六道家は日本古来から続く名家で、その権力の及ぶ所はGSの世界だけにとどまらない。
いつの時代でも、六道家は時の権力者から助言を仰がれ、あらゆる方面に大きな影響力を有していた。
それは現在に至っても変わりなく、故に六道家は多くの家々との繋がりがある。
冥子は、その六道家の娘であり、当然そういった家々との社交の場に出る機会も多かった。
そして、母親である紀黄泉に呼ばれた冥子は、ある家との親睦会に出席するよう、お願いされていた。
「お願いだから、冥子一人で出てくれないかしら〜」
「一人はイヤよ〜。令子ちゃんかエミちゃんを呼んじゃダメ〜?」
先方が一人で来るよう要求したため、いくら母親の頼みでも、冥子は簡単に引き受けようとしなかった。
彼女が拒む理由は先方にあった。
先方は天道家と言い、向こうが親睦会に出席させる人数も一人だった。
しかも、冥子とさほど歳の違わない男性だ。
早い話、向こうがうまい事を言って仕組んだお見合いだ。
世間に疎い冥子でも、それくらいは判った。
天道家も、六道家や鬼道家と同じく陰陽師の血筋を引く名家で、古くから権力の奪い合いで六道家としのぎを削ってきた。
今回の事も例に漏れず、天道家は鬼道と同じ事を考えているのだ。
冥子を嫁にできれば、手っ取り早く権力が手に入る。政略結婚というわけだ。
もちろん、紀黄泉もその事は重々承知のはずで、できればこんな見合いをしなけらばならない状況にしたくなかっただろう。
天道家との間に、如何ともし難い事情があったに違いない。
ごねる娘に、紀黄泉が最大限の譲歩を見せる。
「仕方がないわね〜。それじゃあ、冥子から見えない所にだけど〜、政樹ちゃんを就けてあげるから〜。これ以上は無理よ〜」
「見えない所なの〜?」
お見合いの見張りに鬼道が就くと言われ、こちらも譲歩を見せる冥子。
雇われ身分の鬼道は、いいように使われていた。
これでも冥子が首を縦に振らないのを見て、とうとう、紀黄泉の額に青筋が浮かび上がる。
「これでも駄目なら〜、お母さん、もう冥子とは絶交よ〜」
「ダメじゃないですぅぅっ! 冥子はその条件で〜、謹んでお受けします〜……!」
いきなり笑顔で絶縁宣言をされそうになった冥子は、手の平を返したように態度を一変させた。
彼女に一人で生きていく自信は無かった。
お見合い当日、冥子は桜色の着物姿で相手と対面していた。
開けられた縁側には、広大な日本庭園が広がっている。
冥子は座敷の座卓に着き、そこから見える外の景色を見ていた。
庭園には橋の架かった大きな池があり、その池には立派な錦鯉が所狭しと泳いでいる。
この庭のどこかに、鬼道が潜んでいるはずだ。
そう思った冥子は相手の顔も見ないで、茂みの影や池の中へと視線を向かわせていた。
見合い相手の男は、冥子の失礼な態度を気にしつつも、自己紹介を始めた。
「私は天道家の長男で竜一と言います。冥子さんとは何度かお会いした事がありますよね」
さりげなく冥子の注意を引こうとするのだが、彼女は今も庭園を凝視している。
出会い初めから注意をするのも気が引けるので、竜一は我慢して続ける。
「歳は二十三で、仕事は冥子さんと同じGSをしています。趣味は読書と音楽の鑑賞です。歌劇を観に行ったりもするんですよ」
竜一は紋付袴で正装し、髪はオールバックで整えてある。
体格はガッチリしていて、よく鍛えられている。
顔はやや面長で、高い鼻が男らしさをかもし出していた。
趣味からして、鬼道とは正反対のタイプのように見える。
自己紹介の間も、冥子はずっと縁側を向いていて、一度もお見合い相手の顔を見ようとしない。
いつまでもこちらを見ないので、竜一が質問を始める。
「失礼ですが、冥子さんのご趣味をお聞かせ願えないでしょうか?」
