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第三の試練!

〜二人の記憶、二人の問題〜


投稿者名:ヨコシマン
投稿日時:07/ 8/ 2

 九月ももう後僅かで終わる、そんな季節感を感じさせる風がアパートの中をゆっくりと流れる。
 既に暑さから涼しさへと切り替わりつつある初秋の風を受けながら、横島は万年床の上で汚れた天井の染みと己の右手を交互に見つめていた。
 何度見返しても、その右手には望む蛍の姿は現れる事無く、ただ虚しさだけが心を通り抜けるのみである。
 孔雀は言った。どれだけ生きたのかでは無く、どう生きたのかが重要なのだと。
 しかし、横島にしてみればどう生きたのかさえ分からない程に、“彼女”の人生は短いとしか思えなかった。

(あいつにとって、本当に俺の為に死ぬ事が生きた証だったのか?)

 もしそうだとすれば、それはあまりにも寂しすぎる結論になる。自らの死を以て生きた証とするなど、ナンセンスにも程があるとしか言い様が無かった。
 しかし仮にその結論が間違っているとするならば、彼女が生きた証はそれ以外の何であったのだろうか。
 横島はあのアシュタロスとの戦いが終わってから今まで、極力考える事を避けていたこの自問自答を繰り返していた。

(あいつは、あの時俺の為に死のうと思ったのだろうか。)

 そう心で呟いた。
 何かが違う気がする。自分が逆の立場だったら、その場面で死のうとなど考える事は無いのではないだろうか。
 ただ、目の前の大事な存在を守ろうとしただけだとしたら。結果として、死ぬ事を選ばざるを得なかったとしたら。

(あいつが助けてくれたお陰で、俺達はアシュタロスを倒すことが出来た。)

 “彼女”、ルシオラが直接アシュタロスを倒したわけではない。だが、アシュタロスを倒すという結果を導き出したのは間違いなくルシオラである。
 だとすれば。彼女が遺した生きた証はこの世界であり、この世界に生きる人々であり、つまりは“横島の世界”そのものであると言えるのかも知れない。

(そうか、そうかもしれないな。)

 そう考えると、少しは救われた気持ちになれる。
 ルシオラが生きた時間は本当に僅かなものだったけれども、彼女は横島の大切な世界を守ったのだから。

「おっ・・・と。」

 僅かに滲んだ涙を軽く払うと、横島の腹時計が控えめに鳴った。
 こんな時でも腹は減る。人間という生き物は思った以上に頑丈に出来ているようだ。
 先程は食べ物を見るだけでこみ上げてくるものがあったが、ようやく精神が落ち着きを取り戻し始めていた。

「・・・。」

 無言のまま口に入れた焼き魚の身を咀嚼しながら、横島はぼんやりと窓を眺めて思う。
 ルシオラは俺の居る世界を守る為に自分の世界――彼女にとっての世界とは、創造主と妹達が全てだったのかも知れないが――を捨て、その命を賭けた。
 そして今度は美神さんが自分の命を死の天秤に乗せ、その命を賭ける。
 その時、美神さんもルシオラのように何かを守ろうとするのだろうか。
 ふと、横島の脳裏に地下金庫に眠る金塊の山と事務所の裏帳簿を守ろうとする令子の姿が思い浮かび、思わず苦笑いがこぼれた。

(自分が死んじまったら、そんなもん意味が無くなっちまうよな。でも、あの人なら多分やるな。)

 無茶苦茶な話ではあるが、本当に令子ならやるかもしれない。そんな普段の彼女の姿を思い浮かべ、横島は無意識のうちに相好を崩した。
 残り僅かになった焼き魚の身をほじくり、集めて箸で摘むと一気に口へと放り込む。続けて白米を掻き込むように頬張ると、忙しなく顎を上下させながらもう一度窓の景色に目をやった。

(美神さん、俺はどうすればいいですか?)

