32 山の上で、決戦!・後後編
‘気づいたっ!’背中で死津喪比女の動きを感じる智恵。
ここが勝負どころと全力疾走で悲鳴を上げている体にさらに”鞭”を、速さを落とさず壇を駆け上がる。
一段、高くしつらえられた台上に寝かされた娘を抱き上げるや髪に挿してあった小柄を抜く‥‥
「遅かったか!」死津喪比女は伸ばした”蔓”の動きを止める。
抱き上げられた少女の心臓あたりにかざされた小柄一本に制された形だ。
「そう、ぎりぎりだったけど。これで私の勝ちね」荒い息を整えつつ智恵は嗤う。
「娘を手にかければ妾がお前を殺す。娘も自分も死んに妾は残る。それで勝ったと言えるのか?」
「少なくとも、私に取ってはね。何たってあなたの目論見を潰したんだから。それに私たちは死ぬけど、あなただってこの先どれだけ生きられるか? 存在が知られたからには滅ぼされるのは時間の問題。単体の人は非力かもしれないけど”群”としての人は無敵なのよ」
‥‥ 沈黙が智恵の言い分の正しさを認める。
「しかし、母親であるお前が娘を殺せるのか?」
「試してみたら?」反問で智恵は答える。
刃が写す月の光がわずかに動く。細身ながらも研ぎ澄まされた切っ先は易々と胸を貫くであろうことを想像させる。
「さすがに切っ掛けなしじゃ刺しづらいんでね。そうしてくれた方が踏ん切りがついていいわ」
込められた嘲笑にぴくりと動く”蔓”が、死津喪比女は仕掛けない。智恵の目に宿る”炎”が今の台詞が虚勢でない事を示しているからだ。
母親が極悪な妖怪相手に自分の娘を人質に取るという主語が入れ違っているとしか思えない均衡、それは思わぬ形で破られる。
!! 背後に生じた”気”に智恵は思わず振り返る。目の前には直径五寸ほど、霊力でできているらしい光の円盤が迫っている。
「ちっ!」と舌打ち、歴戦の戦士だけが持つ反射能力によりかろうじてかわす。
崖から飛び出していた”影”がその隙を突く形での体当たり。よろめいた智恵の腕かられいこをもぎ取る。
れいこを腕に抱えた”影”はそのまま数歩距離を取って立ち止まる。その脇に浮かぶは‥‥
「横島クン?! それにおキヌちゃん?!」
智恵は、せいぜいが”堤”の下に着いただろう二人の出現にそれだけ言うのが精一杯だった。
娘を小脇に抱えた横島とそれに添うおキヌに対峙する智恵。
自分のした事にイマイチ自信を持てないらしいおどおどとした表情に妙なおかしみを感じる。
少しだけ視線をずらせ死津喪比女の様子を確認。
自分がかわした円盤型霊波刀ともいえるソレに”目”を直撃され困惑の態。すぐにも回復するだろうが多少の猶予はある。
‘それにしても‥‥’と思う。驚くべきは目の前の若者の霊力とそれを操る才能。
投げられる霊波刀を作り出せるばかりか、その軌道を操るなどそうそうできる芸当ではない。数日前まで素人同然だったコトを思えば、信じられない進歩、これであれば出会った当初に聞いた妙神山の龍神がその才能を認めていたという話もうなずけるというものだ。
もっとも、そうした感慨に耽るヒマはなく、この急変にどう対処するかに意識を集中する。
一方、横島だが、智恵の振る舞いに驚き飛び出したものの、この後どうするかは考えていない。
結果的に生じた”空白”は死津喪比女により動き始める。
何度か”目”をしばたかせる内に精神的な面も含め回復、蠢くだけの”蔓”も横島を狙う動きに変わる。
‘ままよ!’思案半ばに打って出る智恵。
横島に組みつき崖っぷちまで押し込むと、一歩退く。
対して横島はバランスを崩すだけで落ちてしまう危なっかしい場所で茫然としたまま。動きといえば、れいこ、いや、その抱えた腕を濡らす赤いしたたりと智恵の間を往復する視線だけ。
そこへ最後の一押しとしての智恵の体当たり。
うぁぁぁーー! 目一杯の悲鳴と共にれいこを抱いたまま落ちる横島に追うおキヌ。
死津喪比女はあわてて”蔓”を向けるが宙を掴むだけに終わる。
「やりおったな!」
”蔓”に絡め捕らえた智恵を”目”の前に引き寄せた死津喪比女は憎悪を込め睨みつける。
「まあね」と智恵。
物理的な抵抗は無意味と分かっているのか、ここまではされるがまま。ただし、口元の挑戦的な笑みは消えていない。
「欲しがっていたモノが何かは知らないけど、今頃は娘の魂と一緒に輪廻の中。いくら悔しがってももう手は出せないでしょ」
「ほざけ!」死津喪比女は”蔓”の力を強め締め上げる。
それは骨をも軋ませるに十分なはずだが、智恵はうめき声を漏らす程度の反応しか示さない。
「どこまでも可愛い気のない女よ! 少しばかり囀ってもらうか」
”蔓”の一本が胸の辺りにかざされると、その先端から薄い光でできたように見える細い”蔓”が何本も伸びる。
そしてそれらは肌に触れたところで体内へと潜り始めた。
数瞬で
うっ ぐっ! ぐはっ! ぎゃぁぁぁーー!!
