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時は流れ、世は事もなし

対面1


投稿者名:よりみち
投稿日時:08/ 3/23

 当作品の主な登場人物(1)

ベスパ 
 意識体(魂)のみで過去に。自分のオリジナル(作品中では霊基構造体のパターンを提供した者の意)と思われるフォンという少女の魂がない肉体に憑依中。

シャーロック・ホームズ
 当初は、フォンに取り憑いた者の正体を探ることを依頼されるが、以後、なし崩しに”蝕”にまつわる諸々と関わることに。”蝕”の背後に人を越えた者が存在している事も察している。

渋鯖光一
 オカルトと科学の両面に通じる若き天才。モリアーティーの要請によりホームズに協力する。

芦優太郎
 アシュタロスが己の霊基構造体をベースに創造した上級魔族級の使い魔。過去世界において進められている”計画”の実行者。ただし、現時点では、自分の正体については知らない。

フィフス
 芦を拉致するために現在時から送り込まれた使い魔。”蝕”と協力関係にあり、フォンから魂を抜き取る。

 前回『共闘』のあらすじ(それ以前のあらすじは13・16に掲載)

 ベスパはホームズたちに協力を求めるため正体と任務の一部を明かにする。
 そして協力に向け情報を交換している最中、元始風水盤の最終実験が三日後にあるという情報がもたらされる。
 その日こそが”蝕”が動く日と判断。対応すべくホームズ、ベスパ、そして新たに加わった渋鯖がまず行動を起こす。

 ホームズの主張で一行は横浜へ。屋敷を出たところで”蝕”の一人が現れるが、ベスパはそれを一蹴する。




時は流れ、世は事もなし 対面1

 駆けつけた蛍に後始末を任せ出発するホームズ一行。

 ちなみに蛍が間をおかずやって来られたのは蝶々が使役する蝶からの情報による。
 密かに見張っていた事にバツの悪そうな蛍だったが、監視の対象であるベスパが『当然の処置だね!』という反応だったため問題にはならない。



 出発後、それ以上は何も起こらず尾行されているという様子もない。
 どうやら男が匂わせたように屋敷の周辺にいた”蝕”は彼だけだったらしい。もっとも、”蝕”が事実上引き上げたと言う事はその戦力を集中させていると言う事で、元始風水盤の最終実験との関連を考えれば喜ぶわけにはいかない。



「一つ尋ねたいことがあるんだがかまわないかね?」
 しばらくは車を走らせ続けるしかないのを確認したホームズが渋鯖に声をかける。

「何でしょうか?」

「先にベスパが見せた技−魔装術と言うようだが−の事だ。威力もさることながらそれに対して君が見せた心配が気になってね。相応のリスクを伴った技のようだが」

「はあ」と生返事の渋鯖。
 ただでさえ問題のある魔装術、使用者の微妙な立場も考えるとどこまでを説明すべきか‥‥ 使った当人が説明すべきと振り返る。

 が、当事者は軽く目を閉じ眠っていた。
 先の戦い、もっと言えば魔装術の疲れかと思えば起こしづらく、知るところをかいつまんで説明する。



「つまり、魔装術とは霊力を暴走に近い状態で発現しつつ正確にコントロールするという矛盾を両立させ成り立っている、言い換えれば綱渡りを全力疾走で行うような技ということか」
 ホームズは聞いた説明をそういう例えでまとめる。

「ええ。それも安全網なしでね。一歩踏み外すと奈落に真っ逆さまです」
 そう応えた渋鯖はちらりとベスパを見る。未だ眠っている様子に変化はない。

「で、その『奈落』とやらは肉体・精神の両面での変異。最下級の魔族に成り果てるとの事だが‥‥」
 そこで言葉を切ったホームズは少し首を傾げ、
「肉体的な変異はともかく、精神的な変異についてはさほど心配する事ではないのではないかね。言ってもベスパは魔族、魔族になる事にリスクはないと思うが」

「『魔族』というのは近似的な表現で、実際は理性の喪失−暴力を含むネガティブな衝動に歯止めが利かなくなるという意味です。ベスパさんについては価値観こそ違うようですが理性という点では僕たちと同じ。とすれば、失うものの大きさも人と同じはずです。だから、ついあんな風に言ってしまったんです」