 ルシオラが横島を助けた時、彼女には選択肢が一つしかなかった。だから迷いも何も無く、ルシオラは決めた。
 しかし横島には選択肢が示されてしまった。そう考えると、選択肢が存在するという事はある意味不幸な事なのかも知れない。
 自分には、ルシオラのように全てを賭けて誰かを守る事が出来るのか。横島の思考は先程からずっと、この問いで何度も堂々巡りを繰り返し続けている。

(美神さんが俺の立場だったら、あの人はどうするだろう。)

 『残念ね』の一言で後は何事も無かったように通常業務に戻るだろうか。そう考えて、その可能性を否定できない事に横島は少し悲しくなった。
 だが以前、マリアが媚薬で異常行動を起こしたときは助けに来てくれた事もあった。あの時の彼女こそ本当の姿であると信じたい。
 どこまで考えても答えなど出る訳も無く、考える事に疲れた横島は食事の後片付けもそこそこに万年床に寝転がった。
 先程と変わらず、薄汚い天井の染みがぼんやりと浮かんでいる。
 横島は心地よく近づいてくる睡魔と戯れながら、ふと思った。
 本当に美神さんにも、自分の全てを賭けて守りたいものがあるのだろうか、と。











 コツン、コツン、と小さく二度。やや間を置いてコツン、コツンと更に二度。
 浅いまどろみの中で遊ぶ横島を現実へと引き戻したのは、控えめに叩かれた玄関のドアの音だった。

「あ、ご免なさい。もしかして、お休み中でしたか?」

 乱れた髪と寝ぼけ眼で応対した横島のその顔に気付き、即座に情況を理解したのか申し訳なさそうに微笑んだのは小竜姫であった。

「いえ、良いんですけど、何か?」

 寝起きのせいか思考に靄が掛かった状態で、横島は大きく欠伸をしながら突然の訪問者をぼんやりと眺めた。
 今日の小竜姫は普段妙神山に居る時のような格好ではなく、彼女の見た目の年齢に合わせたシックなスーツ姿である。
 情況をいまいち飲み込めない横島は頭を掻きながら、首だけを回して階下の道路に視線を移すと、そこには黒塗りの古めかしい車が停まっていた。

「・・・突然お邪魔してしまって申し訳ありません。その・・・、お話したい事があるんです。」

 どう話を切り出して良いのか分からない、といった仕草でもじもじと困った表情を浮かべる小竜姫は、傍から観てるぶんには彼氏の部屋に突然押しかけてきた彼女のようにも見えなくは無い。

「あっ・・・と、その・・・、お気持ちは嬉しいんですが、その、流石の俺も今はそんな気分にはなれないって言うか・・・。」

 当然横島もそう感じ取ったのか、少し物悲しい顔付きになると寂しそうに首を振った。

「あのー、そうではありません。というか、なんか微妙に傷付くのですが。」

 軽く苦笑いを浮かべた小竜姫はやんわりと横島の想像が間違っている事を告げると、再び表情に険しさを作って視線を合わせた。

「お話と言うのは横島さんのお体についてです。どうしても聞いて頂かないといけません。」

 有無を言わさぬ彼女特有の存在感で横島を圧倒すると、気圧された横島の顔を見て僅かに微笑んだ。
 入ってもよろしいですか、とその微笑のままで問いかける小竜姫に、横島は頷くことしか出来なかった。

「えーと、水道水ぐらいしかお出しできませんが・・・。」

 突然の訪問に戸惑いの顔を作りながら、横島は卓袱台に座りきょろきょろと室内を見回す小竜姫にグラスを差し出した。

「あ、お構いなく。」

 差し出されたグラスに気が付いた小竜姫が申し訳なさそうに会釈すると、そのまま横島が向かいに座るのを待った。

「あまりお時間を取らせないよう、手短に言います。横島さん、今文珠はお持ちですか?」

 余程深刻な話なのか、小竜姫は眉を寄せると険しい顔を作って問う。

「・・・いや、今は全く・・・。そういえば、そろそろ新しいのが出来ていても良い頃ですけど・・・。」

 ここ数週間は色々な事がバタバタと起こっていたから、そんな事は気にも掛けていなかった。だが、そう言われれば確かに、時期的に見ても二個ぐらいは出来ていたっておかしくは無い。
 そんな事を考えながら、横島は不思議そうに右手の掌を眺めた。

