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神族は見た(後編)


投稿者名:UG
投稿日時:09/ 4/19

 【神族は見た後編】

 富士山麓
 人目を避けるように建てられた施設にヒャクメはたどり着いていた。
 周囲を覆う森林により陸の孤島と化したかなり大がかりな施設。
 そこに停められたトレーラーは、霊園に痕跡を残した車両だった。

 「この車で間違いないのね。だけど、この施設・・・・・・」

 トレーラーを見つけた喜びもつかの間。
 ヒャクメはやや不安げに周囲を見回す。
 神族・・・それも情報部に所属する自分には効果はなかったが、敷地の周囲にはさり気なくその存在を隠す結界が張られていた。
 ならば、施設の内部は? ヒャクメは目を凝らし施設内部を覗き込もうとする。
 見えたのは想像した通りの結果だったらしく、彼女はほんの数秒でその行為に見切りをつけた。

 「やっぱり・・・・・・内部はもっと強力な結界で隠されている。アタッシュケースを持ってこなかったのは痛いかも・・・・・・」

 更に強まる不安の感情。
 アタッシュケースに収納された各種のスパイツールを使わず、徒手空拳でウエンツたちの救出を行おうとしている自分。
 ヒャクメは霊的迷彩を使用した美神令子暗殺計画や、美智恵が行った空母での作戦を思い出す。
 人間の技術のみでも、神族・魔族の目をくらませることは十分可能である。
 彼女は己が神族であることを、圧倒的なアドバンテージとは考えていなかった。

 「やっぱり、小竜・・・・・・ううん。ウエンツさんたちは私が助けるのね。考えるの・・・・・・考えるのよヒャクメ」

 慢心が無いはずの思考を邪魔する親友への反発。
 情報部らしからぬ感情を引きずりすぎているヒャクメは、いつものように己を窮地に追い込もうとしている。
 彼女は遠方より己を見つめる警備カメラの無機質な視線を見落としてしまっていた。
 そして、トレーラーに装備された結界発生装置の存在にも。

 「しまっ・・・・・・!!」

 遠隔操作された結界発生装置の駆動音に気付いた時には時既に遅し。
 彼女の周囲に霊園で感じ取った磁場が展開していく。
 かわす術もなく結界に囚われ、その場に崩れ落ちたヒャクメのもとに2人の警備員が駆けつける。
 大男と小男の警備員。ベタな喜劇に出て来るような2人組だった。

 「なかなか可愛らしい妖怪が引っかかったじゃないか・・・・・・なぁ?」

 超常の存在にも動じず、小男の警備員が力なく横たわったヒャクメの姿に軽く口笛を吹く。
 大男は相棒の性癖に苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。

 「・・・・・・すまんが俺にはそんなマニアックな趣味はない」

 「んだよ! 人間じゃない女の子って最高じゃないか! この前の子猫ちゃんも可愛かったし・・・・・・」

 「やめておけ。素材に余計なことをしようとして、どやされたのを忘れた訳じゃあるまい?」

 大男はうんざりとした様子でワキワキと指先を動かす相棒を制止した。
 背後を振り返った彼の視線の先には監視カメラがその目を光らしている。
 こんなことで失業するのは御免だった。