白くなるほど強く噛んだ唇が弾けるように開き響く智恵の悲鳴。ここま忍耐力を考えれば”蔓”−この場合は”根”という方が適切か−が侵入する痛みがいかばかりに凄まじいかは想像できる。
「ふふふ 心地よい声じゃ! 霊体ゆえ体に傷はつかぬが、神経を抉りつつ霊的中枢に食らいつくソレは良く効くじゃろう」
絶叫で少しは楽になったのか、智恵は荒い息の下ではあっても怯みのない口調で、
「ホント、楽しませてくれるわ! あなたの嫌がらせこそが私の勝ちだって証拠だから」
「そういう考え方もあるか、ならばこれ以上は無粋な振る舞いか。いいだろう、一気に霊力を吸い尽くし娘の後を追わせてやる」
死津喪比女は霊的中枢に達した”根”を介して霊力−生命力を一気に吸い上げにかかる。吸い取られる”力”の存在を示すように”根”の光が強まると‥‥
うぎゃぁあああー!! と空気を裂く再度の絶叫。
ただし上げたのは智恵ではなく死津喪比女だ。
そしてその瞬間、”蔓”から腕を振りほどいた智恵は破魔札を取り出し自分を捕らえている”蔓”に投げつける。
その爆発により断たれる”蔓”。
地に降りた智恵は伏せ、苦しみ身をよじる死津喪比女が生み出す破壊から身を守る。
ややあって緩慢に動きが止まる死津喪比女。”脚”も折れ尻餅のように体を落とす。
本物の恐怖を宿した”目”を智恵に向け
「き‥‥ 貴様! 妾に何を?! そうか! 体に毒を仕込んでおったな!!」
「正しくは呪い。あなたと向かい合った時に飲んだヤツ、あれには霊的中枢を腐らせる呪い、それも元になる霊力が強いほど良く効くって優れモノを込めた符が溶かし込んであったの。で、その呪いの掛かったところから思いっきり霊力を吸い取ったものだから呪いもそっくりそっちに! 地霊として霊体に皮を被っただけのあんたが、直接、取り込んだ以上、もう(呪いから)逃れようはない! 芯から腐って滅ぶがいい!!」
立ち上がった智恵の言葉には勝利への本物の確信が込められていた。
「くそっ! そのようなまねをして己も無事に済むと思っているのかっ!?」
「もちろん! 今ので呪いのほとんどがそっちに行ったから命に障ることは事はないけど、霊能力のほとんどを失ったでしょうね。たぶん、さっきみたいに破魔札の起爆が精一杯。でも、これであなたを滅ぼせたんだから帳尻は十分に合うわ」
「おのが娘や関係のない小僧まで殺しておいてよく言うわ!」
「あははっ! 娘を、横島クンを『殺して』って何の話? あんたみたいな小物にそこまでの犠牲を払う必要はなんて全くないわ」
「‥‥ まさか? 妾を謀りおったか!」笑いの意味にを絶句する死津喪比女。
「そういうこと! 用意した血糊で誤魔化せるか、良くて五分五分の賭けだったけど。横島クンが割り込んでくれたんでずっと”らしく”なって助かったわ。まっ、乱入された時には焦ったけど終わり良ければ全て良し!」
智恵は楽しげに応えると軽く振り返り
「でしょ、おキヌちゃん?!」
呼びかけに応じ崖から浮かび上がる幽霊少女。
近づくおキヌに智恵は「それで横島クンはどう? 大丈夫?」
「はい、何とか。ただ岩壁に貼り付いているので精一杯だそうで、できれば、それも早いうちに助けに来て欲しいそうです」
「そう、でももうちょっと待ってもらわなければならないかしら。私もなんだけど、こいつも相当に往生際が悪そうだものね」
”目”が閉ざされた死津喪比女を見る智恵、消えない悪い予感が心を苛立たせる。
‘何だこれは?!’横島は手に着いた赤い液体に違和感を感じる。
