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雇われ式神使い

第三鬼 式神使いの眠れない夜


投稿者名:双琴
投稿日時:07/ 5/25




 車社会の今日、道路は絶対に必要不可欠な物となっている。
 それこそ日本では、道路が網の目のように張り巡らされ、現在も路上面積は拡大の一途を辿っている。
 平野部での道路整備を一通り終えた次は、山間部に目が向けられた。
 このどこを見渡しても山しか見えない片田舎でも、高速道路の建設が進められていた。
 山は道路を通すのに非常に厄介な相手だ。
 それでも、人間はトンネルを掘る事でこれを解決する。
 山は人間によって削られるのを黙って見ているしかなかった。

「おーい、変な岩が出てきたぞお」

 トンネルを掘り進む地中深くで、作業員の一人が大声で他の作業員を呼び集めた。
 集まった作業員の一人が、地肌が見えるトンネルの側面にライトを当てた。

「なんだぁ?」
「化石か何かか?」

 巨大な掘削機で削られたトンネルの側面に、明らかに周辺の地層と違う部分が円形状に広がっていた。
 埋まっている部分もあるので正確な大きさは不明だが、見える部分だけで数メートルほどある。その中に、生き物の骨らしい物も視認できた。

「あん?」

 見物している最中、その岩の中心から亀裂が走った。
 次の瞬間には爆発するように岩が砕け散り、激しい爆裂音の後には作業員の驚く声が響き渡った。

「ウワアッ!!」
「どうした!?」
「化け物だっ!」

 作業員の叫びの中におかしな言葉が混じる。
 この騒ぎで作業が一旦中断された。
 視線が集まる中、辺りに充満していた土煙が薄れるにつれ、その異形の影が浮かび上がる。

「おいおい…なんだよ、あれ……」
「お、鬼ぃ?」

 岩から出てきたのは身長が二メートルはある大男だった。
 ごつい手足に厳つい顔つきで全身が赤黒いその姿は、まさに鬼そのものだった。
 その鬼の足元に作業員が何人か倒れているのを、他の作業員が見つけて震え上がる。

「……あいつら、死んでないか?」

 見ている光景が信じられなくて同僚に尋ねるが、返事は聞くまでもなかった。
 倒れている作業員の誰一人として、まともな姿をしていない。
 一人は首から上が見当たらないし、一人は腰から下が見当たらない。
 周囲にはおびただしい量の血溜まりが広がっていた。
 よく見ると、大男の全身は赤黒い血で染まっていた。

 瞬く間に掘削現場は大混乱に陥り、作業員の声が次々と消えていく。
 この事件が原因で、トンネルの建設工事は頓挫する事になった。




 国際刑事警察機構ICPOには超常犯罪課が存在する。
 通称オカルトGメンと呼ばれるその組織は日本にも支部を持ち、民間のGSが持て余すような案件を中心に活躍している。

「ここやここや。ようやっと見つかったわ」

 簡単な地図の書かれた紙切れを持った鬼道がビルを見上げる。
 二階の窓ガラスには『ICPO超常犯罪課日本支部』と白い塗料でペイントされていた。
 彼はここに来るよう紀黄泉に言われてここに来たのだが、何をするのかまでは聞いていない。
 その事を少なからず不審に思う鬼道は、ビルを見上げたまま、理事長の思惑について考えてみた。

「ま、行ってみん事には、なんも分からへんしな」

 考えるには材料が少なすぎる。
 少々遅刻している事もあり、早々と詮索を打ち切って玄関に足を踏み入れた。


 オカルトGメンのフロアに入った鬼道は、すぐに知った顔の職員を見つけた。
 それは西条だった。面識はないが、テレビで何回も見るほどに西条の知名度は高かった。
 とりあえず、西条に名乗って尋ねてみる。

