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山の上と下

28 その前に 交錯する思惑と想い・後編


投稿者名:よりみち
投稿日時:07/11/18

28 その前に 交錯する思惑と想い・後編

 戻る道、何となく年少組−横島、おキヌ/加江、シロ−と年長組−ご隠居、智恵、涼−に別れる一行。

 先を進む年少組については、全体的な状況から『楽しそう』とはいかないが、それなりの雰囲気で言葉を交わしている。

 話の要役を果たしているのは横島。
 山師の息子としての子供時代を含め旅を重ねて得られた体験は豊富で(ここまでの旅である程度人の世を知ったとはいえ)隠里に暮らしてきたシロにとっても、数十年の時を経ているといえ人と接することのなかったおキヌにとっても聞く価値のあるものばかりだ。

 ちなみに、加江は体をおキヌに任せているが、時折、”表”に出て年少組の年長として話に加わっている。



 そうした光景を『今だけは』と微笑ましげに見る年長組。道の半ばに差し掛かったところで、

「少しお喋りをしたいことがあるんだが、良いかい?」
 さりげなく智恵の側に立ったご隠居が前を行く年少組には聞こえない大きさの声で尋ねる。

 改まった物言いに訝しげな智恵だが、別に構わないとうなずく。

「昨夜の話に戻るんだが、そこで封印の”守り役”は氷室神社だろうってなったよな」
 そう切り出したご隠居は一拍間を取ると、
「オイラが思うに”守り役”はもう一人いる気がするんだが、どうだい、姐さん?」

「と言われましても‥‥」話の”見えた”智恵は口を濁す。

「今の内に俺たちの間だけでも詰めておく方が良いんじゃないか? 忠さんの案も絡んでくる話だし」
 少し前を行く涼が振り返らず口を挟む。彼も話は”見えて”いるということだ。

 後回しにはできないかと判断した智恵は淡々と、
「おキヌちゃん、あの娘も”守り役”を務めているものと思われます。大さっぱにですがオロチ岳周辺に不穏な動きがないかを見張るのがその役目というところでしょう」

「やっぱり! さもなきゃ、封印の一部を構成するおキヌちゃんの魂が山を彷徨うなんてことはねぇもんな」
 と隠居。声の大きさは変わらないが怒気を込めて、
「それにしたって、末に神様って報酬を用意しているとはいえ、人の魂を封印の一部にしただけじゃ済まさず千年もコキ使おうなんざ、ずいぶん阿漕な話だぜ」

「それは致し方ないことと。いくら本命としての氷室神社があっても、千年近い時を思えば十分とはいえないでしょう。”守り役”の勤めが伝わらないとか戦乱が起こって氷室神社自体が滅びることも。それを思えば不変性を持つ魂に”守り役”を任すのも、それが絶対に正しいとは言いませんが、一つの方法といえます」

「理屈としては解るんだがよ」なお納得がいかないと、
「そもそも、そんな重要な役目を”天然”‥‥もとい、あんな気の良いお嬢ちゃんにやらせるてぇのはどうなんだ? だいたい当人に自覚はないわ、すぐに記憶があいまいになるわで務まるのかねぇ 人選とか封印の組み立てとか、どこかで間違えたんじゃねぇか?」

「人選はともかく記憶については予定通りだと思うな」今度は涼が答えを買って出る。
「”守り役”として過ごす時間を考えりゃ、記憶なんかはどんどんあやふやになる方が良いだろ。長い年月、あれもこれもと覚えていたんじゃやりきれねぇぜ」

「‥‥ そうかもしれねぇな。限られた世界で独りぼっち、記憶だけが積み重なるもの虚しいか」

「それに何か起こっているかどうかについちゃ、おキヌちゃんが判断するんじゃなくて、おキヌちゃんの身に何かが起こることで判断するんだろうよ」

「なるほど!」ご隠居は手を打つ。
「そういやぁ 坑道で仕事をする時、小鳥なんかをいっしょに持ち込み、その様子で危険を判断するってやり方があったっけ。おキヌちゃんはその”小鳥”ってわけか」

