椎名作品二次創作小説投稿広場


まりちゃんとかおりちゃん

プロローグ ただいま……!!


投稿者名:あらすじキミヒコ
投稿日時:08/ 2/24

  
 空にはカモメが飛んでいた。潮の匂いもする。
 ふと足下に目を向けると、遥か先に見えるのは、岩にあたって崩れていく波頭。それは、すぐに返す波へと変わる。
 緑の芝生に覆われた高い高い崖の上に、一人の女性が立っていた。二十代も後半に入った女性である。彼女は、十年ほど前には清純派美少女と言われており、その面影を強く残したまま、大人の美人に成長していた。
 今の彼女の表情には憂いもあるのだが、それすら、生来の美貌を際立たせるためのアクセントとなっている。

「何も言わずに出てきちゃったからなあ。
 今頃、大騒ぎしてるかも……。
 ごめんなさい……。美神さん、横島さん……」

 一人、傷心旅行の真っ最中の彼女は……。
 氷室キヌ、つまり、おキヌであった。




    プロローグ ただいま……!!




 高校を卒業して、女子大に入り、大学も卒業して……。
 おキヌは、一人の女性として着実に人生を過ごしてきた。しかし、彼女と横島の微妙な関係が変わることはなかった。
 周囲の親友たちは、恋人とグングン親しくなっていく。それを見て羨ましいという気持ちも、ゼロではなかった。だからといって、自分と横島をそこに重ねて考えることは出来なかった。
 二人は……恋人ではないのだ。
 性差を超えた、仲の良い友人。同性の親友とは違う、異性の親友。ある意味では『恋人』以上に、精神的に結びついた存在。
 おキヌは、そう思っていた。そして、この関係がずっと続くと信じていた。

(でも……。そうじゃなかった……)

 そんな関係は、片方が結婚することで壊れてしまうのだ。
 恋人を作ることもなく過ごしてきたおキヌと、いつのまにか美神と恋愛関係になっていた横島との場合……。
 その『片方』は横島の方だった。
 そして、それが『壊れて』しまった瞬間。
 おキヌは、自分の横島への想いが恋心だったということに、ようやく気付いたのだった。

(ルシオラさんのときは、
 私の気持ち、まだ恋じゃなかったと思うけど……)

 美神と横島が正式に婚約した時の、胸の痛み。それは……。

(あの時とは全然違うから……)

 だから、おキヌは、横島に惚れていたことを自覚したのだ。すでに手遅れな……今頃になって。


___________


 風が吹いてきた。長い髪が後ろへ舞うのも気にせず、おキヌは、ただ立っていた。
 ふと、鞄の中から文珠を取り出し、それを眺める。

(美神さん……)

 それは、美神がヘソクリしていた文珠の一つ。
 おキヌ以上におキヌの気持ちを理解していた美神が、『ごめん……』という表情で、おキヌに渡したものだった。
 美神によって、『忘』という文字がこめられている。

(でも……忘れることなんて出来ません……!!)

 どうして忘れられよう!?
 三人で幸せだった時間こそ、宝物なのだ。何故その宝物を自分から捨てることが出来よう!?
 おキヌは、かつて美神から言われたことを思い出す。おキヌが幽霊から人間に戻る際、美神は、幽霊時代の記憶なんて夢のようだと説明しながらも、

「夢は人の心に必ず残るものよ!
 それが素敵な夢だったのなら
 なおさらでしょ?」

 と言ってくれたのだ。

(その美神さんが、こんな文珠をくれるなんて……。
 変わってしまったのね……美神さん)
 
 そう思うと、とても悲しい。だから、おキヌは首を振って、

(違うわ……!!
 思い出の大切さを知る美神さんが、
 それでも忘れたほうがいいって思っちゃうほど……
 それほど……私が痛ましかったんだわ……)

 と考えることにした。
 そして、『忘』という文珠を見るうちに、十年近く昔の別の事件も頭に浮かんできた。
 それは、横島の親戚タダスケが来た時のこと。
 美神と横島とタダスケの三人が特別な打ち合わせをした後、

「美神さーん。
 もう、入ってもいいですか?
 なんだったんです、三人でお話って……?」
「三人……? 誰の話?」
「え? あれ?」

 いつのまにかタダスケが消えていただけでなく、まるで、彼が来ていたことすら二人に忘れられたようだったのだ。

(そうか……。
 なんだか話が食い違う感じがしたんだけど……
 あれって、文珠で記憶を消してたのね)

 さらに、最近の横島を見ていて、おキヌは気がついていた。髪型を変えた横島は、タダスケそっくりなのだ。あの『タダスケ』が実は未来からきた横島であったことは、記憶を消されていないおキヌには、明白だった。

(二人はタダスケさんの正体に気づいてしまって、
 未来のことも何か聞いてしまった……。
 それが歴史に影響することを恐れて、忘れることにしたんだわ)

 しかし、こうしてあらためてタダスケの一件を考えてみて……。
 おキヌは愕然とした。

(……!!
 そうだわ……!!
 二人はタダスケさんの存在そのものを忘れていた……!!)

