椎名作品二次創作小説投稿広場


ラブレター フロム ・・・・・・(リレー)

第8話 / 泣いた日 〜Alones〜


投稿者名:いしゅたる
投稿日時:09/ 6/30

「うー、いちち……西条のヤロー、いつかぜってーぶっ殺す!」

 オカルトGメン日本支部の新本拠から叩き出された横島は、そのまま自宅へと向かっていた。傷が痛むたび、恨み晴らさでおくべきかとばかりに、その傷を付けた相手である西条に呪詛を吐く。
 そのまま「エセ紳士」だの「道楽公務員」だのと陰口を並べ立てる横島。やがて一通りの呪詛を吐き終え、気分が落ち着いたのか、その顔からは険が取れてくる。
 恨みが薄まったところ、代わりに脳裏に思い浮かんだのは、美智恵と交わした会話の内容。

「ひのめちゃんの誕生パーティーかぁ……仕切れって言われてもなぁ」

 たとえばこれが西条やピートの誕生パーティーとかであれば、言われるまでもなく――むしろ率先してめちゃくちゃにしてやったことだろう。
 しかし、今回の相手は赤ん坊。しかも血筋からして、将来ナイスバディの美女に育つことは間違いない。そんな有望株の赤子に下手をしてトラウマなんぞ植え付けでもすれば、将来的に自分のバラ色(予定)の人生に影を落とすかもしれないのだ。
 いやそれ以前に、率先してGOサインを出した美智恵はともかく、姉の方が黙っていないだろう。骨の髄まで丁稚根性の染み付いてしまった横島には、そちらの方が問題だ。

「難しいなぁ……こっちの問題もあるし」

 そう言って取り出すのは、例の手紙。その差出人も特定しなければならないので、横島としては頭が痛い限りだ。
 ここ数日、散々考えたり心当たりを当たったりしてみたが、収穫はゼロ。いい加減、疲れてきた頃合だ。この辺りで、一度リフレッシュすると良いかもしれない。

「そうだな……気分転換も兼ねて、ちょっとパーティーグッズでも見に行ってみるか――っと、もうこんなところか」

 と――今後の行動を決めると、気が付けば自宅近くまで来ていた。
 このままUターンして繁華街へと向かうのも良いが、折角ここまで来たのだから一度自宅に戻り、くだんの手紙を確認するのも良いかもしれない。
 横島はそう考えると、そのまま足の向かう先は変えず、自宅へと向かった。
 程なくして見慣れたボロアパートが視界に入り、カンカンと音を鳴らして階段を昇る。自宅玄関の横に設置してある郵便受けの前まで来ると、無造作にその中に手を突っ込んだ。

「ええっと……お、届いてる届いてる」

 やはり、入れ違いになっていたらしい。横島が郵便受けから手紙を取り出すと、差出人の名前を確認した。美神美智恵――確かに間違いない。
 だが――

「…………ん?」

 手紙を掴んだ手にベトリとした感触を覚え、横島は疑問の声を上げた。
 その手を見てみれば、指に何かの液体が付着している。しかもその上、掴んでいる手紙は指以上にべっとりと濡れていた。
 なんだこりゃ、と思いながら、姿勢を低くして郵便受けの中を直接覗き込む。

 するとそこには――



 ――横倒しになって見事に割れている、『山○養蜂場』のハチミツの瓶。



(あー、そういえばちょっと贅沢してみようって、今度妙神山に行く時のパピリオの土産用に、こんなの通販で頼んでたよーな……)

 それを見て、横島は思い出した。いつだったか、臨時収入があって珍しく懐が暖かかった時のことだが、通販なんぞほとんど利用していないから、すっかり忘れていたのだ。
 おそらく、それが届いたということなのだろう……いつの話かはわからないが。
 それが一体何がどうなって、こんなことになっているのかはわからないが――横島にとって、重要なのは一つである。

 ――それはすなわち――

「…………ハチミツ、何の関係もねーじゃねーかよ!」

 今の今まで判断材料の一つと思っていたものが見事に無関係だとわかり、横島は思いっきり肩を落とした。









     第8話 / 泣いた日 〜Alones〜









 ――都心某所、中武百貨店――

「おっじょうっさーんっ!」

 そのデパートに程近い場所で、一人の男の声が響く。

 あれから気を取り直し、横島は改めてパーティーグッズを物色するため、都心のデパートへと向かった。
 だが、人が多ければその分美女との遭遇率も上がる。当然のごとく横島は当初の目的なぞ忘れ、右に左にとナンパに奔走していた。

「フッ。綺麗なお姉さん、ボクと熱いひと時を過ごしませんか?」

「ねーちゃん茶ぁしばきまへんかー?」

「生まれた時から愛してましたー!」

「キミの瞳に恋してる……」

 だがそんな努力の甲斐もなく、返って来る言葉は「帰れ」だの「バーカ!」だの「キモい。触るな」だのといった冷たいものばかり。まあ彼の下手糞なナンパが成功した試しなど皆無なわけなのだが。
 そうくれば後は例によって、横島は天下の往来で地面に膝を付き、「ちくしょう……やっぱ男は顔なのか……!」と怨嗟の声を上げるのも通例であった。実際はそれ以前の問題なのではあるが、相変わらずそこに気付く様子はなかった。

 と――

「……ん?」

 横島の煩悩レーダーに、新たなる美女の反応がキャッチされた。
 素早く立ち直って顔を上げると、そこには赤毛のまぶしい小柄な後ろ姿――

「おっしゃ、次のターゲット確認! 横島忠夫、突貫しまーす!」

 凝りもせず、ナンパを再開する横島。彼は素早く、その美女に向かって走って行き――

(…………あれ?)