「実際、おキヌちゃんは”娘”に気づき様子を探っていただろ。俺たちがいなきゃ、そう遠くないどこかであの娘に何か起こっていたはずさ」

「それが封印の対抗策の引き金になるってわけだ」

「まっ、ご隠居と同じで、人様の魂をどう思っているんだって言いたいが、恐ろしい妖怪を長い間封じ込めるとなりゃ 選り好みはできねぇ そんなところだろうよ」

「ったく! 無理も無体も十六の娘に全部背負わせるたぁ けっこうなことだ」
 憤慨に意味のないのは承知のご隠居だがつい感情が露わになる。
「ところで、智恵さん、さっき、口をついたんで気がついたんだが、『対抗策』があるとして、それがどんなものだと思う?」

「まるで見当がつきませんね。ただ‥‥」しばし口にするかを迷う智恵。
「おキヌちゃんがいなくなれば封印が成り立たないようですから、死津喪比女との勝負を一気につけるような危険なものと考えます」

「ってことは、現状のままが一番ってことか。そう考えると、忠さんとおキヌちゃんの魂を差し替えるのも止した方がよさそうだな」

「はい。考えれば考えるほど精緻な仕組みの封印のようで、魂なら同じだろうと、うかつに交代させればどのような変調が起こるか‥‥」

 語尾こそは濁すが言いたいことは明らか。おキヌには死津喪比女が滅びるまでオロチ岳で幽霊を務めてもらう以外選択肢はない。

「封印の都合だけを考えれば、おキヌちゃんをこれ以上巻き込むことはもちろん、親しくなるも考えもんだな」

「言えるな、それは。人と関わりが多くなればそれだけ厄介ごとが多くなるのは避けられねぇ そっとしておくのが一番か」

 涼、ご隠居の相次ぐ嘆息に智恵も、
「本体の死津喪比女を滅ぼすことができれば良いのですが、地の奥底に潜んでいる奴をどうこうする術もなし。一つの魂すら救えない自分の無力さに身を詰まされます」

「まっ、今回は無理ってことで手を打つしかないな」

 そうさっぱりと言い切るご隠居に、
「『今回』ということはご隠居様には次の当てがあるのでしょうか?」

「んな、ものはねぇ 御伽草子じゃあるめぇし、そうそう都合良くアテが見つかってたまるもんかい」
 ご隠居は快活に笑い飛ばす。
「だがよ、知ってるかい? ここんとこ和蘭(オランダ)っていうか欧羅巴(ヨーロッパ)じゃあ科学って奴が猛烈な勢いで進歩しているって話。熱した空気の力を借りて空を飛ぶ方法やエレキてぇ 雷様の元になる力を手に入れかけているんだ。その勢いでいきゃぁ いずれ‥‥ そうだな、二百年もすれば、俺たちが想像もできない”力”を手にしているに違いねぇ。なら、地の奥の死津喪比女だって滅ぼすことをできるはずで、そうなりゃ おキヌちゃんの転生も含め万事巧くいく、そう思わないか?」

「『二百年』‥‥ 限りある時間しかねぇ俺たちには気の遠くなるような大風呂敷だが、それだけ大きいと死津喪比女だって包めそうだ。ここは後の連中にも苦労をしてもらうってことにするか」

「そうですね。二百年、三百年先の子孫たちが死津喪比女を滅ぼし、おキヌちゃんを解放する、それを期待し後世に託すのも一興でしょう」
 ご隠居の言葉に涼も智恵も気は軽くなったと応える。

 たしかに、今が無理ということであっても人という”種”に進歩する力があれば先は判らない。未来に委ねるのも、立派な策の一つだろう。
 となれば自分たちのやるべき事はその未来に繋がる『今』を守ること。今更だが、”娘”を倒すことを強く心に定める。




 寅吉の屋敷に着くと、ご隠居と智恵、涼は寅吉に今朝からのことを話し今後についての打ち合わせに入った。

 そこで逢魔ヶ谷の襲撃については寅吉を含め寅吉一家は加わらないことを決める。

 未だ人を集める段階で戦力が整わないこともあるが、寅吉を含め一家にはコトが失敗に終わった時に備えもらう方が大切という判断だ。
 最悪(と言うか、かなりの可能性で)百年前以上の大妖怪が生まれるわけで、そうなれば宿場全体の避難もあり得る。人望のある寅吉一家が健在であれば、そこにできることは様々にある。

 打ち合わせの間、シロは狼の姿に戻り体の回復を図る。すでに動くことに支障はないとはいえ戦いとなれば話は違ってくる。
 その傍らには横島が。昨日と同様、霊力をもって回復に手を貸す。

