椎名作品二次創作小説投稿広場


蛇と林檎

オンリーチェイサー


投稿者名:まじょきち
投稿日時:07/ 6/26




梅雨というのは農家にとって非常に重要な季節であり、雨の寡多によって生活が左右される。
温度も湿度も上昇し、日本固有の植物や動物にとっては重要な成長期なのである。
ただ、文明を気取る一部の生命には非常に過ごしにくいわけで。


「・・・・・横島クン、ヤモリ食べる?」

「うえ、ヤモリと玉ねぎは嫌いなんス・・・」

「でもね、霊力の補給にはとても重要なのよ?横島クンには頑張って欲しいから・・・」

「うは!そんなもんで精力つけないでも!このナチュラルボーンガトリングな俺の・・・はぐぁ!」

「誰が精力の話をしとるか!・・・あんたが霊力回復しないと冷房がまわんないのよ!」


美神の美脚が、横島の顔面を捉えて部屋の隅へと吹き飛ばす。
往年の美神を知るものであれば、そのパワーダウンぶりに驚いた事であろう。
全盛期の美神であれば、キック一発で人間を吹き飛ばした上、
鋼鉄製のガードレールを捻じ曲げるほどの破壊力を持っているのだ。


「美神、アタシはそんなに気にならないけど、そんなに暑いかい?たったの25度じゃないか。」

「湿度よ湿度!湿度が80%超えてるのよ!今すぐクーラーの発動を要求するわ!」

「・・・人工幽霊一号、クーラーつけられるか?」

『判りました主よ、もう一度試してみましょう。』


横島は部屋の隅のぼろ雑巾から人間に復帰し、玉座に腰を掛ける。
そして、事務所に、低いモーター音が響きだす。
横島の顔色がにわかに下がる。いわゆる寒色といわれる範囲になったのだ。
目元に隈が広がり始めて、起こしていた上体が机に倒れこむ。


「・・・・・・・も、もうこれいじょうは、ムリっす・・・・・」

「ちょっと、予備運転の最中じゃない!もっとがんばりなさいよ!」

『美神殿、エアコンは起動時が一番霊力を使う。我が主には既に霊力が無さそうなのだが。』

「だったら内臓でも寿命でも使えばいいでしょ!暑い暑いっ!あーつーいーのーよー!」


床に寝転びばたばたと手足を暴れさせて、駄々をこねる元GS。
当の除霊事務所の所長は、その光景を見ながら腕を組み苦笑を浮かべていた。


「壱号、アタシの霊力じゃダメなのかい?」

『残念だが一旦登録をした以上、主である横島殿に頑張ってもらわなければ。』

「うーん、ヨコシマの霊力だって馬鹿にならないんだけどねえ。」

『主はどちらかと言うと竜神殿のようなチカラ押しではなく、応用を使った技巧派の様ですな。』

「ああ、それはあるかもねえ。1を10に変える力って奴だね。」


例えばものごっつい力持ちがいるとしよう。彼は素手で500kgの石を持ち上げる。
しかし、技巧派の人間は、そこで500kgの石を持ち上げるのに素手を使わない。
レンタル重機を借りてきてクレーンで持ち上げるのだ。
ただし、レンタル重機ですら全くの無力では動かせない。そこにはやはり力は必要だ。


「うーん、人間でも昔の王族なら暑い時期には離宮に篭ったりしてるけどねえ。」

『残念ながら私にはこの場所を離れる能力も、離れて自己を維持する能力も無い。』

「だろうね。神族だって本拠地を離れるとパワーが維持できないしねえ。」



やがて床の上でぐったりとしていた美神が、ふと身体を起こして
もそもそと腕を、汗の染みているシャツの中に格納し、中で何かをしている。


「・・・・美神、何やってるんだい?」

「横島クンの霊力源は煩悩でしょ?・・・見せブラくらいならあげてもいいかなって。」

『美神殿、忠告するが、我が主はもう色々な意味で限界だ。』

「??・・・何言ってるのよ。限界だから一肌脱ごうってのよ?」


美神は着けていた胸当てをぶらぶらと下げて、玉座に歩み寄る。
机と同化しそうな玉座の主の頭を指先で二三度小突く。
建物の主は、物憂げに頭を上げ・・・・・


「ほらほら、これ見て元気でも出しなさいよ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・さ、さくらんぼキッス!(ガク)」

「?????ど、どうしたのよ!何が気に入らないのよ!」


横島の頭蓋が勢い良く机の上で跳ねて、動かなくなった。
その下には血液溜りが広がっていった。
彼が最後に合わせた視線の先をふと、美神は追ってみた。


「げ、しゃ、シャツが透けてるわ・・・・・」

『霊力は安定したが、生命反応が急激に低下している。美神殿、ちょっとやりすぎでは?』

「・・・あれはなんだろ?流星かな?・・・違うな流星はもっとこう、バーッと輝いてるもんな・・・」

「俗物が!ヒトの乳頭を流星呼ばわりするなー!」

『これが・・・若さか・・・・』

「みんなして若い子には判んないネタをするんじゃないよ!」


相変わらずワイワイとなっている事務所の壁面ディスプレイに、
小さな少女の姿が現れる。


『ガノタばっかwwwwごきげんよう藻前ら、GJな仕事探してきたのですが何か?』

「おや、仕事かい。久々だねえホントに。で?どんな依頼だい?」

『まさに神降臨www山岳地帯の雪女依頼wwww極上と書いてGJと読めwww』


美神の動きがピタリと止まり、首だけがギリギリとチビメドの映るモニターに向く。
およそ180度に近い回転には流石の電子妖精も恐怖を覚えたのか、
目線を合わせた瞬間、ポーズが硬直する。


「雪女・・・・わたし冷え性なのよね・・・その依頼はちょっと・・・」


苦々しい表情で自分の肩を抱く美神。
そこに、涼しげな眼をして美神にそっと手を重ねる横島。


「ふ、そんな事心配する必要はありませんよ、美神さん。」

「ん?何か妙案でもあるの?」

「遭難しそうになったら!この俺が!一肌脱いで裸同士の緊急措置をー!」

「そうね。じゃ、依頼受けよっか、所長?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・ゑ?」


飛びかかろうとしていた横島に、邪気の無い笑顔で受ける美神。
横島の演算処理装置が現状を把握できないまま無限の条件回帰を繰り返し
最後にゼロで除算をしてしまう。つまり計算不能。