 と、何か違和感を覚え、その速度を緩めた。
 近付いていくたびに、違和感――いや、既視感が強くなっていく。
 というか、よくよく見てみれば、その後ろ姿には見覚えがあった。ありまくった。

 そもそも――『角の生えている女性』など、横島の記憶には数える程度しかいないわけで。

「もしかして……小竜姫さま?」

「え?」

 ぼそりとこぼしたその言葉に、彼女は反応して振り返った。するとその顔は、やはり横島の思った通り、小竜姫のものであった。着ている服も、見慣れた下界用のものである。

「横島さんじゃないですか。どうしたんですか?」

「いや、そりゃこっちの台詞ですよ。なんで小竜姫さまが、わざわざこんなところに? もしかして、また天龍が脱走したとかですか?」

「そうじゃありませんよ」

 横島の問いかけに、彼女はくすりと苦笑して否定した。そして、ここに来た理由を説明し始める。
 それによると、彼女がここにいるのは、単にヒャクメの付き添いなだけだという。休暇をもらったヒャクメが、能力を封印する首輪を付けられていたのは記憶に新しい――そんな彼女は、せっかくの休暇だからと下界に遊びに行きたいと言い出したのだそうだ。
 まあヒャクメが個人で貰った休暇なので、それをどう消化しようと彼女の勝手である。デタントに触れるようなことをしない限りは、小竜姫も止めるつもりはなかった。

「でも、小竜姫さまって妙神山の管理人なんでしょ? ヒャクメなんかの付き添いでほいほいこっち来ていいんスか?」

「なんかって……あれでも一応神族なんですから、もう少し敬ってあげてくださいよ」

 苦笑してたしなめる小竜姫だが、『あれでも』とか『一応』とか言ってる時点で、彼女も似たようなものである。

「……まあ、私もそうは思うのですが、他でもない老師が行って来いっておっしゃいましたので……なんでも、『どうせ修行者なぞ来ないし暇なんじゃから、ついでにお前も楽しんで来い』とか」

「うわ適当だなぁあのゲーム猿」

「…………老師をゲーム猿呼ばわりできる人間なんて、横島さんぐらいなものでしょうね」

 曲がりなりにも最高峰の武神の一柱である斉天大聖ですら、横島にとっては敬意を払う対象にはならないらしい。
 まあ実態を知るがゆえというのも多分にあるだろうが、それにしても罰当たりというか恐れを知らないと言うか……ともあれそんな横島の態度に、小竜姫は呆れ顔だ。

「で、その肝心のヒャクメはどこっスか? それに、パピリオもいるんじゃないっスか?」

 横島は周囲を見回しながら尋ねる。小竜姫はヒャクメの付き添いと言っていたが、そのヒャクメが見当たらないのだ。
 加えて、妙神山には小竜姫と斉天大聖以外にもパピリオがいる。こんな話が出て、彼女が大人しく留守番をしているとは思えない。

「ヒャクメは先ほど、あちらの建物に入って行きました」

 小竜姫が質問に答えて指差した方角に、横島も視線を向けてみる。そこにあった建物の看板には、『パチンコ』という単語が踊っていた。

「なんでも、えーと……すろー? だとか、目……目……目潰し? だとか何とか言い出しまして、『このヒャクメちゃんにかかればチョロいのねー』と言いながら入って行きました」

「スロー? 目潰し? なんじゃそりゃ……って、もしかしてスロットと目押しのことかな?」

「ああ、たぶんそれです」

「何やってんだよあいつは……」

 少なくとも神様が取る行動ではない。元々低かった評価を更に下方修正しながら、横島は呆れ顔でぼやいた。
 それには小竜姫も同意なのだろう。今度は横島の言葉に反論することなく、「あはは……」と乾いた笑みを浮かべるのみだ。

「それと、パピリオですが……確かに付いて来てましたけど、横島さんのところに行くと言って、一人で勝手に飛んで行ってしまいました。鬼門たちが後を追って行ったのですが……その様子だと、入れ違いになってしまったようですね」

「え? そうすると、小竜姫さまは今一人なんスか?」

「ええ。とりあえず、他にやることもないので、ここでヒャクメが出てくるのを待ってるんですが……」

 そう言う小竜姫は、ヒャクメが入って行ったというパチンコ屋に、少々不安げな視線を向けていた。待つというならヒャクメと一緒に入って行っていれば良かったのだろうが、見慣れない施設に物怖じしてるのかもしれない。
 だがどうであれ、パチンコ屋に入った友人を外で待つというのは、少々気の長い話である。こういうものは、得てしてすぐには出てこないものなのだから。

 となれば――だ。

「じゃあ小竜姫さま、暇潰しがてら、俺がこの辺を案内しましょうか?」

「え?」

 彼女が一人っきりの状況を、このまま利用しない手はない。横島は彼女に、そんな提案を持ちかけた。
 手紙のこともある――先日妙神山に行った時は、なんやかんやあって聞きそびれたのだ。差出人が彼女であるという望みはかなり薄いが、ダメで元々。折りを見て聞いてみることにしよう。
 そんな下心を隠したその提案に、小竜姫は少しだけ考え込み――ややあって、「はい」と頷いた。







 その後二人は連れ立って、まずはということで中武百貨店へと入店した。

 並べられている多種多様な商品を見て、世間擦れしていない小竜姫が面白いぐらいに過剰な反応を見せる。そんな彼女の様子を、横島は微笑ましく眺めながら、次々とデパートの中を案内した。
 ……ちなみに、ゲームソフトコーナーに寄った時に小竜姫が「そういえば老師に頼まれていたものがあったんでしたっけ」とつぶやいた時、「小竜姫さまを送り出した本当の理由はそれかっ!」と、遠い妙神山のゲーム猿に向けて思わずツッコミを入れてしまった彼を、誰も責めることはできないだろう。
 そうこうしているうちに、二人はパーティーグッズの置かれている一角へと到着した。

