椎名作品二次創作小説投稿広場


ニューシネマパラダイス

ビューティフル・ドリーマー


投稿者名:UG
投稿日時:08/ 3/23

※作中の政樹と冥子の関係は、過去の投稿作【ツンデレラ】の【白雪姫】とリンクしています。
 また、今作のボリュームは、現在のところ1話完結の話では最長の156kbとなっています。
 構成上の都合から章立てを行いませんが、最後まで読んでいただければ幸いです。


















 帰りたくないの? と少女は言った。

 どうしてそんなこと聞くの? 

 家に帰るのが辛そうだったから・・・

 私が? そんなこと無いわよ

 嘘・・・私にはわかる。変わっていくのが悲しいんでしょう? 失ってしまうのが怖いんでしょう? 

 何を言ってるの? あなたこそお家に帰りなさい、もう日が暮れるわよ・・・

 ずっとこのままでいたい? ずっと今のままで変わらないまま・・・

 あなた、あなた誰なの?

 私? 私は―――――――








 ――――――― ビューティフル・ドリーマー ―――――――





 六道女学院進路指導室。
 中央棟2階に位置する昇降口前ロータリーを望む一室。
 9月に行われる文化祭期間中は警備本部として使用される部屋に近づき、女はようやくホッとした表情を浮かべた。
 彼女の腕には警備と書かれた腕章が巻かれている。しかし、彼女を安堵させたのは巡回警備という大役からの解放ではない。
 巡回を開始した直後から解放されたいと願っていたのは、道々で感じられた隣を歩く女に向けられる崇拝にも似た後輩からの視線。
 自分を完全に素通りするその視線は、彼女のプライドをグラグラと揺さぶっていた。

 「さあ、何事もなく巡回は終了ね。峰さん、ご苦労様」

 そんな彼女の気も知らず、隣を歩く女―――弓かおりは、左腕に巻いた腕章の安全ピンを外しながら労いの言葉を口にする。
 左手にしっかりと巻かれた包帯に引っかけないよう、弓はゆっくりと腕章を引き抜き小脇に挟む。
 峰と呼ばれた女は、自分に差し出された弓の右手に意外そうな表情を浮かべてからすぐに視線を反らせた。

 「いや、いい、自分で渡す」

 差し出された右手は、次の巡回当番に渡す腕章を自分が引き受けるという意味らしい。
 いま通り過ぎようとしている中央階段を上がれば峰の教室はすぐそこ。弓の行動は彼女に遠回りさせない為の気遣いのようだった。
 一年前の彼女からは考えられない行動に、峰は慌てたように左腕の腕章を守るように手を当てる。

 「責任感が強いのね。流石、昨年度対抗戦、優勝チームのリーダー」

 クスリと笑った笑顔には皮肉の欠片も見あたらない。
 プライドに凝り固まっていた頃には想像も出来ないほど柔らかい笑顔。
 色気すら感じるそれを間近で見つめてしまい、峰は赤らんだ顔を背ける。
 警備本部前で待っていた次の当番が、ニヤつきながら自分を見ているのに気付き、峰は胸の中で舌打ちをした。



 ―――チッ、ジミーの奴、だから一緒に巡回するのを避けたって訳ね。



 前髪で隠された彼女の目は、厄介ごとを押しつけた喜びに輝いていることだろう。
 ジミーの愛称で呼ばれる彼女は、代表戦のメンバーに選ばれながらもコレと言って突出した特技はない。
 普通に破魔札で牽制し、普通に神通棍で攻撃、そして普通に勝利を収める。
 十分派手なはずの模擬戦闘においてさえ、彼女は淡々と地味な勝利を重ねていく。
 話題性の無い実力者である彼女には、いつしかジミーという愛称が定着していた。
 峰はそんな彼女が弓との巡回を避けた気持ちを、今なら手に取るように理解できる。
 順番を代わってやったジミーに、峰は抗議の視線を向けた。

 「ご苦労さま。お二人さん! なんか変わったことは?」

 抗議の視線をあっさりと受け流し、ジミーは巡回の印である腕章を受け取ろうと弓に右手を差し出す。
 弓は引き継ぎを終わらすべく、小脇に挟んでいた腕章を彼女に手渡した。

 「特に異常はナシ! それじゃ、ジミーさん、後はよろしく」

 「え!? あ、ああ、了解・・・」

 あだ名で呼ばれたのが意外だったのか、ジミーは妙な様子で弓の挨拶に答える。
 そんな彼女の反応を特に気を止める様子もなく、弓はそのまま峰に軽く手を振り別れの挨拶を口にした。

 「それじゃあ、峰さんもお疲れさま。私、自分のクラスに戻るから」

 「あ、お疲れさま。クラス、喫茶店だっけ?」

 「ええ、是非来てね。氷室さんの手作りクッキーが食べられるから」

 対抗戦の決勝を連想させる台詞に峰は口元を緩めた。
 あの時の3人で顔を出すという彼女の返事に、笑顔を浮かべた弓は教室に向かうべく南側階段に歩いていく。
 その後ろ姿を見送ったジミーは、弓の姿が階段に消えるのを待ってから労うように峰の肩をポンと叩いた。

 「色んな意味でお疲れさま・・・」

 「全くよ! アンタ、こうなることが分かってて私と順番替わったんでしょう?」

 峰はジト目でジミーを睨む。
 彼女と順番を替わった御陰で、峰は味わわなくても良い居心地の悪さを体験していた。
 美人という人種は歩くだけで人目を引く。それが成績優秀で家柄も良く、霊能力も学園トップクラスというのだから注目されるのも当然と言えよう。
 本人は物心ついたときからの日常風景なのだからさほど気にはしないものの、迷惑なのは隣を歩く人間である。
 自分には向けられない後輩からの黄色い声は、別段ソッチ方面の趣味はない峰にも嫉妬の感情を呼び起こしていた。

 「んー、何か嫌な予感がしてね。地味なワタシと違って、峰ならあの子の隣に並んでも遜色ないから・・・」

 「そう思ってくれるのは去年の対抗戦を覚えてる子だけよ! 今年入った1年から見たら、私なんかタダの障害物みたいなものだったんだから」

 「ありゃ、アンタでも駄目だった? しかし、それを考えると、一文字や氷室さんは、よくあの子とツルんでいられるわよね・・・・・・」

 「氷室さんは美神令子と一緒に暮らしてるんだもの、その辺の感覚は麻痺しちゃってるんでしょ! ソレと一文字さんはああいう人だから」

 「はは、そりゃそうだ! しっかし、男が出来るとこうも変わるもんかね。さっきあだ名で呼びかけてきたときの顔! あんな顔で笑う子じゃなかったのに」

 「男!? あの子、男・・・フガッ!!」

 大声を張り上げそうになった峰の口を、慌てたようにジミーが塞ぐ。
 彼女はすばやく周囲に視線を走らせると、警備本部周辺に集まった1年生に聞かれないよう峰の耳元でそっと囁いた。

 「声が大きい! なんでも、氷室さんの紹介で知り合ったチョイ悪男って噂よ。学年でも一部しか知らないけど・・・」

 「プハッ! 別に良いじゃない! 悪いことしてる訳じゃないんだし・・・」

 峰はジミーの手を振り払うと、理解不能な彼女の行動に怪訝な顔をする。
 巡回を回避したり、弓のことを妙に知っていたりと、彼女はジミーの行動の端々に違和感を感じていた。

 「別にいいんだけどね。でも、1年に知られて売値に影響すると勿体ないし・・・」

 「売値?」

 「そう、売値・・・・・・コレをこうするの!」

 ジミーは何処か美神を彷彿とさせる仕草で、弓から受け取った腕章を高々とあげると、警備本部周辺に集まった1年生にこう宣言する。

 「弓おねえさまがつけた腕章欲しい人ッ! 文化祭の金券3枚からッ!!」

 次々に上がる後輩たちの手、そしてつり上がっていく値段。
 人柄が丸くなった弓の人気に、峰は笑うしかなかった。

 「あはははは・・・・・・やってらんないわよ全く」

 彼女は呆れたように呟くと、自分の腕章を返却しに警備本部へと入っていく。
 オークションハウスと化したジミーに自分の腕章を渡す気にはなれなかった。
 警備本部に置かれた回収用の紙箱に腕章を放り込むと、峰は踵を返し部屋を出ようとする。
 彼女はドア前の掲示板に貼られたポスターに気づきその歩みを止めた。

 「ん? あ、そう言えば来年から年2回になるんだっけ」

 先程は気がつかなかったが、彼女の目の前には地味なデザインのポスターが貼られていた。
 それなりに霊力を持つ者でないと認識できない加工が施されたそのポスターを見つめるうちに、峰の瞳にだんだんと熱い炎が灯ってくる。


 ―――○○年度【春期】GS試験、募集要項配布開始


 峰が見つめたポスターは、小さい頃より彼女が目指していたGS試験の募集だった。












 「あら、本当に機材が届いたのね」

 クラスに戻った弓は、魔理の指示通りに機材が教室に運び込まれていることに感心する。
 彼女が巡回を行っている1時間足らずの間に、教室には照明やオーディオ、電気ポットなどの機材が準備されていた。

 「だから言ったろ! 機材の確保は任せとけって!!」

 ニンマリ笑い力こぶを見せたことから、一番重い機材は魔理が運んだのだろう。
 魔理と力仕事。適材適所という言葉がこれほど似合う組み合わせもないが、魔理は自分のコネをフル活用して安価で機材をレンタルするなど、それ以外でもかなりの貢献を見せている。
 当初は不安を感じていた魔理の仕切りに安堵した弓は、それぞれ飾り付けに精を出すクラスメイトを避けながら彼女に歩み寄る。
 魔理はその力を生かし、店舗と調理用スペースを分けるための机を積み上げている所だった。
 計画通り、教室の1/3がコーヒーなどを煎れる調理用スペース、残りの2/3が客席となっていた。

 「喫茶店なんて客の回転率も悪いし、どうなるかと思ったけど何とかなりそうね・・・」 

 「カーッ! 嫌だねーっ! 金持ちのクセに赤字の心配なんかしちゃって、祭りなんだから細かいこと気にすんなって!!」

 客席の数を確認する弓を茶化すように、魔理が机をガシャンと重ねる。
 これを骨組みにペンキや模造紙で飾り付けたベニヤ板を固定すれば、教室は喫茶室と呼べなくもない雰囲気に変化していくだろう。
 客席ではそれぞれの生徒が己の特技を生かし、細かな点をどんどん作り上げている。
 並べた机にテーブルクロスをかける者。教室の壁や扉を飾り付ける者。窓から差し込む光を遮り間接照明を設置する者・・・・・・
 絵心のある者はチラシやメニューを書き、魔法薬の知識がある者は自作の香料入り蝋燭を各テーブルに置いていく。
 祭りには必ず自分に合った仕事が見つかるという魔理の持論は、クラスメイトの自主的な協力を見事なまでに引き出していた。
 
 「ヤケに金勘定を気にする様になったジャンか!? おキヌの所の美神さんみたいだぜ!」

 「あら、光栄ね。私がおねーさまと似ているなんて」

 机を固定しようと紐のようなものを探す魔理に、弓は軽口で答えながらハサミでカットしたスズランテープを手渡す。

 「お、サンキュー!」

 魔理は慣れた手つきでソレを受け取ると、次々と椅子の脚を固定していく。
 阿吽の呼吸で作業を続けながら、魔理はしみじみとした様子で弓に話しかけた。 
 
 「でも、マジでお前変わったよな」

 「変わった?」

 「ああ、何て言うか丸くなった・・・・・・太ったって意味じゃないぞ!」

 「分かっているわよ! そんなコト!!」

 相変わらずデリカシーの無い口調に弓は呆れたような声を出す。
 しかし彼女の魔理を見る視線は不思議と柔らかだった。 

 「そうね・・・でも、ソレはあなたもよ」

 「ワタシ? 太ったって意味じゃないだろうなー」

 「バカ! 成長したってことよ! あなただけじゃない。みんな成長して大人になっていく、そうじゃなきゃ空しすぎるわ・・・」

 自分に言い聞かせているような弓の言葉に、魔理は遠慮気味に弓の左手へと視線を向ける。
 そこには指先までしっかりと覆い隠すように包帯が巻かれていた。

 「なぁ・・・、やっぱり・・・・・・」

 魔理は遠慮気味に口を開くと、登校日のことを口にしようとする。
 あの日、急に早退した弓とは暫く連絡が取れない日々が続いていた。
 タイガー経由で雪之丞に聞こうとしても要領を得ない。
 ようやく会えたのは、夏休みも残り僅かという時に、弓から持ちかけられた宿題を片付けるための勉強会だった。
 その時、弓から左手に負った怪我のため療養に出ていたという説明がされたが、それ以上の質問は口にするのを憚られていた。
 人には見せられない傷だと、あっけらかんと口にした吹っ切れた様子の弓と、それとは対照的にどこか沈んだ様子のおキヌ。
 新学期が始まってから、魔理が二人に甘えることなくクラス企画を仕切りだしたのは彼女なりの気づかいだった。

 「私ね、最近経営の勉強しているのよ。ウチを継いだ時、困らないようにって!」

 「え! 経営!? それにウチをって・・・・・・おりゃ、てっきりお前は進学するもんだと」

 「美神おねーさまみたいになりたいのよ、強くて、綺麗で・・・・・・」

 「稼ぎもいいと?」

 「そう、格式ばかりに拘る親戚連中を黙らすには、それが一番手っ取り早いから」 

 弓にしては珍しい不敵な笑いに、魔理は高校時代の美神令子もこんな事を言っていたのではと想像する。
 彼女の浮かべた笑いには、自身の行く手に立ちふさがる困難を、自分の力で切り開こうとする覚悟が窺えた。
 その笑顔につられるように、魔理も不敵な笑みを浮かべ白い歯を覗かせる。
 あの日何があったのかは、そのうち話すべき時がきたら話してくれるだろう。
 魔理は弓が自分の夢らしきことを語ってくれたことに満足すると、クラス企画を盛り上げるために用意した奥の手を彼女に明かすことにした。

 「よっしゃ! お前が派手に儲けるGSをめざしているなら話は早い! その箱を開けてみな!!」

 「何よいきなり・・・」

 弓は怪訝な表情を浮かべつつ、ニンマリ笑った魔理が指し示したダンボール箱に歩みよる。
 機材と一緒に運搬されたダンボール箱が、いくつか教室の隅に積み上げられていた。

 「あ、そっちじゃない、ソッチはクラスTシャツ。見ろっていったのはその奥・・・」

 教室の端に向かった弓に、大きな声で指示をだした魔理。
 その指示に含まれたクラスTシャツという言葉に、作業中のクラスメイトが手を休め周囲に集まってきた。

 「え! クラT! 見せて、見せて!!」 

 「ダメだって、まだお披露目するタイミングじゃ・・・・・・」

 「いいじゃない。みんな楽しみにしてるんだし、デザイン担当とすれば当然気になるでしょう? で、私に見せたいのはコレね」

 積まれた段ボールの一つをTシャツをデザインした女生徒に任せると、弓はその奥に置かれたダンボール箱に手を伸ばす。
 志気を高めるため、みんなが揃ってからお披露目する筈だったクラスTシャツに、きゃあきゃあ騒ぎながら群がってくるクラスメイト。
 意図しないタイミングでの公開に、若干困ったように頬をポリポリ掻いた魔理だったが、やってしまったものは仕方がない。
 別な考え方をすれば、これから弓がするであろう反応の逃げ場を無くすために、ギャラリーは多い方が良いはずだった。
 魔理は人混みの向こうで弓が上げる素っ頓狂な声を期待し、こみ上げそうになる笑いを噛みしめる。
 弓が開こうとしているダンボールには、魔理が密かに用意した赤字防止のための秘策が入っていた。

 「な、何ですの!? コレは!!」

 予想通りの素っ頓狂な声に、Tシャツに群がるクラスの仲間たちが振り返った。
 弓が手に持っているのは宝塚の男役が着そうな真っ赤なタキシード。
 しかもその胸にはご丁寧に”弓専用”とでかでかと書かれた紙が貼ってあった。

 「赤字回避の秘策、弓専用ユニフォーム。それで接客すれば通常の3倍客が来るぜ、おねーさまってな!」

 魔理の発言に周囲がどっとウケた。
 弓自身の口元にも苦笑が浮かんでいる。最近、弓は1年生からモテることを、クラス内でネタにされることが多くなっていた。
 そしてソレを可能にするだけの柔らかさを、弓は魔理やおキヌと過ごした日々の中で身につけている。
 他所のクラスには未だに昔のイメージを引きずる者もいたが、クラスメイトや先入観のない1年生にとって彼女はある意味非の打ち所のない存在となっていた。

 「クラスの赤字防止に着てくれるよな?」

 期待に満ちた視線が弓に集中する。
 断りにくい雰囲気に、渋々了承する弓の姿を想像していた魔理だったが、弓の答えは彼女の想像を遙かに超えたものだった。

 「いいわよ」

 「へ?」

 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔とはまさにこんな顔だろう。
 あっさりと承諾した弓の姿に、クラスの面々も意外そうな表情を浮かべている。
 そんな周囲の反応に人の悪そうな笑顔を浮かべた弓は、タキシードを箱に戻し、替わりに何かを引き出そうとした。

 「ただし、あなたも付き合ってこの衣装を着るのならばね・・・」

 「な、なんでソレがッ!!」

 激しく動揺した魔理の姿に、周囲の者たちが笑いをかみ殺す。
 弓が手にしていたのはフリルがたくさんついたメイド風の衣装。その胸には”魔理専用”との貼り紙があった。

 「あの野郎ッ、もう一度ぶっ殺す!」

 心の底から慌てているということは、魔理本人も自分用の衣装が用意されていたことを知らなかったのだろう。
 教室を飛び出そうとした魔理は、クッキーを乗せたトレイを手に教室に入ってきたクラスメイトと危うくぶつかりそうになる。

 「キャッ!」

 「うおっと、危ねえ!」

 正面衝突は避けたものの、手にしたトレイを落としそうになったクラスメイト。
 魔理は慌てて彼女が手にしていたトレイを支えると、勢い余って皿からこぼれたクッキーを持ち前の運動神経でキャッチした。

 「すまねえな。試作完成ってやつか?」

 魔理は心底すまなそうにぶつかりそうになった女子に話しかける。
 お菓子作りが趣味な生徒たちは、現在調理室でおキヌを中心に売り物のクッキーを試作中だった。
 多分、最初に焼き上がったものをメンバーの一人が運んできたのだろう。
 手の中のクッキーは、まだほんのりと温かさを残していた。

 「え、ええ、氷室さんがみんなに味見して欲しいって・・・」

 「あら、美味しそう。じゃあ、早速いただくわね」

 いつの間にか魔理に追い着いていた弓が、クラスのみんなに先んじトレイにもられたクッキーに手を伸ばす。
 大ぶりな餃子のような形をしたクッキーからは、僅かに小さな紙が覗いていた。
 ぱりんと割ったクッキーから小さな紙を取り出すと、弓はパクリとクッキーの欠片を口にする。

 「ん、美味しい。流石は氷室さんね・・・・・・さて私の運勢は」

 弓は小さな紙を開き、そこに書かれていた文章を読み上げる。
 文化祭で売り出そうとしているのはフォーチュンクッキー。
 クラスみんなで作った手作りのおみくじ入りのクッキーだった。


 ―――☆おみくじ  友人の苦悩を理解してあげれば自ずと道は開けます。しかし、甘やかしは禁物。ラッキーフードはクレープ。


 「ですって。一文字さん、あなたの気持ちは十分理解したわ・・・でも、甘やかさない方がいいみたい」

 メイド姿の魔理を想像し、弓だけでなく周囲の者たちからもかみ殺した笑いが伝わってくる。
 クッキーを運んできた生徒だけが、何のことか分からずポカンとした表情を浮かべていた。

 「いや、あたしの運勢はそうは言わないかも知れないぜ!」

 魔理も弓にならい手の中のクッキーをぱりんと割ると、挟まれていたおみくじをみんなの前で読みはじめる。


 ―――☆おみくじ  天網恢々疎にして漏らさず。悪事は必ず露見しますが、それが新しい世界を開く切っ掛けになります。ラッキーファッションは・・・・・・


 天の網は広大で目が粗いようだが、悪人は決して漏らさずに捕らえるという、国語の授業で習ったばかりの老子の言葉。
 それを使用した文面を読むうちに魔理の指先がプルプルと小刻みに震えだす。
 弓は魔理の手元を覗き込むと、彼女が言いよどんだ続きを口にした。

 「決まりね。ラッキーファッションは女装だそうよ」

 「ちょっと待て、コレ書いたヤツ手を挙げろッ! 女子校で女装とはどういう意味だっ!!」

 クラスの誰かが書いたであろうおみくじの内容に魔理は激しくツッコミを入れる。
 しかし、彼女の声は腹を抱えて笑う周囲の耳には入っていなかった。

 「・・・チッ、分かったよ! 着ればいいんだろ!!」

 魔理は自棄気味に呟くと、手にしたクッキーを口に放り込む。
 焼きたての香ばしさと丁度良い甘さが口の中いっぱいに広がった。

 「うん。うまい! 外出許可になる正午までまだ暫くあるし、追加の買い出し部隊が出発する前に、みんなでお茶でもするか・・・」

 こう言ってから、魔理はひーふーみーとトレイの上に乗ったクッキーを数え始める。
 自分と弓は食べたものの、クラス全員分には少し足りない。
 それにお茶用のお湯はまだ沸かせていなかった。

 「んじゃ、あたしと弓で調理室からお湯とクッキーの補充を持って来るから、みんなは切りの良いところまで作業やっといてくれよな!」

 ようやく笑い止んだみんなの返事を背に受け、魔理は両手にポットを抱え教室を後にする。
 弓はすばやくトレイの上から紙皿にクッキーを移すと、空いたトレイを手に調理室を目指していった。
 








 魔理たちが目指す調理室は、中庭に面した北棟の1階にあった。
 階段を下りる途中に感じた甘い匂いは、1階に到着するとその濃度を益々高めている。
 その匂いは階段を下りきったすぐ側の教室から漂っていた。

 「お、やってる。やってる・・・」

 引き戸の前に辿り着いた魔理がガラス部分からそっと中を覗き込むと、おキヌと数名の生徒たちが忙しなくその手を動かしていた。
 調理実習の班の数だけ用意されているオーブンレンジがフル稼働し、次々と焼き上がるクッキーがおキヌたちの所へと運ばれている。
 彼女たちは焼き上げたクッキーがまだ柔らかいうち、餃子を包むような要領ですばやくおみくじを挟んでいった。

 「えーっと、こう言うの何ていったっけ? マックスファクター?」

 次々と完成するフォーチュンクッキーに、魔理は社会科の授業を思い出していた。
 かなりの速度で生産しているらしく、おキヌたちの側らには既に試食には十分な数のクッキーが完成している。
 スピード重視な作業を可能にしているのは、それぞれに細分化された役割分担だった。
 
 「それを言うならマニュファクチャーよ・・・」

 コンビニか深夜営業のディスカウントストアでしか化粧品を買わない魔理に呆れたような声を出すと、弓は両手が塞がっている彼女に代わり、調理室の引き戸をがらりとあけた。
 
 「あ、弓さん、一文字さん!」

 二人を出迎えたのは甘い菓子の匂いとオーブンの熱気、それと晴れやかなおキヌの微笑みだった。
 最近沈みがちだった親友の笑顔に、出迎えられた二人も同様の笑みで応える。

 「食べてくれました?」

 「美味しかったわよ。流石は氷室さんて、ねえ?」

 「ああ、マジで美味かったぜ! で、みんなで味見がてらお茶にしようと思ってな・・・・・・」

 両手に抱えていた電気ポットを調理台の上にどすんと置くと、魔理は備え付けの水道で素早く手を洗う。    
 
 「みんな待ってるから、切れのいいところで教室に戻って休憩な! あたしも手伝うからよ」

 「あっ!!」

 無造作に天板の上に並んだクッキーに手を伸ばす魔理。
 クッキーにおみくじを挟むのを手伝おうとした彼女に、おキヌを含む数名の作業担当が静止するような声をだした。

 「なんだよ! ちゃんと手を洗っ・・・・・・・・・ど熱っちぃ!!!」  
 
 焼きたてのクッキーをむんずと掴んでしまった魔理は、驚きの声をあげながらあたふたと持て余すように宙にクッキーを泳がせる。
 そんな彼女の姿を見て、おキヌは笑いながら両手を魔理に見せつけた。

 「素手じゃ無理ですよ! ホラ、こんな風に手袋しないと」

 おキヌは魔理に説明するように天板のクッキーに手を伸ばすと、ギュッとおみくじを挟む込む。
 折らないように慎重に、冷えて固まらないうちに手早く、おキヌの手は手際良くその作業を終わらせていった。
  
 「それならそうと早く言ってくれよな・・・・・・」

 「そんなこと言ったって・・・」

 困ったような顔で笑うキヌだったが、その手は忙しなくクッキーにおみくじを挟み込んでいく。
 本当に焼きたてでないとおみくじは上手く挟めないらしかった。
 魔理は持ち前の根性で何とかおみくじを挟み込むと、すぐに自分の耳たぶへと指先を持っていく。
 遠慮がちにテーブルへ置いたフォーチュンクッキーは、実に個性的な形状に仕上がっていた。 
  
 「言う前に掴んじゃったんでしょ、アナタが」

 バツが悪そうな魔理の姿にクスリと笑った弓は、最大温度に調節した湯沸かし器のお湯をポットに注ぎ込んでいく。
 この方が水から沸かすより数段早く熱湯が確保できる。

 「はい、次のヤツ。じゃあ、もう新しくは焼かないわよ」

 一つの天板が空になるタイミングを計ったように、焼く係の女生徒が焼きたてのクッキーをおキヌたちの前に運んでくる。
 流石の魔理も二つ目のクッキーに手を伸ばす気にはならなかった。

 「どうせ、あたしは考えなしですよ・・・・・・」

 気恥ずかしさに顔を赤らめた魔理は、お湯を入れ終えたポットを弓から奪い取るように受け取ると、電源コードをコンセントに差し込みスイッチを入れた。
 そんな彼女の顔を覗き込み、弓はますますその微笑みを深める。
  
 「そうでもないわよ・・・・・・気にしてくれてるんでしょう? 私の左手のこととか・・・・・・感謝してるわよ」
  
 「ば、ばっか、そんなんじゃねーよ!」

 極力弓に力仕事をさせないという魔理の気遣いは、彼女に伝わっているようだった。
 間近で聞かされた感謝の言葉に、魔理は真っ赤になった顔を誤魔化そうと手の平でパタパタと扇ぐ。

 「あー、もう、暑っちーなこの部屋! クーラーついてんのか!?」

 季節は9月末。秋もだいぶ深まったとはいえ、電気オーブンを全て使用している調理室にはかなり熱がこもっていた。 
 赤らんだ顔の言い訳のような台詞を口にした魔理は、壁際にあるエアコンの操作パネルに指先を伸ばす。

   

 ブツンッ!!