 最後に加江/おキヌだが、客間の一つで静かに過ごすことに。
 というのもおキヌが宿場に手前あたりで再び疲れたということで眠りについたから。
 百年ぶりに話し込み歩いたということもあるが、やはり”同居”の形で体に入っているのが負担になったらしい。



「?! おキヌちゃん、目が覚めたの」
 窓枠に腰をかけすることもなく外を眺めていた加江はおキヌが動くのを感じる。

「はい、日暮れも近いようで元気が出てきました。昼間、意識のないのが当たり前だったので気づきませんでしたが、私って夜昼の生活が入れ代わっちゃったみたいです」

「そうかもしれないわね」やや脱力の相づちの加江。
 『夜型』とかの問題ではないと思う。素人考えだが、昼間に意識を持ち続けたことも疲れの大きな要因ではないかと。あらためて幽霊と生者との差が意識に上る。
 どこか引け目を感じた気持ちを切り替えるように、
「私たちが乗り込んでのここ二日、急に騒々しくなっておキヌちゃんも大変だったわね」

「そんなことありません」おキヌは心からといった感じで否定する。
「死津喪比女のために前から山は騒がしくなっていましたし、時がどれくらいたったのかも分からなくなるほど静かなこれまでよりも張りがあって楽しいくらいです。何より幽霊の自分でも、こうしてみなさんの役に立てることが分かったことが嬉しくて。ずっと先に生まれ代わったら、みなさんと同じような人と出会い役に立てれば良いなって思っています」

 心のままに語る少女に加江の心に悲しみがよぎる。
 あくまでもご隠居たちの推測の範囲とはいえ、このままでいけばおキヌにそうした未来が来ることは”永遠”にない。

‘忠さんがそれを考えておキヌちゃんと交代しようって思う気持ちも解るけど、その方法が自分を犠牲にするというのは納得しかねるわね。自分の身を案じる人がいないとでも思って‥‥’
 そこで心でつぶやく言葉を打ち切る。
 こうして彼の身を案じている自分に気づいたからだ。もちろん、知り合いであればその身の上を心配するのは自然なのだが。

「あの〜 何か気になる事があるんですか?」おキヌは加江の急な沈黙を心配して尋ねる。

「ん?! 別に何もないわ」あたふたと手を振る加江。
 もっともこの仕草が”内”にいるおキヌ通じるかどうかは微妙なところだが。
 深みにはまりそうな自分のためのも話を逸らせようと、
「ちょっと、おキヌちゃんは忠さんをどう思っているのかなぁ なんて考えてたの。一昨夜とか昨夜からとか、けっこう一緒でしょ」

 苦し紛れとはいえ、なお横島に関わる話を持ち出した自分に少し後悔する。彼をおキヌがどう思おうと構わないはずだ。

「ああ、別に言いたくなければそれで良いわよ」

『そんなことはありませんと』とおキヌ。
「ここだけの話にして欲しいんですけど、横島さんをどう思うかっていうことなら、大好きです。他にも色々と思っていることもありますが、それが一番ですね」

「‥‥ 『大好き』ねぇ」素直に自分を語る少女にまぶしさを感じる加江。
 自分もこれくらい素直に語ることができれば‥‥

 再び空いた間に、「二日ほどしか会っていない人にそう思うのは変ですか?」

「さぁ 一目惚れって言葉もあるんだし良いんじゃない。でも、どうしてそれがここだけの話なの?」

「だって私は幽霊じゃないですか。幽霊から言われたら横島さんだって困るでしょう」

‥‥ 淡々と事実でしょうと話すおキヌに加江は絶句する。



 日が暮れるのを待っていたかのようにおキヌが加江の”内”より消えた。

 封印が自己の状況を回復させるためにおキヌを強引に呼び戻すかもしれないという智恵の予想があったので一同に動揺はないが、少女が封印と共に在るしかない事を目の当たりにしたことは心に痛い。




「助さんじゃありませんか! どうしてこんなところに?」

 真夜中というには少し間のある刻限、場所は寅吉の屋敷の裏手、横島は十四夜の月を見上げる加江を目にした。

「ああ、忠さん?!」呼びかけられたことに軽く驚く加江。
「そっちこそ、犬塚殿の世話をしているはずじゃないの?」

「もう十分回復したって事でお役ご免です。後は月の光を浴びて山野を駆けめぐる方が勘が戻るって出かけました。で、俺はその見送りをしてきた戻りッス」
 事情を語った横島は口元を困惑気味に歪め、
「ついでに狩りをして借りの幾らかを返したいそうです。明日の朝は、猪汁と猪の丸焼きになるかもしれませんよ」