「まあ……美神さんの妹さんの誕生日ですか」

「ひのめちゃんっていうんスよ。確かまだ、会ったことはないっスよね?」

「ええ。……そうですか、その子が生まれてもう一年ですか」

「早いもんスね。お――クラッカーはここか」

 横島はそう言って、見つけた棚からクラッカーを取り出す。

「横島さん、それは?」

「クラッカーっていって、ここの紐を引っ張ると、パンッていう破裂音と一緒に紙吹雪やら何やらが飛び出すんスよ。まあ、祝砲って言えばわかりますかね?」

「ああ――そう言ってもらえれば、なんとなくわかります」

 横島のその説明に、小竜姫が納得して頷いた。
 彼はクラッカーを棚に戻し、続けて別の商品を眺める。その様子に、小竜姫は小首を傾げた。

「あら? 買わないんですか?」

「今日はただ見に来ただけっスよ。その誕生日パーティーはまだ先の話ですから。あ、そうだ――パーティー、小竜姫さまも来ます?」

「えっ……? 私も、ですか?」

 思いもしなかったのだろう。その誘いに、彼女は一瞬目を丸くし――だがすぐに、寂しげに苦笑した。

「そのお誘いは嬉しいのですが……私もこれで妙神山の管理人ですから、そうそう都合よく下山の許可が得られるかはわかりません。今日みたいなのは、むしろ特別なんです」

「あのゲーム猿なら、簡単に許可してくれそーな気もしますけど」

「ふふ、そうですね……そうなったら、パピリオも連れて参加させていただきます」

 お気楽な横島の物言いに、小竜姫は柔らかなほほ笑みを浮かべて頷いた。
 その後も二人は、デパート内をあれやこれやと見て回る。屋上の子供向け遊戯施設に出て、天龍童子をここで遊ばせた時の話を交えて談笑もした。
 やがて一通り回り終え、二人はデパートから外へ出る。

「んじゃ、次はどこ行きますか?」

「どこと聞かれても……私は俗界のことはどうにも。それより、ヒャクメはまだあそこの中でしょうか? そろそろ出てくる頃じゃないでしょうか?」

「……あいつのことは正直、ほっといていーよーな気もしますが」

「ダメですよ、横島さん」

 やる気なさそーにつぶやく横島に、小竜姫は苦笑を禁じ得ない。
 そんなやり取りをしながら、二人は横断歩道の前で信号待ちをし――そして。

(この辺が頃合かな……?)

 小竜姫から手紙のことを聞き出すタイミングとしては、こういった物事の合間が良いだろう。
 あまり期待はできないが、それでも万が一ということもある。99%の諦観と1%の期待を胸に、横島は意を決し――

「ところで小竜姫さま、あれのことなんですが……」

「はい?」

 主語をぼかしたその物言いに、小竜姫は横島の方に振り向いて小首を傾げた。
 さすがの小竜姫もすぐに『あれ』が何を指すかは思い当たらないようで、横島の言葉の続きを黙って待つが――ややあって。

「あれって……あれのことですか?」

「はい、そうそうあれの――」

 彼女がそう言って指で示した先に視線を向けながら、横島は頷き――だがその台詞が、途中で途切れる。
 小竜姫が指差した先は、横断歩道の向こう側。信号の根元に、花束が一つ添えられていた。
 そして、そこには花束以外にももう一つ――

「おおっ! 美女発見! 死んでるのが惜しいけどっ!」

 そう――そこにいたのは、美女の幽霊であった。
 花束が添えられているところを見ると、ここで交通事故にでも遭ったのだろうか。死んでから間もないらしく、彼女はいつかのジェームズ伝次郎のように、存在が希薄であった。おそらく、横島と小竜姫以外には見えている人間はいないだろう。
 今しがた脳裏にあった思惑なぞ綺麗さっぱり忘れ、美女を見つけた喜びをあらわにする横島。そんな彼の様子に、隣にいる小竜姫は盛大にため息を漏らす。

「横島さん、あなたって人は……まあいいです。それで彼女、どうするんですか?」

「あ、そーっスね……見つけちまったからには無視もできませんし、とりあえず話を聞いてみましょーか」

 そんなやり取りをするうちに、信号が赤から青へと変わる。人の群れが一斉に動き出し、二人もその流れに身を任せて歩き始めた。
 かけらも彼女に気付いた様子のない人込みを縫いながら、二人は真っ直ぐに彼女の元へと向かう。

 そして――



「こんにちは綺麗なお姉さん! ボク横島! 良ければ一緒に愛を語り合いませんか!?」

『ふぇっ!?』

「いきなりナンパを始めないでくださいっ!」



 唐突にナンパを始めた横島。突然の事態に幽霊の女性は目を白黒させ、小竜姫が思わず怒鳴りつける。
 無論、彼女の姿など見えてない周囲の人間たちは、横島が何もない空間にナンパしているようにしか見えず――自然、奇異の目が集中した。
 とりあえず小竜姫は、神剣を中に入れたバッグを横島の脳天に落として沈黙させ、その幽霊に向き直る。

『あ、あの……私が、見えるんですか?』

「ええ。こんなところで立ち話もなんですし、隅の方にでも寄りましょうか。それとも、そこから離れられませんか?」

『い、いえ、少しなら大丈夫ですが……』

 小竜姫の言葉に、彼女は戸惑いながら頷く。小竜姫は横島を叩き起こしてからガードレールの方へと寄り、横島と二人で彼女を挟み込むように立った。
 こうすれば、二人が左右から彼女に話しかけても、周囲からは横島と小竜姫の二人が会話しているようにしか見えない。

