25 道の半ばで・後編
闇に沈む森を割るように続く街道。智恵・寅吉・涼の三人が木々の間から姿を見せる。
「良い月ですね」中天にかかる十三夜の月を見上げた智恵は纏っていた緊張を緩める。
「そうだな。ここまでの闇を思えば弱い光でもありがてぇ」
殿(しんがり)を務めていた涼が応える。
交わされる言葉に余裕があるのは、おキヌが案内しようとした場所−逢魔ヶ谷−の探索でまずまずの成果を得られたからだ。
半ば予想通り、谷の中程にある集落(といっても、朽ち果てる寸前の家が数軒あるだけだが)に人のいるのが見て取れた。
百年来無人とされる所に普通の人がいるはずはなく、死津喪比女の”僕”の住処に間違いない。
やや意外だったのは、昨夜の事があったにもかかわらず、そこを捨てようとする動きない事。よほど重要な場所−智恵の”読み”では死津喪比女の本体の所在地−らしい。
死津喪比女と犬塚が傷を負っている今こそ好機と、強襲という声も出るが思い留まる。
この場の(寅吉を含め)三人では少し戦力的に辛い−
ざっと見てだが、”僕”が最低でも十人(半数が山伏や猟師といった山で暮らす者の風体で里の者が掴んでいる以上の犠牲者がいることが解る)、”僕”に選ばれた以上、誰もがそれなりに強いはずで”瘤”により限界まで力を引き出せることも考慮すれば侮れない
−という判断や氷室神社からの情報を待った方が良いという判断があったからだ。
ちなみに強襲を提案したのは涼でそうした点を上げ退けたのは智恵。
彼女の判断に娘との約束が影響している事は、当人以外の二人にとって明らかなことであった。
そこから峠までを一気に進む。着いたところで休息に入る。
「何もありませんね」周囲を見鬼で探っていた智恵は結果を待つ涼に答える。
「幽霊らしき反応は元より他に怪しい気配もまったく。何もなさ過ぎてかえって気味が悪いくらいですよ」
「そうかい‥‥」と落ち着けない感じの涼。
姿を消す前、おキヌに死津喪比女の恨みを買ったのだからしばらくは姿を見せないよう忠告したのだが難色を示し、かえって自分も解決に係わりたいと言い出したのだ。
『じゃあ、一緒に』と横島は素朴に喜んだが、涼の判断では、それは自身を無用な危険に身を曝すことに他ならない(ちなみにれいこは小声で涼に「ありがた迷惑ね」とは言ったものの直接は何も言わなかった)。
なだめすかし、もし峠にこちらの誰かがいれば姿を見せそうでなければ隠れておくと言うことに落ち着いた。
それなのに姿がないということは‥‥
何かあったとすればこの静けさはないだろうと思える反面、意外に頑固そうな性格から大人しく隠れているとも思えない。
一番ありそうなのは、自分にできる何かを見つけそのため姿を見せられないこと。
それが危険につながらなければ良いのだが。
不安そうな涼に可笑しみを感じるのかニヤニヤする智恵。
「何が可笑しい?」
「いえ、渥美様が娘を持ったとして、その娘さんは幸せなんだろうなって」
からかいながらも智恵は涼の不安に応え霊感を上げ見鬼の索敵範囲を目一杯に広げる。
しばらくの沈黙、徐々に眉間に険しいしわが刻まれる。
「‥‥ 気に入りませんねぇ この界隈にそれらしい気配はないのですが、この方角で一里ほど先、妖しい気配があります。こちらに来る様子はないんですが、どうも渥美様の(不安)がこちらにも移ったみたいで妙な胸騒ぎがします」
この時、智恵の脳裏に宿場に引き返しているはずの娘が浮かんでいた。
「方角と距離からすると麓から逢魔ヶ谷に通じる間道の一つがが通っているところですジャ」
寅吉の補足に智恵の不安はさらに大きさを増す。涼もうなずき、
「寅吉親分、急いでその間道に出たい、近道はねぇか?!」
「なら、この森を突っ切るのが一番ジャ、ついて来てつかぁーさいっ!!」
その焦燥を受け寅吉は腰の山刀を抜くと猛然と先の方角に突進し始めた。
‘‥‥’体に押し入ってきた”力”が麻痺していた横島の意識を目覚めさせる。
「これで起きるはずだが」
初めて聞く声が耳に届く。
「意識のないまま運ぶ方が手間は掛らぬものを。田丸もそうだが、貴様にもまだ”僕”としての心が根付いていないようだな」
「余計なお世話だ!」今度は聞いたことのある声が上擦って応える。
「意識のないまま”肥やし”にしては楽に死なせてしまうわ。俺がこんな目に遭ったんだ、爺ぃもそうだが、そいつに関わった者、誰一人として楽に死なせるつもりはない」
