※ニューシネマ内、【ヒャクメがとおる】の続編です。お手数ですがそちらからお読みいただければ幸いです。
それは、あの日に積み重なった偶然のほんの一部だった。
突如東京に出現した謎の巨大建造物によって引き起こされた怪異。
その怪異の中に含まれていた男は、周囲に巻き起こる破壊の渦中にあってもただ呆然と宙を見上げていた。
見上げる先には真っ赤な高々度の鉄塔が夜空に浮かび上がっている。
混濁する意識の中、男はふらふらとそびえ立つ鉄塔へと向かっていく。
鉄塔の周囲では二つの光点が瞬きながら飛び回っていた。
「これ・・・・・・は?」
彼が初めて言葉を発したのは、巨大建造物倒壊の衝撃が収まった後だった。
不思議なことに、男は全くの無傷でそびえ立つ鉄塔の足下に辿り着いている。
周囲に破壊を振りまく亡霊たちは、夢遊病患者のような足取りの男に襲いかかる素振りすら見せなかった。
まるで男が自分たちと同じ存在とでも言うかのように。
「これは確か・・・・・・」
やり過ごした衝撃によって、落下してきた物体を見た男の目に感情が湧き上がる。
男はその物体に見覚えがあった。
街路樹や植え込みに数度受け止められ、落下の衝撃から守られた物体に男はゆっくりと手を伸ばしていく。
「そうか、俺は・・・・・・」
指先が触れた瞬間、男の脳裏に様々なイメージが駆け抜ける。
その刺激に記憶を取り戻した男は、耳障りな笑い声をたてながら何処かへと走り去る。
別な人物に拾われるのを、その場でずっと待ち続ける筈だった物体を手にしたまま。
―――――― 神族は見た ――――――
「ヒャクメッ! 待ちなさいッ!!」
妙神山
鬼門をくぐり抜け、下界に出かけようとしたヒャクメに小竜姫が鋭い声をかけた。
その手には水を満たしたバケツと雑巾。
彼女はずかずかとヒャクメに歩み寄り、有無を言わさぬ口調で後を続ける。
「また、修行をさぼるつもりですね」
「う・・・・・・もう少ししたらやるつもりだったのね」
気まずげな表情を浮かべたヒャクメに詰め寄る小竜姫。
ずい! と、差し出された雑巾からヒャクメは視線を逸らす。
全ての視線が宙を泳ぐ様はなかなかにインパクトがあった。
「嘘おっしゃい! また抜け出すつもりだったのでしょう!? そんなことでは強くなれませんよ!!」
なかなか雑巾を取ろうとしないヒャクメに業を煮やした小竜姫は、強い口調でしかりつけながら無理矢理その手に雑巾を握らせようとする。
強くなりたいと願ったヒャクメの為に、小竜姫が考えた修行法にソレは不可欠と言えた。
妙神山の長い廊下を濡れた雑巾を左手に、乾いた雑巾を右手にそれぞれ円を描くように拭いて行く。
それが済んだら外壁のペンキ塗りを手首のスナップをきかせながら・・・・・・
最初はソレを心から信じ、毎日一生懸命取り組んでいたヒャクメであったが、とうとう我慢の限界を向かえてしまう。
彼女は握らされた雑巾を荒々しく足下に叩きつけた。
「嫌なのねッ! 毎日毎日、掃除ばっかさせられてっ! もう、欺されないのねっ!!」
「な、何を言ってるんですヒャクメ! この修行は一見、掃除に見えますが・・・」
「何回見たって掃除なのねっ! 美神さんや、横島さんの言うとおり、あのゲーム機もヌンチャクの練習になんかなっていないのねッ!!」
「あ、いや、あれは老師に深い考えが・・・・・・多分」
老師が提案した特訓を話題に出され、小竜姫は言葉に詰まる。
彼女自身、毅然とした態度でソレを否定する自信が無かった。
「小竜姫のバカーっ!」
そんな彼女の逡巡を感じ取ったヒャクメは、目に一杯涙を浮かべ山門の外へと飛び出して行く。
全身から吹き出る涙に、小竜姫は咄嗟にかける言葉を見つけられない。