「いや、あれ?あの、ここでバチーンと、その、あれれ?美神さん?」

「・・・ヨコシマがフリーズしてるけど、何をしたんだい?」

「関東漫談究極奥義、『ボケ流し』よ。関西では使われない技だから、横島クンには酷かもね。」

「冬山なのに脱がせてどうするー!とか、どんだけェー!とか、あれれ?美神さん?あの?」


ボケを完全にスルーするこの技法は、ツッコミとテンポを身上とする関西漫談には無い。
ボケ殺しやボケ返しという技は関西にもあるが、そこは多重ボケで畳み掛ける御約束である。
話題を完全にスルーするというこの技は関西では非常に受けが悪いが、
関東では意外と使われている。


『じゃ、雪女がオマエラ待ってるから、さっさと逝ってよしwww座標鑓ヶ岳27ブロック。おK?』

「え?雪女退治じゃないの?」

『雪女依頼て言ったじゃんwww過去ログ嫁www』

「スタンドアローン妖怪なのに依頼ねえ・・・ま、チビメドの初仕事だし、とにかく向かうかね。」


一方、我らが主人公は一人で二役をこなして、何かをブツブツとつぶやいていた。
たまに大振りの裏平手打ちを出したり、叩かれた振りをして痛がってみせたりしている。


「寒いって、俺らの世界じゃ悪い表現で使われますなあ。」

「そうでんなー。」

「冬場なんか外歩くたびに、グサグサと突き刺さってきますがな。」

「せやかて、別にギャグ言いながら歩いてるわけやあらへんやろ?」

「アホ言いな!芸人たるものオンもオフも起きてる時間は全部漫談やがな!」

「そらけったいやなー。てか、そんなヤツ初めて聞いたわ。」

「せやからジブン中堅止まりやねん。伝説のやすきよは寝てても漫談やってたそうやデ?」

「そんなん聞かんがな。で、寝ててどうやって漫談したん?」

「ええか?それはこうや。

『キー坊、金貸してくれへんか?』
『むにゃむにゃ』
『え?貸してくれる?悪いなー。ついでにギャラの取り分も100対1でワシ100な。』
『むにゃむにゃ』
『おっけー?さっすがやなー。人間できとるなー。政治家になれるでしかし。』
『むにゃむにゃ』
『あとな、オマエの所の不細工な娘とワシん所の一八、結婚させたらオモロイやろ?どうや?』
『それはアカン!ネゴトもたいがいにしいや!』
『ネゴトはオマエやっちゅうねん!』」

「そら普通に寝言ネタやんか!(ズビシ)」

「「ありがとうございましたー」」


虚ろな目をしてひたすらに漫談を続ける横島。
彼の中の精神的な存在価値の根本を補おうとする防御機構が働いているようだ。
そんな悲しい元関西人を見守る、非関西な二人。


「・・・ヨコシマは、休ませてあげたほうがいいかねえ・・・」

「そうねー、なんだかんだ言っても横島クンはまだ霊力戦闘は出来ないし。」

「壱号、ヨコシマの世話は頼んだよ。チビメドもね。」

『了解した。竜神殿も美神殿も、お気をつけて。』

「馬鹿ねー。所長と私でピンチなんか起きないわよ。」

「美神、そうとも限らないよ。いいかい、現状は時々刻々と変化するんだよ。でね・・・」

「あーはいはい、所長は本当に心配性だわね。ま、確かにプロとしては正しいけどね。」


メドーサが美神を抱っこして、すぅと息を軽く吐く。
数秒後、その姿は俄かに掻き消える。


「でな、こうゆうてやったんや。『F1で例えるなら俺って誰や』てな。そしたらどう答えたと思う?」

『主よ、そろそろ休まれては。』

「誰がアレジやねん!しかもアレジは休んでへんちゅうねん!今でも現役や!(1999年当時)」

『風呂なども用意してあるので・・・』

「せや!やっぱり俺はプロフェッサープロストやな。知性的やしなあ!」

『いや、わたしの話を漫談に組み込まれても・・・』

「そっか!クミコ!後藤久美子が奥さんか!やっぱ俺アレジ!」

『いいかげんにしなさい!』

「ありがとーございましたー!」


必死の人工幽霊の説得にも耳を貸さない我らが主人公。
関西人のアイデンティティーに深く穿かれた傷はまだまだ癒えないのであった。






一方、妙神山にある神界の出張所。
こちらにも虚ろな目をした若き竜神が、ブツブツと何かを唱えていた。


「この卑しいミジンコがぁッ!おまえなんか単為生殖してればいいんだよッ!」

「ああ、単為生殖はイヤですー!せめて耐久卵をー!」

「正体を現したなッ!耐久卵を欲しがるなんてッ!お前、育房をパンパンにしたいんだろッ!」


ネコゼミジンコをゾウミジンコが凌辱する異種族レズSMオリジナルの18禁、『木っ端ミジンコ』。
俗悪で有名な同人誌『スネークとアップル』の連載作品である。
影響を受けた読者がメスのネコゼミジンコ狩りをして社会問題にもなった。
泥まみれでぬらぬらと光る2匹のリアルなメスミジンコの凌辱シーンが延々と続く。
最終話には世界中のミジンコが集まり、壮大なネコゼミジンコ総受けで幕を閉じる。


「あの幼いネコゼミジンコは妹だろッ!お前が産まないんなら妹に産ませたっていいんだよッ!」

「そ、それだけは!妹はまだ子供なのよ!単性卵を産ませるのだけはヤメテー!」

「ほらほら、ミジンコ質を取られてるんだって思い出したか?・・・・・・人質を、取る?」


ミジンコ質の後の台詞は、本には無い内容だ。
小竜姫は、その目に暗い焔を浮かび上がらせ、無言になった。


「そうだわ・・・私だけが知ってて誰にもまだ知られてない情報・・・でも、人質なんて・・・」


その瞳の色がクルクルと変化する。
自責、奸智、後悔、強欲、様々な色が浮かんでは消える。
最後に固定した瞳の色、それは・・・・・


「・・・ヒャクメ、聞こえますか?私です。小竜姫です。頼まれて欲しい事があるのですが・・・」


睥睨。低きを見下ろす神の瞳。
その瞳の色は、彼女の姉にもあった、闇に近い光の色であった。





6月も半ばとはいえ、標高3000mを超え、難所とも呼ばれる槍ヶ岳は未だ雪に覆われている。
北アルプス南部一帯を指し、その各峰頂上こそ登山家の往来も激しいが、未踏の地も多い。
そのルートに無い名も無き山腹に、蛇神と美神は姿を表す。