「――は、はい〜」
やけに丁寧な言葉で趣味を尋ねられ、ようやく前に向き直る冥子。
しかし、正面から竜一を見られずに、少し俯き加減になる。
やはり、お見合いは恥ずかしいものだった。
「趣味はですね〜……式神ちゃんたちと遊ぶことかなぁ〜」
「式神と仲がとてもよろしいのですね。私も幼い頃は式神とよく遊びました」
「そうなんだ〜。天道さんも式神を〜?」
「持ってますよ」
式神の話題になり、冥子の緊張が緩み口数が多くなっていく。
いつの間にか、伏目がちだった彼女の視線も高くなり、竜一を真っ直ぐに見ていた。
二人の会話は、竜一が質問して冥子がそれに答える形で続いていった。
庭園の木陰からお見合いを監視していた鬼道は、二人の会話が途切れない事に焦りを感じた。
万が一、この二人が結ばれるような事があれば、鬼道の野望はそこでついえてしまう。
こうなってしまったら、この場で鬼道が起こす行動は一つしかない。
そう、お見合いの邪魔をするのだ。
木陰から覗く鬼道の目が鋭く光った。
二人の会話が弾む中、縁側の廊下の柱の影に、お茶を乗せたお盆が置かれた。
続けて、そのお盆を持って来た者が正座をして現れた。
「あ〜、夜叉丸ちゃんだぁ」
お茶を差し入れに来たのは、鬼道の式神である夜叉丸だった。
夜叉丸に気付いた冥子は、両手をパタパタと振る。
夜叉丸もそれに片手を振って応えた。
突然の乱入者に、それまで穏やかだった竜一の表情が険しくなった。
キッと夜叉丸を睨みつける。
「何者だ! 隠れてないで姿を見せろ!」
一目で夜叉丸を式神と見抜いた竜一は、夜叉丸の持ち主を大声で呼び出す。
夜叉丸が立ち上がったその横に、柱の影から出てきた鬼道が腕組みをして立つ。
服装は普段と同じで袴姿だ。
「悪いけど、天道はんの思い通りにさせる訳にはいかんのや。邪魔させてもらうよ」
「どこにいたの〜?」
さんざん探していた鬼道がひょっこり出てきたので、かくれんぼの正解をまず尋ねる。
親しげに話しかける冥子を見て、竜一は二人の関係を直感した。
そして、立ち上がった竜一は社交場での顔を捨てた。
「貴様ぁ、こんなことをしてただで済むと思うなよ。名前を言えっ!!」
さっきまで紳士的だった竜一が、いきなり激昂した。
怯えた冥子は引き攣った顔で後ろの畳に手を伸ばす。
鬼道は動じずに腕組みをしたまま、竜一を正面から見据えて名乗った。
「鬼道政樹や。こいつは相棒の夜叉丸。よろしゅうな」
名前を聞いた竜一は、顎を指で撫でて少し考える仕草を見せた後、今度は大笑いし始めた。
「アァッハッハッハッ――聞いた事があるぞ。あの鬼道だろ? 昔は俺んトコとも張り合ってたそうだが、今は家の存続すら危ぶまれているそうじゃないか」
そんな事は百も承知している鬼道だが、これ見よがしに馬鹿にされると熱くなる。
「ボクが建て直したるわ!!」
その様子を満足げに見た竜一は、いかにも愉快だと言いたげな顔で冥子に視線を移す。
「冥子さん、こんな男と付き合うのはあなたのためにならない。今すぐに別れるべきだ」
余裕を取り戻した竜一の口調は、丁寧なものに戻っていた。
それを聞いた冥子の手が固く握られる。
そして、すっと立ち上がって竜一を涙目で睨んだ。
「マーくんを悪く言わないで〜っ! マーくんは大切なお友達なんだからぁっ!」
いつも温厚な冥子が珍しく怒っていた。
誰よりも強く友人を渇望している冥子にとって、竜一の言葉は許せなかったのだ。
冥子に用も無しに寄って来る知り合いは、鬼道くらいしかいない。
十二神将を引き連れて、トラブルを連発していれば、そうなるのが当然だが……。
その鬼道と別れろと言われて憤慨したのだ。
冥子の怒声を聞いて初めは驚いていた竜一だが、何かに思い当たったのか、不敵な笑みを鬼道に向ける。
