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第三の試練!

〜約束〜


投稿者名:ヨコシマン
投稿日時:08/ 9/12

「何でって・・・、それはその、あー、わ、私もあのレストラン良く使うのよ。今日もたまたま寄ったらアンタ達が見えたから・・・。」

 何故美智恵と食事をした事を知っているのか、という横島から投げられた質問に対する答えを用意していなかった令子は、しどろもどろになりながらも何とかその場を取り繕った。
 『横島クンが気になるから様子を見にきたら、自分の母親と車でどこかに行こうとしてるのを見ちゃったから、思わず追っかけちゃいました。』と素直に言えればこんなに簡単な事もないのだが、いかんせんそこは美神令子。彼女のプライドはそう易々と可愛い女になる事を許してはくれなかったりする。

「あ、そうだったんスか・・・。」

 令子の答えを疑うことも無く、納得した表情で横島が頷いた。言われてみれば、令子が朝食をああいった場所で食べる事に対して違和感は全くと言っていい程に無かった。
 その横島の表情を見て僅かに安堵した顔を見せた令子は、一つ大きく息を吸い込むと瞼を閉じた。

「あのさぁ、横島クン。今日ママに言われた事、無視して良いからね。」

 意識して横島と視線を合わさないようにしながら、令子は言った。

「え・・・、あの話・・・聞いてたんですか。」

 令子の口から出た意外な言葉に目を見開きながら、横島が思わず聞き返す。同時に両手に抱えていた部屋のゴミやガラクタがぼろぼろと床に転げ落ちた。

「聞いてたって言うか、あんな目立つ事してれば遠くからでも分かるわよ。どんな事を話してたか位は。」

 その時の事を思い出したのか、令子は僅かにその顔をしかめる。その心境は複雑であった。

「いや、でも『無視しろ』って・・・、そんな・・・。」

 全く予測していなかった令子の言葉が、逆に横島を混乱させた。その令子の言葉は言い換えれば即ち、孔雀明王からの依頼を断れ、と言っているのだ。
 そしてそれはまた、自分を見捨てて構わないよ、という意味でもある。

「な、なんスか、そんなまた。なんか変なモンでも食べたんですか? あ、もしかして酔っ払ってます?」

 横島忠夫は美神令子と言う人間を、かなりのレベルで理解しているつもりだった。少なくとも、素面の状態でこんな事を口走るような人間ではない事だけは確かだ。
 令子が放ったその一言は、“例え地球が滅亡しようとも自分だけは生き残る“、そう豪語していたかつての彼女の言葉とは到底思えなかった。

「ふざけてるように見える?」

 何か信じがたいものを見るような目つきを送ってくる横島に、令子は逆に真剣な面持ちで見つめ返した。
 ごくり、と横島の喉が鳴る。それは横島がかつて何度か見たことのある、令子の本気の素顔であった。

「で、でも、だってそんな事したら・・・、美神さんは・・・。」

 そこから先を言葉にする事はできない。言えば全てが決定してしまう気がした。横島は語尾を濁して俯いた。

「私なりに真面目に考えての結論よ。横島クンには悪いけど、五年間死ぬほど修行したってあの蛇相手に勝ち目があるとは思えないの。
 それにね、仮にもしも勝つ可能性を五割にまで引き上げられたとしても、生きて帰って来るにはさらに危険な時間移動を往復でこなさなきゃならないのよ?」

 視線を合わせようとしない横島に対して、令子は逆に一度も目を逸らさない。令子の口調は静かだが、強い意志がはっきりと感じられた。

「横島クンがダメなんじゃないわ。誰がやってもダメなのよ。」

 だから責任を感じる必要も無いわ、と付け足しながら、令子は極力明るく、普段の何気ない会話であるかのように軽く笑った。

「だ、だからって! ハイ止めますって言える訳ないでしょ!」

 何故そんなにも気楽に笑いながらそんな事が言えるのか、横島には今の令子が全く理解できなかった。
 そしてそんな横島の口から思わず出た言葉は、先ほど河原で一人考え決めた結論とはまるで逆の方向性のものであった。

「そりゃ俺だって解ってますよ! あの大蛇相手に一人で勝てる可能性なんて殆ど無い事ぐらい。
 でも、だからって俺が美神さんを本当に見捨てると思ってるんすか!?
 ・・・そりゃいつも俺はアホな事ばっかりやってるし、頼りないって言われりゃその通りだよ。
 だけど! それでも美神さんを見捨ててヘラヘラ出来る程人間腐ってねえぞ!」