「ぶわっ!さ、さむいー!下界はあんなに暑いのにー!」

「ま、1000mで7度は下がるし、風も強い山の中じゃねえ。」

「な、なんでアンタは平気なのよー!変温動物のクセにー!」


蛇神はキョトンとした顔で、その暴言を受け止める。
やがて、不適に笑うと目を閉じ、浅く長く息を吐いた。
その体の周囲に、薄い赤色の空気の層が現れる。


「判り易い様に色をつけたよ。いいかい、霊力をこうやって体の周りに集中してごらん。」

「・・・・・あ、あったかい!こういう使い道もあるのね!」

「この応用で水中でも宇宙でも活動できるようになるよ。ま、霊力が切れたら死ぬけどね。」


切れ長の瞳でウィンクをするメドーサ。
既に彼女の周りには赤色は消えているのだが、
美神にはまだ暖色があるように感じられる。


「うーん、こういう搦め手は知らなかったわ。・・・もしかして、いつもこれやってるの?」

「馬鹿をお言いよ。霊力に頼るとイザって時フンバリが効かなくなる。あくまで緊急時用さ。」

「今は緊急時?」

「ああ。こんだけ寒いと多分夏までここで寝る事になるからね。」

「あはは、変温動物なのは本当なんだー。」


心の余裕が出来たのか、美神はやっと周囲に気を配れるようになった。
ふとその視界の隅に、保護色に近い影が寄ってきているのに気がついた。


「あの・・・メドーサさんですか?」

「ああ、いかにもアタシはメドーサだけどね。・・・最初に名乗らないのは気に入らないねえ。」

「あ、私が雪女です。遠路はるばるご苦労様です。」


名乗りながらお辞儀をする雪女。胸元を大きく開いた右前の真っ白な浴衣の美女。
その髪は少々乱れているものの腰までと長く、同様に保護色の白の髪色だ。
メドーサは、やや右寄りから来た雪女を値踏みするように眺めて、短く鼻息を吐き出した。
雪女はにこやかに微笑みながら握手の求めて左手を出すが、メドーサは何も出さなかった。


「で?雪女のあんたがなんで所長に依頼なんかしたの?」

「・・・実は、私、雪の女王になりたいんです!」

「雪の女王ねえ・・・確か、最近始まった雪女コンテストの事だね。」

「はい、実は私もエントリーする事になってまして・・・」


彼女の説明を要約しよう。
雪の女王とは、後継者不足に悩む雪女界が、活性化の為に行われるようになった選考会だ。
世界中から雪関係の女精霊や女妖怪が集まり、その世界一を決定するという。
賞金など無いのだが、その栄冠を得た雪女は童話やアニメにも出る位の影響力を持つらしい。


