しょわしょわしょわしょわーッ……。
毎年毎年、日本の夏の暑さは、勢いを増していくようだ。
今、それは、美神除霊事務所にも襲いかかってきていた。
「先生ーっ、サンポ行こっサンポ!!
退屈でござるよっ!!」
「一人で行って来いよっ!!」
「それじゃつまんないでござるーっ!!
今日は近くですませるからっ!!
ねっねっねっ!?
ねーっ!?」
「暑っくるしいからくっつくなーっ!!
顔をナメにくるなああーっ!!」
約一名、『暑さ』という言葉を知らない存在もいたが、それは例外中の例外である。
そして、こうした例外は、常人の神経を逆撫でするものでもあった。
「うるさーいッ!!
散歩でもなんでも行って来なさいっ!!
今すぐッ!!」
所長の美神が爆発する。
「クソ暑い……!!
なのにクーラーが故障して、
しかも明日までの書類仕事がたまってんのよッ!!」
イライラが既に限界を突破している美神。
彼女の横では、妖狐であるタマモまでもが、グデーッとテーブルに突っ伏していた。
そんな二人にドリンクを給仕するおキヌは、涼しげな表情をしている。大和撫子のたしなみなのだろうか? しかし、彼女だって、もう幽霊ではないのだ。顔には出さずとも、暑いと感じているのは確かなはずだった。
「気をつけてねー!」
おキヌの明るい声を背に受けて、シロと横島がサンポに出かける。
「美神さんの頭が冷えるまでだぞ!!
今日は早めに帰るから……」
というつもりだったのだが。
「う、うわあああーッ!?」
恐るべき『呪い』をかけられて、横島は、自転車を延々こぎ続けるハメに陥ってしまう。
「だめだああああッ!!
この状況で呪いを破る霊力は出せんーっ!!」
赤信号を越え、坂道を越え、ぼくらの街をひた走る。そんな横島に、角から飛び出してきた別の自転車を避ける余裕はなかった。
「あっ!?」
『夏は初恋の季節です』
少女はウキウキしながら自転車を走らせていた。真夏の暑さも関係ないくらいである。
「今日は……先生との初デートだもんね!」
ただし、だからといってオシャレをしているわけではない。親には『高校の補習へ行く』と嘘をついて出てきたので、普通の制服姿である。
女子高の制服を着た眼鏡っコというのは、一部の男性の心には強烈にうったえかける格好かもしれない。だが、彼女のデート相手にマニアックな嗜好はなく、彼女自身も、そうしたことは全く意識していなかった。
「えへへ……」
彼女が浮かれているのは、家を出たとき以来である。
補習ごときでこんなに心がはずんでいるのは変なのだが、彼女の家族は、それを不審に思ってはいなかった。『娘が自分から進んで勉強するようになった』と勘違いして喜んでいたのである。
ふと、
「そんなわけないじゃん」
玄関で自分を見送った母親の表情を思い出し、少女は苦笑する。
少女の母親は、昔から、勉強しろ勉強しろと口うるさかった。口だけではなく、この春には家庭教師を雇い始めたくらいである。
「あれだって……最初は鬱陶しかったんだけどね」
少女は、当時のことを回想し始める……。
___________
家庭教師として少女の家にやって来たのは、大学に入ったばかりの青年だった。
爽やかな瞳の持ち主だが、顔立ちはハンサムと言うほどでもない。体つきも『細身』と言えば聞こえはいいかもしれないが、むしろ筋肉が足りない感じだった。
「どうも……こんにちは」
しゃべり方もたどたどしい。
(ふーん……)
彼に対する少女の第一印象は、けして良くはなかった。
「よろしく……お願いします」
型通りの挨拶をする際にも、青年は、深々と頭を下げる。
彼は、昔から真面目だけが取り柄だったらしい。子供の頃から勉強の成績は良かったものの、それだって、別に生まれついての天才秀才というわけではなかったのだ。だが、それが幸いした。
(へえ。
このひと……結構いいじゃない!)
