目を覚ました横島が感じたのは激しい喉の渇きとかすかな頭痛、そして表から聞こえる喧噪だった。
「うげ、頭いてえ・・・・・・」
たったこれだけの言葉が喉に張り付く。
ガラガラに擦れた喉が昨夜エミと飲んだ酒の量を思い出させ、口元に軽く苦笑を浮かばせた。
移籍に絡んだエミとのコントがうやむやになり、その後の帰り道で調子にのって食べたラーメン。
そのすぐ後の酸味を伴う出来事が、結果として二日酔いのダメージを軽減してくれたのは怪我の功名だろう。
「何時だ・・・・・・今」
枕元に置いた目覚まし時計代わりの携帯へ手を伸ばす。
液晶が暗く沈黙したままなのは、バッテリーが心許ない時に大量に送ったイタズラメールのツケだろう。
横島は軽く舌打ちすると枕元へと携帯を放り出し、頭部を極力揺らさないように布団から起き上がる。
耐え難い喉の渇きに、横島は携帯の充電よりも己の水分補給を優先させていた。
流しに置きっぱなしのコップに水道水を汲み、体調を窺うようにそろそろと嚥下する。
胃の拒絶が起きないことを確認すると、次はごくごくと喉を鳴らし、立て続けにコップ二杯の水を胃に流し込んだ。
「ぷはっ! 昨日のラーメンは無駄じゃなかったってコトか・・・・・・」
そう呟いてから湯沸かし器のスイッチを入れ、石鹸で丁寧に顔を洗う。
続いて着たままで寝てしまったTシャツを脱ぎ、お湯で絞ったタオルで体を拭き始める。
寝汗を拭いすっかり冷えたタオルと、代えた下着を洗濯物袋に放りこむ頃には、二日酔いの倦怠感はすっかり影をひそめていた。
「しかし、騒がしいな・・・・・・なんかあったんか?」
人心地ついた横島は、窓の外から聞こえる喧噪にようやく意識を向けた。
表の様子を見に行こうとGパンに手を伸ばすが、その動きはひらりと落ちたピンク色の封筒に止められてしまう。
横島は壊れかけたポストに投函されていた差出人不明のラブレターを手に取った。
「・・・・・・大好きです。来てくれるまでずっと待っています・・・・・・○月○日、pm■■■■ ■■■■にいます・・・・・・・・・か」
雨に濡れ、殆どが判別不可能なまでに滲んでしまったよれよれの手紙。
降って湧いた彼女ゲットのチャンスを生かすため、自分は候補と思える人物たちへそれとなくアプローチをかけている。
タマモ、パピリオ、ベスパ、母親の百合子、鈴女、おキヌ、美智恵、小竜姫、そしてエミ。
慎重にカマをかけてみたが、彼女たちは手紙の主ではなかった。
彼女たちとの出来事を思い出し、横島の顔に一年半程さまよい歩いたかのような疲労の色が浮かぶ。
それがほんの数日の出来事とは、自分でも信じられなかった。
「だーっ! もう、一体誰なんだよッ!!」
クシャクシャと髪の毛を掻きむしり、横島は焦りの表情を浮かべた。
このままでは待合場所はおろか、相手の素性すら分からずに千載一遇のチャンスを逃してしまう。
彼の脳裏に今まで出会った女性の顔が次々と浮かんでは消えていく。
一体手紙の主は誰なのか?