 「チッ・・・・・・分かったよ。新しい所長だかなんだか知らないが、薄気味悪い野郎が来たもんだぜ」

 「それについては同感だな・・・・・・」

 悪態と共に怪しい手の動きは止めたものの、小男の顔には未だに未練が張り付いている。
 大男は心底理解が出来ないとばかりに首を傾げるのだった。

 「だが、お前の趣味は全くわからん・・・・・・第一、コレはこの前捕獲したヤツとつがいなんじゃないか?」

 「つがい? あの縞々のガキとか!」

 「いや、あの目がやたらとあったヤツ・・・・・・」

 大男は捕獲用の結界でヒャクメの周囲を包むと、彼女の体に点在する感覚器官を幾つか指さす。
 結界に捕らえられたヒャクメの目はそのどれもがぐったりと瞼を閉じていた。

 「ひー、ふー、みー・・・・・・ほら、目の数が似ている。大方、雄と雌とで形が違う妖怪なんだろう」

 「う゛・・・・・・そう言われてみれば・・・・・・」

 「あんなのと張り合う気は無いだろ? さっさと運び込んでのんびり休憩と行こうじゃないか。口が堅いだけで給料が貰える職場はそうない」

 異形の雄相手に張り合う自分を想像してしまった小男からは、未練が綺麗さっぱりと抜け落ちていた。
 無線に手を伸ばし、先日捕らえた妖怪の仲間を捕獲したと報告を行い次の指示を仰ぐ。
 大男はそれで良いとばかりに小男の肩を軽く叩くと、すぐに下された指示に従いヒャクメを肩に担ぎ上げ施設内へと運んでいく。
 ここから数分程歩いた先にある研究棟内の飼育室が2人の目的地となっていた。
 研究棟のドアを潜り、自分たちの待機場所である警備員室の前を通り過ぎる。
 警備室の前を通る長い廊下。その途中にある飼育室に辿りつくまで大男は1人でヒャクメを担ぎ続けた。
 彼女を担いだまま飼育室に入り、部屋の大部分を占める頑丈そうな檻の前に立つ。先客はいなかった。
 檻の扉を小男が開けるのを待って、その中に足を踏み入れ大男はヒャクメを静かに降ろす。
 監視カメラが無いにもかかわらず手荒に扱わないのは、この檻に閉じ込めるのが大切な研究素材と聞かされているからだけではない。
 彼の中で、ヒャクメはつがいの雄を捜し迷い込んだ健気な妖怪として認識されていた。

 「もう少し早く来れば、連れ合いと一緒に処理を受けられたのにな・・・・・・」

 「閉めるぞ。早く出ろ!」

 小男に急かされ檻を出ると、ガチャリと大時代的な音を立てて鉄格子の鍵がかけられる。
 人間以外の存在を閉じ込めることを意図して作られた檻。
 鍵をかけた小男は、鉄格子に刻まれた紋様と大仰な鍵の存在が一種の結界を作りだしていることを意識していない。
 だが、金属の擦れる抵抗とその後に鳴った施錠音は、彼の立つ室内と鉄格子の内側を切り離していた。

 「さてと、詰め所に戻って勝負の続きでも・・・・・・どうした? 変な汁でもついてかぶれたか?」

 控え室へと戻ろうとした小男は、ぼんやりと立ち尽くす相棒に怪訝な視線を向ける。
 大男は今までヒャクメを担いでいた方の首筋をポリポリと掻きながら虚空を見つめていた。

 「いや・・・・・・なんでもないのね」

 「ないのねって、お前・・・・・・」

 「えっ!? 俺、今、何か言ったか?」 

 自分では意識しなかった返事。
 驚いた様子の大男に、小男の視線に混ざる疑念が深まっていく。

 「言った。お姉言葉なんて気持ち悪いヤツだな・・・・・・この妖怪にも興味を示さなかったし、ひょっとしてお前」

 「馬鹿、コレに関しては明らかにお前の趣味が、痛ッ!」

 降って湧いた疑惑を慌てて否定しようとした大男は、首筋に生じた痛みに言葉を失っていた。
 その場にしゃがみ込んだ相棒の首筋を心配そうに覗き込んだ小男は、痛みの正体を目撃し拍子抜けしたような声を出す。

 「なんだ、ただの吹き出物じゃねえか・・・・・・大方、この妖怪を運ぶときに擦れたんだろ! 脅かしやがって」

 心配ないとばかりに相棒の肩を小突いた小男は、そのまま振り返りもせずに廊下の先にある警備員室へと歩き出す。
 その後ろ姿を追った大男の首筋には、小さな目玉のような突起が生じていた。

 「・・・・・・行ったのね」

 警備員が警備員室に入ったのを確認してから、ヒャクメは両の目を開き周囲を見回す。
 目に入った光景は体を取り巻く捕獲用の結界と大時代的な鉄格子。
 その向こうには廊下へと続くドアがあった。

 「警備員たちの話ではウエンツさんたちもここに監禁されていた。そして今は何かの処理を受けている・・・・・・早く助けないと」

 ヒャクメは無造作とも言える動作で、己を包む結界を生じさせている札を引きはがし周囲の力場を霧散させる。
 その顔が何処か得意げなのは、自分の取った行動が上手くいったことへの満足感故だった。

 「虎穴に入らずんば虎児を得ず・・・・・・神族の私に妖怪用の結界や札は効かないのね〜」

 トレーラーの結界発生装置が起動した瞬間、ヒャクメはその結界が自分に対して効果が無いことを見抜いていた。
 だからこそ彼女は敢えて捕まり、敵の中枢への接近と情報の収集を同時に行う策を実行に移している。
 内心ウエンツたちと合流が出来ることを期待していたが、そこまで上手くはいかないらしい。
 札を投げ捨ててから施設内の透視を試みるが、外から覗いた時と同様にジャミングされている。
 意図的に神族及び霊能力者の視線を遮っている施設で、ウエンツたちはどの様な処置を受けていると言うのか?
 体や霊体を傷つけないよう捕獲する結界を使用したことから、相手にウエンツたちを殺す意志は無いらしい。
 もし殺すつもりならば、こんなまどろっこしい真似はせずに霊園で処置をしている筈だった。


 ―――それならば何故?