彼女は、ただ黙って走り去る親友の後ろ姿を見送るのだった。
「で、なかなか戻らないから捜しに来たと?」
美神令子除霊事務所
応接室のソファに腰掛け、今までの事情を説明した小竜姫に美神は興味なさげに口を開いた。
小竜姫の足下には彼女へのセクハラの代償として叩きのめされた横島。
そして、興味津々に美神と小竜姫の会話に耳を傾けるシロとタマモ。
呆れたような笑顔を浮かべながらお茶を運んできたお盆を抱えるおキヌ。
つまり美神事務所の日常風景が小竜姫を出迎えていた。
「ええ、今までこんなこと無かったので心配で。でも、こちらに伺っていないとするとヒャクメは一体何処に・・・・・・」
「多分あそこで運動会ッスね。この前の一件で仲良くなったみたいだし」
吹き出す血をバンダナで拭いながら横島が美神の隣りに腰掛ける。
彼の口にした自分の知らないヒャクメの交友関係に、小竜姫は興味深げな視線を向けた。
「あそこ? あなたたち以外の知り合いが人間界にいるのですか!?」
「あ、聞いていませんか? この間知り合ったキタ・・・・・・ぐはっ!!」
口にしかかった何かの名を封じるように、美神の右肘が横島の脇腹に吸い込まれる。
脇の下三寸の位置にある急所に撃ち込まれた一撃に、呼吸も忘れ悶絶する横島。
そんな彼にニッコリ笑いかけた美神は、やんわりと横島の言わんとしたコトを訂正するのだった。
「ウエンツ・・・・・・彼の名はそうだった筈よね? 横島クン」
声にならない声をあげながら、横島はコクコクと何度も肯く。
【ウエンツ・K・エイジ】それが、以前ヒャクメに父親を掠われた少年の名らしい。
Kが何なのかは気にしない方向でお願いしたい。
「ウエンツ・・・・・・その方の所に迎えに行けばいいのですね?」
「多分。だけど、ヒャクメが妙神山を飛び出した理由が改善されない限りは・・・・・・ねえ? 横島クン」
「そ、そうッス。 いくらヒャクメとはいえ、あんなベタな修行を・・・・・・俺、マジでもらい泣きしましたもん」
いつもとは異なりヒャクメに同情的な二人。
その視線に責めるようなニュアンスを感じ取った小竜姫は、ヒャクメが山門を飛び出す間際に言った言葉を思い出していた。
「どうやら何か誤解されている様ですね。私がヒャクメにさせていたのは正真正銘の武術の基礎訓練です」
「いや、そうは言っても・・・・・・」
「試してみますか?」
静かな小竜姫の一言に美神と横島は黙り込む。
穏和で柔らかな笑顔には、自分の武を疑われた事に対する怒りが含まれていた。
「ほ、ほら、だから言ったじゃない。小竜姫さまのやることに間違いなんてあるはず無いって、それなのにアンタは・・・・・・」
「うわ、キッタネー! 美神さんだって散々・・・・・・うごぁっ!!」
先ほど撃ち込まれた箇所に寸分違わず撃ち込まれたひじ鉄。
再び口をパクパクと悶絶する横島に、小竜姫は呆れたような溜息を吐く。
彼女の胸に湧き上がりかけた怒りの感情は、既にどうでもいいほどに霧散していた。
妙神山の管理人になって以来、度々規格外の人間たちと接しては来たがこれ程フランクに自分と接する人間たちは初めてだった。
そして自分でも驚くほど、小竜姫はその関係を良きものとして受け入れている。
「ほほほほほ、まあ、所詮丁稚の言うことですし」
「ええ、何か急にどうでも良くなりました・・・・・・でも、私の指導ってそんなに信頼されないものなのでしょうか?」
「いえ、そんな事は無いと思います。美神さんや横島さん、それに最近じゃタイガーさんまで凄くパワーアップしたじゃないですか!」
口元に自嘲気味な笑いを浮かべた小竜姫を励ますように、おキヌはお茶のおかわりを注ぐ。
