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山の上と下

エピローグ 峠


投稿者名:よりみち
投稿日時:09/ 2/17

エピローグ 峠

 日が山間に隠れ夜の帳が広がる逢魔ヶ谷。朽ち果てた集落の端に三つの人影。



「行くのかい?」ヤツメは素っ気く目の前の若者に念を押した。

「はい。体の方は大丈夫ですし‥‥ それにいつまでもお世話になっているわけにもいきませんから」
 と若者は見るからに誠実そうに頭を下げる。

‥‥ その所作にヤツメは『らしくないねぇ』と聞こえないほど小さく舌を打つ。
 声の調子は変えず
「『世話』云々は気を使わなくってイイつっただろ! アタシはあんたから似たような事をしてもらったんで、その借りを返しているだけさ」

「そう聞かされても、その『借り』が何なのか判らないでは居心地が悪いんです」
 控えめなからも言葉に苛立ちが滲む。

 背景にあるのは記憶の欠落という事実。身の回りの何かをするのに必要な知識とかはごく自然に浮かんでくるが、ヤツメと名乗る女性とどういう経緯があったのかを始め、ここしばらくの記憶や自分が何者かという事など自分にまつわる多くが思い出せない。
 さらに付け加えれば、何でもいいから自分の事を教えて欲しいと目の前の女性に尋ねてみても、はかばかしい答えがもらえないのも苛立ちの元になっている。

「思い出せないのが辛いのは解るがイライラしたところで出てくるもんじゃなし。生きていくのに必要なコトなんかは自然に出てくるんだから、なくした記憶だって自然に出てくるよ。まあ、気長にやるこった」
 ここまでと同じ答えで済ますヤツメ。

 冷たいようだが、形だけの情報を与えたところで一時の物だし、言ったように自然に回復する可能性がある以上、余計な刺激は拙いという判断もある。
 何より、若者との縁はまさに『袖すり合うも』といった程度。教えられるのはここ数日分の、まず普通の人間なら体験のしょうがない極端な経験の分だけ。記憶のなくしたせいか、ごく普通の性格(というか価値観)になった風の今の状態では刺激が強すぎる。

「そうは言っても‥‥」と若者は無意識に額に巻いた布に手をやる。
 一時、目の前の女性の元にあったが元は自分のものだそうで、ある種の治癒能力を有している‥‥ いや、正しくは『有していた』。
 聞けば、その”力”は大半は今回の手当で使い果たされたそうで、そういう意味ではもはやただの布に過ぎないらしい。それでも頭に巻いているのは救ってくれた礼のつもりだ。

「だから気にするんじゃないって! あんたは崖から転がり落ちて大怪我をした、それだけ。怪我から言えば命が助かっただけでもめっけモン、記憶がなくなった程度のコトを引きずっていると罰が当たるよ」
 言いつつ、助けた時の光景−惨状を思い出し背筋に冷たいモノが浮かぶ。

 落ちた際に打ったらしい頭は熟れ過ぎたザクロのように割れ、その頭は胴体と文字通りの皮一枚で繋がっているだけ。
 ”糸”で首を繋ぎ妖力を吹き込み命を取り留めさせたがよく助かったものだと思う。こちらの手当と当人の人間離れした生命力、それに龍神の”気”が込められた布のどれかが欠けても助からなかったはずだ。

「それよか、今から山を下りるって言うのは良いのかい? 何も好きこのんで夜旅を選ぶ必要はないだろう。街道に繋がる峠に出る頃には完全に真夜中だよ」

「それは判ってるんですが‥‥ でも、何か‥‥ 行かなきゃ! 待っている人がいるって、そんな気がするんです」
 若者は自分でも困っているという感じで頬を掻く。自分の中に峠にそれも夜に行かなければならない具体的な理由は見い出せない。
 ひょっとすると記憶を失う前に誰かと待ち合わせでもしていたのかとも思うが、体が元に戻るのに費やした日にちを考えると相手が待っているはずもない。

「まっ! 好きにするが良いさ。ただ、このヤツメ姐さんがせっかく助けた命なんだから、バカなことをして無駄にすんじゃないよ」
 ヤツメは若者の肩をどやしつけるように叩きその勢いで押し出した。




「縁がないっちゅーのはこういう事なんでっしゃろな」
 何度か振り返り頭を下げる若者が木々の闇に見えなくなった頃、それまで傍らにいるだけだったシジミがヤツメに水を向ける。

ふん! ヤツメは不機嫌そうに鼻を鳴らす。言われなくとも解っている。

 若者の事が気になり(『人外が人に”借り”を作ったままじゃ寝覚めが悪い!』とは当人の談)女除霊師受けた傷の回復もそこそこに跡を追ったのだが、自分に傷を負わせた女除霊師(とその娘)と行動を共にした事に気後れ、遠くから様子を窺うだけで時が過ぎる。