そんな彼の疑問に答えるかの様に、アパートのドアが荒々しくノックされる。
外に感じたのは間違えようのない人の気配。
横島は慌ててGパンを身につけると、ピンクの封筒をポケットにしまい込む。
その気配は彼の知る中で最も候補者から遠い女―――美神令子のものだった。
―――――― ラブレターフロム・・・・・・(前編) ――――――
「いるのは分かってるわよッ! 横島ッ! 早く開けなさいッ!!」
「ハイッ! すみませんッ!!」
荒々しい美神の声に、横島の口から咄嗟に出たのは、条件反射とも言うべき謝罪だった。
状況は全く理解していないが、こういう声を出す美神に対してとるべき態度は良く理解している。
急いで部屋のドアに駆け寄ると、横島は直立不動の姿勢でドアにかけてあった鍵を外した。
「よ・こ・し・まぁぁぁ・・・・・・」
「ひぃぃぃぃッ!」
解錠の音と同時に乗り込んで来た真っ赤な人影に、横島は思わず窓際まで後ずさる。
美神に感じたのは単にボディコンのカラーではなく、真っ赤に燃えた怒りのオーラ。
暴走する王蟲のように六畳一間のアパートに上がり込んだ美神は、腰を抜かし窓際にへたり込む横島に容赦の無い蹴りを見舞い始める。
当然のことながらそれを止められる青い衣の少女はこの場にはいなかった。
「痛ッ! ちょ、美神さん・・・・・・落ち着い」
「アンタこそ落ち着き過ぎなのよッ! 第一、昼過ぎまで寝てるなんて何様のつもり!? ちょっとでも心配したアタシが・・・・・・」
「へ? 心配?」
「う、うっさい! 単なる言葉のアヤよ! 丁稚のクセに人の呼び出し無視するとはいい度胸じゃないの! このボケナスっ!!」
「呼び出しって!? グハッ!!」
顔を赤らめた美神は更にゲシゲシと蹴りの勢いを増していく。
横島の位置からは当然美神のパンツが丸見えなのだが、彼にその光景を楽しむ余裕は無い。
美神が口にした呼び出しという言葉は彼に回避行動を失念させ、結果、顔面にモロに蹴りを受けた横島はズルズルとその場に崩れ落ちるのだった。
―――よ、呼び出しって言ったよな? 美神さん
朦朧とする意識の中、横島は先程聞いた美神の言葉を反芻していた。
その言葉から察するに現在の状況は多分こうだろう。
自分が美神の呼び出しをすっぽかし、それに彼女がキレた・・・・・・
―――え? ってことは・・・・・・
横島の頭の中で急速にパズルのピースが組み上がっていく。
【・・・・・・大好きです。来てくれるまでずっと待っています・・・・・・○月○日、pm■■■■ ■■■■にいます】
突如舞い込んできた差出人不明のラブレター。
待っているという文面から、彼は真っ先に美神の可能性を除外していた。
普段の行動から見ても、彼女は人を待たせることはあっても、自分では絶対に待たない。
しかし、アパートまで乗り込んできた行動力と、照れ隠しに見えなくもない赤面した表情。
今の美神の反応は、横島に大胆な仮説を組み立てさせるに十分な要素を含んでいた。
―――そ、そうだよ。呼び出しって言う前に、心配したとも言ってたし。
呼び出しの場所に来なかった俺が、事故にでも巻き込まれたんじゃないかって心配して・・・・・・ふっ、馬鹿だなぁ。
令子、俺は元気だよ。待たせて悪かったね。待ち合わせの場所には行けなかったけど、仕方なかったんだよ。
打ち所が悪かったとしか思えない妄想が、横島の回復力をプラナリア並に上昇させていた。
当社比1.5倍ほど男前モードに移行した彼は、言い訳に使おうとジーンズのポケットからヨレヨレのラブレターを取り出し美神に見せようとする。
しかし、一通り感情を爆発させ落ち着きを取り戻した美神は、横島が持ったピンクの封筒に何の反応も示さなかった。
「ん? ナニよその手紙は?」
「へ? い、いや、何でもないです」
妄想とは全く異なる美神の反応に、横島はアブネーとばかりに封筒をポケットに戻す。
美神は冷や汗を浮かべた横島に呆れたような表情を向けると、足下から拾い上げていた彼の携帯をポンと投げ渡した。