 

 突如起こった停電に静まりかえる調理室。
 オーブンを覗き込んでいた生徒が、信じられないという表情で魔理を振り返る。
 いや、その生徒だけではない。作業中の生徒が向ける同様の視線を、魔理は口元を引きつらせながら受け止めていた。

 「前言撤回・・・・・・アナタ、やっぱり考えなしだわ」

 文化祭の準備で他の場所も相当に電力を消費している筈だった。
 大量の電力使用時のエアコン使用に、この辺りのブレーカーが落ちてしまったらしい。
 加熱中のクッキーは多分使い物にならないだろう。
 調理担当者チームの溜息が調理室に木霊し、気まずい雰囲気が広がっていく。

 「なんや、急に電気が消えたと思ったらお前らが原因か・・・・・・」

 気まずい空気を破ったのは隣接する準備室から現れた男の声だった。
 その男―――鬼道政樹は、準備室へとつながるドアから顔を覗かせると、調理室にいた面々をジロリと見回す。
 彼の顔に色濃く張り付いた疲労の影に、魔理は思わず背筋を伸ばしてしまった。

 「す、すみません・・・。あたしがクーラをつけたから」

 疲れ切った政樹の顔を見た魔理はいたく恐縮する。
 この男をこれ以上疲れさせてはならない。
 そう思わせるような雰囲気を政樹は漂わせていた。

 「ん? ああ、怒ってるように見えたか。スマンな・・・一文字が悪いと言うつもりはないんや」

 政樹は蛍光灯のスイッチをカチャカチャ動かしてから、諦めたように調理室内に入ってくる。
 用務員が配電盤を復旧してくれない限り、このブロックへの電力供給は見込めないだろう。
 
 「文化祭中は色んな団体が思いっきり電気使うからな・・・・・・一応、使用機材を申請させているけど、申請した場所で使わん困った連中がいたんやろ。怒るならそいつらから怒るのがスジっちゅうもんや」

 「まあ、そんな困ったヒトがいるなんて・・・・・・」

 わざとらしい台詞を吐きながら、弓は政樹の視線を遮るように電気ポットと彼の間に立ちはだかる。
 本来、その電気ポットは教室で使用するものだった。
 彼女の意を察したのか、おキヌと共にクッキーを作っていた女生徒たちも、弓に寄り添うようにして愛想笑いを浮かべる。 

 「仕方ないわね。後片付けは私たちに任せて、挟み終わった分だけを教室に持っていってくださらない?」

 「了解! それじゃ、弓さん、一文字さん、氷室さん、あとは任せたわね」

 その場に残る3人に笑顔で応えながら、おキヌと共に作業していたクラスメイトは一糸乱れぬチームワークを発揮した。
 ゴソゴソと黒板周辺に積まれた荷物をあさる政樹の目から隠すように、彼女たちは電気ポットを後ろ手に隠しながら退室しようとする。

 「あ、ちょっと待った!」

 「ひやい!」 

 不意に視線を上げた政樹に呼び止められ、クッキーの乗ったトレイを手に、撤退のしんがりを勤めていた女生徒がビクリと跳び上がる。

 「教室に帰る前に、ちょっと聞きたい事があるんだが?」

 「あ、政樹先生! 停電させたお詫びの印に、焼きたてのクッキー食べてみませんか?」

 「なんや一文字、やぶからぼうに・・・」

 魔理が政樹に差し出した皿には、いま正におキヌが折り曲げ、おみくじを挟んだばかりのクッキーが乗っていた。
 その中で異彩を放っている先程魔理が包んだクッキー。
 政樹は目の前に差し出されたクッキーに怪訝な・・・いや、怯えていると言っても良い表情を浮かべる。
 撤収中のクラスメイトに対する政樹の注意をそらす作戦は、一応成果を上げているらしかった。

 「いや、先生疲れてるみたいだし、甘いモンなんかどうかなって・・・・・・」

 「すまん。最近、甘い物が苦手になったみたいでな・・・・・・なんか、見るだけでシクシクと胃が痛むんや。そんなことより」

 「絶望したッ! 汚名挽回させてくれない先生に絶望したッ! 食べてくれてもいいじゃないですかッ!!」

 ここで足止めすれば、ポットを持った女生徒は無事に退室出来る。
 そんな思いからしつこく食い下がる魔理に、政樹は深いため息をついた。

 「一文字・・・・・・」

 彼と同じタイミングで弓も似たような溜息をついていた。
 政樹は弓にチラリと視線を向ける。
 2年に進級してからも何かと学習面の面倒を見ている弓は、その視線に力なく首を振っていた。

 「汚名は挽回するもんじゃなく、返上するものやからな・・・・・・あんま俺や弓を絶望させるな」

 生暖かい笑顔を魔理に向けてから、政樹は彼女の持った皿から一際目立つクッキーをひょいとつまみ上げる。
 奇しくもソレは、魔理がおみくじを挟み込んだクッキーだった。

 「お、形は微妙やが美味いやないか! 一文字、これなら十分名誉挽回できるで!!」

 「ははは・・・・・・クッキー自体は氷室さんたちが作ってますから」

 見事に汚名を挽回してしまった魔理は、政樹のフォローにぎこちない笑いを浮かべると名誉をおキヌに返上する。
 本気で絶望してそうな彼女に、おキヌは慌てたようにフォローを入れていた。  

 「で、でも、おみくじを挟むっていうのは、一文字さんのアイデアなんです。おかげでみんな楽しんで協力してくれるんですよ!」

 「おみくじ? ああ、これか、どれどれ・・・・・・」


 ―――☆おみくじ  女難の相がでています。理不尽な目に合うでしょうが、いつものことなので慣れましょう。ラッキーフードは天丼


 なにか身につまされる事でもあるのか、読み上げたおみくじの内容に政樹は激しく落ち込んでしまっていた。
 おみくじが作り出した好機に、政樹に呼び止められていた生徒たちがそそくさと調理室を後にする。
 今度は呼び止められることもなく、一同は無事に教室へと向かっていった。

 「女難とは穏やかでないですね。この間、冥子さんと婚約したばかりなのに」 
 
 「いや、それがな・・・・・・って、なんでそないなコトお前らに話さなならんねん! それよりも捜し物や!!」

 弓に振られた話題にうっかり乗りそうになった自分。
 話を逸らそうと呼び止めていた生徒に視線を向けた政樹は、既に撤退完了していた彼女たちに苦虫を噛み潰したような顔をする。
 その手の話が大好きらしい魔理は、瞬時に凹みモードから抜け出すと、ニンマリ笑い政樹に詰め寄った。

 「人のモンになった途端に欲しがる困ったヤツもいますからねー。前とは別な濃さでモテる様になったって噂ですよ!」

 「え、ソレってもしかして・・・」

 「そう、奪ってやる! とか、メチャクチャにして! みたいな女性週刊誌チックな・・・」

 「あー、それは流石の冥子さんも気が気じゃないですね」

 魔理の言葉に顔を赤らめつつも、おキヌも興味津々にキャーキャー騒ぎ出す。
 本来たしなめ役の弓もしっかり会話に加わっていた。
 
 「コラ、お前ら教師をなんだと・・・・・・」

 「政樹先生! こんな所にいたんですねッ!!」

 自分をネタにキャーキャー騒ぐ3人に向けた注意は、廊下から聞こえてきた黄色い声にかき消される。
 急いで逃げようとした政樹だったが時既に遅し。
 自分のクラスの商品を試食させようとする困ったヤツの集団に、彼はあっという間に取り囲まれてしまっていた。

 「政樹先生! ウチのクラスのアイス、オレオと混ぜたんです! 味見してください!!」

 「アイスならウチのパフェにも入ってますよ!!」

 「冷たいものばかりじゃお腹壊します! ウチのお団子の方が・・・」

 「それならウチのホットケーキを・・・」

 「いや、それよりウチのチョコバナナを・・・」

 我先に品物を渡そうとする集団に蚊帳の外にされた三人は、呆気にとられた表情で目の前の光景を眺めていた。

 「す、すげーな、お前のファンよりえげつないって言うか・・・・・・」

 「シッ! 刺激しちゃダメ」

 余計な関わりを持ちたくないとばかりに魔理の軽口を止めた弓。
 彼女はこちらに火の粉が飛んでくる可能性に気付いていた。  
 
 「いや、スマンが甘い物は苦手で・・・・・・」

 「じゃあ、その手に持っているクッキーはなんですかッ!?」

 「ずるい! そのクラスだけ試食して!!」

 言葉に詰まった政樹は、よせばいいのに弓たち3人の方を見てしまった。
 それにつられるように向けられた、政樹ファンからの嫉妬と憎悪の入り交じった視線に3人は顔をひきつらせる。
 間の悪いことに魔理が手にしているのは渦中のクッキーが乗った皿だった。
 相手は冥子の婚約者に手を出そうとする命知らずばかり、六道では名が知られている弓たちにも容赦のない敵意が浴びせられていた。

 「分かったッ! 全部試食する! 一番自信があるのはどのクラスや!!」

 毒を食らわば皿までとばかりに、責任を感じた政樹が自棄気味に叫ぶ。
 瞬く間にもみくちゃにされた政樹のおかげで、弓たち3人に向けられた敵意は霧散していた。

 「不味いわね・・・逃げるわよ」
 
 霧散した敵意にも弓は緊張を崩していなかった。
 それどころか魔理やおキヌも極力目立たぬように調理室の出口へと向かう。
 彼女たちは気付いていたのだ。先程政樹が現れた、準備室へとつながるドアから顔を覗かせた冥子の存在に。
 いつもと変わらない茫洋とした冥子の表情。しかし、その額にはしっかりと青筋が浮かび上がっていた。

 「マーくんの・・・」

 「ち、違うんや! 冥子さん! コレには深いわけが・・・・・・」

 冥子の呟きに気付いた政樹は、その顔をみるみる青ざめさせる。 
 慌てて弁解を試みるが、当然冥子には聞く耳などない。

 「マーくんの・・・」

 窒息しそうになるほど上昇した霊圧に、弓たち3人は猛ダッシュをかけた。
 真っ先に出口に辿り着いた弓が荒々しく扉を開く。
 3人が廊下に飛び出すのと、冥子の暴走はほぼ同時だった。

 「マーくんの浮気者―――ッ!!」

 冥子の叫びと共に聞こえる悲鳴と破壊音。
 背後で起こっているだろう惨劇を振り返ろうとはせず、弓たち3人は完全に安全を確保できる距離まで走り続ける。
 3人がようやくその足を止めたのは、中央棟の階段付近まで辿り着いてからだった。

 「危なかったなー、弓が気付くのに遅れたらモロに巻き込まれてたぜ!」

 「でも、午後からの作業が・・・・・・」

 「大丈夫よ。冥子さんの暴走被害は最優先で復旧されるから。今頃、警備本部に連絡が行ってるんじゃない?」

 「そうそう、教室でゆっくりお茶して、買い出し部隊が追加の材料を買ってくる頃にはすっかり元通りだろうぜ!」

 クッキー作りが中断され心配そうなおキヌに、弓と魔理は安心するよう笑いかける。
 二人の笑顔につられたおキヌは、力こぶをつくるようにして二人に笑顔を返した。

 「じゃあ、午後からめいっぱい張り切っちゃいます! 必要な材料、どんどん追加しちゃっていいんですよね!!」

 「おお、好きなだけ注文してくれ! しかし、おキヌが元気になって安心したぜ! 最近、なんか、落ち込み気味だったからよ」

 「あはは・・・目一杯お菓子作ってたら、気分がスッとしました」
  
 「良し、思いっきり作ってどんどんハイになってくれ! 文化祭当日も楽しめるようにな!」

 「うーん。でも、私、お祭りって準備している時が好きなんですよね。ホラ、お祭りって終わると寂しいじゃないですか、だから、こんな風に思っちゃうんです、このまま今日がずっと続けばいいなぁーって・・・」

 「アタシは準備にかけるエネルギーも好きだけど、やっぱり祭り本番の方が好きかな・・・で、シメにやる後夜祭の打ち上げ花火! アレがパッと散ってハイ終了って言うのも潔くってイイと思うんだけど。弓、お前はどっち派?」

 「え、私? そうねえ・・・・・・」


 ―――私、花火好きじゃないんです


 魔理に振られた話題に答えようとした弓は、ボソリと呟いたおキヌの言葉を耳にする。

 「氷室さん、今、なんて・・・・・・」
 
 「ヤダ、私ったら、何でもないんですよぅ! さあ、みんな待ってるから、教室に戻らないと。ねっ!」

 「氷室さん、待っ・・・!」

 誤魔化すような笑みを浮かべ、階段を駆け上がったキヌに伸ばそうとした左手。
 その部分に巻いた包帯が緩んでいるのに気付いた弓は、慌てて左手の甲に右手をあてた。
 多分、調理室から逃げ出す時に引っかけたのだろう。
 不思議なことに包帯を外すと疼き出す傷は、今日は全くと言っていいほど静かだった。

 「お、弓、お前は行かないのか?」

 おキヌの後を追いかけようとした魔理は、反対側に歩き出した弓に声をかける。
 弓の歩き出した方向にあるのは事務室と理事長室、そして保健室だった。

 「ええ、ちょっと包帯が緩んだから京子先生に直して貰いに・・・」

 「痛むようなら、文化祭準備、無理しなくていいからな」

 「ありがとう・・・普通にしていれば痛みはないの。すぐ戻るから先に行ってて」

 心配そうに自分の後を付いてこようとする魔理に、弓は先に教室へ戻るよう促す。
 しかし、何かがあったはずの登校日に、弓を一人保健室に残したことを後悔している魔理は、その言葉を聞き入れようとしなかった。

 「遠慮すんなよ! 心配だから付き合うぜ!!」

 「あんまり人に見せたい傷じゃないの・・・・・・お願い」

 凛とした弓の表情。
 そこに含まれる柔らかな拒絶に、魔理はその場に立ちつくしてしまった。
 弓の気持ちを考えなかったことへの申し訳なさに、俯いた魔理は蚊の鳴くような声で謝罪の言葉を口にする。

 「ごめん、あたしって昔から馬鹿でがさつで・・・・・・」

 「そんなこと無いわよ。親友」

 しょげかえる自分にかけられた張りのある声に、弓は驚いたように視線をあげた。
 そこには不敵に笑う弓の笑顔。
 その笑顔はある種の覚悟を固めた者特有の強かさが含まれていた。

 「あなたや氷室さんがいてくれているだけで、私がどんなに救われているか知らないでしょう?」

 「私が・・・親友?」

 「そうよ。だから、どうしても助けが欲しい時には遠慮無く頼らせて貰うわ。でも、今は先ず、私の力でこの傷のことを乗り越えなきゃならないの・・・前に進むためにね」 

 「分かった、先に教室に行って待ってる! でも、約束だからな! 絶対に困ったときは頼ってくれよな!!」

 魔理は赤らんだ顔を隠すように階段へと走っていく。
 そして、階段を上る前にもう一度弓に顔を向けると、満面の笑顔でこう叫ぶのだった。

 「絶対に約束だからな! 親友!!」

 自分の方からは冗談めかし何度も口にした言葉。
 その言葉を弓から聞いた魔理は、嬉しさに階段を一気に駆け上がっていた。
 元気いっぱいな彼女を見送ってから、弓は一人保健室へ向かっていく。
 六道女学院で唯一、自分の左手のことを知る人物。
 養護教諭、工藤京子に会うために。






 六道女学院保健室
 保健室特有の匂いに包まれ、工藤京子は一人室内で書類整理をしていた。
 白衣の胸ポケットに何本もさしたボールペンや蛍光ペンを使い、文化祭の職員マニュアルに情報を書き込んでいく。
 机の上に並べられた書類は文化祭の企画書。衛生面に注意しなくてはならない食品販売の団体は、すべて京子からの衛生指導を受けていた。
 今、マニュアルに書き込んでいるのは、その団体がどの場所で何を行っているかという情報。
 その他にも火傷や切り傷を負いそうな企画をチェックし、京子は午後からその場所を巡回するつもりだった。

 「京子先生いますか?」

 「いるわよ。どうぞ・・・・・・」

 ノックと共に聞こえた弓の声に、京子はマニュアルを閉じると物書き用の机から立ち上がった。
 
 「どう、その後の調子は?」

 「ええ、だいぶ濃くなっては来ましたがまだ大丈夫です。今日なんて全然疼きませんし・・・その代わり包帯が緩んだのに気がつかなくって」

 「じゃあ、ついでに全部ほどいちゃいましょう。今、誰もいないからいいでしょう?」

 京子はドアに鍵をかけてから弓を長椅子に座らせ、左手の包帯をほどき始める。
 余程京子を信頼しているのか、弓は左手を触らせることに抵抗を感じていない様だった。
 裏面にびっしりと呪文を書き込まれた、呪力封じの包帯が彼女の手の中にするすると巻き取られていく。

 「あー、でも、だいぶ呪文が薄れている。巻き直すにしても新しいのに替えなきゃダメね」

 「え? でも、たしか替えたばかりですけど・・・」

 「そういえば変ねえ・・・」

 「・・・・・・ひょっとして影響が強まっているんでしょうか?」

 「うーん。文化祭の影響もあるから何とも言えないけど、ソレは無いんじゃないかな」

 包帯を全て巻き終わった京子は、弓の左手をまじまじと見つめる。
 そこには雪之丞を救う際に受けてしまった姑獲鳥の穢れが、蠢く真っ赤な痣として染み付いてしまっていた。
 そしてその痣は以前よりも範囲を広げ、指先から手首の手前までとその勢力を広げつつあった。

 「成る程。いつもより蠕動は少ないわね・・・・・・疼きは?」

 「今日は不思議なくらい・・・包帯が解けかかっても気がつかないくらいですから」

 「なら、大丈夫でしょう。お祭りって色々なモノが寄って来ちゃうからその影響かもね・・・・・・えーっと、新しい包帯はと」

 京子は呪力封じの包帯を取り出そうとキャビネットの扉を開く。
 そこにストックしてあった霊障用の包帯が、いつの間にか残りあと2つになっていたことに気付き京子は首を傾げた。

 「変ねえ・・・? 残り2つしかない。いつの間に使ったのかしら・・・」

 何処か奥にでも入り込んだのかと、ガサゴソ探す彼女の耳にノックの音が聞こえる。
 その音の弱々しさに、彼女は重傷者の来室を予感した。

 「はい! ちょっと待ってて・・・」  

 京子は弓を手招きすると、備え付けのベッドの方へ移動した。
 そのまま弓を隠すようにカーテンを引き、黙っているよう手振りで指示してから、京子はドアへと移動し来室者を迎え入れる。
 ドアの前にいたのは、立っているのがやっとというぐらいに消耗した政樹の姿。
 ぐったりと疲れ切った表情に、よれよれになった服装。全身に細かく付いた裂傷からは血がたらたらと流れていた。

 「またですか? 鬼道先生」

 「すんません。お世話になります」

 生徒ならば血相を変えるような事態。
 しかし、怪我の原因が手に取るように分かるだけに、京子が浮かべた表情には呆れの感情が色濃く含まれている。
 一際目立つ顔の裂傷は女の爪によるひっかき傷だと、京子は一目で見抜いていた。 

 「全く、全身の擦り傷に、食べ過ぎとストレスによる胃炎。ついでに女難の相も出ているわね」

 長椅子に座らせた政樹の傷口を脱脂綿で拭いながら、京子は近づけた手の平から政樹の体調を読み取っていく。
 ヒーリングも出来なくはないのだが、彼女は生徒以外にその能力を極力使わないようにしていた。

 「怪我させた人に治して貰う訳にはいかないの? もう仲直りしたんでしょ」

 何を言われたのかすぐには理解できず、政樹は笑いながら唇を指さす京子に怪訝な表情をうかべる。
 ハッと気付いたように慌ててティッシュで唇を拭うと、そこには血の色ではない紅色がうっすらと付着していた。

 「目だってました?」

 「全然、近くで見なければ分からないわ。校内でするのはどうかと思うけど、暴走を止めるには必要か・・・で、何でショウトラにヒーリングしてもらわないの?」

 「はは・・・、実は理事長にお説教中でして。それに今日来たのは、冥子はんには言えない相談事がありまして・・・・・・」

 「ナニ? マリッジブルーな相談でもするつもり? 確かに冥子さんにサイコダイブでもされて、中で暴れられでもしたら余程根性太くない限りトラウマ必至だけど・・・」

 「いや、最近のアイツらは僕に好意的ですから、この傷も殆どが冥子はんのひっかき傷ですし」

 「はいはい、ごちそーさま! 傷が大したこと無いのは十二神将公認の仲ってことね。じゃあ、悩みってナニよ?」

 「ここ最近、甘いモノしか食べていない・・・・・・そんな気がするんです」

 政樹の口にした予想外の悩みに、保健室に重い沈黙が落ちる。
 もの凄く重大な悩みを打ち明けたような口調。
 だが、その内容はどう見てもふざけているとしか思えなかった。

 「あのね・・・・・・モテモテの僕は生徒が持ってくる試作品でお腹がいっぱい。そう言いたい訳?」

 「違うんです! 毎日毎日、同じことを繰り返している気がするんです。理事長に頼まれ、無くなった後夜祭用の花火を探して校内をうろつくうちに、試食を求める生徒にもみくちゃにされる。そして冥子さんの暴走が・・・・・・」

 「何を馬鹿なことを、疲れてるのよアナタ。六道家に婿入りするんだから当然かも知れないけど・・・・・・胃腸が心配ならヒーリングしてあげましょうか?」

 政樹にかけられた京子の言葉には、生徒にしか向けられることのない優しさが込められていた。
 しかし、自分の悩みが完全には理解されないと知った政樹にその優しさは届いていない。
 彼は力なくうなだれると、常備薬の保管された薬箱へと向かっていった。
 
 「いや・・・・・・結構です。胃腸薬だけ貰って帰ります」

 「お大事にね。あんまり深く考えちゃダメよ、それにもうすぐ昼休みだから絶対に休憩はとりなさい」

 「そうします。昼休みが来ればですが・・・」

 「え?」

 「失礼しました・・・・・・」

 そのままフラフラと退室した政樹を見送ると、京子は彼に同情するかのようにヤレヤレと首を振る。
 まともな精神の持ち主が六道家に婿入りするのだから、多少の精神失調は仕方がない。
 人間は慣れる生き物である。そのうち順応するまでの辛抱だと京子は考えていた。

