山の上と下 最終話 再び旅へ
「父の‥‥ 父の意識が戻らないでござる!」
抱いてきた父を地面に降ろしたシロは自分ではどうしようもないと訴える。
「”瘤”の仕業だろうが、見立てはどうだい、姐さん?」
ご隠居の問いに智恵は心苦しそうに首を振る。
「残念ですが、すでに霊力を失った身では推測はできても確かめかねます」
「ちょ‥‥ ちょっと、それってどういう事!」割って入るれいこ。
気持ちの揺れも顕わに
「霊力を失ったって話、本当?! もし、私を助けるためにそうなったなら、私はそんな事をして欲しいなんて、これっぱかしも思って‥‥」
ぱしっ! 乾いた音が響く。
頬を押さえた娘に智恵は毅然とした表情で
「死津喪比女を滅ぼすにはそれが必要だった、それだけ。これくらいで動揺するようでは”美神”の名は継げませんよ」
‥‥ ”美神”の言葉にれいこは唇を噛みしめ心の揺れを押し殺す。
今はそれで十分と智恵。
「済んでしまった私の事より大切なのはシロちゃんのお父様の命。ここで霊力を操れるのはれいこだけなんだから、”美神”の名に賭けきっちりと〆なさい」
「いいわ、お母さん! 私がお母さんの跡を継ぐのに相応しいところを見せてあげる」
とれいこは迷いなく断言する。犬塚の胸をはだけさせてそこに巣くう”瘤”の周囲に指先を添える。
薄く目を閉じ、しばし暗闇で何かを探すような表情を作る。
「大見得を切った手前、当たり前の事しか言えないのは恥ずかしいけど、動かないのは”瘤”の仕業。”根”を介して霊的中枢を麻痺させているわ」
「なら”瘤”を潰せば終わりじゃねぇか。人なら”根”が残ったりで無理なのは承知だが、不死身の人狼なら何とかなるだろ?」
「それが一筋縄じゃ行かないの。調べるついでに軽くやってみたけどダメだったわ。”瘤”を潰そうとすると、それに応えて”瘤”が霊的中枢を潰しにかかる、いくら不死身の犬神でも霊的中枢をやられればお終いよ」
「なら、”根”を先に切るてぇのは? 霊的中枢を潰すのは”根”を介してなんだろ。もちろん並の刃物じゃダメなんだろうが、霊力で刃を作れるんだろ。それなら妖物は切れるし体の中であっても問題はねぇはずだ」
「素人にしちゃ”イイ線”突いた”手”だけど、そんな安直なコト、私が気づかないと思う?」
れいこは反問で、すでに試み失敗したと答える。
「切るのは切れるんだけど、何本か切っている間に切られた”根”がつながって元の木阿弥、『鼬ごっこ』ってヤツよ!」
「つながる前に全部切る‥‥ てぇのは無理なんだろうな」
と自分の言葉を否定するご隠居。この有能な少女であればそれも試しているはずだ。
「そうよ。でも、そんなに深刻に考えなくたっていいんじゃない。本体が滅びた今”瘤”がこれ以上の悪さをする事もなし、考える時間は‥‥」
れいこの言葉が途切れる。
言葉を裏切るように犬塚の体が一瞬、硬直したかと思うと激しく痙攣を始めたためだ。
見れば”瘤”が大きく脈動している。
具体的に何が起こっているにせよ”瘤”が寄生している相手を殺そうとしているのに間違いない。
「なぜ、急に?! 何が起こったっていうの!」
自分の楽観があっさりと覆った事に焦るれいこだが、それでも応急処置と”瘤”に指を当てると霊力を送り込みその動きを押さえる。
急転した状況に追い打ちを掛けるように、さほど大きくはない不気味に空気が震える音が一同の耳に。
音は死津喪比女の残骸が震え始めた事による。少しずつ大きくなる振動により焼け焦げた表面がぼろぼろと剥離ていく。
「まさか‥‥あれでまだ生きているっていうですか?!」
驚きと恐れが半々に混じる加江の声。
彼女もそうだが、何かが起ころうとしているのは解るが、それが何か見当がつかないだけに動けない面々。
やがて炭化した部分が一通り剥がれると残った塊に大きな裂け目、内側から蛹から成虫が羽化するような形で粘膜を纏った人形(ひとがた)が身をもたげる。
「”花”を咲かせるつもり?! いいわ! この”美神”れいこが極楽に逝かせて‥‥」
「待ちな、嬢ちゃん!」犬塚を置いて動こうとする少女を涼が押しとどめる。
「見な! あの様子じゃ十を数える間も保つめぇ 手を出す必要はねぇぜ」