人の体から溢れた血にしては‥‥ 冷たいとは言わないが、それらしい生暖かさやがなく、”らしい”生臭さも感じない。まるで、絵の具を溶かした水の‥‥
「ただの血糊、れいこは無事よ」
そこに一歩下がった智恵の聞き取れないほど小さいが鋭い声が届く。
それで横島は智恵の振る舞いの真相を悟る。死んだように偽装し何かを仕掛けるつもりなのだろう。
「そういうコト! それと、表情は変えずに返事は目で、いい!」
付け加えられた言葉に横島は目を伏せ了解を示す。
「よし! しゃしゃり出てきた以上、何かアテはあるんでしょうね?」
智恵の問いに横島は困ったように目を伏せる。先の通り、反射的に飛び出しただけだ。
「なら、ご隠居のアレを! それしか手はないわ」
そう告げた智恵は返事を待たずに体当たり。
押し出された横島は真っ逆様‥‥ のはずが、数尺も落ちたところで下から何かが支えているかのように宙に留まる。すぐさま”吸盤”をつくると岩壁に当て体を引き寄せしがみつく。
「大丈夫ですか?」同じ高さに下りてきたおキヌが心配そうに尋ねる。
「まあ、見ての通り、何とかなったよ」横島はちらりと下を向き身震いをする。
百尺(30m)下、溶岩に固められた地は十分に凶器、まともに落ちれば今頃は血と肉の華が咲いているに違いない。
「聞いてはいましたが”符”の力って凄いですね。人一人を宙に浮かせることができるんですから」
おキヌが感心するように、人でしかない横島が宙に浮けたのは帯に挟んだ”符”の”力”による。
ちなみに”符”は別行動を取る際に”堤”をよじ登る時のお守りになるとご隠居から渡されたもの。
語るところによれば、今、智恵が持っている精霊石を手に入れることにもなった仕事の報酬として依頼者からもらった(巻き上げた?)ものの最後の一枚とのこと。
何でもその依頼者の家は古くから絶大な”力”を持つ式神を操ることができ、”符”はその中で飛ぶことができる式神の力を模しているそうだ。
「できればもう少し長く続いてくれればありがたかったんだけどね」と愚痴る横島。
”符”は鼓動数回分の時間、それも一度しか働かない。
落ちる事を思えば文句の付けようもないが、それではこうして岩壁に取り付くのが限界。現状、小脇にれいこを抱えたままでは登る事も降りる事もできない。
できるのは智恵が死津喪比女を何とかしてくれるのを祈るだけだ。
霊的中枢の腐食が死津喪比女の物質的な部分に及び始める。
肩で息をするような脈動は目立って弱まりあちらこちらと浮かんだ黒ずみは全体へ。体の張りもなくなり球形がへしゃげるように歪む。
「‥‥ もう良いでしょうね、横島クンをこれ以上待たせるわけにもいかないし」
やや焦り気味のおキヌの様子に智恵は自分に言い聞かすようにして断を下す。
ちらりと手元に残る切り札−精霊石−を考えるが、元来は他人のもの、勝負がついた状況での使うには躊躇はある。
軽く頭を振って懸念を振り払うと崖に向かう。
ぎろり 閉じられていた”目”開き智恵を見据える。
”脚”に力が込められ持ち上がる体、”脚”をもつれさせながらも走り始める。
その勢いは人など蟻のように踏み潰せるところだが、直進、それも一瞬だけの突進と見切った智恵は横っ飛びに動き避ける。
そして予想の通り、崖の手前あたりで”脚”が潰え倒れ込む。
「悪あがき? にしても意味がなさ過ぎる」
倒れ込んだ衝撃で体の下三分の一ほどが潰れてしまう様はまさに自爆というところだが‥‥
「うわぁーー! 来るなっ!」と崖の下から上がる悲鳴。
「しまった!」胸の谷間に挟んであった精霊石を智恵は手にする。
「遅い!」勝ち誇る死津喪比女。