 一刻も早くこの部屋を脱出し、ウエンツたちを捜しに行きたいが警備員室は外の廊下を見渡す位置にある。
 上手く檻を抜けたとしても廊下に姿を出した時点で、警備員は迷わず警報に手を伸ばすだろう。
 焦りは禁物。行動を起こすタイミングを見極めることが必要だった。
 不安な感情を無理に押さえ、意識を集中したヒャクメは警備員室の遠視を試みる。
 大男の首筋に忍び込ませた感覚器官がその瞼を開いた。
 開けた視界の先では、先ほどの小男がパイプ椅子に腰掛け将棋盤を挟み向かい合っている。
 穴熊の戦術をとった大男を攻めあぐねている彼は、自分を見つめているもう一つの視線に気づいてはいない。
 透視不可能な施設内にあって、ヒャクメは唯一確保したもう一つの視点を忙しなく動かし情報の収集に努めた。
 現在の時刻、警備のシフト表、施設内の見取り図とセキュリティ。
 どうやら施設の中枢に入るには警備員が持つカードキーとパスワードが必要らしい。
 一瞬で必要な情報を読み取った彼女は、巡回のシフト表にあった次の巡回時間に口元を歪める。
 警備員が再び外を巡回するのは2時間後となっていた。

 「ナニ、このやる気のないシフト! そんなには待てないのね・・・・・・こうしている間にもウエンツさんたちは」

 ヒャクメは苛立ったように親指の爪を囓る。
 警備員が巡回する時を狙って檻を脱出し、ウエンツたちが囚われている箇所を目指す。
 空になった警備室からカードキーを持ち出すことが出来れば、侵入は更に簡単になるだろう。
 しかし、タイミングを計るにも限界はあった。
 作戦の変更を考えようと頭を抱えたヒャクメの視界の隅に、内線電話に手を伸ばす小男の姿が映る。
 彼女は小男の口の動きに意識を集中する。
 「また、駐車場に侵入者だとよ!」小男の唇はそう動いていた。
 大男を急かすように立たせた彼は、さっさと警備室の外へと出て行っていってしまう。
 劣勢だった将棋に長考の時間を得た彼の表情は、何処か嬉しそうだった。

 「チャンスなのねっ! この隙に・・・・・・チッ!!」

 予期せぬ幸運に檻から脱出しようとしたヒャクメは、透過を許さなかった鉄格子に軽く舌打ちをする。
 鉄格子にはケルベロス級の怪物をも閉じ込めておける結界が張られていた。
 その事に何か引っかかりを感じたが、与えられた時間はほんの僅か。
 駐車場に向かった警備員が戻ってくるまでに救出を行う為には、こんな所で時間を食うわけにはいかなかった。

 「この鉄格子は神族にも有効・・・・・・上等なのね」

 彼女は不敵に笑うと側頭部へと指先を伸ばす。
 髪をかき上げるような仕草の後、指先につままれていたのはヘアピンに偽装した解錠ツール。
 囚われの身となった過去の経験から、彼女は常にソレを身につけるようにしていた。
 錠を開ける鍵が存在する以上、その形状に合わせ内部のピンを押しさえすればシリンダーを回し解錠することが出来る。
 そして、それを可能にする能力を彼女は持ち合わせていた。

 「流石に複数の視点だと集中出来ないか・・・・・・でも」

 額の感覚器官以外を全て閉じたヒャクメは、額を鍵穴の裏に押しつけながら鉄格子から腕を突き出す。
 徐々に透けてゆく内部構造に合わせ、鍵穴に差し込んだピックを小刻みに動かしていく。
 彼女の脳裏に像を結んだ内部構造に合わせピックを動かすこと十数秒。
 ガチャリと響き渡る大時代的な音を確認すると、ピックを髪に戻してから檻の扉を開く。
 抵抗を見せず生じた隙間から飛び出したヒャクメは、そのままの勢いで廊下に飛び出していく。

 「!! こ、これは・・・・・・」

 扉の外にあった光景に彼女は息を飲んだ。
 全身の感覚器官を見開き呆然と立ち尽くす。
 一見何の変哲もない白い壁。しかし、彼女の感覚器官はその表面を埋め尽くす複雑な図形を見逃さなかった。
 見間違いであることを祈りつつ廊下の壁に近づくが、そこにあったものは無常にも彼女の想像通りのモノだった。
 精密に書き込まれた魔法陣に、ヒャクメは震える指先を近づける。