言葉の通り、起き上がりつつある”花”の体には膾切りにされたような深い皺が走り、そこから血にも似た体液がじくじくと滲みだしている。
誰もが‘なぜそうまでして?!’という疑問を抱き顔を見合わせるが答えは出ない。
注視の中、立ち上がる”花”、そんな動きでも体のあちこちが朽ちる様は痛々しさすら感じさせる。
しかし死津喪比女はそうした同情めいた”空気”を変わらぬ高慢さで一蹴する。聞き取るのも難しいしわがれた声で
「タダでは死なぬわ! 犬塚は連れて行く故、せいぜい苦い酒で勝ちを祝うがよい!」
「何でぇ! 俺たちに一矢報いたことを教えるためだけに最後の力を振るったってわけか。今更ながら良い根性してるぜ、死津喪比女の野郎は」
ご隠居が言い終えるや使命は終えたと崩れ落ちた”花”を見下し吐き捨てる。
「‥‥ ”瘤”は命じられた事を本能的にするだけ‥‥ 上手くエサを‥‥ そう、切った”根”の先に適当な霊力源を用意してやればそっちに喰いつく‥‥ なら、囮‥‥ 囮なら”丁稚”‥‥」
時間稼ぎしかできない自分に苛立ちつつれいこは助ける方策はないかと心に浮かんだ事を次々に口にする。
「また、囮スっか」横島が情けなさそうに抗議を挟む。
「役立たずのあんたの使い道ってそれくらいしかないでしょうが!」
「良いですよ〜 どうせ俺は役立たずですから」と拗ねる横島。
ここまで、目の前の少女を助けるために演じた活躍に自覚はないらしい。
「でも、囮になってシロ様の親父さんが助かるのならやりますよ。”美神”さんならそれを無駄にしないって信じてますから」
「『信じて!』って!」さりげない信頼の表明にれいこは妙に顔を赤らめる。
やや視線を逸らせつつ
「なら、横島! あんた、幽体離脱が‥‥ やっぱりダメだわ」
と言い終えない内に自分の案にダメを出す。
「『ダメ』って、どういうことだい?」
「理屈としては良いのですが、誰にせよ、囮となるためには霊体になって犬塚殿の体に入らねばなりません。この場の方々で幽体離脱ができる方はいないでしょう」
ご隠居の問いに智恵が娘の案の致命的な点を説明する。
「そう言うコト! お母さんはもうそういう事は駄目だろうし、私じゃ意味はない。それなりの下準備をすれば衝撃で霊体を叩き出すっていう”冗談”な方法もあるんだけど、この場でそれをしている余裕もないしね」
れいこはそう悔しげに補足する。
「と言うコトで、こうなったら万に一つを賭けて、”瘤”を潰すしかないわ! シロ、それで良いわね!」
乱暴な結論だが、シロは少女の顔に刻まれた苦渋にそれしか方法がないと知る。
押さえる必要もないほど弱った父を地面に横たえ、それが何の役にも立たない事は承知で手を握る。
「じゃあ、いくわよ!」れいこの声に緊張が籠もる。
”瘤”を一気に焼き尽くす必要がある一方で、強すぎれば、その”力”は”根”を通じシロの父の霊的中枢をも焼き尽くす。
時間があれば徐々に適量を探る事もできるが、端からそうした余裕はなくなっている。自分が正しいと信じただけの力でやるだけだ。
霊力を込めた掌を大きく振り上げると叩きつけるように”瘤”へ‥‥
「待ってください!」
突然、割って入った声にれいこは思わずつんのめる。
「いきなり何よ! 何のつもり?!」
と声の主、おキヌにくってかかる。
「さっきの話、霊体だと囮ができるんですよね! だったら幽霊の私ならできるんじゃありませんか? できるのなら私が囮になります!」
「確かにおキヌちゃんならできる‥‥ ってダメよ!!」
提案に乗りかけたれいこだが、一転、それを拒絶する。
「できるんですよね! それがどうしてダメなんですか?!」
「それは‥‥」希望の色を浮かべたシロを横目にれいこは淡々と
「囮役は”根”の的になるんで危険なの。ウチの”丁稚”ならともかく、おキヌちゃんにそんな危険な事をしてもらうわけにはいかないわ」
さらりと捨て駒扱いの横島だが口を挟まないだけの分別はある。
れいこの説明におキヌは一瞬の暇もなく
「私はかまいません! このまま何もせずに終わるなんて、絶対にダメ。”美神”さん、少しでも何とができる方法があるんだったらやりましょう。悔いを残したままこの先何百年もいるのは絶対に嫌です」