言葉以上にひしひしと伝わってくる憎悪の”気”に横島は思わず身を震わせる。
話し手たちはそれに気づいたようで、聞き覚えのある声が、
「狸寝入り?! とっとと起きろ! もたもたすれば蹴り上げるぞ!」
嘲笑と威嚇の両方が入った叱咤で横島は飛び起きる。なお、足腰に力が入らずいったんは転びかけるが何とか踏ん張る。
目の前には二人。声で判っていたが、一人は初めて見る男で山伏の装束。もう一人はご隠居を追ってきた七人の一人で一番の若手。田丸と同じく”僕”に選ばれたに違いない。
「小僧! 俺達についてこい、”主”と対面させてやる」
男はそれが素晴らしい事のように告げる。その上で、楽しくて仕方がないと、
「逃げたくば逃げても良いぞ。それでお前を殺すようなことはせぬから安心するが良い。 うん‥‥ 『何故?』とは決まっておる! 死なせてしまっては”肥やし”がどのようなものか体験してもらえぬからな」
ここで声の調子が一段階突き抜けると、
「儂はまだだが、なかなかに面白いものらしい! 我が同輩など感極まったか『死なせてくれ!』と声の限りに泣き喚くほどよ。まあ、声が出せているのは最初の半刻ほどであとは声も出せぬようになったがな。しめておよそ二刻、息が止まった頃には骨と皮のみ姿になっておった」
支離滅裂な話を聞くまでもなく虚ろに光る目の色から若侍が狂気に至っている事を悟った横島は背中にじっとりと滲む冷たい汗で身震いをする。
酷い扱いを喜ぶ趣味はない。何とか逃げ出そうと思うが‥‥ さしあたりは無理と解る。
二人とも逃げる事を当然と備えているし、狂気の男はそれを期待している節もある。
”僕”として(とりあえず)命を取るつもりはないがそれを奇貨として自ら”楽しもう”と手ぐすねを引いている感じだ。
促される中、せめて少しでいいから注意が逸れることが起こらないかと、時間をかけ足を踏み出す。
もちろん、そんな都合の良い事−奇跡など起こるはずも‥‥ 『なく』と続くはずが、
がさっ! 茂みが動くと横島と二人の間に野ウサギ、続いてそれを獲物としているのか山犬が飛び出した。
突然の乱入者(?)に注意を逸らす二人。対する横島はその奇跡に身を翻した。
横島は木々の間を全力で駆ける。
ありったけの力で走る自分に追いつける人間はそうそうはいない。”瘤”により力は増してはいるがそれでも人狼の少女ほどの追う力はない‥‥ と思いたい。
どれぐらい走ったか。限界を越えた瞬間、文字通りにぶっ倒れる。乱れきった呼吸のせいで動くことはもちろん考えることすらままならない。
しばらくして体を起こすが膝が笑って上がれない。もし、敵が追いついてくればこれで終わり‥‥
茂みが揺れた事に緊張する横島。半ば以上あきらめ待っていると山犬が姿を現す。
「お前かぁ」止めた息を吐く。
足腰の立たない今、一匹でも十分に脅威のはずだが、何故か恐ろしいという気持ちが湧かない。
漠然と自分を救ってくれた山犬と判ったこともあるが、何よりその暖かく穏やかな目は‥‥
「お‥‥ おキヌちゃん?!」横島は脈絡もなく浮かんだ名前を口に出す。
その言葉に合わせたかのように山犬の背から白い影−おキヌの姿が浮かび上がった。
「よく判りましたね。さすが、横島さんです」
自分を見分けてくれたことを喜ぶおキヌ。
「まあ、何となく心に浮かんだことを言っただけなんだけど」横島も照れ笑いで応える。
心に余裕ができたせいか少しよろめくが立ち上がることもできる。
ゆっくりと再開を喜び合いたい気持ちや尋ねたい事−ここに現れたことや動物を操れるかなど−もたくさんあるが、今はまだ安全とは言えない。
「おキヌちゃん、急かすようで悪いんだけどすぐにここを離れよう」
「あれ?! 横島さん、背中、帯に何かくっついていますよ」
「へっ?!」先行しかけた横島はおキヌの言葉で足を止める。
言われるままに手を背中、腰の辺りへ。触れたモノを掴むと手を戻す。
モノは紙を切り抜いた三寸ほど人形−式神。ここまで逃げ切れなかった理由が判明する。ちなみにれいこが気づかなかったのは常に自分よりも前でいたからに違いない。
「もっと早く気づいていたら‥‥」手にした人形を睨つける横島。
どちらかといえば自分への怒りで増した霊圧が紙片を燃え上がらせた。
その様子をおキヌはやや困惑して見る。
頼もしいと思う一方で自分を責めているのが痛々しい。
その気持ちを察した横島は気まずそうに笑みを‥‥
浮かべかるが、背後に殺気に似た”気”を感じる。