 「対神族用のジャミング。これは魔族の・・・・・・いや」

 人間が使うはずの無い技術。
 過去に見たことのある対神族用の技術に、ヒャクメはようやく先ほど檻に感じた引っかかりの正体に気付いた。

 「逆天号に使われていたのと同じモノ・・・・・・」

 過去、同じ檻に閉じ込められた記憶がフラッシュバックする。
 その苦い経験が彼女に解錠ツールを常備させていた。

 「落ち着くの。落ち着くのよ・・・・・・」

 想定外の事態にうまく考えがまとまらない。
 今後取るべき行動の選択肢には、先ず自分1人で脱出し応援を求めるというものもあった。
 しかし、脳裏に浮かんだ小竜姫の姿がいつになく彼女を頑なにしてしまう。

 「大丈夫。ヤツらの残党は全て両陣営の管理下に置かれている・・・・・・」

 自分に言い聞かせるように呟くと、無人となった警備室に侵入する。
 非番の警備員の机から素早くカードキーを盗み出し、長い廊下の突き当たりにある研究室への扉を目指す。
 数秒の疾走の後、彼女は全神経を集中するように額以外の感覚器官を閉じた。
 ドアにかかっているロックはカードキーとパスワードの入力によって解除される。
 入力を行うのはカードスロットの横にあるテンキー。
 表面に指紋が残っている数字は4つ。その数字に残った指紋の量が均等なことから、ヒャクメはパスワードが4桁の数字であると予想する。

 「同じ数字が使われていると厄介だったけど、これならすぐ分かるのね・・・・・・」

 4種類の数字で作る4桁の組み合わせは24通り。
 ヒャクメはその中から正解を引き出すために、注意深くテンキーを観察する。
 残された指紋の歪み具合から、その数字を押した指がどの方向から動いてきたのか推測していく。
 矛盾の無い順番を探るように指先を数回動かしただけで、彼女はパスワードを絞り込んでしまった。

 ****

 カードキーをスロットに通した後、ヒャクメは一片の迷いもなく4桁の数値を入力する。
 空気の圧搾音と共に開いた扉の向こうには人の気配は無かった。
 照明が落とされているが、開いたドアから射す光で中を見渡すことができる。
 吹き抜け構造の高い天井。
 広大な何もない空間。
 奥の壁に開いた次の間へと繋がる扉に気づいたヒャクメは、躊躇せず部屋の中に足を踏み入れた。

 「感じる・・・・・・この向こうにウエンツさんたちが」

 ヒャクメは前方に見える扉に意識を集中する。
 扉に施されたロックは、先ほどと同じものだった。
 それを解除すべく、彼女は再び額以外の感覚器官を閉じ集中を深めてゆく。
 しかし、けたたましく鳴り響いた警報がそれを許さなかった。

 「!」

 驚き、大きく見開いた感覚器官から様々な情報が流れ込んでくる。
 その中に、ドア前にかがみ込む自分を見つめる視点があるのに気づいたヒャクメは、予想以上の早さで戻った警備員が自分の脱走に気付いたことを理解した。
 そして檻の解錠から先、自分が大男に忍び込ませた視点を活用していなかった迂闊さに歯がみする。
 振り返った先には、警報のスイッチに手を伸ばした警備員2人の姿。
 気付かれないうちにウエンツたちを救出する作戦は破綻した。それならばやるべき事は早急な脱出だった。
 即座に頭を切り換えたヒャクメは彼らに向かってダッシュする。
 いくら文官とはいえ、神族の自分が人間に遅れを取ることはあり得ない。

 「撤退する前に、預けたモノを返してもらうのね」

 戦うのではなく、彼らの脇をすり抜け撤退する。
 大男に忍び込ませた感覚器官は、すれ違う時に回収するつもりだった。

 『逃がさないよ・・・・・・ペス』

 「なっ!」

 過去の屈辱を思い出させる呼び名にヒャクメの足が止まる。
 声のした方を振り返るが、目に入ったのは吹き抜け構造の3階部分に設置されたシャッターとスピーカー。
 オペレータールームらしいその部屋の主を透視しようとしたが、それまでの壁と同じくシャッターにもジャミングが施されていた。

 「なんで・・・・・・なんでその呼び名を」

 屈辱的な名で呼んだのは聞き覚えの無い声。
 彼女が口にした疑問は、警備員の背後で閉じた扉の音によってかき消されていた。

 『まさか、こんな内部まで入り込まれていたとは・・・・・・信じられない失態だ』

 「すみません所長・・・・・・捕らえた妖怪が逃げ出してしまって」

 「遊んでて目を離した訳じゃないんです! 侵入を知らせるセンサーが誤作動したみたいで・・・・・・すぐ捕まえますから!!」

 警報を鳴らした大男が、姿を見せぬ所長に深々と頭を下げる。
 一方、彼の行動を止めようと袖口を掴んでいた小男は、失態を挽回すべく結界を手にヒャクメに歩み寄ろうとした。