「おい」ご隠居はほとんど聞き取れない小さな声で隣の涼に声を掛ける。
「”封印”の事もある。ここは止めさせた方が良いんじゃねぇのか?」
おキヌに何かあれば本体の封印に異常が起こるかもしれない。ここで本体を蘇らせた日にはこれまでは何だったんだ、という事になる。
「それを教えたところで止める娘(こ)じゃねぇ、ここは成り行きに任せようぜ」
「‥‥ それしかねぇな」
一点の曇りのない少女にご隠居は思いつきを引っ込める。
一方、れいこはまじまじとおキヌの顔を見て
「一つだけ訊きたいんだけど、どうしてそんな風に言えるの? 人の心配は良いけど自分の心配が優先でしょ! コトは霊体に関する事で『死んも生きられます』って話は通じないわよ」
「もちろん、私だって死にたくはありません」
当人が幽霊であるコトを思えば不思議な言葉ではあるが、誰もがそれを奇異には思わない。
「でも、そんな心配はしていません! ”美神”さんならうまくやるって信じてますから。それで理由の説明になりませんか?」
「『なりませんか』って! ”丁稚”はともかくどうしてそんなにあっさりと信頼を口にできるの?! 私はあんたにそう思ってもらえる事は何もしていないでしょうが」
「それは横島さんが”美神”さんのことを信じているからです。一昨日の夜、横島さんと一つになった時に、横島さんが”美神”さんを信じているのが判りました。横島さんが”美神”さんを信じているのなら私も”美神”さんを信じます」
「『一つ』って?! まさか‥‥」
と顔を赤くするれいこだが自分の勘違いに気づく。照れ隠しを兼ね「あはははは」と大きく笑い
「そこまで買いかぶられるとやるきゃないか! 考える時間も尽きたようだし」
「はい! 任せてください」
「じゃあ、段取りを言うわよ。私が”根”を切り離すからおキヌちゃんはそこに”体”を入れて。”根”が侵蝕してくるけど、自分をしっかり意識していればそれに抵抗できるはず。で、横島! あんたはそのおキヌちゃんに霊力を送り込んで支えるのが仕事。”力”が強すぎるとおキヌちゃんを傷つけ、弱すぎると何の助けにもならないからそのつもりでね。あと状況は刻々変化すると思うから、適切な調整を忘れずやるのよ!」
「簡単に言ってくれるんッスが、それって無茶苦茶難しいコトをしろって言われている気がするんですけど」
「そうよ、その『無茶苦茶難しいコト』をやれって言ってんの! おキヌちゃんが危ない事を言い出したのはあんたの責任! 可愛い女の子の命が懸かってんだから、今更、グダグタ言ってないで無理も無茶もまとめてやってみせなさい!!」
れいこは選択肢なんか最初からないと言い放つ。
それで覚悟が決まったらしく横島は自分を納得させるように大きくうなずき答えに代える。
「で、おキヌちゃん! ”根”を全て切り終えた時に合図をするから体から出て。その時(”根”のせいで)多少辛いところはあると思うけど我慢して一気に! 躊躇ったらダメよ」
「解りました! でも、私が体から出れば”根”がまたくっつくんじゃないですか?」
「そこはシロ! あんたは合図の直後、霊波刀で”瘤”潰すのよ。うまくいけばそれで終わるわ。ただ、言っておくけど、早すぎたらおキヌちゃんが、遅すぎたらお父さんが、”根”から伝わる衝撃で死ぬことになるから、そのつもりでね」
付け足された説明にシロの顔から血の気が引く。十分に回復していない今、その間合いはを捉える自信はない。
「少し間を取ることは‥‥」
「今やらなきゃお父さんは死ぬわよ」冷然と遮るれいこ。
「なら俺が」涼が前に出る。
それだけの動作でも傷が痛たむらしく顔に引きつった”笑い”が生じる。
「格さん、あんたの”腕”なら安心だけど、その怪我じゃセイリュートーとかは出せないんでしょ。普通の刀じゃ無理よ」
「判ってるさ。俺がやるのはこういうことだ」
涼は抜き打ちの刀をおろおろとするシロの首筋にぴたりと当てる。思わず動きを止めるシロに
「失敗したら悔やまねぇよう、その素ッ首、きっちり飛ばしてやる。だから、安心してやんな、嬢ちゃん!」
「じゃ、行くわよ」れいこはシロの返答を待たず指先を”瘤”の周辺に置く。