机に向かってすぐに、少女は気が付いた。
青年は、教師としては優秀だったのだ。
彼自身が、最初に『よくわからない』という時期を経験し、そこから独学で学ぶタイプであった。だから、教える側に立っても、『わからない生徒』の気持ちを理解し、どうしたら分かるようになるのかを的確に指導できたようだ。
(それに……)
一面を好意的に捉えた少女には、別の側面も良く見えてきた。
(……性格もいい感じ!)
勉強の合間のティータイム。
それは雑談タイムでもあったのだが、青年は、多くを語らなかった。彼には特に趣味もなく、また、巧みな話術の持ち主でもなかったからである。
そのため、少女のほうが一方的に話すばかりとなった。女子高のクラスメートとの会話とは違って、言葉のキャッチボールを楽しむことは出来なかったが、それでも、なぜか心地良かったのだ。
少女は、青年のことを『聞き上手』なのだと判断する。
(こういうのを……
オトナの包容力って言うのかしら?)
しかも、それだけではない。
あまり表面には出てこないが、青年には、しっかりと芯の通った部分もあった。実は彼は負けず嫌いであり、勉強を頑張ってきたのも、『勉学ならば努力が結果に結びつく』と思ってきたからだったのだ。
(このひと……ステキ!)
その想いはまだ『初恋』と呼ぶほどハッキリした形ではなかったが、それでも、少女は、青年に心惹かれていくのを自覚していた。
だから……。
「先生!」
「……なんだい?」
「一学期の期末試験の成績が良かったら
……御褒美にデートしてください!」
と頼み込み、それが今日、実現するのである。
___________
「……えへへ。
私だって……頑張ったんだから!」
と、これまでのことを思い出しながら自転車をこぐ少女。
周囲に対する注意も少し散漫になっていたため、角から飛び出してきた別の自転車を避ける余裕は全くなかった。
「あっ!?」
___________
キキィイッ!
慌ててブレーキをかけたが、間に合わない。
ガシャン!!
「きゃああッ!!」
自転車は転倒し、少女は投げ出されてしまった。
追突相手の少年が、
「大丈夫ですか、名も知らぬ美しいケツ
……じゃなくて美しいひとっ!!」
と言いながら、彼の自転車から降りてくる。
彼の言葉で、
(えっ!?)
少女は、自分がパンツ丸見えの体勢であることを悟った。
今日はデートなので、一応、下品じゃない程度にセクシーな下着を履いている。色は純白で、露出度も高くないが、それでも、ヒップが部分的にあらわになってしまうパンティーだったのだ。
(冗談じゃないわ。
……あんたに見せるためじゃないのよ!)
少女は、バッとスカートを手で押さえて、慌てて下半身を隠す。
しかし、目の前の少年は、そこにこだわった言葉を吐き続けていた。
「お尻痛いですかっ!?
さすりましょうかっ!?」
両手を伸ばしながら近づいてくる少年。
(へ……変質者!?
頭も……少し……)
少女は、そう思ってしまった。
なにしろ、少年は、彼自身の自転車にも話しかけているのだ。
「はっ……!!
そ、そうかっ!!
忘れていたが俺のパワーの源は煩悩っ!!
よおおおーしッ!!」
少女が唖然としているうちに、
「とゆーわけでパワーをくださいっ!!
尻ーッ!!」
少年の右手がニュッと伸びてきて、彼女のスカートに触れた。
「ふ……ふざけんなーッ!!」
少女の平手打ちが、少年の頬に炸裂する。
___________
「……ということがあったんですよ」
待ち合わせに少し遅れてきた少女が、事情を説明した。
「そうか。
それは災難だったね」
そう言いながら、青年は、少女に微笑みかける。
二人は、今、公園の中を歩いていた。
近くには噴水もあるが、この暑さに対しては焼け石に水。さらに、少女がベターッと抱きついてきているのだが、それでも青年は、『暑っくるしいからくっつくな』とは口にしなかった。
「ホント、あれは災難でした」
と頷いてから、少女は、ハッとしたような表情を見せた。
「そんなことより、先生!
先生ったら……
また無理して標準語使ってるう〜」
「え?