 そしてアノ夜。
 峠の幽霊娘同伴とはいえ別行動を取ったのを幸いに姿を見せよう考えるが、やはり”手ぶら”では心苦しいと先回り。警戒中の”僕”や葉虫を片づけ”手土産”にしようとしたのは良いが、若者(と幽霊娘)が道を変えため空振りになってしまう。

 その後も未練がましく様子を窺っていたところで”あの”場面。
 ある意味、これ幸いにと誰よりも早く若者の元に駆けつけ命を救うのには成功するが、先の通りの記憶喪失。その影響か、やたら誠実で慎ましいでは性格になってしまったのもあって思い入れが大きく萎む。

「それにしてもせっかく助けたのに勿体ないやおまへんか? 何も覚えてのう(いなく)てもアノ男に違いないわけでっしゃろ。記憶をなくしたせいか、前よりは人となりもできとるようやし、いっそ、『お前は私に僕になる事を誓ったんだ』とか吹き込めば、ずっと姐さんの側におったんやないですか?」
 それがいつかは忘れるほどの昔、ヤツメの網に引っかかったシジミは助命と引き替えに端女として仕える事を誓約。それを逃れるためには主人が人に愛されその”気”により人に変わるのが一番と、事ある毎に煽っている。
 曰く
『そーなれば、このクモ女に絡め取られてる私も晴れて自由の身』ということだ。

「お前は‥‥ ねぇ そういうセコイ事ばかり考えているから、いつまでたってもアタシの下から離れられないんだよ!」
 そんな下心を知ってか知らずかヤツメは蝶の精をたしなめる。
「あの小僧が全てを覚えていてアタシを選ぶっていうなら喜んで惚れてやる。けど、今のあいつは何も判らない子どもだ。アタシゃ、子どもに手ぇを出す趣味はないのさ」

『それだけやおまへんやろ』と顔に出さず苦笑するシジミ。

 二人とも人外としての超感覚で若者とその背中に負われた除霊師の娘、その後のご隠居よ呼ばれる老人とのやり取りを耳にしている。

 それによれば若者はすでに娘に”売約済み”。人外になるほど功を経たにもかかわらずやたらウブで頑固な主人は他人の”獲物”を横取りするのを良しとしない。
 その方言を使う人々に合わせるように実利的な発想をする自分から言えば『ええかっこしい』もいいところだが、それを非難しようとは思わない。何だかんだ言っても、主人についてはそうした諸々を可愛いと思っている自分がいるのだから。

「まあこれでええんかもしれまへんなぁ 僕にした後にここんところのコトを思い出されたらお互いものごっつ気拙いやろし、体が治るのもそこそこに旅に出ようと思うのも、追いかけなきゃならない人がおるって記憶をどこかに引きずっているってコト‥‥」

じろ! 三割り増しに鋭くなった視線に地雷を踏んだかと首を縮めるシジミ。

「さてと、これで借りもなくなったし、田舎(ドサ)廻りも飽きた! いっちょ、お江戸とやらに出てみようか、そこならイイ男がいるかもしんないしね」

「いいですねぇ、姐さん! 華のお江戸でパーっといきましょう」

 どこまでも気楽そうな返事に苦笑しつつヤツメも気持ちを切り替える。
 そう、人外として半永遠を持つ自分にはこれから幾らでも機会は巡って来る。二百年前と今、こうした出会いがあったのであれば、また二百年も過ごせば新しい出会いの一つもあるに違いない。

『今度こそは逃さないからね!』ヤツメはそう心に決めると若者と反対の方に歩み始めた。





 深い”眠り”を前におキヌは心地よいまどろみに身を任せている。
 傷つき、これまでに得た霊力の多くを失った霊体を癒すために休養が必要と判っているから(”眠り”を)受け入れるが、一抹の寂しさがあることは否めない。

 一つはそれにより言葉を交わし行動を共にした人たちと会えなくなるという事。
 何となく判るのだが、再び人に認められるようになるには最低でも人が生まれ歳老いて死ぬほどの時が必要で、その頃には共に過ごした全員が鬼籍に入っているに違いない。
 そしてより寂しいのは生きていた頃の記憶があやふやなように、この”眠り”により今回の記憶の大半が失われるという事。
 実際、傷を負った際、霊力と共に記憶の多くを失い、残った部分についても”眠り”が近くなるにつれ朧気なものとなりつつある。

 あの時、少女(その名前も浮かばない)の指示した通りに逃げ出していればこうはならなかったはずだが、それでも悔いはない。
 今の心地よさも自分の為すべき事を為したからこそのものだと思う。