「やはり・・・そうでしたか。」

 悪い予感が当たってしまった。そんな心の声が聞こえてきそうな顔で小竜姫は呟いた。

「どういう・・・事っすか?」

 ただでさえ大蛇の事で頭が一杯なのに、その上このお方は何を言おうというのか。横島は眉間に皺を寄せながら、小竜姫の言葉を待った。

「孔雀様と回線をつなぐ前に、ヒャクメが横島さんの記憶のチェックをした事を覚えていますか?」

 そう話し始めた小竜姫と視線を合わせて、横島は軽く頷く。

「その時、ヒャクメは横島さんの霊体が大きく欠損している事に気が付きました。そして、その欠損を埋めるために擬似霊体が使われている事も。
 もうご存知でしょうが、それはかつて不足した貴方の霊体を補っていたルシオラさんの霊体が消滅した為、孔雀様が施した秘術です。」

 そこまで聞いて、横島は何故小竜姫がその事を知っているのか、少し疑問に思った。あの通信は最後に孔雀と二人だけで交わされたものであり、その内容は誰にも知られていないはずだった。
 或いは、小竜姫自身が言ったように後からヒャクメにでも聞いたのだろうか。しかし、ルシオラが消滅した事までヒャクメが知っているとは思えない。
 暫くの沈黙の間、小竜姫は横島の表情から言いたい事を読み取ったのか、再び口を開いた。

「何故私がその事を知っているのか不思議に思われるかも知れませんが、実はあの後妙神山に戻ってから孔雀様にお聞きしたのです。
 孔雀様は本来ならば横島さんにだけその事をお話するつもりでしたが、不測の事態が起こった為已むを得ず私を遣わしました。」
「不測の事態って・・・言われても。」

 何の事やら、さっぱり分かりませんが、と表情で語る横島。それを見た小竜姫は困ったような笑顔を浮かべ、そうですよね、と小さく呟いた。

「不測の事態とは、先程もお聞きしましたけど、文珠の事なんです。」

 そう言った後、最初から曇り気味だった小竜姫の表情がさらに曇った。言い出し難い事を言おうとする時に自然と出てくる、躊躇いの感情が滲み出ていた。

「実は、今の横島さんには・・・文珠が作れません。」

 暫くの沈黙の後、意を決した小竜姫は顔を上げるとそう横島に告げた。










「・・・あれは、もしかして鬼門の二人?」

 横島の住むアパートの前に陣取る黒塗りの車。およそ周囲の雰囲気とかけ離れたそれを目にした令子が不審そうに呟いた。

(何故ここに?)

 あの独特なフォルムのクラシカルな車と、退屈そうに屈み込む二人の鬼を見れば、横島のアパートに小竜姫が来ている事は容易に想像が付く。
 だが、いかなる理由でここに来ているのか、その理由は逆に想像が出来なかった。

「あんた達、ここで何してんの?」

 黒塗りの車に寄りかかるように座り込み煙草を吹かす鬼門の二人に、令子は奇妙なものを見るような視線を送りながら声を掛けた。

「おお、美神か。何をしてるかってお前、見れば分かるだろう。小竜姫様をお待ちしておるのだ。」

 左の鬼門が面白くなさそうな顔で面倒くさそうに答えた。

「全く。何をお考えなのか知らぬが、わし等にも理由を仰られぬ。小竜姫様にも困ったものよ。」

 追従するように、不貞腐れた表情で今度は右の鬼門が呟いた。
 どうやら、二人の鬼門は主人たる小竜姫から何も知らされずにここまで彼女を送って来たらしい。

「まあ、いいわ。横島クン、いるんでしょ?」

 小竜姫が横島の所に何をしに来たのかは知らないが、この二人が待っているという事は少なくとも、不在ではないのだろう。
 そう判断した令子が二階の横島の部屋を指差しながら尋ねた。