「すんまへん。鬼道やけど何か聞いてはる?」
「鬼道さんですね。こちらへどうぞ」

 すると話は通してあるらしく、奥の部屋に案内された。
 部屋に入った鬼道は間延びした声で出迎えられた。

「もぉー、マーくん、遅いー」
「なんで冥子はんがここに……?」

 むくれた冥子の顔に出迎えられ、鬼道は挨拶も忘れて呆気に取られた。
 無視される形になった部屋の主が苦笑しながら、自己紹介と共に鬼道の疑問に答えた。

「私がお願いしたからよ。はじめまして、鬼道クン。私はここの責任者をさせてもらっている美神美智恵です」

 美智恵は窓際のワークデスクで席を立ち、鬼道を出迎える。
 失礼に気付いた鬼道も慌てて姿勢を正して挨拶を返した。

「は、はじめまして。美神隊長はんのご活躍は、かねがね聞いとります」
「ありがとう」

 美智恵が復帰して以来、オカルトGメン日本支部は目覚しい功績を収め続けていた。
 その功績の一つに、魔王アシュタロスが起こした事件が入っている事は言うまでもない。
 遅刻をした上に無礼を働いた鬼道は、適度に美智恵を持ち上げてから、ここに呼ばれた理由を尋ねる。

「で、なんでボクをここに呼びはったん? なにぶん、理事長はんから詳しい事を一切聞いてへんもので……」

 尋ねられた美智恵は席に着き、おもむろにデスク上で手を組んだ。真面目な話になりそうだ。

「先日のトンネル崩落事故は知っているわよね?」
「はあ…大勢の死者が出たって毎日のようにテレビでやってるあれですやろ?」
「あ〜、それなら冥子も知ってる〜」

 二日前からテレビの報道番組は、トンネル掘削現場で起きた崩落事故の話題で持ち切りになっていた。
 この事故は数十人の死者を出したにもかかわらず、不明な点が多い事でマスコミと視聴者の興味を引いていた。
 質問を質問で返された鬼道は、美智恵の狙いが見えずに再度、少し不満顔で尋ねる。

「それがなんか関係でも?」
「実は……表向きは崩落事故になっているけど、死亡者の全員が何者かによって殺された形跡があるの。勿論、崩落事故なんて起きてないわ。事が事だから住民に不安を与えないよう、報道規制を布いたのよ」
「ええ――っ! 事故じゃないの〜?」

 人が殺されたと聞いて震え上がる冥子。
 崩落事故の報道は大部分が偽の情報だったのだ。
 多数の死者が出た事までは隠せなかったので、こんな形になってしまっていた。

 事故ではなく事件だと聞いた鬼道は合点がいった。美智恵は鬼道と冥子の二人に捜査の協力を求めているのだ。
 しかし、いかにも危険そうな仕事に、冥子の事も考えた鬼道は簡単には引き受けようとしなかった。

「せやかて、ボクに何をしろと? 自慢やないですけど、ボクはただの学校の先生やし、冥子はんは見たまんまやで」
「マーくん、それどーいう意味〜?」

 さっきから怖がっていた冥子だが、この一言で立ち直って白い目を向けた。
 それを見ていた美智恵は胸の内でクスリと笑ってから説得を始める。

「鬼道クンの実力は聞いてるから問題ないわ。冥子ちゃんも霊的潜在能力は人間の中では群を抜いている。それより、この件に関しては冥子ちゃんのママから許可をもらっているのだけど……」

 これは演技だろうが、美智恵は困った顔をして二人を見た。
 紀黄泉という痛い所を突かれ、二人とも押し黙るしかなかった。
 おとなしくなったのを見計らって、美智恵はどうして鬼道と冥子を選んだのかを話す。

「あと、あなた達にお願いする理由もしっかりあるの」
「なんですか?」
「この事件の生存者が一人だけいて話を聞いてみたの。犯人はトンネル内の岩から出てきた鬼らいいわ」
「なんで鬼がそんな所から?」
「私もそう思って調べてみたわ。そうしたら、その地域には鬼にまつわる古くからの言い伝えが残っていたの。言い伝えによると、その鬼は陰陽師に使役されていたそうよ」

 ここまで聞いて鬼道と冥子に思い浮かぶものは一つしかない。

「式神か……」

 鬼道が呟くように口から漏らした。
 相手が式神なら、この二人に話が来るのも頷ける。
 式神使いの二人なら、うまくすれば相手と戦わずに済むかもしれない。美智恵は合理的に考えていた。
 そして、美智恵がとっておきの口説き文句を披露する。