そして無言の連携があるようにおキヌが犬塚の体に全身の半分ほどを溶け込ませ、横島はその肩に手を触れる。
それぞれが自分のすべき事をしようとする姿にシロも霊波刀を作り出す。
ふっ! 不敵に微笑むれいこ。指先を流れるように動かし”瘤”の周囲をなぞっていく。
それに合わせ霊体を少しずつ体へ滑り込ませるおキヌ。わずかに強ばった表情が、今の状況が快適と言う言葉からほど遠い事を示している。そして、横島。心配をかけまいと気丈なところを見せる少女に応えようと、額に汗を浮かべその微細な反応を見逃さず調整された霊力を送り続ける。
三者の動きを全ての神経を研ぎ澄ませ追うシロを含め、そんな様子を惚れ惚れと見るご隠居。
「頼もしいねぇ 連中ならどんな困難があったって乗り越えられるって気がするぜ」
「ですね。私も安心して退く事ができそうです」と智恵も同じように目を細める。
ややあって、おキヌの姿が完全に消えるとれいこの眉がぴくりと動く。それを直前の合図と見て取ったシロ、全身の毛が逆立つほど緊張が走った。
‘! 拙い’と涼、過度の緊張が動きを鈍らせる事を知っている。
手を打とうとした矢先
「今よ!」と鋭い声が飛んだ。
その声に弾かれるシロ、わずかに出遅れた霊波刀を”瘤”へと突き立てた。
じゅ! 肉が焦げる嫌な音と共に犬塚の体は弾けるように大きく跳ねる。
それに跳ばされそうになるれいこだが機敏に避けると
「シロ、うまくいった?! 親父さんはどう?」
‥‥ 父の体を受け止めたシロは無言。
悲痛な空気が流れかけるが、潤む目とわなわなと震える体で沈黙が喜びを言葉に表せないためとすぐに判る。
次の瞬間
「あっぁぁーー!」響く喜びの叫び、父を強く抱きしめ頬ずりを繰り返す。
歓喜が周りへ広がろうとした矢先
「忠さん、おキヌちゃんは?!」と茫然としたままの横島に問うご隠居。
共に喜ばなければならないおキヌの姿がない。
れいこもそこに気づく。喜びを霧散させると横島の胸ぐらを掴む。
「おキヌちゃんは?! 触れていたんだから判るでしょ!!」
「ええっと‥‥ どう言やいいんでしょうか‥‥」
そこで我に返る横島だが、説明したいがうまく言葉にできないと当惑。
「とにかく、シロ様の霊波刀が”瘤”に触れた瞬間、おキヌちゃんの体にも強い霊力が走って‥‥」
「ちょっと待って! それって、おキヌちゃんが逃げ遅れたってコト?!」
「そ‥‥ そうっスね」とあいまいな横島。
触れていた感触からシロが出遅れる中、犬塚が助かるようおキヌが霊波刀が届くまで踏みとどまったのを知っているが、それを明らかにすべきでないと気づいたから。
「今はそんな事よりおキヌちゃんがどうなったか、それが問題だろう」と涼。
目で横島に『それで良い』と伝える。コトここに至れば誰の責任かを問うても意味はない。
「それもそうね!」どこまで解っているのかれいこも深追いはせず
「で、続きは? おキヌちゃんに霊力が流れ込んで」
「‘これはヤバいかも!’って思った瞬間に消えたっス! こう、まるで何かすごい力に引っ張られたような感じで、すっぱりと!」
「‥‥ ”封印”が働きやがったな」ご隠居がほつりと漏らす。
「”封印”?! 何の話なの?」とれいこ。
捕らえられていたため、その辺りは何も知らない。
『ああ、そうだったな』とご隠居。かいつまんでおキヌについてのあれこれを説明する。
「なるほど。つまり、おキヌちゃんが傷ついたんで”封印”が自分のところへ呼び戻した、そんなところかしら?」
「ああ、あの娘は”封印”にとっては要のようだからな。何かあったら手元へ戻すようになっていてもおかしくはねぇ」
「だとすれば、とりあえず(おキヌちゃん)の無事は信じて良さそうね」
「ああ、おキヌちゃんが”死んだ”なら、そうした”力”は働かねぇはずさ」
ご隠居の判断に横島は全身の力が抜けたように座りこむ。
「ふ〜 良かった。なら、おキヌちゃんとはまた会えるんですね?」
「まあね」れいこは微妙に視線を逸らせる。
「ただ、会えるようになるにはけっこう時間がかかる気がするわ。それなりに霊体が傷ついちゃったわけだから、癒えるのもそれなりの時間は必要だと思うし」