どさくさに崖の下へ放たれた”蔓”が横島(と抱えられたれいこ)を絡め取り釣り上げる。
「おキヌちゃん、動かないで!」
智恵は横島の元に飛ぼうとするおキヌを厳しく制する。
実体がないためか、死津喪比女の眼中におキヌはない。下手に動けば意識され狙われる事にもなりかねない。この後、どう転ぼうとも死津喪比女の滅びが確定している以上、犠牲を増やす必要はない。
「でも‥‥」反論しかけたおキヌは智恵の心配を察し留まる。
『それでいい』とうなずく智恵。
側壁から少し離れた位置に留められた横島(と娘)を見る。
「この期に及んでの人質?! そんな陳腐な”手”が通用すると思う」
「通用しておる気はするがな。人質とならぬなら、どうして精霊石を使わぬのか教えてもらいたいものよ」
‥‥ 智恵は無言で拳を握りしめる。
手にした精霊石を叩きつければ滅ぼすには十分。が、それは二人を逆落とする引き金を引くのに同じ。
除霊師を生業にした以来、どんな死に様にも覚悟できている。そしてそれは娘も同じ。しかし、その覚悟を素人に押しつけるつもりはない。まして、娘のために命を賭けてくれた者となればなおさら、”美神”の名に賭けてもそういう死に様をさせるわけにはいかない。
「私が何もしなくても滅びは目前じゃない。この期に及んでいったい何を望むのというの?」
「望むのはただ一つ、お前に苦しみを与える事。自らの行動で大切な命を二つも絶ったという記憶を持ち生き続けるのは苦しかろうよ」
この瞬間にも二人を叩きつけないのは『そういうことだと』死津喪比女。
心に深い傷をつけようとする発想に智恵から激発寸前の怒りが立ち上る。
「ほう、やる気か?! それが良い! 何、目をつぶって投げつければそれで終わりよ」
とあからさまに嘲る死津喪比女。
「‥‥ 二人を助ける代わりに私が大人しく殺されるって言うのはどう?」
「本気で頼むのなら相応の態度を見せるのが筋であろう」
きっ! 智恵は唇を噛む。手を開き精霊石を落とすと両手両膝を地に。
腕を曲げ深々と額を地面に擦りつける。
「智恵様!」悲痛にうめくおキヌ。
その”痛み”はこの場にいて何の足しにもならない自分に向けられている。
「面白いのう」死津喪比女はこういう光景こそ見たかったと嗤う。
「だが、まだ目は諦めておらぬな! どんな辱めでも受けても時間を稼ぎ、逆転を狙っておる様子がよう判る。まぁ良い。その機会があるか否か、妾も楽しみにしておるぞ」
焦らしているのかそれほど弱っているのか、余っていた”蔓”が這うように智恵に取り付き先端を首へと伸ばしていく。
「どうだ? 今ならまだ間に合う。妾がお前の命と引き替えに二人を助けるはずもなし。三人とも死ぬか、一人は生き残るか、どちらが正しいか言うまでもあるまい」
「悪いけど、娘を助けるのにバカになるって決めたの。バカは正しいとか正しくないは考えないものなのよ」
あくまでも誘惑を拒絶する智恵に死津喪比女は面白くなさそうに”目”を歪める。智恵の首に回した”蔓”に力を込めた。
一連のやり取りを吊り上げられたまま見続ける横島。智恵の諦めない覚悟に自分にできる事はないかを必死に考える。
幸い、こちらについてはバカにしきっているのか何の注意も向けていない、何かできる余地は十分にある。
必死に頭を絞り懐の文珠に思い至るが、同時に機会を逸した事にも気づく。
少し前、智恵が”蔓”に絡まれる前なら文珠を使い宙に浮かぶとかで状況を変えられただろうが、こうなってしまうとそれも手遅れ。
他の手はないかと考えるが自分達と智恵の両方が助かる使い方が浮かばない。
‘ええぃ! こうなりゃやる事は一つか!!’