「もし犯人が式神だったら、それをどうにかしてくれさえすれば、後は二人の好きにしてもらって構わないわ」

 それは特に鬼道にとって魅力的な話だった。言い伝えで残っているような鬼を手に入れるチャンスなど、滅多にあるものではない。
 これが決定打となり、鬼道と冥子は鬼退治に山奥へ出発する事になった。




 夏には地元の子供達が泳ぐ清流に沿って、場違いに見える黒い高級車が悠然と走り抜ける。

「わぁ、きれいな景色ね〜」

 山間を通る道路は景色がよく、冥子は車窓から見える光景を飽きる事無く眺めていた。

「ねえねえマーくん、釣りしてる人がいるよ〜。何が釣れるのかしら〜」

 釣り人を見つけてはしゃぐ冥子が、隣に座る鬼道にも見せようとする。
 こうやって子供のようになんでも質問する冥子に辟易しながらも、鬼道は川の流れを見る。今の時期と釣り人が長い竿を振っている事から、大体の想像はつく。

「あれは鮎の友釣りやね」
「鮎なら食べた事がある〜。でも、友釣りってどんなの〜?」
「後で教えたるわ」
「今教えて〜」

 まるで観光気分の冥子だが、二人はオカルトGメンから依頼された仕事をこなすために、事件現場近くの村に向かっている最中だった。
 行き先は鬼宝村という人口一千人足らずの小さな村だ。
 運転手つきの自家用車に鬼道も乗せてもらえたのは楽でよかったのだが、大きな仕事の前に冥子の相手をするのは疲れる。
 よくしゃべる冥子とは対照的で、鬼道の口数はいつにも増して少なかった。


 日が傾いた頃に目的地の明宝村に到着した一行は、まず初めに予約しておいた旅館を探した。
 これから泊まる緑谷旅館は村唯一の宿泊施設であり、そこが仕事の拠点となる。有名ではないが、旅館には温泉が湧いており、それが旅館の経営を支えていた。
 民家が集まる場所から少し外れて、道幅の狭い山道を上る。
 しばらく進んだ山の中腹に、その緑谷旅館はあった。

「お嬢さま、到着いたしました」

 冥子が座る側のドアを運転手が外から開け、到着した事を知らせる。
 早速、冥子は車の座席から飛び降りた。

「うぅぅーんっ……やっと着いた〜」

 長時間の移動で凝った体を背伸びでほぐす。
 鬼道も車から降りて旅館の外観を見た。
 旅館は木造の古い建物で、深い情緒を感じさせた。
 しかし、お世辞にも豪華と呼べるものではなく、少し大きめの古い民家のようだった。民宿と言った方が近いかもしれない。観光地でもない小さな村なので、致し方のない事だった。

「それではお嬢さま、私はこれにて失礼いたします」

 荷物を降ろした運転手は、早々と挨拶を済ませて車に乗り込み、もと来た道を帰って行った。
 あまり冥子を甘やかさないよう、紀黄泉から言われての行動だった。


 残された二人は旅館を訪ねるしかなかったのだが、泊まる部屋に案内された鬼道はどうしても落ち着けなかった。

「なあ……気ぃは確かなんか?」

 広くはないが狭くもない畳の部屋で、ここに来てから座りもせず立ちっぱなしの鬼道が懐疑的な目を向ける。
 その視線の先には、大きな荷物鞄を両手で弄る冥子の姿があった。

「ん〜? 何が〜?」
「せやから、なんでボクと冥子はんが同じ部屋やっちゅう事や」

 なんと、鬼道は冥子と同じ部屋にされていた。
 旅館の予約と部屋割りは六道家に任せきりだったのだが、まさか同じ部屋になるとは予想もつかなかった。
 気になる冥子の様子は普段とあまり変わらず、嫌がっているようには見えない。こうなると、鬼道の期待が高まるのも無理はなかった。