「それより携帯の充電ぐらいしなさいよね。緊急時に連絡がつかないようじゃ意味がないじゃない!!」
「緊急時?」
「呆れた・・・・・・アンタ、表の騒ぎに気がつかなかったの?」
美神は横島が寄りかかっている窓辺に近づき、カーテンを勢いよく開ける。
差し込む日差しに目を細めながらも、横島は表の光景に驚きの声をあげた。
「うわ・・・・・・なんなんです、一体!?」
窓の外には家から飛び出した人々が、しきりに空を見上げていた。
彼らが浮かべている不安げな表情に、横島はただならぬ事態が生じていることにようやく気付く。
「ついさっき、正体不明の巨大飛行体が出現したのよ」
「ちょ! 正体不明って!?」
「今回現れたのは、飛行機や飛行船ではない全長50m程の飛行体よ・・・・・・現在、都庁上空に留まっているわ」
美神は横島の言葉を遮るように騒動の原因を説明する。
今回という言葉には、出現した飛行体が前に現れたものと違うという含みが込められていた。
しかし、それは美神の感じる不安の裏返しでしかない。
美智恵から謎の飛行体についての一報を受けたとき、彼女は何故か飛来する巨大カブトムシの姿をイメージしてしまっている。
そして、その飛行体に連れ去られる横島の姿も・・・・・・
連絡が取れない横島を捜しにアパートへ駆けつけたのも、ただの寝坊と知って安堵のあまりつい折檻してしまったのも、感じていた不安故の行動だった。
「直接見た方が早いわね。どうせ、どのチャンネルでもやってるから」
美神は代弁者を部屋のTVに求めた。
スイッチを入れた途端、画面に漆黒のシルエットが映し出される。
「うは! 妖怪・・・・・・って訳じゃないッスね。何だろう一体?」
横島が見せた反応に、美神は若干拍子抜けしたような表情を浮かべる。
自分や美智恵が感じていた不安を、当事者だった横島は感じていないらしい。
だがその事は、これから起こる騒動に立ち向かう勇気を美神に与えていた。
「状況は理解したわね!? それじゃ、早速行くわよ!!」
「へ? 行くってどこへ!?」
「どこって・・・・・・都庁に決まってるじゃない! ほら、急ぎなさい! ママから招集がかかってるんだから!!」
「嫌ッスよ! あんなドでかいモノ相手にするなんて! それより美神さん、一緒に逃げましょう!!」
「え!?」
「きっと幸せにします・・・・・・」
ギュっと手を握られ、不意打ちのように聞かされた言葉が美神の動きを止めていた。
じわじわと顔が赤らんでくるのが自分でもわかる。
自分でも意外なその反応は緊急時故のモノなのか?
飛行体を見たときに感じた、目の前の男が連れ去られるという不安がフラッシュバックする。
立ち向かうことしか考えていなかった彼女の脳裏に去来する、逃避行のイメージ。
空気の読めない横島は、そんないつもと違う美神の反応に全く気付いていなかった。
「・・・・・・さあ、だからここで誓いのキスをッ!」
「するか、ボケッ!!」
お約束の様に迫り来る横島に、咄嗟に出てしまった掌打と形容した方が相応しいビンタ。
既に伝統芸と化している一連の動きが、美神の高ぶった感情に残念な捌け口を与えていた。
「な、ナニするんすか・・・・・・ほんの冗だ・・・・・・グハッ!」
「う、うっさい! こういう非常事態の時こそボロもうけのチャンスなのよッ! とにかくアンタは黙って付いてくればいいのッ!!」
完全に暴走した美神は、つい、いつもより強めの折檻を横島に行ってしまっていた。
すっかりボロ雑巾のようになった横島は、息を荒げた美神に襟首をつかまれ、駐車してあるコブラまでズルズルと引きずられていく。
目指すは都庁横にある新宿中央公園。
そこには美智恵の招集したGS達が、未知なる存在と対峙していた。
新宿中央公園
都庁上空に浮かぶ謎の飛行体を、美神美智恵は食い入るような目で見つめていた。
彼女の周囲には西条を始めとするオカルトGメンのスタッフと、招集に応じたGSの面々が並んでいる。