「あなたは大切な『お友達』だそうですよ。というわけで、部外者はお引取り願いましょうか」
冥子の言葉に少なからずショックを受けた鬼道は、竜一の言葉に何も言い返せなかった。
冥子がこの見合いを終わりにしたいのなら、嘘でも鬼道が想い人だと言ってくれるのでは、と柄にも無い期待をどこかで抱いていたのだ。
鬼道は期待した自分の馬鹿さ加減と屈辱に、わなわなと肩を震わせた後、無言で廊下に消えていった。
「私も帰ります〜」
「は?」
追い返されたのを見て、冥子も一礼してから小走りで鬼道を追った。
一人残された竜一は、しばらく現状を理解できずに呆然としていた。
「マーくん、待って〜」
追いついた冥子は、鬼道の横を並んで歩く。
鬼道は隣を見向きもせず、無言で淡々と歩を進めた。
会話の無い気まずい帰り道が続く中、不安が大きく膨らんできた冥子が我慢できずに彼を呼んだ。
「マーくん……」
「……なんや」
冥子の元気の無い声を聞き、鬼道は仕方なく、前を見たまま返事をした。
冥子は口を利いてくれた鬼道を見上げて、先程からどうしても気に懸かっていた事を尋ねた。
「ずうぅぅっと〜、冥子のお友達でいてくれる〜?」
先程、竜一に鬼道と別れるように言われた時、逆に鬼道から別れを言われないかと冥子は考えてしまった。
それで彼女は鬼道の気持ちを確かめたくなったのだ。
非常に返答に困る質問をされ、鬼道は歩きながら考える。
彼は友達の関係で終わるつもりはないのだ。
その間中、冥子は不安げにじっと鬼道の横顔を見上げ続けた。
彼女のいたいけな瞳に負けた鬼道は、小さく息を吐いて微笑み、複雑な心境ながらも答える。
「そんなの、お安い御用や」
相手の気も知らず、冥子は大喜びして鬼道の腕を手に取った。
「だから、マーくんって好き〜」
この「好き」は違うだろうな、と考えながら、苦笑いして溜め息をつく鬼道だった。
後日、見合いの席に乱入した鬼道は、理事長室に呼び出されていた。
「聞いたわよ〜。見ているだけだって約束したでしょ〜。おかげで、あちらさんはカンカンよ〜」
大きな机の前にどっしりと座る紀黄泉が、机を挟んで立つ鬼道をいつもの笑顔で見やる。
その表情は、怒っているようにはとても思えない。ともすると、この結果を望んでいたようにも見える。紀黄泉の表情から感情を読み取るのは至難の業だ。
あのお見合いの後、六道家に天道家から抗議の電話が入っていた。
勿論、抗議と言ってもあからさまなものではなく、表面上は穏やかさを装ってはいた。
言いつけに背いたのは確かなので、鬼道は素直に頭を深く下げて謝罪する。
「すみませんでした。言い訳は致しまへん」
「そんなに謝らなくてもいいのよ〜。あなたを叱るためにここへ呼んだ訳じゃないから〜」
違う用件があると聞き、鬼道は疑問符を浮かべた顔を上げた。
そして、すぐにでも尋ねたげな顔で紀黄泉を見る。
先程までの笑顔はなく、いつになく真剣な面持ちをしていた。
鬼道は息を呑んで紀黄泉の言葉を待つ。
「あちらから果たし状が届いたわ。それで、宛先は政樹ちゃんなのよ。式神使いのしきたりは覚えているわよね?」
式神使いの間にはしきたりがある。
それは、お互いの間にいさかいが生じた時、各々が使役する式神を使って決着をつける事だ。そして、勝者は敗者の式神を手にする決まりがある。
古くからの陰陽師の家系である天道家も式神を有しており、お見合いで喧嘩を売った鬼道家に果たし合いを挑んできたのだ。
果たし合いの申し出を断る事は掟に反する。鬼道は覚悟を決め、好戦的な笑みを浮かべた。
「当然や。ボクは理事長はんのトコともやっとるんや」
以前、鬼道は六道家に挑んで敗れている。