「マーくんは私と一緒は嫌なの〜?」

 鬼道の気持ちを知ってか知らずか、冥子は悲しげな顔をする。
 助けを求めるような目で見つめられ、赤面した鬼道はあたふたするしかなかった。
 よからぬ妄想が、冥子のどんな表情をも色っぽく見せる。

「そ、そんなんやない……けど、冥子はんは困るやろ?」
「困るどころか大助かりよ〜。冥子、知らない所で一人で寝るのは怖かったの〜」
「さいですか……」

 冥子は不都合が微塵も無いような晴れた顔で、あっけらかんと子供じみた訳を述べた。
 それを聞いて途端に冷静になった鬼道は冥子の性格を思い出し、妄想したような事態は絶対に起こりえないと理解させられた。
 なまじ期待を抱いたばかりに、鬼道の落胆は大きかった。
 おまけに、この理由だと冥子に信用されている事は分かるが、男として見られていない事も分かる。
 すっかり冷め切った鬼道は、いっそのこと別々の部屋の方がましだったとさえ思った。




 気分転換に温泉に入った鬼道は、浴衣姿で休憩室のソファーに腰を下ろしていた。
 湯上りした後、すぐに部屋に戻ろうとしたのだが、冥子と二人きりになる事を思うとどうしても足が遠のいてしまう。
 向こうにその気が無いと分かっていても鬼道は意識せずにはいられなかった。
 彼は逃げるようにこの休憩所に来て、何をするでもなく時間を潰していた。

「まぁ、鬼道様、こんな所でお会いできて光栄ですわ」

 突然、暇を持て余している鬼道の前に、長い黒髪の美女が感嘆の声を上げて現れた。
 呼ばれた鬼道はその女性の顔を見るが、どこかで会ったような気はするものの、名前が頭に浮かばなかった。
 鬼道は思い出そうと、彼女をよく見る。
 歳は鬼道と同じくらいか。
 細長く垂れ気味の目は落ち着いた印象だ。
 背は鬼道より少し低いくらいでスタイルもいい。
 こんないい女と知り合いになっておきながら、名前を覚えていないのはおかしい。
 そう思った鬼道は、この女性も同じ浴衣を着ている事と若さに引っ掛かりを感じながらも、彼女の丁寧な言動から、この旅館の女将だと結論付けた。

「今、ひとっ風呂浴びて来たとこやけど、ええ湯やったわ。女将はんは毎日あれに入れるんやから、うらやましいわ」
「女将? ふふ、そうですわね。お隣に失礼してもよろしいですか?」
「ええですよ」

 一瞬、彼女は顔に疑問符を浮かべるが、すぐに一笑して鬼道の隣に腰を下ろした。
 彼女も湯上りらしく、座った時に動いた空気が女の香りを振り撒く。
 鬼道の心臓が跳ね上がり、血圧が上昇した。
 そして、彼女は何を思ったのか、いきなり鬼道の腕を手に取って胸を押し付けるようにもたれ掛かった。

「お…女将はん!?」

 彼女の大胆な行動に面食らい、鬼道はおもしろいほど慌てふためく。
 そんな様子を楽しむように、彼女は鬼道の腕に頬をすり寄せる。そして、唐突に胸の想いを打ち明けた。

「一目惚れと言うのかしら。あの時から、いつもあなたにお会いしたいと思っていましたのよ。あのツクモヒメを打ち倒すあなたの姿は、今でも私を虜にして放しませんの」

 それを聞いた鬼道の頭に一人の男の顔が浮かび上がった。
 そして、この女性と初対面ではないような気がした理由が判明した。
 この女性はその男と感じが似ていたのだ。
 その時、大きな怒声が休憩所を包み込み、舞い上がった鬼道を正気に戻す。

「貴子!! 何をしているんだッ!!」

 その怒声の主は、今しがた鬼道が思い浮かべた男、天道竜一だった。
 物凄い形相でこちらを睨みつけているが、「貴子」と呼ばれた彼女に動じた様子は見えない。
 貴子は渋々という感じで鬼道の腕を離し、竜一を見た。