 『無駄だよ・・・・・・その結界は、妖怪にしか効かない』

 所長の言葉に小男の足が止まった。
 だが彼は、所長の言葉の意味をすぐには理解出来ない。

 『信じられんだろうがその女は神族でね。ニンゲンの・・・・・・いや無能で役立たずの君たちには荷が重い』

 奥の扉が音を立てて開く。
 その奥から吹きつけられるプレッシャーに、ヒャクメはようやく自分を取り戻す。
 吹きつけられたプレッシャーは中級魔族に近かった。

 『だからそれなりの相手を用意したよ・・・・・・尤も、ペスには十分過ぎるだろうがね。巻き込まれなかったら、今回のミスは不問にしてやろう。行けッ! ガルーダッ!!』

 開いた扉の向こうから走り出してきた人影。
 ガルーダと呼ばれた魔鳥は、助走の速度を落とさず跳び上がった。

 「クケェェェェェェッ!!」

 怪鳥音と共に放たれた跳び蹴りが、真っ直ぐヒャクメに向かってくる。
 遠距離から放たれた直線的な跳び蹴りをかわすのは難しくない。
 しかし、彼女は自分の背後で立ちすくむ警備員の存在に思い至っていた。

 「逃げるのねッ!!」

 叫んでも間に合わないタイミング。
 もし自分が回避すれば、背後の警備員にガルーダの攻撃が当たってしまう。
 その躊躇が踏み出す一歩を送らせる。
 目前に迫るガルーダの姿。
 恐怖に竦む体。咄嗟に閉じてしまった眼。
 そして、裂帛の気合いを込め放たれたガルーダの蹴りは、ヒャクメの顔面を粉砕――――――しなかった。

 「!!!!?」

 背後で起こった衝突音にうっすらと目を開ける。
 前方に伸ばした自分の左腕が目に入った。
 体にダメージは無い。竦めた首筋をのばし振り返ると、背後のドアに激突したガルーダが凄まじい視線で睨み付けていた。

 「え? 一体何が??」

 状況を理解出来ていないヒャクメを他所に、頭を振りながら立ち上がったガルーダは軽いステップを踏み始める。
 攻撃のタイミングを計る打撃系格闘技特有の足運び。
 すぐ近くで立ち尽くす警備員の姿は彼の目には入っていない。
 ヒャクメを好敵手と認めたガルーダは、彼女との間合いをじりじりと詰め始めた。

 「ひょっとして、私・・・・・・ッ!」

 『クケェェェェェェッ!』

 何かに思い至ったヒャクメが見せた一瞬の隙。
 間合いを一気に詰めたガルーダは、拳による打撃を目まぐるしく打ち出す。
 しかし、1ダースにも迫るパンチは、床磨きのように繰り出したヒャクメの腕の動きによってベクトルを狂わされていた。
 何度打ち込んでも殺される打撃の勢い。
 業を煮やしたガルーダの攻撃が大振りになる瞬間をヒャクメは見逃さなかった。
 彼女は腕の動きを床磨きからペンキ塗りに切り替える。
 大振りなテレフォンパンチが下方に受け流され、ガルーダの顔面ががら空きになった。
 拳を傷つけそうな嘴の先端を避け、ヒャクメは渾身の力を込めた右拳をガルーダの顎に叩き込む。
 固いものを打ち抜く衝撃が拳に生じる。
 ガルーダは奇妙な鳴き声を一つ残し、糸の切れた人形の様にその場に崩れ落ちた。

 「痛ッたー!」

 打撃の衝撃に痛めた右拳を振りながら、ヒャクメは足下に崩れ落ちたガルーダを見下ろす。
 何処か現実離れした光景。
 しかし、ズキズキと痛む右拳が、自分が本当にガルーダを倒したことを実感させている。
 そしてそれは小竜姫の特訓が無意味では無かったことを意味していた。

 「小竜姫は私をからかっていたのでは無かったのね・・・・・・」

 ヒャクメの胸に歓喜の感情が湧き上がってくる。

 「私・・・・・・、私、本当に強くなってるのねぇぇぇぇッ!!」

 『おかしい。残された記憶では戦闘能力はほとんど無いと・・・・・・出し惜しみしている場合では無いようだな』

 オペレータールームから聞こえる声からは、ヒャクメを嘲笑する様な雰囲気は消え失せていた。
 扉の向こうに生じた複数の気配にヒャクメの表情が引き締まる。
 彼女は急いで立ち尽くす警備員に走り寄ると、大男の首筋に手のひらを近づけた。