「12年程前までは日本の雪女が毎回優勝だったのですが、ここ数年は海外勢に負け続きで。」

「うーん、どっかの角界で聞いた様な話ねー。」

「お願いです!何とかメドーサさんの力で、私が優勝するようにしてください!」


腕を組んだままのメドーサが、雪女の目を力強くにらむ。
雪女はそれに気がつくと、怯えたのか視線を逸らし、頭を下げる。


「アンタ、母親はどうしたんだい?」

「あ、おかあさんは、その、私、昔グレてて、その、今は別のところに住んでます。」

「だろうね。多分母親の方は昔、雪の女王だったんだろう?」

「え?な、なんでそれが?有名なんですか?」

「さすがに人界の雪女の事まで知らないさ。けどね・・・・」


雪女の頭をメドーサはおもむろに鷲掴みにする。
びっくりした表情の雪女が、目を丸くしてメドーサを見つめる。


「いいかい!雪の女王って言えば雪精霊の世界一だよ!アンタみたいな馬鹿には無理だよ!」

「ば、馬鹿って!何も知らないくせに!」

「判るんだよ!誰が見たってね!」


掴んでいた頭を放り投げる蛇神。
投げられた日本の雪精霊は、メドーサを憎悪の目でにらむ。


「いいかい、立ち振る舞いや礼儀作法ってのは無意味な慣習じゃない。そこはわかるかい?」

「・・・・え?」

「着物が左前なのは右利きで懐中を使い易くするためだよ。その着方でまず減点さ。」

「そうねー。雪女は死霊系じゃないし、そこは常識知らずって言われるわねー。」

「それに頼む相手に『ご苦労様』ってのもおかしいねえ。そこは『御疲れ様』だね。」

「ああー、それを言うなら『おかあさん』も拙いわ。それは身内だけでないと。」


美神とメドーサが話し始めた内容が上手く理解できず、放心する雪女。
そんな彼女を二人は眺め、やがて雪女の正面よりやや左に腰を下ろす。


「こうして相手より左にいることで、相手には自分が下であるとアピールできるんだよ。」

「一般的な利き手は右手だから、それを邪魔する位置ってのは拙いのよ。」

「・・・・・・・。」

「それに、握手も本来は『利き手を預けるから攻撃する意思が無い』って意味なんだよ。」

「左手の握手は偽りの握手って言われるわ。それもさっきのと同様ね。」

「・・・・・・・・・・・・・。」

「それに、話しながらお辞儀をするのも駄目だねえ。聞こえ難いったら無いよマッタク。」

「あと、話してる途中に目線を逸らしたし。あれもねー。」


雪女は下唇を強く噛み、何かを堪えている様子である。
だが、その目線はしっかりと蛇神を捕らえていた。


「おおかた母親はその辺厳しい人だったんだろうけど、それが嫌で逃げたんじゃあねえ。」

「だから『母親は雪の女王』って思ったんだ。さすがねー。」

「正直なところ、この国の礼儀作法は世界でもトップクラスの洗練されてる技なんだよ。」

「欧米でも礼儀作法はあるけど、結構肝心なところは一緒だしねー。」

「・・・・・・・そうだったんですか。おかあ、いえ、母には悪い事したな・・・」

「・・・・・・・・・・・そう、ね。」


寂しげに微笑みながら俯く雪女に、美神も何か思う所があるのか、同様の表情を取る。
先ほどとはうって変わり柔らかく微笑むメドーサが、両手で雪女の左手を持ち上げ握る。


「で?どうするんだい。正直、アタシは今回の依頼は乗り気じゃないよ。」

「・・・・・・お願いします。私を、ちゃんとした雪女にしてください!なんでもします!」


彼女の表現が変わった事に、メドーサは軽く頷いた。
表情もまた、先ほどの不安定な物から確固たる意思が滲み出している。


「零れた水はまた汲めばいいのさ。・・・ついてくるなら、修行はつらいよ?」

「はいっ!がんばりますっ!」


メドーサに握ってきた両手に、右手を添えて握り返す雪女。
その様を見て、美神もにこやかに頷く。


「さ、じゃあ分担しましょ。メドーサは作法一般、あたしは見た目でどう?」

「うん、そうだね。世界一とは言わず、宇宙一の雪女を目指すよ!覚悟はいいね!」

「はい!」






雪女の案内で、半ば放置された山小屋を基地に修行が始まった。
山小屋は遭難を想定して、かなり大量の保存食と燃料が備蓄されていた。
もちろん、電化製品などは無いが、必要最低限の生活は出来るようになっている。
雪女に特定の住居は無い。人間と暮らせるような場所を知っているだけである。


「背骨に棒が入っているイメージで、そう、背中を伸ばして歩くんだよ。」

「・・・シナを作る時もですか?」

「馬鹿だね。ポーズを作る時は一旦止まるんだよ。会釈なら首を軽く回して。」

「こ、これは、少し肩が痛くなるんですが。」

「普段顎が下がり気味だからそうなるんだよ。少しだけ顔を上げるのを忘れるんじゃないよ!」


雪の平原の真ん中で、竹刀片手のメドーサと、雪女が特訓を繰り返す。
一方、美神は暖房の効いた山小屋で白い布と格闘していた。


「やっぱり雪女は遊女とイメージ的に被るし、振袖長襦袢がベストなんだろうけど・・・」


自分で起こしたイメージイラストと型紙を見ながら、裁ち鋏と絹針を器用に使っている。
生地が薄く、また純白である為に、チャコペーパーどころかヘラの印すら付けられない。
ちくちくと針を入れては、またイラストを眺める作業が続いている。


「今まで原色てんこもりのコスプレばっかりだったのが痛いわね。・・・ったく、とんだ依頼だわ。」


ふと窓枠に目を移す美神。
その外では、メドーサがサディスティックな笑みを浮かべながら竹刀を振り下ろしている。
悔しそうな表情の雪女ではあったが、もうその視線は何処にも逸れていなかった。


「・・・・・・あーはいはい、頑張ればいーんでしょ頑張れば!わかってるわよ!」


苦笑しながら運針を進めていくミカレイ。
チャイナ服も片手で作れると豪語する彼女であっても振袖長襦袢は難しい。


「足元は常に20cmくらいの釣り橋を渡るつもりで歩きな!ゆっくりでいいから、確実に!」

「はい!コーチ!」

「そこでターン!そう、その調子だよ!左手は腰に添えるように、右手でバランスを取って!」

「ほほ、御困りでありんすか、旅の御仁。」

「馬鹿!時代劇やってるんじゃないんだよ!相手は現代人だよ!標準語でいいっ!」

「私が凍らせてあげましょうか?」

「そうじゃない!『凍らせて差し上げますわ』だよ!で、腰を落として手を差し伸べる!」

「貴方の熱が欲しい、熱い熱い、その魂をくださいな・・・」

「そうだよ!やれば出来るじゃないか!もう一回通しでやるよ!」

「はい!コーチ!」


夜になると衣装の進行状況や、訓練の模様などを3人で報告し合い、次の日の目標を決める。
雪女は何故か美神の方を熱心に見ながら、その手にメモを持ちなにやら書き込んでいる。
そして翌日もその繰り返し。三人の優勝へ向けた努力は、前日までみっちりと続いていた。




そして選考会当日。
その日の朝は、目覚まし時計より早く、美神の叫び声で始まった。


「で、できたー!ざまあみろってのよ!クソったれのコンチキショー!」


黒く窪んだ目の淵が、彼女の憔悴振りを物語っていた。
何せ相手は純白の衣装だ。万が一の事も考えて、作業中は水しか口に含めない。
ドリンク剤やコーヒーに頼れない分だけ、美神には過酷過ぎる作業の日々が続いていたのだ。
雪女の純白の肌よりも更に純粋な白い衣装が美神の両手に捧げ持たれる。

不意に彼女の意識が遠のき、一旦体勢が崩れて前に傾く。
しかし、急に後に反り返り、転倒した。


「美神。・・・・・ふふ、落ちてなお、服を守るかい。・・・・・雪女、もう負けられないよ!」

「はい、今日までありがとうございました!お二人の御蔭で私はここまで来れました。」

「いたた・・・ま、このくらいラクショーよラクショー!ま、がんばってきなさいよね!」

「はい!たとえ負けても、もう悔いはありません!精一杯頑張ります!」


メドーサは、数日振りに雪女の頭を強く掴む。
雪女は今度は微動だにせずに、数センチ先のメドーサの瞳を見つめ返す。


「馬鹿だね、負けるなんて口にするんじゃないよ!アンタは勝つ!必ずね!」

「でも・・・世界で通用するんでしょうか。」

「努力はね、誰も見ないしそれだけじゃ意味は無いかも知れない。・・・でもね。」


満面の笑顔を浮かべてメドーサが微笑む。
そして、その鼻の頭に小さく接吻をする。


「努力して前を向いてる奴が勝利の女神のキスが受けられるのさ!勝つ為に前を向きな!」

「はい、コーチ!私、絶対勝ちます!」

「さ、美神も起きるんだよ!優勝の瞬間を見ないで依頼は終らないよ!」

「うぇー、後は遠い空から応援する役じゃないのー?」

「ほらほら、それは死んだ奴の役回りだよ!こんなところで死亡フラグ立てたいのかい?」

「うは、そう言えばそうね。・・・美少女は死なないとはいえ、最近は物騒だし!」

「・・・・前から美少女美少女って言ってるけど、アンタもう成人だよねえ?」

「メドーサに比べたら私の役回りは美少女よ!何か悪い?!」

「あはは、そういう事にしといてやるよ。さ、起きた起きた!」


二人の掛け合いで緊張感の解けた雪女が笑みを見せる。
メドーサはその光景を横目で確認すると、同様に破顔した。





雪の女王選考会は、4年に一度、各国持ち回りで開催されている。
冬季五輪の翌年に、五輪開催国で行うとされている。
施設が充分に整備されており、また、翌年ともなると注目度も下がり結界も容易だからだ。