「あら、お兄様。人の恋路に口を挟むとは無粋ですわよ」
「――お前の妹なんか!?」

 竜一の妹だと聞いた鬼道は、反射的に裏返った声を上げた。
 すっかり頭に血が上っていた竜一だが、それで幾分か冷静さを取り戻した。

「……そうだ。お前こそ、そうと知らずにあんなことをしていたのか?」

 開き直って「はい、そうです」と言う訳にもいかず、鬼道は言葉に詰まる。その合間を使って貴子が自己紹介をした。

「遅ればせながら、妹の貴子と申します。黙っていてごめんなさいね」

 貴子は竜一の妹で、先日の鬼道と竜一の果たし合いに足を運んでいた。
 そこで苦境に立ちながらも勇ましく戦う鬼道の姿を見て、少なからずも好意を抱いたのだった。
 あの果たし合いで勝ったにもかかわらず、ツクモヒメを奪わなかった事が、貴子の心に鬼道を深く印象付ける結果になった。

「それはそうと、なんで竜一はんもこんな所に?」

 鬼道は当然浮かぶ疑問をぶつけた。こんなへんぴな土地でばったり会うのが偶然とは考えにくい。

「ふんっ、それはお前も分かっているんだろう? 多分、俺達もお前と同じだ」
「じゃあ、そっちもオカGから頼まれたんか?」
「違う。俺は独自の調査でここに来た。天道家の情報網も大した物だろう?」

 鬼道は内心で舌打ちをした。
 これで竜一の狙いが同じで、式神らしい犯人を手に入れる事だとはっきりした。
 誰にも頼まれずにこんな危険な事件に首を突っ込む理由は、それでしか説明できない。
 競争相手になった二人の間に緊迫した空気が流れる。

「私はお兄様の助手で来たのだけれど、お望みなら鬼道様も手伝ってさしあげますわ」

 貴子が言いながら鬼道の腕に縋りつき、緊迫した雰囲気を簡単にぶち壊した。
 妹の楽しげな姿が気に入らない竜一は、彼女の腕を掴んで強引に鬼道から引き離した。
 無理矢理にソファから立たされた貴子は痛みに顔をしかめる。

「ちょっと、痛いですわよ」
「部屋に戻るぞ」

 竜一は有無を言わせずに貴子の腕を引いて歩き出す。
 逆らうのを諦めた貴子は、帰り際に笑顔で鬼道に手を振る。

「鬼道様、後で私の部屋に遊びにいらしてもよろしくてよ〜」
「俺も一緒の部屋だがな」

 間髪なしに竜一が一言付け加えて牽制するので、貴子は恨みがましい視線を竜一に向ける。

「こうなるのが分かっていたら、部屋を別々にしましたのに……」
「残念だったな」

 いがみ合うようにして去った二人は、仲が良くも見えた。

 嵐のような一時が過ぎ、休憩所はしんと静まり返る。
 残った鬼道はソファーの背もたれに頭を預け、ぼーっと天井を眺めて貴子の顔を思い浮かべた。

「えらいきれいな人やったなぁ」

 性格に少し強引なところがあるが、家柄も容姿も文句の付けようがない。
 更にあの態度からして、鬼道に気があるのは間違いない。
 同じ高嶺の花でも、冥子よりは簡単に物にできそうだ。
 そんな打算的な考えが頭をよぎり、野望への執着心がわずかだが揺らぐ。
 自分のいい加減さに苛立ちを覚えた鬼道は、迷いを振り払うように頭を両手で掻き回した。

「あかんあかん。あっちも冥子はんを狙うてはるんや。罠かもしれへん」

 天道家も六道家の権力を奪おうと冥子に目を付けている。
 果たし合いで株を上げた鬼道を、天道家が警戒していてもおかしくない。
 だから、冥子から鬼道を引き離すために貴子が差し向けられた可能性もある。
 人の好意を疑うのは気が咎めるが、貴子の言葉の全てを信じる訳にはいかない。