「どれくらいですか? 二、三日とか‥‥ 一ヶ月はかかりませんよね!」
「それを判断する材料はないから何とも‥‥ 明日にひょっこり戻ってくるかもしれないし百年先になるかもしれない」
「何っスか、その途方もない数字は!!」
「そこでれいこちゃんに怒鳴っても仕方がないだろ」
ご隠居が取りなすように言葉を挟む。この場合、れいこを弁護するというより怒鳴られたれいこの反撃から横島を守るためだが。
「おキヌちゃんがただの魂から幽霊になってこうして俺たちと話ができるようになるのに百年ほどがかかったわけだろ。今回で霊体が元の程度にまで弱ったらとしたらそうなるって話だ」
「百年‥‥」数字を繰り返す横島、 直感が答えはそれだと語っている。
「ええい! おたおたするんじゃない!」
ぼこっ! 鈍い音と共に横島は後頭部を押さえる。
「何かある度に後頭部って止めてもらえませんか! ”美神”さんのってけっこう腰とか入っていて痛いっスから」
「落ち込んだ弟子に活を入れるのは師匠の務めよ! 第一、あんたの不死身さから言えば十発が二十発でも蚊に噛まれたほどでしょうが」
気合いの分だけ前以上の衝撃があったのかれいこはそう言いつつ顔をしかめる。
「こうなってしまったんだから、ガタついたって始まんないでしょ。死んだんじゃないってコトならそれで十分! 生きていればいつかは会えるわよ」
「でも、百年って言えばちょっと長すぎなんっスけど」
自分はそこまでは生きてはいないと横島。
「それがどうしたっていうの! そりゃ、百年となったらあんたがおキヌちゃんと会うのは無理でしょうね。でも魂は受け継がれていくもの! ”縁”さえあれば来世か、来々世、いつか必ず会えるものよ」
「来世って本当にあるんですか? それにあったとしても前世の事を忘れていんじゃ再会しても意味がない気はするんですが」
「言う通りね」横島の懸念をあっさりと肯定するれいこ。
「でも、その時々の人格と魂は別。当人が意識しなくたって魂は再会を感じ満たされるものよ。たしかに、それは歯がゆいコトかもしれないけど、永遠を持たない人の身としてはそれで納得するしか仕方がないじゃない」
十歳とは思えない少女のしみじみとした言葉に粛然とする横島。
「何か、えらく説得力がありますね。ひょっとすると”美神”さんの魂にもそんな前世に関わる誰かとの”縁”があったりして」
「どっちでも良いわ。魂がどう感じようと今の私に関係あるわけじゃなし」
どこまでも『自分は自分』とれいこ。言いたい事は言ってしまったとシロの元に。まだ意識はないが腕の中で落ち着いた様子の犬塚を霊的に診察する。
そんな少女の背中を見る横島。
ふと先の自分の台詞を顧みる。この少女の”縁”の中に自分も入っているのだろうかと。
東の山の端が白み始めた頃、峠にさしかかる四つの姿、横島とご隠居、智恵、加江の四人‥‥
いや、正しくは五人。横島の背中にれいこがいる。
経緯としては、あの後、疲れたということでれいこが横島に背負って帰るよう師匠として命じたから。母親は娘の我が儘を叱ろうとしたが、言われた当人が嫌な顔一つせず引き受けたのでなし崩しに。ちなみに、疲れは事実らしく、当人はすぐに眠り込み今に至っている。
引き上げるについては、誰か(この場合、比較的怪我を負っていない横島)が無事に終わった事を知らせに戻り、迎えをよこしてもらうという案も出たが、逢魔ヶ谷と宿場の距離を考えた時、動ける者は先に自分の足で降りる方が良いという事でこうなった。
なお、この場にいない涼、シロ、犬塚だが、涼と犬塚は怪我や衰弱の具合が酷いためでシロはその二人の世話役兼護衛として残っている。
形としては凱旋の帰路だが、徹夜の戦いによる疲労や諸々の怪我のせいで黙々と歩みを続ける一行。
それでも峠という難所が終わりつつあることに少しは余裕ができたらしくご隠居が気楽そうに横島の側に行くと
「忠さんは、これからどうするつもりだい? 良ければ、相良について来ないか。オイラの世話をするって役回りだが、喰うに困らせないつもりだぜ」
「ダメよ! 横島はもう私の弟子ってことになっているんだから。勝手に粉をかけるマネはしないでちょうだい」
横島の背中越しに拒絶する声が。