1998年は長野五輪が開催されており、選考会開催国も勿論日本である。
選考会開場は、スピードスケート会場となったエムウェーブ。
長野市朝陽に存在するこの施設の巨大リンクは、世界でも有数であり、日本一を誇る。
メドーサたちが瞬間移動で開場入りしたその時間には、既に各国の雪の精霊たちが
それぞれのコーチと共にスタンバイしていた。


「うわ、どんだけいるのよこれ!雪女って日本だけじゃないのは知ってたけど・・・」

「情報化の波で新しく出来た雪女伝説とかもあったりで、山があるところは大体いますよ。」

「ま、そのへんのポッと出の雪精霊はどうでもいいのさ。問題は・・・」


その集団の一角で、一種異様な集団があった。
ブルネットやプラチナブロンドの美女達が柔軟体操をこなしている。
そのユニフォームは、何故か純白のレオタードであった。


「やっぱりね。欧州の雪精霊が来てるって事はココ数年はあいつらが優勝だね?」

「そ、そうです。今じゃ雪女界では『白い妖精時代』って呼ばれてますから・・・」

「あいつらはああ見えて歴史も長い。・・・苦しい戦いになりそうだね。」

「あらそー?レオタードなんて今風すぎて雪女っぽくないけどー?」

「いいえ、この大会は『雪の女王』選考会です。雪のイメージに最も合うことが重要なんです。」


そんな会話をしている3人の下に、レオタード集団の一人が近寄ってくる。
優雅な笑みを浮かべながら差し出された左手に、敢えて雪女は左手で握手した。


「Oh!Japanese Sutetekokun!!JAP GO HOME!」
(はじめまして日本の妖精さん。本場の雪女に会えてうれしいわ。)

「Are You Yankee?Only eat Humanbeing?」
(こちらこそ。前回優勝の貴女と会えるなんて光栄だわ。)

「Hey!Play HARAKIRI !」
(今年は私、コメリカ代表として参戦するからあなたと同じ新人よ。)

「Americanpeople of all Homosexual!」
(コメリカの新人さんというわけね。ふふ、お手柔らかに。)

「Shut up!Yellow monkey!SecondaryCountries!」
(こちらこそ。いい勝負をしましょうね。)


流暢な欧州式妖精語で話す雪女とコメリカ代表。
なお、かなり英語に近く見えるが、その意味は全く違うということを伝えておこう。
うっかり英語読みしてしまうと、少々問題がある内容に見えるが、妖精語なのだ。
欧米妖精語の翻訳サイトを利用すれば、その辺はすぐに判るので確認されたい。


「左手を出して敵意の握手か・・・彼女、やるわね。」

「どうやら、アイツとアンタの一騎打ちになりそうだね、雪女。負けるんじゃないよ!」

「はいっ!コーチ!」


やがて開会式が行われる。
選考会委員長で陶芸家の美食妖怪『怪原雄山』が訓戒のような式辞を述べる。
そしてピアノ幽霊や絵画妖怪など、それぞれ著名な芸術妖怪が審査委員に列席していた。
観客席には魔界向け妖怪向けニュース配信のプレス陣が、大望遠のカメラを構えて最前列に、
その後には各国の氷雪関係の男性精霊や家族妖怪がそれぞれ横断幕や国旗を並べていた。


『それでは、中国代表袁天君、前へ!』

「是!」


白いチャイナドレスの仙人が、優雅に氷のリンクに入ってくる。
太極拳のような優雅な踊りを披露した後に、寒氷陣と呼ばれる技を叫ぶ。
彼女の周囲に雪の混じる風が起こり、氷柱がリンクに突き刺さる。
観客席の一部から終了と同時に銅鑼の爆音と声援が響き渡った。


『では、審査員の皆様、評点をお願いします!』


電光掲示板に、次々と点数が加算されていく。
結果は、5.65。10点満点なので、かなり低い結果である。
がっくりと肩を落とす中国仙人。


「あらー、袁天君って言えばかなり有名な仙人よ?放神演義にだって出てるし。」

「あれは演義から派生した二次創作妖怪さ。ま、実力があれば贋物でも別だけどねえ。」

「そうですね。本物の寒氷陣なら氷山をも動かすはずです。雪精霊界でも伝説の大技ですよ。」


その後、次々と各国の雪精霊の演技が続く。
ジャマイカ代表のボブスレーなどイロモノの発表には会場が沸きながらも低得点。
やはり欧米系のレオタードの美女軍団の華麗な演技には高得点がついていった。
そして。


『コメリカ代表、エレーナ、前へ!』

「da!」


格が違う。他の北欧などの雪の精霊たちも見事であったが、彼女は真に雪そのものに見えた。
黒い髪のスラブ系の濃い目鼻立ち、線が細く少女のような体躯。
しかし会場中の誰もが、その演技に雪と氷の平原を見る。
まさに、先代女王の圧倒的な実力であった。
氷雪の技も一切出さず、ただ踊る少女。


「凄いわね・・・ただの体操で、これだけの観客が総立ちだわ。コマネチ以来の才能じゃない?」

「あはは、そうか、美神は知らないのかい。ありゃナディア・コマネチの精霊さ。」

「人間界での想念から神格化されて精霊になるものが居ます。彼女は、その例の一人ですよ。」


ナディア・エレーナ・コマネチ。ルーマニアの伝説の体操選手である。
当時のモントリオール五輪で実現不可能とされていた10.0を7つも取った女性。
彼女は世界中の話題に上り、その過熱報道により『聖女』『女神』と信奉するものも多かった。
まさにメディアが産んだ神であったが、彼女は白い妖精の通り名を気に入っており、
その具現化をしたエレーナも、神格を辞退し雪妖精となったのだ。


