そこにタマモが封印されているとは知らず、霊波刀の修業のつもりで殺生石に斬りつけてしまったシロ・まり・かおり。
霊力を流し込まれたおかげでタマモは復活することになったのだが、三人の斬撃を意図的な攻撃だと誤解した彼女は、幻術と狐火で三人を翻弄する。
かろうじて横島たちのマンションまで逃げ戻ったシロだったが、まりとかおりを連れ帰ったと思ったのも、タマモによる幻だった……。
「では……
お二人は、まだあの場に!
くっ、痛恨……」
悔しがるシロの肩を、横島がポンと叩く。
「大丈夫さ。
おキヌちゃんの話だと、
そのタマモってやつも
本来は悪いやつじゃなさそうだし」
「そうです!
ちゃんと話せばわかってくれるはずです。
きっと……私が知ってる歴史どおり、
タマモちゃん、心を開いてくれますよ!」
と、おキヌも慰めの言葉をかけた時。
二人の後ろから、百合子がヌッと顔を出した。
「……話は聞いたよ。
赤ん坊二人の世話は私にまかせて、
あんたたちは高校生二人を助けに行きな!」
玄関での騒ぎは、奥の部屋にいた百合子の耳にも届いていたのだ。
しかも彼女は、この一件が横島たちの手に余る場合も想定し、すでに美神のところにも電話を入れていた。
少し前まで美神はここに来ていたし、そもそも、今日の昼間には百合子自身が美神の仕事に同行しているくらいなのだ(第二話・第三話参照)。今度はこちらを手伝ってもらおうというのが百合子の魂胆だった。
「……さすがですね、お義母さん」
「さあ行こう、おキヌちゃん!」
百合子の判断を的確と思い、感心するおキヌ。
そんな彼女を急かす横島を見て、
「では、拙者も……」
と、座り込んでいたシロも腰を上げた。
だが、その肩に百合子が手をかける。
「おっと、あんたは行っちゃダメだ。
……傷の治療をしないとね。
あんたは、ここで養生してな」
そして、横島とおキヌの方に向き直った。
「殺生石なら
名所旧跡にもなってるから、
このお嬢ちゃんが行かなくても
……場所はわかるだろ?」
第六話 xxxじゃないモン!(後編)
「……というわけなんです」
「なるほどね。
電話では事情がイマイチだったけど、
これでよくわかったわ。
ありがと、おキヌちゃん」
ハンドルを握る美神は、前を向いたまま、助手席のおキヌに声をかけた。
おキヌは、シロから聞いた話も絡めながら、逆行前の『本来の歴史』でのタマモのエピソードを全て語ったのだ。さすがに少ししゃべり疲れたようだった。
おキヌと入れ替わるように、
「それより美神さん……。
よそ見せずに、ちゃんと運転してくださいよ!?
いつも以上のスピードで飛ばしてるんスから……」
「大丈夫よ、横島クン。
あんた私を信用できないっていうの?」
「いや、そんなことないっス。
……信頼してます」
後部座席の横島が身を乗り出して話しかけたが、すぐに体を戻した。シートに沈む込むように、深く座り直す。
そして……。
三人が黙り込んだことで、車内に静かな空気が流れる。
今、美神・横島・おキヌの三人は、美神の愛車で那須高原へと向かっていた。
東京から栃木までだから、けして短い旅路ではないのだが、事態は急を要する。そのため彼らを乗せた車は、まるで外国のアウトバーンを往くかのような勢いで、夜のハイウェイをひた走っていた。
「……そうなると、
復活の時期が早まったわけじゃないのね。
むしろ遅くなったくらいかしら」
美神の小さなつぶやきが、静寂を破る。
それは独り言だったのだろうが、
「……え?」
彼女の言葉に、おキヌが反応した。
___________
(タマモちゃんの……復活の時期!?)