「それはちょっと勘弁してもらいたいわね」朝の膳を想像し加江はげんなりとする。
 ごく平均的な嗜好として獣の肉は不慣れだし、朝からそれとなれば胃にきそうだ。

「それで助さんは?」

「私の方はありふれた理由かな。色々と気になって眠れないの。それで月を見ながら時間をつぶしって感じ。自分ではもう少し図太いつもりだったけど、ダメみたい」

「それで当然じゃないッスか。明日は命を賭けた、それも自分だけじゃなくたくさんの人の命まで背負っての戦いが控えているんですから」

 納得の横島を複雑な表情で見る加江。
 眠れない理由はそれだけではないから。目の前にのんびりと立つ少年の事も大きい。むろん、そのことを言うつもりはなく、
「そうは言うけど、智恵様と格さんはぐっすり。ご隠居はさっきまで親分から借りた物置でごそごそやっていたけど、それも終わったって大あくび。あれだと今頃は、智恵様や格さん同様白河夜船でしょうね」

「いや、あの三人と比べるのは‥‥ あの人たちを基準にするって間違っていると思いますよ、人として」

 しっかり三人を人の範疇の外と捉えてる横島に加江は微苦笑を漏らす。話す当人はどうだろうと、
「忠さんは? この後、眠れそう」

「さあ? 眠ろうとしてみないと。まだ、全然、眠くないのは確かなんッスが」

「なら、少し話につきあってくれない?」加江は緊張を隠し言ってみる。
 少し前に気づいたのだが、今ここには二人しかいない。

 なら何を話してもそれは二人だけの‥‥

 どこか緊張している加江に気づかないではない横島。自分の日頃の振る舞いに対しての警戒だろうと反省する。最後になるかもしれない夜に叩き伏せられるのもナンなので、
「いいッスよ」神妙な態度で手頃の石に腰を下ろす。

 それを少し戸惑う観の加江。ほとんど判らないほどに頭を振ると相対する位置の石に腰を下ろす。

 その後、何となくの沈黙。すぐにいたたまれなくなった横島が適当な口火を切ろうとする直前、
「忠さん、これが終わったらどうするつもり?」

‥‥ 問いが自分に向けられた事であることに気づくのに数瞬かかる。
 加江にせよ他の誰かにせよ他人から将来を気にしてもらえるという発想はない。

「あんまり考えてないッスね! だいたい、明後日の朝を無事に迎えられるか判らないって話だし」

「まあそうよね」と加江。自分など『迎えられない』第一候補だ。
「じゃあ、全てが上手くいったとして、ってことでは?」

「だとすると」答えは決まっているらしく横島に躊躇はない。
「”美神”さんをついて除霊師になる修行ですか、どたばたの中ですが弟子にしてもらったんで。最初は、おキヌちゃんと交代するのも、って思ってたんですけど、智恵様が全然乗り気じゃないし。ご隠居や格さんまで同じとなると独りじゃどうしようもありません」

 おキヌが消えた後、あらためて交代の話を持ち出したのだが、言葉の通りに展開となった。

「おキヌちゃんのことは私もそれで良いんだと思う。そもそも、あの娘自身、忠さんにせよ他の誰かにせよ身代わりなんて話を受け入れるとは思えないし」
 加江は自分で思っていた以上に冷たく言ってしまう。それを隠すように、
「それで、弟子入りの方の話だけど、本当に続けることができそう? さすがに今回みたいのはそうはないでしょうけど、智恵様ほどの除霊師なら日常が命の危険と隣り合わせだと思うんだけど」

「ですよねぇ」横島は他人事のように認める。
「その上、俺の場合は智恵様の弟子じゃなく”美神”さんの弟子ですから余計に危ない目に遭いそうな気が‥‥ ”美神”さんって、ほら、目的のために手段を選ばない人でしょ」

「それでもついて行くというのは、智恵様のチチ・シリ・フトモモ? それとも五年先を見越してのれいこちゃんの?」
 皮肉っぽく指摘した加江は分かっているから返事の必要はないと、
「やれやれ そんなんじゃ、命の危険云々以前に、それが理由で破門されそうじゃない」