 「もう出てきてもいいわよ。待たせて悪かったわね」

 「政樹先生、だいぶ追いつめられてましたけど大丈夫でしょうか?」

 カーテンの奥から姿を現した弓は、政樹が出ていったドアに同情の視線を送っていた。
 その左手には緩やかに蠕動を繰り返す赤い痣。
 より過酷な状況にあるはずの弓に同情されてると知ったら、政樹はどんな顔をするだろうか?
 京子は力なく笑うと、弓を再び長椅子に座らせ呪力封じの包帯を隙間無く丁寧に巻き始めた。

 「大丈夫でしょ! 何だかんだ言ったって惚れた弱みってヤツらしいし・・・・・・だけど、彼の取り巻きの子なんかは典型的なストックホルム症候群みたいだから、そっちの方が心配ね。将来ロクでもない男を掴んじゃわないかって」

 「ストックホルム症候群・・・危険の緊張と恋愛の緊張を混同しちゃうって話ですよね。京子先生には、私と雪之丞もそう見えるんですか?」

 「まさか!」

 弓の左手に包帯を巻きながら、京子は大仰に弓の言葉を否定する。 
 日々大きさを増していく左手の痣は、雪之丞の母が変じていた姑獲鳥の穢れによる物だった。
 その穢れを除霊によって祓うのはほぼ不可能。
 それだけでなく、日々大きさを増し続けるソレは最終的に弓を飲み込み姑獲鳥にしてしまう。
 現在、京子が行っている霊障用の包帯による左手の保護は、少しでも穢れの流入を押さえようとする苦肉の策だった。

 「私、今でもハッキリと思い出せるもの。あの時、あの話し合いの席でのアナタの啖呵・・・・・・凄く格好良かった」

 「よしてください。私、単に欲張りなだけですから・・・・・・・・・好きな男や、弓家という家族、社会での成功、そして友だち。それらを全部手に入れたいって」

 「そこが素敵なのよ、私が提示した穢れの祓い方・・・・・・正直、私自身、納得しかねる所はあったの。でも、アナタはソレを完全に上回ろうとしている・・・・・・私が1年なら、迷わずアナタの追っかけになってたわ。美神令子じゃなくてね」
 
 「光栄ですね。私は美神おねえさまみたいな、強く、綺麗な女の人になりたいんですから・・・・・・」

 「うーん。その辺は少し意見の食い違いがあるのよね。私、美神令子がアナタが思うほど、強く、スマートな女とは思えないんだけど」

 「え? それってどう言う・・・・・・」

 「はい、出来た! さあ、もうすぐ帰りのHRじゃない!? 鐘が鳴った後は外出OKになるんだし、早く出席とってらっしゃい」

 包帯の巻き具合を確かめるようにポンと軽く叩いてから、京子は弓を急がせるように長椅子から立ち上がらす。
 時間を気にした京子の言葉に、弓はようやくクラスのみんなを待たせてしまっていることを思い出していた。

 「あ、いけない。みんなを待たせちゃってるのに・・・・・・」

 「クッキーが自慢の喫茶店だっけ?」

 「ええ、サービスしますから絶対に来てくださいね!」

 爽やかな笑顔を残し、弓は保健室を退室する。
 急いで教室に向かおうと階段を駆け上がる彼女の耳に、午前の終了を知らせる鐘の音が聞こえてきた。










 ―――カラーン、コローン、カラーン、コローン









 「おっしゃ! 今日も一日頑張っていくぜッ!!」

 始業を知らせる鐘が鳴ると、一文字魔理のかけ声に合わせ、クラスのみんなが文化祭の準備に取りかかろうと気合いを入れた。

 「先ずはA班はおキヌについて調理室へ、試作の材料はOKか? 午後には京子先生の視察が入るって噂だから気をつけてくれよ! B班はポスター、チラシ、店内メニューの作成任せたからな、ポスカとか足らなくなったら午後から買い出し部隊に出て貰うからメモしといて! んで、内装担当のC班はこれからアタシと一緒に使用しない机、椅子の移動。ちゃんとクラス番号のシールを貼らないと行方不明になっちゃうらしいからしっかりな! その後、使用機材の搬入があるから校舎裏の職員駐車場に集合してくれ!!」

 各人への役割分担を慣れた様子で指示した魔理は、自身も一労働力として教室を後にしようとする。
 クラス委員として警備の役割を振られた弓は、魔理の指示した内容に若干の違和感を感じていた。

 「あら? 生徒会指定のレンタル機材搬入は午後からじゃなかったかしら・・・」

 「その辺はまあ・・・アタシの腕の見せ所ってヤツで。送料無料で時間厳守な業者に頼んだからさ・・・・・・それより巡回警備は団体戦経験者から選ばれるんだから、弓が行かないとアタシかおキヌが呼び出されちゃうぜ!!」

 レンタル業者に何か知られたくない事でもあるのか、魔理は急いで弓を巡回警備に送り出そうとする。
 背中を押され廊下に出て行った弓は、いつの間にか決められていた役割分担に不平の声をあげていた。

 「あ、ちょっと! 押さないでよ! 第一、何で最初から私が警備担当に・・・・・・」

 「いーから、ゆっくり散歩でも楽しんで来てくれよ! あと、道々の営業よろしくな、弓おねーさま」

 「アナタ、最初からそのつもりでッ!」

 クラスの広告塔としての役割を押しつけられたことに、ようやく気付いた弓は背後を振り返り絶句する。
 そこにはクラス全員が笑いながら弓に手を振っていた。
 口々に客寄せを依頼する級友たちの声は、いつしか魔理の扇動で大きな弓コールへと姿を変えようとしている。
 おキヌまでもが参加した自分への激励に顔を赤らめると、弓は逃げ出すように教室を後にした。

 「全く、これじゃ一種のいじめじゃない!」

 照れたように吐き捨てた台詞に嫌悪は無かった。
 クラス全部が自分に声援を送る。それは去年の対抗戦の時でさえ味わえなかったことだった。
 教室から離れるにつれ自然に笑みが溢れてきた。先程のような級友たちとの関わりを、素直に受け取れるようになった自分が堪らなく新鮮だった。
 弓は赤らんだ頬を隠そうともせず、胸を張って警備本部へと進んでいく。
 すれ違う人々は、皆一様に彼女の姿を振り返っていた。






 「久しぶりね。こんな風に話すのは対抗戦以来かしら?」

 「あら、アナタが一緒に回る人?」

 警備本部前の掲示板を眺めていた弓は、背後からかけられた声に意外そうな顔をした。
 事前に渡された当番表によると、自分のパートナーは目の前の女ではない。
 目の前に立っていたのは峰という名の、入学時の実技試験で同率首位だった生徒。
 去年の対抗戦で水晶観音を破られた時の記憶が甦るが、不思議と悔しさは湧かない。
 今の自分なら彼女とどう闘うだろうか?
 峰が口を開くまでの僅かな間に、弓は数手の攻防をイメージしていた。

 「ええ、ジミーの奴がどうしても順番を代わってくれって・・・・・・ところで何を見てたの?」
 
 「GS試験のポスター。次から年2回になるなーって・・・・・・」

 「ああ、3年生向けの掲示ね。そんな所に貼ってあったんだ」

 峰は弓の隣りに並ぶと、顔を近づけ食い入るように掲示板に貼られたポスターを眺めていた。

 「・・・だけど、悪趣味よね。霊能力の低い人には認識できない告知なんて」

 「仕方ないんじゃない? 本来、誰にでもなれる職業じゃないんだし。それに前回のスキャンダルでGS協会もかなり揺らいだみたいだから・・・・・・あなたも御実家から聞いているでしょ?」

 「そう、信じられないのはそこよ! まさか受験者の身元確認があんなにザルだったなんて」

 「真面目に修行させられていた私たちには信じられない話よね」

 呆れたように笑った弓に、峰は僅かに声を荒げた。

 「笑い事じゃないでしょ! 小さい頃からの夢を穢されたみたいで気分が悪かったんだから!!」

 「でも、もうあんな事は起こらないでしょう? 試験を1回延期してまで、受験生の身元をしっかり確認する体制を作ったんだから・・・・・・それに、今回のスケジュールの方が私には都合が良かったし・・・」

 「そりゃあ、今までみたいに卒業してから夏まで待たされるのは勘弁よね。3年の卒業見込みで春の試験を受けられるんだから・・・・・・霊能科出身の生徒が受けやすい様に理事長先生がだいぶ頑張ってくれたって噂だけど、あの講話聞いている限り想像できないのよね」

 峰はポスターを指さしながら試験日程と受験資格を確認する。
 試験は2月と8月の年2回。受験資格は試験までに霊能科を卒業または卒業見込み、もしくは協会に登録しているGSの元で研修を積み、そのGSの推薦を受けた者とされている。
 来年から始まる年2回のGS試験は、霊能科の課程修了を研修に代える受験生にとって、進学との併願を可能にする日程と言えた。


 ―――霊能科、試験落ちればただの人


 卒業後の行き先を決めず、夏のGS試験一本にかける霊能科の3年たちは、自分たちの事を自嘲気味にこう評することが多い。
 初夏に栄光を手にする者の影には、それより多くの夢破れ、別な道に進む者が存在することを彼女たちは知っているのだった。

 「でも、あなたや私は、実家に推薦して貰えば在学中に資格取得も可能なのよね・・・・・・あの横島っていうスケベ男も美神令子の推薦で受けたんでしょう?」

 「ええ、そうね・・・・・・」

 「ま、普通やらないわよね。家の名前背負って受けるんだから、ただ合格すればいいってもんじゃないし、その時の席次もその後の仕事に影響するから・・・・・・」

 雑談に興じ、なかなか出発しようとしない峰の目の前に腕章が差し出される。
 先に到着した弓はパートナーの分も警備本部から持ち出していた。

 「さて、いつまでも立ち話してないで出発しましょうか」

 「え、もう行くの?」

 妙にやる気な弓の態度に、峰は微妙な反応を見せる。
 学年では弓と双璧を成す実力者の彼女だったが、その表情には何処か恐れのようなものが窺えた。
 
 「あたりまえでしょ、その為に集まったんだから」

 「はは、そうよね・・・・・・」

 ズイと差し出された腕章をしぶしぶ腕にはめると、半ば諦めたような表情で弓の後をついていく。
 彼女はこれから始まる道行きに、堪らない不安を感じていたのだった。
  




 六道女学院の文化祭警備担当者は、それなりの実力者でないと務まらないとされている。
 代表戦のメンバーから警備担当が選出されるのは、文化祭当日における不審者の侵入に対する備えでもあった。
 近隣の女友だちかOG、入学希望の女子中学生にのみ配布される招待券をどこからか入手し、ありとあらゆる手で男子禁制の校内に侵入を試みる不届き者を排除するのも彼女たちの重要な役割らしい。
 しかし、準備期間中の巡回警備は、校内をぶらぶらと歩き規約違反や危険なことをしているクラスがないかの確認だけで済む。
 準備期間中の当番を引き当てた峰は内心自分の強運を誇っていたが、今は特にやることが無いただの散歩然とした道行きに、堪らない居たたまれ無さを味わっていた。
 その理由は・・・・・・

 「弓おねーさまッ! 巡回ご苦労様です!!」

 「ありがとう。あなたも準備頑張ってね」

 すれ違う1年生からかけられる黄色い声と、それに返す爽やかな笑顔。

 「はひッ!! 頑張らさせていただきますから、当日いらしゃってください。思いっきりサービスさせていただかしてもらいますからッッ!!」

 「あら、それならあなたもウチのクラスにいらして、クッキーを用意して待ってるから・・・・・・」

 そして、その笑顔に舞い上がった1年生に、弓はさりげなくクラス企画の営業を行っていく。
 彼女の隣を歩きながら完全に蚊帳の外にされる状況が、さっきから何度も峰の自尊心をえぐっていた。

 「ねえ・・・・・・今の1年も知り合い?」

 「いいえ、全然知らない子。私、部活とかやってないし、1年に知り合いなんていないわよ・・・・・・・・・ありがとう。そっちも準備頑張ってね」

 惚けたように立ちつくした1年生の姿に、つい口に出でてしまった峰の問い。
 その問いに答えている最中にも、すれ違う1年生が弓に黄色い声援をかけてくる。 
 弓は爽やかな笑顔を1年生に返してから、内緒話をするように峰の耳元で囁いた。
 
 「一文字さんに営業するよう言われてね。ウチのクラス喫茶店だから赤字が心配なのよ・・・・・・」 

 「うわ、ひど・・・純情な1年を・・・・・・・・・・・・クッ!!」

 弓の接近と共に浴びせられた周囲からの敵意に、峰の背筋を冷たいものが奔る。
 すかさず全身に気を巡らせ、送られてきた敵意を跳ね返すと、廊下の影から人の倒れる気配が伝わってきた。
 いきなり呪詛を仕掛けて来た礼儀知らずな1年生に同情はしない。
 しかし、ソノ手の趣味の無い自分にとって、今のような情念に晒されるのは二度と勘弁だった。
 そそくさと距離を置いた峰を自分の言葉に引いたと勘違いしたのか、弓は照れくさそうな笑みを浮かべ弁解を始める。

 「いいじゃない。本当にサービスするつもりだし、それに、クラス企画は成功させたいでしょ」

 「ええ、いいと思うわ。今みたいな1年からは、どんどん金券を巻き上げて沢山儲けてちょうだい」

 「いや、ソコまでは・・・・・・美神おねーさまじゃないんだから」

 再び歩き出した弓を、峰はしばらくの間無言で見送っていた。
 弓が浮かべた柔らかな笑顔に、彼女は堪らない違和感を感じている。
 去年の対抗戦、実技試験同率トップだった弓を峰は詳細に調べ上げている。
 その時の彼女はこのような笑顔で笑う女では無かった。
 プライドに凝り固まったガチガチの性格は影を潜め、今では女性特有の柔らかさを全身に漂わせている。
 しかし、その柔らかさは以前の何倍もの強かさを峰に感じさせていた。


 ―――今、闘ったら勝てるかしら?


 去年の対抗戦の最中、峰は弓の奥義を完全に無力化することに成功している。
 しかし、二人とも成長を重ねた今、同じ結果が出るとは限らなかった。
 この一年、弓はどれほど成長したのだろうか?
 彼女は今の弓に勝利したい欲求に堪らなくかられていた。 

 「弓さん、ちょっと待って!」

 峰は弓を呼び止めると、先程倒れた1年生の取り巻きの手から使い捨てカメラを取り上げる。

 「この子たちが一緒に写真を撮って欲しいって。変なことに使う訳じゃないからいいでしょう!?」

 一応釘を刺す峰の真意が分かったのか、顔を輝かせた1年生たちがコクコクと肯く。
 弓は一瞬躊躇ったように左手に視線を落としたが、後ろ手に左手を隠すと穏やかな笑顔で峰の提案を了承した。

 「ええ、よろしくってよ・・・・・・」

 「コラ、1年! 行儀良くしなさい!!」

 彼女の返事と共に殺到し、弓の隣り争いを始めた後輩たちを叱りつけながら、峰は手早くシャッターを押していく。
 数枚を取り終えカメラを持ち主に返すと、その1年生は感謝の言葉を言いながらしっかりとそのカメラを胸に抱き抱えた。

 「それじゃ、悪用厳禁! わかったわね」

 「あ、あの・・・・・・」

 笑ってその感謝に応える峰の元へ、友人数人に付き添われ先程呪詛を送ってきたらしい1年生が歩み寄る。
 心底申し訳なさそうに縮まった彼女は、蚊の鳴くような声で謝罪の言葉を口にした。

 「すみませんでした。さっきは生意気なことしちゃって・・・・・・・・・」

 「生意気って範疇を超えているわよ! 力を持つ者はその制御に細心の注意を払う、アナタも六道の生徒なら自覚しなさい! 分かったら返事!!」

 「はいっ!」

 毅然とした峰の注意を受け、ビクリと跳び上がった1年たち。
 そんな彼女たちを頼もしそうに見つめながら、峰は相好を崩したように後を続けた。

 「まあ、謝りに来たのは評価できるし・・・・・・謝罪と感謝を込めて、弓さんのクラスの後でいいからウチのクラスにも寄りなさいよ! すぐソコでクレープ屋やるから!!」

 元気な返事を背に受け、峰はすぐ先の曲がり角へと急ぐ。  
 そこで待つ賞賛と呆れの入り交じる表情を浮かべた弓に、峰は開き直ったような笑顔を返していた。

 「後輩の指導をしたと思ったら、人をダシにしっかり営業するなんて・・・・・・」

 「ははっ、人の良い点は見習わないとね。それにアナタのクラスの営業もしておいたから大目に見てちょうだい」

 「それじゃ、写真のモデル料はクレープで手を打ちましょうか・・・・・・試作しているんでしょう?」

 「え、それって・・・・・・」

 「そう、敵情視察。新たに出現した素敵な先輩にお客さん盗られちゃったかも知れないし、それに確かクレープはラッキーフード・・・・・・あれ?」

 「なによ、ラッキーフードって? でも、いいわ。あの時のメンバーにも紹介したいし、すぐソコだから寄っていって!」

 自分の口にしたラッキーフードという言葉。その言葉についての明確な記憶が無いことに弓は首を傾げる。
 そんな彼女の戸惑いに気付かず、峰は弓の背を押すようにして自分のクラスへと向かっていった。



 
 中央棟の3階に位置する峰のクラス
 後ろのドアから覗くと、あらかた机を運び出した直後らしく、物資、人材とも閑散とした室内には机を並べて作った作業用のテーブルが幾つか設置されていた。
 おそらく教室は店舗として使用せず、ドア部分を店先にして対面販売をするつもりなのだろう。
 前方のドア周辺でメニューを書いている生徒に一声かけると、峰は弓を伴い調理場兼、スタッフルームと化した教室に入っていった。

 「ホウ! 神野! 珍しいお客さんを連れてきたわよ」 

 「二人ともいないわよ、アラ、本当に珍しい・・・・・・去年の代表戦の再来ね」 

 散々1年生にスルーされた後だけあって、自分が脚光を浴びた過去の話題に峰は密かに感動する。
 彼女は教室の隅に設置された机四つで作られたテーブルに弓を誘導すると、呼びかけに応えた調理担当のクラスメイトに代表戦メンバーの行き先を質問した。

 「ホウは机運びとして、神野は調理担当でしょ!? 折角あの子に試作品作って貰おうと思ったのに・・・・・・まだ、おカネがどーのこーの言ってるの!?」

 教室に数名残った調理担当のリーダーなのだろう。
 エプロンを着けた女生徒が、大きなボールに入れたクレープの生地をかき混ぜながら素っ気なく応じる。

 「知らないわよ! 夏の散財が祟って金欠病って訳じゃ・・・・・・あっ!」

 何かの失言に気付いたように慌てて口を噤むと、その生徒は誤魔化すように笑いホットプレートの上に手をかざす。
 彼女の前、コンセント近くに設置された作業台には、みんなが持ち寄ったらしき数台のホットプレートが並べられている。
 まだ焼き始めていないのか、並べたホットプレートの上にはクレープの姿は無かった。

 「まだカットフルーツが来ないから、凝ったモノは試作出来ないけどチョコならすぐに出来るわよ!」

 「助かるわ。弓さんに試食させるって約束しちゃったし、チョコでいい?」

 「ありがとう、お願いするわ」

 自分に向けられた弓の笑顔に肯いてから、調理担当者はホットプレートの表面温度を確認するとクレープ生地を薄くのばしていった。
 鮮やかな手さばきで薄くのばされた生地が焼け、香ばしい匂いが教室に立ちこめていく。
 あと数分もしない内に、チョコクリームとホイップクリームを包んだクレープが出来上がるだろう。
 彼女から視線を外した弓は、楽しげにクレープ作りを眺めている峰に向き直ると、先程話題に上がった人物の名を口にした。
 
 「あの雷獣変化の子、ホウって言うんだ・・・・・・」

 「ええ、そうだけど・・・・・・どうしたのいきなり」

 峰の浮かべた表情に弓は何処か気まずい表情を浮かべる。
 去年の対抗戦、得点板に書かれた出場選手の名前に見慣れない漢字があった事を弓は思い出していた。

 「ん、別に大したことじゃ無いんだけど、対抗戦の時に何て読むのか分からなかったことを思い出してね。人に読み方聞くのも癪だったし、そのままにしていたんだけど・・・・・・何でそんな事にまで意地になってたのかしら」

 「あー、あの子の字、日本じゃあんまり使われていないのよね。メールするとき無理に打つと文字化けするらしいから、私らは”ホウ”とカタカナで打ってるし・・・・・・だけど困ったわね」

 「困った? 何が?」

 「プライドが高く、極度の負けず嫌い・・・それが去年までのアナタの分析。つけいる隙が減ったコトは、対抗戦連覇を狙う私としては由々しき事態だわ」

 「あら、私、今でも負けず嫌いよ・・・」

 冗談めかした中に混ぜられた峰の牽制。
 それにクスリと笑うと、弓は努めてさりげなく警備本部前で会ったときの事を口にする。

 「さっき警備本部前で会ったとき、今ならあなたとどう闘うかを何パターンか考えちゃったし」

 「奇遇ね。ついさっき、私も似たようなコトをやっていたわ」

 不敵に笑う二人の間に微妙な緊張が奔った。
 しかしそれもつかの間、先程までの弓人気への嫉妬が綺麗に吹き飛んでいる自分に、峰は満足そうな表情を浮かべる。

 「今年も、ウチは強いわよ! ホウは動物園で気合い負けしないように特訓してるし」

 「特訓?」

 「ええ、ライオン相手に睨めっこ。ライオンに勝ったら次はシベリアトラだって!」

 おそらく対魔理戦を想定した特訓なのだろう。
 肉食獣扱いされた親友と、その特訓を大まじめにやっているホウの姿を想像し弓は思わず吹き出してしまった。
 自分の持ちネタが受けたことに気をよくした峰は更に先を続ける。

 「神野は神野で、今年の夏、ハワイに家族旅行したし」

 「そ、ソレは強敵ね・・・・・・でも、そんなこと私に教えちゃっていいの?」

 笑いながらの弓の問い。
 それに峰が答えるよりも早く、クレープを作り終わった調理担当者が会話に割り込んだ。

 「そうよ! さっき気を遣った私が馬鹿みたいじゃない! ハイ、チョコクリーム二つ、出来たわよ!!」

 「いいのよ・・・。不意打ちで勝つのもつまらないでしょ!」

 横合いからかけられた声に席を立つと、峰は調理担当者に礼を言いながら焼き上がったばかりのクレープを彼女から受け取る。
 そして元のテーブルに戻ると、まるで勝負を挑むような力強さで右手に持ったクレープを彼女に差し出した。

 「はい! 先ずは前哨戦!!」

 「ありがとう・・・・・・それじゃ、後でウチのクッキーをお届けするわ」

 二人はまるで乾杯をするようにクレープを軽く掲げると、焼きたてのソレを口にする。
 口の中いっぱいに広がる香ばしさとチョコの甘み。
 しっとりした生地とチョコクリームの相性に、弓は思わず顔を輝かした。  

 「凄く美味しいじゃない! ウチもうかうかしてられないわね」

 「1ポイント先取って所かしら?」

 二口目に移った峰に誘われるように、弓もクレープに二口目をつける。

 「いや・・・氷室さんのクッキーも美味しいわよ。それに一文字さんと私の営業で通常の3倍・・・・・・あれ?」

 再び湧き上がる違和感。しかし、峰は彼女の変化に気がつかないように右手を差し出す。
 不意に求められた握手に、弓は驚きの表情を浮かべてしまっていた。

 「負けず嫌い健在は本当の様ね。やっぱり勝負は代表戦までお預けにしておきましょう・・・・・・去年のアレが決着とは私も思っていないし」

 「あ・・・・・・」

 不敵に笑い代表戦のことを口にした峰に、弓は戸惑いの表情を浮かべていた。
 もどかしげに何か話そうとするのだが上手く言葉が紡ぎ出されてこない。 
 そんな彼女の変調は、突如として現れた鬼道政樹の姿によって峰に気付かれることは無かった。

 「巡回警備が、何やっとるんや〜」

 「すみません! すぐ巡回に戻ります!!」

 「冗談や、食べ終わるまでゆっくりしとけ。今の弓にはキツイこと言えんわ・・・・・・」

 フラフラと入ってきた自分に驚き、席を立とうとした弓と峰を政樹は手振りで止める。
 本人は冗談のつもりだったのだろうが、やつれ果てた彼の姿は軽口さえも重く感じさせる。
 政樹はそのままフラフラとテーブルに近づき、心底疲れたように空いている席に腰を下ろした。