小竜姫はおキヌに礼を言いつつ注がれたばかりの茶を一口すすると、気を取り直した様におキヌの振った話題にのった。
「そう言えば、タイガーさんはついこの間も修行に来てましたね。雪之丞さんと一緒に」
「ヘ? 雪之・・・丞と、タイガー・・・が?」
突如出た親友の名に、悶絶中にも関わらず横島が疑問の声をあげた。
どうやら彼ら二人は親友の横島にも修行のことを黙っていたらしい。
小竜姫は世間話の一環として、横島に2人の目的を口にする。
「ええ、ハードな修行を連続して行うのも危険ですので、今回は調整のみでしたが・・・・・・今のタイガーさんでしたらGS試験に合格するのは難しくないでしょう」
「雪之丞はどうなんです? ヤツもいつまでもモグリという訳にはいかんと思いますし」
「え?」
横島の言葉に小竜姫は小さな疑問の声を発した。
彼女の脳裏に生じた疑問は、美神が浮かべた「しまった!」という表情と相俟って一つの考えを導き出す。
小竜姫は悪戯を思い付いた子供のように、口元に浮かびそうになる笑いをかみ殺した。
「あれ? 知らなかったんですか? 雪之丞さんにはとっくにGS資格が与えられていると、修行の際に聞いたのですが」
「ええーっ! だってアイツ、メドゥーサの手下だってことで失格にされたんじゃ!!」
GS試験で行った死闘を思い出し、横島は素っ頓狂な声をあげた。
ベスト8を決めるところで共倒れとなった雪之丞との戦い。
自分はGS資格を獲得できたものの、魔族の傀儡であった雪之丞は勘九朗、陰念と共に失格となった筈だった。
疑問の解答を待ち、美神事務所の面々はじっと小竜姫を見つめる。
その中で何故か美神は1人だけ違う表情を浮かべていた。
「その後、非常に協力的だったことから恩赦が与えられたそうですよ。それに・・・・・・」
小竜姫はこぼれそうになる笑いを苦労して堪えると、一同の反応を確かめるためもったい付けるようにお茶をすする。
そして、まるで先ほどの仕返しとばかりにさり気なく重要なことを口にした。
「よく調べてみたら、雪之丞さんは結果的に暫定1位の受験者だった様ですし・・・・・・」
「はぁ? ナニ言ってんスか!? 俺と雪之丞はベスト8手前で引き分けだったでしょ!!」
「ええ、その後、ミカ・レイ―――つまり美神さんと魔族の手先だった勘九朗との決勝戦がうやむやになって。でも、それだけじゃ無かったんです。あの一件で猛省を促されたGS協会が、受験者を時間をかけて念入りに調べた結果、更に驚きの事実が・・・」
ここで一旦言葉を切った小竜姫は、手に持った湯飲みの中身を飲み干しテーブルの上に戻した。
「しかし変ですね。あまり大っぴらに出来ない類の話ですけど、関係者の所には知らせが送付されたと聞いていますが・・・・・・あれ? 美神さん、どちらに行かれるんですか?」
そーっと脱出を計ろうとしていた美神は、超加速によって目の前に出現した小竜姫によって逃げ場を失う。
如何に美神といえども、何の準備もなく超加速を用いる小竜姫から逃れるのは不可能。
覚悟を完了した美神は誤魔化すように笑いながら、横島が受験前に交わした約束を忘れている事に一縷の望みをかけるのだった。
「ははは、いやもう、これがケッサクな話なのよ! 横島クンたち以外の準々決勝進出者が全員変装したプロのGSだったんだから・・・・・・笑っちゃうでしょ!? 新興宗教の教祖様や、寺や神社の跡取り息子がハクを付けるためにお金を積んで替え玉受験を依頼していたなんて。ねえ、小竜姫さま」
「ええ、本来、危険極まりない仕事ですから資格だけ持っていても実力が無ければ無意味。だから身元確認もカツラ1つで誤魔化せちゃう程度のものだったようですね。しかし、資格を手にするだけで除霊を行う気が無ければ・・・・・・全く、とてもメドゥーサには聞かせられません」