美神の横顔を見ながら、おキヌは考え込んでしまう。
おキヌが知る『本来の歴史』の中でも、逆行してきたことで変わってしまった『新しい歴史』の中でも、タマモは無事に蘇ることができたわけだ。しかし、後者では、たしかにタマモの登場は遅れていたのである。
本来ならば、アシュタロスの一連の事件が終わった後、まだ一年も経たぬうちにタマモは殺生石から出て来るはずだった。もちろん、アシュタロスの事件の発生自体が早まっているので、あの事件を基準にして考えるのは適切ではないかもしれない。だがそれを考慮しても、今頃復活というのは遅過ぎる。なにしろ、もうおキヌは高校二年生に進んでいるのだ。
(これも……歴史が改変された影響……)
では、何がこのような変化を生じさせるファクターとなったのだろうか。
『本来の歴史』にはあって、この『新しい歴史』の中には無いもの……。
色々考えられるが、もともとのタマモの復活時期から判断して、まずはアシュタロスの事件以降のことだけを考慮すれば良いだろう。
「もしかして……コスモ・プロセッサ?」
頭に浮かんだ言葉を、おキヌは思わず声に出してしまっていた。
___________
「……まあ、そうなんでしょうね」
美神が同意の言葉を口にする。
おキヌの視線がこちらを向いていることは、ちゃんと意識していた。おキヌが考えていた内容も何となくわかっている。
(復活時期のズレについて……
本来ならば何がキッカケだったのか、
それを考えていたんでしょう?)
コスモ・プロセッサ。
それは、天地創造すら可能な恐るべき悪魔の装置。
世界全体の改変を狙って、アシュタロスが用意していたものだ。
『本来の歴史』では、美神は魂を奪われてしまうし、その中のエネルギー結晶でコスモ・プロセッサも稼働し始めるはずだった。ほんの試運転だったが、それでも、死んだはずの多くの魔族が再生して世界全体を混乱の渦に陥れたのだ。
しかし、おキヌの逆行により歴史自体が大きく変わる。その結果、美神たちは、コスモ・プロセッサの御披露目以前にアシュタロスを倒していた。
だから、美神は、コスモ・プロセッサの現物を見てはいない。ただ、おキヌから聞かされた知識があるだけだった。
そのおキヌが、今、
「あれで……世界中に
魔力が満ちたのでしょうか?」
とつぶやいている。
実物を知っている分、おキヌの方がコスモ・プロセッサに関しては詳しいはずだ。だが、それでも美神は首を傾げた。
「うーん……。
それは……少し
違うんじゃないかしら?」
「……えっ?」
「コスモ・プロセッサっていうのは
そういうもんじゃないと思うから……」
おキヌが言うように『世界中に魔力が満ちる』ということも、そうした意図でコスモ・プロセッサを使用した場合には起こり得るかもしれない。
元始風水盤のように、この人間界そのものを魔界のような環境にするのは、コスモ・プロセッサならば容易であろう。
だが、おキヌがかつて語った内容から判断すると、アシュタロスの試みは若干異なっているようだった。メドーサとは違い、アシュタロスクラスになれば、邪悪なエネルギーの多少など問題にはならない。深い意味はなく単なる戯れで、彼は滅亡した魔族を蘇らせたのだ。
美神は、そう理解していた。
「『魔力が満ちた』どころじゃなくて
……きっと、魔物そのものよ」
「……どういう意味です?」
「本当に『世界中』に……
つまり都市部だけじゃなくて
地方でも魔族が復活してたんじゃない?」
コスモ・プロセッサ破壊と同時に再生魔族も消滅している。だから認知されなかっただけで、実は確認された以上の数の魔族が発生していたのではないか。
そして那須高原に出現した妖怪が、何らかのアクシデントで、殺生石に霊力を注ぎ込んでしまったのではないだろうか。
そんな解釈を、美神は述べてみせた。
もっとも、美神自身が経験した歴史では全く起こっていない現象なだけに、色々考えてみても現実感はない。机上の空論に過ぎないのだが、それなりの説得力はあったらしい。
「それじゃ……もしも未来から
まりちゃんとかおりちゃんが来なかった場合、
タマモちゃんは、石から
出て来れなかったんでしょうか……?」
美神の説明を受け入れたおキヌ。その口調には、心配の響きが如実に表れていた。
仮定に仮定を重ねた話ではあるが、タマモが復活できないケースを想定してしまったのだ。
(おキヌちゃん、今頃わかったのかしら?