 「一体どういう事です?」

 「今、探してる荷物の確認をしにクラスに顔を出してな・・・お前と一文字専用のユニフォームってヤツが入った箱があったが、あんな衣装を本当に着るんか?」

 続けて語られた弓専用タキシードと、魔理専用メイド服の説明に弓は顔をひきつらす。
 政樹は弓のリアクションを待たず、笑いを必死に堪える峰に向き直った。

 「まあ、それはともかく・・・・・・峰、このクラスに、これ位のダンボールが間違って来たりしてないか?」

 疲れ切った政樹の表情に、峰は辛うじて吹き出すのを堪えていた。
 多分、ずっと後夜祭用の花火を探しているのだろう・・・・・・こう考えたとき、弓の脳裏に堪らない違和感が奔った。
 何故自分は政樹が探しているものを花火と思ったのか?
 既視感に似た不思議な感覚が弓の中に広がっていく。
 
 「鬼道先生は、何を探してらっしゃるんですか?」

 「後夜祭用の花火や・・・・・・前もって用意しておいたのが何処かに消えてしもうてな。ずーっと探しっぱなしや」
 
 政樹の答えに、弓が感じた違和感は確信めいたものとなっていた。
 彼女は注意深く政樹の言動を観察し始める。
 深いため息をついた政樹の背後には、先程クレープを焼いてくれた女生徒が頬を赤らめ近づきつつあった。

 「政樹先生! 私、ずっと教室にいましたけど、そんな箱は見ませんでしたよ」
 
 「おお、そうか。ありがとうな・・・・・・ッ!」
 
 かけられた声に背後を振り向いた政樹は、何かを恐れるようにガタッと椅子から転げ落ちそうになる。
 彼の目の前には焼きたてのチョコクレープが差し出されていた。

 「お仕事ご苦労さまです。良かったらこれ試食してください!」

 差し出されたクレープにみるみる青ざめていく政樹の顔。
 しかし、そんな彼のリアクションは真っ赤な顔を伏せ、告白の花束のようにクレープを差し出した女生徒の気付くところではなかった。

 「いや、あのな・・・・・・」

 「食べてってくださいよ先生」

 真剣な峰の表情に、政樹は断りの言葉を呑み込んだ。

 「お忙しいのは分かってますけど、私たちも花火を探すの手伝いますから。いいでしょ、弓さん」

 「ええ、もちろんよ」

 弓はそれまでの様子から、政樹に寄せる女生徒の気持ちを察していた。 
 甘いモノを嫌がる政樹の気持ちも何故か理解できるが、弓は当然の様に彼女に味方する。
 峰は弓に感謝の視線を送ると、政樹を急かすようにワザと軽めに囃し立てる。

 「ホラ、弓さんもああ言ってるし、彼女が協力すれば1年の教室は探し終わったも同然ですよ!!」

 「ちょっと、結局はソッチに行くの!?」

 「・・・・・・普通教室の1/3が終わるのは確かに魅力やな」

 政樹もそれについての評判を聞いているのだろう。
 疲れ切った顔に笑みを浮かべると、目の前に差し出されたクレープを受け取る。
 そして女生徒の目の前で、大きな口を開け焼きたてのチョコクレープに齧り付いた。

 「うん、美味い。初めて食ったが、クレープって美味いもんなんやなぁ」

 パクパクと瞬く間にクレープを食べきった政樹に、女生徒はみるみる顔を輝かす。
 その食欲が証拠隠滅に見えた弓は少し複雑な心境だった。

 「嬉しい! もう一枚焼きましょうか!?」

 「いや、もうええ。それより・・・・・・」

 舞い上がるようにホットプレートへ向かった女生徒を止めると、政樹は申し訳なさそうに食材として置かれているペットボトルのミネラルウォーターを指さした。 
 反対側の手は胸ポケットをまさぐり小さな薬の包みを取り出している。

 「最近、胃腸の調子が悪くて、それさえ無ければ遠慮無くもらうんやが・・・・・・スマンが、代わりにその水を少し貰えないか?」

 「胃腸薬? もう少し、飲むタイミング考えてくださいよ・・・」

 手作りの物を食べた直後に、作った者の目の前で胃薬を飲む。
 無神経とも言える政樹の行動に、峰は信じられないとばかりに頭を抱えた。
 弓はそんな彼女とは対照的に、鋭い視線を政樹の持つ胃腸薬に向けている。
 政樹のそれが保健室から貰ったものであることを、何故か彼女は確信していた。

 「あ、スマン。そんな意味じゃ・・・・・・鐘が鳴らないうちに飲んでおこうと思っただけで」

 「あはは、気にしてませんよ。だけど大変ですね、いろいろお忙しいのに」

 政樹は紙コップの水を女生徒から受け取ると、顆粒状の胃薬を飲み干した。

 「ありがとう。そう言って貰えると助かる・・・・・・さて、もういかんと。ごちそうさま」

 席を立ち、空の紙コップをゴミ箱に捨てると、政樹は再び花火を探すため校内の探索へと出かけていく。
 その背中に弓は一つの疑問をぶつけていた。

 「鬼道先生・・・・・・鐘が鳴らないうちってどういう意味ですか?」

 「いや、何でもない。あんまり深く考えちゃダメらしい・・・・・・あれ?」

 首を傾げながら廊下に消えた政樹を、峰たちは不思議そうに眺めている。
 ただ弓だけが感じた違和感について深く考え始めていた。








 六道女学院進路指導室。
 中央棟2階に位置する昇降口前ロータリーを望む一室。
 9月に行われる文化祭期間中は警備本部として使用される部屋に近づき、峰は足を止めると隣を歩く弓へと手を差し出した。

 「ご苦労様。引き継ぎは私がやっておくわ」

 「え、でも、さっき花火を探すのに協力するって」

 差し出された右手は、次の巡回当番に渡す腕章を自分が引き受けるという意味らしい。
 先程、峰のクラスで約束した花火探しが気になっていた弓は、峰の心変わりに意外そうな顔をする。
 彼女は巡回が終わった後、再び1年生の教室に出向かなくてはならないと思っていた。
 峰は警備本部前で自分たちを待ちかまえているジミーにチラリと視線を向けると、何かを含んだような笑みを弓に向ける。

 「平気、次の巡回のジミーにやらせるから・・・・・・なんとなくあの子の魂胆が読めた気がするのよね」

 「助かるわ。丁度、行きたいところが出来たところなの。任せられるかしら?」

 いま通り過ぎようとしている階段を下れば保健室はすぐそこ。弓は感じている既視感について京子に相談しようと思っていた。
 左手に巻かれた包帯に引っかけないようゆっくりと腕章を引き抜くと、弓は差し出された峰の手にそっと自分の腕章を乗せる。
 警備本部前に立つジミーに向けた峰のしてやったりという笑顔に、弓は交渉事がうまく行くことを予感した。

 「任せといて、さっきのお礼には全然足りないけど・・・・・・」

 「お礼?」

 「気付いたでしょう? あの子、鬼道先生のことがずっと好きだったのよ」

 「ああ、その事・・・だけど、あのシチュエーションで胃薬飲む男のどこがいいのかは理解に苦しむけどね」

 弓はヤレヤレとばかりに肩をすくめる。
 その仕草に笑みを浮かべると、峰は先程し損なった握手を再び弓に求めた。

 「同感。今日はあなたとゆっくり話せて良かったわ」

 「私もよ・・・・・・」

 強く握られた手に弓は言葉に詰まる。
 その握手には、別れの挨拶以上の感情が込められていた。

 「今日、あなたと仲良くなれて、ますます決着をつけたくなったわ。代表戦で思いっきり闘りましょう!」

 「あ・・・・・・」

 真っ直ぐ挑みかかってきた峰の視線から、弓は一瞬目をそらしてしまう。
 しかし、すぐに視線を彼女に戻すと、弓はどこか吹っ切れた様子で峰の目前に自分の左腕を掲げた。
 
 「ごめんなさい。もう出れないの・・・・・・この傷のせいでね」

 「そんなに・・・そんなに悪いの。その左手」

 握手した右手から峰の動揺が伝わってきた。
 峰の擦れるような声に、弓は努めて明るく答えを返す。

 「六道にいる間は治らないでしょうね・・・・・・だけど、完全に闘えなくなった訳じゃないの、多分、あとまだ何回かは闘える」

 絶句した峰から手を離すと、弓は立ちつくした峰をそのままに中央階段を下りようとする。
 階段に一歩踏み出そうとしたとき、彼女はまるで自分自身に言い聞かすように背後の峰に言葉をかけた。

 「でも、それは代表戦なんかじゃないの・・・・・・」
 
 「ま、まさかあなた、春の―――」

 峰の呼びかけには答えず、弓は階段を駆け下りていく。
 階段に響く上履きの足音が、いつまでも立ちつくす峰の耳に残っていた。







 「京子先生、聞きたいことが!」

 「廊下は走らない! それに気分が悪くて寝ている子がいるから」

 ノックも無しに飛び込んだ保健室。
 足音で弓の接近に気付いたのか、京子は閉まっているベッド脇のカーテンを指さしながら、もう片方の手で黙っているよう唇に人差し指を当てている。
 それが他の生徒の前で姑獲鳥の話をしてしまわない為の気遣いと理解した弓は、声をひそめながら京子の心配を否定した。

 「すみません。コッチの方は凄く安定してます。今日は別な件で・・・・・・薬箱見せてください」

 「別な件・・・胃腸薬なんか探して食あたりかしら? 鬼道先生みたいに・・・・・・あれ?」
  
 常備薬の入った薬箱をあさる弓に訝しげな顔をした京子だったが、それ以上に感じる違和感に首を傾げる。
 なぜ食あたりで鬼道のことを思い出したのか、彼女には全く見当がついていない。
 薬箱に先程鬼道が飲んでいた胃腸薬を発見した弓は、そんな京子の様子に不安げな表情を浮かべていた。

 「京子先生。先生は自分が同じ時間を何度も過ごしているって感じたことはありますか?」

 「あるわよ。今日はそんな話?」

 「え、それじゃ、先生も・・・」

 「ええ、今にして思えば、あなたたちの年頃は毎日が夏休みみたいに楽しかった。たった三年間なんだけど、ずっと終わらないみたいに錯覚・・・・・・」
 
 弓の浮かべた表情に京子は言葉をつまらせる。
 今年の夏に重い選択を迫られた弓の前で、今の例えはあまりにも配慮に欠けた。
 全校を包む学園祭の浮かれた雰囲気に飲まれかかっている自分に気付き、京子はきつく唇を噛みしめる。

 「うーん。ちょっと違うかな・・・」


 ―――気にしてませんよ。私もそう思ってました。


 来室カードの裏に走り書いた弓の言葉に京子の胸が熱くなる。
 カーテンの向こうで寝ている生徒を気にし、メモで伝えた言葉には弓の覚悟が込められていた。

 「ほら、何気ない出来事を、昔も体験したんじゃないかって感じちゃう感覚。デジャヴってやつが連続して起こっている。そんな感覚のことなんです」

 「デジャヴねえ・・・・・・たしかに場所として起こりやすいのは、並木道、古い町並み、公園なんかの類似した典型的光景が多いって話だから、どこも似た作りの学校で起こったとしても不思議ではないわねぇ。それと似たようなもので予知夢というのもあるけど、霊能力と無関係な場合でも起こるから、体験と同時にその夢を見たって記憶を作り出しちゃっているだけっていう説もあるし」

 弓の言葉に気を取り直した京子は、弓の感じている違和感の原因を考えようとする。
 しかし、肝心の弓は京子の言葉をはぐらかすかの様に、何でもないようなことに反応した。

 「あはは、確かにウチの学校古いですからね。デジャヴも起こるかも、来年で創立100年でしたっけ?」

 「あのね・・・デジャヴは歴史ではなく、風景の典型的さで起こるのよ。それに今の校舎は建て替えたばかり、創立時から残っているものと言ったら鐘突塔の鐘くらいでしょ」

 鐘の話題を口にした瞬間、弓の顔に緊張が奔る。
 京子も保健室に張りつめた緊張に気付いていた。


 ―――鐘がどうかしたの?
 

 先程のメモに重ねるように京子は弓にメッセージを伝える。
 弓は京子との会話を続けながら筆談に応じた

 「へえー、あの鐘って創立時からのものなんですか?」


 ―――今はハッキリとは言えません。でも、前にもこんなことがあった・・・そんな気に確かになるんです。六道に何かが起こっている。


 「そうよ。だいぶ前に使われなくなったそうだけど、今でも卒業式には必ず鳴らされているわね」


 ―――俄には信じられないわね。理事長や冥子さんは性格はああだけど六道の血筋だし、何かあったら気付くはずだわ。


 「卒業式? 今年は文化祭期間中も使われてますね」


 ―――でも、お二人とも六女は母校のはず。


 「ああ、この前会議で提案されてたわね。来年の創立100年を機に、またあの鐘を復活させようって・・・・・・」


 ―――それならば鬼道先生は


 こう書き始めた京子は、最近の政樹の変調を思い出し筆を止める。
 言われてみれば鬼道の調子がおかしくなったのはいつの頃からだろう・・・・・・
 いや、自分はどうして鬼道の調子がおかしいことを知っているのか?
 動きを止めた京子に代わり、弓がメモの上にペンを運んだ。


 「その為の試行・・・・・・そういう訳ですか。先輩たちと同じ鐘を聞いて過ごすなんて素敵ですね」

 
 ―――あと1つ、聞きたいことがあります。この包帯は妖怪の類に認識されない処理がされてある。そうですね?


 「そうね。母校という比喩をそのまま当てはめれば、理事長も、冥子さんも、アナタもみんなこの学校の子供・・・姉妹ということにもなるわね」


 ―――そうよ。その包帯に包まれている限り、周囲の穢れが直接左手に染み込むことはないわ。交換したいなら後でいらっしゃい。


 「あはは・・・、すごいお姉様たちですね。どちらかというと、美神おねーさまみたいな人に憬れるんですが」


 ―――いや、多分、包帯は残り少ないはずです。妖怪の類に認識できないのなら、あと1つか2つ


 「あなたの美神令子贔屓も筋金入りね。私にはちょっと理解できないんだけど・・・・・・」


 ―――そんなことは無いでしょう? あなた用に補充したばかりだし。


 「うーん。その辺に関しては後日ゆっくりと、京子先生と話したらスッキリしました。明日、また来てもいいですか?」

 「ええ、待ってるわ」

 弓を送り出してから、京子はすぐさま霊障用包帯の在庫確認をする。
 キャビネット前に立つ彼女の顔は、みるみる青ざめていった。







 「お! 巡回警備ごくろうさん!! 営業の手応えはどうだった?」

 余程作業がはかどる出来事でもあったのか、教室に戻った弓を出迎えたのは大まかな装飾をあらかた終わらせたクラスメイトの笑顔だった。
 その笑顔の奥に隠された悪戯心に弓はとっくに気付いている。
 政樹から聞いた自分専用衣装の存在。その奇妙な既視感に弓は若干の不毛さを感じていた。

 「ええ、ちゃんとやってきたわ。でも、峰さんのクラスのクレープも強敵だからうかうかしてられないわよ」

 弓はわざと起こるべき展開にむけて水を向けていく。
 予定調和との差違を見極めることが、今の自分に必要だと彼女は感じている。
 既視感と実際に起こる事態との差違をあぶり出していけば、先程から意識し始めた違和感の正体がわかるのではと弓は考えていた。
 少なくとも魔理とクラスメイトは核心から遠いところにいるらしい。
 弓が巡回に出ている間に配ったのだろう。気の早いものはクラスTシャツに袖を通しているものまでいた。

 「ああーっ! そんな強敵がいたのかー」

 クラスの赤字を回避したいとでも言いたいのだろう。
 クッキーよりも大根を売った方が儲かりそうな演技力で魔理が頭を抱える。
 そんな魔理の姿をクラスメイトはニヤニヤと見つめていた。

 「ということで、クラスの赤字回避のために弓に協力して欲しいことがあるんだけど・・・」

 「いいわよ!」

 即答した弓に魔理の目が丸くなる。
 中学時代からの付き合いだけに、今のリアクションは心底意外だった。
 そんな魔理の姿に悪戯心が湧いたのか、弓も芝居がかった仕草で魔理の策に乗ったふりをする。

 「クラス委員としてはクラスの為に貢献しないと、そうよね! 文化祭クラス代表の一文字さん!!」

 「う・・・そうだけど・・・・・・」

 怪しい雲行きに流石の魔理も何かを感じ始める。
 基本的に実害がないギャラリーたちは、そんな魔理の様子をニヤニヤと眺めていた。
 逃げ道を作ろうとした魔理だったが時既に遅し、弓はとどめの一言を口にする。

 「じゃあ、あなたもかわいいメイドさんをやるのよ! そうじゃなきゃ私もやらない!!」

 「な、なんでソレを・・・・・・あ、政樹先生だなッ! きたねーッ! 内緒にしとくって約束したのにッ!!」

 「決まりね・・・・・・」

 わめき散らす魔理を、周囲のクラスメイトが包囲する。
 そのうちの一人はフリフリのメイド衣装を手にしていた。

 「決まりね・・・天網恢々疎にして漏らさずってやつよ! あきらめて女装しなさい!!」

 「コラッ! 女装って・・・いや、ちょ・・・勝手に脱が・・・・・・」

 降って湧いた危機に、魔理は慌てて廊下に逃げ出そうとする。
 教室を飛び出そうとした魔理は、クッキーを乗せたトレイを手に、教室に入ってきたクラスメイトと危うくぶつかりそうになった。

 「キャッ!」

 「うおっと、危ねえ!」

 正面衝突は避けたものの、手にしたトレイを落としそうになったクラスメイト。
 魔理は慌てて彼女が手にしていたトレイを支えると、勢い余って皿からこぼれたクッキーを持ち前の運動神経でキャッチした。

 「すまねえな。試作完成ってやつか?」

 魔理は心底すまなそうにぶつかりそうになった女子に話しかける。
 お菓子作りが趣味な生徒たちは、現在調理室でおキヌを中心に売り物のクッキーを試作中だった。
 多分、最初に焼き上がったものをメンバーの一人が運んできたのだろう。
 手の中のクッキーは、まだほんのりと温かさを残していた。

 「え、ええ、氷室さんがみんなに味見して欲しいって・・・」

 「みんなでお茶にするには数が足りなそうね・・・・・・それじゃ少しだけ味見を」

 弓は魔理が握っていたクッキーをぱりんと半分に折ると、その片方を口にする。
 出来るだけ詳細に味わいながら、彼女は先程食べたクレープとの比較を試みていた。

 「ん、美味しい。峰さんのクラスといい勝負ね」

 「マジか? これだって相当美味いぞ!!」

 手の中に残った半分を食べた魔理は、弓の感想に驚きの表情をうかべた。

 「ええ、だから氷室さんを連れて一度あのクラスの偵察にいかなくちゃ。そしてお茶でも飲みながらみんなで作戦会議ね」

 「分かった、ポットはあたしが持つから弓は空いたトレイを頼む。みんなは残った細かい点を仕上げといてくれよな!!」

 運び込んだ機材から電気ポットを両手に抱えると、魔理はそれまでの流れを誤魔化すように教室を後にした。
 先程のクッキーに挟まっていたおみくじをポケットにしまってから、弓は空いたトレイを手に魔理の後を追いかける。
 

 ―――☆おみくじ  マンネリ打破には多少の冒険も必要です。勇気を持って行きましょう。ラッキーアイテムは打ち上げ花火。


 そのおみくじにはこう書かれていた。







 魔理たちが目指す調理室は、中庭に面した北棟の1階にあった。
 階段を下りる途中に感じた甘い匂いは、1階に到着するとその濃度を益々高めている。
 その匂いは階段を下りきったすぐ側の教室から漂っていた。

 「お、やってる。やってる・・・」

 引き戸の前に辿り着いた魔理がガラス部分からそっと中を覗き込むと、おキヌと数名の生徒たちが忙しなくその手を動かしていた。
 調理実習の班の数だけ用意されているオーブンレンジがフル稼働し、次々と焼き上がるクッキーがおキヌたちの所へと運ばれている。
 彼女たちは焼き上げたクッキーがまだ柔らかいうち、餃子を包むような要領ですばやくおみくじを挟んでいった。

 「えーっと、こう言うの何ていったっけ? マニュファクチャー?」

 次々と完成するフォーチュンクッキーに、魔理は社会科の授業を思い出していた。
 かなりの速度で生産しているらしく、おキヌたちの側らには既に試食には十分な数のクッキーが完成している。
 スピード重視な作業を可能にしているのは、それぞれに細分化された役割分担だった。
 
 「感動だわ、人は日々進歩するのね」

 掛け値無しの賞賛を口にすると、弓は両手が塞がっている魔理に代わり、調理室の引き戸をがらりとあけた。
 二人を出迎えたのは甘い菓子の匂いとオーブンの熱気。それと張りつめた空気。
 恐る恐る振り返ったおキヌの顔に、弓と魔理は口元を引きつらせた。
 
 「良かったですね。弓さんと魔理さんでしたよ」

 おキヌの漏らした一言に、調理室を包んでいた緊張が一気に弛緩する。
 弓と魔理は、一様に安堵のため息をついたクラスメイトを怪訝な顔で見つめていた。

 「なんだ? あたしたちで良かったって、何かあったのか??」

 「あはは・・・少し。弓さん、廊下に弓さんたち以外で誰かいました?」

 魔理は首を傾げながら手に持った電気ポットで湯を沸かす準備を始める。
 水を入れ始めた魔理を止めようとした弓だったが、廊下の様子を窺うおキヌの言葉に、すっかり言うタイミングを失ってしまった。 

 「ちょっと待って、もう一度確認するわ」

 ドアから体を半分ほど出し廊下を覗き込むと、弓は調理室内に残した右手でOKサインを出す。
 どうやら弓には、自分たちが到着する前に起きた出来事に見当がついているらしい。
 彼女のサインを切っ掛けに、クラスメイトの一人が教卓の向こうに声をかけた。 

 「もう大丈夫らしいですよ。鬼道先生!」

 「あ、やっぱり・・・・・・」

 どうやら予想通りの事態が起きていることに、弓は呆れ顔で入ってきた引き戸を完全に閉める。
 ドアが立てたピシャリという音を聞きようやく安心したのか、焦燥しきった様子の鬼道政樹がのろのろと教卓の下から這い出してきた。

 「どうやら無事やり過ごせたようやな。助かった、ありがとう」

 「いや、そんなに感謝されても・・・・・・だけど、そんなに試食がイヤなんですか? 少しぐらい食べてあげればいいのに・・・」

 深々と頭を下げた政樹に困ったように笑うと、おキヌはその表情を少し曇らすように問いかける。
 あまりの困窮ぶりについ助け船を出したのだが、自分も作り手であるおキヌとしては、頑なに試食を嫌がる政樹の気持ちが理解できないのも事実だった。

 「そうね。そして、ファンたちにもみくちゃにされた政樹先生を見て冥子さんがプッツンする・・・・・・」

 「え? まさかそんなことには・・・・・・」

 弓が口にしたお約束な展開を笑おうとしたおキヌだったが、心臓を押さえながらゼーハーゼーハーやりだした政樹の姿に言葉を失う。
 真っ青な顔で教卓にもたれ掛かった政樹は、震える指先を弓に向けようとしていた。

 「ゆ、弓、まさかお前も・・・・・・」
 
 「その様子じゃまだ後夜祭の花火は見つかっていないようですね。政樹先生」

 「ああ、探しに行くたびにこう邪魔が入るとな・・・・・・そんなことより」

 ようやく理解者を見つけたかもしれない期待。
 しかし、調理室内に響いた呟きが彼の背筋に冷たいものを奔らせた。

 
 ―――花火なんか見つからなきゃいいのに


 それは明らかにおキヌの声だった。
 だが、それを聞いた全ての者がすぐにはその事実を認識できない。
 あまりにも普段のおキヌとはかけ離れた発言に、周囲の者たちは信じられないようなものを見るような目を彼女に向けていた。

 「おキヌ、お前、今なんて・・・・・・」

 「え、あ、イヤだ、私ったら、冗談、ほんの冗談ですよう」

 愕然とした魔理の呟きが、おキヌにようやく自分の発言を認識させる。
 その内容に取り乱したおキヌは、真っ赤になった顔を手の平でパタパタ扇ぎながら席を立つ。
 思わず口にした言葉は、彼女自身すら慌てさせていた。

 「あー、もう、暑いですねこの部屋! クーラーつけちゃいましょう!!」

 季節は9月末。秋もだいぶ深まったとはいえ、電気オーブンを全て使用している調理室にはかなり熱がこもっていた。 
 赤らんだ顔の言い訳のような台詞を口にしたおキヌは、壁際にあるエアコンの操作パネルに指先を伸ばす。

 「あ・・・・・・」

 停電の予感を裏切り、微かな送風音を立て始めたエアコンを弓は呆然と見上げていた。

 「いやー、驚いたね。まさかおキヌがあんな黒い発言するなんて」

 「本当やな、正直肝が冷えたで。氷室、お前、ひょっとして何か知って・・・・・・」
    
 「政樹先生!!」

 廊下にまで聞こえる様な弓の声。
 ビクリと跳び上がった政樹に弓は極上の笑顔を浮かべる。

 「氷室さんの作ったクッキー試食してくださいよ」

 「なんや弓、やぶからぼうに・・・」

 弓が指し示した皿には、いま正におキヌが折り曲げおみくじを挟んだばかりのクッキーが乗っていた。
 政樹は目の前に差し出されたクッキーに怪訝な・・・いや、怯えていると言っても良い表情を浮かべる。
 そんな政樹の顔を見た弓は、大仰に傷ついた素振りを見せた。

 「酷い! 他所のクラスのクレープは食べたクセに・・・・・・」

 「ナニッ! それは聞き捨てならないなぁ・・・さっき約束破ったことと併せて、汚名返上してもらわないと」

 「はは、偉いぞ一文字・・・ちゃんと、あれ?」

 「無闇に誉めたくらいじゃ誤魔化されないよッ! 政樹先生! 他所のクラスのクレープとどっちが美味いか試して貰おうじゃないかッ!!」 
 

 ―――その調子、名誉挽回よ。親友・・・・・・


 思いがけぬ魔理の援護射撃をうけた弓は、唖然としているクラスメイトに焼き上がっていたクッキーを持たせる。
 そのまま何のことか分からぬ彼女たちを後部ドアから避難させると、弓はおキヌの袖を引っ張り自分の方へと引き寄せた。
 弓の目的は政樹にクッキーを食べさせる事ではない。先程廊下を確認したときにわざと報告しなかった女生徒の群れ。
 彼女はこれから起こる出来事が手に取るように予想できていた。

 「やっぱりココにいたんですねっ! 政樹先生っ!!」

 「うわっ!!」

 調理室前の引き戸が荒々しく開き、雪崩れるように乱入してきた女生徒が即座に政樹を包囲してしまう。
 はじき出された魔理が彼女たちに食ってかかろうとするのを、弓の声が制止する。

 「刺激してはダメ・・・ゆっくり」

 魔理とおキヌを引きつれジリジリと後退しようとする弓。
 その声を聞きつけたのか、政樹を包囲した乱入者の目が三人に集中した。

 「さっきはいないって言ったのに、あの子たち嘘付いてたのよ」

 「ずるい・・・自分のクラスばかり!!」

 「試食してくれないの、あの子たちのせいなんじゃない?」

 不味いことに魔理の手には、政樹に勧めようとしたクッキーが乗った皿。
 集中する悪意の視線に流石の魔理も口元を引きつらせた。

 「分かったッ! 全部試食する! 一番自信があるのはどのクラスや!!」

 毒を食らわば皿までとばかりに、クラスの生徒を護ろうとした政樹が自棄気味に叫ぶ。
 瞬く間にもみくちゃにされた政樹のおかげで、弓たち3人に向けられた敵意は霧散していた。

 「ゴメンなさい先生・・・二人とも逃げるわよ」
 
 霧散した敵意を幸いと、弓は二人を伴い後部ドアへと移動する。
 途中、魔理がポットを回収しようとするのを止めると、弓は急いで逃げるよう魔理とおキヌに指示を出した。
 彼女は気付いていたのだ。窓の外に立つインダラに乗った冥子の姿に。
 先程弓が政樹の名を大声で呼んだのは、廊下にいる女生徒に知らせるためだけでは無かったらしい。
 起動したエアコンに意識を集中していた弓は、その送風音に混じる蹄の音を耳にしていた。 

 キン!