「知らんわ! 何が悲しゅうてあんな糞餓鬼の所在なぞ確認せにゃならん。自分で確かめればよかろう。」

 へっ、と吐き捨てるように右の鬼門が言えば、左の鬼門も同意するように深々と首を縦に動かす。

(あらら、横島クン相当嫌われてんのね。)

 二人のその仕草と表情を思わず苦笑いしながら眺めた令子は、それ以上何も言わず、アパートの階段へと歩き出した。

(ちょっと待って。小竜姫様がわざわざ横島クンの所に来て話す事って、何?)

 古いアパート特有の、風雨にさらされ錆の浮いた鉄製の階段。その初めの一歩を踏み出す瞬間、令子の頭に一つの疑問が湧き上がった。
 今までだって、何かあった時は基本的に事務所に来ていた小竜姫が、何故このタイミングで横島のアパートなのか。
 しかも鬼門の二人にまで用件を伝えずにここまで来たと言うのなら、それは誰にも聞かれたくない事だからではないのか。
 ここまで考えて、令子は一つ大きく息を吸い込むと、意識的に自らの霊気を押さえて気配を消した。同時に足音を極力させないように慎重に古い階段を登りつつ、横島の部屋の手前まで近づいた時だった。

『実は、今の横島さんには・・・文珠が作れません。』

 不意にドア越しに聞こえてきた小竜姫の声が、令子の動きを止めた。

(・・・?!)

 思わず出そうになる声を慌てて押さえ込むと、令子はその場所で身を屈め、息を潜めて室内の二人の会話を聞き取ることに集中した。









「文珠が作れない・・・って、どういう事ですか。」

 ショック、というよりは困惑の表情を浮かべて横島が聞き返した。どうやら小竜姫の言葉を正確に理解していないように見える。

「言葉通り、今の横島さんには文珠を作る事が出来ないと言う事です。」

 聞き返された小竜姫も言い難そうに、上目遣いで答える。
 小竜姫は横島にどのように事の次第を説明するのが一番良いのか、横島の反応を窺いながらあれこれと考えていた。

「ちょっと待ってくださいよ! それじゃあそもそも時間移動自体出来ないじゃないっすか!」

 小竜姫から発せられた一言はまさに、物事を根底から覆す言葉、と言って良いのではなかろうか。横島の反応は至極当然のものと言えた。
 今回の孔雀明王からの依頼は、まず文珠で時間移動する事が絶対条件なのだから、その肝心の文珠が作れなければスタートラインにすら立てないのである。

「落ち着いてください。“今の”横島さんには作れないと言ったのです。具体的に言うと、恐らくは四年の間、文珠が作れない状態が続くはずです。」
「四年・・・?」

 動揺する横島とは対照的に落ち着いて話す小竜姫の言葉に、横島は再び状況を把握しきれない、といった表情を見せた。

「まず聞いて下さい。良いですか、文珠と言うのは恐ろしく繊細な霊基構造をした、謂わば圧縮された無地の魔方陣のような物なのです。
 そこに使用者の望む観念を込める事で、使用者の望んだものにより近い現象を引き起こすという極めて珍しく、また貴重な技術なんです。
 それだけに、その文珠が生まれる過程に於いて精密な練成が必要となります。」

 小竜姫はそこまで淡々と話を進めると、一旦話を切って横島が理解できているかどうか、その顔色を窺った。

「つ、つまり、めちゃくちゃ精密な機械のようなもんって事っすよね?」

 彼なりに精一杯、小竜姫の言葉の意味を噛み砕いて答えたのだろう。厳密な意味では異なるが、伝えたい事の大意は伝わっているようである。
 小竜姫は軽く微笑むと、横島に向かって軽く頷いた。

「そうですね。取り敢えず、そう考えてもらって構いません。
 仮に文珠が高度に精密な機械であるとした場合、それを作るには同じく高度で精密な工場が必要となります。
 この場合、工場とは横島さん自身を指す事は分かりますよね?」