 「ヒッ!」

 「預けたものを返して貰うだけなのね。それよりも・・・・・・」

 ヒャクメは大男の首筋に手を当てながら、出口のドアへ視線を向ける。
 先ほど激突したガルーダによってロックは壊れていた。

 「早く逃げるのね。このままでは確実に巻き込まれる」

 「た、助けてくれるのか? でも、何処へ?」

 「兎に角出来るだけ遠くへ! 私がここで食い止めている間に・・・・・・あ、これは貰っておくのね」

 小男の言葉に答えながら、ヒャクメは素早く2人の腰から不審者撃退用の警棒を引き抜く。
 2人から奪い取った警棒を脇に抱え、それについた手首に通すためのストラップをいじり始める。
 この場に残り戦う意志を示したヒャクメに、扉をこじ開けた大男がすまなそうに声をかけた。

 「あ、あんたは逃げないでいいのか?」

 「私は親友を疑ってしまった。だから戦わなくちゃならないの・・・・・・小竜姫が私にしてくれたことを証明する為に。あなたたちは早く逃げてッ! 次が来るわッ!!」

 ヒャクメの叫び声に警備員たちは走り出す。
 先ほどガルーダが飛び出てきた扉からは、更に5体のガルーダが姿を現していた。

 「小竜姫。そして老師・・・・・・」

 ヒャクメは細工の終わった警棒を手に5体のガルーダと対峙する。
 ストラップを繋げた警棒はヌンチャクの様だった。

 「クケェェェェェッ!」

 「私、戦うのねッ!!」

  一斉に襲いかかって来るガルーダ。
 しかし、ヒャクメの目に恐れの色はない。
 彼女は打ち込まれた攻撃をさばきつつ、ヌンチャクを時には太鼓のバチ、時にはハンマーのように振り回しながら次々とガルーダを倒していく。
 そして最後の一体がヌンチャクの一撃によって撃破されると、室内は静寂に包まれた。

 『馬鹿な・・・・・・あの時よりも調整は上手くいっていた。一体何が・・・・・・』

 想像もしていなかった展開に、所長の声は擦れていた。
 ヒャクメはオペレータールームを見上げると、ヌンチャクを突きつけ睨み付ける。
 シャッターに隠れた室内に声の主はいるはずだった。

 「ウエンツさんたちを返すのね」

 『ウエンツ? ああ、あの妖怪たちのことかね? 神族が妖怪などに何の・・・・・・』

 「私の大切なお友達なのね。早く全員を解放するのねッ!」

 『ほう・・・・・・大切なお友達ねぇ』

 男の声に邪悪なものが混ざった。
 数秒遅れて点灯した奥の部屋の照明。
 今まで暗闇に覆われていたガルーダの出現箇所が照らされ、内部の様子を明らかにする。
 その光景にヒャクメは息を呑んだ。

 「ウエンツさん!」

 部屋の壁にセットされたカプセルの中にはウエンツの姿があった。
 ぐったり意識を失っている彼に近づこうとしたヒャクメは、見えて来た部屋の全容に立ち尽くす。

 「ウエンツさんだけじゃ無い。麗奈ちゃん、滋さん、寛平さん・・・・・・洋さんまで!!」

 開いた扉から覗うことが出来た室内の壁には無数のカプセル。
 その中には霊園から姿を消した妖怪たちが眠らされていた。
 そのうちの一部。6つの空きカプセルの存在に、ヒャクメは戦慄する。

 「ガルーダの数だけ・・・・・・ま、まさか」

 『そう。そのまさかだよ。君のお友達はガルーダと同じく私の忠実なしもべとした・・・・・・』

 余裕すら感じさせる声と共に、オペレータールームのシャッターが開く。
 振り返ったヒャクメは、その中から見下ろす男の顔に見覚えがあった。
 情報部として調査した無数の事象が頭の中を駆け抜ける。
 男と直接の接触はない。間接的な出会い。
 過去にまとめた美神関連の資料に存在した茂流田という男の写真が、目の前の顔と一致した。

 「ま、まさかなのね。お前は死んだと報告されて・・・・・・!」

 『気がついたら甦っていてね・・・・・・他の殉教者たちのついでに拾った命。最強の心霊兵器を作る夢をもう一度ってやつさ』

 茂流田の言葉と共に聞こえたカプセルの開く音。
 背中に突き刺さる敵意を持った妖気が戦いを予感させる。
 だが、ヒャクメは茂流田から視線を離すことは出来なかった。
 この施設に感じていたアシュタロスの影。
 彼の口にした殉教者という言葉が、今までに感じていた疑問に一つの解答を用意していた。