その時は、勝った冥子の優しさで夜叉丸が奪われる事はなかった。
しかし、それが鬼道にとって苦く忘れ難い思い出になっているのには変わりなかった。
勇ましい姿に感心した紀黄泉は、普段の笑顔で発破をかける。
「政樹ちゃんも冥子を狙っているのなら、絶対に負けられないわよ〜」
鬼道が冥子にアタックを繰り返している事は、六道女学院で有名になっていた。その事が紀黄泉の耳に入っていないはずがない。
激励のためとは言え、冥子の母親から意外な言葉をもらい、鬼道は顔をわずかに赤くする。照れ隠しに首を横に向けて視線を逸らした。
その姿を見て、小さな笑い声を上げる紀黄泉だった。
果たし合いは六道家の敷地内で行われる事となった。
敷地内の一角にテントや机や椅子が運び込まれ、果たし合いの会場ができあがっていく。
そして、決戦の日。
両家の威信を賭けた戦いを間近に控え、設置された会場には関係者が続々と集まりつつあった。
その中に、鬼道家の者として招待された、鬼道政樹の父の姿があった。
一方的に息子を見捨てたにもかかわらず、父親は少しも変わらない威厳を持った顔で息子の前に現れた。
「政樹、六道に養われる身になってしもうても、お前はワシの息子や。負けたら承知せえへん」
六道家との果たし合いで父親が息子を見捨てて以来、二人は顔を合わせていなかった。
あれ以来、鬼道は少なからず父親を憎んでいたのだが、いざ父親を目の前にしてみると、不思議とそんな感情は湧かなかった。
今でも父親と同じ野心を抱いている事が大きく影響しているのかもしれない。
「これ以上、鬼道家に恥をかかせる気はあらへんよ、父さん」
二人は親子の絆を確かめるように睨み合う。
最後は同時にわずかな笑みを作って別れた。
テントで試合の時を待つ鬼道の所に、豪華な着物で着飾った冥子が様子を見に来た。
今日は大事なお客が多いので、冥子は普段に増して服装に気を回していた。
鬼道の服装は、紋付袴の正装だ。
「ねえ〜、今からでも遅くないから、果たし合いなんてよしましょうよ〜」
式神の奪い合いを嫌う冥子は、このしきたりに鬼道が則らないよう説得しに来ていた。
天道家からの果たし状が届いてから、冥子は何度も鬼道に同じことを言っていた。
だが、ここで逃げていては紀黄泉に顔が立たない上に、大切な自尊心も脅かされる。
いくら冥子のお願いでも、聞く訳にはいかなかった。
「この世界で生きてこうと思うたら、しきたりは絶対や。冥子はんも知ってはるやろ」
「でもぉ……」
これを言われると、同じ式神使いの世界で生きている冥子は何も言えない。
彼女自身が親に逆らえず、しきたりに縛られているからだ。
最後の手段として、冥子は駄々をこねる子供のような目で鬼道を真っ直ぐ見続けた。
鬼道は腕組みをして、視線を合わせないように目を閉じた。
しばらくして、そろそろ時間だと思い鬼道が目を開けた。
「うー」
目の前では、いまだに恨みがましい視線を向ける冥子が唸っていた。
彼女にも意地っ張りな部分があるのを、鬼道は新鮮な思いで見る。
その姿に少し折れたのか、胸の内を部分的に伝えた。
「ボクはどうしても勝たなあかんのや。ここで終わりにしとうない」
それを聞いた冥子は、唸るのをやめて言葉の意味を考えてみた。
だがやはり、答えは出ない。
「何が終わるの〜?」
「ボクの夢や」
「夢って?」
「冗談や」
重ねて問われても答えられるはずもなく、彼は話をうやむやにした。
腑に落ちない顔の冥子を尻目に、鬼道は決戦の場に足を向けた。
四方を篝火で囲まれた闘いの場の中心に鬼道が立つ。
向かいから、天道家の代表がどっしりとした足取りで篝火の間を抜けてきた。
やはり、相手は長男の竜一だった。彼も紋付袴で正装していた。
