離れられないことだけは確実であった。


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 緑広がる草原の中、ポツンと佇む小さな湖。
 そのほとりに腰を下ろし、おキヌは、ボウッと湖面を眺めていた。
 山に括られた霊ではあるが、一点に縛りつけられているわけではない。人間が暮らす辺りまで降りて行くことも可能であった。だが、いたずらに生者を驚かすことは、おキヌの本意ではない。
 そんなわけで、こうして大自然を満喫するのが、彼女の日常であった。

『あれは……確か……』

 左手に見える堤防の近くには、秋に花を咲かせる野草が生えている。どうやら、気の早いものも居るようだ。まだ夏も終わらないのに、青紫色の可憐な花が、既にチラホラと開き始めていた。

『……リンドウの花?』

 小首を傾げながら、つぶやくおキヌ。
 悲しんでいるあなたを愛する、それがリンドウの花言葉だ。しかし彼女は、江戸時代の幽霊である。当然、花言葉など知る由もなかった。

『きれい……』

 と、素朴な感想を口にするだけである。
 そんな彼女に、背後から話しかける者があった。

『お嬢ちゃん……一人かね?』


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 幽霊に話しかけるとは、なんとも豪気なものである。
 そんな考えをチラッと頭に浮かべながら、振り向いたおキヌ。だが、彼女の目に入ってきた姿は、人間のものではなかった。
 全身が毛むくじゃらの、四つ脚の生き物。目鼻口の位置はおかしくないが、耳は顔の横ではなく、むしろ上の方にある。髭も異様に長く、ピンと両横へ突き出していた。

(これって……)

 おキヌの心中を察したかのように、それは自己紹介を始める。

『吾輩はネコである』

 ……あれ?

(猫……?)

 おキヌは不思議に思う。
 この『ネコ』は、鼻先を突き出したような顔つきをしており、半開きの口から覗く前歯は、中央の二本だけが強く自己主張している。顔の部品で同様に目立つのは瞳であり、丸く小さく黒一色に輝いていた。
 可愛らしい生き物ではあるのだが、おキヌの記憶にある猫というものとは、どこか異なる気がするのだ。
 とはいえ、おキヌが生きていたのは、ずいぶん昔の話である。永い時の流れの中で、猫がこのような進化を遂げたのかもしれない……?
 そんな疑問が、表情に出たのであろう。

『……違うぞ、お嬢ちゃん。
 名前が「ネコ」なのだ。
 種族は……』

 ああ、なるほど。
 ネズミなのか。
 子(ね)の子(こ)だから、ネコと名付けられたのか。
 あまりに単純な命名法であるが、おキヌにも理解できる話であった。
 ……だが。そんな思惑は、続く言葉で打ち消される。

『……生きていた頃の種族は、ハムスター。
 これでも吾輩は、
 誇り高きゴールデンハムスターの端くれである』

 エッヘンと胸をはるネコであった。


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 彼女がハムスターというものを見たのは、これが初めてである。しかもあとで聞くところによると、ゴールデンハムスターとはハムスターの中で最もよく知られる種族であったそうだ。このゴールデンハムスターというのは昔々に母親一匹と子供たちが捕獲されて、そこから繁殖した子孫がペットとして広まったという話である。
 しかし、この時は、そこまで知らなかったから別段かわいそうとも思わなかった。
 ただ、

(言われてみれば……
 体の毛の色が、ネズミっぽくないかな。
 むしろ……三毛猫みたい?)

 と感じたばかりである。
 そんなことより、もっと大切なことがあった。

(ああ、そうか。
 ネコさんも……幽霊だったんだ)

 ネコの『生きていた頃の種族は』という言葉で、ようやく気付いたのである。
 なるほど、よくよく考えてみれば、動物が人語で話しかけてきた時点で不思議に思うべきであった。お互いに幽霊だからこそ会話が成り立ったのだろうと、おキヌは納得する。
 ともかく。相手が名乗った以上、こちらも名前を告げるのが礼儀である。

『私はキヌといって、三百年前に……』

 と、彼女は語り始めた。


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『……というわけなんです』
『なるほど。
 それでは……ずっと
 この山で暮らしてきたわけか』