智恵の首に”蔓”が届いたところで心を決める、両方助からないなら答えは決まっている。
腕の中で眠るようにぐったりとしたままのれいこに
「一緒に死んじまうコトになりそうで済んません! 次こそ約束通りに‥‥」
何となく浮かんできた言葉のおかしさに気づく。まるで以前、れいこと約束があったような言い方だ。
が、不思議がっているヒマはない。懐の文珠を取り出し『爆』の文字を念じ投げつける。
数瞬の後‥‥
「ふ‥‥ 不発?!」横島の絶句が響く。
文殊は死津喪比女に見事に命中。しかしそれは爆発どころか炎すら発せず下へ、おキヌの足下あたりまで転がる。
長い年月、使わないままに劣化してしまったのかもしれない。
「何をしたかったかは解らぬが、先に死にたいようじゃな」と死津喪比女。
気持ちが変わったと横島とれいこを一段と高く持ち上げると智恵に向かって
「見ておけ! 自分の命を捨てお前を助けようとした者の最後を!」
「くそっ! 私が先でしょ!」すでに”蔓”で動きが封じられた智恵はそう叫ぶしかない。
‘こんなになっても見ているだけって、せめて私に体があれば!!’
次の瞬間に来るであろう絶望にも無力なおキヌは身をよじり心の叫びを上げる。
その足下に光、消滅と引き替えのように生まれた文珠の光がおキヌを包む。
それにより生じた変化におキヌは何を成すべきかを悟る。地に着いた足で駆けると智恵の足下の精霊石を拾い上げる。
実体を伴わない幽霊にできるはずのない事ができた事に驚き対応できない死津喪比女。
その隙が最初で最後の機会とおキヌは精霊石に強い心を込め
「死津喪比女さん! このキヌが極楽へ逝かせてあげます!!」と叩きつける。
どごぉおん! おキヌの、智恵の体が煽られ宙に浮くほどの爆発。
すでに多くの部分が壊死状態だった死津喪比女の体の半分ほどが吹き飛び、爆発に伴った炎は残る体を包み込む。
「この‥‥ こ‥‥」と絞りだそうとした言葉もそこで途絶える。
その凄絶な光景もそっちのけのおキヌ。起き上がると、どこにそんな力があるのかという勢いで崖めがけ走る。
目指すは炎により切れようとしている”蔓”。まさに切れんとしたその時、おキヌの手が届く。
掴むと同時に掛かる二人分の重さ。掴むだけでは間に合わないと一緒に落ちる事を承知で踏み込み”蔓”を体に巻き付けて抗う。
おキヌを襲う体が両断される思うほどの力と痛み。しかし横島を、れいこを、絶対に助けるという強い意志がそれをはね除ける。そして全身の力を持って踏みとどまるのに成功。その位置はまさに崖っぷちそのものであった。
「おキヌちゃん、大丈夫? 助かったわ」
支えるのが精一杯だったおキヌのところに”蔓”を解いた智恵が来る。懸かる重さに切れ始めた”蔓”に引き上げるのは無理と判断。
「私が代わるから、れいこを。横島クンだけなら自分で登ってこられるはずよ」
『解りました』とおキヌは急いで智恵に任すと崖から身を乗り出す。
「横島さん、大丈夫ですか?!」
「あはは、何とかね」と苦しい息で笑う横島。
こちらはこちらで岩壁に振り子の法則で衝突するものの”命綱”もれいこも離さず済ますという地味ながらも並の人間には不可能な奇跡を演じている。
「れいこちゃんをさし上げてください。私が引っ張り上げます」
「解った!」手を伸ばすおキヌの言葉を横島はありがたく受け取る。
しかし、状況に変化はない事に気づく。今の場所でいくらさし上げても二尺ほどもおキヌの手までは届かない。”蔓”の切れ具合などいろいろな意味で限界の中、地味にヤバいと他人事のように思う。
とはいえ、選択肢はないと全身に力を入れる。
「ちょっとキツイわよ! 息ができないじゃない」
「えっ! ”美神”さん、気がついたんですね!」と横島。
死津喪比女が滅びたせいか、それともたまたま目覚める時が今だったのか、どちらにせよ今はとにかくありがたい。