「それに替え玉する方も、商売敵が増えないから乗り気だったみたいだし・・・・・・だけど、六道のおばさまが激怒して制度変えさせちゃったから、もうこんな事は起こらないでしょうね。受験生は身元をしっかり確認されるし。ということで、次のGS試験は万全だと言うことでこの話はお終いね。えーっと、話をもとに戻しましょうか。知りたいのはヒャクメの行き先・・・・・・」
「ちょっと待ってくださいッ!!」
黙って二人の言葉に耳を傾けていた横島が鋭い言葉を発した。
「・・・・・・つまり、順位が俺と雪之丞以上の受験者は全員失格ってことですか?」
「ええ、だから横島さんと雪之丞さんが暫定1位だと」
苦虫を噛み潰したような美神の表情に、小竜姫は口元をほころばせる。
彼女はGS試験に潜入する依頼をしたときに聞いた、美神と横島の約束を覚えていた。
「ちゅうことは、美神さん! 約束はどうしたんですかっ! 1番で合格したら、事務所の名前を美神&横島除霊事務所にするっていう約束はっ!! あん時、確かに約束しましたよね? 小竜姫さまやおキヌちゃんも覚えているでしょッ!?」
「え? そ、そういえばそんなことがあったような・・・・・・」
「ほら! ひょっとして約束破るつもりじゃ無いでしょうねっ!!」
力強く肯いた小竜姫と対照的に、おキヌは何処か歯切れの悪い答え。
しかし、そんな事はお構いなしに詰め寄ってくる横島の額に、美神は一枚の名刺を叩きつける。
「あーもう! ちゃんと守ってるわよっ! アンタが気付かなかっただけでしょっ!!」
「え? す、すいません。だってそんなコト一言も・・・・・・」
顔を真っ赤にして見事なまでの逆ギレを発揮する美神。
気圧された横島は、まじまじとその名刺に書かれた文面に目を通していく。
美神除霊事務所
所長 美神令子
「ん? 何にも変わってないじゃ無いッスか??」
何一つ変わってない表記に横島は怪訝な顔をする。
しかし、ふて腐れたようにそっぽを向いている美神の様子からすると嘘はついていないらしい。
もう一度念入りに眺めた横島は、その名刺に微かな違和感を感じるのだった。
美神・除霊事務所
所長 美神令子
「ま、まさか・・・・・・」
最初はただのインクはねにしか見えなかった小さな点。
その点に何か得体の知れない不自然さを感じた横島は、検査機器としてしまい込んである顕微鏡をキャビネットから引っ張り出す。
そして・・・・・・
「こ、こんなん読めるかぁ―――ッ!!」
「うるさいっ! ナノテク企業に特注してお金かかったんだからねっ!!」
400倍に拡大した視野でようやく【&横島】と識別できる【・】に横島が激しいツッコミをいれる。
そんな彼の反応に、美神は意味不明な言い訳を返すのみ。
その勢いまま彼女は電話機に歩み寄り、外出用のメッセージを再生した。
『はい・・・美神除霊事務所です。ただいま除霊に出ております・・・・・・』
「ほら、こっちも・・・・・・ちゃんと約束は守ってるわよ!」
「え? 今のも・・・・・・?」
ふて腐れたようにそっぽを向いた美神は、横島の疑問に答えようとしない。
助けを求める様に周囲を見回すが、含み笑いを堪える小竜姫以外はみな一様にキョトンとした顔で立ち尽くしている。
常人であるおキヌはともかく、シロやタマモまでも認識出来なかったと力なく首を振っていた。
メッセージに含まれているのは、超加速を可能にする感覚を持つ小竜姫にしか分からない何か。
横島は心底疲れた様に肩を落とすと、やや投げやり気味に人工幽霊に命令した。
「人工幽霊。悪いけど問題の場所を少し速度を遅くして再生してくれ・・・・・・」
『・・・・・・わかりました。横島さん』