 生前の記憶などボンヤリな、おキヌである。彼女の身の上話は、あっというまに終わった。 

『人間の一生はハムスターより長い……。
 それくらいは我輩も知っていたが、
 お嬢ちゃんの場合は特別だな。
 ……死んでからの方が、
 はるかに長いのだから』

 おキヌの隣に座り込んだネコ。背中を丸めた姿勢は一見だらしない格好であるが、何か考え込むかのような表情は、まるで哲学者のようでもある。

『……ふむ。
 こうして聞いてみると、
 他人の幽霊事情というのも
 なかなか興味深い……。
 では、吾輩も語るとするか』

 そうして、話の始めに、いたずらっぽく笑ってみせた。

『実はな……吾輩も、
 ここで幽霊になったのだ。
 ……ある意味、お嬢ちゃんとは同郷だな』
『えっ……?
 ネコさんも……この山で!?』
『うむ。
 もちろん、時代は全く異なるが。
 この山……しかも、まさに、この場所だ』

 ネコは、チラッと周囲を見渡す。在りし日を思い出しているのだろうか。
 それから山の彼方の空へと視線を向けて、遠い目のまま、説明を続けた。

『吾輩の飼い主は、まだまだ幼い少女でな。
 気の優しい、いい子だった。
 しかし可哀想なことに……』

 ネコの話によると。
 その少女は、生まれながらにして病弱だった。遺伝だったようで、ネコが貰われてきた時には、既に両親も他界していた。
 他の子供のように、外で活発に遊ぶこともできない。なかなか友達も作れず、また、もともと兄弟姉妹もいなかった。
 親戚の屋敷の一室で、年の離れた召使いに世話されながら、一人寂しく暮らしていたらしい。

『……ある意味、吾輩が
 初めての友人だったのかもしれん。
 そんな状態だったから、
 吾輩のことも大切に大切に……
 まるで人間であるかのように扱ってくれた』

 体が弱いので外出することなど滅多に無い少女だったが、たまの機会には、いつもネコを伴っていた。
 この湖畔にも、何度か訪れた。ひとけの少ない場所なのをいいことに、ネコをカゴから出して、広い野原で遊ばせていたのだ。

『吾輩が駆けずり回るのを、
 本当に幸せそうに眺めておった。
 ……自分が激しい運動できない分、
 吾輩に自己を投影していたのだろうな』

 ネコ自身も、体を動かすことを好ましく感じていた。飼育カゴの回し車からも明らかなように、そもそもハムスターとは、そういう生き物である。 

『……だがな、彼女は知らなかったのだ。
 吾輩の一族は太陽が苦手だ……ということを』

 元来、ハムスターは夜行性。進化の過程で、視力も低下している程である。
 直射日光にも弱いのだが、ネコ自身、理解していなかった。だから、日光浴も、少女と一緒になって楽しんでいた。それが死へのカウントダウンだとも気付かずに。

『あの日も、いつもと同じだった。
 しばらく遊び回った後、
 彼女の方を見たら、合図が出ていてな……』

 ニッコリ笑いながら、自分の膝の上をポンポンと叩く少女。
 彼女の意図を理解して、ネコは、指定の場所に跳び乗った。

『二人でボウッとお日様にあたる……。
 これも、いつもどおりのことだった。
 ……少し苦しくなる時もあるのだが、
 遊び疲れただけだと思っておった。
 ただ、その日は……いつもより酷かった』

 次第に体が重たくなる。眼のふちがピリッとする。耳が痺れる。子守歌を唄いたくなる。夢の中で踊りたくなる。ワタシマケマシタワと云う気になる。いろいろになる。どうも変だ。

『陶然とはこんな事をいうのだろうと思いながら、
 目を閉じて……そのまま永遠の眠りに落ちた』


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 ここでネコは、いったん言葉を区切った。
 一瞬の沈黙が、場を支配する。
 おキヌの表情が曇り、それに気付いたネコが、前脚を器用に振ってみせた。

『いやいや、そんな顔をする必要はないぞ。
 お嬢ちゃんも知ってのとおり、
 死は終わりを意味するものではない。
 むしろ……。
 不可思議な太平の、その始まりなのだから』

 最初は、ネコにもわからなかった。
 苦しいのだかありがたいのだか、何が何だか見当がつかない。湖畔の草原にいるのだか、少女の部屋にいるのだか、判然としない。
 ただラクである。いや、ラクという感覚すら無かった。