 アンチラの刃が一閃すると、鋭い金属音と共に窓の鍵が切断された。
 施錠を失ったサッシ窓を、いつも通りの茫洋な顔で冥子がカラカラと開ける。
 ようやく冥子に気付いた政樹は、みるみる顔を青ざめさせていく。
 窓越しに見つめ合った冥子の額には、くっきりと青筋が浮かんでいた。

 「マーくんの・・・」

 「ち、違うんや! 冥子さん! コレには深いわけが・・・・・・」

 「マーくんの・・・」

 窒息しそうになるほどの霊圧に、弓たち3人は猛ダッシュをかけた。
 おキヌの離脱と共に起きた停電。それに気づいたのは最後尾を走る弓だけだった。
 
 「マーくんの浮気者―――ッ!!」

 冥子の叫びと共に聞こえる悲鳴と破壊音。
 背後で起こっているだろう惨劇を振り返ろうとはせず、弓たち3人は完全に安全を確保できる距離まで走り続ける。
 3人がようやくその足を止めたのは、別校舎の階段付近まで辿り着いてからだった。





 「危なかったなー、弓が気付くのに遅れたらモロに巻き込まれてたぜ!」

 「でも、午後からの作業が・・・・・・」

 「大丈夫よ。冥子さんの暴走被害は最優先で復旧されるから。今頃、警備本部に連絡が行ってるんじゃない?」

 「そうそう、教室でゆっくりお茶して・・・あっ! ポットどうするんだよ! ポット! アレがないと・・・」

 「今、取りに行くのは得策ではないわね。馬に蹴られて死んじゃうわよ」

 理解不能な弓の呟きを聞き、おキヌと魔理は顔を見合わせた。    
 その呟きが、決死の覚悟で調理室へ戻ろうとした魔理を止めたものであることは理解できる。
 しかし、二人には何故馬に蹴られるのかが理解できていない。
 頭上に大きな【?】を浮かべたおキヌと魔理の疑問は、自分の唇を指し示した弓の指先によって氷解した。

 「マジか! いや、プッツンを止めるには確かに・・・・・・」

 「政樹先生不潔ッ! いくら何でも学校でなんてッ!!」 

 「でも、あり得ると思わない?」

 「これしか黙らせ方を知らないんだ・・・ってヤツか!!」

 「そして冥子さんの全身から力が抜けていくんですねッ!!」

 政樹が取る行動を察した二人はキャーキャーと騒ぎ立てる。
 妙にハイテンションな会話がしばらく交わされた後、その話題を打ち切るように魔理がおキヌの肩をポンと叩いた。 
 
 「しかし、おキヌが元気になって安心したぜ! 最近、なんか、落ち込み気味だったからよ」

 「あはは・・・目一杯お菓子作ってたら、気分がスッとしました」
  
 「良し、思いっきり作ってどんどんハイになってくれ! 文化祭当日も楽しめるようにな!」

 「うーん。でも、私、お祭りって準備している時が好きなんですよね。ホラ、お祭りって終わると寂しいじゃないですか、だからこんな風に思っちゃうんです、このまま今日がずっと続けばいいなぁーって・・・」

 「氷室さん、私たち友だちよね?」

 「え? 嫌ですよう。急にあらたまっちゃって・・・・・・当たり前じゃないですか」

 真顔で質問した弓に、おキヌは照れたように笑った。
 弓はその笑顔につられずに、真顔のままおキヌに詰め寄る。

 「良かったら聞かせてくれないかしら? 花火がどうかしたの? さっきは本当にあなたらしく無かった。去年の対抗戦、人を信じなかった私を叱ってくれたあなたらしくね・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 階段下の一角に重い沈黙が落ちる。
 自分が喋るべきではないことを魔理は察していた。

 「シロちゃん・・・・・・・・・」

 「シロ? 美神おねえさまの居候の?」

 「夏に花火を見に行ったんです・・・・・・事務所のみんなで。その日から少しシロちゃんの様子がおかしくなって・・・・・・」

 「・・・・・・・・・」

 「多分、あの日、シロちゃんは横島さんを男の人として好きな事に気付いたんです。だって、それからのシロちゃんは、嬉しそうで、楽しそうで、そして、寂しそうで・・・」

 人を好きになったときに味わう様々な感情を弓と魔理は噛みしめる。
 二人は人狼少女の初恋に訪れる運命を予感していた。 

 「シロちゃんは凄いなぁ・・・・・・。タマモちゃんも、美神さんも、もちろん横島さんも口には出さないけど、ちゃんと答えを出せて・・・・・・・・・」

 シロの失恋におキヌは気づいている。
 しかし、それを確認する勇気をおキヌは持ち合わせていなかった。
 
 「シロちゃんは怖くなかったのかな? 今の関係が壊れちゃうのが・・・私はダメ。美神さんがいて、横島さんがいて、シロちゃん、タマモちゃんがいて・・・・・・ずっとこのままでいたいなぁって。だからこう思っちゃうんです。あの日、花火なんか見なければ良かったって。ダメですね私」

 「そんなこと無いわよ」

 「そうだよ、気にすんなって」

 励まそうとする二人にも、咄嗟にかける言葉は見つからない。
 おキヌの横島への思いを知っているだけに、無責任な言葉を口には出来なかった。
 そんな二人の気遣いを感じたのか、おキヌは笑顔を浮かべると彼女たちに先んじ階段を駆け上がる。

 「今は文化祭に集中できるけど、終わればまたクヨクヨしちゃうだろうなぁ・・・って、ちょっと心配だったんです。でも話したら少しスッキリしました。・・・・・・さあ、もうすぐ鐘が鳴っちゃいますよ!」  

 「そうだな、クラスのみんなも待たせてるし。弓、お茶は後回しにして・・・・・・あ!」

 共におキヌの後を追おうと、弓を振り返った魔理はその足を止める。
 弓の背後には幽鬼のような青い顔をした工藤京子が立っていた。

 「どうしたんだよ! 京子先生! そんな青白い顔しちゃって!!」
 
 「・・・・・・繰り返している。文化祭の前日をずっと・・・そうなのね?」

 「ちょっと、ナニいきなり訳の分からないこと言っているんだよ!」

 いつもとは異なる様子の京子に、魔理は面食らってしまう。
 京子はそんな魔理を無視し、弓に詰め寄り問いつめるように語りかけた。

 「弓さんッ、あなたは一体何に気付いたというのッ!?」

 「夢の中・・・・・・」

 弓の漏らした呟きに、京子と魔理は戦慄する。
 魔理は自分のうかがい知らぬ所で会話が成立している状況に。
 そして、京子は自分の推測が否定されなかった事実に。

 「切っ掛けはクレープを食べたときに感じた違和感。それが、幾つか積み重なったとき、私はあの時の感覚に似ていることに気付いたんです」

 「あの時! 彼の意識の中に飛び込んだ時と同じだというの!! まさか、今回の異変も姑獲・・・・・・!」

 「ちょっと待て弓! アタシには何のことかさっぱり・・・・・・あの時とか、彼って一体何のことだッ!?」

 魔理の前で姑獲鳥の事を口にしそうになり、京子は慌てて口を噤んだ。
 弓は京子の言葉を否定するように小さく首を振ると、窓の外に見える中庭を指さす。
 窓の外には、理事長に耳を引っ張られ何処かに連れて行かれる冥子と、ソレをぐったりとした様子で見送る政樹の姿があった。

 「1度目は悲劇、2度目は喜劇というらしいですけど、3度目は何と言うんでしょうね? この世界に感じるのはあの時のような哀しさではなく、甘い罠のような楽園。多分、冥子さんが何度暴走を繰り返しても、六道の生徒に被害は出ないでしょう・・・・・・さっきの暴走の時、怪我人の報告は来ましたか?」

 「いいえ、本部からは奇跡的に生徒の怪我人はないと・・・!」

 「オイ、頼むから二人で納得してないで、アタシにも分かるように説明してくれよ」

 何かに気付いたのか白衣のポケットをまさぐり始める京子。
 そんな彼女と弓の間に、蚊帳の外にされ不安になった魔理が割り込んでくる。
 魔理の捨てられた子犬のような目に溜息をつくと、弓は彼女に自分が感じ取った怪異について語り始めた。
 
 「私自身、確かな確証は無いの・・・それに気付いたのは今回、いや、ひょっとしたら気付いたと言うことを何回も繰り返しているのかも」

 「だから何なんだよ! 今回とか前回とかって!?」

 「私たち・・・この六道女学院全体が文化祭前日を幾度も繰り返している。そんな気がしてならないのよ」

 「はあ? 私たちが文化祭前日を何回も? そんな事が起こってたとしたら親とか外にいる奴らが騒ぎ出すだろ! お前らしくもない・・・・・・」

 全く実感のない仮説を聞かされた魔理は、その弓らしくない非論理的な憶測を笑い飛ばそうとする。
 その言葉を遮ったのは、自分自身に言い聞かせるような京子の呟きだった。


 ―――この世には不思議なことなど何もない


 京子は唖然とする魔理に漢詩の一節を口ずさむ。

 「昔者、荘周夢為胡蝶・・・・・・」

 「な、なんだよソレ、頼むから馬鹿にも分かるように簡単に言ってくれよ」

 「荘子という人が語った話よ・・・・・・昔、荘周という男が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない―――つまり、夢は一瞬の間に、その生涯を体験させることもできる。時間や他者との関係はあまり問題にならないでしょうね」

 「あたしが誰かが見ている夢かもしれないってのか? または、京子先生や弓があたしの見ている夢という場合も・・・・・・カーッ! 訳わかんねえッ!! あたしは誰が何と言おうとあたしだし、第一、夢なんてそんなものどうやって証明するんだよ!!」

 「荘子はこうも言っているわ。周与胡蝶、則必有分矣―――荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである・・・・・・弓さん、あなた他にも何かに気がついているんじゃないの? 今が夢ならば一体何の為に? そして一体誰の!?」

 次々と湧き上がる仮説に京子は慌て始める。六道に何かが起こっていることは彼女の中で確信に変わっている。
 俄に理解し難かったが、弓用に仕入れておいた包帯の残りは、先程弓が言った通り残り1つになっていた。
 裏で糸を引いている何者かは、包帯の存在に気づかないらしい。
 ループの度に補充されているその他の物品とは異なり、徐々に数を減らしていく包帯が京子に事態を知らしめている。
 そして、皮肉にも異常に気づかせた包帯の補充がされないという事実は、弓を護る手段を失うということを表していた。
 焦りの表情を隠さない彼女の耳に、階段上から呼びかけるおキヌの声が響く。

 「二人とも、何やってんですかー?、早く来ないと鐘がなっちゃいますよー!」

 鐘という響きに焦りを感じた京子は、弓の手をしっかりと握りしめた。
 
 「もうすぐ鐘が鳴る。もし、時間がループするのなら、私は、いや、みんなも気付いた事を忘れてしまうかも知れない・・・・・・弓さん、あなたは忘れないで。彼の意識から帰ってこれたアナタなら・・・・・・」

 事態の解決を弓に托そうとする京子の言葉。
 その言葉は無情にも正午を知らせる鐘の音色に打ち消されていった。








 ―――カラーン、コローン、カラーン、コローン









 「おっしゃ! 今日も一日頑張っていくぜッ!!」

 始業を知らせる鐘が鳴ると、一文字魔理のかけ声に合わせクラスのみんなが文化祭の準備に取りかかろうと気合いを入れる。
 その声にビクリと肩を竦ませると、弓は自分がホームルームに戻っていることに気付く。
 周囲を見回した彼女は、時間のループが起きたことを実感した。
 
 「一文字さん!!」

 「どうした弓?」

 突如名を呼ばれた魔理は、キョトンとした顔を弓に向ける。
 その表情を見て、弓は魔理の記憶がループと共に消えてしまった事を悟った。

 「あなた、忘れちゃったのね・・・・・・」

 「ナニ言ってんだよ! 作業手順はバッチリ頭の中に入ってるぜ!! いいかみんな、これから今日の作業を説明するからな!!」

 堪らなく感じる孤独感。
 時間のループに気づいているのは、自分一人になってしまったかも知れない。
 そんな自身の想像に固く拳を握った彼女は、左手の包帯に挟まれた紙片に気付く。
 先程京子に手を握られたことを思い出した弓は、急いでその紙片を確認した。

 
 ――― 精神感応力者に協力を求めて


 紙片に書かれていた一言が、弓の勇気を奮い立たせる。 
 包帯に隠された紙片には、京子からのメッセージが記されていた。
 精神攻撃に対して防御力の高い能力者なら、ループに気付いた者もいるかも知れない。
 だが、高レベルな精神感能力者にどうコンタクトを取るべきか?
 行動を起こそうとした弓の耳に、作業手順をまくし立てる魔理の声が届く。
 前回、その内容に感じた違和感がようやく弓の中で結実した。
 
 「先ずはA班はおキヌについて調理室へ、試作の材料はOKか? 午後には京子先生の視察が入るって噂だから気をつけてくれよ! B班はポスター、チラシ、店内メニューの作成任せたからな、ポスカとか足らなくなったら午後から買い出し部隊に出て貰うからメモしといて! んで、内装担当のC班はこれからアタシと一緒に使用しない机、椅子の移動。ちゃんとクラス番号のシールを貼らないと行方不明になっちゃうらしいからしっかりな! その後、使用機材の搬入があるから校舎裏の職員駐車場に集合してくれ!!」

 慣れた様子で各人への役割分担を指示した魔理は、自身も一労働力として教室を後にしようとする。
 弓は極めてさりげなく魔理の元に近づき、そっと彼女に耳打ちをした。

 「約束どおり助けて貰うわよ・・・・・・ちょっと付き合ってくれる?」

 そのまま教室を後にした弓を追いかけるように、魔理は同じ班のクラスメイトに幾つか指示を与えてから廊下に走り出す。
 業務の引き継ぎは呆気ないほど簡単に済んでいた。 

 「おい、何だよ助けって・・・」

 階段の途中で弓に追い着いた魔理は、急いだ様子で階段を下り弓の隣りに並んだ。
 弾むような足取りに緩む頬。魔理は弓に助けを求められた事を妙に嬉しく感じていた。

 「機材のレンタルを頼んだ業者なんだけど・・・・・・」

 「な、なんだ。べ、別に怪しい業者じゃないぞ」

 分かりやすい動揺を浮かべた魔理に弓は苦笑を漏らす。
 魔理の動揺に、弓は自分の考えた仮説が正しいことを確信していた。

 「正直に言いなさい。機材の搬入頼んだのタイガーさんでしょ! 前に教習所通ってるって言ってたし・・・」

 「な、何のことデショウカ」

 「私専用の赤いタキシード・・・・・・」

 弓の口にした一言に魔理の顔色が変わった。

 「見たのか?」

 「ええ、今じゃないけどね」

 「今じゃない!? 一体どういう事だ?」

 「何度も同じ時間を繰り返しているって言っても信じられないでしょうね。でも、アナタが知らないことを私が知っていたら信じてくれるかしら? 魔理専用メイド服とか・・・・・・」

 「あの野郎ッ! もう一回ぶっ殺す!!」

 ループの証拠として口にした一言。
 その一言を聞いた魔理は、顔を真っ赤にして走り出す。
 過剰なまでの反応に首を傾げながらも、弓も全速力で魔理の後を追っていった。






 校舎裏
 職員駐車場
 人気のいない職員駐車場に走り込んだ魔理と弓は、一角に積まれた段ボールの山に駆け寄っていく。
 近くには借りてきたらしい小笠原事務所のワンボックスカーが駐車していた。

 「タイガーッ! 出てきやがれッ!!」

 周囲に人の気配は無し。植え込みの影に隠れるように放置された二宮金次郎の石像が、六道女学院の歴史の古さを感じさせていた。
 都心故の交通事情の為、自動車通勤の職員が殆どいない六道では、職員駐車場は常に閑散としている。
 魔理がレンタル機材の搬入にこの場所を選んだのは、そう言った理由からだった。

 「男子禁制なんてどうでもいい! 隠れないでいいから出てこいッ! なんで弓にあの事話したのか説明しやがれッッ!!」

 「そんなに怒ってちゃ、出て来るものも出てこれなくなっちゃうわよ」

 協力を求めたいタイガーが逃げ出したり再起不能にされるのは本意ではない。
 もの凄い剣幕で怒る魔理に呆れ顔を浮かべると、弓は衣装の入っているダンボールを開き、自分と魔理の衣装を彼女に見せつけた。

 「ホラ、これ! 私はタイガーさんには会ってもいないし、話を聞いてもいないわよ。言ったでしょ、何度も同じ時間を繰り返しているって」

 「どういう・・・ことだ? 一体・・・・・・」

 愕然と自分を見つめる魔理に、弓は今の状況をかいつまんで説明し始める。
 何度もループを重ねている六道女学園。
 その説明を聞くうちに、魔理はその顔色をどんどん青ざめさせていった。

 「馬鹿だッ! 私はッ!!」

 魔理は悔しそうに自分のこめかみを拳で殴る。
 自分を戒めるときの彼女の癖だった。
 状況から考え、タイガーは何者かの手に落ちたらしい。

 「同じ事を何回も繰り返していたなんて。タイガーが襲われてるかもしれないのに・・・・・・」

 「そんなに自分を責めないで、今のところ、この状況を作り出している何者かに危害を加える意志は感じられないし」

 「でも、弓の話が本当だったら、危害を加えられないのは女だけだろッ! 男の政樹先生は・・・・・・クソッ、今朝、アイツと一緒に登校した時には何にも感じなかったのに。アタシがもっと精神攻撃に強ければ気付いてやれたかも知れないのに・・・・・・」

 悔やむ魔理の一言に、弓は京子のアドバイスが必ずしもタイガーを指していない事に気付く。
 京子にタイガーのことを聞かせた事はあったが、現時点でタイガーが校内に侵入していることを彼女は知らないはずだった。 


 ―――まだ、おカネがどーのこーの言ってるの!?