「ちょっと、大丈夫なの?相手は神様クラスの精霊じゃないの!よく落ち着いてられるわね!」

「大丈夫さ。相手は有り余る天賦の才と英才教育の産んだエリートだけど・・・」


脇にいる表情の固い白い雪の妖精に、蛇神はその肩を力強く抱く。
雪女はその肩を抱く手を、力強く握り返す。


「コイツだって元雪の女王の娘だし、アタシ達という最高のコーチが教育したんだ、勝てるさ!」

「はい、コーチ!私、精一杯頑張ります!」

「おーおー、熱血だこと。ま、嫌いじゃないけどね。」


やがて歓声と共に演技が終了する。
得点は9.98。前回覇者という豪奢な冠は、少々きつめの評価を与えたようだ。
しかし、これまでの演者の全てと比べても0.7ポイントも上回る独走である。


『日本代表、雪女!』

「はいっ!」


リンク中央へ歩く雪女。その途中で、ふと観客席を見上げた。
親指を上げた握りこぶしを前に突き出す美神に、軽く頷くだけのメドーサ。
国産の雪精霊が、不敵な笑みを浮かべて再び戦場を目指す。


雪女の演技は楽しげに踊るところから始まった。

そう、雪と戯れる童女のように、無垢で、それでいて華麗な舞である。
大きく広げた両手。白い長襦袢の袂がふわりと持ち上がると、
ライトに透けて、隠し針の刺繍が浮かぶ。
裾の一面には雪の結晶が現れる。


「反射率の違う糸で刺繍したのかい。・・・美神、思ったより芸が細かいじゃないか。」

「賭けだったけど、今回ばっかりは私のギャンブル運の悪さも出なかったみたいだわ。」

「正しい方向の努力は必ず結果を出すもんさ。」


やがて、雪女の踊りに変化が出る。彼女は何かを見つけたようだ。
その先には確かに、雪山に迷う男の姿があった。
勿論、可視光線で反射するような男は存在していない。
観客と、雪女である彼女自身が判る架空の男である。


「・・・彼女、台詞をしゃべらないけど、所長の指示?」

「いや、練習では勿論しゃべらせてたよ。・・・多分エレーナと真っ向勝負したいんじゃないか?」

「あらあら、師匠に似て向こう気の強い事。」

「ま、そういう方向の無茶は大歓迎さ。アイツにはそういう気持ちの方が大事だからねえ。」


男と雪女は、吹雪の夜に互いに見つめ合い、やがてどちらからとも無く、身を寄せる。
やがて移ろい行く年月の中、彼女と男の奇妙な共同生活は始まる。
雪山で織り成す幸せな時間を、会場中の誰もが続けと願う。

しかし、事態は急変。男は里に帰るらしい。
引き止める彼女を背に、男は遂に蜜月を過ごした雪女の家を出る。
雪女は彼の行く手を阻む為に、風を起こし雪を降らせ、吹雪を作り出す。


「いよいよ雪女伝説のクライマックスか。悲しい運命と寂しい運命のクロージング選択ね。」

「そこは雪女に任せてあるよ。ま、楽しみに見させてもらおうじゃないか。」


そして雪は益々強く吹雪き、やがて男は、雪の中に倒れる。
雪女の定められた運命が起こした結末に・・・激昂した。

だが・・・・・・


「え?あ、・・・・・呉作どん・・・・・生きてる?呉作どん・・・呉作どん・・・呉作どん!」


雪女は、呉作という青年の下に駆け寄り抱擁する。
彼女はそっと腰を下ろし、その弱弱しく捧げられた手をしっかりと握り、
愛する男のか細い声に、耳をそっと傾ける。

彼女は涙を浮かべながらその言葉を一言も聞き漏らすまいと、
何度も何度も頷きながら、寂しげな笑顔を浮かべている。

やがて、その表情が一変して、般若の顔に変わる。


「む、村娘をナンパって・・・・このカイショ無しの浮気モンがー!」


極北級のブリザードが男の下に殺到する。
殺意の氷柱が幾千本と浮気者の居た空間に突き刺さる。
しかし、男はボロボロになりながら、それでも笑顔のままそこで生きていた。
会場中の誰もが、バンダナを巻いた不死身の高校生の姿を見た。


「よ、横島クン?所長、まさか、呉作どんのモデルって?!」

「しょうがないじゃないか。実は人間の男を知らないって言うんだからさ。」

「あらら・・・せっかくココまで上手くいってたのに。こりゃあ点数かなりきついわよ。」


やがて呉作どんがもそもそと動き出し、雪女ににじり寄る。
雪女は呉作どんに取り付かれたのだろうか、真っ赤になりながら胸を両手で押さえている。
特大の氷柱を右手の上に浮かべるが、彼女は恥じらいと怒りの入り混じったような表情になり、
やがて、氷柱を棍棒のように呉作どんの頭に叩きつける。


「もう、呉作どん、アンタはもう旦那なんだから、ガツガツしないの!・・・さ、帰ろう?」


そう雪女は照れくさそうに鼻の頭を掻きながら宣言すると
気絶している呉作どんの襟首を掴みずるずると引き摺り、彼女の塒へと帰っていく。
時折振り向き、呉作どんの意識が無いのを確認し、慈母のような笑顔を浮かべながら。



こうして雪女の姿は会場から消え去り、演技は終了した。
やがて拍手が、ポツリポツリと他の国の雪精霊達から上がり始める。
やがてそれは会場全体に波及し、大きな歓声の嵐になる。


「ふふ、やっぱり雪女同士で何か感じるところがあるのかねえ。いい評価じゃないか。」

「ちょっと、所長?」

「なんだい?怖い顔してさ。」

「ないだい?じゃないわよ!最後の雪女の仕草って、あれ私のつもり?!何考えてるのよ!」

「いや、ヨコシマの恋人はどんな奴だっていうから、美神だって教えたんだけど?」


美神は毎晩のミーティングに際した自分への雪女の視線の正体に納得がいった。
別に彼女は衣装の進行状況が気になっていたのではない。
美神の仕草自体をチェックしていたのだ。

やがて点数が電光掲示板に発表される。

『9.97』

たった0.01の差で、彼女は負けてしまった。
内訳の詳細を見ると、ほとんどの審査員が満点を出していたのだが、
ただ一人、審査委員長の怪原雄山だけが若干低い評価を出していたのが決定打だった。