『あえて言葉にするならば……太平だな。
 ここで……ようやく、
 ああ吾輩は死んだのか、と理解した』

 死んでこの太平を得た。太平は死ななければ得られなかった。ありがたいありがたい。

『……となると、
 何も慌てて成仏することもない。
 さて、これから何をしようか、と考えて……。
 吾輩は、彼女を見守ることにしたのだ』

 つまり、少女の守護霊になったのである。
 とはいえ、何か特別なことをするわけでも出来るわけでもなかった。
 まあケガや病気から守れば良いのだろうが、そもそも部屋に閉じ篭って暮らす少女である。交通事故に遭う心配など、まず無い。病気に関しては、先天的に体が弱いのを治せたら良かったのだが……。そのような能力など、おしかけ守護霊のネコには皆無だった。

『そんなわけで、な。
 ただただ彼女のそばに居る。
 ……それが全てだった』


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(守護霊……か。
 考えようによっては、私も……)

 ネコの話を聞きながら、おキヌは、ふと思う。
 自分は、この山の神様になるはずだった。山の守り神……つまり、山を守護する者。これも、一種の守護霊と言えるのではないだろうか。
 
(『神』じゃなくて『霊』だけど、でも。
 この辺り一帯をきちんと守っていけたら、
 ……それはそれで、いいのかな?)

 自分が幽霊になって以来、この地方に、何か大きな災いがあっただろうか?
 とりあえず、地震も噴火も無い……はずだ。ただし、おキヌが覚えているかぎりの範囲の話である。

(……でも私の記憶、曖昧だからなあ。
 何か大切なことを忘れてるような、
 そんな気もするんだけど……)

 やっぱり、少し心配になる。
 だが、今、それ以上おキヌが深く考えることはなかった。ネコの話が、再び佳境に差し掛かったからである。


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『……我輩が死んでから、
 半年ほど経った頃だったかな。
 彼女の具合が、急に悪くなったのだ』

 もはや少女は、ベッドから出ることも難しい状態となった。朝から晩まで横になっている日も、多くなってきた。

『ハムスターにしては賢いと自負しているが
 ……さすがの我輩でも、
 人間の医学のことはよくわからん。
 霊や魔物の仕業なら、それこそ守護霊として
 我輩が立ち向かうつもりだったが……』

 別に悪霊に取り憑かれたわけでもないし、死神が訪れるようになったわけでもない。ネコに出来ることは、何も無かったのである。

『……だがな。
 皮肉なことに……彼らには、
 それがわからなかったようだ』

 ある日。
 いつもの医者とは違う人間が、少女の部屋へ連れられてきた。
 大抵、医者というものは白い衣をまとっている。だが、その男が着ていた服は、逆に真っ黒だった。

『何か先の尖った道具で、
 部屋中を調べていたようだ。
 それから……そいつは、なんと
 我輩の方を指し示して叫んだのだ。
 「ここにネズミの悪霊が居ます」と!』

 ネコとしては、守護霊のつもりだったのに……!
 どうやら、病気を悪化させるような、悪い幽霊だと誤解されたらしい。

『……ひどい話ですね』

 ここまで黙って聞いていたおキヌも、思わず口を挟んだ。
 だが。

『お嬢ちゃんも、そう思うだろう?
 ……本当に、けしからん話だ。
 今思い出しても、腹が立つ!
 よりにもよって……我輩を
 ネズミごときと同一視するとは!!』

 ネコが憤慨するポイントは、ネズミ扱いの方だったようだ。これには、おキヌも内心で苦笑し謝罪する。何しろ、彼女も最初は――ハムスターを知らなかったとはいえ――同じように勘違いしたのだから。
 そんな彼女の心の中などつゆ知らず、ネコの話は続く。

『それから、そいつは……』

 ここで、ネコの態度がガラリと変わった。
 たった今までは、プンプンしていたのだが……。

『……彼女の部屋にペタペタと、
 オフダというものを貼ってな。
 我輩を閉め出してしまったのだ』

 哀しそうに言葉を吐き出し、ショボンと肩を落とすのであった。


___________


(ああ、そうか……。
 そういう事情だったんですね)

 大好きな飼い主の守護霊を務めていたネコである。それが、こんなところで独りでフラフラしていたのだ。
 よくよく考えてみれば……。何かあって別れさせられたのだという結末くらい、容易に推測できただろう。