自分がしでかしたことの重大さを……)
おキヌの方を向かずとも、その声色を聞けば、どんな表情をしているかは簡単に想像できる。彼女は青ざめているのだろう。
内心で苦笑する美神は、おキヌが遡ってきてからの経緯を思い出していた……。
___________
逆行したおキヌの行動は、世界全体にも少なからぬ影響を与えている。そしてもちろん、おキヌを取り巻くプライベートな人間関係にも、色々な変化を生じさせていた。
中でも一番大きなものが、おキヌと横島の結婚であった。本来ならば横島は将来美神と結ばれるはずだったのに、おキヌが妊娠したことで、時期も相手も変わってしまったのだ。
「それって……
おたく、寝取られたワケ?」
事情を知ったエミなどは、そう言って美神をからかったものだ。しかし、美神自身は、そうは感じていなかった。
(おキヌちゃんは
そんな女のコじゃないわ……)
おキヌと付き合い出した横島がかえって悶々としていたのは、美神もよく知っている。
色々と溜まってしまったらしく、当時の横島は、セクハラがいっそう激しくなっていた。ロクに恋愛経験などない美神が、おキヌに対して『それなりに、うまくガス抜きしてあげなさいね』とアドバイスしてしまう程だった(『まりちゃんとかおりちゃん』第三話参照)。
つまり、おキヌは、簡単に体を許すような女ではなかったのだ。
(関係を持ってしまったのも……
やむにやまれぬ事情があったんでしょうね)
美神は、そう考えていた。
それに、おキヌの知る未来など、美神にとっては夢か幻のようなものだ。現実の彼女は、まだ横島を恋愛のパートナーとしては意識していなかったから、その意味でも『寝取られた』という感覚はないのであった。
(前世は前世。
でも……私は、私!)
南極でアシュタロスと対面し、美神は、そこで前世の記憶を思い出している。メフィストの恋物語も、まるで美神自身が経験した出来事であるかのように鮮明だった。
だが、南極へ行く前に美智恵と会談した際に、意識の奥底に潜んでいたメフィストの残思――千年の想い――は、すでの吹っ切られていたのだ(『まりちゃんとかおりちゃん』エピローグ参照)。
だから、前世の記憶が意識の表層に上がってきても、それに美神が左右されることはなかったのである……。
___________
(横島クンは……
あくまでも仕事の上でのパートナー。
それ以上でもそれ以下でもないわ)
短い回想から現実に立ち返り、美神は、バックミラーに目をやった。
その隅に、後部座席の横島が映っている。なにか考え込んでいるのだろうか、彼は、目を閉じたまま腕組みしていた。
(横島クンとおキヌちゃんの幸せ……。
祝福こそすれ、嫉妬するいわれなんてないわ)
そうまとめた美神の耳に、おキヌの言葉が入ってくる。
「……美神さんは、どう思います?」
___________
コスモ・プロセッサの稼働を阻止したことで、殺生石に霊力を注ぎ込む魔物が発生しなくなったのかもしれない。だから、まりとかおりが来なかったら、タマモは復活できなかったのかもしれない。
そんな可能性を考えると、おキヌは恐ろしくなった。
口にも出してみたが、美神の反応はない。
(やっぱり……私は
とんでもないことしちゃったのかしら)
おキヌの逆行のせいで、変わってしまった世界。
それでも、この世界はこの世界で、皆、幸せになって欲しい。
少なくともおキヌはそう願っていたし、最近、彼女の願いに反するような出来事は起こっていなかった。
だが、おキヌの知らないうちに、大切な仲間の存在を脅かす方向に事態が進んでいたのであれば……。
(歴史を変えてしまうって
……本当に怖いことなんだ。
だから、あの二人も……)
今、おキヌは、未来からきた二人――まりとかおり――の言動を思い出していた。
彼女たちは、未来情報を口にする際、どこまで話していいか、常に慎重に考慮しているようだった。歴史改変の重大さを十分理解していたからだろう。
では、自分はどうだったのか?
その意味を、きちんと知っていたのだろうか?
わかったつもりになっていただけではないだろうか?