「起きてたんですか?」肩越しに振り返る横島。
「今起きたところよ!」とツンとした声で応えるれいこ。
少し前から起きていたが、意外に頼りがいのある背中を味わっていたとはとうてい口にはできない。
「でも、まだだるくて歩く気がしないから麓までは背負って行くのよ」
「へいへい 判ってます‥‥ よっ!」と横島は軽く力を込めて背負い直す。
その後、さほど時間を経ずして再び寝入るれいこ。
それを確かめたご隠居は、
「忠さん、”師匠”はああ宣っているんだがどうする?」
「ついていきますよ。何ったって、五年もたてば、お母さんと同じほどにチチ・シリ・フトモモが育つでしょうからね」
横島は『全部、ワイのもんやー!』とにやけてみせるが、それがある種の照れ隠しなのはご隠居ほどの人間通でなくとも明白であった。
「鼻の下を伸ばすのは良いが、何たって相手が相手だ。下手ぁすると、一生尻に敷かれることになるんじゃねぇのか?」
「それでも良いですよ、”美神”さんなら」
「もう惚気かい? この調子だと、現世どころか来世まで尻に敷かれることになりそうだな」
自然体で答える横島にご隠居はニヤニヤ顔でツッ込む。
「何か俺もそんな気がしてしょうがないんスっよねぇ ”美神”さんとはそんな縁じゃないかって」
「これで来世も尻に引かれるのは決まりか! そうそう、来世って言えば、おキヌちゃんとの再会もあったな。オイラの勘だが、けっこうイケそうな気がするぜ。あの娘とれいこちゃん、忠さんって”縁”がありそうだしさ」
「なら良いんですが」と横島は出会ったのはこの辺りたっだかと見回す。
あれから別れまで、長いようで短いあれこれが心に去来し粛然とする。自分には似合わないと気を取り直し
「ここには機会があれば何度でも来るつもりっス。しばらくは”美神”さんの元での修行とか何かでヒマはないでしょうけど」
「良いんじゃないか。れいこちゃんだっておキヌちゃんに会うのに否応はねぇだろうしな」
いつかは分からないがきっと”ある”再会を思いほのぼのとするご隠居、ふと思いついたと
「そうそう、おキヌちゃんっていえば、あの娘が祭られている氷室神社! あそこにはたしか傷に良く効くって温泉があったはずだ。結果として封印された死津喪比女の復活も阻止したんだ、寅吉親分を通してそこで養生させてもらうのもいいかもな」
「温泉?! 温泉といえば覗きがお約束! そしてそれがバレたところで驚き立ち上がるのもお約束!!」
どこから湧くのか急に気合い十分の横島。
それを苦笑で見るご隠居。
覗きがバレた時に立ち上がるのは間違いないだろうが、ここにいる女性たちの場合、それは制裁を加える(同時に強い衝撃を与えることで記憶から覗いた光景を抹消す)ため。れいこ、智恵、加江、シロの四連続攻撃で、湯船にボロ布になって浮かぶ横島の姿が目に浮かぶ。
「とにかく、結果的には追っ手もいなくなったわけだし、やっかいになる氷室神社にゃ悪いが、少しのんびりさせてもらうとするか」
‥‥ ご隠居の言葉に記憶が微妙に刺激される横島。
‘ええっと、たしか追っ手は七人。”僕”にされたのが田丸様と俺と話した奴だろ‥‥ そいつの話だと最初に二人殺されて”肥やし”が二人‥‥ ’
そこでまでで終わる思惟。遅れ気味の女性二人に気づいたご隠居が立ち止まったからだ。
「忠さん、ここらで一休み‥‥」ご隠居の言葉が途絶える。
脇の薮が揺れ、そこから汚れと疲れで憔悴しきった男−野須が躍り出す。
「死ね、爺ぃ!」調子を外した声でそう叫んだ野須は刀をご隠居に突き出した。
「うわっ!」ほとんど同時に横合いからの力ではね飛ばされるご隠居。
反射的に閉じた目を開くとそこには横島のれいこを背負った背中が。
「‥‥ ご隠居、”美神”さんを」
妙に落ち着いた声の横島、ゆっくりと腕をほどく。
ずり落ちるれいこを反射的に受け止めるご隠居。
そのまま視線を上へ動かしたところで凍りつく。横島の首から切っ先が五寸ほども突き出ている。
「た‥‥ 忠さん?」かすれた声でそれだけを絞り出す。
それには応じず横島は刀をそのままにして踏み込むと野須に抱きつく。
「な‥‥ 何をする?!」
「決まっているでしょ。ご隠居の迷惑だからお引き取りを願うんです」