 「殉教者・・・・・・あの時、甦った中にお前もいたのねっ! だから今のお前は・・・・・・」 

 『ご明察。果たしてお友達をガルーダの様に倒せるかな? さあ、その神族を殺せッ!!』 

 「ッ!!」

 命令と共に背後に生じた夥しい殺気。
 咄嗟に跳び退り打ち込まれた攻撃を回避したヒャクメは、足下に突き刺さった無数の針がウエンツの攻撃であることを悟る。

 「ウエンツさん、目を覚ましてなのねっ!」

 必死に呼びかけるヒャクメ。
 だが、それに答えたのは上空から聞こえた赤ん坊の泣き声だった。

 「寛平さんっ!」

 落下してきた超重量の直撃は避けたものの、ヒャクメは地を揺らす衝撃に姿勢を崩してしまう。
 浮き足だった彼女に、猫の様に走り寄った少女が情け容赦ない攻撃を放つ。

 「麗奈ちゃんまでッ!!」

 その攻撃からヒャクメを救ったのは、小竜姫との特訓によって体に染み込んだ一連の動きだった。
 円の動きによって相手の攻撃をずらし、カウンターとなる一撃を叩き込む。
 しかし、ヒャクメは少女に打ち込むべきヌンチャクを躊躇っていた。

 「お願い! 目を覚ましてっ! お友達は傷つけられないのねぇぇぇぇッ!!」

 悲痛なヒャクメの叫び。
 しかしその必死の叫びも空しく、少女との間に割り込んだ老婆がヒャクメに目つぶしの砂を振りかける。
 全ての感覚器官に襲いかかった目つぶしに、ヒャクメは苦痛の叫びをあげていた。
 視界を奪われた彼女に、布による締め付け攻撃や、壁の圧搾が情け容赦なく襲いかかる。
 しかし、彼女は手に持ったヌンチャクを振り回す素振りさえ見せなかった。

 「滋さん、みんな・・・・・・お願い。目を覚まし・・・・・・」

 「全く、どこまでお人好しなんですか。あなたは」

 聞き慣れた声を耳にした瞬間、ヒャクメに加えられていた一切の攻撃が止んだ。
 その声を聞いたヒャクメは自分が救われたことを理解する。
 視界を奪われ暗闇に包まれてはいたが、彼女は自分を支える親友の存在を感じ取っていた。

 「小竜姫・・・・・・ウエンツさんたちを・・・・・・」

 「安心なさい・・・・・・」

 あなたの心配は全て分かっているという返事。
 胸に広がる安堵が、急速にヒャクメの意識を遠ざける。
 後は全て任せるとでもいうように、ヒャクメは意識を失っていた。

 「・・・・・・全て峰打ちです」

 意識を失ったヒャクメに小声でそう呟くと、小竜姫は彼女の体をそっと横たえる。
 周囲には彼女の超加速によって意識を刈り取られ、打ち倒されたウエンツたちの姿があった。

 「ヒャクメは怒るかもしれませんが、私は武神ですから。大丈夫、あなたの主人は無事です・・・・・・体の痛みはすぐに消える」

 小竜姫は倒れたウエンツの足下に彼の履き物をそっと置く。
 霊園で見つけたヒャクメのハンカチに包まれた履き物。
 ヒャクメがトラブルに巻き込まれたと感じた彼女は、履き物に竜気を与え、己の主人の下へ向かおうとするソレに道案内させていた。

 「コスモプロセッサーによる復活者・・・・・・覚悟はできていますね?」

 彼女は全ての元凶である茂流田に怒りのこもった視線を向ける。
 焼け付くようなその視線に、茂流田は虚勢でない笑みを浮かべていた。

 『神族側に気づかれるまで、夢よもう一度と思ったが・・・・・・ハッ! 魔族として復活した私が何を覚悟すると言うんだい? デタントを神族側から破るつもりなのかな。君は?』

 「・・・・・・あなた。どうしてそれを」

 両陣営の間で行われているパワーゲームを、さらりと口にした茂流田。
 元人間にしては知りすぎている彼に、小竜姫は努力して動揺を抑えようとする。
 しかし、冷静であろうとする彼女の努力は、茂流田が手にした物体に呆気なく霧散してしまうのだった。