そんな疑問が、おキヌの頭に次々と浮かんでくる。その間、おキヌの視線の先にいる美神は、正面を向いて黙ったままだった。
沈黙に耐えかね、おキヌは、もう一度口を開く。
「……美神さんは、どう思います?」
___________
「……え?
ああ、ごめんごめん。
ちょっと考え事してたから。
……でも、ちゃんと聞いてたわよ」
おキヌの再度の問いかけを答の催促だと判断して、美神は、軽く微笑んでみせた。
そして、おキヌの質問に対する意見を述べる。
「おキヌちゃん、心配しすぎよ。
たぶん二人が来なくても……
そのタマモって妖狐、
ちゃんと復活したんじゃないかしら?
だって……」
まりとかおりは、タマモとは面識があったらしい。
伝聞の伝聞になるが、シロとおキヌを通して、美神もそれを聞いていた。
つまり、タマモの復活は確定していたのである。
「あっ……。
言われてみれば、そうですね」
「……でしょう?
妖怪や魔物なんて、いくらでもいるんだから
殺生石に霊力を流し込む候補には困らないわ。
……それにタマモが
伝説の九尾の狐だというなら、
よそから霊力をもらうんじゃなくて、
石のままでも、そこらへんの妖気を
自分で集められるのかも」
と口にする美神だが、本気でそう信じているわけではなかった。
実は美神は、まりとかおりの時間移動を、単なるアクシデントではなく『歴史の必然』だと思い始めていたのだ。
(変わってしまった歴史を
元とよく似た流れに戻すために、
そのために送り込まれたのかもしれない……)
時間移動能力を持っていた美神なだけに、歴史が持つ復元力のことは、以前から少し理解していた。それに加えて、アシュタロスの一件に関係して、おキヌから『宇宙意志』という概念も聞いている。
だから美神は、まりとかおりの来訪にも役割が――本人達も知らぬ役割が――課せられていると考えてしまうのだ。
そもそも、時間移動が『歴史の必然』となるケースは、美神自身も経験している。平安時代への時間移動こそ、現代や中世での事件の原因になっていたのだから。
苦い思い出を振り払うかのように、美神は、心の中で首を振る。
(でも……
これは全て、単なる想像だわ)
だから口には出さず、おキヌに対しては、当たり障りないことを言ってみせたのだ。
その効果があって、おキヌは少し気がラクになったようだ。彼女はハーッと息をついている。
同時に車内の空気が変わったことも、美神は感じていた。
そして。
「ズズズ……」
背後からは、イビキの音が聞こえてくる。
熟考しているように見えた横島は、実は、熟睡していたのだ。
「横島クンったら、
こんなときに……」
「私たちの会話って……
眠くなるほど退屈だったんでしょうか」
美神とおキヌの顔には、同じ微笑みが同じタイミングで浮かんでいた。
___________
「くすくすくす……。
あの犬っころ、
今頃ようやく気づいて
こっちへ向かってるところかしら?」
タマモが一人で笑っている。
蘇った直後は、彼女は不機嫌だった。おかしな形で、長い眠りから目覚めさせられたからだろう。だが、ひと暴れしたせいか、少しは気分も良くなったようだ。
騙されたと悟ったシロが戻ってくると想定し、また相手をしてやるつもりで、わざわざ待っているくらいである。これも、気持ちに余裕が出てきた証かもしれない。
ただし、今タマモがいるのは、殺生石のあった岩場ではない。さすがに硫黄臭い中で待つ気にはなれず、彼女は、近くの森に場所を移動していた。
「……さてと」
シロが来るまで、もうしばらく時間がかかるだろう。
そう思ったタマモは、目の前の二人に視線を向けた。
いまだ意識を失ったままの少女たち。まりとかおりである。
あのまま放置するのではなく、タマモは、二人を連れてきていた。彼女はこの時代に蘇ったばかりであり、それに、前世の記憶も曖昧。だから、色々と学ぶ必要があると考えていたのだ。
そして、この二人は貴重な情報源になりそうだと思っていた。
二人の発言には妙な馴れ馴れしさがあり、それを最初は不愉快に感じてしまったタマモである。だが冷静に考え直してみると、それは、二人がタマモをよく知っているという意味だと気付いたのだった。
「でも、とりあえずは……」
二人はまだ意識を取り戻していない。無理に起こして問いただすほど、タマモは慌てていなかった。
さらに、タマモ自身、さきほどの戦闘や幻術で少し疲れている。なにしろ、復活したばかりなのだから。
「ちょっと一休みね」
自分に言い聞かせながら座り込み、大木に寄りかかったタマモ。
まぶたを閉じた彼女が眠ってしまうまで、たいして時間はかからなかった。
___________
パチッ。
真っ暗な森の中で、タマモが目を開ける。
(この気配は……!?)