動く中で広がった傷口から流れ出る血が上半身を濡らす中、横島は寒々とした声で答える。
『どこから?!』という力でずんずん崖になっている道の端へ押していく。その際に至ったところで
「‥‥ ご隠居、ここで別れることことになりそうスっね。でもこれで恩返しができたようで良かったスっ」
「何馬鹿なこと言ってんの!」
降ろされた時に目を覚ましたが、その事態に意識がついていけなかったれいこが我に返り叫ぶ。
「師匠である私が死んでイイって言ってないのに、勝手に死ぬんじゃない!!」
「悪りィ、今度も半端な形になってしまったな」
出血が限界を越したのか横島は朦朧とした表情でつぶやくように語る。その言葉は小さすぎて誰の耳にも届かない。さらに消えるような声で、
「また、会おうな‥‥ メフ‥‥」
と言うと最後の一歩を踏み切った。
態勢が崩れる時にかかった力で突き通していた刀が振れ、首の半ば以上が切り離される。そのまま崖から落ちる二人。
「高島ぁぁぁぁ!」そう叫ぶやれいこは崖っぷちまで駆け寄り下を見下ろす。
すでに落ちた二人の姿はなく、木々のせいでなお朝日が届かない闇が見えるだけだった。
街道の分岐。そこで立ち止まるご隠居、智恵、れいこ、加江の四人。
「ここまでか」ご隠居は残念そうに分かれる道を交互に見やる。
自分と加江は目的地の相良に向かうため左に、智恵とれいこはコトの顛末を仕事を依頼した京の六道家に報告するため右に道を取る事になる。なお、ここに涼がいないのは腹の傷が思った以上に酷く未だ寅吉の元で養生しているため。あと、余談ながら、犬塚親娘は戻った翌日、犬神の里へと旅だっている。
「こっちとしちゃ、少しくらい遠回りなっても姐さんとの道行きを楽しみたいところなんだが‥‥」
と言いかけたところに加江の咳払い。
「そうもいかねぇんでな」と続ける。
「とにかく、姐さんのおかげで本物の妖怪退治を目の当たりにできて楽しかったぜ、ありがとよ!」
「こちらこそ。ご隠居様方の手助けがなければどうなっていたことやら。結果的に最後の仕事となりましたがこうして無事に終えられほっとしております」
智恵が『最後』と言ったのは、もう除霊師は廃業という事。
戦いが終わった時点ではわずかに残っていた霊能力だが、死津喪比女が吸いきれなかった呪いの残滓のせいで完全に消失。破魔札の起爆どころか常人並の霊的防御すら叶わなくなった体では仕事も何もあったものではない。
本人曰く、報告が終われば夫の元に戻り、ただの母親として娘を育てる平凡な日々になるという。
「あの」と加江が言葉を挟む。
大人の話に加わらずオロチ岳の方を見やる少女をちらりと見て
「れいこちゃんですが、本当に大丈夫でしょうか?」
今は普段通りだが、横島が崖から落ちてからの一昼夜、まさに抜け殻であった姿は記憶に生々しい。
「心配いりません。”美神”を名を持つ女は強いんです」
智恵はあっさりと心配を否定する。
それを聞いたれいこも振り返り
「あの光景、たしかに衝撃だったわ。でも、それをいつまでも引っ張る”美神”れいこじゃないから。だいたい、あの男が、あの程度でくたばるはずないじゃない。いつか、ひょっこり湧いて出てくるに決まってんだから、気にするだけ損でしょ」
言う通り、死を看取ってはいない‥‥ と加江は思う。
あの後、寅吉一家の手を借り、落ちた辺りから下流にかけて捜したが、野須の死体は見つかっても横島の死体は見つかってはいない。
ただ
世に言う神族や魔族ならいざしらず、いくら不死身というか人外じみた生命力を持ったあの男でも、一応は人間。文字通り”首の”皮一枚としか表現できないほど首が切られ何十丈もある崖から真っ逆様に落ちた以上、助かりようはない。
死体がないことも落ちた先が急流であれば不思議ではない。事実、見つかった野須の死体は流れに揉まれバラバラに散逸する寸前であった。
れいこは加江の想像を察したのか「あはははは」と勢い良く一笑い。
「大丈夫! あの時、私の霊感にピンと来たのよ。あのバカと私って腐れ縁があるって。今は離れたけど、何時か何処かで必ず出会うことになっているのよ」
「そうかもしれませんね」とうなずく加江。