「本当ッスねぇ 目の前で智恵様の胸とかおしりが揺れるのを見ると‥‥ うわぁー!! 三日で終わってしまいそうだぁぁ」
『今頃、気づいたのかい!』とご隠居ならツッこみを入れそうなほど狼狽する横島。

「せっかくの弟子入りも先行き真っ暗って感じね。どう、いっそ弟子入りの話は御破算にして私についてこない? ウチで召し抱えてあげるけど」
 それが何ら大したこと事でないかのように提案する。きょとんとする横島をそのままに、
「ああ、言ってなかったわね。ウチはそこそこ大身の旗本なの。一人分くらいの居場所と扶持は用意できるわ」

「本当ですか? って嘘をつくことでもないでしょうけど」
 意外すぎて話が”見えない”横島。もう少し訊きたいと、
「ところで、助さんって旗本のお姫様様だったんですか?」

「『お姫様』っていわれると気恥ずかしいわ。そんな歳でも柄でもないし。だいたいお姫様はとうに廃業しているし」

「『廃業』できるものなんスッか?」

「まあ、それは言葉の綾だけど、姫様じゃないっていうのはホントよ」
 幾分かの誇らしさを込めて加江は答える。
「もともとは娘ということで、適当な家に嫁ぎその先で跡継ぎを生むのが私の役目なんだけど、こんな性格でしょ。『伴侶となる男なら私より強くなきゃ』とか言って、縁談相手の四・五人がとこを叩き伏せたの」

「やっぱり」横島は即座に受け入れる。

「そこは『冗談でしょう』とか言うところじゃない」加江は軽く凄む。
「で、その一人がしつこい奴でね。陰で女の人に色んな悪さをしているって話も聞いたのもあって”ひじ鉄”がちょっときつくなっちゃって。まあ、忠さんにしたのに比べればカワイイものだったんだけど、そいつ根性がなくてね。たしか、二日ほど生死の境を彷徨ったとか」

”普通”ならそんなものだろうと思う横島。

「その後、息子の不行跡を棚に上げた親が怒鳴り込んでくるわの大騒動。間に人が入って収まったんだけど、その時の条件で、言わば、勘当されることになったの。だから、今の私は屋敷に一部屋をあてがわれ捨て扶持をもらう厄介者って感じかな。その分、気楽に道場に行ったりこんなことができたりするんだけど」

「そういう立場の助さんが俺みたいな者を勝手に召し抱えたりできるんッスか?」

「それは余計な心配。こういう私でも屋敷にはお付きの用人が一人いてね。今は子供の時からの爺やが務めてくれているんだけど、歳で隠居したいって言ってるの。代わる人を捜していたところだから丁度良いのよ。もっとも用人って肩書きだけど要は雑用係。給金は安いし”先”のある仕事じゃないわよ」

「それでも、人別にも載らない俺みたいな者がれっきとしてお武家様の屋敷に仕えられるんだから良い話なんでしょう」

 質問というより確認に軽く顎を引き答える加江。
「もう言いたいことは解ったと思うんだけど、どうする?」

 そう促されるが下を向き横島は考え込む。たっぷり十を数える時が過ぎ、
「その話、断らせて‥‥」

「分かったわ」と加江は全てを言わせず受け入れる。

 それは考え込んだ理由が受けるかどうかの迷いではなく、どうすれば角か立たずに断れるかの思案だと気づいたから。
 そうである以上、『断(る)』の一言で十分。どんな理由も必要ではない。

 言い訳をせずに済んで気抜けした横島に晴れ晴れとした面持ちで、
「まあ、しっかりやんなさい、自分でこうだと決めた以上はそれが正しいんだから」

「あっ、はい」と横島。
 表情とは異なる感情が動いた気もするが、拒否で気を悪くした様子がないことに気を取られ深くは考えない。

「そうそう、あなたがスケベなことを止めるなんて事は無理でしょうから、とにかく実力をつけなさい。れいこちゃんって上辺だけで物事を見る娘じゃないから、”力”さえつけていけば、そうしたことは大目に見てくれるはずよ」

「そこは知っています! 見ていてください。『”美神”さんのチチ・シリ・フトモモはワイのもんや〜』のつもりで頑張りますから」

 際どい(というには”直球”すぎる)表現で決意を述べる横島から加江は視線を外し空を仰ぐ。
 心のどこかで嬉々とした横島を見るのを辛がる”自分”がさせたことだが、それは未練だということは重々承知している。