だけど……」
「『だけど』じゃないでしょ、『らけど』でしょ?
私と一緒のときくらい、お国言葉を使っていいですよ〜」
大学に入るまでは、青年の言葉には独特の訛りがあったし、また、いかにも浪人生といった感じの眼鏡もかけていた。だが、大学生になってから意識して標準語でしゃべるようになり、眼鏡もコンタクトに切り替えていたのだ。
「ま、おめさんがそう言うなら……」
青年は、苦笑しながら、敢えて昔の言葉遣いに戻す。
最初の頃は妙にたどたどしい話し方になってしまったくらいだが、実は今では、特に無理せず普通に標準語で話せるのだ。それでも少女には、標準語を使う青年は他人行儀に見えてしまうのだろう。だから彼は、ついつい少女にあわせてしまうのだった。
「そうですよ〜。
私の前では……
『ありのままの自分』でいて下さいね?
だって私たち……
デートしてるんだから、もうカップルでしょ?」
少女は、ちょっと照れたような表情で視線を逸らせたが、それは一瞬だけだ。すぐに戻して、
「夏は恋が始まる季節なんですよ!」
と言いながら、ニッコリ笑う。
(デートしてるんだからカップル……か)
青年には理解しにくい論理であったが、彼は、特に否定しなかった。
これが、都会の考え方であるなら。
これが、今どきの若者の考え方であるなら。
そして、これが、この少女の考え方であるなら。
……素直に受け入れようと思ったのだ。
(……うん、それでいいだろう)
そんなことを青年が考えているとも知らずに、
「……あのオトコ、絶対に変質者ですよ!
そもそも、この暑い時期に
バンダナ巻いてるのが変なんですよ。
汗拭きタオルの代わりなのかしら?」
少女は、話題を元に戻していた。同じような内容の繰り返しなのだが、その中の一単語が、青年の意識に強く引っかかる。
「バンダナ……?」
「そう。
真っ赤なバンダナを
こんなふうに頭に巻いて……」
右手は相変わらず青年の腕に絡めたまま、少女は、左手を一周させてみせた。
それを見て、青年は質問する。
「もしかして……
そのバンダナの少年の近くに
巫女さんの幽霊が浮いてなかった?」
「……巫女さんの幽霊?」
一瞬、顔をしかめてから、
「もう、先生ったら!
そんなもん、いるわけないじゃないですか」
少女は、青年の言葉をキャッキャと笑い飛ばした。
「そうか……。
そんじゃ別人かもしんねーな」
「……?」
「いや、昔おらを励ましてくれた人がいて……」
青年は、浪人時代のアパートの隣人について語り始めた……。
___________
「別人ですよ、きっと。
そんなモテそうな男じゃなかったですもん」
それが、青年の思い出に対する少女の反応だった。
「その男の人と巫女さん幽霊は、
恋人同士だったんでしょ?」
「うーん……どうかなあ……」
青年は、少し悩んでしまう。
確かに二人は仲良さそうだったが、果たして『恋人』と呼べるほどの関係だったのかどうか、彼には分からなかった。
だが、何をもって『恋人』と定義するかは、当人次第である。例えば、彼の腕に抱きついている少女などは、『デートしたらカップル』と言い張っているではないか。
(このコが言うとおり、
『夏は恋が始まる季節』ならば……
今頃あの二人も付き合ってるかもしれんなあ)
かつて『浪人さん』と呼ばれた青年は、フッと空を見上げる。
そして彼は、横島とおキヌが幸せに戯れている光景を思い浮かべるのであった。
『夏は初恋の季節です』 完
かなり強引なカップリングだと思われるかもしれませんし、もしそうであるならば、こちらに投稿するべき作品ではなかったかもしれません。ドキドキしながら、皆様のコメントを待っている次第です。
では、今後もよろしくお願いします。 (あらすじキミヒコ)
その幸せ俺にも分けろーーーーー
と叫びたくなるような作品でした (シル=D)
もともと幸せなカップルを描くのは苦手な私ですので、このような御言葉を頂けるのは、嬉しいです。
では、今後もよろしくお願いします。 (あらすじキミヒコ)