振り返ると同時に闇を分けるように胴が異様に長い狐に見える獣−二人は知らないが田丸の式神・管狐−が飛び出す。一度着地した管狐は勢いをつけ横島へ躍りかかった。
「うわぁぁ」
ぎりぎりでかわす横島だが、奇襲ということもあってバランスを崩してしまう。
‘ダメかっ!!’目を閉じるが何も起こらない。
見ると管狐の足が止まっている。おキヌがその鼻先を横切ったからだ。
剥き出しの霊体に興味をそそられた管狐は攻撃的な目をおキヌに向ける。
「おキヌちゃん!!」声にならない叫びを上げる。
判断以前におキヌに飛びかかる管狐の間に体を投げ込む。同時に掌に生じた高圧霊力塊をその鼻先に叩きつけた。
ある意味、快心の一撃の形だが、この場面、智恵かれいこがいたならば、実力を行使してでもそれを阻止したに違いない。というのも、急激に高められなおかつ安定していない霊力の塊はともすれば予想外の反応−暴発を生み出すからだ。
実際、不必要に高まった霊力塊は管狐を動かす霊力と激しく反応、爆発を引き起こす。その威力は管狐を粉々にする一方で横島の体を煽り木の幹に叩きつけた。
無意識の受け身に関しては神業を持つ横島であっても限界はある。後頭部を幹にしたたか打ち付け、意識は一気に暗闇にはじき飛ばされる。
「はて、この辺りのはずだが?」
肩に意識のないれいこを担いだ田丸は足下にある焼け焦げた紙片−式神の残滓−を見つける。
手持ちでは最強の式神がこういう風になるということは、件の小僧の霊的戦闘能力がかなりであることを示唆している。出合った時の無様さが演技でないとすれば驚くべき短時間で”化け”たことになる。
‘捜しだし始末をつけるべきではないか‥‥’
”瘤”によりもたらされる”主”への忠誠心がそのような判断を生み出す。
この場を見る限りそう遠くに行っている様子はない。捜索のための式神を出そうとする動きが止まる。
『小僧など捨て置き戻れ!』 と心に”主”の声が響いたためだ。
れいこを降ろしうやうやしく跪くと中空に顔を向ける。
「我が”主”よ、なぜ止めるのですか? あの小僧もなかなかの霊力の持ち主、”肥やし”はいくらでも入り用でしょう?」
『今はその小娘が惜しい、疾く連れてまいれ』
「急ぐには何か理由でも?」
『かの浪人と女除霊師がそちらに向かっておる。そいつらと出会えば”虻蜂取らず”になりかねんわ!』
「ならば我が手でその者たちも討ち果たしましょう」
『できもせぬことを言うものではない』”声”に嘲笑が込められる。
『お主が人の心を持つ内にかの者たちと戦いたいと思っているのは知っておる。が、我が命を無視する勝手は許さぬ』
言葉と共に心臓がつぶれるような痛みが田丸を襲う。
『心は残っておるやもしれぬが心の臓は妾が手の内にある。握りつぶすなど動作もなきこと、良く憶えておくがよい』
「わ‥‥ 判りました。”主”のおおせのままに」
絞り出すようにそう言うと嘘のように痛みが引いた。
田丸が立ち止まった場所からそう遠くない茂み。
人の気配が去ったことでおキヌは”全身”に張り詰めていた緊張感を解く。
そままましばらく”息”ひそめ危険が去ったことを確認。余計な音を立てないよう気を配りつつ手近な木の虚に移る。そこに”体”を持たせかけると眠りに入るように”目”を閉じた。
『それにしても‥‥』とおキヌは意識のない横島の体の中で深いため息をつく。
一見何ともなさそうなのに、肉体的にも精神・霊力的にもその限界を越えた状態にあることに気づいたからだ。
(おキヌは知らないが)昼いっぱい出せるだけの霊力を出し続け夕方から夜半までの緊張連続。次いでれいこに朝まで目を覚まさないほどの霊力を打ち込まれたかと思うと強制的な覚醒。止めに先の爆発となれば、そうなっていて当然なのだが。
おキヌは横島の意識を穏やかに抱きしめる。
『横島さん、危険は去ったようですし少し休みませんか。ここで無理をすると体も心もダメになっちゃいます。私がついています、安心して眠ってください』
そうやさしく語りかけると心に浮かぶままに、
『この子の可愛さ限りない 山では木の数 萱の数
尾花かるかや萩ききょう 七草千草の数よりも ‥‥
寅吉がいうところの”逢魔ヶ谷”を作る尾根の一角、その斜面にある洞窟を降りる田丸。
本来は光のまったくない場所だが、出入りする”僕”の用に最低限の明かり−獣脂による灯火−は用意されている。
しばらくして開けた場所に出る。
そこはいっそう薄暗く並みの人間なら闇に変わらないが”瘤”により拡大された感覚のおかげでそれほど不自由はない。