 幾分照れくさそうではあるが自分は当然の事をしたと語る青年にホームズは口元に浮かんだ微苦笑を隠さない。特に振り返りもせず、
「魔装術の使用について、今後どうするつもりかね? 説明の通りの危険性があったとして、それをあの程度の相手にも使うようでしたら、肉体の持ち主の事を考え、護衛から降りてもらう事も考慮せざるを得ませんが」

「まあ、今回は大目に見てくれ」
 向けられた言葉に薄目を開いたベスパは素っ気なく答える。

「目が覚めた‥‥ というよりは、説明するのが面倒くさいんで狸寝入りを決め込んでいたってことですか?」

 不本意そうな渋鯖に『そんなことはどうでも良いだろ』とベスパは軽く手を振る。
「魔装術のリスクを承知だからこそ試しておきたかったんだよ。今回で使い勝手が判った以上はむやみに使う事はしない。アタシだって借家人としての節度は心得ているさ」

「ならいいでしょう」と何らためらうことなくホームズは了承する。

 その信頼を示す態度にどこかしら居心地が悪いベスパ。

 海千山千、オマケに里に千年は棲んでいようかというホームズのこと、こちらを安心させ協力を引き出すための演技と皮肉に割り切るのが正しいはず。
 しかしその一方で、主を裏切って四年、自ら追い込んだ面はあるとしても(ごく少数を除けば)誰からも信頼されることなく生きてきた身としては、信頼される事の心地よさは否定できない。

 そうした心の揺れを隠すように醒めた口調で、
「ところで、横浜に着けば私や渋鯖は何をすれば良いんだ? 詳しいことを言いたくないにせよ、行動を共にするんだから一端だけでも明かしてもらいたいね。そうでなきゃ、いざという時、手を貸せないだろう」

「おや、手伝ってくれるのですか? てっきりフィフスに関わる件以外は知らぬ顔を決め込むつもりと思っていましたが」

‥‥ 余計なことを言ったかとベスパは後悔する。といっても、今更引っ込めるのもどうかということで、
「まあ行動を共にする以上、必要があれば手を貸すのは当然だろ。何より、その件に手こずってこっちの件に支障が出た日には目も当てられないしな」

「たしかにそうだが、それでも手を貸してくれるつもりなのはうれしい話だ。素直に感謝させてもらうよ」

「‥‥それでいったい横浜に何があるんだい?」
 再度示された信頼に引き続き居心地が悪いベスパは話を促す。

「世界旅行をするにあたって友人からの頼まれ事がありましてね。まあ人捜しなんですが、その相手が横浜にいるらしい」

「『らしい』っていうのは確証はないってことか?」

「まあね。今のところは判っているのは、『らしい』人物が横浜の酒場で働いているというところまで。これからそこに行って確認しようというわけだ」

「ふ〜ん」ベスパは呆れたように小さく首を振る。
「この国の未来を左右する件に関わっているのに人捜しが優先とは。ずいぶんと暢気なもんだ!」

「率直な感想、耳に痛いな」ホームズは冗談めかして応える。
「しかし、大切な友人の依頼でね。”蝕”の件で私が倒れた場合を考えれば、済ませられる事は済ませておきたいのさ。それに芦少佐が任務とやらで連絡が取れない以上、さほど時間的なロスはないはずだ」

「で、その確認ってヤツは簡単に済むのか?」

「ああ、簡単に済む。当人に手紙を見せるだけ。それ自体は5分とかからないはずだ」

「なら良いんだが‥‥」そこで微妙な顔をするベスパ。
 喋っている内に嫌な予感というほどもはっきりとはしないがザラつく何かが心に浮かび上がってきた。軽く頭を振ってそれを意識の外へ振り払う。



「何とも怪しげ‥‥ いえ、妖しげな所ですね」と辺りを見回す渋鯖。

 ここは港で働く労務者や下級船員向けの酒場などが集まっている場所で”場末”という表現の似合う区画の中のさらに端の一画。
 お世辞にも治安が良いとはいえない場所だが、それでは済まない雰囲気が漂っている。

「霊感、霊能力はないって話だが、それなりの勘働きはあるようだね。もっとも普通の場所よりは”気”が濃いという程度で危ないって感じはないよ。まっ、いざとなってもあたしがいるんだ、どうってことはないさ」
 どこかわざとらしい楽観を示すベスパ。それはいっこうに解消しない心のザラつきの裏返しであったりする。

