シンデレラが嫌いやった。
地味に家庭を支えてた彼女が、いきなり現れた親切な魔女に魔法かけられて、逢ったこともない王子様と結ばれる話。
綺麗なドレスとカボチャの馬車なんぞ誰がくれるというのか。きっと世の中、シンデレラみたいなのが殆どやないやろか。
そんな子らにガラスの靴与えてたら、ガラス工場大儲けや。
それにきっと
ウチはそのシンデレラにすら入ってない。
せいぜい魔法使いのおばあさん。使える魔法はカボチャなしで城まで送れる事くらい。
まったく華も夢もない魔法や。
腰まで届いてる髪ごと細い身体を抱きしめられながら、小さな、針の穴の様に小さいけれど確かな不安を覚えていた。
葵の背が皆本の腰にあったころから焦がれてた温もりを今身体の隅々に感じていても、いや、実感すればするほど、針の穴は心の中で存在感を増している。
その穴を忘れようと彼を求めることに没頭したが、息が収まるとやはり小さな不安がポツリと浮かぶ。
「葵…」
お互い眼鏡の無い瞳が近づいきたので、葵は手をそっと皆本の頬に触れ、唇を合わせた。
その唇から流れ込んでくる想いが、十年という時の中で起こった事を洗い流してくれるようだ。
それでも、小さな穴は消えることはない。
言わなくちゃいけない。今言わなければ、きっとその穴は葵の中に留まり続ける。
葵はその穴の正体を知っているのだから。
唇を離すと、少しだけ葵は指で触れ、そこに皆本があったことを確かめた。
その感触が今最後になるかもしれないから。
「皆本はん」
お腹に力を入れて覚悟を決めた。これだけは言わなければ、自分は前に進めない。それがたとえ暗く冷たい道になっても、前に進まなければならない。
皆本は葵が求め続けたものを今夜くれた。ならば自分は、この小さなわだかまりを隠してはいけない。
大好きな人に身体も心も投げ出さないと、それはきっと自慰と変わらない。
「ウチでええの?」
そこには多くの言葉が省略されていた。
そこには多くの事柄が濃縮されていた。
十年という時間は多くの人と事柄を動かした。
彼女と皆本を取り巻いた人々、その中で自分だけがこの幸せを抱きしめる。
他人に譲りたいと願うはずはない。それでも譲るべきなのかとも思う。
だって自分はシンデレラではないのだから。
罪だってきっと重ねてきた。
それでも、本当に許してくれるのだろうか。
今なら引き返せるかもしれない。あるべき誰かの隣に彼を返せるかもしれない。
「僕はね、君が欲しいと思った」
目を閉じてうつむく葵の耳に皆本が囁く。
「君が誰かの背中を見守ってるその背中を僕は見ていた。薫を、紫穂を、B.A.B.E.Lの、P.A.N.D.R.Aのみんなの本当に望んでることを叶えたいって背中を押してる葵を。その度に自分を押さえ込んでいる優しい君が好きだから」
葵の手に皆本の手が重なって、深く指が絡み合う。
答えを聞き終わるのを待たずに葵が肩に縋り付く。
「葵は自分が誰かの幸せを奪ってるかも知れないって思ってる。でも君だってわがままを言って、欲張って、縋り付いたっていいと思う。僕は今、誰かを捨てても何かを失っても、君が欲しい。だから、もし罪を背負わなければいけないのなら、二人で背負えばいい。僕一人なんて格好いいこと言わないから。二人いっしょにいて、背負っていこう」
初めて大人になれた気がした。
目の前の彼と、同じ大地に立てた気がした。
彼と一緒に自分はなりふり構わず情欲に溺れていいのだ。
そんな自分を受け入れてくれた彼を、もう誰にも渡したくはない。
涙を擦りつけるように皆本にしがみつくと、大きな腕が葵を包み込んで彼の身体で隠した。
皆本の肌を遮る物無く感じていると、少し昔を思い出した。
少し背も短かったあの頃を。
皆本はん、憶えてる?
ウチ中学入った頃、能力が暴走したことあったやん。
ウチの意志と関係なくドコでもテレポートし始めて、皆本はんウチを今みたいに抱きしめ続けて、庇ってくれて。
ウチ皆本はん護らなあかんのに、皆本はんにしがみついたまんまで。
あん時、ウチ怖くて離せんかった言うたけど、ホンマはそれだけやなかったかもしれんなぁ。
ホンマに怖かったんは、ウチの横から皆本はんがおらんようなることやったんや。
暴走かて、ウチのどこかで、ここにおったら皆本はんと離れなならんから逃げださな思てたからかもな。
あの時、皆本はん「頼ってくれて嬉しかった」言うてたよね。
今もその気持ち変わらんやったらな
ウチのこと、ずっと抱きしめといて。おばあちゃんなっても。
ウチも絶対皆本はん離さへんから。
あん時皆本はんが言ったように離さへんから。
魔法使いは夜空を見上げながらシンデレラを待っていました。
魔法がとけて家に帰る彼女が一人さびしくないように。
どこかののき先で待ちつづけていると、なんだか小麦のよいかおりがします。
「おひとついかがですか?」
まどから青年が魔法使いに声をかけました。
やけた小麦のにおいはペコペコのおなかにはたまりません。
「ありがとう。でも、ごめんなさい。わたしお金もってないんです」
でも青年は笑いながらいいました。
「お代はいりませんよ。そんなところでだれかを待ってると寒いでしょう?し食品ですので、まずくてもごかんべんを」
そういうと青年はそとに出てきて、パンを一コわたしました。
そのパンはまだホカホカしてて、一口分ちぎると小麦のかおりがふわぁっと広がって、とてもあたたかな気持ちになれました。
そのパンを口にはこぶと、魔法使いはほんとうにうれしそうに言いました。
「ありがとう。まるで魔法みたいにおいしいわ」
なんや、もう寝てもうたんか。