美神の顔色をうかがうような一瞬のタイムラグの後、こもった様な男の声に変わった先ほどのメッセージが流れはじめる。
『み〜か〜み〜 キュル じょ〜れ〜い〜じ〜』
「あ、コレたまに電話に出ると聞こえるでござるな」
「そうね。美神事務所って言うときに【キュル】って聞こえるのは気のせいじゃなかったんだ」
背後で聞こえたシロとタマモのひそひそ声に、横島の疲労は更に深まる。
どうやら美神は人工幽霊に命じ、電話に出た人間の言葉に【キュル】を強制挿入しているらしい。
「人工幽霊・・・・・・大体予想が付くけど、【キュル】の部分を俺にも聞こえるように頼む」
『か〜〜〜み〜〜〜 &横島 じょ〜〜〜れ〜〜〜』
もちろん【&横島】の所は甲高い声だった。
予想通りの結果に口をあんぐりと開く横島。
二の句が告げない彼の様子を非難と感じたのか、美神は開き直り気味に胸を張る。
「な、何よ! なんか文句あるの・・・・・・」
「いや、無いっス・・・・・・」
こういう部分には相変わらずの大人とは思えない反応。
横島は溜息を一つついてから、やや真面目な面持ちで美神に向かい合う。
「でも、高校卒業してバイトじゃ無くなったら、待遇改善の方はマジで頼みますよ!」
「えっ・・・」
その言葉は事務所全員に驚きの表情を浮かばせるに十分なものだった。
今まで横島は、美神にすら高校を卒業してからの進路を伝えていない。
しかし、明らかに今の発言は、高校卒業後、美神事務所の正社員にして欲しいというものだった。
「だって、俺、進学する気なんてサラサラ無いッスから、この間オヤジやお袋にもキチンと話しましたし・・・・・・」
「へ、へえ・・・・・・で、何だって?」
「おかげで4月から仕送り止められるコトになりました・・・・・・そのうち二人揃って挨拶に来ますけど、そん時は会ってやって下さい」
「そう・・・・・・」
ペコリと頭を下げた横島に浮かべた美神の表情。
その安堵を含むやわらかい微笑みに、小竜姫はつられたように顔をほころばせる。
彼女には美神と横島があの一件を乗り越え、前に進み始めたことが堪らなく嬉しかった。
そんな小竜姫の反応に気付かず、美神はすぐに顔を引き締めると所長用の椅子に深く腰掛ける。
「それじゃ、春から引き受ける仕事の量も増やさなきゃね。GSの数が増えるんだから・・・・・・」
美神とおキヌの間に生じた微かな緊張に小竜姫はようやく気付く。
いや、それだけでは無い。
横島が美神事務所に就職すると言った瞬間、一瞬だけ浮かんだシロの泣き笑いのような表情を彼女は見逃さなかった。
そして支えるようにシロに寄り添ったタマモの仕草も。
いつの間にか美神事務所に生じていた変化の兆し。
過去を乗り越え前に進もうとしている事務所の面々。
これから美神事務所の人間関係がどの様に変わっていくのか、小竜姫には予想はつかない。
だが彼女はそのことを好もしく思っていた。
「さて、それではそろそろヒャクメを迎えに行かないと。この辺で失礼しますね」
「あ、それじゃ、私、途中まで案内します・・・・・・」
暇を口にした小竜姫の後を追うように、おキヌはソファに深く腰掛けるとするりと霊体を抜け出させる。
「空を飛ぶ小竜姫さまの道案内には、こっちの方が都合いいですからね」
「え、ああ・・・・・・それではお願いしようかしら」
おキヌが見せた淀みない幽体離脱に、小竜姫は微かな驚きを感じていた。
霊体の運用に熟練しなければ今のようには抜け出せない。
元幽霊という過去を考慮しても、彼女はかなりの鍛錬を己に課した筈だった。
横島という規格外の成長の影に隠れているが、おキヌも着実に己の力を成長させている。
―――それは一体何のために?