「たしかにあなたは強いと思いますが無敵というわけでもないでしょう。油断は禁物だと思いますが」
 表に出していないはずの不安に気づいたのか自分でも似たものを感じているのか渋鯖は食い下がる。

「そんな当たり前の事を一々言われなくたって分かっているよ!」

「でも‥‥」

「心配のしすぎさ! こんな場末にあたしの手に余るようなヤツがいるはずないだろう!」
 ザラついた心を突かれるようで不愉快なベスパはそう遮ると反論を封じるために、
「そうだ! もし、今の見込みが違ったら、詫びの証にあんたの顔をこの胸に埋めさせてやるよ」

『そういう問題ですか!』と抗議しかける渋鯖だが、これみよがしに突き出された胸に言葉にならず顔を逸らせる。

 露骨な仕草に辟易した事もあるが、何より魔装術発動中の姿を思い出したから。
 あれほど体の線が出る服とある意味それが似合っている体型は記憶の中とはいえ刺激が強すぎる。

『そのへんにしておけ』とホームズは目でベスパをたしなめると先に立つ。続くベスパと渋鯖。



「これで”ホワイトコースト”ねぇ?!」目的地−酒場の前に立ってベスパは店名を読む。
 呆れた物言いなのはその薄汚れた灰色の建物が『ホワイト』の名に不釣り合いだったため。
  元はたしかに白い建物だったようだから的はずれというわけではないが、そのまま使い続けている店の図太さに面白みを感じないではない。

「まあ、この辺りだとこんなものだよ。なまじこぎれいな建物ではかえって客は寄りつかないしな」

「そんなものかね」ホームズの解説に関心なさ気に返事をするベスパ。
 もっとも、内心ではこれからの成り行きに多少の興味は持っている。というのも先の『妖しげ』な気配がこの店からもの。事の次第では”ザラつき”がはっきりとするかもしれない。あいまいなことが嫌いな自分にすればそちらの方がまだ望ましい。



 店内は四・五卓のテーブルとカウンターで構成された酒場としてはごくありふれ造り。『意外』といえば店に失礼だが、調度や備品はそれなりに手入れが行き届いており表ほどに薄汚くない。席の六割ほど占める客も高尚さとはほど遠いが最低と言うほどでもない。



 三人が入ると似合っていないウェイターの服を着た少年が迎えに出る。
 その少年と二言三言言葉を交わしたホームズは示されたテーブルに向かおうとする。

 その肩に手をかけ引き留めるベスパ。目配せで何人か示すと小声で、
「あいつら”人”じゃないよ」

「承知している。そういう者たちも利用している店ということだ」
 ホームズはそれが店の特色でしかないように応える。
「なに、必要以上に用心することはない。こんな地の果ての国に流れ、こんな”場末”で酒を飲むのは、故郷で人に抗しきれず逃げ出してきたか、人の生活に馴染みすぎて後戻りできなくなったか、どちらにせよ人と事を構えたくない連中ばかりさ。もっとも、本性はそう簡単に変わるものではないから、こちらが隙を見せればそれなりに危険だろうがね」

 返された言葉にベスパは軽くため息をつく。
「あたしが知っている連中もそうだが、あんたを見ていると、人っていう生物がつくづく野放図だってのが良く分かる。魔族にせよ神族にせよ、お偉いさんがデタントに同意し、人に干渉しないって決めたのは、これ以上、人に手を出すとどんなしっぺ返しがあるか分からないって考えた結果だって気がするよ」



 ホームズたちが向かったテーブルには一組の男女。

 男はいわゆるセーラー服を身につけているところからどこかの国の水兵なのだろう。
 二十代後半の年格好で浅黒い肌に黒い髪と目、彫りの深い造形から見て中東あたりの出身。筋肉の小山に見えるほどの体格で拳闘大会に出れば体力だけで良い線が狙えそうだ。

 一方、女性は派手な化粧と安っぽい衣装から店のホステスといったところ。
 薄いブロンドに碧眼、顔の作りから見て東欧系らしい。そのメイクや衣装で損はしているが十分以上の美女。年齢は男と相応といったところだが、先に触れたように”濃い”メイクのせいで良くは判らない。