 うだうだと考えるのも疲れた鬼道は勢いよくソファから腰を上げ、冥子が待っているであろう部屋に足を向けた。




「遅いなぁ〜……」

 部屋で待つ冥子が入り口の襖を眺めて呟く。
 彼女も浴衣を着ていた。
 温泉にも入って部屋で一人くつろいでいた冥子だが、さっきから妙な胸騒ぎに不安を掻き立てられていた。
 なぜか鬼道が遠くに行ってしまうような気がしてならなかった。
 虫の知らせではないが、冥子みたいに強い霊感をその身に宿す者の予感は往々にして現実になる。
 冥子も少ない人生経験の中で、なんとなくだが、それを感じていた。
 だから、今の冥子は言い知れない不安で押し潰されそうな気持ちになっていた。


 今か今かと冥子が襖を眺めて開くのを待っていると、軽い音を立てて襖が滑り始めた。
 すぐに開いた隙間に視線を移し、待ち望んだ人物を瞳に映す。
 感極まった冥子は鬼道に駆け寄り、勢いでそのまま胸にしがみついた。

「ど、どうしたん……!?」

 冥子の行動がさっぱり分からない鬼道は、部屋に入ってすぐの所で棒立ちになる。
 しばらくの間、指一本動かせずに驚いていた鬼道だが、誘われているのかと考え、冥子の腰に腕を回そうとした。
 だがその時、涙交じりの震えた声が鬼道の胸元から聞こえてきた。

「……どこにも行かないよね? 冥子と一緒にいてくれるよね?」

 腰に回そうとした鬼道の腕がピタリと止まる。
 貴子に言い寄られた場面を冥子に見られたと思ったのだ。
 鬼道は勘違いをしていることも知らず、急いで言い訳を考えた。

「あれはちゃうで。貴子はんとはさっきが初対面みたいなもんやし、ほんまになんもあらへんよ」

 鬼道はやり場を無くした腕をバタバタと振った。

「貴子さん? それってだ〜れ〜?」

 冥子が鬼道の顔をじっと見つめる。
 鬼道は見事に墓穴を掘っていた。
 余計なことをしゃべった可能性にようやく気がついた彼は、恐る恐る確かめる。

「……天道竜一の妹はんやけど、兄妹揃ってこの旅館に来てはるんや。今さっき、風呂上りに会うたんやけど、冥子はんも見てはったやろ?」
「そんなの知らないー。冥子だけ仲間はずれだったの〜? 一人でマーくんを待ってたのにぃ」

 身を切るような思いで待っていた冥子は、のけ者にされたような気がして目頭が熱くなる。

「いや、悪かったって」

 涙目で怒る冥子を必死に宥める鬼道だった。




 旅館の郷土料理に満足した後、二人はテレビのクイズ番組を見たりして適当に時間を潰している。

「へ〜、そうだったんだ〜。マーくんは知ってた〜?」
「……ん?」
「だから〜、マーくんは答え解った〜?」
「あー、見てへんかった」
「ちゃんと見てよ〜……!!」

 鬼道はテレビなんか見てなく、明日からの仕事の事を考えていた。テレビの番組にいちいち反応する冥子が、それを邪魔する形になっていた。
 無視されて怒りながらも、冥子は懲りずに何度も鬼道に話題を振っていたのだが、掛け時計を見て急に立ち上がった。

「大変! もうこんな時間なの〜? 早く寝ないと〜……」

 そう言って敷いてある布団に潜り込むと、鼻まで掛け布団を被った。

「テレビも灯りも消して〜。明るいと眠れないから〜」

 真っ暗にしろと言われて鬼道は掛け時計を見た。

「まだ十時やで? 眠れるんかいな」
「いつもはもう寝てるの〜っ!」

 寝ると言い張る冥子の相手をするのもなんなので、鬼道は言われるままにテレビを切った。
 そして、電灯を消す前にやるべき事を実行する。

「何やってるの〜?」
「大丈夫やと思うけど、用心せんとね」

 鬼道は自分が寝る布団の端を持って引っ張り、ぴったりと並べて敷いてある二組の布団を引き離しにかかる。万が一にも過ちを犯す訳にはいかないのでとった行動だ。
 部屋の隅まで離された布団を見て、避けられたような気がした冥子が不満顔になる。