 次に”目覚め”た時にも似た経験をしたいものだ。

‘『次』っていえば、私ってずっと幽霊のままでいなきゃいけないんだったっけ?’
 たしか、自分は山の神の怒りを鎮めための人柱で、将来、山の神になるのと引き替えにこの地に縛られ成仏が叶わない‥‥ 
 『神の怒り』という言葉に少し引っかかる。恐ろしい妖怪を鎮めるためだと誰かが言っていた気もするが、もうどちらが正しいか判然としない。まあ、どちらでも良いのだろう。
 とにかく、この地から離れられないというのが辛い。自由に動けてこそ様々な出会いや経験があるというもの。

‘そう言えば、代わりなる人がいれば成仏しここから抜け出せるって話も‥‥ そうだ! 私と代わっても良いって言ってくれた人がいたっけ。今度、出会えたら代わってもらおうかしら’

 もはや、その人物の姿も記憶に掛かる霞の底だが、不意に浮かぶ暖かさから自分に取り大きな意味のある人だったに違いない。
 その人について何か思い出せないかと考えるが深まる”眠り”に抗えない。そして意識は”眠り”へと沈んでいく。


 夢で峠を見る。
 そこに佇むどこか寂しげな若者の姿。それが誰なのか、判らないにもかかわらず心が高鳴る。
 夢だと知りつつ心のままに「・・さん」と呼びかけてみた。




 真夜中、若者は峠に立った。
 ゆっくりと周囲を見回しつつ失われた記憶をたぐり寄せようと試みる。そして小半刻ほど後、

「駄目だな!」と失意が言葉になる。
 何か思い出せそうな気はするのだが集中するとそれだけ遠ざかるような感じがし、あきらめる。大きなため息を一つ、峠を下りようとした足が止まる。

「・・さん」とどこか聞き覚えのある声が聞こえたような気がしたから。
 あらためて耳を澄ませてるが夜更けの山で当たり前に音しか聞こえない。

ふう 若者は首を横に振ると峠を下りる方に道を取った。






 蛇の足(あんよ)
 いつ頃から自分はいるのだろうか?

 自分が”いる”ことに気づいたのはずいぶん前のような気がする。言い様があやふやなのは過ごした時の記憶が心にあまり留まらないから。言えるのは、季節が何十回、いやひょっとすると百をとうに越すほど繰り返されたということくらい。

 その間に自分はずいぶんと変わった。
 最初は夜中わずかな間だけにあった意識が、今では一日中、そう、当初は眩しすぎて意識を保っておけなかった昼間でも保っておけるように。また、形あるものにはすり抜けるだけだった体もいつしか当たり前のように触れ動かすことができるようになった。

 そうして自分の在りようががよりしっかりしてくるに従い、素晴らしい人たちと出会い何か人の役に立ちたいという気持ちが強まる。
 しかし、この地に”縛られている”自分にそうした自由はない。

‘‥‥ 代わる人がいれば抜け出せるんだったっけ’そんな知識が浮かんでくる。
 なら、代わってくれる人を見つけ死んでもらえば良い。

 ちょうどその頃、峠の道が舗装・拡幅するための工事が始まり、界隈に人が頻繁に見られるようになる。そこで色々な事を学びつつ、死んでもらうための準備を進める。

 ほどなく準備は整うが、そこからは自分でも意外なほどコトは進まない。何度か工事に携わっている人やハイカーなどを標的にしたが事毎に失敗。
 原因の根底のところはっきりしている、自分の気持ちが乗らないから。
 今の”居場所”から逃れたいという気持ちに嘘はないが、魂=人なら誰でも良いという気にはどうしてもならない。魂に変わりはないのだろうができれば快く代わってもらえる人の方が良い。

 まぁ自分には時間は幾らでもある。相応しい人が見つかるまでと気長に重ねる日々のある日

 峠を歩きで越えようとする二人づれを見かける。

 一人はその豊かなスタイルをボディコンと言うらしいおよそこの場に不似合いな衣装で包んだ女性。その颯爽とした振る舞いはある種の威厳を、そして何より頼もしさを感じさせてくれる。

 もう一人は、その女性に従う青年。
 年格好からして自分より少し上らしい青年は自分の体の大きさを上回る荷物を担ぎ空気の薄さに喘ぎついていく。その姿は滑稽ではあるが同時に親しみと暖かさが感じられる。

 様子から見て女主人のその召使いといったところだが、どんな事情があるにせよ、 ああいうコキ使われ方をしても従っているというのは、きっと途方もなく人が良い−きっと快く死に自分と交代してくれるほど−に違いない。

「あの人‥‥ あの人がいい‥‥ ようし‥‥」
 木の陰に身を隠したおキヌはそうつぶやくと青年へ声を掛けようと歩き始めた。



 山の上と下 了


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