突如現れた飛行体は、目的その他一切の情報を彼女たちに与えぬまま、都庁上空に50mはあろうという黒い巨体を静止させている。
ただならぬ事態に緊急集合をかけたものの、美智恵自身、未知の飛行体にどう対処してよいか決めあぐねていた。
「西条君、令子からの連絡は? 横島君の所在はまだ確認できないの?」
「まだです」
「令子のコールにも出ないなんて・・・・・・一体、どこをほっつき歩いてるのかしら」
「・・・・・・随分と彼を心配してますね」
躊躇いがちに口を開いた西条の言葉に、美智恵は彼が言わんとしていることを即座に理解した。
オカルトGメン本部に一報が入れられていてから、口にすることを躊躇っていた言葉。
美智恵は都庁上空に浮かぶ飛行体の、決して人類の手による物ではない有機的な外見から言いようのないプレッシャーを感じている。
多分、共に現場に駆けつけた西条も同じものを感じているはずだった。
「ええ、心配よ・・・・・・アナタも感じているんでしょう? アレが放出する不吉なプレッシャーを・・・・・・」
それを認めた瞬間、現実になってしまうような得体の知れない恐怖。
しかし、過去どんな困難にも背を向けなかった自負が彼女の背中を強く押す。
美智恵は覚悟を決めたように、以前遭遇したカブトムシ型兵鬼の名を口に出そうとした。
「アレは多分、機械と生物の中間のような存在。姿は違えど似ていると思わない? 過去に戦った逆て」
「いや、それは違うな」
発言を遮った声に驚いたのも一瞬。
咄嗟に振り返った美智恵は、そこに立つ人物に安堵の表情を浮かべる。
背後から声をかけてきた人物―――ベスパは、少なくともあの事件に関わる事象について嘘をつくはずがない。
今は無き主人の思いをただ一人直接聞いた彼女は、その思いを実現するため土壇場で人類を救う情報をもたらし、そして彼の願いは成就されていた。
「私たちの所有していた兵鬼に、あんな物は存在していない・・・・・・」
「魔界正規軍の物で無いことも保証します」
上空を睨むベスパの言葉を、隣りに付き添っていたジークが引き継いだ。
「それではアレは一体?」
「わかりません。人類の物でも、魔界の物でも無いとするとあるいは・・・・・・」
魔界、人間界でなければ、自ずと答えは定まってくる。
ジークが神界の存在を口にしようとした瞬間、左前方の空間が不意に歪み彼の発言を遮った。
「神界の物でもありません。たった今、老師を通じ神界上層部にも確認しました」
「ベスパちゃん、久しぶりでちゅ!」
ヒャクメとパピリオを伴いこの場に転移してきた小竜姫は、周囲への挨拶もそこそこに神界の関与を否定した。
ベスパと旧交を温め合うパピリオに一瞬だけ表情を緩めた彼女は、すぐに気持ちを引き締めヒャクメに軽い目配せを送る。
その視線を受け、持参した数々の観測器具を操作し始めたヒャクメの手元に周囲の期待が集まるが、その後に表示された観測結果はジークと小竜姫に失望の溜息をつかせてしまう。
「ごめんなさい・・・・・・観測不可能。でも、少なくともアレは神界の物でも魔界の物でもないのね」
申し訳なさそうな呟きは、表示された神界の文字が読めない美智恵たちへの気遣いだった。
美智恵にもそれがわかったのか、軽い溜息を付きつつヒャクメに笑いかける。
少なくとも彼女が考えていた最悪の事態は否定された。
都庁上空に浮かぶ謎の飛行体は神界・魔界・そして人間界にも属さない存在らしい。
「過去の亡霊でないとすると、アレは一体? そして、何の目的で?」
これから取るべき行動を再び考え始めた美智恵は、最初の行動として現在の状況を娘に知らせるべく携帯に手を伸ばす。
あの事件のキーパーソンだった二人を、一刻も早くプレッシャーから解放してやりたいという親心も、その行動には含まれていた。
「そう・・・・・・ありがとうママ」
コブラの運転席
美智恵からの連絡を受けた美神は、己の浮かべた表情を気取られまいと後方を確認するふりをし、僅かに顔を左側面に傾ける。
今にして思えば、最初に飛行体を見たときに感じた不安は何だったのか?