「それでおねーさん、名前は?」

『あ、はい。私はケイコといいます。えっと、横島さん……でしたっけ?』

「そ。俺は横島忠夫、よろしく。それでこの人が――」

「小竜姫といいます」

『ショウリュウキ……ですか。変わったお名前ですね。中国の人ですか?』

「まあそんなようなものです」

 まずはということで互いに自己紹介する三人。
 一通り名乗りが終わると、横島は彼女がいた信号へと視線を向けた。

「それで、ケイコさんはどーしてあんなところに? お暇だったら俺と一緒にお茶でもどうっスか? もちろん最後は一夜を共げぼらっ!」

「だからそうじゃないでしょう、横島さんっ!」

『あ、あの、えっと……』

 懲りずにナンパを敢行する横島に、小竜姫の容赦ないツッコミが入る。そんな二人の様子に、ケイコは戸惑うばかりだった。
 再び横島を沈めたバッグを肩にかけ直し、小竜姫はコホンと一つ咳払いする。

「彼に任せていたら話が進みません。ケイコさん、とおっしゃいましたね。あなたはあそこで、何をしてたのですか? ……自分が既にこの世の者ではないこと、自覚はしているのでしょう?」

『あ……はい。私は少し前、ここの交差点で事故に遭って……』

 小竜姫の言葉にケイコは目を伏せ、身を守るかのように両腕で自身の体を抱き締めるポーズを取る。おそらく、死んだ時の恐怖を思い出しているのだろう。
 だがそんな彼女の様子に、沈められていた横島はむくりと起き上がり、「おや?」と首を傾げた。

「ケイコさん……死んだって自覚あったんスか?」

「横島さん、彼女の言動を思い返してみてください。自身の死を自覚しているらしき言葉はありましたよ?」

「あー、そういえば。……けど成仏してないってことは、何か心残りでも? 良ければ話してくれませんかね? 俺こんなんでも一応GSだから、何か力になれるかもっス」

『え? あの……いいんですか?』

「もちろん! 俺は全世界の美女の味方、横島忠夫っスから!」

 遠慮がちに尋ねてきたケイコに、横島は自信たっぷりに胸を張って答える。
 その言葉を受け、『そんな、美女だなんて……』とケイコはまんざらでもない様子だったが、その表情からは嬉しさよりも、むしろ寂しさばかりが募って見えた。

「そんな顔しないでくださいよ。美人は笑顔が一番! このGS横島忠夫が絶対あなたを笑顔にして、極楽に送ってさしあげますって!」

「私もこう見えて、仏道に身を置く者……ここに居合わせたのは偶然ですが、これも御仏のお導きかもしれません。微力ながら、私も協力いたしましょう」

『……ありがとうございます』

 横島と小竜姫がそこまで言って、ようやっと彼女の口元に笑みが浮かんだ。そんな二人のやり取りに、傍で見ていた小竜姫の口元にも、自然と笑みが浮かぶ。

 と――

『…………あ』

 ふと唐突に、ケイコが声を上げた。
 その様子の変化に気付いた二人が、何事か尋ねるより早く、彼女は横島の体に身を寄せる。「おおお!?」と鼻息を荒くする横島だが、対照的にケイコの表情には怯えに似た感情が浮かび上がっていた。
 そんなケイコの視線は、自身に向けて花が添えられている場所――最初に二人がケイコを発見した、あの信号機の下へと向けられていた。どうやら彼女は、そこにいる誰かに見つかりたくなくて、横島の影に隠れているらしい。
 そんな彼女の様子に、横島と小竜姫の二人も彼女の注視している方角に視線を向ける。

 そこにいたのは、車椅子に座って祈りを捧げる若い男――

「彼は――」

『私の恋人……だった人です』

 小竜姫の問いを最後まで聞くことなく、ケイコは沈痛そうな面持ちで答えた。彼はそれなりに整った顔立ちをしており、憂いを帯びたその横顔は、なるほど女性にはさぞ魅力的に映ることだろう。

「なるほど……見たところ、足が不自由なようですが」

 どこからともなく藁人形を取り出した横島に無言でバッグを叩き付けつつ、小竜姫は会話を続けた。バッグから飛び出した神剣の切っ先が、横島の頭にざっくりと刺さって軽くスプラッタだ。
 小竜姫の言葉を受け、ケイコは彼に視線を固定したまま、『実は……』と話し始める。視界の外で行われているバイオレンスには、気付いた様子もない。彼の登場で、余裕がなくなったのだろうか。

『……あの日、私と彼はデート中でした。一緒に映画を見たり、ウィンドウショッピングしたり、食事をしたり、服を買ってもらったり……ごくごくありふれた普通のデートで、二人で笑い合ってました。この幸せがいつまでも続くって、何の根拠もなく信じてたんです。
 それが、あの時……横断歩道を渡ろうとした、あの時――』

 言いながら、彼女の視線は彼が祈りを捧げている信号機の先――横断歩道へと移った。
 その先は、聞かずともわかった。当たり前の幸せを満喫していた二人に、突然襲い掛かった悲劇……といったところだろう。
 彼女はその先を言いづらそうに一旦言葉を切ったが、すぐにその続きを話し出す。

『……私と彼はまともに巻き込まれてしまい、重傷を負いました。その後、私たちがどうなったかは――見ての通り、とだけ言わせてください。結局、私はその後一度として、目を覚ますことはありませんでしたが……』

 彼女はそこまで口にして、再び言葉を切った。
 一秒、二秒――今度の沈黙は長かった。やはり、自分の人生が既に終わっていることを自覚し、自らそれを口にするのはつらいものなのだろう。
 やがて、彼女の目元にきらりと光る雫が見える。