 小竜姫は僅かに頷く横島の顔を見て、更に続けた。

「かつて雪之丞さんと妙神山に来た時、横島さんの肉体と霊魂は老師・・・斉天大聖様との修行によって、文珠を生み出す特殊な構造を得たのです。
 ですがそれは、あくまでも肉体と霊魂が万全の状態で初めて機能するものですので、今の横島さんでは文珠を生み出すことが出来ないのです。」

 ここで横島もはっきりと理解した。今の状態、つまりルシオラが失われた事によって霊体が不完全な状態にある故に、肉体に損傷がなくても文珠を生み出す機能が発現しないのだ。

「で、でも、四年って言うのは・・・?」

 先程小竜姫は四年の間文珠は作れないだろうと言っていた。ルシオラの霊体が欠けた今、文珠を再び作れるようになるのだろうか。
 横島の疑問は当然のものであった。

「確かに霊体と言うものは、粘土の様に気軽に千切ったりくっ付けたり出来るものではありません。
 ですが、肉体と同じように時間をかけて少しづつ再生するんですよ。
 ですから横島さんの場合おおよそ四年で、現在孔雀様の擬似霊魂で補っている欠損部分が自分自身の霊体で埋まるはずなんです。」

 小竜姫の説明にいちいち頷きながら、横島は黙って聞き入っていた。

「ただ・・・、少し心配な事があるのです。横島さんは普段文珠を一つ生み出すのに何日ぐらい掛かりますか?」

 心配な事、と言われて横島の顔付きが少し歪んだ。ただでさえ心配事だらけなのに、この上何があるというのか。横島は内心毒づかずには居られなかった。

「そうっすね・・・、多少ばらつきますけど大体十日に一個ぐらいのペースかなぁ。」

 ぼんやりと天井に視線を移しながら、過去の記憶を探っているかのように横島が答える。

「十日・・・。孔雀様にお聞きした所、文珠を生み出す能力者はそれぞれ固有の精製周期を持っているそうなんです。
 横島さんの場合、十日で文珠一つが自然な周期なんですね。」
「精製周期・・・って?」

 そう言いながら、なにやら考え事をしているような顔をした小竜姫に、横島は片眉を上げながら疑問を投げ掛けた。

「ああ、要するに文珠一個を生み出すのに必要な日数の事ですよ。
 これには個人差があって、どんなに頑張ってもその周期より早く文珠を作ることは出来ないんです。」
「ああ、そういえば・・・。」

 横島には思い当たる事があった。以前事務所で文珠を早く作ろうとして無理に霊力を込めたら、不完全な文珠が暴走したのだ。
 確かあの時は事務所の中が滅茶苦茶になって、鬼のような上司に酷い目に遭わされた記憶がある。

「文珠はとても繊細なんです。阿古屋貝が真珠を少しずつ大きくするように、文珠もまた横島さんの中で丁寧に作られるんですよ。」

 そんな事があったのですか、と苦笑いしながら、小竜姫は文珠を真珠に例えて横島に話す。

「心配な事と言うのは、横島さんが文珠を作れるようになるのは早くて四年後だという事です。
 言い換えると文珠を貯めておける期間は、最大で一年しかない事になります。
 そうなると十日に一つの周期ですから、最大で用意できる文珠は三十五個しかありません。」

 小竜姫の言葉を聞いていた横島の表情が僅かに変わった。それだけあれば充分ではないのか、とその顔が訴える。

「充分だと思いますか? 片道の文珠だけで十三個必要になるのですよ? 往復で二十六個費やせば、この時点で残り九個しか残りませんよね。」

 横島の表情を察した小竜姫がその疑問に答えた。

「その上、今回の依頼は“過去の修正”という意味合いも含んでいますから、孔雀様は一切手を出さない事になります。
 従って、大蛇の攻撃で瀕死になっているその時間軸の横島さんと美神さんの体も文珠で直さないといけません。
 恐らく肉体を完全な状態に戻すのに『完』『治』か『全』『快』と言った文字を使うことになるでしょうから、その為に必要な文珠は二人分で四個。」