 視線を戻し立ち上がると大きな伸びを一つ。
「さっ! そろそろ屋敷に戻りましょうか。あまり夜更かしをしたら何のために戻ってきたのか解らないし」

「あっ?! はい! でも、もう良いんですか?」
 いきなり話が切り上げられた事に首をひねる横島。しかし加江が返事を待たずさっさと歩き始めたのであわててそれを追った。




 翌朝、朝食を摂り終えての一時、これが終われば戦いに発つことを誰もが心得ている。



 静かにお茶を喫する加江に向かいご隠居が、
「昨夜、最後に会った時に比べるとえらく落ち着いた感じだな。捨て鉢になった、ってわけでもなさそうだし、あれから何かの切っ掛けで悟りの境地にでも至ったのかい?」

「そんな大仰な。ただ月を見ているうちに自分に心に区切りをつけることができただけです」

「何がどうなったにせよ、言葉以上に性根が据わったことは間違いねぇな」
 横から応えた涼はニヤリと笑い、
「実を言うと、相手が相手だけに中途半端な性根じゃ残ってもらうつもりだったんだが、その落ち着きなら大丈夫そうだな」

「もちろん、心構えができたからといって私程度でできる事は知れておりましょう。しかし、必要であれば相打ちくらいはしてみせます」

 その気負いのない様子にご隠居は後ろに置いてあった長い包みを持ち出す。ほどくと刀、いや剣が出てくる。

 目利きを頼むと渡された智恵は剣を光にかざしてみせる。
「神剣のたぐいですね。人の血で汚され本来の”力”は発揮できないようですが魔物を切るのには十分な”力”はあるようです。対魔ということなら、そのあたりの名刀よりはよほど使えるでしょう」

「親分によると、こいつはの元亀天正の頃から摩利さんちに伝わる家宝だそうで、行けない自分や姐御の代わりに使ってくれって預かったものさ。もちろん、俺に使えってことじゃなく格さんか助さんに使ってもらいたいってことなんだが」
 戻された剣をご隠居は加江に差し出す。
「さっきまでは格さんかと思っていたんだが、今の助さんなら十分に使いこなせるだろう。いいだろ格さん?」

「いいぜ、俺にはセイリュートーがあるからな」と涼。
 懐から取り出した巾着袋を加江に投げて渡す。
「助さん、お前さんの気構えに比べりゃささいな足しにしかならねぇものだが、こいつも使いな。それなりの役にたつぜ」

  受け取った加江は袋を開ける。

 中には黒光りをした碁石を少し大きくしたようなモノが四つ入っている。取り出し見ても印象以上のことは何も判らない。

 無言の問いを受け、
「”相魂”って名前だがそれはどうでもいいだろ。そいつには”気”が封じ込められていて、腕とか足にくっつけておくとその”力”が働いて普段出せない力が出るようになっているんだ」

 少しの間考えた加江は”相魂”を袋に戻し、
「ありがたいですが、格さんが使った方が良いんじゃないですか? 同じ力を強めるのならその方が戦力になると思いますが」

「俺は、時間は短くなるが自分の”気”を操りそいつを使うほどの”力”は出せるんだ。なくたって困りゃしねぇよ」

「なら、自分の”気”とこれを両方使えばどうなのです? さらに”力”を増すことができるのではありませんか」

「そうは都合良くいかなくてね。同時に使っちまうと体の方が耐え切れねぇんだ。だったら、俺一人が長く戦えるよりも俺ほど戦える奴が二人になる方が良いだろう」

「ということなら喜んで使わせてもらいます。これで少しはご一緒に戦うことができそうです」

「神剣に”相魂”、その二つがありゃ俺とタメが張れるさ。もっとも、その分、しっかりと”仕事”をしてもらわなきゃ困るわけだが」
 涼はそういう台詞で無駄死には許さないと念を押す。一転、気楽そうな声で、
「そうそう。力は自体は”気”から来るんだが体に無茶をさせるから使い終わった後は辛いぜ。初めて全開で使った時は俺でも二三日がとこ床を離れられなくなったくらいだからよ」

「だからと言って、今更、止めますとは言えないでしょう。それにいくら辛いと言っても生き残ったればこそ体験できる事、楽しみにしておきます。そうだ! その時は格さん、介抱をよろしくお願します。かよわい女ですから優しくしてください」
 加江は後半の台詞を流し目で締める。