「……それで……」

 その沈黙に耐え切れなくなったのか、あるいは別の想いからか――彼女の言葉の続きを待たずして、小竜姫が口を開いた。

「それであなたは――どうしたいんですか?」

 単刀直入に問いかけられたその言葉に、ケイコはしばし逡巡し――

『私……私は……』

 弱々しく、自身の想いを語り始めた。







 ――ケイコの告白を受け、それから十数分後――

「…………はぁ…………」

 横島は盛大にため息をつき、目の前の男を見る。

「ど、どうしたんでしょうか……?」

「あー、いや、ちょっと待ってくれや」

「それ、三回目ですが」

 いまだに戸惑い続ける男――ケイコの恋人だった彼は、所在なさげに身じろぎする。
 二人がいるのは、先ほどの交差点から裏路地に入ったところにある、小さな児童公園。砂場や滑り台、ブランコなどが置いてある公園の隅で、横島はベンチに腰掛け、男はその右斜め前にいた。無論、車椅子に座ったままで。

 ――あれからケイコの望みを聞いた横島は、あまり気乗りしないながらもその想いを叶えるため、この男に声をかけた。
 そこから先は早かった。彼が誰何の声を上げるより早く、横島は車椅子の背後に回り込み、問答無用でここまで連れて来た。
 彼の乗る車椅子をベンチの脇に停め、自身はベンチに腰を降ろす。だが、『何故自分がこんな役回りをしなけりゃならんのか』という苛立ちからなかなか本題を切り出すことができず、こうして何をするでもなくじっと彼を睨んでいた。

「あ、あの……」

「だから待てっちゅーとんのじゃ。心を落ち着けるから。ええいチクショー、なんだかとってもチクショー」

「いやわけわかんないんですが」

 横島の様子に若干引きつつそう言う彼の手は、車椅子の車輪へと伸びている。すぐにでも去りたいといった感情が、ありありと行動に出ていた。
 横島はそんな彼の手にしっかりと気付きつつ、「はぁ」ともう一度ため息をついた。

「…………あの交差点で何してた?」

 ぽつりとこぼした言葉に、彼の手がピタリと止まった。

「あなたに……何の関係が?」

 そう返した言葉は、心なしか震えていた。
 その声音を耳にした横島は、彼の心情が『ケイコの話した通り』であることを、なかば確信した。

「確かに、関係ねーな。アンタが何者で、あそこで事故って死んだのが誰かなんて、当事者でも目撃者でも、ましてや遺族ですらない俺にはわかりようもないこった」

「なら、わざわざ聞く必要はないでしょう」

「かもしんねーな」

 突き放すように言った彼の言葉に、横島は気のない声で同意した。
 同意を得たことで話は終わりと思ったのか、あるいはこれ以上話したくないのか――おそらく後者であろう彼は、くるりと車椅子を反転させ、横島に背を向ける。

 が――

「ま、ただのお節介ってやつだ――今のお前と同じ顔した奴を、昔見たことあっかんな」

「…………」

 横島がその背に向かってかけた言葉に、彼の動きが再び止まった。
 そして彼は、そのまま振り返ることなく、口を開いた。

「その人は……」

「恋人に命を救われて、自分だけ生き残った。……けど、腐ったりせずに今を精一杯生きてるよ。彼女にもらった命は無駄にできないってな」

「……強い人なんですね。僕には真似できそうにない」

「強いんじゃねーよ。そいつは馬鹿だったから、それしか知らなかっただけだ」

 横島の言葉に自嘲の言葉をこぼす彼に、横島は同じような自嘲で返した。

「笑えないんなら無理に笑わんでもいいと思う。人間、そう簡単に心の整理をつけられる生き物じゃねーからな。……そういう時、誰かのために笑うってのは――意外につらいもんだ」

「……………………」

「すぐにとは言わねえよ。だけどいつか、自分のために笑えるようになっても……いいと思うぜ」

「……それは……」

 横島の言葉を背中に受け、彼はぽつりとこぼした。
 そして――ゆっくりと車椅子を反転させ、正面から横島に向き直る。

「それは、もしかして……ケイコの言葉ですか?」

「……よくわかったな」

 意外と鋭い彼の指摘に、横島はあっさりと肯定して肩をすくめた。

「なんとなく……そんな気がしただけです。僕は、誰よりも彼女を……ケイコのことを理解している。そんな自負がありますから」

「けっ、ノロケかよ。はいはいごちそーさまごちそーさま」

 寂しげに答えたその内容に、横島はまるで不味いものを口にしたかのように、しかめっ面になって舌を出した。

「あなたは、ケイコとはどんな関係だったのですか?」

「関係ってほどのもんじゃねーなぁ……さっき会ったばかりだし」

「さっき……? ちょっと待ってください。ケイコはもう――あ」

 事実と横島の言葉とに矛盾を感じ、彼は眉根を寄せるが――すぐに、その矛盾を矛盾でなくす一つの事実に思い当たる。

「……ゴースト……スイーパー……?」

「見習いだけどな」

 半信半疑で口にした推測に、横島は肩をすくめて肯定した。
 その返答に彼は大きく目を見開き、目に見えて衝撃を受けた様子を見せる。

「ということは……ということはまさか、彼女は今も、この世を彷徨っているとでも言うんですか!?」

「――そうだよ。お前の言う通り、ケイコさんの魂は成仏してない」

 間を置くことなく肯定の言葉を返され、彼は「そんな……」と肩を落とす。
 おそらく、成仏していない理由にあれこれと考えを巡らせているのだろう。その顔は、横島がいつか鏡で見たことのある、自責の表情――当時を思い出し、横島は思わず苦虫を噛み潰したような表情になる。