熟睡してしまったが、ちゃんと防衛本能が働いたらしい。彼女の眠りを妨げたのは、何者かが接近してくるという感覚だった。
(あの犬っころではないわね。
でも……鋭い!)
数は三つ。
しかも、高い霊力を感じる。
かつてのタマモの時代とは違うとはいえ、それでも、これが人間の平均的なレベルとは思えなかった。
(狙いは……やっぱり私?)
せっかく蘇ったタマモである。
どんな陰陽師が来ようと、むざむざ退治されるつもりなど毛頭なかった。
(それなら……)
彼女は音もなく立ち上がり、迎え撃つ準備を始めた。
___________
「……こっちです!」
霊体検知器――見鬼くん――を手にしたおキヌを先頭にして、三人は静かに進んでいく。
今、彼らは、夜の森へと入るところだった。
見鬼くんの反応では、タマモはこの森の中に潜んでいるらしい。殺生石の近くにいると思っていただけに、おキヌにとっては少し意外である。だが、美神や横島は平然としていた。
「ここから先は
完全に視界ゼロだから
……いいわね?」
美神の確認に、おキヌが頷く。
美神は色々なケースを想定していたらしく、横島が担ぐリュックの中には様々な道具が詰め込まれていた。
その中には暗視ゴーグルもあったが、それは、既に三人の手元に配られている。おキヌが知る『本来の歴史』において、植物園でのパピリオの騒動の際にも使われたものだった。
あの事件のことをフッと思い出しながら、おキヌは、ゴーグルを顔にセットし直す。そして、再び歩き始めようとした時。
「……みんな!
来てくれたのね!?」
と言いながら、長い髪の小女が、ボウッと姿を現した。
___________
夜ともなれば、木々の緑も、もはや黒色のようなもの。その中から出てくれば、突然出現したように見えても不思議ではない。
それでも、
(……かおりちゃん!?)
彼女の姿に違和感を覚えるおキヌ。
外見は確かに娘のかおりであり、服装も家を出たときと同じ巫女装束なのだが、どこか雰囲気が違う。
それに……。
(まりちゃんは……どこ?)
その疑問を声に出しそうになったが、背後から伸びた手が、おキヌの口をふさいだ。
手の主は横島であり、振り返ったおキヌに向けて、小さくウインクしている。
一方、横島とおキヌがそんな無言のやりとりをしている間に、美神がリーダー然として、スッと前に出ていた。
「あら、まりちゃん。
一人で逃げて来れたのね!
……かおりちゃんも無事かしら?」
目の前の少女に『まり』と呼びかけ、『かおり』の心配をする美神。
その言葉が耳に入り、おキヌは混乱する。だが、当の少女は普通に対応していた。
「ええ、なんとか……。
でも、ごめんなさい。
かおりちゃんのことはわかりません。
自分のことだけで精一杯で……」
「いいわ。
それじゃ、かおりちゃんは
私たちが助け出すから!」
「お願いします。
私は……もう動けないので
ここで待ってます……」
と言いながら一歩横に移動し、彼女は、道を譲る。
「ええ、まかせてちょうだい」
快活に答えつつ、彼女の横を通り過ぎる美神だったが……。
「あんた馬鹿ね。
化けるなら化けるで、
ちゃんと相手の名前くらい
覚えておきなさいよ!?」
滑るように動いた美神は、いつのまにか、少女の背後に回っていた。
しかも、細い紐状の武器を少女の首に巻き付けている。
「!!」
「あきらめなさい!
初歩的なミスをしたあげく、
こんなとこで死にたいの!?