勝負を見届けに来た人々の静かな視線が集まる中、鬼道と対峙した竜一は小さく唇を歪めて余裕の笑みを見せる。
「お前が目障りなんでね。直接、引導を渡すことにした。悪く思うなよ」
「御託はええから、さっさと始めよか」
「そうだな」
果たし合いに審判などいない。お互いを確認した時点から、いつ攻撃を開始してもいいのだ。
ただし、審判はいなくともルールはある。
攻撃をしてもされてもいいのは式神だけで、決して術師が攻撃したり、されたりしてはならない。
殺し合いでは断じてないのだ。
二人はお互いの動きに注意を払ったまま、自分の式神を呼び寄せる。
「来い、夜叉丸!」
「ツクモヒメ、出番だ」
二人の影からそれぞれの式神が実体を現す。
鬼道は竜一の式神を初めて目にした。
ツクモヒメと呼ばれた式神は、夜叉丸と同じ人型で大きさもそんなに違わない。
白一色の小袖姿で、頭に市女笠をかぶっている。
市女笠には極薄いヴェールがついており、顔はシルエットしか確認できなかった。
夜叉丸と相対しても、構えも取らずに整然と立つツクモヒメ。
テントの貴賓席からそれを見た冥子が、見たままの感想を漏らした。
「わぁ〜、かわいい式神ちゃんね〜」
隣に座る紀黄泉が、のん気に喜ぶ冥子をやや硬い表情で窘める。
「かわいいなんてものじゃないわよ〜。ああ見えても、かつては九十九の鬼を従えたといわれる凄い式神なんだから〜」
紀黄泉が言っている事は伝説であり、事実かどうかは判らない。
しかし、そういった逸話が残るほどなのだから、その実力が並でないのは明らかだ。
冥子は笑顔のまま固まる。
そして、次第に張り詰めた表情となり、彼女は闘いの成り行きを静かに見つめた。
紀黄泉はその様子をしっかりと見ていた。
ツクモヒメが懐に手を差し入れ、何かを取り出そうとした。
「夜叉丸、突っ込め!」
ツクモヒメが動いたのを見た鬼道は、先手を取るために夜叉丸を突撃させた。
夜叉丸のスピードには目を見張るものがある。
命令の一瞬後には、ツクモヒメの眼前に迫っていた。
「弾き返せ」
竜一の落ち着いた指示と同時に、ツクモヒメは後ろに飛び退きながら、懐の手を抜き出す。
手には扇が握られていた。
ツクモヒメは片手で扇を広げ、夜叉丸に向けて扇いだ。
その直後、ツクモヒメを中心に霊気の混ざった竜巻が起こり、夜叉丸の体が宙を舞った。
飛ばされた夜叉丸は、うまく体勢を整え、元いた鬼道の前に着地した。
いとも簡単に攻撃を跳ね除けられ、鬼道は唖然とした後、その能力に歯噛みした。
「風を操る式神とは……。また、どえらい代物をお持ちのようやな」
対策を練る時間稼ぎも兼ねて、鬼道は皮肉を込めた賞賛を送る。
だが、竜一は相手をせず、ツクモヒメに命令する。
「やれ」
闘いが始まった今、竜一に無駄話をするつもりはない。
命令されたツクモヒメは扇を両手で畳み、それを手首のスナップを利かせて素早く一振りする。
扇がヒュンと空気を切る音がしたと思った時には、夜叉丸は近づく霊気を感じて横跳びで回避していた。
「ほう、あれをかわしたか。確か夜叉丸とか言ったな。鬼道家には勿体無い代物だ」
さっきのお返しとして、竜一が皮肉交じりで夜叉丸を高く評価する。
何が起こったのかいまいち理解できていない鬼道は、攻撃をされたであろう夜叉丸をじっくり見る。
すると、夜叉丸の袖が大きく裂けているのに気付いた。
「カマイタチかッ!」
鬼道は思わず驚きの声を上げた。
ツクモヒメが繰り出した攻撃は、空気を刃物に変える技だった。
空気を武器にするので、攻撃を目視する事ができない。
その上、風の刃は迫るスピードも恐ろしく速い。
今の鬼道では、対処に困る相手だ。人間の目で追えるものではない。
それでも、一撃目をどうにか回避した夜叉丸は、かなりのものだった。