「……ケイコさんはお前のことが心配なんだとよ。理由は……彼女のことを誰よりも理解しているっつー彼氏サマなら、わかんねーわきゃねーよな?」

「そ、それは……」

 横島の問いに、答えに詰まる。
 彼はつらそうに目を伏せ――だがすぐに、戸惑いと不安が入り混じった視線を横島に向けた。

「わかっては……いるんですよ。きっと今の僕を見たら、彼女は表情を曇らせるだろうことを。でも……無理なんです。彼女を失ってから、胸の中にぽっかりと穴が開いたようで……どうしようもないんです。僕は、僕は……!」

 とりとめのない言葉の羅列。吐露した感情のまま、今にも泣き出しそうな顔になる彼を前に――横島はしかし、同情するでもなく不機嫌そうに顔をしかめ、ぼりぼりと後頭部を掻いた。
 そして横島は、おもむろに立ち上がり、スッと彼の前まで近付く。

「……気持ちはわかる。よーくわかる」

「……………………」

「お前の境遇も、つらさも、『胸の中にぽっかりと穴が開いた』っていうその気持ちも、全部――な」

「……………………」

「だけど――な」

 横島は言いながら、おもむろに右の拳を握り締め――彼がその拳に気付いたその時、それは彼の頬へと吸い込まれていた。
 ゴスッ!と鈍い音を響かせ、彼の体が車椅子を巻き込んで吹き飛んだ。横倒しになった車椅子の1メートルほど向こう側に転がり、彼は戸惑いの篭った視線を横島に向ける。

「な、何を……」

「うっせえ」

 横島はそのままつかつかと歩み寄り、倒れたままの彼の髪を無造作に掴んで、引っ張り上げた。
 痛みに苦悶の表情を浮かべる彼に、しかし横島は構わずその顔をある一点に向けさせる。

「てめーのその煮え切らない態度の結果が『あれ』だ。目ぇひん剥いてよぉーく【視】てみやがれ」

 そう言って、横島はいつの間にか手の中に握り締めた『珠』――言わずもがな文珠である――を、彼の後頭部に叩き付ける。



     【視】



「あ……」

 突如として目の前に広がった光景に、彼は思わず声を漏らした。掴まれていた髪を離され、彼の体がどさりと地面に落ちる。
 彼の目の前の光景。それは、先ほどまでとは何も変わらない児童公園の風景――だがただ一点、彼が向けさせられた視線の先に、先ほどまでは無かったものがくっきりと【視】えた。

「…………ケイ……コ……?」

 輪郭がおぼろで、体の向こう側が透けて見えるが――それは見間違えようもない、かつての恋人。永遠に失った大切な宝物。
 だが彼女は、胸の前で祈るように手を組み、しきりに涙を流している。

「――理由なんか知ったこっちゃねえ。美女を哀しませる男は誰だろうが悪党だ」

 横島の言葉が、彼の胸に突き刺さる。だが彼の視線はケイコに釘付けのままで、横島の方に振り向こうとすらしない。
 横島はそんな彼の態度を気にした素振りもなく、横倒しになった車椅子を起こした。そして、それを押して、彼の横へと持って行く。

「ヤメだヤメ。こういうのはどーにも気が乗らん。やっぱ俺は、『美女からモテる美形へのメッセンジャー』なんて役回りはまっぴらご免だ。ケイコさんが俺に託したメッセージは、直接自分で聞いて来やがれ」

 そう言って横島はくるりと背を向け、その場を後にした。
 彼はそんな横島をちらりと見やると、のろのろと車椅子に戻り、ゆっくりと車輪を回してケイコの元へと寄って行った。





「……横島さん」

 ケイコと二人、最後の別れを交わす男――その光景を背にして歩いていた横島を、小竜姫が出迎えた。
 そんな小竜姫に、横島はへらりと軽い笑みを浮かべる。

「や、スマンっす小竜姫さま。当初の予定狂わしちゃいました」

「いえ……たぶん、あれで良かったんだと思います。あとは……あの二人の問題ですから」

 そう言って小竜姫が視線を向けた先に、横島も視線を向ける。
 そこでは男が泣きそうな顔でケイコに叫び、ケイコは儚い笑みでゆっくりと首を横に振っていた。
 ケイコの唇が、ゆっくりと動く。その形の良い唇の動きを見て、横島は急に表情を曇らせた。

「…………あなたはあなたのままで、か……」

「え?」

「いや、なんでもないっス」

 ぽつりとこぼした言葉は、小竜姫の耳にはしっかりとは届かなかった。尋ねてきた彼女に、横島は自嘲気味に笑って首を横に振った。
 やがてひとしきり話をした後、ケイコはおもむろに公園の入り口に向かい、スッと指を向けた。
 その指が指し示す先を、彼と――見守っていた横島と小竜姫の二人も見やる。そこでは一人の女性が、走っては立ち止まり、キョロキョロと周囲を見回してからまた走り、といった行動を繰り返していた。

「彼女ですね――ケイコさんの言っていた人は」

「ったくよー、ケイコさんだけじゃなくてあんな美女にまで想われてるだなんて、やっぱり美形は敵じゃ」

 ケイコの説明によれば、彼女は二人の共通の友人であり、かつては彼を巡っての三角関係の一角にいたらしい。そんな彼女は、あの事故以来失意の底にいる彼を、必死に支えようと頑張っているのだそうだ。
 そしてケイコは――そんな彼女に、彼のことを託したいと思っていた。
 いつまでも死んだ自分に縛られていないで、彼には新しい幸せを見つけて欲しい――それが、今からこの世を去ることになるケイコの、ただ一つの願いであった。
 しかし、いまだにこちらを発見できていない女性を視界に収めながらも、男は彼女とケイコを交互に見ているばかりで動こうとしない。見たところ、ケイコの傍から離れたくないという想いが強く、彼女の元へと行けないらしい。