金毛白面九尾の名に傷がつくわよ、
……みっともない!!」
美神の降伏勧告を受け入れ、観念した『少女』が変化を解く。
違和感があったのも無理はない。『かおり』の姿で出てきたのは、タマモだったのだ。
「ほら……な?
こういうときは
美神さんにまかせておけばいいのさ」
おキヌの耳元で横島がささやいた。美神が騙されたフリをして逆に利用することを、横島は察していたのだろう。この辺りの息は、さすがにピッタリあっているのだ。
だが、今のおキヌには、二人の阿吽の呼吸について想いを巡らす余裕はなかった。いや、横島の言葉すら、彼女の意識には届いていなかったかもしれない。
(この言葉は……!)
美神の発言が一つのイメージを思い出させており、おキヌは、それで頭がいっぱいになっていたのである。
場所も時間帯も違うし、化けている対象――あのときは西条だった――も違う。それでも、逆行前の『歴史』の中で見たのと同じ光景だった。
(あのときは、タマモちゃんに本気で
とどめをさす気なんてなかったはず。
だって美神さんはタマモちゃんを
『敵』だなんて思ってなかったから……。
でも……今は!?)
美神とタマモの関わりも変わってしまったのだ。
おキヌの知る『歴史』を美神に語って聞かせたとはいえ、実際に二人が対面するのは、これが初めてなのだ。
(……美神さん!!)
美神がその手を緩めるのか、あるいは逆に力を加えるのか。
おキヌには判断できなかった。
だから、おキヌは絶叫する。
「ダメーッ!!」
___________
おキヌの叫び声に驚き、その場の面々が、一瞬、動きを止めた。
その間に、おキヌはネクロマンサーの笛を取り出す。
(タマモちゃんは悪霊じゃないけど、
でもガルーダのヒヨコだって
これで操れたんだから……!)
自分の『想い』を増幅して伝える上で、きっと役に立つはずだ。
そう信じて、おキヌは、笛に口をつけた。
ピュリリリリッ……。
___________
(私としたことが……)
首に巻き付いた糸は、鋼か何かで出来ているようだ。
振りほどくことも断ち切ることも難しいし、むしろ後ろの女が力を込めれば、こちらの首の方が危ない。
(こんな……人間なんかに!)
窮地に立たされたタマモは、デフォルトの金髪少女姿に戻った。その直後、笛の音が聞こえてくる。
(何よ、またなのッ!?)
さきほど二人の少女が吹いていたのと同じ笛だ。
純粋に音色を楽しむためのものではなく、これも除霊の道具。
だが、聞いていて腹も立たないのは、初めてではなく二度目だから、少し慣れたということだろうか?
あるいは、同じ音のようで、何か違うのだろうか?
(こいつ……)
タマモは、演奏者を睨みつける。
あの二人の少女と同じくらいの年齢であり、着ているものまでそっくりだ。彼女は、タマモの刺すような視線にも負けずに、一心不乱に笛を吹いていた。
そして……。
(……えっ!?)
タマモの脳裏に、何かのビジョンが浮かんでくる。
それは、笛の音にのせられて、タマモの意識へとダイレクトに届けられたものだった……。
___________
おキヌは、タマモとの様々な出来事を回想しながら、それを伝えたいという気持ちで笛を吹く。
(全部……大切な思い出!)
手負いのまま、結界に追い込まれたタマモ。
退治したことにして、横島のアパートへ連れて行かれたタマモ。
きつねうどんのあぶらあげで、妖力を回復したタマモ。
おキヌのヒーリングを受けて、ようやく名乗ってくれたタマモ。
だけど幻術でイタズラをして、去ってしまったタマモ。
しばらくして、タダ食い事件で再び出会ったタマモ。
事務所に居候することになり、さっそく妖カミソリ事件で役立ってくれたタマモ。
唐巣神父の教会で美神の両親のなれそめを聞いた時には、おキヌたちと一緒に居眠りしてしまったタマモ。
クーラーが壊れた事務所では、人間と同じように暑さでへばっていたタマモ。
体内時計が機能せずに毛更りが遅れて、そのまま熱中症で苦しんだタマモ。
それを知らずに苦労して薬を手に入れてきたシロに、彼女なりの言動で感謝の意を示したタマモ。
運転の仕方など知らないのにトラックで織姫を追いかけ、道路に牛乳の川を描いたタマモ。
臨海学校の概念を最後まで勘違いしたまま、シロと共に妖怪や幽霊の大群と戦ったタマモ。
遊園地でシロと別れて行動した際に、すっかり『普通の女の子』のように楽しんだらしいタマモ。
そして、それを知った事務所メンバーから、『普通の女の子』としてからかわれるタマモ……。
___________
(フン、生意気な小娘ね。
この私に……幻術勝負を挑もうってわけ!?)