「こいつはえらく艶っぽいな! カカァ持ちの俺には毒だぜ」

「なら、ご隠居様にお願いしましょうか? お年相応に女の扱いは心得ていらっしゃるようだし」

「おうよ! オイラで良けりゃいくらでも、手取足取りで介抱させてもらうぜ」

 勢い込んで応えるご隠居に、
「どうやらご隠居が忠さんを贔屓にする理由が解りました。ご隠居と忠さん、根っこでお二人は同じなんだと思います」

へへっ 『バレたか』と笑うご隠居。

 同じとされた横島を含め全員が同感だと何度もうなずく。



 剣と袋を身につけた加江を見るシロ。目の前の膳を退けると大きく平伏し、
「智恵殿! 犬塚志狼、たってのお願いがござる。先夜、智恵殿が見せた技、父とて捉え得なかったアノ技を拙者に伝授してはもらえぬでござるか? もちろん門外不出、秘伝の技でありましょうが、父を助けたい娘の頼みとして聞き届け願えませぬか?」

「どうだい? オイラが口を挟むことじゃねぇのは百も承知だが、『助けたい』って言葉にほだされて”取っておき”を指南してやったら。アノ技、今日一日で何とかなるとも思えねぇが、素早く動くことにかけちゃ人狼の方が人様よりはよほど上だし嬢ちゃん自身も勘は良さそうだ。コツだけでも教えてやればずいぶんと違ってくるんじゃねぇか」

「仰ることは良く解ります。しかし、アレを教えるとうわけにはいかないのです」
 智恵は申し訳なさそうではあるがきっぱりと断る。
「いえ、惜しんで言うのではなく、アレは私に備わった特殊な体質があっての技、例え人狼のお方でもどうしようもありません」

「『体質』?! それって生まれながら超常の”力”があるってことか。智恵さんは超常能力者なのかい?」

「まあ、そうなりますかねぇ」智恵はそれが大したことではないかのように答える。

「モノに触れその実を言い当てたり触れずに物を動かしたりできるという、アノ超常能力者ですか? そういえば、瞬間に居場所を変えられる超常能力者もいるという話も聞いたことがあります」
智恵を見る加江の目に恐れに似た揺らぎが生じる。

「いやですよ、そんな人外か妖怪が目の前にいるって顔は」

「いえ、そんなつもりは‥‥」あわてて手を振る加江。
 たぶんそういう顔になっていたのは判る。

「超常能力者といっても人には変わりありませんよ。持って生まれたものが少し違うだけ、世の中に足の速い人もいれば暗算の得意な人もいるって話なんです」

 屈託なく語る智恵だが、そういう風に言えるまでどれだけのことがあったのかを想像し居住まいを正す一同。
 人と人外を取りもちたいという考えも、超常能力者である自分と普通の人との間に横たわっていた断絶を体験した事から来ているのかもしれない。

「で、アノ技ですが、極端に速い動きとか場所を瞬間に変えているように見えましょうが違いましてね。技を使うと私以外のすべての時が止まるのです」

「「「「『時が止まる』!!」」」」居合わす全員の声がそろった。

「はい、脈が幾つか打つ間だけ私以外の全ての時が止まるのです。これが私の超常能力者としての”力”です」

「この世界の時を止めるということなど、人の”力”でできるものなのですか?」
 なお信じられないという感じの加江。

 世界がどれほどの広がりを持つかは判らないが、その世界全ての時を止めるなどとうてい人ができることには思えない。キリシタンがいう創造主あたりなら話は別だろうが。

「そう言われてもねぇ」智恵は苦笑で応える。
「私自身はそうなっているとしか言い様はないことなんですよ。佐々木様だって、風景を自分の目で見ているわけですがその仕組みは説明できないでしょう」

 反論できない加江に代わってご隠居が、
「たぶん、時を止めているんじゃなくて、時を戻っているんじゃねぇかな」

「なるほど」「言われてみれば」と涼と智恵。

 ご隠居はまだ意味が分からないと言う感じの加江とシロ、横島に向けて、
「ほら、時の流れを川の流れのようなものと考えみな。まず、俺たちはその流れに乗っかって下流に下流に流されていてるわけだ。当然、流されるだけでそれをどうこうできねぇんだが、智恵さんはそれに逆らって遡れるってわけだ。遡る速さが流れの速さと同じなら同じ場所にいるように、つまり時が止まって見えるんじゃねぇか」