謎の飛行体が過去の亡霊ではないと知った途端、自分でも不思議なほど安堵の気持ちが湧き上がっていた。
「こっちも横島君と一緒にソッチに向かっている所。交通規制がうまく機能してるから、すぐに合流できるわ。それじゃ」
手短に会話を終わらせた美神は、助手席でふて腐れている横島にチラリと視線を送る。
”一緒”にと美智恵に言ったのは先程のやりとりを意識したものだったが、そんな余裕を見せられるほど、美智恵からの情報は彼女に落ち着きを取り戻させていた。
「ナニよ? その目は?」
「いや、日本語って便利だなと思いまして・・・・・・拉致も、愛の逃避行も、一緒という言葉で表現できるとは」
「もー、男の子でしょ! いい加減あきらめて覚悟を決めなさい!! ボロもうけしたら何か美味しいものでもご馳走してあげるから」
「ん? なんか妙に優しいですね。美神さんらしくない・・・・・・」
「なによ! まるで私が普段優しくないみたいじゃない」
「自覚無いんスか・・・・・・はっ! まさか俺を太らせてから食べ」
「するか! ボケっ!!」
助手席で大げさに怖がった横島の頭を叩いてから、美神は先程聞いた美智恵からの情報を口にし始める。
美神の心からは、彼が連れ去られるという不安は既に消え去っていた。
「ったく、ヒトが折角評価してやってるのに・・・・・・さっきの電話で聞いた話だけど、都庁上空に浮かんでいるのは、神界の物でも魔界の物でもない正真正銘の未確認飛行物体らしいのよ。んで、ソレが何で現れたか見当もつかない。迂闊に手出しでき無くってママも相当困ってるみたいだから、アンタの力が必要なのよ!」
「おだてたって何も出ませんよ! 隊長さんが手出しできないんなら、俺が行こうが行くまいが大差ないでしょ」
「いや、アンタその手の存在から妙に好かれやすいし、多分、行けば何か起こるわよ!」
「うわ・・・・・・なんスか、そのガミラス並の戦術。やっぱ帰らしてもらいます!」
「大丈夫よ! 万一戦闘になっても、向こうには小竜姫たちもいるし・・・・・・」
「えっ?」
横島を安心させる為に口にした小竜姫の名前は、彼に不吉な予感をもたらせていた。
勢いに飲まれ、つい集合場所へ向かう流れに乗せられていたが、これから向かう先には当然のごとく美智恵がいる。
そこに同じように手紙の差出人候補者であった小竜姫がいるというということは、かなりまずい事態なのではないか?
この時になって初めて、横島は己が致命的な見落としをしていることに気がついた。
―――ま、まずい。冷静に考えたら、向こうにはGS大集合だよな? するとエミさんやおキヌちゃんも・・・・・・
合流したら最後、かなりの確率でここ数日の自分の行動がみんなに知られてしまう。
そうなったら今までの苦労が水の泡だった。
逃げよう―――そう横島が考えるのと同時に、彼の体は突如呪縛ロープ襲いかかられる。
虚を突かれた彼は抵抗する間もなく、呪縛ロープにぐるぐる巻きにされてしまっていた。
「ぐッ! ナニするんスか!? 美神さん・・・・・・」
「だって、今、逃げようとしたでしょ? 知ってた? 本気で逃げようとすると、アンタ左の小鼻が膨らむのよ」
横島の抗議の視線は、真っ向から覗き込む美神のジト目にその勢いを失っていた。
「は? ナンノことでショウか・・・・・・って美神さん、前! 前ッ!」
思わず目を逸らせた横島が見たのは新宿中央公園の歩行者用の通路。
どう見ても車で入れないその道へ、コブラは真っ直ぐに突っこんでいた。
「いいの! このまんまツッ込むわ!!」
「んな無茶なっ!!」
「だって、アンタ歩かせると逃げちゃうでしょ!」
「イヤーッ! おウチ帰して―――ッ!!」
茂みを突き抜け、道無き道を走破するコブラの助手席で横島が絶叫する。
その絶叫を美神は敵への恐れと勘違いしていた。
「いーかげん覚悟決めなさいッ! 小竜姫だけじゃなくベスパたちもいるんだから!」
「べ、ベスパまで!?」
「そうよ! もしあの飛行体がふざけた真似してきたら、神族、魔族、人類の戦力でフルボッコにしてやるわ! 友情、努力、勝利ね!!」
「戦いはこれからなのに終わるのはイヤやーッ!!」
横島がこう叫んだ瞬間、コブラは最後の茂みを突き破り開けた場所へと躍り出た。
突然の登場に、対策本部の仮設テントに集合していた面々が、驚きの表情で見つめている。