 五百歩ほど譲れば水兵が女性を口説いている最中となるが、実質は酔っぱらいがその体格を武器に女性に絡んでいるとしか言いようがない。

 ホームズはそのある種険悪な”空気”にかまわず、
「レディ、少しばかりお話があるのですがかまいませんか?」

 堂々と割り込んだ男を不審そうに見上げる女性。それでも渡りに船と考えたらしく口元に愛想笑いを作ると、
「かまわないわ。ちょうど話は終わったところだから」

!! 
 水兵の顔にそれまでのアルコールによるものとは違う赤みが(地肌の色から赤黒み?)がさす。
 男としての矜持は一応あるのか、あっさり振った女性よりもそのきっかけを作った身の程知らずを睨みつける。
「てめぇ、いったい何様のつもりだ! てめぇの国には礼儀ってものはねぇのか!!」

「ありますよ。我が大英帝国は紳士の国、どこよりもマナーを心得た民族と自負しております」
 当然だがその程度の威圧にホームズは1ミリの動揺も見せない。

「なら話の途中に割り込むのは礼儀知らずってことは知っているだろう!」

「もちろん、知っています。しかし、レディも仰ったように、話は終わったようでしたので声をかけさせてもらいました。ああ、ひょっとして、別れの挨拶がまだでしか! なら、失礼なことを。どうぞ挨拶をしてください。その間は待たせてもらいます」

がたっ! 
 文字通りの『慇懃無礼』な物言いに水兵は大きく椅子を鳴らし立ち上がる。あたりを物色し、すぐ脇の壁に飾りとして設けられている暖炉、そこにある指ほども太さがある鉄製の火かき棒を手にする。両端を持ってこれ見よがしにかざすと一気に押し曲げる。

 そのデモンストレーションにもさっきと同じ風情のホームズ。

 なら『体に解らせてやる!』と踏み出しかけた水兵は巧みに前に出たベスパに制される。

 その動きの止まった絶妙のタイミングでホームズは手品師のように取り出した紙幣を差し出す。
「これは割り込んだお詫びだ。そこのカウンターで一杯やってくれたまえ」

 紙幣、ホームズ、ベスパ、女性と目まぐるしく視線を動かす水兵。忌々しげに札をひったくるとカウンターへ向かった。



「ありがとう、助かったわ。客だと思って愛想良くしていたらつけあがってきてね。店の手前、邪険にもできないし困っていたところよ」
 水夫の座っていた椅子に腰を下ろしたホームズに女性は業務用と解る笑みを添えて感謝を示す。

「いえいえ。礼はウェイターに言ってください。あなたが困っていると耳打ちしてくれたのは彼ですから」

『そう』と女性はウェイターにウィンクを送り礼に代える。
 そしてホームズに向かうとからかうように、
「それで似非紳士さんには何の用かしら?」

「私はホームズ、シャーロック・ホームズです」
 先にそう名乗ったホームズは難詰するように、
「それにしても、いきなり『似非紳士』呼ばわりとは! この国の習慣には疎い方ですが、挨拶としてすいぶんと手厳しい言いようではありませんか」

「あら、そうかしら、ホームズさん。でも、こそこそと隠れて女性の周辺を嗅ぎ回る男に向ける言葉としては、まだ穏当でしょ。ここ数日は見なかったけれど、あなたが私を探っていたのは知っているのよ」

「おやバレていましたか! そのつど変装するなど気は使ったつもりでしたが」
 失笑するベスパを横目にホームズは悪びれることもなく非難されてしかるべき行動を取ったことを認める。その上で、
「実は」と胸ポケットから封筒を取り出す。
「これをあなたにお渡ししようと思いまして。あなたを探ったのもこの手紙を受け取る資格があるかどうかを確かめるためだったのです」

 一見興味なさ気に手紙を見る女性だが、細められた目は内心の緊張を物語っている。
「どうも人には聞かれたくない話になりそうね。場所を変えたいけどかまわない? あと、女用心棒さんと小僧さんも関係者? できれば最低限度の人数にしたいんだけど」

「では、私だけで。この二人は待たせておきます」

「けっこう。それじゃ先に」女性はホームズに奥に続くらしい扉を示す。

「分かりました」と席を立つホームズ。
 わずかに顎を引きベスパと渋鯖に残るように伝えると転がっていた火かき棒を拾い上げる。さほど力を入れるでもなく元の形に引き伸ばした。