 おキヌは、もう一度『忘』文珠を凝視する。

(ひどい……!!
 これ使ったら……
 横島さんたちとの思い出だけじゃなく、
 横島さんの存在そのものも……忘れちゃうの!?
 美神さん……
 そんなつもりで、これをくれたんですか!?)

 涙がポロポロこぼれた。
 もちろん、おキヌの考え過ぎなのだが、それを正す者は、この場には誰もいなかった。

(全部頭の中から消えちゃったら……
 もう美神さんたちのところにも戻れないじゃない!!)

 おキヌの涙は止まらない。
 しかし、タダスケが来た時のことを再び思い出し、フッと心が虚ろになった。

「そうか……。私、このまま
 美神さんたちの前から姿消しちゃうんだ……」

 その思いは、独り言の形で口から出たため、いっそう深くおキヌの中にしみ込んでいった。
 おキヌは、当時のタダスケの発言……

「ここで君まで感染したら、
 話がまたややこしくなる!」

 という言葉を、変に解釈してしまったのである。
 タダスケが何をしに来ていたか、今となっては推測も可能だった。毒蜘蛛事件にだけ参加していたのだから、あれが未来へ影響するのだ。あそこで、毒蜘蛛にやられたのは美神と横島なのだから、それが遠因で、未来で二人はトラブルに陥るのだろう。
 ここまでは素直な推理であり、また、真実でもあった。
 しかし、問題は、その先だ。

「タダスケさん……『未来からきた横島さん』が、
 私を感染させたくなかったのは、
 『未来の私』が同じトラブルに巻き込まれても
 対処できないからだったのね。
 『未来の私』……つまり、この時代の私は、
 もう横島さんたちのところにはいない。
 だから、手の施しようもなくなる。
 だから、絶対に感染させるわけにはいかなかった……。
 そっか……。
 私が今、行方不明になっちゃうのって……
 歴史の中で確定されたことだったんだ……」

 心がネガティブになると、坂をコロコロ転げ落ちるように、悲観的な発想がドンドン出てきてしまう。日頃、陽気だったおキヌなだけに……暗く落ち込むことに免疫がなかっただけに、その加速度も、他の人より大きいのであった。


___________


「私……。
 もう……みんなのところには戻れないんだ……」

 そう言葉に出してみても、予想していたほど悲しくはなかった。

「そうだよね……。
 『みんなのところ』も……もう
 私が『戻りたい』ところじゃないから……」

 おキヌが本当に戻りたいのは、横島と美神と三人で、楽しく幸せに暮らしていた日々。二度と帰ってこない、貴重な青春の数ページだ。

「時間を巻き戻すことなんて……
 できないもんね……。
 でも……忘れることも無理だわ」

 おキヌは、崖の突端まで足を進めてみた。
 下を覗き込むと、海面までは、目もくらむような高低差がある。
 ここは、しなびた観光スポットというだけでなく、自殺の名所でもあるらしい。

「それなら……いっそ……」

 物騒な言葉を口にしてしまったおキヌだが、もちろん、本心ではない。自ら命を絶つ気は全くなかった。
 彼女は、三百年間の幽霊生活を経て、人間に蘇ったのだ。現在生きていること自体、いわば奇跡の賜物なのだ。そして復活後も、ネクロマンサーとして、不慮の死を遂げた多くの命と対話してきた。
 おキヌは、この世界で一番、命の尊さを知っている人間なのだ。

「あっ……!!」

 しかし、運命は彼女を放っておかなかった。突然、強風が彼女を襲ったのである。
 大地から、足がフワッと離れてしまう……。

(そんなつもりはなかったけど……。
 でも、あんなこと言いながら
 端っこに立っていた私が悪いのね……。
 これじゃ精一杯生きたことにならない……。
 ごめんなさい……!!)