 横島の口調が無意識に荒くなる。この二日間、ずっと心にしまい込んでいた色々な気持ちが、令子の意外な言葉によって一気に噴き出した形になったのだろう。
 そんな横島の態度に令子は僅かに驚きの表情を見せたが、すぐにその顔に苦笑いが浮かんだ。

「馬鹿ね。アンタをそんな人間だと思ってなんかいないわよ。」

 どんだけ一緒に仕事したと思ってんのよ、と令子は苦笑いから若干不機嫌な顔付きに表情を変化させた。

「じゃ、じゃあなんでそんな事言うんすか。おかしいっすよ、今日の美神さん。」

 無意識とはいえ感情をむき出しにしてしまった事への気恥ずかしさと、いつもと明らかに違う令子の態度への戸惑いが交じり合ったのだろうか。横島は頬を引きつらせた。

「・・・子供を失った母親の顔って、見た事ある?」
「は・・・?」

 先程と同じように、横島から決して視線を逸らす事無く令子が口を開いた。

「私は、見たわ。」
「あ・・・。」

 この時、横島はようやく、令子が何を謂わんとしているのかを理解した。
 令子は横島と、その母である百合子の事を言っているのだ。

「分かるでしょ? 私の言いたい事。」

 それまで緊張感を保っていた顔を僅かに緩め、令子は静かに言い聞かせるようにそう言うと、一旦視線を卓袱台に落とした。
 それを言われてしまっては、横島にはもう何も言うべき言葉が無かった。
 自分が一時的とはいえ死んでいたあの時に、下界で何が起こっていたのかを全く知らない横島には、今の令子の気持ちを知る術は無かった。
 ただ少なくとも、令子の中で横島の母親である百合子に対して何か思う所がある事は間違いないようであった。

「・・・でも、それを言うなら、その、美神さんのお母さんだって・・・。」

 しばらくの沈黙の後、横島は重い口を静かに開いた。子を失った母親の顔は、令子と美智恵の関係にだって当てはまる。それなのに自分と百合子にだけその関係を持ち出されるのは何か違うような、そんな気がしていた。

「私の場合は横島クンとは全然違うわよ。」

 横島の言葉に反応して卓袱台から再び視線を戻した令子の顔が苦笑交じりの微笑みに変わる。

「私はプロのGS。だから依頼を受けたのも私なら全責任を受けるのも私。
 そして警察官や消防士と同じで、仕事中に命を落とす可能性だってあるって事を覚悟してるわ。
 ママもそう。私がGSになった事を知った時から、私に何があっても良い様にちゃんと覚悟はできてる。」

 そこまで言って令子は一旦言葉を切ると、横島の瞳をもう一度見つめ直した。

「でもアンタと、アンタのお母さんは違うでしょ?」

 失礼な言い方ではあるが、およそ美神令子という人間から出てくるとは思いも付かない程の正論であった。
 令子の言う通り、横島忠夫はGS試験には合格しているものの、まだ正式なGSではない。
 正直な所、横島にはまだ自分が正式なGSとなり、それを生業とする覚悟は出来ていなかった。
 無論それは彼の年齢ならごく普通の事であって、決して恥ずべき事では無かったが、痛い所をストレートに突かれて横島は思わず俯いた。

「アンタのお母さんの為に、依頼は断りなさい。」

 巧い言い方だった。自分を見捨てろ、と言えば大抵は誰でも反論をしてくるはずである。しかし、自分の母親の為に、と言われれば、そこにはっきりと大義が生まれてしまうからだ。

「・・・。」

 沈黙の中に、僅かにすすり上げる音が響く。俯いたままの横島の手の甲に、水の粒がぽとぽととこぼれ落ちた。

「ずりいよ、こんなの・・・。」

 搾り出すような細い声。それは僅かに震え、掠れていた。
 ずっと依頼を断ろうと、あれこれ考えていた情けない己と、自分よりも相手の事を考えていた令子。
 あまりにも人間としての差を見せ付けられたような気がして、止め処なく涙が溢れる。
 この二日間、自分だけが苦しんでいたと、そう思っていた。しかしそれは大きな間違いだったのだ。
 令子こそ、自分の意思で自らの生死を決める事さえ許されない立場に立たされ、尚且つ横島の身を案じなければならなかったはずなのだ。
 彼女がこの結論を導き出す為に、どれだけの苦悩を味わったのか。横島には想像も付かなかった。
 正しい選択、正しくない選択。ここに至っては、そんな事は瑣末な事でしかなかった。一番大切なものを、自分は見失っていた。そう思えてならない。
 しかしその事に気がついてさえ、今の横島には己の情けなさに震えながら、ただただ歯を食いしばる他に何も出来はしないのだ。
 そんな横島の頬にそっと白く細い手が触れた。
 その柔らかく暖かい手は、横島の頬から髪の毛へと静かに動くと、そのままゆっくりと横島の頭を引き寄せた。