 峰のクラスで聞いた代表戦メンバーへの一言が思い出される。
 昨年度の代表戦で、魔理を精神汚染した神野と言う名の精神感応力者。
 精神攻撃に耐性がある彼女は、いち早く今の事態に気付いていたのかも知れなかった。

 「先ずはタイガーさんがどうなったのか調べましょう。手助けしてくれそうな子に心当たりがあるの」

 弓は魔理を伴い校舎中央棟2階にある警備本部を目指す。
 そこには巡回当番でペアを組むはずの峰がいるはずだった。





 警備本部前で腕章を手にした峰は、全速力で走り込んでくる弓と魔理にただならぬ気配を感じていた。

 「遅かったじゃない。何かあったの?」

 「ごめんなさい。説明は後! アナタのクラスの神野さんは今、何処にいるの?」

 「ちょ、ちょっと、落ち着きなさいよ! そんなに慌ててちゃ1年のファンが、あれ?」

 突如として感じる違和感。
 しかし、弓たちにはのんびり彼女に付き合っている余裕は無かった。
 魔理は峰の手を取ると深々と頭を下げる。
 付き合っている男の安否を知る事が、彼女の最優先事項となっていた。

 「教えてくれッ! 頼む!!」

 「神野なら保健室に行くって私に・・・・・・あ、ちょっと、一体何が起こっているのよ!」

 再び走り出した二人を峰は慌てたように追いかける。
 彼女自身の中でも、堪らないほどの違和感が頭を持ち上げ始めていた。
 まるで目覚めた瞬間の夢と現の区別が付かないあやふやな感覚。
 そして、それは保健室に駆け込んだことで揺るぎない確信へと姿を変えるのだった。

 「廊下は走らない! それに気分が悪くて寝ている子がいるから」

 ノックも無しに飛び込んだ保健室。
 足音で弓たちの接近に気付いたのか、京子は閉まっているベッド脇のカーテンを指さしながら、もう片方の手で黙っているよう唇に人差し指を当てている。
 前回の記憶を失っているらしきその姿に若干悲しい顔をしたものの、弓はベッドの側に歩み寄り、カーテン越しに中の人物に話しかけた。

 「神野さん、お願い。力を貸して欲しいの・・・・・・」

 「何なの? いきなりやってきて、その子は気分が悪いんだからそっとしておいてあげなさい」

 「京子先生。私の包帯の在庫を確認していただけますか?」

 「ちょっと、こんな時に!」

 左手に関わる話題を京子は咎めようとする。
 しかし、そのことによって彼女は弓が決してふざけているのでは無いことを察していた。

 「そうすれば今、起こっている事態が分かると思います。京子先生なら・・・・・・」

 真剣な表情の弓と魔理。
 そして黙って様子を窺う峰にただならぬ緊張を感じながら、京子はキャビネットに保管してある包帯の在庫を確認しはじめる。
 弓は京子の反応を待たず、カーテンの向こうに話しかけた。

 「やっと気付いたの。私たちが文化祭の前日をずっと繰り返しているってことに。それをやっているのが何者で、何の目的があるのかはまだ分からないけど・・・・・・私はこのまま繰り返し続けるなんてゴメンだわ。私は前に進みたい。お願い、力を貸して」

 「そうだッ! 頼むッ!! タイガーの行方を調べてくれるだけでいい」

 必死な二人の呼びかけにも神野は答えようとしない。
 沈黙を続けるベッドの向こう側に代わって、不思議なほど落ち着いた京子の声が保健室に響いた。

 「いや、それだけではだめ。今の事態もはっきりさせなくてはならないわ。周与胡蝶、則必有分矣―――荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはず、この世には不思議なことなど何もないのだから」

 キャビネットから振り返った京子の手には数枚のメモ。
 弓はそのメモが、自分の左手に差し込まれたのと同じく、在庫の包帯に隠されていたものだと瞬時に理解する。
 そしてそのメモがループに関する記憶を失うであろう、京子本人に向けたメッセージであることにも。

 「弓さん、あなた、私がこのメモを隠すって知ってたの?」

 「いいえ、ただ、私にメモを握らせた先生なら在庫の包帯にも同じ事をするだろうと・・・・・・精神感応力者が神野さんの事とは気付かずに、回り道をしましたが」
  
 「一文字さんの彼氏が侵入してたなんて知らなかったからね。だけど、その予期せぬカードを手に入れることが出来れば、状況をひっくり返せるかも知れない。アナタもそう思うでしょう?」

 コクリと肯いた弓の隣りに立つと、京子はベッドの中で沈黙を続ける神野に向かいすまなそうに謝罪を始めた。

 「独りでずっと怖い思いをしてたのね。それなのに私、何の力にもなれなくって、折角、頼ってくれたって言うのに・・・・・・ごめんなさいね。神野さん、アナタの悩みに気付いてあげられなくて」

 「違うッ! 本当に謝らなきゃならないのは私よッ!!」

 沈黙を破った峰の叫びに、カーテンの向こうから動揺が伝わってくる。
 
 「神野! 情けないけど、夢みたいな朧気な感覚しか私には残っていないわ。私はその中で、あなたの悩みを真剣に受け止めなかった・・・・・・思い出せないけど、その前にはもっと酷いことを言ってしまったかも知れない。教えて、あなたは何回、文化祭前日を体験したの?」

 「・・・・・・3回」

 カーテンの向こうから返ってきた涙に震える神野の声に、峰は沈痛な表情を浮かべた。
 級友にこんな思いをさせていた自分が、そして、こんな事態を引き起こした何者かを峰は心から許せなかった。

 「もう終わりにしましょう・・・・・・神野、この茶番を抜け出すためにアナタの力が必要だそうよ! 約束する、もう絶対に独りで怖がらせたりはしないわ!!」

 カーテンが勢いよく開き、中から黒髪の少女が飛び出してくる。
 ようやく理解者を得た安堵に泣きじゃくる神野。
 彼女を抱き止めた峰は、無言で成り行きを見守っていた弓と視線を交わす。
 この場にいる全員が、ループ脱出の意志を固めていた。






 校舎裏
 職員駐車場に続く道路
 保健室を後にした弓、魔理、峰、神野、京子の5人は、タイガーが最後に足跡を残した荷物の搬入地点へと移動を開始していた。
 神野の手には途中で切り出した榊の枝。その後ろについた峰の手には、神野の精神感応に用いる水が保健室のバケツに入れられて運ばれている。

 「それじゃあ、魔理さんの彼氏を見つければいいのね」

 「ああ、よろしく頼む」

 期待に満ちた視線を神野に向ける魔理。
 既に荷物を搬入したワンボックスカーの半分程は彼女たちの視界に入っている。
 植え込みの角を曲がり、駐車場を視界に収めると、神野は精神を集中するべくそっと目を瞑った。

 「確かに誰かがこの場所に捕らえられている。眠らされ、夢も見ずに・・・・・・」

 「マジかっ! 無事か、タイガーは無事なんだな!?」

 「無事と言えば無事なようね。夢魔の被害者と同じ症状・・・・・・そんな感じかしら? 神野さん」

 「ええ、京子先生の言う通りでしょう・・・・・・だけど、巧妙に隠されているのか彼の姿が捉えられない」

 タイガーの姿を知らない彼女には、彼のイメージを捉えるのは困難な作業なのだろう。
 神野は目を開くと、安堵にへたり込みそうになっている魔理に視線を向けた。

 「彼・・・タイガーさんの特徴を教えてくれないかしら? 存在を捉えようにも、イメージがこう希薄じゃ・・・」

 「え? タイガーの特徴ねえ・・・気は優しくて力持ち、そりゃ、決してジャニーズ系じゃないけどよ」

 さっきまでの緊迫感は何処に消えたのか?
 ニヤケ顔でタイガーについて語り始めた魔理を、一同は呆れたように眺めている。 

 「意外と格好いい所もあるんだぜ、例えばこの間こんなことが・・・・・・・・・うわっ、峰っ! 京子先生なにを!!」

 場をわきまえずのろけ始めた魔理を、峰は京子の指示に従い羽交い締めにする。
 じたばた暴れる魔理の耳を塞ぎながら、京子は説明役に弓を指名した。

 「弓さん、客観的事実をお願いするわ」

 「え、わ、私が・・・・・・」

 「彼女の彼氏評ほど聞いていて馬鹿らしいものは無いでしょ! 魔理さんには聞かせないから一言で完結に! 急いでッ!!」

 「みっ、身の丈2mの――――」
 
 悪いと思いつつも口にした客観的特徴。
 その内容を聞いた神野は信じられないという表情を浮かべていた。

 「身の丈2m? 嘘でしょ・・・・・・」

 「どうかしたのか? 神野っ!」

 神野の表情に何かを感じ取ったのか、魔理を羽交い締めから解放した峰は神野に詰め寄る。
 自分を見つめる周囲の人々に、神野は震える指先を二宮金次郎像に向けた。

 「あれ、アレが見えないの? みんなには?」

 「あれってただの石像じゃないか・・・・・・」

 「ああっ、もう!!」

 怪訝な顔を浮かべたみんなに痺れを切らしたのか、神野は足下に置かれたバケツに榊の枝を浸ける。
 
 「しっかり、よく視てッ!!」

 勢いよく振られた榊から滴が飛び散った。
 その滴を身に受けた瞬間、一同の目が驚きに見開かれる。
 一同の視線の先。今まで二宮金次郎像として認識していた石像は、何かを背負うように石化した、身の丈2mの影の薄い大男―――タイガー寅吉に姿を変えていた。

 「タイガーッ!!」

 一目散にタイガーに駆け寄った魔理は、人目も憚らず石化した彼に抱きつく。
 そして魔理は、彼に付着していたザラッとした粉末に思わず顔をしかめた。

 「な、何じゃコリャっ!!」
 
 魔理の手や腕に付着してしまったのは、独特の臭いのする粒子の細かい粉。
 僅かに遅れて到着した弓は、その物質の正体を一目で見抜いた。

 「クレンザー・・・でも、なんでこんなものが?」

 「悲しいことに私には少し分かっちゃうわ・・・・・・でも、今は彼の石化解除が先決」

 京子は白衣の袖をまくりながらタイガーの正面へと移動する。
 彼女の両手に生じた暖かい光がタイガーに吸い込まれていくのを、魔理はじっと見つめていた。

 「ど、どうなんだ? 先生」
 
 「ダメ・・・・・・やっぱりヒーリングで治せる通常の石化じゃない。だとすれば、あとは神野さんの出番ね」

 しばらく霊力の照射を続けた京子は、諦めたように溜息をつくと解除法を切り替えるべく神野に場所を譲った。

 「了解です・・・送り込むイメージはやっぱり一文字さんで?」

 「そう、一文字さんの姿を彼の目が醒めそうなイメージで・・・・・・出来る?」 

 「多分大丈夫です。去年の対抗戦で、彼女を水着にしたことがありますから」

 「いいわね・・・・・・それで行きましょう」

 意識を集中し始める神野に対し、なんの事か分からない魔理は京子に助けを求めるような視線を送る。
 その視線に対して京子は、人の悪そうな笑みを浮かべた。

 「精神的な凍結を溶かすには、会いたい人の姿が一番でしょ! 彼の意識をこの場に誘導するために、これからあなたの水着姿を彼の意識に打ち込むのよ」

 「え!? み、水着・・・・・・」

 「なによ! 減るもんじゃなし・・・・・・それぐらいサービスしてあげなさい!!」

 顔を赤らめ、言葉に詰まった魔理。
 彼女らしくもない躊躇に違和感を感じた弓は、突如としてフォーチュンクッキーのおみくじを思い出す。


 ―――☆おみくじ  天網恢々疎にして漏らさず。悪事は必ず露見しますが、それが新しい世界を開く切っ掛けになります。ラッキーファッションは女装。


 露見した悪事に、新しい世界を開く切っ掛け。
 弓は水着以上のサービスの存在に気付いた。

 「神野さん、ちょっと待って」

 神野の精神集中を中断させた弓は、衣装が入っていたダンボールからメイド風の衣装を取り出す。
 ただでさえ赤かった魔理の顔が、更に真っ赤になっていった。

 「この衣装でイメージを跳ばせないかしら? 魔理さん専用の衣装らしいわよ」

 あまりにも当人の趣味を露呈させた提案だったが、魔理は俯いたまま反論しようとしない。 
 周囲の面々も生暖かい目で魔理を見守るしか無かった。

 「なんとまあ・・・・・・」

 「確かに、彼の帰りを迎えるのに適している・・・・・・のか?」

 「じ、じゃあ、この格好のイメージを打ち込むわよ!?」

 「ちょっと待ったッ!!」

 再びの精神集中を妨げたのは魔理の声。
 先程メイド服を取り出したダンボールに向かう彼女の姿を、弓たちは不思議そうに見守っていた。
 やがて真っ赤な顔の魔理が取り出したのは細長い布きれ。

 「機材を運ばす褒美には、コレがないとダメだって・・・・・・」

 「・・・・・・・・・」

 ソレをニーソックスと認識した一同は、神野に早くイメージを打ち込むよう目で訴える。
 正直、一刻も早くこの場の空気から解放されたいと、彼女たちは真剣に願っていた。
 神野は意識を集中すると、何処か投げやり気味に榊の枝を振り下ろす。
 絶対領域を纏った魔理のイメージを、神野はタイガーの精神に打ち込んでいった。
 








 人気のない職員駐車場。
 裏門の影から金髪のおかっぱ頭がひょっこり顔を覗かせる。
 門柱から顔半分までを出し、周囲を用心深くキョロキョロと窺う姿は悪戯好きの少女の様だった。
 周囲に人気がないのを確認した少女は、トン、と飛び出すように裏門から姿を現す。
 どこか他所の私学に通う小学生を思わせる、今どき珍しいセーラー服という出で立ち。
 その姿が、数代前の六道の制服だと知る職員は、現在の六道からいなくなって久しい。
 少女は門の影からバケツやクレンザーの箱、デッキブラシを取り出すと、植え込みの影へと歩み寄る。
 その先には、石像然と佇むタイガーの姿があった。

 「毎回、毎回、石化させないと制御できないなんて・・・・・・まったく、とんでもないイレギュラーが入り込んでいたものね」

 少女はめんどくさそうに溜息をつきつつ、バケツの水にデッキブラシの先端を浸す。
 どうやら彼女にとってタイガーは、想定外のトラブルらしかった。

 「さて、もうすぐ彼女が荷物を取りに来るけど、じっとしてなきゃダメよ。あなたは石像なんだから・・・・・・」

 それが石化させるための術なのか、少女はタイガーにクレンザーの粉末を振りかけようとする。
 しかしその行為は植え込みに隠れていた、京子の声によって止められていた。

 「それは銅像の方が効くんじゃない?」

 植え込みから京子が姿を現すのと同時に、魔理や弓たちも車の中や校舎の影から姿を現す。
 それを合図にタイガーも石化のふりを止め、少女に不敵な笑みを浮かべた。

 「まさか解けていたとはね・・・・・・・・・」

 完全に包囲されたことを悟った少女は、無抵抗の意を示すように手に持ったデッキブラシとクレンザーを足下に落とす。
 京子は血気にはやる魔理を手で制すると、少女を値踏むように眺めた。

 「変わった石化法ね。タイガー君・・・その子の彼氏に悪戯する稚気。子供に見えても、あなた見た目よりずっと長生きなようね」

 「それが分かるあなたも、見かけ程若くはないわね」

 現役高校生には分からない緊張が二人の間に火花を散らす。
 挑発を無意味と悟ったのか、少女は敵意のない微笑みを浮かべた。

 「彼の石化を解いたのはあなたかしら? 優秀な養護教諭がいて六道の生徒は幸せ者だわ」

 油断を誘うべく口にした言葉が引き起こしたのは生暖かい微笑。
 その微笑の意味が分からない少女は首を傾げる。
 彼女の言葉に応じようとはせず、京子はいきなり核心部分に斬り込んでいった。

 「本題に入りましょうか。時間をループさせているのはあなたね?」

 「正解。こんなに気づいた子がいるとは誇るべきなんでしょうね・・・」

 「大人しく私たちを解放する気はあるかしら?」 

 ジリジリと魔理や峰が包囲を縮める。
 少女の正面に立つタイガーも、半歩ほど彼女との距離を詰めた。
 高まる緊張に対し、少女がとった行動は大きなアカンベー。
 
 「イ・ヤ・ヨ! 今度はもっとうまくやるわね。あなたたちも余計なことを忘れて楽しみなさい」 
 
 「ふざけるなっ!」

 遊び半分ともとれる少女の態度。
 それに激昂した魔理が飛びかかろうとするのと同時に、少女が足下のデッキブラシを踏みつける。
 反動で跳ね上がったブラシの柄が、同じタイミングで飛び出そうとしたタイガーを急襲した。

 「グハッ!」

 この場では彼しか理解できない痛みに前屈みになるタイガー。
 謎の金髪少女は、彼の頭を踏み台にした大きな宙返りで一気に裏門手前まで逃走を図っていた。

 「逃がさないわよッ!」

 タイガーと激突した魔理を尻目に突進の方向を転じた峰は、持ち前の体術で少女に肉薄する。
 裏門の外に逃げ出した少女を追跡すべく、峰は躊躇うことなく門の外に飛び出していった。

 「なっ!」

 不意に目の前に現れた神野の姿に、峰は驚きの表情を浮かべた。
 目の前に立つ神野も、彼女と同様の表情を浮かべている。
 神野の目には門の外に飛び出した峰の姿がかき消え、入れ替わるように門の外から走り込んで来たように見えていた。

 「馬鹿なッ! 私は確かに・・・・・・」 

 踵を返した峰はもう一度同じ行為を繰り返す。
 裏門を抜けた瞬間、彼女の目の前には先程と同じく神野の姿があった。

 「無駄よ峰・・・空間もループしている。今まで誰も気がつかなかったなんて信じられないけど」

 裏門に近づいた神野が恐る恐る榊を門に通すと、その枝先は虚像の世界の中に埋没し、ほんの僅かに離れた空間からその姿を現していた。
 彼女の目には、門の外の風景が薄っぺらな書き割りにしか見えなくなっている。
 榊の枝を引き抜いた神野は、そこから少女の逃亡先のイメージを読み取ろうとするが無駄だった。

 「クソッ! 元不良をナメんなッ!!」

 門からの追跡が不可能ならば壁を乗り越えるまで。 
 そう覚悟を決めタイガーから離れた魔理は、助走をつけると勢いよく壁を乗り越えようとする。
 何か危険なものを感じたタイガーは、気持ち悪さに移行した痛みに耐えつつ彼女の後を追いかけた。
 
 「魔理しゃん! 危ないッ!!」

 「大丈夫、壁を乗り越えての無断早退は不良の花道ッ! 必ず逃げたヤツを捕まえて・・・・・・うわっ!!」

 タイガーの制止も空しく、壁を飛び越えようとした魔理は派手に外の風景を書いた書き割りに激突する。
 ベニヤ板のような弾力にはじき返された魔理は、駆けつけたタイガーの腕に抱き抱えられながら、自分の行動が巻き起こした結果を呆然と眺めていた。

 「嘘・・・・・・だろ?」

 魔理がぶつかった書き割りがゆっくりと倒れていく。
 昼間にもかかわらず、書き割りの向こうに広がる光景は星の瞬く夜空。
 六道女学園の敷地だけが、広大な夜空に浮かんでいる。
 その奇異な光景に、峰と神野は言葉を失っていた。
 そして書き割りの倒壊は次々と将棋倒しのように連鎖し、六道女学院全体に広がっていく。
 正門付近にいる生徒たちの悲鳴が、魔理たちの耳にまで届いていた。

 「壁を飛び越えようとする、ヤンチャな生徒がいるなんて想定外だったんでしょうね・・・・・・弓さんが頼りにしてたわよ! 後は親友の一文字魔理に任せるって!!」

 呆然としていた魔理は、京子が口にした言葉に我に返る。
 タイガーに抱き抱えられたまま周囲を見回すと、辺りに弓の姿は見当たらなかった。

 「えッ! 弓!? そう言えばあいつ一体どこに?」

 「どこって、次のループを起こさせないように時間稼ぎよ・・・」

 「そうかッ! じゃあアタシも・・・」

 彼女にとって目の前で起こった事態より、親友がいなくなった事の方が大事らしい。
 急いでタイガーから離れる魔理に向かって、京子は姿を消した弓の目的を告げる。
 京子は立ち去る寸前の弓から、魔理たちのサポートを頼まれていた。

 「ダメよ! 私たちは一刻も早くみんなを目覚めさせないと。パニックを押さえるため、今の子が思い切った手に出るかも知れないし・・・・・・それに、学校を困らせるのってあなたの方が適任でしょ! 優等生の弓さんは自分に出来ることをやりに行ったのよ。親友のあなたに後のことは任せてね」

 京子の言葉に含まれる真意が分からず、魔理は首を傾げそうになる。
 その言葉を信じたのは弓と京子、二人への信頼故だった。 
 反論の言葉を呑み込んだ魔理の代わりに、ようやくショックから立ち直った峰が口を開く。

 「弓さんには、今の子の正体が分かったんですか?」

 「ええ、金の髪を持った童。ここまで分かりやすいと逆に疑いたくもなるけどね。それに彼女は、荘周と胡蝶の区別が付いたって・・・・・・」  

 京子は先程行った弓との会話を思い出していた。
 逃走した少女を追えないと分かった弓が、一人その場から離れようとしたのを、京子は一旦は止めようとしていた。
 夏の登校日、弓に単独行動をさせてしまった苦い経験は彼女の心に重く張り付いている。
 しかし、そんな京子に弓を見送る決心をさせたのは、弓の口にした一言だった。


 ―――あの子にとって、私たちは子供のようなものでしょう? だから私が行くんです


 目覚め方を知っているかという京子の問いに、力強く肯いた弓。
 弓はあの夏の日、雪之丞の意識から生還していた。
 その肯きに、京子は彼女を黙って見送ることを決心する。
 今の状況を打破するには、それしか方法が無いようだった。

 「とりあえず移動しながら話すわ。急いで!」

 迷っている時間はない。
 捉えられた人々を目覚めさせるために、京子は残ったメンバーと共に行動を開始する。
 ループを起こさぬよう、鐘突塔へと向かった弓が無理をする前に・・・
  





 弓を除いた一行は京子の指揮の下、一路校舎への入り口を目指していた。

 「何から話しましょうか・・・・・・付喪神(つくもがみ)って知ってる?」

 「長い年月を経て古くなったモノに、魂や精霊などが宿るなどして妖怪化したものですよね・・・・・・成る程。だから金の童」

 「あら、流石優等生、察しがいいわね。そう、その金の童が本当の黒幕でしょう」

 京子が口にした導入のみで、峰は先程彼女が口にした内容に思い至っていた。
 実技テストのみならず、学力に於いても上位グループに属する彼女ならではの会話の飛躍に、さっきから置いてきぼりばかり味わっていた魔理が頭を掻きむしる。
 彼女は回りくどい会話を何よりも苦手としていた。

 「ダーッ。もうさっきから回りくどいっ! 頼むからバカにも分かるように説明してくれって!!」

 「・・・・・・タイガー君、私の考えているイメージを彼女に転送できる? 悪いけど時間が無いの」

 「スンマセン、ご迷惑おかけしますノー・・・・・・」

 タイガーは申し訳なさそうに、話の腰を折られ不機嫌そうな京子に頭を下げる。


 ―――タイガー・タイガー・伝えタイガー


 彼の遠慮がちなかけ声と共に、様々な知識を伴うイメージが魔理たちの脳裏に伝播されていた。

 六道女学院が来年度創立100年を迎えること
  
 付喪神の【付喪】自体は当て字で、正しくは【九十九】と書くこと

 今回の文化祭期間で鳴らされていた鐘は、創立時からの品であること

 荘子という人が語った胡蝶の夢という話のこと

 机が変じた妖怪が他の高校に現れ、高校生を長い間、己の内側に捉えていたこと




 それらが一瞬で魔理たちの脳裏を駆け抜け、一つのイメージを構築していった。
 魔理は信じられない様に、己の脳裏に湧き上がったイメージを口にする。

 「九十九年間・・・・・・代々の生徒たちの霊波を受けた鐘が付喪神となって私たちを夢の中に捉えている? 今回の敵は鐘、いや、六道女学院そのものだっていうのかッ!!」

 「最後のイメージは、タイガー君の情報かしら?」

 「ウチの愛子さんと似た印象があったケエ、勝手に付け足させて貰いましたんじゃが、不味かったかノー」

 「いや、なかなか的確な補足よ。でも、一つだけ君の学校の机妖怪との相違点を言っておかないとね・・・・・・一文字さん、分かるかしら?」
 
 「母校の愛ってヤツでしょ! このヒシヒシと感じる、良かれと思って・・・とか、アタシたちの為に・・・って感じの粘ついた感覚。自分のエゴで他人を巻き込んだ愛子ってヤツより罪悪感がない分、始末に悪いね」

 「流石、元不良・・・・・・今だけは誉め言葉よ」

 京子は魔理に頼もしげな視線を向ける。
 六道の精とも言うべき存在を敵と言い切る感性と、肌で感じ取ったそれへの反発は問題解決に必要な素養といえた。

 「今回のループは、付喪神が誰かの願望を叶えたものなのでしょうね」

 「ハッ、母校の癖に誰かを依怙贔屓かよ、気に入らないね・・・・・・少なくともアタシはこんな繰り返し望んじゃいないよ!」

 「そうね。だからこれからみんなを、贔屓されている人込みで目覚めさせる。彼女―――六道の精に逆らってね・・・覚悟はいい?」

 京子はそう宣言すると職員玄関の扉に手をかけた。
 普段は施錠されていないはずの扉は、彼女たちの侵入を拒むように固く閉ざされている。
 数回ガチャガチャ揺さぶってから、京子は背後の魔理たちに拍子抜けしたような顔を向けた。

 「愛の鞭を覚悟してたけど、閉め出された程度で済んだようね・・・・・・一文字さんが起こしたパニックのおかげかしら?」
 
 「これが夢なら、私の触手で鍵に干渉出来そうですが・・・・・・」

 額から触手を出現させた峰に京子は呆れたように肩をすくめる。
 
 「私たちはこれから母校に逆らうのよ。そんなまどろっこしい・・・・・・ねえ、一文字さん」

 「ああ、その通りだぜ!」
 
 背後から投擲された看板が峰のすぐ脇を通り過ぎ、目の前のガラスを粉々に粉砕する。
 日常の常識に固く縛られている彼女は、割れたガラスを避けつつ鍵をこじ開けた魔理を呆然と眺めていた。

 「さあ、開いたぜ! 京子先生、これからどうやってみんなを目覚めさせる? このまま校舎の窓ガラスを壊して回るか!?」

 「あはは、今までで一番元気ねアナタ・・・・・・盗んだバイクで走り出したりしないでね」
 
 「なんだよ。ソレもいいかと思ってたのに。じゃあ、どうやって?」

 「学校としてやられて一番困ることよ、サクッと放送室を占拠しちゃいましょう」

 こともなげに笑った京子に、魔理は堪らない笑みを浮かべる。
 峰と神野、そしてタイガーまでもが引きまくっていることを二人は一向に気にしていなかった。







 鐘突塔
 体育館に隣接した建物から3階建てほどの塔が伸びている。
 創立時には外国人建築家による伝統的な西洋建築だった校舎も、震災や戦争などによる校舎の改築によってすっかり様変わりし、当時の面影を残すのは初代校舎の時計塔を模したこの塔のみ。
 そんな歴史を感じさせる校舎外れの一角にも、魔理が引き起こしたパニックは広がっていた。
 この世の終わりが来たかの様に体育館から飛び出してきたのは、ステージ団体の生徒たちなのだろう。
 リハーサル中に怪異に気づいた彼女たちは、様々な仮装のまま右往左往している。
 そんな喧噪を飄々とやり過ごし鐘突塔に辿り着いた弓は、周囲に人気がないのを確認してからその扉に左手をかけた。

 キイッ・・・・・・

 さほど力を必要とせず、閉ざされた扉が開いていく。
 薄暗い室内に足を踏み入れた弓は、台車の上に置かれたダンボール箱に気付き苦笑いを浮かべた。
 その中には後夜祭用に準備された打ち上げ花火が入っていた。

 「灯台もと暗しってやつかしら?」

 弓は周囲を見回し、壁に埋め込まれた鐘を鳴らす制御スイッチを見つける。
 左手の包帯を僅かにずらすと、彼女は試行中のスイッチに左手の指先を触れさせた。

 「あなた、何者?」

 制御機構に直結した、時計の歯車が止まるとともにかけられた少女の声。
 塔の真下、奥の暗闇から聞こえた声に、弓は制御スイッチの側にある照明スイッチを押した。
 チカチカと蛍光灯特有の瞬きが室内を照らす。
 その瞬きを頼りに、弓の目は金髪の少女ともう一つの人影を認識していた。

 「弓かおり・・・・・・その子の親友よ」

 弓の言葉と同時に、安定した蛍光灯が室内を明るく照らし出す。
 彼女が指さした先には、放置された古机に突っ伏し、安らかに微睡むおキヌの姿があった。
 その存在を予想していたのか、おキヌの姿に弓は驚いた様子を見せていない。
 ここに向かう途中。中庭から覗き込んだ調理室におキヌの姿は無かった。

 「あなたの事は何と呼べばいいのかしら?」

 「さあ、好きにしたら・・・・・・どうせすぐに忘れちゃうんだし」

 「そうかしら・・・・・・試しに鳴らしてみる? あなたを」 

 挑発ともとれる弓の台詞。
 自分の正体を悟っているという含みに、少女は口元をほんの僅かに引きつらせた。

 「あなた相当な自信家ね。そしてそれに見合う能力もある。背景を台無しにしたがさつな子と友人みたいだけど?」

 「そうよ。そのもう一人の親友を邪魔させないために私は来た」

 「この会話も親友の為の時間稼ぎかしら? 無駄なことを・・・・・・・・・ッ!」 

 少女は驚きの表情で、吹き抜けとなっている鐘突塔を見上げる。
 自分は確かに今、ループを引き起こすべく鐘を鳴らした筈だった。
 しかし、最上部に設置されている自分の本体は微動だにしていない。
 弓が鐘を鳴らす機構に干渉したことに、彼女はようやく気付いた。
 
 「何を・・・・・・したの?・・・・・・あなた・・・・・・・・・・・・・・・」

 少女の弓を見つめる瞳には僅かな恐れが含まれていた。

 「なぜッ! 今、私は確かに」

 「悪夢に抗うのは初めてじゃないの。それにあなたにとって私は・・・・・・」

 
 ―――みんなッ! 落ち着けッッ!!
 