「……煮え切りませんね。気持ちはわからないでもありませんけど」

「……………………けっ」

 横島は不機嫌そうに吐き捨てると、おもむろにヤクザ歩きで男の方へと歩き出した。
 ずんずんと近付く彼の存在に、二人とも気付いた様子もない――やがて男の背後に到達した横島は、車椅子の背後に問答無用でヤクザキックをかました。男と一緒にケイコも悲鳴を上げるが、横島はそれを無視して何事か怒鳴ると、彼を探す女性に向かって大声で声をかけた。
 すると女性はこちらに気付き、息せき切って走り寄って来た。彼女はケイコの存在に気付いた様子もなく、「もうっ、どこ行ってたのよ! 心配したんだから!」などと、彼に詰め寄る。
 そんな二人の様子を、横島が妬ましそうに見るが――そんな彼の後ろで、小竜姫はケイコの傍へと近付いた。

「……もう構いませんか?」

『ええ。言うべきことは全部言いました。すぐには無理でも、彼ならわかってくれます。それに、あの人ならきっと――私の代わりに、しっかり彼を支えていけると思いますから』

「そうですか……」

 きっと彼女は、自分がもうその役目を担えないことに、一抹の――いや、相当の悲しさを覚えていることだろう。そうでないはずがない。しかしそんな自分の感情を押し込み、生き残った彼の幸せのみを望んだ。
 小竜姫はそんな彼女を、とても強い心の持ち主だと思った。それと同時に、ケイコと車椅子の男性、そして彼に詰め寄る女性――この三人のそれぞれの立ち位置に、とてもよく知る身近な人々を重ね合わせる。

「……ひとつだけ、聞かせていただいていいですか?」

『なんですか?』

「あなたの名前――どんな字を書くんですか?」

『蛍の子――そう書いてケイコです』

 ――ああ、やっぱり――
 小竜姫はそれを、なんとなく予感していた。特に何か判断材料があったわけではない。ただ、そんな勘がした――それだけだ。
 しかしそれを思えば、やはり彼女たち三人の関係は、『とてもよく似てる』と言えた。彼女の名を思えば、偶然ですらないような気さえする。横島がこの件に立ち会ったのは必然か、あるいは運命か。
 長い人生の中では取るに足りない、とてもとても小さな――しかし横島にとっても無視することのできない、大切な通過儀礼。先ほど自分が居合わせたことを『御仏のお導き』と言ったが、それはむしろ、横島にこそ当て嵌まるのだろう。

 そんなことを思いながら、横島の背に視線を向ける小竜姫。すると――

『大丈夫ですよ』

 唐突に、ケイコがそんなことを言い出した。
 小竜姫が振り向いてみれば、そこには『なぜか』慈愛に満ちた目を小竜姫に向ける、ケイコの姿。

「はい?」

『あなたは魅力的な女性ですから――ラブレターを書くなり何なりして頑張れば、きっと横島さんのハートを射止められます』

「は……え……ええっ!?」

 そんな脈絡のないエールを送られ、小竜姫の思考は一瞬停止した。その意味が脳裏に浸透して行くにつれ、どんどんと顔が赤くなり――思わず素っ頓狂な声を上げてしまった頃には、ケイコはコロコロと笑い出していた。

「い、いや、何を勘違いしていらっしゃるんですか!? 横島さんはそんなのでは――」

『いいんですよ、照れなくても』

「そうではなくて……!」

 必死に否定するが、ケイコは取り合う様子もない。
 だが大声を上げれば、当然横島も気付くわけで――

「……小竜姫さま?」

「はひっ!?」

 一体何事かと振り向いた横島の声に、思わず動揺して妙な声を上げてしまった。
 そんな小竜姫の一挙手一投足がよほど面白いのか、ケイコの笑いは止まる気配がない――しかし横島に続き、その向こう側にいた彼と彼女の二人も振り向いたところで、その笑い声も止まった。

 生と死。決して交わらない境界に断絶された恋人達の視線が、ほんの少しだけ交差する。
 ややあって、ケイコはおもむろに、吹っ切ったかのような満面の笑みを作った。



 そして一回、ぺこりと頭を下げたかと思えば――その姿が、霞のようにゆっくりと解け消えた。



 後には、淡く青白い光を発する、小さな人魂が残るのみ。それもゆっくりと天に昇り、やがて見えなくなった。
 それを見送って、空を見上げる三人。この場で唯一、それを見ることのできなかった女性が怪訝そうな顔をするが、彼がおもむろに「さあ、行こう」と言うと、素直に従って車椅子を押し始めた。

 去り際、彼は横島たち二人に向かい、ぺこりと頭を下げる――その表情には、既に蔭りは見えなかった。







 女性に押され、去って行く車椅子の男。
 彼の背を見送る横島は、おもむろに頭をボリボリと掻き、次いで「はぁ〜っ」と盛大なため息をついた。

「お疲れ様です、横島さん」

 そんな彼に、小竜姫は背中から声をかける。
 だが横島は振り返らない。言葉すら返すことなく、ただじっと前ばかりを向いていた。

「なかなかの手際、と言うべきでしょうか。さすがはGSといったところですね」

「……そうっスか」

「彼女の魂も、今しがた阿弥陀如来(あみだにょらい)様の御許へと旅立ちました。あなたのおかげですよ、横島さん」

「……そうっスか」

「しばらく見ない間に、随分と成長なさったみたいですね。初めて会った頃とは見違えるほどです」

「……そうっスか」

「……………………」

「……………………」

 何を言っても、「そうっスか」としか答えない横島。
 心ここにあらずといった様子の彼に、小竜姫の表情が少しだけ曇る。小竜姫がケイコたち三人に重ね合わせたものを、おそらく横島自身も見ていたのだろう。
 きっと彼は、あの時の傷を思い出してしまったのだろう。自分たち神族が不甲斐ないばかりに、人間たち――とりわけ彼一人に、全てを背負わせてしまったあの時のことを。