 奥は狭い廊下で突き当たりのドアを女性は軽くノック。小さくため息をつくともう一度、強めのノック。
 そこでかろうじて聞き取れる声で入るようにと指示が入る。

 女性はドアを開け中へ、併せてホームズを招じ入れる。

 部屋は3m四方ほどの広さで建物の外観同様古ぼけた造り。これまたそれに合わせるような古びたデスクと椅子、応接セットが調度の全てだ。

 そのデスクに向かう椅子に先の声の主であろう人−老人が座っている。

 混じりっけのない白髪と細面に深く彫られた皺から相当な年齢である事が見て取れる。やや濁った目と鈍い表情を女性、そしてホームズに向ける。
「客人かい?」と外見の割には軽い声での問いかけ。

「まあ、そんなところ」女性も心易い口調でそれに応える。
「ちょっと大切な話があるんでここを貸してもらいたいんだけど良い? 時間はそれほどかからないと思うけど」

「いいよ。居眠りに使っていただけだからな。気兼ねなく使ってくれ」
 ゆっくりと立ち上がった老人は同じテンポで部屋を出ようとする。

 そしてホームズの脇にさしかかったところで、ここまでの数歩が重労働のように一息つき曲がった腰を伸ばす。かろうじて聞き取れる小さな声で、
「小僧、何様だが知らねぇが、ここをかき回すようなマネはご免だぜ」

「承知しおります」と同じような小さな声で短く応えるホームズ。

 老人にはそれで十分らしく言葉を継ぐこともなく部屋を出て行く。

 老人の背中を見るように閉まったドアを見るホームズ、額に小さな汗が。
「‥‥ いやはや、どこにでも”人”はいるものですな」

「そういうあなたも。一目でそれを見抜くんだから大したものよ。さすがあの方の手紙を預かるだけのことはあるわ」
 女性はそう言うと深くはないが恭しい態度で頭を下げ、
「私の名はアーシス、お目にかかれ光栄です」



 二人がいなくなって空いたテーブルに腰を下ろすベスパと渋鯖。先のウェイターが店からの好意だと言って酒の入ったグラスを置いていく。

 礼儀として渋鯖はグラスに口をつけるが、やたら高い酒精に一舐めするだけでテーブルに戻す。声を低めると、
「ホームズさん、大丈夫でしょうか? 僕にはあの女性がどうもただ者じゃないって気がするんです」

「当たりだ。あの女は人じゃない。霊波とかは慎重に隠しているから正体は分からないけどかなり功を経た強者よ。店に入る前にここらにやっかいな奴はいないって言ったけど、撤回。あの女が相手だとけっこう手こずりそうな感じがするわ」

 さらりと語る内容に思わず腰を浮かせかける渋鯖。

「もっともホームズのことだからそんなこと全てはお見通しだろうさ。その上であたしを残してついていったんだから危険はないんだろ」

 話の筋は通っていると渋鯖は椅子に腰を戻す。
「そういえば、あの手紙、あれが”キー”ですね。僕は何も感じ取れなかったんですが、ベスパさんはどうですか? 何か気づいたことはありかせんか」

「少し離れると気づかないほど微弱だけど霊波を発していたよ。たぶんある種の身分証なんじゃないか」

「なるほど‥‥ その手紙を分析したいですね。そこから彼女の正体が分かるかもしれません」

「正体を知りたいのなら、直接訊いた方が早いだろうよ」
 ベスパはそう言葉に皮肉を効かせ、
「ホームズが言っていたように、こうしたところにいるのは何か思うところがあってドロップアウトした連中だ。余計な詮索は誰もためにもならないと思うが」

「そうですね。つい好奇心が先に立ってしまいました」と謝罪する渋鯖。

‥‥
 その素直に非を認める態度にベスパは顔にこそ出さないが褒めるべき美点を感じる。
 こうした偏見に寄らない判断とそれを態度に示せることが、この一見お人好しの青年の強さに違いない。
 それは、ホームズとも”教授”とも違う強さだが、神族も魔族も恐れなければならない”人”の持つ強さの一つなのだろうと考える。