 音質無視の大音量で鳴り響いた魔理の声。
 放送室占拠に成功した親友の声に、弓は頼もしげな笑みを浮かべた。

 「観念しなさい、夢が終わるときが来たようよ! もう一人の親友が、みんなを目覚めさせ始めるわ」

 「プッ・・・・・・」

 「何が可笑しいの?」

 弓の妨害に緊迫したのも一瞬。
 少女は堪えきれない様に笑い出す。
 その笑いを引き起こしたのは、弓が口にした夢の終わりという台詞だった。
 その台詞をなぞるような魔理の声が、大音量で響き渡るまで少女は笑い続ける。


 ―――コレは夢だッ! 目を覚ませば全て元通り。まずはアタシの話を聞けッ!!


 「正解・・・・・・でも無駄。マイクで呼びかけるだけじゃ、みんなを目覚めさせることは出来ない」

 「どういう事かしら?」

 
 ―――聞けって言ってんだろッ! 六女の生徒ならこれくらいでビビルなッ!!
 

 「こういうことよ。みんな聞く耳を持たない・・・・・・パニックに陥った子に、冷静な現状把握は無理と思わない? まあ、それだけじゃないけど・・・」

 少女はどこか楽しげな表情だった。

 「ループを止めたあなたの力は素直に認めるわ。名門六道の歴史の中にも、そんな力を持った生徒はいなかった」

 「一応光栄と思うべきなんでしょうね? 母校そのものに誉められたんだから」
 
 「それも正解。確かに私は創立時から六道を見守っていた、こんな姿になったのはつい最近だけどね・・・・・・悪いことは言わないわ、諦めて邪魔するのは止しなさい。今の状態が長く続けば、夢を見ている子に悪い影響がでないとも限らないわよ」

 少女は母親のような視線を弓に向けた。
 我が子を諭すような慈愛に満ちた母親の眼差し。
 夏の日に垣間見た光景を思い出し、弓は左手に微かな疼きを感じた。

 「危害を加える気はないの。ただ、ずっと同じ夢を見て貰うだけ・・・・・・六道の生徒みんなが色々な悩みを忘れ文化祭の準備に勤しむ。素敵な夢と思わない? さあ、早くそのスイッチを戻して、このままじゃ、終わらない悪夢になってしまうわよ」

 「プッ・・・・・・」

 「何が可笑しいの?」

 突然笑い出した弓に、少女は怪訝な表情を浮かべていた。
 咄嗟に口にした言葉が、先程弓が口にした言葉と同じであることに彼女は気付いていない。

 「過保護な母校っていうのがね・・・・・・心配しなくていいわ。私たちは必ず目覚める。あまりあの二人を舐めないことね」

 それを浮かばしたのは、二人への確固たる信頼か。
 不敵な笑顔を浮かべた後、弓は力強くこう言い放った。







 「みんなッ! 落ち着けッッ!!」

 放送室。
 マイクの音量を上げ、大声で叫んだ魔理の第一声が校内に響く。
 だがそれも自分たちがいる校舎が、突如として夜空のまっただ中に浮かんでいるという異常事態を収拾するには至らない。
 防音構造の二重窓から見える外の風景では、相変わらずパニックに陥った生徒が右往左往していた。

 「コレは夢だッ! 目を覚ませば全て元通り。まずはアタシの話を聞けッ!!」

 「パニックでみんなかなり強固に意識を閉ざしているケン。何を言っても無駄かも知れないノー」
 
 生徒の反応を確かめるべく、意識を周囲に巡らせていたタイガーが焦りの表情を浮かべた。

 「中には聞いている生徒もいるから無駄じゃないわ・・・・・・続けて、一文字さん」

 「聞けって言ってんだろっ! 六女の生徒ならこれくらいでビビルなッ!!」

 窓の外を残念そうに眺める京子の近くで、ドアが荒々しくノックされる。
 職員が駆けつけたことを予想し、京子は軽く口元を歪めた。

 「中から鍵をかけてるからしばらく大丈夫ですよね?」

 努めて平静を装うとする峰に、京子は力なく首を振る。
 彼女はスタジオ内にタイガーと魔理を避難させ、マイクの機能をスタジオ側に切り替えた。
 
 「私が持ってきたのは事務室に保管されていた鍵だからね。職員室に保管されている方を使われたら意味はないわ。そもそも鍵自体が有効か分からないし・・・・・・だからね」 
 京子の説明を待たず放送室のドアが開き、数名の教職員が放送室に雪崩れ込んでくる。 
 教職員たちはスタジオを護るように立ちはだかる京子の姿に、驚きの表情を隠せないでいた。
 
 「京子先生、これは一体どういうことです! 非常時とはいえ勝手にこんな放送を!!」

 「非常時だから説明している時間がないのよ・・・イヤ、あんまり怖い顔で見つめないで」

 手にした年代物のLPで、不自然に顔を隠した京子の意図を、峰は一瞬で理解した。
 ドアの影に立っていた自分と神野の存在に、教員たちは気付いていない。
 峰は神野の肩をポンと叩くと、有無を言わさぬ口調でこう囁いた。 

 「確かに時間がないわ。神野、全員ハワイにご招待よ!」

 「え、あ、はい!」

 峰の指示を受け、咄嗟に繰り出した精神攻撃。
 神野は夏休みに体験したハワイ旅行のイメージを込めて、榊の枝を振り払う。 
 完全に不意をつかれた教職員は、リアルなハワイの風景に埋没し、まったりとした表情を浮かべ始めた。

 「い、いいの? こんな無茶やって」
 
 「いいのよ。良くできました! また別な先生たち来るようなら、どんどんハワイに連れてってあげなさい!!」

 顔に飛沫がかかるのを防いだLPを脇にどけると、京子は狙い通りの行動を起こした神野と峰に労いの笑みを向ける。
 その笑みに、二人は誇らしげな表情を浮かべていた。
 しかしその表情は、魔理からかけられた賞賛の声にすぐに引きつる事になるのだった。

 「良くやった、峰、神野! 高校デビューを歓迎するぜ!!」

 不思議な程の静寂が放送室内に広がっていた。
 スピーカーから聞こえた魔理の声に、名指しされた二人はお互いに顔を見合わせる。
 
 「今の・・・放送された?」

 「多分、思いっきり・・・・・・」

 「ど、どーうすんのよ、明日から!」

 「もう一回だけ、ループしちゃおうか?」

 「コラッ、いきなり保身に走らない!」

 瞬く間に腰が引けた二人の頭を軽く小突くと、京子はハワイトリップ中の職員が鍵を持っているかどうかを確かめる。
 結果は否。彼、彼女たちは誰一人、放送室の鍵を所有してはいなかった。
 
 「マズイわね・・・」
 
 「あ、やっぱりマズイですか?」
  
 声を限りに落ち着くよう呼びかけている魔理を尻目に、不安な表情を浮かべた京子。
 そんな京子の姿に、峰と神野も心配そうな顔をした。

 「今の記憶は目覚めると殆ど忘れちゃうから安心しなさい。夢を正確に覚えてる人なんかいないでしょ!」

 「良かった・・・それじゃ、どうしてマズイと?」

 「この先生たちは、鍵を持っていないにも関わらずこの部屋に入ってきた。さっき内側から施錠したばかりのこの部屋にね」

 「夢の主が妨害していると? それにしては地味な妨害ですね」

 理科室の標本が襲ってきたり、バスケゴールが噛みついてくる類の妨害をイメージした峰が、呆れたような顔をする。
 それに対しての回答に確信が持てないのか、京子はやや歯切れの悪い説明を続けた。

 「多分、依怙贔屓されている誰かの性格も影響しているんでしょうね。だけど、今回、私たちが囚われている六道女学院が、その誰かのイメージのみで構成されているとはどうしても思えないの」

 京子は今回ループに気付く切っ掛けとなった包帯の存在に思い至る。
 その包帯の存在は弓と自分しか知らない。それが、この世界にも存在しているということは、この世界の構築に自分たちのイメージも寄与している筈だった。
 先程の少女は、誰かのイメージを中心にこの箱庭を作り上げているが、詳細な部分はより詳しいイメージを持っている人物の無意識から作り出している。
 多分、保健室の備品は自分のイメージで作られていたのだろう。そして、自分の無意識は包帯の使用を記憶する。
 それを認識できない先程の少女は、その部分のイメージのみ齟齬を残したまま、何度も自分のイメージを基に仮初めの保健室を作り上げたのだろう。

 「多分、この六道女学園は、その誰かのイメージを骨格とした、夢に囚われた私たちの集団幻想・・・・・・だから、囚われた人たちが無意識のうちにでも目覚めを拒否し、その人がイメージに強い影響を与える人だったら・・・・・・」

 京子はハワイトリップ中の教員を痛ましい眼で見つめる。
 放送部顧問の彼女は、最近、仕事のことで悩みを抱えていた。

 「つまり、この先生たちは目覚めたくなかったと?」

 「ええ、ハワイの幻想に浸り幸せそうでしょ。一文字さんの説得が効かないのは、パニックだけじゃない。無意識のうちにループを受け入れている人たちの抵抗かも・・・・・・だから」

 京子が何かを伝えようとした瞬間、周囲は暗闇に包まれる。
 夜空に囲まれた六道から暗闇を追い払っていた電力が、その供給を何者かに絶たれたことを彼女は瞬時に理解した。
 六道を照らすのは上空に浮かんだ月と、僅かな星の光のみ。
 暗闇が襲いかかるのと同時に、そこかしこから聞こえる悲鳴。
 霊能科を有する六道にあっても、暗闇の恐怖に抗える者は僅かな様だった。

 「だから、こういう事態も起こりえるってこと」

 「どうすんだよ! 京子先生! 放送も出来なくなったし、このままじゃ・・・・・・クソッ! 気にいらねえッ! 何が目覚めたくないだッ!!」

 「タイガー君か、神野さんが電力の流れをイメージ出来れば何とか・・・・・・」

 荒れる魔理をなだめるため、京子はほんの僅かな望みを口にする。
 彼女が口にしたその僅かな可能性は、同時に発された峰と神野の声に即座に肯定された。

 「ホウ!」

 「何よ!? いきなり変なかけ声をかけて!!」

 「違います! 私たちのチームにいる雷獣変化の子! あの子、電気のコントロールならお手の物です!!」

 「でも、今、その子は何処に・・・・・・・・・」 

 「呼んだ?」

 耳にした声は確かに彼女のチームメイト、ホウの声だった。
 即座にドアの外に視線を向ける峰と神野。
 開きっぱなしだったドアの外には、淡い光に照らされた彼女の笑顔があった。

 「放送で二人の名前が聞こえたから・・・・・・私の力が必要みたいね」

 「私たちもいるよ!」

 ドアの影から顔を覗かせたのは、発光する神通棍を手にしたジミーだった。
 彼女が手にした神通棍の発光は一層強くなり、放送室前に集合したキョンシー使いやペルソナ使いなど、去年の代表戦メンバーたちを照らし出す。
 
 「さあ、私たちも手伝うから、とっとと目覚めさせちゃいましょう!」

 集合したライバルたちは誰一人としてループを求めていないらしい。
 頼もしい援軍に魔理は堪らない笑顔を浮かべていた。

 「ヘッ、最高だよお前ら。全員キスしてやりてえ・・・」

 「よしてよ、そんなつまらない冗談」

 魔理が口にした感謝の言葉に、微妙な笑みを浮かべた面々。
 しかし、魔理は決して冗談を言ったのでは無かった。












 六道女学園正面ロータリー
 花火探索中に怪異に遭遇した鬼道政樹は、情報の収集に奔走していた。

 「夜叉丸! どうや、何か分かったか?」

 「ギッ!」

 彼は式神を放ち、周囲の情報を収集している。
 夜叉丸からの情報では、学校の周囲は全て星空が覆っているらしかった。
 そして、周囲を飛び回る夜叉丸が運び込んだのは情報だけではなかった。

 「鬼道先生! 助けてっ!!」

 彼の周囲には、夜叉丸を見かけた生徒たちが次々に集まってくる。
 それはある意味彼にとって好都合と言えた。

 「みんな落ち着け、今、夜叉丸が原因を探っている! こういう時は、迂闊に動いてはダメや!!」

 「どうしちゃったんですかッ! いきなり外の景色がッ!!」

 「落ち着け! 今の所、景色が変わっただけやないかッ!」

 政樹は生徒たちがパニックを起さないよう、周囲に集まった生徒を次々に励ましていく。
 そこには、甘いものに恐怖する男の姿は無かった。 

 
 ―――みんなッ! 落ち着けッッ!!


 突如聞こえた魔理の声に、鬼道は全神経を集中する。
 パニックに陥った周囲のざわめきの中、魔理の声のみを拾うのは至難の業だった。


 ―――コレは夢だッ! 目を覚ませば全て元通り。まずはアタシの話を聞けッ!!


 「やっぱり・・・・・・」

 薄々感づいていた夢ではないかという仮説。
 それを耳にした政樹は、すぐに夜叉丸を冥子の元に走らせる。
 彼女の式神―――ハイラの能力なら、この場からの脱出が可能かも知れないと彼は考えていた。


 ―――聞けって言ってんだろっ! 六女の生徒ならこれくらいでビビルなッ!!
 

 「みんな、しっかりせい! 放送を聞くんや! 一文字が何か掴んだようやで!!」

 政樹の指示に従い周囲に静寂が広がっていく。
 静かに聞き耳を立てる生徒たちの耳には、放送室で起こっているらしい雑音が届いている。
 ガサゴソとしか聞こえない雑音に、突如として魔理の声が混ざった。


 ―――良くやった、峰、神野! 高校デビューを歓迎するぜ!!


 「峰に、神野もおるんか・・・・・・・・・一体何を掴んだんや、アイツら」

 期待に満ちた目で次の放送を待つ政樹。
 しかし、何かトラブルがあったらしく、マイクは再び雑音しか拾わなくなっている。
 祈るような気持ちで情報を待つ生徒たちにとって、最悪とも言えるタイミングで停電による暗闇が襲いかかった。

 「キャッ! 明かりが・・・・・・」

 「落ち着け! ただの停電や!」

 政樹の呼びかけも空しく、暗闇が持つ根源的な恐怖が周囲に伝播していく。
 霊能科を有する六道にあっても、暗闇の恐怖に抗える者は僅かな様だった。
 校舎内で上がった悲鳴が次々に連鎖し、パニックの火種が政樹の周囲にも降りかかろうとする。
 薄氷を踏む思いで冥子の到着を待つ政樹の耳に、復旧した放送設備の音が響いた。


 ―――悪いな。これしか黙らせ方を知らないんだ・・・・・・タイガーッ! 全力でいくぜッ!!


 一方的な宣言と同時に唇に襲いかかってくる感覚。
 冥子とのソレを思い出した政樹は、目の前に彼女がいるのではと暗闇に手を伸ばしてしまう。
 空振りした右手と再び点いた照明に、政樹はようやくソレが精神感応による感覚の伝播であることに気づく。 
 それ程に伝播した感覚は生々しいものだった。


 ―――ゴホン、初めての人は犬に咬まれたと思って・・・・・・今は私の話を聞いてちょうだい


 スピーカーから聞こえた京子の声は、どこか話しづらそうだった。
 しかし、先程までの騒乱が収まった敷地内に彼女の声を妨げるものはない。
 唇を中心にじんわりと伝わってくる満たされた気持ち。
 現在、六道で声を出しているのは彼女だけだった。


 ―――今、私たちは夢を見ているの。同じ夢を何度も何度も・・・・・・思い出せる? 自分が昨日何をやったか。


 口腔内を蠢く感覚が思考力を奪っているらしく、反論を挟む者はいなかった。


 ―――思い出せない人。その思い出せない日々の中に、会いたい人はいない? いつまでも文化祭前日を繰り返さず、会いたい人は・・・・・・


 京子の話を聞く人々の胸に、様々な思いが去来する。
 ある者は親を、ある者は兄弟、友人、そして恋人を・・・・・・ 
 昨日嫌なことがあった者。今現在悩み事がある者にも、会いたい人はいるはずだった。
 本当に文化祭前日を繰り返すだけで良いのか?
 これから出会うかも知れない人たちは?
 目覚めたい。会いたい。みんなの心にその思いが広がっていく。
 京子は目覚めを望む人々にその方法を口にした。


 ―――目覚めたい人は、自分が一番会いたい人の名を思いっきり叫ぶの。叫ぶのが恥ずかしい人は強く念じるだけでもいい。とにかく一番会いたい人の名を・・・・・・


 京子の言葉が終わると共に、みんなに伝播された精神感応も終わりを遂げる。
 余韻に浸るような周囲の空気を、魔理の声が切り裂いた。


 ―――京子先生の言うとおりッ! 現実はもっと良いもんだぜ! すぐに忘れちまう夢なんて物足りないねッ!! 


 ザワッ!

 すぐに忘れる夢。
 魔理の言った一言は、政樹の周囲に不穏な空気を巻き起こしていた。
 政樹の周囲に集まった女生徒にとって、一番会いたい人物は目の前の男に他ならない。
 何度も繰り返せるすぐに忘れる夢。この言葉が彼女たちの脳裏にある考えを思いつかせていた。
 唇に残る余韻も手伝い、周囲の女生徒のは顔を紅潮させつつ政樹ににじり寄る。

 「政樹先生・・・・・・」

 メチャクチャにして・・・・・・
 そう訴えかける潤んだ瞳に囲まれ、政樹は恐怖の相を浮かべる。
 逃走に移ろうとした彼だが頼みの綱の夜叉丸は不在だった。

 「コラ、お前たち冷静・・・ウプッ!」 

 あっという間にもみくちゃにされた政樹は、メチャクチャにされかかる。
 役割を終え政樹の下にもどった夜叉丸は、丁度その現場を目撃していた。

 「ギッ! ギギッ!!」

 目の前で繰り広げられる悪夢の様な光景に、夜叉丸は慌てたような声を出す。
 彼に落ち度はない。夜叉丸は忠実に主人の命令に従っただけだった。
 背後で生じつつある身の危険を感じるほどの霊圧。
 恐る恐る後ろを振り返った夜叉丸は見てしまう。過去、例がないほどに浮き出た冥子の青筋を。
 主人の影の中も安全地帯とは言えない。だが彼は主人と運命を共にする覚悟を固めていた。

 「マー君のバカ―――――ッ!!」

 伝統芸とも言えるお約束は、過去最高の破壊力として六道女学院全体を巻き込んでいった。







 「うは、すっげえ!」

 放送室
 窓ガラスに顔をピッタリと張り付けた魔理は、対岸の火事とばかりに荒れ狂う式神から逃げまどう女生徒を眺めている。
 冥子の後を追いかける政樹の努力も空しく、校舎の別棟は既に半壊。しかし、人的被害は皆無に等しかった。

 「みんな次々に目覚めて行くようじゃノー」

 魔理の隣りに寄り添ったタイガーがボソリと呟く。
 逃げまどう人々は口々に会いたい者の名を叫び、そして幻の様にその姿を消していく。
 彼はこの六道女学院が徐々にディテールを失っていくことに気がついていた。

 「そろそろ、こっちの校舎も危ないノー」

 生徒の大多数が目覚めた今、集団幻想である六道女学院はその輪郭をぼやけさせていく。
 冥子の式神による暴走も、この世界の崩壊に一層拍車をかけていた。
 
 「私たちも撤収した方がいいみたいだな! みんな、準備はいいかっ・・・ってうわッ!!」

 集まった代表戦メンバーを振り返った魔理は、自分に向けて投じられるレコードやCD、カセットテープを慌てて回避した。
 至近距離で精神感応に晒された彼女たちは、ようやくその余韻から抜け出した所らしい。
 涙目の彼女たちは、口々に抗議しながら手近にあるものを魔理に投じていた。

 「コラッ! ちょッ、モノを投げるなッ!!」

 「うるさいッ!! この馬鹿ッ! 何てコトするのよッ!」

 「いージャンかよ! 減るもんじゃなし!!」

 「うう・・・穢された」

 「初めてだったのに・・・・・・」

 「え! 何も泣かなくても・・・・・・」

 悪びれず投擲されるものを払い落とす魔理だったが、流石に泣かれるのは後味が悪い。
 その場にへたり込み、泥水で口をゆすがんばかりにへこんでいる生徒に、彼女は慰めの言葉を口にした。

 「あ、でも今のはタイガーの感覚だから、ホラ、女どうしはノーカウントって・・・・・・」

 「そういう問題じゃないでしょッ!」 

 峰の投げたキャンパスノートが魔理の顔にヒットする。
 ベタリと顔面に張り付いた後、ズルズルと落ちたキャンパスノートにの送日誌。
 再びあらわになった魔理の顔には、クッキリと青筋が浮かんでいる。

 「テメエ・・・下手に出てればチョーシこきやがって」

 首を傾げガンをとばす様は、何処に出しても恥ずかしくないガラの悪さだった。

 「なによ。凄めば許されると思ってるの!」

 「許すだぁ?」

 峰に放たれたガンを引き受けようと、電気のケーブルを握りしめたままホウが割り込んでくる。 
 ライオン相手に行った特訓の成果を生かさんとばかりに、彼女も魔理にガンをとばしていた。
 両者一歩も引かぬガンの応酬がしばらく続く。
 しかし、シベリアトラまで達していないホウには、少しばかり荷が重かったらしい。
 彼女は”ビキッ”という場違いな効果音を出し始めた魔理に、徐々に押され始めていた。

 「これ位のことで”上等”こきやがって、とっとと”目覚め”ねえと”アタシ”にも考えがあるぜ!」

 「な、なによ。やる気!」

 もはや虚勢でしかないホウのファイティングポーズ。
 魔理は不敵に笑うと恐るべき一言を口にした。

 「ああ、本気で”ヤッ”ちゃうよ」

 そんな捨て台詞を残し、タイガーの手をとって走り出した魔理を一同は呆然と見送っている。
 中庭を突っ切り、魔理とタイガーが特攻していく先には、体育館に付属した体育倉庫があった。

 「”ヤッ”ちゃう?」

 峰をはじめとする代表戦メンバーたちは一様に首を傾げ、そしてほぼ同じタイミングで同じ想像に行き着いていた。

 「み、みんな逃げて―――ッ!」

 「最低よッ! アイツらッ!!」

 冥子の式神から逃げまどっていた女生徒以上の恐怖の相を浮かべ、峰たち代表戦メンバーは慌てて撤収をし始める。
 そして辺りは再び闇に呑まれ、荒れ狂う式神の姿もいつの間にか虚空に消えていった。
 

 
 「アイツら撤収したか?」

 月明かりに照らされた中庭で足を止めた魔理は、手を繋いだままタイガーを振り向く。
 背後にそびえ立っていた筈の校舎はもう無い。
 体育館のあった場所にひっそりと寄り添う鐘突塔が、この世界における唯一の建造物となっていた。

 「ああ、みんな無事に脱出完了ジャー」

 「そっか・・・。ん」

 軽くつま先立ちになる魔理。
 ほんの数秒の沈黙の後、二つの影は静かに離れた。

 「悪いケド、先に撤収してくれるか?」

 「おキヌさんかいノー」

 タイガーの問いかけに魔理は無言で肯く。
 彼女は気づいていたのだ。放送室前に集まった代表戦メンバーの中に、おキヌの姿が無かったことに。
 そして、目覚め方を示唆し終えた京子が、人知れず鐘突塔の方へ姿を消していったことにも。
 そのことを皆に気付かせない様、魔理がわざとがさつな方法でみんなを追い払ったことをタイガーは理解している。
 彼は皆には見せていない魔理の一面を知っていた。
 
 「わしゃー、魔理さんみたいに優しい彼女が持てて幸せもんじゃー」

 「バカ・・・おだてたって何にもでないぞ」

 「向こうで待ってるケン・・・・・・また着てつかあさい」

 「ああ、また来て・・・・・・ん? 着て? コラッ!!」

 顔を赤らめ掴みかかって来る魔理をひらりとかわすと、タイガーは最も会いたい者の名を叫び姿を消していく。
 その言葉を聞いた魔理はその顔を尚一層赤らめていった。

 「あたしもだよ。タイガー・・・・・・」

 「魔理さん、大好きジャーッ! とは、随分ストレートな彼氏ね」

 タイガーが立ち去って数秒後、鐘突塔を目指し、歩き始めた魔理を待ちかまえていたように京子が姿を現す。
 今の台詞を聞かれたことに、魔理は多少バツが悪そうな顔をした。

 「・・・・・・盗み聞きとは悪趣味だぜ、京子先生」

 「アレだけ大声なら嫌でも聞こえちゃうわよ。でも、精神感応系って屈折したイメージがあったけど・・・・・・」

 「はい、はい、あたしと一緒で、単なるバカって言いたいんでしょ」

 「いや、優しい彼氏じゃない。彼もついてくる様なら止めようとしたけど、気を遣ってくれたんでしょ? 彼」

 「それだけじゃなく、微妙な立場だからってのもあるだろうけどね。あたしや弓がおキヌと親友なのと同じで、アイツにも親友がいるから」

 「伊達君や横島君のことね?」

 今まで話したことのない二人の名に、魔理は驚いたような顔をする。
 
 「な、なんでその二人のことを?」

 「行きましょう・・・・・・あなたの親友を迎えに」

 魔理の疑問には答えず、京子は再び鐘突塔を目指していく。
 彼女は問題が解決したと思いこんでいた。








 

 ―――悪いな。これしか黙らせ方を知らないんだ・・・・・・タイガーッ! 全力でいくぜッ!!