ド派手なブレーキ音を立てつつ、コブラを仮設テントの真正面に停車させた美神は、美智恵の目の前に颯爽と降り立った。
「お待たせ、ママ。横島君を連れてきたわよ!」
「はは・・・・・・ご無沙汰しています。みなさん」
長い髪を手ぐしでかき上げてから、美神は不敵な笑みを美智恵に送る。
それに対して横島は、対策本部で待機していた顔見知りに引きつった笑顔を浮かべていた。
「ご無沙汰ねぇ・・・・・・で、何で横島君はそんな風になっちゃってるの?」
先程までの緊迫感はどこに消えたのか、美智恵は助手席でぐるぐる巻きになっている横島に呆れたような表情を浮かべていた。
都庁上空には未だに謎の飛行体が浮遊している。緊迫した事態には違いない筈なのに、登場した二人はそういう空気を吹き飛ばす不思議なエネルギーを有していた。
「何のことはない、いつもの敵前逃亡よ! ホントに世話を焼かせる・・・・・・ん?」
美智恵の質問に答えつつ助手席から横島を引きずり下ろそうとした美神は、周囲の面々と横島との間に流れる奇妙な空気にようやく気がついた。
ざっと見回すと、美智恵を始め、パピリオ、ベスパ、鈴女、おキヌ、小竜姫と、みな一様に横島に奇妙な視線を送っている。
強いて言えば秘密を共有している者どうしの目配せにも似た視線。
視界の端にいたエミにもその視線を認めた瞬間、美神の思考から謎の飛行体の存在は綺麗サッパリと消え去るのだった。
「・・・・・・横島。アンタ、私に隠し事してるでしょ? 正直に言いなさい」
「か、カクシゴトなんてしてませんよ・・・・・・」
早速きたピンチに激しく動揺した横島は、エミに「お願いだから何も喋らないで」という視線をとばしてしまう。
美神を挑発するのを生き甲斐としているような彼女への牽制だったのだが、その迂闊な行為は火に油を注ぐ以外の何ものでもなかった。
「私は正直にと言っているのよ・・・・・・」
ジャキリと伸びた神通棍が、隠し事を白日の下に晒そうと冷たい光を放った。
顔を青ざめさせながらも沈黙を続ける横島に、美神はゆっくりと神通棍を振りかぶる。
しかし、必殺の一撃が横島に見舞われることは無かった。
PPPPP・・・・・・
美神の動きを止めた携帯の着信音に、横島はホッと息を吐き出していた。
いつもより高めの声で電話に応対した美神は、手に持った神通棍を元に戻している。
どうやら電話の相手は彼女にそれなりに気を使わせる相手らしい。
美神は横島に背を向け、声をひそめるように会話を続けている。
千載一遇のチャンスとばかりに、横島は脳細胞をフル回転させその場を取り繕う作戦を考え始める。
だが彼は知らない。
今の着信音がいつものものとは若干異なっていたことに。
そして、いつの世も、息子が必死に隠す秘密をあっさりとばらしてしまう存在がいることを・・・・・・
「お久しぶり令子さん。お元気?」
「あ、はい。お陰様で・・・・・・」
美神の電話の相手は横島の母、百合子だった。
まさか、相手の息子をしばく程元気とも言えず、美神は咄嗟に神通棍を元に戻している。
「本当? ウチの馬鹿息子が困らせてるんじゃない?」
「い、いや、そんなコトは無いですよ。ホントウに・・・・・・」
自分の母親に匹敵する勘の鋭さに美神は裏声になりかかった。
息子の近況を知ろうとする百合子とは時折電話で話す仲になっていたが、その度に実感するのは底知れぬ母親としての実力だった。
万全の状況で応対するために着信音を変えてはいたが、それでも今のような状況で隙を見せないのは至難の技だろう。
「なんだ、てっきり神通棍でグリグリやってるのかと思ってた・・・・・・」
「な、なんでまたそんなコトを・・・・・・」
美神は思わず辺りをキョロキョロと見回す。
百合子なら今の様子を見ながら電話をかけて来ることもあり得る。
空に未確認物体が浮いている状況でも、平気でお約束できる図太さを彼女もまた持ち合わせていた。
「いやね。ウチの馬鹿息子が数日前にラブレター貰ったとか電話をかけて来たんだけど、相手が誰からだか分からないみたいなのよ! どうやら、差出人候補者に片っ端からカマかけしてるみたいだから、そろそろ令子さんの所にも行くかな・・・ってね」
「ら、ラブレター?」
「なんだ、その調子じゃ知らなかったみたいね・・・・・・何でも、ポストの中に入れっぱなしで、雨に濡れちゃったとか」