 小竜姫は一旦ここで言葉を切ると、右手を横島に開いて見せた。

「つまり、大蛇との戦闘で実際に使える文珠は最大でも五個と言うことに。」
「ご、五個だけ・・・?」

 目を丸くした横島が呆然と呟いた。しかし、小竜姫はその横島の顔をみて、さらに表情を曇らせる。

「五個と言っても、“最大で”五個ですよ。先程も言いましたが、横島さんの霊体が計算通りに四年で修復されれば、と言う条件の下の計算です。
 場合によっては、戦闘で一つも使えない状況もありえますし、最悪は・・・過去に行く事すら出来ない事になるかも・・・。」
「・・・。」

 小竜姫は申し訳なさそうに語尾を濁らせた。無論、小竜姫にはなんら落ち度は無いし、小竜姫が横島に対して負い目を感じることは何一つ無いのだが。
 それでも言い難い事を言わねばならない彼女の心痛が、知らず知らずその顔に表れてしまうのも已むを得ない所であろう。

「孔雀様は私に言いました。『横島さんに事実を全て告げよ』と。
 全ての事実を知り、その上でこの依頼を受けるのか、断るのかを自らの意思で決めて欲しい、それが孔雀様のお気持ちです。」

 小竜姫の言葉を俯いたままで静かに聞いていた横島が、ゆっくりと口を開いた。

「・・・時間を、下さい。」

 自分と視線を合わそうとしない横島に優しい視線を投げ掛けながら、小竜姫は静かに頷く。

「勿論です。孔雀様はその為に三日の猶予を横島さんに与えたのですから。」

 そう言って小竜姫はおもむろに立ち上がると、玄関のドアの前でその動きを追っていた横島と視線を合わせた。

「もう時間です。私は戻らねばなりません。・・・横島さん、何も力になれなくて・・・許してください。」

 心の底から吐き出すように、小竜姫は言葉を搾り出した。その心苦しい表情は、今にも泣き顔に変わりそうである。

「い、いや、小竜姫様が謝る必要なんて・・・。」

 思わぬ小竜姫の言葉と表情に、横島は驚きながら思わず立ち上がった。
 その横島の慌てた様子に小竜姫は少し寂しそうに微笑むと、静かにドアを開けた。

「それでは、三日後に。」

 先程までの悄然とした表情を押さえ込み、再び普段と変わらない顔付きに戻った小竜姫は横島にそう告げて歩き出す。
 その後ろ姿を見送る横島はまるで、一人見知らぬ地に取り残された少年のように、頼りなく立ち尽くしていた。












 鉄製の古びた階段を下りようとして、不意に小竜姫の足が止まった。
 何かに気が付いたようなその表情が、一気に後悔へと色を変える。

「・・・迂闊。」

 思わず声が漏れた。己の不手際に怒りさえ覚える。
 自分たち以外の誰かがここに来ていた。あまりに微かで、恐らくは彼女以外察知できない程の霊気だが、確かに誰かが居た痕跡を感じたのだ。
 しかもそれは、彼女が知らない人間のものではなかった。むしろよく知っている人物のそれであり、尚且つこの話を最も聞かれてはいけない存在のものであったのだ。
 奥歯を無意識に噛み締めながら、小竜姫は階段の先を見る。そしてそのまま無言で階段を下りると、後ろを振り返らずに階段から数歩離れた所で歩みを止めた。

「どこから聞いていたのですか?」

 立ち止まった体勢のまま、小竜姫は何も無い正面の空間に向かって問う。

「『横島クンは文珠を作れない』って所から。」

 問いに対する答えが帰ってきたのは小竜姫の背後、階段を下りて直ぐの辺りからであった。
 声のする方向に顔を向けていない小竜姫には見えないが、問いに答えた声の主――令子は不機嫌そうに腕を組み、壁に寄りかかって立っていた。