 鐘突塔
 響き渡った魔理の声と共に、唇に伝わってくる感覚。
 反則とも言うべき黙らせ方に弓は苦笑を浮かべていた。

 「やりすぎよ。馬鹿・・・・・・でも、アナタらしくて最高」

 弓は雪之丞とのソレを思い出しながら、続く京子の言葉に耳を傾ける。
 夢魔への対処法とカウンセリングの知識がブレンドされた京子の脱出策は、弓が雪之丞の意識から抜け出したときと同じものだった。
 あの夏の日、雪之丞の意識の中で求め合った二人は、目覚める前にお互いの名を叫んでいる。


 ―――京子先生の言うとおりッ! 現実はもっと良いもんだぜ! すぐに忘れちまう夢なんて物足りないねッ!! 

 
 「同感よ。親友」

 精神感応が切れ、余韻を切り裂くような魔理の言葉に弓は同意する。
 その言葉に我に返った少女は、感覚を消し去るように口元をゴシゴシ擦ると顔を真っ赤にして叫んだ。

 「な、なんて破廉恥な」

 「言ったでしょう? あの二人を舐めるなと・・・・・・ほら、みんな次々に目覚め始めてる。あなたの負けよ! 大人しく氷室さんを解放しなさい!」

 夢の世界の崩壊を弓は感じ取っていた。
 ドアの隙間から見える徐々に輪郭を失っていく六道の校舎に、弓は勝ち誇った笑みを浮かべた。

 「負け? 解放? 何言っているのアナタ」

 嘲笑を含んだ少女の声に、弓はその笑みを凍らせた。

 「ひょっとして、アナタ、私がこの子をそそのかしたと思っている? 逆よ、私を呼び寄せたのはこの子、この子が終わらない夢を望んでくれたから、私はこの世界を作ることが出来たの」

 「嘘よッ! 氷室さんはそんな子じゃないわッ!!」

 逆上した弓は少女の下に駆け寄ろうとする。
 しかし、鐘突塔内部に生じた障壁が、彼女の侵入を頑なに拒んでいた。

 「嘘じゃないわよ・・・・・・」




 弓と少女を隔てる障壁に、放課後の風景が映し出される。
 沈みかける日差しの中、中庭のベンチで独りぽつねんと佇むおキヌに金髪の少女が歩み寄る。
 おキヌの足下には、鐘突塔の影が大きくその姿をのばしていた。

 『帰りたくないの?』

 下から覗き込んできた金髪の少女に、おキヌは考え事を中断する。
 その少女の存在は不思議と六道の空気に溶け込んでいた。
 おキヌは放課後の学校に子供がいることを訝しつつも、少女に向けて口を開く。

 『どうしてそんなこと聞くの?』 

 『家に帰るのが辛そうだったから・・・』

 見慣れぬ少女に心情を言い当てられ、おキヌは微かに動揺する。
 文化祭の準備を理由に、おキヌはここ数日、夕食の支度を休ませて貰っていた。

 『私が? そんなこと無いわよ』

 『嘘・・・私にはわかる。変わっていくのが悲しいんでしょう? 失ってしまうのが怖いんでしょう?』 

 『何を言ってるの? あなたこそお家に帰りなさい、もう日が暮れるわよ・・・』

 心を見透かすような少女の言葉に、言いしれぬ不安を覚えたおキヌは会話を打ち切ろうとする。
 しかし、少女の口にした言葉はおキヌの心を鷲づかみにしていた。


 ―――ずっとこのままでいたい? ずっと今のままで変わらないまま・・・


 『あなた、あなた誰なの?』

 おキヌはやっと少女の異質さに気付いたかのように声を震わせる。
 少女はそんなおキヌを安心させるように、己の名を名乗った。

 『私? 私は【鐘】zhong(ジョン)』

 『ジョン・・・・・・男の子みたいな名前ね』

 『中国語で時計という意味なの、時を知らせる鐘・・・・・・でも、ここしばらくは、もう一つのzhong(ジョン)ばっかり』

 『もう一つのジョン?』

 興味深そうに首を傾げたおキヌに、少女は溜息まじりに説明する。 

 『zhong(ジョン)という発音には、【終】という意味もあるの』

 『終わり?』

 『私、ここしばらく、みんなにお別れしかしてないの。終わりはもう沢山! だから―――』


 ―――アナタが終わらない日々を望むなら、その夢を叶えさせてもらえないかしら?


 『終わらない?』

 『そう。ずっと今のままで変わらないまま』

 少女の言葉に、おキヌは寂しげな笑みを浮かべた。
 そして、ポツリと胸の内を呟く。 

 『もし、そうならばいいなぁ・・・』

 『決まりね。よければあなたの名前を教えてくれるかしら?』

 『キヌ・・・・・・氷室キヌ』




 ―――カラーン、コローン、カラーン、コローン


 

 おキヌが名乗った瞬間、少女の姿はかき消え終礼の鐘が辺りに鳴り響く。
 その音にビクリと体を竦ませると、おキヌはたった今目覚めたように辺りをみまわした。
 
 『あれ? 今、誰かが・・・・・・それにこの鐘、卒業式にしか鳴らないんじゃなかったっけ?』

 おキヌは首を傾げながらベンチから腰をあげる。
 そして、重い足取りで家路へと向かっていった。





 「どう? 嘘じゃ無かったでしょ」

 過去の状況を再現した少女は、弓の視線を真っ向から受け止めていた。
 少女を見つめる弓の視線には微かな怒りが込められていた。

 「欺したも一緒じゃない。氷室さんはこんなことになるとは、これっぽっちも考えなかった筈よ」

 「じゃあ、何でこの子は目覚めようとしないのかしら? 言っておくけど、この話も彼女は聞いているわよ・・・・・・無意識下でだけど」

 「どういう意味かしら?」

 氷のような弓の視線に肩をすくめた少女は、ヤレヤレとばかりに溜息をついた。

 「一番会いたい人。それを今すぐこの子に決めさせるのは酷な選択だったのよ・・・・・・この子の生い立ちは知ってる?」

 少女の問いかけに弓は小さく肯いた。
 300年前からの復活者。
 普段の言動から悲壮さを感じさせはしないものの、おキヌが送ってきた激動とも言える人生を弓は改めて噛みしめる。

 「夢を覗かせて貰って驚いたわ。まさか私より前に生まれた子が入学してきたなんて・・・・・・」

 「生まれた時代なんて関係ないわ」

 そう言い放った弓に、少女は同意するように肯いた。

 「そうね。色々アレな所もあるけど、頼りになる姉のような女に、楽しい男の子。不思議な縁でこの子はこの時代に根を下ろし始めた・・・・・・その二人はこの子をこの時代につなぎ止める碇のようなもの。どちらも彼女にとって大切な存在・・・・・・」

 「何が言いたいのかしら?」

 弓の問いかけに、再び障壁に過去の情景が映される。
 そこが何度か訪れた美神事務所の一室だと弓はすぐに気がついた。



 
 『こ、このままでいいんでしょーか? 美神さん』

 『妬けるなら横島君にモーションかければ? でないならあきらめんのね』

 『わ、私がですか?』

 『他にだれがいるのよ!?』

 『私―――よくわからないんです。たしかに横島さん好きだけど・・・・・・やきもち妬いてると思いますけど、女として・・・どーとか、う・・・うばってやるとか・・・だ、抱いてとか・・・自由にしてとか・・・忘れさせてとか・・・メチャクチャにしてとか、そーゆーんじゃ・・・・・・』

 『あんた週刊誌やワイドショーの見過ぎっ!! ガラでもない言葉使うんじゃありません!!』

 『私、まだ子供なのかも・・・・・・美神さんは?』

 『な・・・なんで私が・・・・・・? 私には関係ないし今さら出る幕じゃないわよ! あのコたちのことはなりゆきにまかせるしかないじゃん!』




 目の前で繰り広げられた一幕は弓にはよく理解できなかった。

 「過去、この男の子が他の女に奪われそうになった時、この子と女は少なくとも独りでは無かった・・・・・・お互いに依存することで安定することが出来ていたのよ」

 「あ・・・・・・」

 少女の解説に、弓はようやく今の情景があの時の一件であることに気づく。
 そして、弓は大人に思えていた美神が、おキヌと同様、子供じみて見えたことに微かな驚きを感じている。
 彼女には目の前の二人が、傷つくのを恐れる少女のように映っていた。
 弓は動揺を悟られまいとキツイ目で少女を睨み付ける。

 「あの事は終わったはずよ・・・・・・蒸し返すのは無意味だわ」 

 「そう。今のは終わった話。でも、コレはどうかしら?」

 弓の目の前に新たな光景が映し出される。
 夏の夜。デジャブーランドで行われた打ち上げ花火に、弓はおキヌから聞いた人狼少女の初恋を思い出していた。 



 『美神さーん! 横島さーん!』

 夏の夜空を切り裂き、打ち上げ花火が大輪の華を咲かせている。
 そんな景色の中、おキヌは大切な二人の名を呼びながらデジャブーランドを彷徨っていた。
 めぼしい見物箇所をあらかた探し終え、客もまばらな城の裏手に回ったとき一際大きな大輪の華が周囲の景色を照らし出す。
 おキヌはそこに、見覚えのある後ろ姿を見つけていた。

 『あ、いた・・・・・・』

 おキヌの浮かべた安堵の表情は、そのすぐ後に起こった光景に凍り付く。
 彼女の目の前で手を繋いだ二人は、そのまま夜空を見上げていた。
 おキヌはしばし立ち尽くした後、独りその場を後にする。
 彼女は二人に声をかけることが出来なかった。
 鼓膜を揺する打ち上げ花火の音は、どこか遠い世界の出来事に感じられていた。




 「この時、彼女は感じたのね。いつまでも3人一緒にはいられないって」

 不意に止む夏の夜の花火。
 弓の胸には言いようのない悔しさが広がっている。
 今のことをおキヌ本人から聞けなかったことが、弓には堪らなく悔しかった。

 「この子は、あの女も、男の子も同じくらい好き。だけど、あの女と男の子がくっつくのを素直に祝福できない自分にも気づいてしまった。それでは、その男の子を奪う? そうすればあの女は独り去っていくでしょうね。この子がそうしようとしているのと同じように・・・・・・」

 弓の沈黙を納得と受け取ったのか、少女はさらに先を続けた。

 「あの男の子とどちらかがくっつけば、残された者は独りになってしまう。だからこの子は現状維持を望んだ。誰も傷つかないですむように・・・・・・そんな子に一番大切な人の名が言えると思って?」

 「これからどうするつもり?」

 「みんなを巻き込んだのはこの子ではなく私の願いだったから・・・・・・六道の生徒みんなが色々な悩みを忘れ文化祭の準備に勤しむ。素敵なことと思ったんだけど残念だわ。この子にはもう一度夢を見て貰う。今度は一人で、彼女の求める通りの夢を・・・・・・」

 「ふざけるなッ!!」

 弓が言おうとした言葉は、背後から駆け込んだ魔理によって先に言われてしまっていた。
 京子と共に鐘突塔に辿り着いた魔理は、一連のやりとりを聞いている。
 魔理は真っ直ぐおキヌの下へ向かおうとし、障壁にその歩みを阻まれてしまった。

 「そんなんで本当にいいのか? 自分にまで嘘ついてんじゃねえぞ!!」

 透明な障壁を魔理は何度も拳で殴り続ける。
 目にいっぱい溜めた涙は、決して痛みによるものでは無かった。

 「負けることなんか考えずに、相手が美神さんだろうと気にせず勝負すりゃいいじゃねえか! 残された者は独りになるだと!? ふざけるなっ!! アタシや弓はなんなんだよ・・・・・・」

 裂けた拳から飛び散った血が、転々と障壁にその跡を残していく。
 
 「親友じゃねえのかよ。チクショウ・・・・・・」
   
 一向に殴るのを止めようとしない魔理の手を弓はそっと止めた。

 「そのくらいにしておきなさい」

 「止めるな。弓、おめえ悔しくないのかよ」

 「悔しいわよ。だから、この先は私がやるわ・・・代表戦の時、氷室さんが私の目を覚ませてくれたようにね」

 弓は迷いのない視線で魔理を見つめる。
 彼女の中で渦巻いていた悔しさの原因は、魔理の言葉によって明確な答えを引き出していた。
 理屈ではなく、本能で本質を捉える親友に弓は不敵な笑顔を見せる。

 「弓さん! 早まらないでッ!!」

 「止めないで、京子先生。これから弱気な親友をひっぱたいて、目を覚ましてやるの・・・・・・」

 左手の包帯を一気に解いた弓に、京子は悲鳴のような声をあげた。
 しかし京子の叫びを気にした風もなく、弓は不敵な笑みを浮かべたまま、微かに蠕動する左手の痣を口元へと近づける。

 「・・・・・・姑獲鳥、私が欲しかったら力を貸しなさい」

 弓が左手に語りかけた瞬間、禍々しい力を解放するように真っ赤な痣が激しい蠕動を始める。
 その痣の蠕動に合わせ、周囲を構成する夢が徐々に侵蝕されていく。
 あの日、雪之丞の精神が姑獲鳥に捕らえられた時のように、弓の左手は少女の作った夢を己の内に取り込み始めていた。

 「弓ッ! お前、その左手はッ!」

 目前で起こった理解を超える出来事に、魔理は驚いたように目を見開いた。
 声にならない叫びをあげた京子が駆け寄るよりも早く、弓は目の前の障壁に左手を突き刺していく。
 微かな抵抗を感じさせながら弓の左手は障壁を切り裂き、彼女をおキヌと少女の所へと運んでいった。

 「京子先生、何なんだよ! あの弓の左手はッ!!」

 急いで足下の包帯を回収する京子には魔理の質問に答える暇はない。
 魔理に痣の正体を教えたのは、恐怖の叫びを上げた少女だった。

 「姑獲鳥? あなたまさか姑獲鳥になりかかって・・・・・・だから、夢にここまでの干渉をッ!」

 「母校というだけあって、姑獲鳥は怖いみたいね。それに、私のようにちゃんと生まれる気のない生徒は、あなたにとって穢れなのでしょうね・・・・・・」

 「生まれない? まさかあなたそのせいで卒業を・・・・・・それならなおのこと、この子と一緒に夢を見続けなさいッ!!」

 なりふり構わず叫んだ少女に弓の動きが止まった。
 弓は、少女の叫びに紛れもない自分への心配を感じていた。  

 「ループしている間、新たな穢れは増えなかったはず・・・・・・悪いことは言わない。今すぐ穢れを封印し、ずっと夢の中で暮らしなさい。そうすればアナタは姑獲鳥には・・・・・・」

 「母校の愛ってヤツかしら? 確かにアナタが作ったのは生徒みんなを傷つけない、甘い夢のような生活だった・・・・・・」

 「そうよ・・・・・・私の作った夢の中なら、傷つかず、いつまでも変わらないまま暮らせるのよ」

 少女は慈愛に満ちた視線で弓を見つめている。
 その視線に歪さを感じた弓は、吐き捨てるように少女の提案をはねのけた。

 「でも、大きなお世話。そんな都合のいい夢なんかいらないわ」

 「どうしてッ!? 私の夢と現実にどれ程の違いがあるというのよッ!」

 弓は少女に見せつけるように左手を掲げた。
 その迷いのない視線を受け、少女は何かを言おうとした口を噤む。

 「私には現実の世界で叶えたい夢があるから・・・・・・私はこの穢れを乗り越え、前に進んでいく。そして、欲しいものを全て手に入れるの。好きな男や、弓家という家族、社会での成功、そして親友・・・・・・私は最後まで諦めないッ! 例えこの先、どんなに傷つくようなことがあっても、私はそれを乗り越えていくわッ!!」

 バシュッ!

 弓が叫んだ瞬間、床に跪き包帯を回収していた京子は、近くのダンボールから上がった何かの発火音に顔を上げた。
 微かな燃焼音と、火薬の臭いに、京子はそれが導火線の燃焼であることに気付く。

 「一文字さん、その箱を外に出して、急いでッ!!」

 京子は素早く魔理に指示を出す。
 彼女は気付いたのだ、おキヌがいま正に目覚めようとしていることに。
 そして彼女の目覚めには、夜空を彩るソレが必要なのだろう。

 「了解ッ!」

 手で押していたのでは間に合わないタイミングに、魔理は躊躇わず台車を思いっきり蹴り飛ばす。
 ガラの悪い前蹴りを受け台車が鐘突塔から飛び出した瞬間、ダンボール箱から打ち上がった花火が夜空に光の華を咲かせた。


 ―――横島さーん


 花火が咲き誇る夜空に、どこからかおキヌの声が響き渡る。
 少女の側らで眠っていたおキヌは、いつの間にかその姿を消していた。

 「終わりね・・・・・・」

 残された弓たちが少女の声を聞いたとき、鐘突塔がその輪郭をぼやかしていく。
 そして鐘の音が夜空に響き渡るのと同時に、彼女たちは急速に意識を覚醒させていった。








 ―――――― エピローグ ――――――



 「横島さん!」

 はじかれた様に机から跳び上がったおキヌは、自分が見慣れぬ場所で居眠りしていたことに驚きの表情を浮かべる。
 古ぼけた机に雑多な機械。見上げると吹き抜けとなった塔の上部に金色の鐘がかけられていた。

 「鐘突塔? そうだッ! 私、ここに来るように言われて・・・・・・あれ? 誰にだっけ?」

 文化祭前日に来るように言った誰か。
 その誰かが思い出せず首を傾げようとしたおキヌの背を、誰かの指先がつうとなぞった。

 「ヒャッ!」

 慌てて振り返ると、弓と魔理が立っていた。
 差し出していた指先を引っ込めながら、魔理はニンマリとした笑みを浮かべる。

 「聞いたぞ!」

 「・・・・・・聞かれてました?」

 「ああ、こんな所で居眠りしてるから何事かと思ったけど。おかげでいいモノが聞けた」

 魔理は心からの笑顔を浮かべていた。
 ただの寝言がなぜこんなにも嬉しいのか魔理自身にも分からない。
 おキヌの寝言をからかおうとする魔理に先んじ、弓がそのことについて口を開く。

 「寝言で男の人の名前を叫ぶとは隅に置けないね。なにか良い夢でも見てたの?」

 「あはは、それが良く覚えてないんです。でも、少し寝たからかな・・・・・・気分がスッキリしました。でも、二人とも何でここに?」

 「京子先生が教えてくれたんだよ! おキヌがHRに向かわず心ここにあらずって感じで鐘突塔に入っていったって・・・・・・朝の作業開始に間に合わないかと思って探しに来たら呑気に居眠りしてんだもんなー。ソレも好きな男の夢なんか見ながら」

 「す、好きな男!?」

 「あら、違うのかしら?」

 魔理のからかいに顔を赤らめたキヌを、弓は真っ直ぐに見つめている。
 おキヌが何かを言いかけたその時、いつものチャイムが作業開始の時刻を告げた。


 ―――キーン、コーン、カーン、コーン


 「あ、もう、こんな時間! 一文字さん、弓さん、早く教室に行きましょう!」

 その場を逃げ出すように走り出したおキヌは、鐘突塔の出口付近に置かれた打ち上げ花火を見てその足を止める。
 一瞬の躊躇の後、彼女は思いきったように弓と魔理に自分の胸の内を打ち明けていた。

 「そう、私、横島さんの事が一番好きなんです」

 そう言ってから、おキヌは二人を待たずに再び走り出す。
 走り出さずにはいられない程の高揚を彼女に感じ、魔理は思わず笑い出してしまった。

 「とうとう言ったな」

 「そうね・・・・・・」

 「さて、アタシたちも行きますか」

 「その前に、保健室に付き合って欲しいんだけどいいかしら?」

 普段と様子の異なる弓が気になったのか、魔理は弓に心配そうな視線を向ける。
 弓は先程からずっと、ハンカチで左手首を押さえていた。

 「左手の傷に何かあったのか?」

 「ええ、少しね。親友のアナタにはこの手のことを話しておこうと思うの・・・・・・もう一人の親友の為にも」

 弓は魔理に見えるよう、左手首を隠すようにしていたハンカチをずらす。
 そこにはいま巻いている包帯では隠しきれない大きさに成長した、姑獲鳥の穢れが蠢いていた。







 「あら、アナタが一緒に回る人?」

 警備本部前
 教室に向かう途中、警備本部前で足を止めていたおキヌに峰が声をかけた。
 その顔がやや残念そうなのは、彼女が今からの巡回を楽しみにしていたからに他ならない。

 「違います。ウチからは弓さんが出てますから」

 「そう、良かった・・・・・・一度、あの子とゆっくり話してみたかったから」

 「はは、弓さんモテモテですね・・・」

 若干引き気味のおキヌに、峰は呆れたような顔をした。

 「ソッチの趣味は無いわよ! 単純に同世代のライバルとしての興味。あなたにも勝ちたい相手っているでしょ!?」

 「そうですか・・・・・・もうすぐ来ると思いますから、もうちょっと待っていて下さいね。それじゃ、私はここで」

 一瞬、複雑な表情を浮かべたおキヌに首を傾げながら、峰は走り出したおキヌを見送ろうとする。
 そして彼女の視線は、先程おキヌが足を止めていた箇所で静止した。

 「ん? あ、そう言えば来年から年2回になるんだっけ」

 そこには小さい頃より彼女が目指していた、GS試験の募集が貼られていた。




 ―――――― ビューティフル・ドリーマー ――――――


             終


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