「並んで寝ようよ〜。私は気にしないから〜」
「ボクは気にするんやっと――」

 鬼道はそう言いながら冥子の布団も端を持って引っ張りだした。

「マーくんのイジワルぅぅぅ」

 冥子は布団もろ共、畳の上を滑って部屋の隅まで追いやられた。




 鬼道は冥子に合わせて普段より早く寝床に就いた。
 だが案の定と言うか、目が冴えて眠れない夜を過ごしていた。
 身体的には旅の疲れもあって眠れそうなのだが、冥子が同じ部屋で寝ていると思うと気が昂ぶる。
 鬼道の神経が鋭敏になっている中、冥子の方からは寝返りを打つ音の一つもしないので、消灯して早々に眠りに落ちたようだ。

 何度も寝返りを打って背中が疲れた鬼道は、無理に寝るのを諦め、暗がりに薄っすら見える天井を見上げていた。
 眠れないままどれだけの時間が経過したのか見当も付かなくなった頃、ようやく瞳がうとうとし始める。
 頭で何も考えられなくなった頃、何か違和感を体が感じて意識が引き戻された。

「……!?」

 気付いた鬼道は驚きで声も出せなかった。何者かが布団の中に侵入していたのだ。
 硬直して身動きできない鬼道に何者かが寄り添って寝ている。
 右腕には柔らかい女性の感触が確かにあるので寝ぼけている訳でもない。
 一般的な解釈なら、この状況で襲っても問題ない。
 しかし、相手は一般常識の通用しない冥子だ。細心の注意を払わなければならない。
 そう思った鬼道は理性を捨てずに一声掛けた。

「あ、あのぉ、布団を間違えてはりますよ?」

 そう聞くと、鬼道の浴衣の襟に手が差し込まれた。
 了解の意思表示だと受け取った鬼道は、念入りにもう一度だけ確かめる。

「本当にええんか?」

 更に手は深く差し込まれ、鬼道の胸が肌蹴た。
 細い指が触れるか触れないかという感じで繊細に胸を撫で回す。
 ゾクリと背中に快感が走り、理性の箍は外された。

「冥子はんッ!!」

 鬼道は素早く体を起こして反転し、馬乗りのようにして押さえつけ、抵抗できないようにしてから唇を奪いに掛かる。
 暗がりの中、唇を探して身を低くする鬼道。
 唇が触れ合おうとした時、思わぬ声に引き止められた。

「……なあに〜? マーくん、どうしたのぉ〜?」

 冥子の眠たそうな声が部屋の反対側から聞こえてきた。
 有りえない所から有りえない声が聞こえ、混乱した鬼道の体は硬直する。
 すぐさま女性を解放して布団から跳び退いた。
 立ち上がった鬼道は、天井から垂れる電灯の紐を握った。

「誰や!」

 蛍光灯が明滅して部屋を明るく照らし出す。
 鬼道は明るさに痛む目を凝らして自分の布団を見た。

「な……なんで貴子はんが!?」

 そこに横たわっていたのは貴子だった。
 長い髪は乱れ、両手はだらしなく放り出している。
 鬼道に押し倒されたままのあられもない姿がそこにあった。
 騒ぎで目を覚ました冥子が布団から起き上がってそれを目撃する。

「マーくん、何をやってた――」

 衝撃的な光景に冥子の顔は引き攣っていた。
 あまりの状況の悪さに鬼道の顔が青ざめる。どんな言い訳も通用しそうにない。
 だが、ここで黙っていてはそれを認めてしまう事になりかねない。