「”美神”さん、俺を踏んで肩の上に立ってもらえませんか。そうすればおキヌちゃんの手が届きますから引っ張り上げてもらって下さい」
「おキヌちゃん? 引っ張り上げるって??」
上を向き伸ばされた手を、一瞬、不審げに見るれいこだが、その事を考える余裕がない事を直感、機敏に肩の上に。そこで背伸びをして届くようになったおキヌ手を掴むと岩壁に足をかけ一気に引っ張り上げてもらう。
その間、横島は空いた手にも霊力による吸盤を構成、貼り付ける。
こうなればもう終わったのも同然。”蔓”を離すとこちらも一息でよじ登る。喜びのままに両手を広げおキヌを抱きしめ‥‥
「どぇぇーーっ!!」と響く横島の叫び。
一瞬、全身で感じたおキヌの柔らかく暖かい感触が急激に薄れ、腕がおキヌをすり抜けたからだ。
「‥‥ どうも効き目が切れたようですね」おキヌも呆然と自分の体を見ている。
「何で‥‥ どうして‥‥ せっかく体を持ったおキヌちゃんからあ〜んなことやこ〜んなことをしてもらおうって思っていたのにぃぃぃぃ」
眼から悔し涙を溢れさせ地面を叩く横島。それをどう慰めれば良いのかとオロオロするおキヌ。
そんな二人に智恵が
「とりあえずはどうしようもないわね。幽霊に実体を持たせるなんて反則ができるのは、文珠だけでしょうから。それでも何とか、って事ならどこかで新しい文珠を見つけてくるか、あなた自身が文珠使いになるかのどちらかかしら。文珠が伝えられていたところを見ると、横島クンのご先祖に文珠使いがいたのかもしれないし”脈”はあるんじゃない」
「なるほど、そうッスね! よっしゃあー 修行を積んで、絶対に文珠を使えるようになってやるぞー!!」
一生の目標は決まったと宣言する横島。
「そうしてまたおキヌちゃんに体を持ってもらって、あ〜んなコトとかここ〜んなコトとか、それにそ〜んなコトまでしてもらう ぐはっ! ‥‥」
そこで言葉が途切れたのは小さいとはいえ握り拳が後頭部を直撃したから。
「ったく! 一つの時代に一人いるかいないかってほどの稀少な”力”が簡単に得られるって思っているのもバカなら、それでやろうと思っている事がさらにバカ! こんなヤツを弟子にしたって思うと我ながら情けなくなるわ!」
言葉ほどは不機嫌そうではないれいこは殴った痛みを払うように手を振る。
「大丈夫スっか!?」と後頭部をさすりつつこれまでの事を心配する横島。
「何とかね。ずっと意識がないままだったからそんなに不愉快な思いもせずに済んだし」
れいこはそう答えると黒焦げとなり燻るだけになった”山”を見る。
不満と不快、そして安堵が混じった声で
「これって私が眠っている間に終わっちゃったという事ね」
「らしいな。まったく! 無理に無理を重ねてここまで来たのに肝心なところを見損ねるってツイてねぇぜ!」
そこに加わるあからさまに態とらしい嘆き。
「ご隠居、助さんに格さん、みんな無事だったんですね!!」
横島がこちらに来る三人に喜びの声を上げる。
「そうさな。まぁ、これを無事って言えるのならな」
破った袖を三角巾代わりにして痛めた肩と腕を固定したご隠居が代表して応える。
台詞としては皮肉っぽいが、終わった嬉しさを隠すための照れ隠しなのは言うまでもない。
自分たちの事はもう良いと、視線を父を抱き上げこちらに来るシロに向け
「どうやら人狼のお嬢ちゃんの方もケリはついたし、まずは‥‥」
『めでたしめでたし』と続けようとした言葉が途切れる。
見えてきたシロの蒼白な顔色と厳しい表情が、未だ大団円とはならない事を示していた。
このお話が無事に終了することを望んでいる私としてはとても嬉しいです(ノ∀`)
敵は無事倒れるようですが、確定した未来に繋がると思われる幕引きがどのようなものになるのか正直想像できません。
あと一話とエピローグ、楽しみにお待ちしています。 (UG)