その自信たっぷりな態度に飲まれたようで、それがあり得るだろうと納得する。
「”あの”忠さんのことだから、れいこちゃんがもっといい女になるまで待っているのかも」
「まっ、戻ってきたら今度こそ徹底的にこき使ってやるわ! 要らない心配をかけさせた分は取り戻さないとね」
照れ隠しだろうが、けっこう真顔で言い放つれいこ。
‘出会わない方が‥‥’加江は本気で思う。
「それでは名残は尽きませんがこの辺で」智恵はれいこを促し先に立つ。
「そうだな。そんじゃ、智恵の姐さん、れいこちゃん、良い旅を」
「ハイ」と軽く振り返る智恵。悪戯っぽい微笑みをご隠居に向け
「源内様にもお元気で」
遠ざかる二人にご隠居は振っていた手を下ろす。取って付けたような渋面で
「『源内様』? オイラは光衛門だが、いってぇ、誰と勘違いしたんだろうなぁ」
「さぁ 心当たりはありませんね」と悪戯っぽく微笑む加江。
「ただ、『源内』とくれば平賀源内様のことではありませんか。昨年、人を傷つけ、牢中において病死されたとされていますが、その実、牢から抜け出し生き延びているって噂が囁かれていますから。ご隠居の博識や多芸さからそう勘違いなされたのかもしれませんね」
「なるほど! あの当代きっての博物学者にして多芸多才の天才と言われた源内大明神様と間違われたのか! こいつは光栄だね」
「ええ、ホラ吹きとか大山師とかも言われているあの源内様です」
付け加えた台詞で憮然とするご隠居に加江は少しだけ真面目な様子で
「智恵様ですから今の勘違いを他で漏らすことはないと思いますが、この調子で他人様に勘違いされ続けると笑い事では済みませんよ。相良につけば、今回のように立場もわきまえず、好奇心のみで物事に首を突っ込むのは慎むべきではないでしょうか」
「ふん! オイラから好奇心を取ったら何も残らねぇよ!」
ご隠居は正論に憎まれ口で応える。
「とはいえ、幽霊に人狼、そんでもって地霊の妖怪などなど、今回の件で好奇心もゲップが出るほど満たされたからな。向こうじゃそれを思い出しながら大人しく過ごすさ」
「なら良いのですが‥‥」あからさまなジト目を向ける加江。
へっ! 自覚があるのかご隠居は不服そうに鼻を鳴らすとそっぽを向く。
一度、顔を拭うような所作をすると
「さっ、オイラたちも急ごうか。幾らのんびり旅でもとうに着いていなきゃいけねぇトコだからな。オイラのために色々してくれた連中に余計な心配を掛けるのも本意じゃねぇしよ」
『どの口でそれが言えるのやら』と微笑む加江。余計な事は聞きたくないと歩き始めたご隠居に続く。数歩、歩いたところで上を仰ぎ振り返る。
そこには晴れ渡った空を背にいつもに変わらぬオロチ岳。
その山の上と下であった諸々の出会いと別れもありふれた日々の一コマに過ぎないと語っていた。
また、次回作楽しみにしています。 (DRM)
ご隠居の正体が椎名キャラではないと知りやや残念な心境ですが、そういう私自身、適当なキャラすら予想出来ませんでした(ノ∀`)
確定した未来、しかも片が付いてない縁を残しての未来ですから彼や彼女の退場もやむなしですが、やはり平安編の読み終わった時にメフィストに感じた物寂しさを感じちゃいますね。
あとは読後感にエピローグがどれだけ影響してくれるか期待しつつ、次回投稿をお待ちします。 (UG)
このたび勿体ないほどのコメント&A評価をいただきありがとうございます。あまり間をおかずにエピローグを投稿できましたのでよろしければお読みください。
UG様、今回もコメント&A評価ありがとうございます。
>ご隠居の正体が椎名キャラ‥‥
期待を外した形となり申し訳ありませんでした。この方は時代伝奇モノの定番万能キャラとしてよく見かける方で、つい使ってしまいました。たしかに振り返ると、ここまで椎名キャラでかためたのなら、ここも椎名キャラを使うべきだったかもしれません。
>彼や彼女の退場
ここはおっしゃるように確定した未来へ繋ぐために欠かせないポイントなので避けようがありませんでした。
ただ、書き手としては『物寂しさ』を感じていただいたとすれば、そこは意図の通りになったという事で嬉しく思います。 (よりみち)