竜一が目で指図をし、ツクモヒメが扇をオーケストラの指揮者のように振る。
無数のカマイタチが放たれ、夜叉丸はそれを逃れるために踊らされた。
「夜叉丸、今は耐えるんや!」
いつまでも、この猛攻から逃げてはいられないのは目に見えている。
しかし、ツクモヒメに接近しようにも、さっき竜巻の力で跳ね返されてしまったばかりだ。
鬼道は八方塞に陥っていた。
「しゃあない。いくしかないか――」
じり貧が確定した今、鬼道は早めに決着をつけるための賭けに出た。
「夜叉丸! 相手の真上から跳びかかるんや!!」
竜巻なら中心は台風の目のように無風状態になる。そう考えた鬼道はツクモヒメの頭上から攻め入る作戦に出た。
風の刃の群れを掻い潜った夜叉丸が大きく跳躍し、ツクモヒメの頭上を捉える。
だが、竜一は会心の笑みを浮かべていた。
「馬鹿がッ!! それでは格好の的になるだけだ」
ツクモヒメの頭上高くに飛んだ夜叉丸は、竜一の言うように風の刃からの逃げ場を失くしてしまっていた。
策の穴を指摘された鬼道だが、表情に焦りや戸惑いの色は見えない。むしろ、気迫が増している。
「遠慮なく撃ち墜とせ!」
竜一が迎撃の指示を出し、多数のカマイタチが容赦なく乱打された。
すぐに来るであろう夜叉丸の無残な姿を想像し、冥子がイスを膝裏で蹴倒して立ち上がった。
「夜叉丸ちゃん!!」
叫び声とほぼ同時に、夜叉丸の左腕が根元から飛んだ。
むごたらしい光景を目の当たりにし、冥子は目を大きく開いた。
そして、そのまま見たくない続きを見させられる。
「グウウゥゥ――ッッ!!」
鬼道が苦悶の声を上げ、方膝を着いてうずくまった。
夜叉丸が傷ついた事により、主の鬼道にも激痛が走ったのだ。
鬼道は意識を手放しそうになるのを気合で耐える。
気を失ってしまえば、夜叉丸を手放すことになる。
ツクモヒメの攻撃はまだ終わらない。
ツクモヒメに向かって落下中の夜叉丸は、左腕の次は右足を失った。膝からきれいに切断され、右足が離れていく。
次は左の脇腹をごっそりと抉られた。
冥子は夜叉丸がボロボロになっていくのを真っ青な顔で見ている事しかできなかった。
助けたくても、式神使いのしきたりは絶対だ。
勝利を確信した竜一は大声で宣言する。
「俺の勝ちだ!!」
直後、痛みを耐え抜いた鬼道も宣言した。
「……ボクの勝ちや」
その声にはっとする竜一。
だが、気付いた時には手遅れだった。
今もツクモヒメに向かい落下中の夜叉丸が、満身創痍ながらも右手を拳に変えていた。
風の刃の切れ味が良すぎたせいで、夜叉丸はボロ雑巾のようになりながらも、ツクモヒメへの落下軌道を外れてなかったのだ。
そして、落下のスピードを加えた渾身の一撃がツクモヒメの脳天を捉えた。
「ガハァッ!?」
竜一の頭に衝撃が走る。
市女笠がてっぺんから潰され、ツクモヒメは顔面から地面に叩きつけられた。
片手片足を失った夜叉丸もツクモヒメと重なるように倒れた。
鬼道は地面に伏しているツクモヒメを見て、決定打になったのか確かめる。
祈るような気持ちで見ていると、ツクモヒメの体が鬼道の影に吸い込まれた。
鬼道が勝ったのだ。
気絶した竜一は大の字で倒れた。
敵を滅多に寄せ付けないツクモヒメは、随分と打たれ弱かった。
勝った鬼道は痛むからだを引きずって、倒れている夜叉丸の所へ行く。
夜叉丸の横に膝を着き、背中を支えて上半身を起こしてあげた。
「よう頑張った。もう休んでもええよ」
式神の痛みを我が身で感じている鬼道は、心からの労いの言葉を送る。
夜叉丸が頷くと背中を支える手の重みがふっと軽くなった。彼の影に戻ったのだ。
全てを終えた鬼道が立ち上がると、背後から冥子が駆け寄ってきた。
「マーくんは返してあげないの〜?」