 所在なく時間を過ごすベスパ、渋鯖の前に先の水兵がやってくる。『一杯』では済まない量のアルコールが加わったらしく理性は先ほどよりさらに数歩後退した感じだ。

 じろりと渋鯖を威嚇した後、妙に馴れ馴れしい態度でベスパの脇に座る。
「退屈そうだな? この小僧が相手なら退屈も当然なんだが、どうだ、俺と一杯やらないか? 連れは連れで”よろしく”やるっているようだから、こっちはこっちで”よろしく”やってもいいだろうよ」

「そうね」とベスパは鼻先にまで突き出された顔を値踏みをするように見る。

 それに応えにっこりと笑う水兵。
 当人としては決めているつもりのようだが、笑いの下から粗暴で好色そうな”地”が透けて見える。

「まあこのボンボンといても退屈なのは確かね」とややあって切り出す。

 思わせぶりな台詞に水兵は期待を浮かべる。

「でも、側にいても不快になる事はないから分だけあんたよりはマシ。そろそろ我慢の限界にきたようだから、その魚のアラみたいな顔をどけてちょうだい」

「さ‥‥ 魚のアラだと!」水兵はどう聞いても好意的ではない言い回しに絶句する。

「そうよ。骨張っていて血生臭さくて脂っこい! ぴったりでしょう。ああ、でもあっちの方がよほどマシか。調理さえちゃんとすれば美味しく食べられるから」

 えぐった傷口に塩をすり込むような解説に水兵はこれ以上はないほど顔を引きつらせ立ち上がる。
 ベスパの肩を掴もうと伸ばそうとした腕の動きが止まった。『いつの間にか』という形容が相応しいほど静かに自分の脇に人がいたことに気づいたから。

 その人物は黒灰色のマントとマントについたフードを目深にかぶっているためやや長身ということ以外人相はもとより性別も判然としない。

「何だ! キサマは?!」水兵は伸ばしかけた腕を目標をフードの人物に向ける。

うっ! うめき声をは水兵の方。
 フードの人物が差し出した手が先に水兵の顎の辺りで掴んでいる。

 力任せにそれを外そうと水兵はもがくが外れる様子はない。
 ちなみに、顔の下半分以外は自由に動くのだから、相手を殴るとか蹴ることで窮地から逃れられそうなものだがそれはしない。その兆候を見せた瞬間、顎骨が潰されることを本能が察知している。

 やがて目に涙が浮かびもがく力も先細る。

「このまま大人しくするというのなら離してやるが、どうする?」
 フードの下から低く抑えられてはいるがまぎれもない女性の声がする。

それを受け入れたことを示すように水兵は抵抗を一切放棄。手が離されよろよろと尻餅をつく。

「どうやら、こいつが嫌な予感の正体ってところか」とつぶやくベスパ。
「渋鯖、そいつを向こうに連れて行って!」と強い調子で命令する。
 それは同時にフードの相手と”差し”で話をするという意思表示も兼ねている。

『危険』という文字を具象化した相手と独りで対そうとするベスパを渋鯖は心配そうに見るが、ここにいても邪魔にしかならない事は理解している。
 半ば自失状態の水兵を引き立てカウンターに向かう。

 その間にフードの女性はベスパと対面する位置に腰を下ろす。おもむろに取ったフードの下からは整いすぎてかえって面白味のない美貌が。

 触角こそないものの目の下の黒灰色の隈取りを含めその顔立ちはフォンの記憶を通じて知るものと同じであった。



「ようこそ、フィフス! まさかこんなところで会えるとは思わなかったよ」

 挑発的なベスパの挨拶に対しフィフスは人としての温かみを感じさせない微笑で応える。
 全体としては友好的とは言えないものの敵対的というわけでもない。
 もっとも、居るだけで十分な威圧感があり、気の弱い客はそそくさと勘定を済ませ残った客も警戒心を最大にした上でフィフス(とベスパ)を見ないようにしている。

「それにしても、どうしてここが‥‥ って、男の中のナノマシーンを中継にして得た情報なんだろうが、わざわざそっちから足を運ぶとは、よほど計画が順調に進んでヒマなんだな」
 さらに挑発を重つつベスパは霊圧を限界まで高め魔装術を発動する態勢に入る。ただし先制攻撃には踏み切れない。先に手を出させその隙を突く”手”かもしれないという懸念もあるが、何よりこういう挙に出た意図が気になる。