 そんな気持ちが頭に浮かんだが、それも一瞬だけだった。
 重力に引かれて落下していく中……。
 おキヌの『魂』は、ただ一つの願いで、いっぱいになっていた。

(戻りたい……。
 幸せだった……あの頃に……)

 そう願ったおキヌの手の中で、文珠に刻まれた字が変わる。『忘』から……『戻』へと。


___________


 そして……。


___________


(私……。
 幽霊だったから……!!)

 おキヌは、自分の発言にハッとした。

(あれ……!? 崖の上にいたはずなのに!?)

 正確には、先ほどの『発言』は、口に出したものではない。しかし、思ってもみなかった言葉だっただけに、心の中の独り言にしては不思議だった。

(ここは……!?)

 ふと気がつくと、目の間では、たくさんの悪霊が塊を成していた。しかも、その中に横島が捕われている。そして、おキヌ自身は、ネクロマンサーの笛を吹いていた。ただし、その音色は拙いものだ。

(これは……まるで、あの時の……!?)

 おキヌが人間になった後で、幽霊時代の記憶を取り戻した時。その際、今と全く同じ状況を経験していた。当時を思い出しながら、おキヌは、霊団に語りかける。

「もう……やめよう。
 ね? みんなお帰り……!」

 同時に、慣れ親しんだ笛を、正しく使い始める。笛の音も変わり……。

『ギャアアアアァ!!』

 悪霊たちは、空へと消えていった。
 ネクロマンサーとしての経験豊富なおキヌは、これくらいで疲れたりはしない。座り込むこともなかった。だが、

「大丈夫!?
 おキヌちゃん!!」

 と心配しながら、美神が駆け寄ってきた。

(これって……全く同じ……。
 もしかして……)

 おキヌは、美神に対して、頭に浮かんだとおりの返事をする。

「美神さん……!
 私……おぼえてます!!
 全部思い出しました……!!」

 しかし、思い出した内容は、あの時とは全く違っていた。
 今回おキヌの記憶として蘇ったのは、ここへ来るまでの経緯だ。
 美神と横島が婚約し、いたたまれなくなった自分は一人旅に出て、崖から足を滑らせてしまった。それも、半ば身を投げたような形で……。
 おキヌは、今、死の瞬間へ向かって落下中のはずだったのだ。

(これって……走馬灯!?
 死ぬ前の一瞬の幻……夢なのかしら!?)

 一瞬、そんなことも思ったが、

(でも……お願い!!
 夢なら覚めないで!!
 幻なら……出来るだけ永く続いて!!)

 と、おキヌは強く祈る。
 そして、足をとめた美神と、その隣に立つ横島に向かって、走り出した。

「ただいま……!!
 美神さん……!!
 横島さん……!!」

 束の間の夢でもいい。瞬間の幻でもいい。
 この時代こそ、おキヌが『戻りたい』と願った『あの頃』なのだ。三人で幸せに過ごした日々なのだ。
 もしも死の間際に叶えられた最後の望みであるならば、それでもいい。今だけは『ただいま』と言いたかったのだ。

(これが……私の幸せだった……!!)

 そう思いながら、おキヌは、横島の胸の中に飛び込んだ。そして、ハッと気づく。
 
(この感触……!!
 夢じゃない!!
 本物の横島さんだ……!!)

 これは現実なのだと、おキヌは、ようやく……ようやく悟った。

(本物の……
 幸せだったあの頃の……横島さんだ!!)

 横島の背中に回した腕に、彼女は、ギュッと力をこめてしまう。

(もう……離さない……!!)

 実はおキヌは、未来のあの一瞬に、無意識で『文珠』に願いをこめていた。もはやあの『文珠』のことなど失念しているおキヌだったが、しかし、奇跡が起こったことだけは理解できた。
 誰の手による奇跡なのかは分からない。
 それでも、おキヌは、

(ありがとう!!)

 と、心の中で強く感謝した。
 彼女は……幸せだった若い時代に、帰ってきたのだ!!

「ただいま……美神さん!!」

 もう一度同じ挨拶をしながら、おキヌは、横島の胸にうずめていた顔を上げた。若返った無邪気な笑顔を二人に向ける。

「そして……横島さん!!」

 おキヌの目尻には、嬉し涙が浮かんでいた。



(第一話「……大好き!」に続く)
 


今までの評価: コメント:

この作品へのコメントに対するレスがあればどうぞ:

トップに戻る | サブタイトル一覧へ
Copyright(c) by 溶解ほたりぃHG
saturnus@kcn.ne.jp