笛が届けたおキヌの記憶。
それをタマモは、幻だと思ってしまった。
だが、その考えは、すぐに否定される。
(いいえ、幻なんかじゃないです。
私にそんな能力はありませんから。
これは、すべて本当のこと……。
……大切な思い出です!)
笛の音を介して、おキヌが訴えかけてきたのだ。
そこには、必死さと共に、優しく微笑みかけるような気持ちも込められていた。
それでも、タマモは反論してしまう。
(なに言ってんの?
妖怪と仲良く生活するなんて……
そんな人間いるわけないでしょ!?)
(時代は変わったんです!
私も……
タマモちゃんほど昔じゃないけど、
でも昔の生まれだから断言できます。
今の世の中でも、まだ差別や偏見は消えてません。
だけど……昔よりは、ずいぶん減ったんです!
今の世の中なら……私たちと一緒なら、
タマモちゃんも普通に、
迫害されることなく
仲間として生きていけるんです……!!)
(……嘘ッ!?)
(嘘じゃありません。
嘘は……嘘は伝わりませんから!)
おキヌの口調には、確かに真実の響きが含まれていた。
しかしタマモは、『情』ではなく『理』によって、おキヌに反論する。
おキヌによって見せられたシーンは、あきらかに前世のものではなかった。それにタマモは蘇ったばかりなのだから、現世でもないはずだ。
これが幻でないというなら、いったい、なんだというのだ!?
(前世でも現世でもないですし、
……もちろん未来でもありません)
イメージの中のおキヌが、ゆっくりと首を振る。
(これは……
私が変えてしまった、もう一つの歴史。
その中での……タマモちゃんの姿です)
(もう一つの歴史……?)
心の中で聞き返してしまうタマモ。
彼女は、おキヌの溜め息を耳にしたような気がした。
そして、
(……聞いてください)
おキヌが、長いストーリーを語り始める……。
___________
今度の物語には、タマモは登場しなかった。
それは、時空を超えた恋物語。
三百年の歳月を幽霊とした過ごした少女が、ついに人間として蘇り、さらに時間を遡った後で、幽霊時代の末期に知り合った少年と結ばれるというストーリー。
(……すごいわね)
伝説の妖狐として名を馳せたタマモだが、彼女でも驚いてしまうほど途方もない人生談だった。
(あなたの恋愛成就のとばっちりで
歴史が思いっきり変わってしまったわけね?)
(えへへ……)
おキヌが苦笑している。
気恥ずかしそうではあったが、どこか幸せそうでもあった。
(……しょうがないわね)
つられて、タマモも笑顔になる。
おキヌの物語には、当然、おキヌの横島への想いもシッカリ含まれていた。
だから、タマモは考えてしまう。
女が男を想う気持ち。それは、平安時代でもたくさん見てきたはずなのだ。
タマモ自身が前世で当時の偉い人と親密だったことも、朧げではあるが知識として覚えていた。それは権力者に庇護されていただけ――そして権力者はタマモの特異な能力を利用しようとしていただけ――だったのだろうか?
あるいは……人間の男女が交わす類の愛情が、二人の間に流れていたのだろうか?