「あ・・・?」

 バランスを崩しよろめいた横島の額に、柔らかいふくらみが優しく触れた。目の前に迫った令子の胸元から、柑橘系のやや甘い香りが漂う。
 突然引き寄せられ、令子の胸元に寄りかかるように頭を預けた体勢にさせられた横島は、驚きのあまりその体勢で硬直した。

「あ・・・あの・・・?」

 平時の彼ならば、ここぞとばかりにそのまま押し倒しもしようが、今はそんな事が出来る状況ではないし、そこまで空気の読めない男でもない。
 ましてや、あの美神令子が自分にこんな事をするとは夢にも思って居なかった横島は、気が動転して身動き一つ取れないで居た。

「そうね、ずるいわね。」

 ぼそり、と今まで言葉を発していなかった令子が呟く。横島の頭を両手で抱きかかえたまま、まるで出来の悪い弟の面倒を見る姉の様に優しい眼差しを見せた。

「横島クンさ、なんか勘違いしてんのかもしれないけど、私は別に諦めた訳じゃないわよ?」

 先程の呟きよりも僅かに声を明るく変えながら、そのままの姿勢で令子は笑った。

「単に、孔雀明王からの依頼だけが解決方法って訳じゃないって事。そうでしょ? 私を誰だと思ってんの?
 私は世界最高のGS美神令子よ。おまけに私よりは劣るけど、エミだって力を貸すって言ってる訳だし、五年も時間があれば楽勝楽勝。」
「・・・。」

 さも容易そうな言い回しで笑う令子に対し、令子に頭を抱きかかえられたまま微動だにしない横島の表情は険しかった。
 嘘なのだ。いや、嘘ではない。嘘ではないが、今令子が言った事は限りなく可能性の低い気休め程度の期待に過ぎない。横島はそれを理解していた。
 もし令子の言う事が本当であるなら、わざわざ美智恵が恥を忍び、効果的な場所まで選んであんなお願いをしてくるはずが無い。
 あの美神美智恵でさえも、孔雀明王の依頼を受ける他に令子を助ける術が無いと判断せざるを得ない程の状況なのだから、その位横島にだって分からないはずが無かった。
 そんな令子の言葉に反応もせず、じっと押し黙っていた横島の心情を読み取ったのか、令子は少し声のトーンを落とすと、静かに口を開いた。

「・・・でも、万が一、万が一よ? 私に何かあった時、横島クンにお願いがあるんだけど・・・。聞いてくれる?」
「お願い?」

 令子の胸元で俯いたまま、横島が鸚鵡返しに聞き返した。

「おキヌちゃんと、シロと、タマモ。あの子達をお願い。」
「・・・!」

 ようやく止まった涙が、再び横島の両目から溢れ出す。それは間違いなく、これから去り逝く者の言葉であった。
 人が不幸にもこの世を去った時、それが親しい者であれば無論悲しい。しかし、最も人を悲しくさせるのは、親しい人がこの世を去った時ではなく、去り逝く定めを知ってしまった時なのかもしれない。
 そして横島にとって、美神令子と言う存在が既にそれだけの存在になっていたのだ。

「シロはまだ帰る所があるから良いけど、タマモは絶対まずいでしょ? それに、おキヌちゃんだって氷室の実家は有るけど・・・。」

 令子は一旦言葉を切って、軽く横島の頭を二、三度ぽんぽんと叩いた。

「あの子にとって多分本当の実家は事務所で、家族は私達のはずだから。」

 ね、と俯いたままの横島に優しく問いかけ、蛇口が壊れたように涙を流す横島の頭を再び引き寄せた。

「だから横島クン、アンタの五年間を私に頂戴。その代わり、その五年でアンタを私と同じ、いいえ、私以上のGSに仕込んであげるわ。」

 そこまで言って、令子は横島の両肩を掴むと己の胸元からぐいと引き剥がし、泣き腫らした横島の両目を正面から見つめた。

「いい? 孔雀明王の依頼は断りなさい。解ったわね?」

 ゆっくりと、小さい子供に言い聞かせるように、令子は横島に語り掛ける。
 横島はその言葉に一旦ぐっと瞳を閉じて顔を背け、歯を食いしばった後に、ゆっくりと、頷いた。
 その横島の仕草を見て、ほんの一瞬寂しそうな顔を作った後、令子は満足そうに微笑んだ。