「ボクはなんもしてへん! ほんまになんもやってへん。誓ってもええよ」

 必死に弁解する鬼道の横で、その誤解を招いた張本人である貴子がおもむろに起き上がり、恍惚とした表情で呟いた。

「鬼道様って強引ですのね。それも嫌いではありませんけど……」

 見事に火に油を注ぐ発言をしてくれた。鬼道の口が開いて塞がらなくなる。
 それを聞いた冥子に、どうしようもなく怒りがこみ上げてくる。

「マーくんのバカああッ!!」

 あらん限りの大声で鬼道を罵った後、冥子は勢いよく襖を開け放って部屋を出て行った。

「冥子はん!」

 尋常ではない怒り方を心配した鬼道も、慌てて冥子を追って部屋を出て行った。

「ふぅ……やりすぎましたわ」

 見向きもされずに残された貴子は、少し寂しげに部屋を後にした。




 旅館を飛び出した冥子は、胸の内から溢れる激情に戸惑っていた。
 人がこんなにも憎たらしく思えた事なんて記憶になかった。根の優しい冥子は基本的に人を嫌いになったりしない。
 なのに、鬼道の顔を思い浮かべるだけで、心の底から黒い感情が際限なく湧き上がった。
 冥子はそんな自分が怖くて仕方がなかった。

「待ってや!」

 追ってきた鬼道の声が背後から聞こえる。
 今の醜い自分を見て欲しくない冥子は、月明かりだけを頼りに暗い夜道を当てもなく走って逃げる。
 だが、浴衣ではうまく走れない。視界の悪さも重なり、冥子は前方に盛大にすっ転んだ。

「キャッ」
「冥子はん!」

 鬼道が駆けつけた時、冥子は地面にお尻をついて起き上がれないでいた。
 だが、冥子は心配されても鬼道の顔を見れない。顔を合わせたら鬼道を、そして自分をどんどん嫌いになりそうな気がした。

「来ないで!」

 起きるのを手伝おうと鬼道が近づいた時、冥子は顔を背けたまま叫んだ。
 拒絶された鬼道は立ち止まり、困り果てながら誤解を払拭しようと弁解する。

「あれやけど……ほんまになんもなかったから。貴子はんが忍び込んできはったんや。信じて、な? てっきりボクは冥子はんやとばかり……」

 ひたすら弁明を繰り返す鬼道を前にした冥子は、そんな事をさせている自分が嫌になった。冥子は大きく首を振ってそれをやめさせた。

「違う……違うの! 私にも分からない。マーくんを嫌いになりたくないのに、心が言うことを聞いてくれないの。今の私は悪い子だから見ないで」

 鬼道はこんなに自己嫌悪する冥子を初めて見た。
 そして、彼女は慣れない感情に振り回されているのだと鬼道は知った。
 その純粋さを目の当たりにした鬼道は思わず微笑む。
 鬼道は、両手で顔を隠す冥子の後ろに屈んだ。

「冥子はんは悪い子やあらへん。その気持ちは誰でも持っとるもんや。それに、嫌いになるのと同じくらい好きやって事や。ボクは嬉しいよ」

 しばらく静寂が続いた後、冥子がゆっくりと振り向いて顔を見せ、恐る恐ると尋ねる。

「……私が同じ事をしたら、マーくんも私を嫌いになる?」
「そうやろな」
「マーくんも私のこと好き?」
「当たり前や」

 冥子の言う「好き」は聞き慣れているので、迷いもせず即座に答えた。
 それを聞いて安心した冥子は微笑み返す。が、すぐに苦痛に顔をしかめた。

「――あっ…イッタ〜イ……!!」

 一件落着したところで気が抜けたのか、転んだ時の傷が痛み出したのだ。

「大丈夫か? 擦り剥いとるかもしれんから、はよ旅館に戻ろ。立てるか?」
「ム〜リ〜、おんぶして〜」
「しゃーないなー」

 いつもの冥子なら式神に頼るところだが、今は目の前の男に頼りたい気分だった。
 鬼道も誤解とはいえ引け目もあるし、悪い気もしないので、冥子の前に背中を向けて屈んだ。
 冥子は胸が高鳴るのを感じつつ、鬼道の首に腕を回した。
 鬼道は「ほいっと」とおやじ臭い掛け声で立ち上がった。

「軽いなー。ちゃんと食べてはる?」
「お母さまに叱られるから、残さず食べてますよーだ」
「はは、そか。そら、すまんかった」

 思った以上に軽い冥子を背負って、静かな夜道を旅館に向かう。
 背中で揺られる冥子は鬼道の肩にそっと頬を当てた。
 おんぶが気に入った冥子は、もう少し遠くまで逃げておけばよかったと思うのだった。




 第三鬼 終


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