そして閉会式。
表彰台には雪の女王としてエレーナが、
そして雪女は第二位として雪の王女の戴冠を受ける。


「私はあなたの演技の方が素敵だと思ったわ、雪女さん。すごく暖かかったわ。」

「いいえ、私には無理でした。きっと、こんな風に負けた相手に手を差し伸べられませんから。」


エレーナが差し出した右手をしっかりと握り返す雪女。
互いの顔に好敵手への賛美が浮かんだ瞬間、会場の客席からフラッシュが一斉に焚かれる。
後日この光景は、各精霊メディアに紹介されて、ニュース映像として流れたという。

やがて閉会式も終わり、それぞれの観客と選手が、それぞれの地元に帰り始める。
雪女も、記者会見を終えてメドーサたちの元に戻っていた。




「幸運の女神の前髪は流石に掴めなかったか。うーん、ここまでギリギリだと悔しいわね。」

「いいえ、私には多分、これが一番の結果だったんじゃないかって思うんです。」

「なんでだい?」


にこやかに微笑む雪女。
その手は、美神とメドーサのそれぞれの左手を、合わせて両手で握り締めていた。


「私まだまだ頑張れると思うんです。やっと、私、今、雪女になれたんです。だから。」

「・・・その気持ち忘れるんじゃないよ。希望は努力の先に、栄光は挫折の先にあるもんさ。」

「しっかし、怪原雄山さえ満点つけてれば逆転だったのにねー、あのジジイ!」



「ふん、未熟を棚に上げて批難とは、底が知れるというものよ。」


少し離れたところから、頭に銀色のメッシュを入れた紫色の和服の妖怪が現れる。
その不遜を絵にしたような顔から発せられる言葉もまた、不遜。
吸っていた手元の紙巻煙草を携帯灰皿でもみ消すと、三人の元に歩み寄ってきた。


「・・・・美食妖怪の雄山、ねえ?美神、アンタ知ってるかい?結構な霊力持ちみたいだけどね。」

「うーん、知ってるのは知ってるんだけど・・・コレ、贋物かなー?」


美食妖怪がその表情を変える。どちらかと言うと少し下卑た笑みだ。
その右手がひょうと振られると、肌の黒い僧形の男になった。


「まぁ変化が苦手なのは百も承知だが、なんでわかった?」

「簡単よ。美食妖怪のくせに煙草なんてねー。勉強不足もいいところだわ。」


その正体を見たメドーサと雪女は硬直する。
雪女などは、その表情が畏怖で凍り付いていた。
その正体こそ、神界捲簾大将の沙悟浄。孫悟空率いた不正規部隊の構成員であり、
戦闘を生業にする上級神族の一柱である。


「・・・・・・・・・・・・・・・・ふうん。猿の手下のカッパが何でここに?」

「簡単な事だ。雪女の依頼、ネットで拾ったんだろう?ヤサに環境はあったか?」


美神が、雪女の方を非難めいた表情で睨む。
雪の王女は、先ほどの表情のままに口だけがようやく開けるようになっていた。


「・・・あ、私、どうしても優勝したいって、お手紙かいて、出しただけです・・・」

「どこに?」

「て、天帝様あてに、川に流して・・・・・そしたら、メドーサさんが来るって、お返事が・・・」

「捲簾大将は天界の水軍統括も兼ねてたっけねえ。・・・なるほど、ウマい手じゃないか。」

「チビメドも騙すなんて、このじいさん結構やな感じだわ。」

「おいおい、これでも随分苦労したんだぜ?メドーサ、オヤジがお前に話があるんだが。」

「イヤだと言ったら?」


メドーサの手から刺又がにょっきりと生えだす。
同様に沙悟浄の手からも降魔の法杖と呼ばれる半月形の穂先の付いた槍が出てくる。
互いの霊力が一気に開放されて、周囲の気圧が一気に希薄になる。