以前に訪れた時の彼女は、意識して日々の鍛錬を行っている様には見えなかった。
小竜姫の胸に生じた疑問は、道案内に窓から飛び出したおキヌの背を追ううちに一応の解答を得る。
「ヒャクメさまのやっていた修行・・・・・・私にも出来ますか?」
事務所が見えなくなってからすぐに耳にした、何気ない、しかし固い決心を込めたおキヌからの質問。
小竜姫はその質問に力強く肯くと、続くおキヌの言葉にじっと耳を傾けるのだった。
数時間前、都内某所
「ウエンツさん! 遊びに来たのね〜」
詳しく描写することが憚られるウエンツ少年の住処。
藁葺き屋根を見上げたヒャクメは、脳天気な声で以前知り合いになった少年の名を呼んだ。
ヒャクメは彼らが時折行う運動会に参加するまでに親睦を深めている。
「あれ? 変なのね〜 誰もいないのね〜」
いつもなら温かく迎えてくれる筈の返事がないことにヒャクメは首を傾げる。
感覚器官を凝らすが屋内はもぬけの空。
正直勘弁して貰いたいのだが、ヒャクメは家に隣接した郵便受けを覗き込んだ。
「ポストにも郵便が溜まってるし・・・・・・これは何かあるのね〜」
ヒャクメはそう呟くと、たまに運動会が行われる某霊園を目指し移動を始める。
そこに行けばウエンツ親子について、何かしらの情報が手に入ると彼女は思っていた。
しかし数分後、霊園に着いたヒャクメは自分の予想があっさりと、しかも悪い方へ外れたことを理解する。
顔を青ざめさせた彼女は、霊園の中央にうち捨てられた履き物に走り寄った。
「こ、これはウエンツさんの・・・・・・し、しっかりするのねっ!!」
どんな履き物か詳しい描写は避けるが、それは確かにウエンツ少年が履いていたものだった。
ヒャクメは怪我人を扱うように、地面に敷いたハンカチの上に履き物をそっと寝かせる。
気遣うように揺するが反応がない。
余り詳しく説明することは出来ないが、それはウエンツ少年の身の上に意識を失うような出来事が起きていることを意味していた。
彼女は履き物から情報を引き出すのを諦め、周囲を窺うように立ち上がると全身の感覚器官をかっと見開いた。
目まぐるしく動く鋭敏な感覚器官が、その場に残された僅かなエネルギーの流れを感じ取っていく。
網の目の様に貼られた磁場の痕跡は結界の名残だろう。
よく見るとその周囲には何かを引きずったような跡が残っていた。
「まさか、ウエンツさんたちは何者かにっ!」
引きずられたような後を辿った先。
そこに残されたトレーラーの轍にヒャクメは顔色を変える。
この場に残された情報は、かなりの確率でウエンツ少年を始めとする妖怪たちが何者かに掠われたことを表している。
「大変・・・・・・誰かに助けを」
それならばそれに気づいた自分は、彼らの為に動かなければならない。
彼らの救出を考え、協力者を欲したヒャクメの脳裏に小竜姫の姿が浮かぶ。
しかし、先ほどの口論で頑なになった彼女の心は、武神である親友を拒絶してしまうのだった。
「フ、フンだ! 小竜姫なんかいなくても、私だけで助けられるのね」
彼女は地面に額を擦りつけるようにして、トレーラーが残した痕跡に意識を集中する。
トレーラーが走り去ったのは、少なく見積もっても数日前。
その間雨が降らなかった幸運にヒャクメは感謝する。
持てる能力の全てを使い追跡を開始するヒャクメ。
謎のトレーラーを見つけるまでにさほど時間はかからなかった。
【神族は見た(後編)】に続く