 「そ、それはッ!!」

 激しく動揺した小竜姫に、強化ガラス越しの茂流田が邪悪な笑みを見せる。
 彼の手にはなだらかな曲線を見せる、バイザーが握られていた。

 『人間だった頃、ガルーダの霊体片を持ってきた女がつけていたものでな。この中に、あの女の霊体が記憶として保存されていた・・・・・・どこかの男に会いたい一心で』

 茂流田は馬鹿笑いしながらそのバイザーを額へと持っていく。
 その姿には慇懃な人間の時の面影はなく、下級魔族特有の下卑た邪悪さが漂っていた。

 『コイツは拾った俺に色々なことを教えてくれたぜ! 対神族用の技術や使い魔の作成方法。それにデタントのことも・・・・・・まあ、かなり霊体を使っちまったがな』

 「彼女から手を離しなさい・・・・・・」

 『嫌だね。俺はこれから正式に魔族側に下る。これが教えてくれた情報を手みやげにな・・・・・・お前にデタントを破る覚悟があるのかな?」

 下卑た茂流田の嘲笑に、小竜姫は一言だけ答える。

 「私は武神だと言ったでしょう」

 小竜姫の呟きが茂流田の笑いを凍り付かせる。
 彼を射抜く小竜姫の視線は抜き身の日本刀を思わせた。
 その姿がかき消えた瞬間、強化ガラスが砕け散り茂流田の視界が下方にすべり落ちる。
 床に転がった彼が見たのは足下から見上げた頭部を失った己の胴体。
 それが茂流田が見た最後の光景となった。







 意識を取り戻したヒャクメは頬を撫でる風を感じていた。
 体の前面に感じる体温と、顔をくすぐるような髪の毛の感触に、彼女は自分が小竜姫に背負われ飛行していることを理解する。

 「う・・・・・・小竜姫」

 「気付きましたか・・・・・・1人で飛べますか?」

 小竜姫の問いかけに、ヒャクメは甘えるように首を横に振る。
 先ほどかけられた砂によって視界はまだ塞がったままだった。
 だが、それだけにヒャクメは小竜姫の体温を一層強く感じている。

 「まだ見えませんか。全く、あなたという人は・・・・・・」

 窮地を招いた自分へのいつものお説教。
 しかし、それすらも今のヒャクメには心地よかった。

 「ごめんなさいなのね。私、ウエンツさんたちとどうしても戦えな・・・・・・そうだ! 小竜姫! ウエンツさんたちはっ!」

 「彼らをコントロールしていた機械を完全に破壊しましたから、今頃は意識を取り戻しているはず。彼らなら後は自分たちの力で何とかするでしょう」

 「気絶したまま放っておいたのねっ! 酷いのねっ!!」 

 ウエンツたちをその場に残したという小竜姫に、ヒャクメは声を荒げた。
 誤解が解け彼女を見直した矢先だけに、ヒャクメは小竜姫の行動が理解できない。

 「何を言っているんですっ! 自分たちがあなたをそんな目に合わせたと知ったら、彼らの心にずっと負い目が残るでしょう!!」

 彼らとヒャクメの関係が今後も続く為には、今日の記憶は残さない方がいい。
 あの場にヒャクメはいなかった。そして茂流田という過去の亡霊も・・・・・・
 何かを決意した小竜姫の沈黙を怒りと勘違いしたヒャクメは、恐る恐る彼女に声をかけた。

 「・・・・・・・・・・・・ごめんなさい。小竜姫、怒ったのね?」

 「怒ってなんかいませんよ・・・・・・でも、生兵法は怪我の元ということは良く分かりました。あなたには今後一切、武術の修行を禁じます!」

 「やっぱり怒ってるのねぇぇぇっ!!」

 「違います。武力で戦うにはあなたは優しすぎる・・・・・・まあ、そこがあなたの魅力なんですけど」

 それっきり小竜姫は黙り込む。
 彼女の言葉を何度も反芻したヒャクメは、満面の笑みを浮かべていた。

 「しょーりゅーき」

 「何です? 変な呼び方して・・・・・・」

 「へへ・・・・・・呼んだだけなのね」

 甘える様に小竜姫の背中に身を預けるヒャクメ。
 そんなヒャクメに呆れ混じりの溜息を吐くと、小竜姫は再び無言で妙神山を目指す。

 「しょーりゅーき」

 「何です?」

 「ん。呼んだだけー」

 沈黙に飽きた頃に行われる、ただ名を呼びそれに答えるだけの会話。
 そんなやり取りを数度繰り返した2人は、いつしか長い沈黙に包まれていた。

 「寝ちゃいましたか・・・・・・」

 妙神山へ向かう道の途中。
 背中でたち始めたヒャクメの寝息に小竜姫は飛行速度を緩める。
 沈み始めた夕日が彼女たちを照らし、その姿を赤く染めていた。

 「今はゆっくり寝ていなさい、そのうちあなたにも協力して貰うでしょうから」

 そう呟くと小竜姫は自分の懐に視線を落とす。
 そこには茂流田から回収した物体―――ルシオラのバイザーが僅かに顔を覗かしていた。








 ―――――― 神族は見た ――――――



         終


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