「うふふふふ・・・・・・全く知りませんでした。横島君がラブレターを・・・・・・」
美神の額に青筋がクッキリと浮かぶ。
それを目にする事ができない筈の百合子は、何故か遠いナルニアの空の下口元に柔らかな笑みを浮かべていた。
「たぶん偽物よ・・・・・・」
「え? なんですって?」
百合子の呟きは美神の耳には届かなかった。
届いたとしても百合子に、その真意を説明するつもりはない。
彼女は己の考えていた差出人がハズレだったことを理解していた。
「ううん、何でもない。その件で至急連絡とりたかったんだけど、あの子、携帯がつながらないし・・・・・・令子さん、あの子に伝えといてくれない?」
「何です? 至急連絡って・・・・・」
「ウチの人に手紙のこと伝えたら面白がっちゃったって。多分、部下のクロサキ君あたり使って偽物仕立てるかも知れないから、見知らぬ女の人に気をつけろって・・・・・・」
電話口でコロコロと笑う百合子の声に、美神はあんぐりと口を開く。
大樹と面識がある彼女には、息子をからかうのに全力を傾ける彼の姿が容易く想像できた。
「あ、そうそう。その女の本名聞き出したらお小遣いあげるとも言って頂戴ね。動くとしたら多分村枝のOLだろうけど、そんな馬鹿なことに付き合ってくれる娘って怪しいから」
「あはははは、分かりました。伝えときます」
大人げない悪戯を逆手に取った浮気のリサーチに、美神はつい楽しげに笑ってしまっていた。
彼女の心からは既に、ラブレターの一件に関して蚊帳の外にされた怒りは無くなっている。
当たり障りの無い挨拶で百合子との通話を終わらせた美神は、にこやかな笑顔で横島を振り返った。
「横島君・・・・・・」
「は、はい」
ある意味、神通棍を突きつけられるよりも強いプレッシャーを横島は感じている。
猫に弄ばれる鼠の心境だった。
「アンタ、ラブレター貰ったんだって? 差出人不明の」
「グハッ! ド直球ッ!!」
美神が放った会心の一撃に、横島のHPはもう0に近かった。
ヒク付く体でざわめく周囲に目をやると、美智恵を始めとする候補者だった面々が、何か思い当たることがあるという風な表情を浮かべている。
口々にそう言えばと語り始めた彼女たちに、横島は己に舞い込んだチャンスが完全に潰えたことを理解した。
「終わった・・・・・・」
「いや、まだ始まったばかりよ・・・・・・ヒャクメっ!」
「了解なのね。絶対にその手紙を解析して、差出人をさらし・・・・・・ゲフン。さがしてあげるのね」
「今、【さらし】って言いかけただろお前!」
「気のせいなのね。早く手紙を出すのねッ!」
「出せるかボケっ!」
迫るヒャクメから逃げだそうと、横島は縛られた姿勢のまま芋虫の様にヘコヘコと這いずり出す。
助けを求めようと辺りを見回すが、周囲をとりまく面々も好奇心の方が勝っているらしい。
「み、美神さん! 止めさせてくださいッ! ほ、ほら、そんなことより未確認飛行物体! 超常現象がみんなを呼んでますよ!!」
「はぁ? 何言ってんの? アンタがラブレターを貰う方が超常現象でしょ! 真相究明のために、さっさと手紙を出しなさい!!」
横島の前方に回り込んだ美神は、彼を戒める呪縛ロープを解除すると素早くジーンズのポケットからピンクの封筒を抜き取ってしまう。
先程アパートで目撃したピンク色の封筒を彼女は覚えていたらしい。
「まさか、さっき見た封筒がラブレターだったとはね・・・・・・万一、本物だったら過ちをたださなくてはならないわね」
「な、なんスか万一って・・・・・・」
「前のバレンタインの時のように自作自演ならいいんだけど、本物ならみすみす人が不幸になるのを黙ってられないじゃない」
「自作自演違うっ! アレも、ソレも、本当に貰ったのッ!!」
「可哀想に、妄想と現実の区別がつかなくなるまで追いつめられているとは・・・・・・ナルニアのお母様になんて説明すれば」
「アンタか―――っ! ウチのおかんにいらん報告してるのはっ!!」
こう叫んだとき、横島は今のツッコミが疑惑を否定できていないことに気がついた。
恐る恐る周囲を見回すと、みな可哀想なものを見るような目で自分を見つめている。
ある者は目に涙を浮かべ、またあるものは冷ややかな目で口元を薄い笑いのかたちに引きつらせる。
疑惑のバレンタインチョコ事件のトラウマが、彼の脳裏に鮮烈にフラッシュバックしはじめた。