「それなら止まっているように見えるかもしれませんね」
 そこでふと思いついたことを加江は質問する。
「もしかして、智恵様はやろうと思えば昨日に戻ることもできるのでしょうか?」

「理屈としちゃあそうなるな。姐さん、試したことは?」

「ありませんね。自分の超常能力がそんなものだと考えてませんでしたから。それに、短い間の時を止めるだけでも私ほどの”力”の持ち主の全霊力が必要だということを考えれば、過去に戻るとなるとどれほどの霊力がいることやら。とうてい無理でしょう」

「それで二人一組なのか」初めて見た場面を思い出すご隠居。

「ええ、れいこの”力”を使い時を止めたのです。私独りでは時を止めてもそれで攻撃をする力を失うことになりますから」

「待てよ! 娘さんの霊力を借りてできるんだったら、他の人の霊力だって使えるだろ。たくさんの霊能者に手伝ってもらって一度やってみちゃあどうだい? もっとも、できたとすれば因果が崩れちまうから、止めるのはできても戻るのは無理かもしれねぇがな」

「因果が崩れるとはどういうことでござる?」

「そうだなぁ ここで姐さんが昨日の夜に戻って眠っている自分を殺すとする。そうするとどうなってちっまうかって話だ」

 言われるままに考えるシロだが、自分の頭では手に余る話だと気づいた。

「ご隠居、そんな話は全てが済んでからでもいいじゃないのか」
 涼が逸れ始めた流れに釘を刺す。

『それもそうだ』と反省のご隠居。
 懐から錦の袋取り出し中から小さめの胡桃ほどの大きさの石を取り出す。光沢などから玉を思わせるが、それ自体わずかな光を放っている。
「コイツは魔物退治に使えるって聞いたんだが、どうだい?」

「精霊石! それもかなりの大きさですね」かざされたそれを見た智恵の声が上擦る。
 これだけの大きさのものは六道の屋敷で一度見たきりだ。この大きさだと何百両、いや、千両積んでも手に入るかどうか。

「山を回っていた時分、昔の−だいたい千五百年前だそうだが−女呪術者が使っていた印章を見つけて欲しいって話があってね。それ納めた墓を見つけた時に、珍しそうな石だなって副葬品からくすねたものさ。後で調べて、除霊師ならよだれを垂らす代物だって分かってびっくりしたモンよ。智恵さんなら巧く使ってくれるだろ、遠慮なく使ってくんな」

「ありがとうございます」心からの感謝を込めて智恵は受け取る。

 精霊石を見た横島は何かを思い出したようで、
「それに似ているって思うんッスが、これも使えないッスか?」

 かろうじて元は錦だったと判るすり切れた袋を懐から取り出す。逆さに振ると同じく玉製っぽい珠が一つ転がり出る。たしかにその質感は似ているが、光も放たずくすんだ色合いもあって見た目はだいぶん落ちる。
 
 当然、渡されたそれを胡散臭そうに見ていた智恵だが、あれこれ見るうちに、精霊石の時以上に目が輝き始めた。
「まさか‥‥ 本物‥‥ 文珠!!」

「菩薩様でもいるのかい?」そのまんまの地口でご隠居がのぞき込む。

「霊力が形を持つまでに凝集したものです。念を込めると、術者の望む形で”力”が発動します。一つの時代に、一人いるかいないかという稀少な能力の産物、それこそ金を積んだから手にはいるという代物じゃありません」
 少なからず興奮して智恵は説明する。まじまじと横島を見て、
「どうしてこんなものをあなたが持っているの?」

「『危ない時に使え』って代々受け継いできたもので、家出の時におかんが持たせてくれたものです。もっとも謂われとか使い方なんかはとうに解らなくなってて、御守りくらいにしか思ってなかったんッスが。これも使えるのなら使ってください」

‥‥ いったんは引きかけた手を智恵は戻すと、
「使い方は教えるからこれはあなたが持ってなさい」

「でも、それじゃ‥‥」

「あなたがお母さんから任されたものなら、あなたが使ってこそ意味があるというもの! それにこれくらい使いこなさないと私の娘の弟子とは言えないわ!」

 ぴしゃりと言われたことに目を丸くする横島。期待に応えてみせると大きくうなずいた。


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