『フッフッ……お嬢ちゃんまで、
 そんな哀しそうな顔をする必要はないぞ。
 強制的に祓われなかっただけ、
 まだ運が良かったと思えばいい。
 それに……』

 カラ元気を見せたネコだが、それが再び消える。

『あの部屋に我輩が居続けたところで、
 ……何の役にも立たなかったからな』

 短命な家系であるというなら、少女の体が良くならないのも悪くなったのも、ある意味仕方のないことである。
 それでも、ネコは、守護霊として何も出来なかった自分を責めている……いや、責めたいのかもしれない。

『どうせ彼女の様子を見に行けないなら、
 もう成仏してしまおうか……とも思ったが。
 心残りがあると、それも出来ないものだな。
 今頃、どうしていることやら……』
 
 と、空を見上げてつぶやいた時。
 ネコの背中に、言葉が投げかけられた。

『……やっぱり!
 ここだったのね!!』


___________


 ネコと共に、おキヌも振り返った。
 そこに居たのは、麦わら帽子を頭に乗せた少女。おキヌより少し若いくらいだろうか。わずかに青みがかった黒髪を、三つ編みにして垂らしている。清楚なワンピースは青紫色で、ちょうどリンドウの花と同じだった。

『おお、ナツネ!!
 ……元気になったのか!?』

 ネコが、喜々として声をかける。
 だが、おキヌは気付いてしまった。

(あ!
 この子も……)

 どう見ても幽霊です。

『……ありがとうございました。
 ネコと、遊んでくれてたんでしょう?』

 と、笑顔を見せる少女。死んでいるとは思えぬくらい朗らかに、ペコリとお辞儀する。

『はじめまして!
 私は、高関(こうせき)菜津音(なつね)。
 ……ネコの一番の友だちです!!』
『ナツネ……お前は……』

 一方、ネコは複雑な表情を見せていた。
 ネコも菜津音が幽霊であると気付いて、落胆したのだろう。同時に、彼女が『飼い主』ではなく『一番の友だち』と自己紹介したのを聞いて、嬉しくも思ったのだ。
 そんなネコに、菜津音が手を伸ばす。

『迎えに来たのよ、ネコ!
 私たちは、ずうっと一緒。
 今までも、そしてこれからも!
 だから……一緒に逝きましょう?』
『おっ……おぅ』

 右腕でネコを抱きかかえた彼女は、空いている方の手を、おキヌへと差し出した。

『あなたも、一緒に逝く?』

 成仏の同行のお誘いである。
 もちろん、おキヌは首を横に振った。二人の邪魔をしたら悪いから……なんて気を利かせたわけではない。ここに地縛されているから、おキヌには無理なのだ。
 そんなおキヌの姿を見て、

『このお嬢ちゃんは……』

 ネコが菜津音に耳打ちしている。おキヌの事情を説明しているのだろう。

『そう……。
 じゃあ、私たちだけで逝くわ。
 ……会ったばかりなのに、
 なんだかバタバタしちゃってゴメンね!』
『おいナツネ、もう行くのか!?』
『そうよ!
 だって……天国では、
 お父さまとお母さまも待ってるはずだから!』

 言葉を交わしながら、フワッと浮かび上がる菜津音たち。
 二人に対して、おキヌは手を振った。

『ネコさん、菜津音さん!
 さよ〜〜なら〜〜』
『あなたも……元気でね!』
『達者で暮らせよ、お嬢ちゃん』

 二つの魂が、今、天へ昇っていく。

(あっというまに、あんなに高く……)

 地上のおキヌから見たら、もう、豆粒のように小さい。
 まだ二人の声は聞こえていたが……。

『そうだ!
 ここから離れたいなら……
 誰かと入れ替わればいいんじゃないかしら?』 
『それは名案だな、ナツネ! 
 世の中は広いのだから、
 替わってくれる人も居るはず……』
 
 それが、おキヌの耳に届いた最後の会話だった。


___________


(誰かと……入れ替わる?)

 ひとりぼっちで、青空を見上げながら。
 おキヌは、二人の言葉を反芻していた。

(そんなこと、出来るのかな?)