「うう。本当に貰ったのに・・・・・・」
その場にしゃがみ込み、横島はエグエグと泣き始めた。
周囲にはどう弁解しても信じて貰えない空気が充満していく。
だが、彼を押しつぶそうとするその空気は、ヒャクメがあげた驚きの声によって瞬時に消え去るのだった。
「み、美神さん大変なのね! その手紙、あの宇宙船と同じで何も分析できないのねッ!!」
「なんですってッ!!」
ヒャクメの声に真っ先に反応したのは美智恵だった。
仮設テントから飛び出した彼女は、すぐさま都庁上空に視線を奔らせる。
その瞬間、謎の飛行体から迸った光が眩く地上を照らした。
「あッ! 今、ピカっ!! って・・・・・・」
都内某所
ファミリーレストランに設置されたモニターの前で、花戸小鳩は小さな声をあげた。
モニターには、先程から謎の飛行体を追った番組が流されている。
バイト中であることを忘れ、食い入るように画面を見つめている彼女の背後で、店長が働けとばかりの咳払いを一つ行った。
「コホン!」
「あ、て、店長。すみません・・・・・・知り合いが映っていたものでつい」
「小鳩君。キミ、自分の立場分かってる?」
「ひぃぃぃっ!! すみません、すみません、すみません」
顔中におどろ線を散らした店長に迫られ、小鳩は半泣きになりながら何度もぺこぺこと頭を下げる。
けしからんと評判の制服がその都度ぷるぷる震えるが、不景気を体現するような表情をうかべる店長には何のご褒美にもなっていないようだった。
「分かってればいいんだよ。キミと一緒にいるその小っちゃいのが、勝手に仕入れたシメサバと、あんこと、レモンを今日中に消費してくれればね・・・・・・」
「はい、でも・・・・・・お客さんが・・・・・・」
「ん? 何か言ったかね」
「い、いえ、何でもないです。すみません、すみません、すみません、すみません・・・・・・・・・」
青筋を浮かべた店長に、涙目となった小鳩は更にハイペースで頭を下げまくる。
100年に一度の大不況に加え、降って湧いた飛行体騒動。
本当に泣きたいのは、そんな状況で使いもしない食材を大量に仕入れられた店長の方だろう。
彼は急遽作ったシメサバフェアと書かれた垂れ幕が、空しく揺れる店内をゆっくりを見回す。
閑散とした店内には客が2名しかいなかった。それもドリンクバーで粘り続ける質の悪い客が・・・・・・
彼はドリンクバーでくだを巻く2名の少女を見つめてから、ひたすら重い溜息をつくのだった。
「ねー。シロ、隊長から緊急の集合だって。だから、そろそろ・・・・・・ねっ!」
タマモはそういうと、テーブルに突っ伏したシロからそっとドリンクバーのコップをとりあげようとする。
緊急の集合に応じないシロを探していた彼女は、ファミレスのドリンクバーで無茶飲みしているシロを発見し、何故か付き合わされる羽目になっていた。
「放っておいて欲しいでござるっ! どーせ、拙者なんか・・・・・・」
「だーかーらー、私が横島に会ったのは偶然だって!」
「ふん、お前に拙者の気持ちなんて・・・・・・」
タマモの手を払いのけ、シロは覚束ない足取りで飲み物のおかわりを注ぎに行く。
どうやればドリンクバーで酔っぱらえるか謎だったが、とにかく彼女はへべれけになっていた。
「あ、ちょ、シロっ! ココアはダメだって、ココアは!!」
タマモは犬科に有害なココアを注ごうとしたシロを慌てて止めた。
遠くのほうで冷ややかに見つめる店長と目があったが、彼女は全力で気がつかないふりをする。
「いいんでござる。拙者なんか。拙者なんか・・・・・・プロローグで前フリがあったのに・・・・・・くっ!!」
「ナニ訳の分からないこと言ってるのよ! 飲み過ぎよアンタ」
「へっ。いいでござるな出番のあったヤツは・・・・・・拙者は各話のオチ要員を頑張るつもりでいたのに」
「あ、ホラ。シロ! アレ見て! 何か画面がピカっ!! って。誰かしらアレ?」
シロが口にしたメタネタを誤魔化そうと、タマモは大慌てでモニターを指さした。
画面では突如横島の前に出現した少女が大写しになっている。
中性的な顔立ちをした見覚えの無い少女だった。
「どーせ、くだらないネタでござるよ・・・・・・」
冷ややかな目で画面を見つめたシロがボソリと呟く。
何処かでノートパソコンをかかえたヨゴレが、ギクリと背を竦ませた。
後編に続く