「様子見は賢明な判断だ。いきなりの戦いとなってお前が死ねば、せっかくここに来たことがまったく無駄になるから」

‥‥ ベスパは自分の勝利を既定の事とするフィフスにかっとする。
 が、戦士としての冷静な部分では相手の主張が正しい事−ある意味精神的な奇襲を受けた今の状況下では例え先制攻撃に出ても勝ち目が限りなく低い事を認めている。

「さて」フィフスはベスパの沈黙に言葉を続ける。
「出向いてきたのは、偶然とはいえ、あなたと私が近い場所に居合わせた事に”縁”という言葉が浮かんだから。であれば、それを生かして事の前に顔を合わすのも一興かなって思ったのだ」

「『縁』とか『それを生かして』とか、造物主の言いなりにしか動けない使い魔風情にしてはえらく感傷的だな!」

「『感傷的』‥‥ それは言える」
 なお感情を表さないフィフスだが口元に苦笑めいたものが滲んでいる。
「同じ使い魔上がりとはいえ、主を裏切るという独自の感傷を持ったお前にはそう嘲る資格はあると思う」

‥‥ 主を絡めた反論にベスパは唇を噛む。
「それでこうして顔を合わせた次は何んだい? 戦いを前にしてエールの交換でもしようっていうんじゃないだろう」

「あなたと私の間柄で言葉尻一つ一つに尖る必要はないわ。でしょう、サード‥‥ いや、あなたのことはちゃんとベスパと呼ぶべきだったわね」

 『あなたと私の間柄』という部分にも引っかかるベスパだが、それ以上に唐突に出た『サード』の単語に嫌なモノを覚える。
「突っ込んでもらいたいようだから突っ込むけど、その『サード』っていうのは何だい?」

「サードはサード(三番目)。で、私は五番目だからフィフス。判った、ねえさん」
 フィフスはここまではわざと取っておいたという感じで呼びかけた。

‥‥ 『ねえさん』の言葉に絶句するベスパ。
 主の残党ということや似た姿から同じプロセスから生まれた使い魔と思っていたが『ねえさん』と呼ばれる間柄とは思わなかった。

「そう、あなたと私は”姉妹”。もちろん人が使う意味での姉妹じゃなく同一の霊基構造体を分割・アレンジし生まれた者同士って意味だけど」
 フィフスの言葉に嘲笑めいた響きが籠もる。
「ねえさんたちは原型は三つに分割されたと思っているんでしょうが、実際は分割された数は五つ。”セカンド”と”フォース”のパーソナルコードを言う必要はないわね。あと、私を調整した者が言うには、”ファースト”のパーソナルコードはメフィストだそうよ」

「メフィスト?! それって美神の前世じゃないか!」
 驚くことでペースに乗せられまいと思っていたベスパだが声が出てしまう。

「そう彼女−メフィストも”姉妹”の一人。もっとも、”ファースト”の造反で”セカンド”以降には大幅に手を加えられたから、”ファースト”と”セカンド”以降は原型が同じってだけの意味しかないらしいけど」
 そう言ったところでフィフスはいったん視線を宙に漂わせ、
「『同じだけ』と言う意味では私もそう。ねえさんたちと違って、主に必要とされずに別な者の手で創造された存在だから」

「造られなかった事を恨んでいるのか?」
 ベスパは自分たちと並べなかった”いもうと”を見つめる。

「なぜ? アシュタロス様がそう決めた以上、使い魔にとってはそれが全てでしょう」
 心底不思議といった感じで問い返す。
「ただ、感情という事なら嫉妬はあるかしら。”ファート”から”フォース”まで、パーソナルコードを主から与えられたしパーソナリティもある。それに対して私の場合は名乗っているのはただの識別コードでパーソナリティだってそのあたりのデーターから適当にシャッフルしてでっち上げたもの。いったいどこに本当の”私”があるのやら‥‥」
 余計なことまで言ったと表出してきた感情を消すと何事もなかったかのように、
「そうした間柄なんだから、もう少し友好的でも良い思うんだけど、どうかしら? ねえさん」

「姉妹だから仲良くしなければならないって理屈もないだろう」
 ヒヤリとした口調で応えるベスパ。
 姉妹といえど立つ場所が違えば敵同士にもなれることは身をもって理解している。


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