薄暗い照明が映し出す天井に、二人の短い呼吸音だけが響いていた。
時折かすれた声の混じっていた息は、次第にゆっくり深く落ち着いてきた。
白くて淡い霧のようになっていた意識や感覚は徐々に輪郭を取り戻す。
皆本は再び薫を抱きしめ直す。
薄く温かい皮膚が背骨を介して上下しているのが嬉しいので、なんとなく額にキスをしてみる。
まるでそれがスイッチだったように、薫がゆっくりと動きだして、同じように皆本の素肌に腕を絡める。
いつからだったろうか。
彼女の手足が伸び始め、彼女の言葉が自分の感情を揺り動かしていって、高く遠くへ飛ぼうとする彼女に悲しさを感じ始めたのは。
いつからだったろうか。
その声や手のひらが忘れられなくて、どこまで離れてても、いつか帰りたいという気持ちに気づいたのは。
彼が彼女を信じ続けて、彼女が彼の元にようやく帰って来たとき、何もかも振り切って、脱ぎ捨てて、互いだけを求めた。
乾ききった喉が、ただひたすら水を吸い込むように。
しばらく飽きもせずに相手の瞳を眺めていた。時折汗で張り付いた髪を指で戻したり、その指で唇の感触を確かめたりしながら。
薫が皆本の指を探り出し、また指を絡めていく。
「やっと、手に入れた…」
もう片方の手で結んだ手を包み、自分の胸元に引き寄せる。
「誰かの手じゃなくて、特別な手。ずっと届かなかったひとつだけの手が。皆本の…ううん」
何一つ身に纏わない姿よりもっと、鼓動を高鳴らせる魔法。
「『あなた』の手が、あたしはずっと欲しかったんだ…母さんや姉ちゃんや、みんなの手よりもずっと」
この手の温もりが忘れられなかった。彼と仲間を振り切って、自分の戦場へ赴いていても。
最初その手は、寂しさと悲しさの夜露から自分を護る優しさだった。
けれども、その手を自分が包みたいと願ったとき、まだ彼女の小さな手は彼を包みきれなかった。
彼もまたその手は、自分が包み導くものだと想っていた。
それが薫には切なくて口惜しくて、そばにいることに耐えられなくなった。
そして身体はそこを離れ、感情の濁流の向こう岸に立っている相手を見続けていた。
薫は、やはり薫だった。
皆本は、やはり皆本だった。
どこにいてもそう信じられたとき、本当の意味で肩を並べて、全てに立ち向かえた。
そこで起こった顛末は、まあ、どうでもよかった。
二人はやっと、出逢った頃より本当に望んだ未来の立ち位置に立てたのだから。
ベッドの隅のスタンドの弱々しい光だけが、そこで抱き合う二人の肌を包んでいた。
どちらともなく名前か何かを囁いてはいたが、それはきっと言葉を紡ぐための声ではないだろう。
皆本がようやく首筋に這わせた唇を離すと、薫は遠ざかる意識を取り戻し、ようやく言葉を発した。
「ずっと…あなたに逢ってから、こうやって同じ顔の位置で抱かれたかった。あの頃はこういうのハッキリは分かるはずないけど、あたし大きくなってあなたを包みたかった。そうすれば、ひ……」
言葉が嗚咽に遮られる。
口の脇から鼻から瞳から、月日と感情が押し寄せて止めることが出来ない。
言葉にしようとする努力も幼子のようなしゃくり声にしかならない。
震える肩を背中ごと包み込むと、皆本も涙が湧き出てきて、それが頬を伝い薫の髪へと吸い込まれていく。
鼻をすする音が少し収まると、ティッシュを取り出し薫の鼻をかんでやる。
大人びた仕草も、こうやって昔から変わらない仕草も全てが愛おしくてたまらない。
自分だけの薫が、確かにここにいる。
鼻をかみ終わると、薫はティッシュをけげんな顔で眺めている。
「あの、これさぁ、ひょっとして『使用済み』じゃあないよね?」
思いっきり皆本が吹き出す。
「新品だよ!こっから取ったんだホラッ!!」
予想通りの真面目なツッコミに薫が声を上げて笑う。
今日まで積み重ねてきた涙が、幸福に変わったかの様に笑う。
そして笑い声は彼女より低音のハーモニーが加わった。
「あたしね、もう一度髪を伸ばそうかな。あれね、伸びていくのってなんか楽しいんだよね」
あの頃よりだいぶん短い髪を皆本にくしけずられながら、彼の鎖骨を軽く噛む。
「どっちでも好きだけど、久々にロングも見てみたい、かな」
薫は顔を上げ皆本の瞳を覗いて照れくさそうに微笑む。
皆本の腕がくびれた腰を引き寄せると、薫も両腕を首に絡める。
コツッ
二人とも一旦身体を引いて、同じように両手で口元を押さえる。
「もうちょっと上手にキスできないとなぁ」
「だね!」
また柔らかい二人の笑い声が、ベッドの上に咲き出した。
薫がパンドラに行く前の、中学生の頃に皆本が女体化して“ザ・チルドレン”の皆本争奪戦!ってなカンジの作品も見たいですねぇ〜 (666べーぐる)