 山に括られてはいるが山の神にはなれなかった……と認識しているおキヌである。この地を守る者として自分が最適だという考えは、全く頭にない。むしろ、誰でもいいから替わってもらったほうが良いとさえ、思ってしまう。

(ようし……)

 せっかく二人が提案してくれた方法である。しかも、それが二人の最後の言葉……ある意味『遺言』なのだ。遺言を実行しないのは、不義理である。

(ネコさん、菜津音さん!
 ……見ててくださいね。
 私も、いつか……
 そちらへ行きますから!!)

 と、心に誓ったわけだが……。


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「どうだい、
 ボクの新しいフェラーリは?」
「ステキよっ!
 もっと飛ばしてっ!
 感じちゃう〜〜っ!!」

 山道とは思えぬスピードで疾走する車。
 男は、自身の運転技術を見せつけることしか頭にない。助手席の女も、ひたすら男を煽るばかり。
 二人して「安全運転なにそれ美味しいの?」という状態であった。

 ドドドォ……キュルッ……ブオオォ。

 危険なカーブも、たいして速度を落とさぬまま曲がりきる。
 なるほど、男の腕前は見事なのかもしれない。だが、周囲への注意は散漫であり、少し先にある道路標識も、全く目に入っていなかった。

『落石注意』

 それは、落ちてくる岩に気をつけろという意味ではない。道に岩が落ちてるかもしれないから気をつけろという意味だ。
 実際、次のカーブの死角には、大きな岩が鎮座している。このままでは、二人の車は衝突することになるのだが……。

 ズッ……ズズズッ……。

 突然、動き出す大岩。
 まるでポルターガイスト現象だ!
 道路の端へ、山肌のくぼみへと移動する。
 
「どうだい、
 ボクの華麗な走りは?」
「ステキよっ!
 このまま飛ばしてっ!
 ますます感じちゃう〜〜っ!!」

 車が問題の箇所を抜ける頃には、障害は完全になくなっていた。
 かろうじて助かったことにも気付かぬまま、二人は、走り去って行く。


___________


『ああ……また失敗……。
 死んでいただくどころか、
 むしろ……』

 元々おキヌは悪霊ではない。性根の優しい幽霊である。成仏できないのも未練や名残りがあるからではなく、特殊な事情ゆえなのだ。
 そんな彼女であるから、身替わりを用意するために他人を故殺するなど、しょせん無理であった。せっかく目標を定めても、イザとなると躊躇してしまう。
 本人は『また失敗』などと言っているが、なかなか具体的な行動すら起こせないのだから、失敗以前の話である。それどころか、逆に命を救ってしまうことも多かった。
 今回の一件なども、放っておけば自滅する二人だったのに、それをワザワザ助けてしまったのだ。ここでは命拾いした二人だが、あんな暴走を続けていたら、どうせ後々どこかで――首都高速あたりで――天罰が下るだろうに……。

『……気持ちを切り替えて。
 次こそは……がんばろう!』

 おキヌは、簡単には諦めない。
 そして……。


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___________


 山道を歩く、一組の男女。

「若いんだから、がんばって」

 さわやかな笑顔で、女が男を励ましている。
 だが、しかし。

「先に行くわねーっ」
「……あんた、俺の命を
 へとも思ってないでしょ」

 なぜか女は、その場に男を放置して、一人でサッサと歩いていく。
 
「い……いかん!
 女っ気がなくなって
 ますます意識がモーローと……」

 何か呟きながら、立ち上がる男。ゼーッゼーッと荒い息を吐きながら、彼も再び歩き出した……。


___________


 ……そんな一幕を、木の陰から――実体を見せずに――忍び見る白い影!
 誰だ誰だ誰だ、と問うまでもない。
 おキヌである。

『あの人……あの人がいいわ……。
 ようし……』

 ボオーッと姿を現した彼女は、固く決意する。

 今度こそ、今度こそ。
 だいたい、あそこまでコキ使われて平気な人なら喜んで替わってくれるはず。
 そう、この人こそ、私の身替わりとして最適な……私の運命の人!

 そうやって自分を納得させてから。
 クワッと目を見開いて、彼女は飛び出した。

『えいっ!!』


___________


 こうして、今。
 おキヌの新たな物語が始まろうとしていた。
 結論から言えば、今回も殺せないのだが……。それでも、この出会いが、不可思議な幸福に通じるのである。ありがたいありがたい。




       『山の彼方の空遠く幽霊住むと人のいう』 完

  
   


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