「よし、決まりね。そうと決まれば、明後日からガンガンしごくからね。五年で私を越えようって言うからには、生半可な修行じゃ済まないわよ。」

 勤めて明るく、いつもの口調で令子は笑顔を作ると、横島の肩をパンパンと叩いた。しかし、横島は令子の言葉に反応する事無く、ただ頭を垂れて肩を震わすのみである。

「・・・。」

 令子は困り顔と苦笑いの入り混じった笑顔でそんな横島を見つめた後、ふと何かを思い付いたのか、横島の左肩に置いていた右手を僅かに滑らせた。

「え・・・?」

 白い指が横島の頬をなぞりながら顎へと滑り込み、そのまま軽く持ち上げる。横島の顔が令子と向き合う形になると同時に、横島の口から戸惑いの声が漏れた。
 しかしその声が形になる前に、令子の唇によって横島の口は塞がれていた。
 柔らかく、溶ける様に甘いその感触になす術も無く、横島は何が起きているのかさえ理解出来ずにいた。
 令子が普段付けているヘアオイルの香りだろうか、横島の鼻腔をくすぐる甘いシトラスの香りが、唇の感触と溶け合うように脳髄を痺れさせる。
 ようやく二人の唇が離れた時には、横島は呆然と令子の顔を見つめるより他に出来る事が無かった。

「ほら、もう泣かない。男の子でしょ? 泣いてたら“めー”よ、よこちま。」

 横島と額を合わせたまま、少し気恥ずかしそうに照れ笑いを見せながら令子が言った。

「あ・・・、な、なんで?」

 陶然としていた横島が令子の言葉に我を取り戻し、混乱した思考のままで訳も分からず問うた。

「え、何でって・・・何でだろ? なんかずーっと昔にこんな事した気がするのよね。デジャヴってやつ?」

 お互いに額をくっつけた姿勢のままで、令子は自分でも良く分からない、と表情で語りながら視線を床に落とした。
 確かに、遥か遠い昔に同じような事があった気がする。令子の言葉に横島の記憶の底の何かが反応した気がした。

「それに、ヴィスコンティを除霊した時の約束・・・まだだったでしょ?」
「・・・そういえば。」

 言われて初めて思い出したが、確かにそういう約束をした覚えがある。こっちは先程のおぼろげな記憶とは違い、はっきりと覚えていた。

「レースクイーンの格好してくださいよ。」

 横島は不満げな表情を作ると、少しおどけた口調で口を尖らせた。

「贅沢を言うんじゃないわよ。」

 令子も負けじと不服そうな顔で返事を返すと、横島を睨み返す。
 数秒の沈黙の後、どちらからともなく笑いがこぼれた。

「あ、もうこんな時間。おキヌちゃんが心配するといけないからそろそろ帰るわ。」

 左手の腕時計をチラリと見ながら、令子は少し慌てた顔で立ち上がった。
 令子に掛けられた呪毒が発覚してからと言うもの、おキヌは令子の事に関してやや過敏な程に心配性になっているのだ。
 そそくさと手荷物をまとめて帰り支度をする令子を眺めながら、横島は再び重苦しい顔を作った。先程交わした令子との約束を思い出したからだ。
 そんな横島の心の内を見抜いたのか、玄関でパンプスを履き終えた令子が軽く笑った。

「そんな顔をするんじゃないの。約束したでしょ? きちっと気持ちを切り替えなさい。」

 そう言いながらドアを開け、令子は自分を送ろうと玄関まで出てきた横島と視線を合わせた。

「ここでいいわ。それよりも、明日一日しっかり休みなさい。ちゃんと寝ていないでしょ。酷い顔してるわ。」

 そう言われて、そんなに酷いだろうか、と確かめるように顔をさする横島に、令子は感情を抑えたような声で静かに言った。

「じゃあ、明後日に。約束・・・守りなさいよ。」

 その言葉を最後に、令子は横島に背を向けて歩き出した。
 横島は令子の後姿を直視出来ないまま、彼女が階段を下りる靴音を一人俯いて聞き続けていた。
 横島にとってあまりに長い、二日目の幕が今、静かに下ろされた。


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