「・・・そうですか。」

 帰ってきた答えに納得したのか、はたまた諦めたのかは分からないが、小竜姫は瞳を閉じて天を仰いだ。
 この話は横島以外誰にも知られたくなかった。だからこそ鬼門の二人にも用件を告げずに来たのが逆に仇になってしまったようだ。
 特に、今まさに背後に居る彼女にだけは知られたくなかった。自分のせいで横島がルシオラを失った事を知れば、彼女の心痛はいかばかりであろうか。
 こんな事になるのであれば、鬼門の二人には話しておくべきだった、と小竜姫は思わず顔をしかめた。

「小竜姫様が気に病む事じゃないわ。これは私達の問題だもの。」

 極力普段と変わらない口調で話す令子に対して、背を向けたままの小竜姫の口から小さく溜息が漏れる。

「・・・これから、横島さんの所に?」

 今二人が会うとどうなってしまうのか、小竜姫にも想像が付かなかった。できればこのまま去ってはもらえないだろうか、と小竜姫は思わず願った。

「ううん、今日は帰るわ。正直、どんな顔していいか分からないし、私も考える所があるしね。」
「・・・すみません。あの、この事は・・・。」

 小竜姫は望んでいた通りの返答に思わず胸を撫で下ろすと、次いで申し訳なさそうな顔を作る。
 そんな小竜姫の心境に気が付いたのか、令子は軽く笑うと肩をすくめた。

「心配しないで。この事は他の人には言わないから。私と横島クンで何とかしてみるわ。じゃあね、小竜姫様。」

 いつもの表情で何事も無かったように歩き出す令子の姿を目で追いながら、小竜姫はじっと考えていた。
 なぜ、孔雀明王が自分をメッセンジャーとしたのか、そして何故このタイミングで令子が自分達の話を聞いていたのかを。
 もしかすると、これは偶然ではなく必然ではないのか。小竜姫は何の根拠も持たなかったが、不思議とそう思えて仕方が無かった。

「小竜姫様。用件はもうお済みになられましたか?」

 令子の後ろ姿を見送る小竜姫に気が付いた右の鬼門が、声を掛けながら小走りに寄って来る。僅かに遅れて左の鬼門も駆け寄って来た。
 今回の外出にあまり乗り気でなかった鬼門の二人は、これ幸いと帰り支度を進めながら、小竜姫を車の方へと促した。

「・・・どうかなされましたか?」

 あれこれと声を掛けれども、上の空で令子の去った方向を見続ける小竜姫をいぶかしむ様に、左の鬼門の片眉が上がる。
 その鬼門の表情をぼんやりと眺めながら、小竜姫は呟いた。

「あの二人には、二人だけで越えなければならない何かがあるのでしょうか・・・。」
「はあ。」

 唐突に訳の分からない事を言われ、拍子抜けした口調で呆然と口を開ける鬼門を見て、小竜姫はその表情を軽く引き締めると歩き出した。

「何でもありません。さあ、帰りましょう。」
「はっ!」

 小竜姫の言葉に二人の鬼門は威勢良く返答し、小竜姫の為にドアを開ける。
 まるで打ち合わせをしたのかと思えるほど息の合った動きで自分達も車に乗り込むと、車を走らせた。

(そういえば、ヒャクメが言っていましたね。)

 流れる景色に視線を泳がせながら、小竜姫は思い出していた。
 ヒャクメはあの孔雀明王との通信の後、小竜姫だけに告げていた。横島と令子の記憶をスキャンした時、同じ時期の記憶に意図的に封印がなされていたと。
 もしかしたら、それが今回の事と何か関係があるのかも知れない。

(それでも、私はきっと何もしてあげられないのでしょうね。)

 半ば確信めいた、そんな予感がする。小竜姫は僅かに寂しさをその顔に浮かばせて、車の窓ガラスから空を見上げた。
 九月も終わりに近づくと、日が落ちるのも早くなる。街の灯りが薄暗くなった道を照らし、虫の音がどこからともなく聞こえてくる。
 横島が孔雀明王から与えられた三日間の、最初の一日が終わろうとしていた。


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