振り向いた鬼道は質問の意味を逆に尋ねる。
「何をや」
「あの人のお友達よ〜」
そう言って冥子は気絶している竜一を見る。
ツクモヒメを竜一に返せ、と冥子は言っているのだ。
「正気かいな!」
鬼道は冥子を非難するように声を荒げた。
苦労して手に入れた式神を手放すのは惜しい。ツクモヒメほどの強力な式神なら尚更だ。
鬼道が返そうとしないので、冥子はむくれて威圧する。
「むー」
冥子が凄んでみても全く迫力がなかった。
怖いどころか、かわいく見える。
そのうち、平然としている鬼道を見ている冥子の瞳に涙が浮かんでくる。
「そんなマーくん、私は嫌いよ〜……!!」
きつく睨む冥子の瞳から、その怒りの度合いが知れた。
冥子に嫌われてしまったら元も子もない。
過去に鬼道も冥子に負けて夜叉丸を返してもらっている。
考え直した鬼道は、仕方なく冥子の言うとおりにする事にした。
鬼道は気乗りしない足取りで、寝ている竜一の所へ向かう。
「ほれ、起きろや」
寝ている竜一の頬を平手でペチペチと叩く。
小さな呻き声の後に竜一の瞼がゆっくり開いた。
竜一が朦朧とする頭を手で押さえながら起き上がる。
「ツツゥ……俺は負けたのか……?」
鬼道は何も答えず、ツクモヒメを自分の影から呼び寄せる。
「こいつは返したる」
ぶっきらぼうにツクモヒメを竜一に突き出した。
返すと言われ、竜一は呆然としていた。
式神を手に入れるという滅多にないチャンスを手放そうと言うのだ。
竜一にとってはありがたい話だったが、だんだんと釈然としない思いが膨らんできた。
彼にもプライドはある。
「俺は負けたんだ。それは受け取れない」
竜一が強情なおかげで、鬼道の優れない気分が更に悪くなる。
頭を乱暴に掻きながら投げやり気味に説得する。
「ボクが返すんやない。冥子はんに借りがあるんや。礼を言うなら冥子はんにしとき」
竜一は鬼道の後ろに立つ冥子を覗き見る。
彼女は機嫌を直してにこにこと微笑んでいた。
「この子も帰りたがってるよ〜」
冥子のにこやかな表情が竜一の意固地を取り払う。
竜一はツクモヒメに問い掛けた。
「俺の所に戻ってきてくれるのか?」
ツクモヒメは答える代わりに竜一の影に飛び込んだ。
それを見て安心した冥子は、見るからに嬉しそうな笑顔を鬼道に向けた。
「よかったね〜」
「そうやねー」
疲れも手伝って、そんな冥子がうっとうしく感じた鬼道は、抑揚の欠けた適当な返事をした。
最後まで虫の居所の悪い鬼道だったが、紀黄泉はそんな二人のやりとりを、遠くから笑って眺めていた。
こうして、鬼道家と天道家の果たし合いは丸く収まることとなった。
第二鬼 終
というわけで、さっそくやりました。
コメントどうもありがとうです。
ラブコメといっても明るいだけではないです。
シリアス入ることもあると思います。
恋は楽しいことばかりではありませんからね。
でも、楽しんでもらえるお話にしたいと思ってます。
目指せ! 週一回更新!
を目標にがんばります。 (双琴)
鬼道はいたって普通に真面目に式神使いの社会の中でがんばってるんですが、相手が冥子ちゃんでは普通どおりにはいきませんな。見ていて応援せずにはいられません (九尾)
私の脳内には、鬼道が目を開けた瞬間にまだ見上げている冥子嬢の
涙目の姿が見えました。うむうむ、すばらしい。
ただ、異を唱えるようで大変申し訳ないのですが、
後書きを読んで思った事を、諌言として添えさせていただきましょう。
どう見ても激甘です。ありがとうございました。
令子が実際に現場で同席してたら、肩をすくめて「やってられないわ」とでも
言ってるであろうかと思われるくらい砂吐き激甘です。
もちろんそれを期待して読んでるので満足度は大なんですがねw (まじょきち)