「オヤジは手足くらい折ってもって言ってたけどな、互いにプロだしな、容赦はしねえぜ。」

「ブタはどうしたんだい?アイツの方も相手をしたかったんだけどねえ。」

「八戒もお前とやりたがってたがな、情報勝ちで俺が頂く。」

「やってごらんよ!」


美神と雪女は、その後の二柱の神の諍いを、見ることは出来なかった。
ただ、光のような筋が空中で何度も交錯し、数瞬遅れて金属音と衝撃波が襲ってくる。


「捲簾大将って沙悟浄でしょ?そんなに強いのかしら?」

「ええ、神界でも上位の神のはずです。東海天界の水軍司令官でもありますし。」

「メドーサも常識外れのパワーファイターだけど、少々分が悪いのかもね。」

「よほど著名の神でも、なかなか匹敵する存在は少ないと思います。」



元GSは、その頭脳の中で必死に計算をしていた。
そして、結果が出た。


「キャー!雪の王女に、ストーカーが!みんな助けてー!」


美神の、似合わない黄色い悲鳴。だが、帰宅途中の妖怪たちは全く気がつかない。
元GSは最寄の妖怪たちに駆け寄ろうとするが、その途中で不可視の壁に阻まれる。


「寄ってきた時には、もう結界を張ってたわけか。クソ、用意周到じゃない!」

「・・・美神さん、霊力を貸してください。」

「どうする気?」

「捲簾大将の属性は水の筈です。結界も恐らく水で出来ています。だから・・・」

「そっか、凍らせて結界を解くつもりね?」

「はい!」


高速で戦う二柱の闘神は、既に100合近く撃ち合っていた。
互いに実践型の闘法であり、隙を窺いながら、牽制が続く。


「お、人間と妖怪が協力プレイか。メドーサ、おめえ随分丸くなったんだな。」

「そうかい?アタシは昔っから菩薩並みに慈悲深いつもりだったけどねえ?」

「菩薩ってガラかよ。メスのガラガラヘビがお似合いだぜ!」

「誉められたと思っとくよ!」


再び無言で打ち合う二柱。
一方、緩い時間の流れの雪女たちが、必死に結界に攻撃を仕掛けている。


「うぅ・・・・す・すこしですが緩く凍ってきました・・・・でも、このままじゃ・・・美神さんが・・・・」

「あたしのことは気にするんじゃない!さっきも言われたでしょ!勝つつもりなら前向けって!」

「はい!絶対、絶対勝つ!こんな結界!私には無力!私は無敵!私の雪技に敵う者無し!」

「だー!スポ根ノリはキャラじゃないのにー!けど、やるからには負けないわよ!」


雪女のかざしていた手の先が、やがて小さな円となり、鏡のようになる。
だが、それ以上円鏡は大きくならない。それは限界。そこを維持する事で止まってしまう。


「だ、駄目・・・私の力程度じゃ・・・神様にはかなわない・・・・」

「ヒトにここまで頑張らせて、勝手に諦めるんじゃないわよ!きっと、きっとなんとかなる!」

「・・・たとえこの身が砕けてもいい・・・何とか、何とかなって!」


かざしていた手の先には、円鏡があり、その手が同じように映っている。
しかし、その円鏡の先に、かすかに、もうひとつの手が重なる。

その瞬間、円鏡は爆発的にその結界いっぱいに膨張して、
氷の結晶となって千々に砕け散る。

その先には、白い妖精の手が、ピッタリと雪女の手に重なっていた。


「・・・暖かい氷が見えましたよ。雪女さん、良くここまでの結界に抵抗できましたね。」

「エレーナさん・・・コーチが、コーチが捲簾大将に・・・」

「天界の将帥であろうと、ここは、今日だけは雪の女王の領地。狼藉は許しません!」


雪の女王の手が、高々と振り上げられる。
観客が、選手が、王女が、女王が、それぞれの飛び道具で二柱の神の戦闘に向けて
一斉に攻撃を開始する。


「おっと?・・・こんなスローなタマに当たるつもりもねえが、少々分が悪いようだな。」

「ふん、小竜姫の手下にしちゃ随分目先が効くじゃないか。」

「おいおい、本気であんなお嬢ちゃんの手下だと思ってるのか?もっと上だって気づけよ。」

「・・・小竜姫より上だって?たかが軽犯罪に?・・・教えろって言っても無駄かねえ。」

「そーいうこった。ま、知りたきゃ虎穴に入るしかねえな。じゃ、俺はフケるぜ。」


黒い僧衣の男は、その姿を消した。
超高速状態から開放されたメドーサの視界に飛び込んできたのは、
雪女と美神、そしてエレーナを筆頭とする観客に選手たちであった。


「コーチ!・・・無事だったんですね。」

「当り前だろ?カッパごときでドウコウなるアタシじゃないよマッタク。」

「うーん、流石は所長って事なんだろうけど・・・。ま、いっか。」


偽妖怪の怪原雄山が委員長であったことから、審議のし直しが検討された。
しかし、水属性の捲簾大将であることと、直筆署名入りで全選手の評点根拠が残っており、
その記録を委員会で審議をした結果、全く不正に思われるところがないと判断された。
沙悟浄は策の為に潜り込んだが、怪原雄山としても責務は果たしていたのだ。


「さて、美神、そろそろ帰ろうかねえ。多少は涼んだだろ?」

「そうねー。ま、戻っても多少は涼しく出来る技も手に入れたし?」


会場を去ろうとする二人に、雪女が駆け寄る。
その脇には、エレーナの姿もあった。


「コーチ!また、またいつか会えますよね?」

「・・・アンタはひとりでもう努力できるさ。だけど、迷ったらまた呼びな。」

「雪の女王として、お礼申し上げますわ。何か御困りの時は、声をかけてください。」

「あらそー。じゃ、ここに念書があるからサインと拇印を・・・・あたっ!なにすんのよ所長!」

「馬鹿だね。口約束ってのは一番の拘束なんだよ。・・・ま、その時は頼むよ。」


頭頂の軽い打撲部位を押さえながらしゃがみこむ美神を、
メドーサがひょいと持ち上げて抱きかかえる。


「それじゃ、修行を怠るんじゃないよ!」

「はい、コーチ!」







メドーサたちの視界からエムウェーブの会場が消え、いつもの事務所に戻る。

だが、その光景が出る時と一変していた。
大型モニターからは煙が立ち、椅子もソファーも既に残骸と化していた。
メドーサはしゃがみこみ、応接セットの残骸を手にとっている。


「な、なにこれ?・・・一号!どうしたのよこれ!説明しなさい!」

「この斬り口は、まさか・・・・・・小竜姫?!」


所長席の空間に、立体映像が浮かび上がる。
ボロボロになった服が痛々しい、無表情な小さな少女の姿だ。


『こちらMedowsNT4.0。電力不足に付き緊急モードにて駆動中。』

「チビメド!」

『4649秒前に、霊積体2柱が結界を突破。人工幽霊壱号の防御機構100%破損。』

「壱号の防御機構が・・・チビメド、他に報告はあるかい。」

『人工幽霊壱号の所有者、ヨコシマタダオ拉致。人工幽霊壱号も・・・・壱号も・・・・・』


立体映像の小さな少女が、その視線を上げる。
電気信号の彼女の目には、電気信号の悲しい記述が浮かんでいた。


『かーちゃんwwwwも、もうだめぽwwwwあちき、なんにも守れなかったwwwww』

「ゆっくり休みな。辛かったね。」

『   (T△T)   』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


小さな精霊の立体映像が消える。
動いていたエアコンどころか、生活感と呼ばれるものさえ、その場所には無かった。
メドーサの手は、おもむろに持ち上がると、所長席の木製机に衝突した。
轟音と共に、その机は粉々に砕ける。


「そうかい、決着は付けるべきだったね・・・・もう、容赦はしないよ!」

「メ、メドーサ・・・・」




美神は、竜神に声をかけ手を触れようとする。
だが、その体に触れる事が出来ない。
発せられる裂帛の気合が、
全てを拒んでいた。




「次は・・・・・次はガチだよ!・・・・・・・・・・・・・・・・・小竜姫ィィィィィィィィィィ!」







蛇神の咆哮が、竜神の絶叫が、夜の池袋に木霊する。

笑顔に満ちていた小さな土地の小さな時代の終焉を知らせる、アレクトリュオンが化身の如く。







************次*回*予*告******************

「・・・・・・。」

「え、えっと、トロチャーシューの脂っこさを克服することに成功したあたしたち。
勝利に湧くみんなの前に赤い一味唐辛子が走りぬける。
次回蛇と林檎第11話『さがしに行かない』」

「・・・・・・。」

「か、仮面の下の涙くらいは、拭かなくてもいいと思うわよ?」

「・・・・・・。」

*************蛇*と*林*檎*****************


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