「…………横島さん」

「やっぱり……らしくないっスよね」

「え……?」

 小竜姫が更に言葉を続けるのを遮るように、ぽつりとこぼした横島の言葉。それを耳にした小竜姫は、その真意を量りかねて思わず問うような声を上げた。
 だが横島は、すぐにはその続きを口にせず、更にボリボリと激しく頭を掻いた。

「ああ〜、らしくない! らしくない、らしくない、らしくない! 何だよ今日の俺! どこのYOKOSHIMAだよ! サブイボが出るってんだよコンチクショウ!」

 次第に語気を強めながら、頭と言わず全身をボリボリと掻き始める。まるで、本当にサブイボが出てると言わんばかりだ。
 そんな彼に、小竜姫はかける言葉を見失い、思わずポカーンとした表情になる。横島はそんな彼女に気付く様子もなく、さらに言葉を続けた。

「だいたいなんだって、この俺がモテる美形なんぞのために、あんならしくもねーことせにゃならんのじゃ! あんにゃろ、ちゃっかり次の彼女ゲットしやがって、これだから美形ってやつぁー、あーもーっ! 呪ってやる呪ってやる呪ってやる! ケイコさんは来世で必ず俺がゲットしちゃるから、草葉の陰で嫉妬の涙を流しやがれドチクショー!」

「あ、あの、横島さん……?」

「ふーんだ! いいさ、もーいーさ! 俺だってなー、俺だってなー! もうすぐ彼女持ちになれるかもしれねーんだ! 相手まだわからんけど! うらやましくなんかないんだからなチクショーっ!」

 更に「へへーんだ! バーカバーカ!」と子供じみた……というか子供そのものの罵声を、誰もいない場所に向かってしきりに浴びせる横島。そんな彼の幼稚な言動に、小竜姫は後頭部にマンガ汗を垂らして呆れ顔になった。
 やがて、その罵声がいい加減聞くに耐えないものになろうとしていた、まさにその時――

「ヨコシマーっ! 探したでちゅよーっ!」

「どぅわっ!?」

 唐突に横合いから幼い声と共にタックルされ、横島は真横に向かって盛大に吹っ飛んだ。
 ずざぁぁぁぁぁっ、と砂煙を上げて地面を滑る横島。その勢いはその先にある木にぶつかるまで続き、衝撃と共に枝葉を揺らし、ようやっと止まった。
 幹に背を預け、目を回してへたり込んでいる彼。見ればその腹の上に、ちょこんと小さな影が鎮座している。

「――あら、パピリオ」

 小竜姫が漏らしたその言葉に、その小さな影――パピリオは振り返り、キッと小竜姫を睨み付ける。

「『あら、パピリオ』じゃありまちぇん! 私はヨコシマのところに行ったっていうのに、なんで小竜姫の方がヨコシマと一緒にいるんでちゅか! 連絡の一つぐらい、よこしてくれたっていいじゃないでちゅか!」

「連絡、と言いましても……」

 そんな剣幕で責め立てられても、小竜姫としては困るばかりだ。
 携帯電話も持ち合わせていない彼女たちにとって、一言で連絡と言ってもそう簡単にできるものではない。せいぜいが鬼門たちに連絡役になってもらうぐらいだが、その鬼門とてパピリオを追って小竜姫の傍から離れていたのだ。
 言いよどむ小竜姫に、パピリオは「う〜っ」と唸りながら睨み付けるばかり。そのくせ気を失っている横島にしっかりとしがみついているあたり、「ヨコシマはわたしまちぇん!」という心の声が聞こえてきそうな態度である。

「くすっ……横島さんを取ったりなんてしませんよ。彼が起きたら、目一杯遊んでもらいなさい?」

「言われなくともそうしまちゅ」

 苦笑する小竜姫に、パピリオはぷくーっと頬を膨らませながら答えた。
 だが、先ほどのが余程『いいところ』に入ったのか、目を回している横島はそう簡単に起きる気配は見えなかった。パピリオにあっさりK.O.された彼を見て、彼女は苦笑を漏らした。

(そういえば……先ほどケイコさん、ラブレターがどうこう……とか言ってませんでしたっけ?)

 ケイコが成仏する前に自分に向かって言った言葉――それを、なんとなく思い出す。横文字は苦手だが、わからないというわけではない。ラブレターといえば、確か恋文という意味だったはずである。

「…………手紙、ですか……」

 ぽつりとつぶやき、彼女は「ふふっ」と柔和な笑みを浮かべた。











 ――おまけ――


「……………………」

「……………………」

 オカルトGメン日本支部――そこの取調室で、美智恵は眼前の『妖怪』と無言で見詰め合っていた。
 部屋の空気は重苦しい。都心某所のパチンコ屋から『妖怪がパチスロで遊んでいる』という通報を受け、現場に向かってその『妖怪』を確保し、支部長である美智恵自らが取調べ担当を買って出たのだが――

「……………………」

「……………………」

「…………の…………」

「の?」

「能力封印されてて、目押しできなかったのね……」

「……………………」

「お小遣い全額、スっちゃった……」

「…………あなた本当に神様ですか?」

 美智恵に冷ややかな視線を送られ、その『妖怪』――ヒャクメは、全ての目玉からだばーっと涙を流した。







     続く


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