眼前に視野を遮るほどの主−死津喪比女−の巨体が。上下左右差し渡し三間ほどの大きさは、場所が狭さもあって小山のような印象を与える。その麓(?)には幾十人分もの”肥やし”とされた者たちの死体が無造作に転がっている。
いずれも干涸らび、それ自体はあまり腐ってはいないが死に至るまでに流された様々なモノが普通の人間であれば一瞬たりとも耐え難い臭いを放っている。
もちろん、すでに”普通”でなくなっている田丸にとりその異臭も光景も心を動かすものではない
‥‥と言いたいところだが、心の一部に嫌悪を感じる。すでに意味のない人としての感情をしぶとく残す自分に苦笑する。
担いできたれいこをゆっくりと降ろすと跪く。視野の端に全身を硬直させ倒れている犬塚の姿を認める。
「さすが我が”主”、人狼など一ひねりというところですか」
「当然じゃ! 犬っころ一匹、何ほどのこともあろうか」甲高い声での返事がくる。
「それにしてもバカな奴よ。せっかく呪縛から逃れられる機会を得たのに、怒りに我をわすれたのか、わざわざや(殺)られに戻ってくるとは。あの場でおれば助けてもらえたかもしれぬのにな」
「この者なりのけじめ、死に場所を求めてのことだろうよ。貴様にそれを嗤うことはできまい」
”山”の中頃にある人の目のように見える感覚器の集合体が冷笑するような揺らぎをもって”僕”を見下ろす。
表情を変えずそれを受け止める田丸。
「それにしてもまだ息をありますが、何故生かしておくのです? 二度も”目覚めた”からには、もはや操るのも難しいのでは? まさか、慈悲を持って生かしてやろうと‥‥」
「妾にそれを言うか?」
『慈悲』という言葉が可笑しくて仕方がないという感じの死津喪比女。
「同じ”肥やし”にするにしても回復させた方が多くの”力”が得られるということに過ぎぬわ。今宵は十三夜、満月を待っても遅くはない。それに今宵は、お前のおかげでそれに代わる”肥やし”も得られたことだしな」
満足気な返事に良い機会と田丸は立ち上がる。
人が”肥やし”となるところは十分に見た。人としての感情が残っている今、できればつき合いたくはない。
半ば意外なことだが、数歩下がっても”主”から引き留める”声”はない。”主”の気まぐれが代わらないうちにと回れ右でその場を後にする。
死津喪比女が”僕”が下がるに任せたのは足下の少女をどう”料理”するか考えていたからだ。
これまで通りとすればこの場で霊的中枢に”根”を撃ち込みその全霊力−生命を吸収して終わり。もちろん、それで十分なのだが、せっかく手に入れた獲物の利用方法としてはいささか物足りない。
そう。いずれ来るであろう連中の目の前で引き裂くのも面白い。ありふれた使い道だが生かしておいて人質というのもある。
さらに言えば、”瘤”を植え付け操るのも‥‥
もっとも、最後の思いつきについては、これほどの高霊力者を従属させるのはそれなりの時間と労力が必要で、それだけの値打ちがあるかは微妙なところだ。
まとまらないまま”肥やし”にする前段として”根”を動かし少女に巻き付かせる。同時に”根”から霊力中枢の位置を精確に測るための霊波を送り込む。
‘?!’
はね返ってきた手応えに微妙な違和感があった死津喪比女は(実際はソレに相当する部位はないわけだが)頭を傾げる。
あらためて調べると、魂に何か異質なモノが癒着・一体化していることが判った。
モノが何かと言うことについては”母”から受け継いだ知識にも該当する物はない。言えるのはそれがとてつもない密度で構成された霊力の塊−いわば”魂の結晶”−だということだけ。その総量の千分の一、いや万分の一もあれば”母”を囲う霊力堰を粉々にできると思われる。
なぜ人の魂にこのようなものが付随しているかは問題ではない。問題は、どうすれば利用できるか。死津喪比女はそこに思案を集中する。
残りの構成もほぼ固まり、「その前日、前後編」・「山の上で(仮題)、三〜四編」・エピローグ編の予定。今少しおつき合い下さい。 (よりみち)
今回提示された魂の結晶がどの様に物語に絡んでいくのか、楽しみに次回を待たせていただきます。 (UG)
>確定した未来を伏線に用いる場合‥‥
頭の中では、正史の未来には繋がっているはずですか、如何せん書き手が書き手ですから‥‥ パラレルワールドに入った時は、そう言う作品だったということで、笑って済ませてください(自爆) (よりみち)