(わからない。
わからないけど……)
人間を恨んだり疎んじたりする気持ちは、いつのまにか、ゼロになっていた。
___________
タマモとおキヌの心のやりとりは、あくまでも、ネクロマンサーの笛を通してのものである。
時間にすればわずかであり、また、端から見ていたら何が何だか理解できないはずだった。
それでも美神は、タマモの心境の変化を察したらしい。タマモの首に巻いていた鋼線を外し、タマモを自由にしてやる。
これに対して、
「……フン!」
礼を言うこともせず、表面上はツンとした態度を崩さないタマモ。
彼女はピョンと跳び上がり、そのまま、夜の空へと消えていった。
___________
「どうもありがとうございました」
建物の入り口で、まりとかおりが美神に頭を下げる。
一行は、美神の車に乗って、横島のマンションまで戻って来ていた。なお、後部座席に三人が座る形になったが、外車なので、それほど窮屈ではなかった。
もはや人々も寝静まった深夜であるが、真夜中に殺生石近辺でホテルを探すよりも、高速をとばして帰宅してしまう方を選んだのである。
「……もういいから。
子供は早く寝なさい」
「はーい」
美神に子供扱いされても文句を言わず、まりとかおりは、一足早くマンションへと入っていった。
「俺たちも……あんまり
年は変わらないんスけど?」
「なに言ってんの。
横島クンは、あの二人の親でしょ?
あんたは後始末を手伝いなさい!」
今回は、いつもは使わないような除霊道具までリュックに入れている。その後片付けのために、美神は横島を事務所まで連行するつもりらしい。
「それじゃ……私も手伝います!」
「悪いわね、おキヌちゃん」
そして、再び車に乗り込もうとしたところで、
「あら、これは……?」
美神が、それを発見した。
マンションビル入り口に置かれた一つの包み。
自動扉の外側にあるので、誰か外部の者が持参してきたのだろう。
大きな葉っぱに包まれた雑草の束であり、上に、一枚のメモがのっていた。『せんじてのめ。やけどにきくぞ』と書かれている。
「タマモちゃんだわ……!」
文面こそ少し違うが、おキヌは、それに見覚えがあった。『本来の歴史』では、風邪をひいた横島とおキヌのために、タマモが差し入れてくれたのだ。
今回は、狐火でやられた三人を気遣ったのだろう。
「でも……
どうやって、ここへ?」
アパートまでタマモを連れて来た『歴史』とは異なり、横島たちの住処などタマモは知らないはずだった。
おキヌのつぶやきを耳にして、横島と美神がそれぞれの意見を述べる。
「それは……つっこんでは
いけないところなんじゃ!?」
「そんなわけないでしょ。
シロの匂いを辿って来たのよ、きっと」
だが、おキヌは二人の言葉を聞いていなかった。
彼女は、夜空を見上げている。
(タマモちゃん……また会えるよね?)
今宵の月は、ちょうど真ん丸だ。
満月をバックに、タマモの後ろ姿が浮かぶ……。
そんな幻想的な光景が見えるように感じてしまう、おキヌであった。
(第七話に続く)
なお、作中のタマモ復活に関する解釈は、あくまでも(この作品における)美神の解釈です。原作でタマモみずから復活の仕組みについて語っていますが、それは独り言であり美神は聞いていないということで、このような描写にしてみました。
さて、こちらのサイトに投稿させていただくことで二次創作活動を始めた私あらすじキミヒコですが、今回の投稿で、投稿数が100の大台に到達しました(ただし、こちらのサイトに投稿させていただいたのは、これが50作品目。いつのまにやら、他のサイトへの投稿数も同じくらいになっていたようです)。
初投稿は昨年の12月2日でしたから、ここまで、約九ヶ月。九ヶ月で100ということは、確かにハイペースだと自分でも感じています。
『復元されてゆく世界』のあとがきでも書いたように、二次創作活動を始めた頃の私は、外国で暮らしていました。ややこしいしがらみもなく、また、職場でも、日本なら「もう帰るの?」と言われる時間に「まだやってるの?」と言われるくらいであり、生活にもゆとりがありました。休みの日も、日本とは違って無意味に職場に行く必要はなく、必要最低限の仕事のみをしに行けば良い環境でした。
しかし、日本に戻って来たら、そうはいきません。やはり帰国後は、執筆ペース・投稿ペースが落ちてきました。これからも低下すると思いますが、それでも二次創作という形で表現したいものがある限り書き続けていきますので、今後もよろしくお願いします。 (あらすじキミヒコ)