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何度目かの人生を。

何度目かの人生を。 五回目。


投稿者名:if文
投稿日時:07/ 1/29

 ―――メドーサが白竜寺を空けてから、ちょうど四日目。

 雨…。
 雨……。
 雨………。

 …気の滅入るようなどしゃぶりの雨が、朝からざーざー、と。
 ぼろい母屋は雨漏りし、古い道場は屋根を叩く雨音が煩くてしょうがない。

「だーもうっ! なんだってんだこの雨はよっ!」

「てめー俺のパンツに当たるんじゃねぇよ! ちゃんと伸ばさないとしわになるじゃねぇか!」

 雨に苛立つ雪之丞が洗濯物のパンツを畳に叩きつけ、陰念が文句を言いながらもきれいにたたみ直す。意外とマメな性質らしい。

「うるせー! 俺はパンツたたむために白竜寺にいるわけじゃねー!」

「いや、意味わからんから。つぅか、パンツくらいちゃんとたためないのはみっともないぞ雪之丞」

「そうよ〜。しわしわの下着なんて履いてたらみっともないでしょう?」

「そうそう、みっともねェぞ雪之丞。俺はテメェのパンツまでたたむ気はねェからな?」

 パンツ一枚でえらい責められようの雪之丞だが、山となった洗濯物を前にして朝から既に五回目の若者の主張。
 いい加減、相手するのが面倒臭い…つぅか、いらつくからダマレ。

 普通はこんだけウザがられたら大人しくなりそうなものだが、相手は空気を読まないことについては定評のある男、雪之丞。

「うるせーっ! 俺は一刻を惜しんで強くならなきゃならねぇーんだよ!
 パンツのことなんか知るかー!!」

 「ママにそう誓ったんだよぉー!」と吼えるように叫ぶ雪之丞に、母屋の居間に揃ったほか三人の白竜寺門下生は心をひとつに思った。

 んもう、本当に面倒臭い人っ! ……と。

「なァちょっと本当にあんた勘弁してくんないかコラ面倒臭い人」

「少し落ち着いてちょうだいよ私たちだって雨でイライラしてるのは同じなのよ面倒臭い人?」

「だいたいおまえだって洗濯物出すだろうに一人だけたたむのが嫌とか全力で主張するのは良くないと思うぞ面倒臭い人」

 いらいら。ぴりぴり。

 陰念、勘九郎、俺の三人は、ぎしぎしと圧力を感じさせるほどの霊圧を込めて、いまだに大騒ぎしている面倒臭い人に諭す。
 白竜寺門下生同士の私闘はメドーサに禁止されているから、全員で襲い掛かってフクロにするわけにもいかん。
 魔装術を使える人間が本気で喧嘩して、白竜寺を覆う結界の外に気配が洩れると困るから、当然の措置だ。
 が、目の前の面倒臭い人にはそんな理屈は関係ない。

「…んだよ、文句あんのかてめぇら?
 …ならかかってこいよ! 全員まとめて相手になってやるぜ!!」

 このように、荒事に発展しそうな空気になると逆に大喜びするからだ。
 パンツ片手にヤル気満々で挑発してくる雪之丞。その目がきらきら輝いている。

 こいつの脳味噌にはメドーサの言いつけってどういう風に記録されているのだろうか。

「アホか。ここで喧嘩して、あのねーちゃんにガチで怒られたら怖いじゃねーか。
 俺はそんな旨みのかけらもない喧嘩なんかする気にならん」

「俺も横島と同じ考えだな。蛇女にどつかれたら頭が割れそうだ」

「私もね……というか、あんたももう少し考えて行動しなさいよ?
 勢いだけで生きていけるほど世の中って甘くないのよ?」

 さら〜りと流す俺達。当然だ。
 陰念と勘九郎は痛いの嫌だし、俺はあのねーちゃんを怒らせてご褒美が遠のくのが嫌だ。
 山となった洗濯物も片付けなきゃならんしな。

 俺達の冷たい答えに、エキサイトしていた雪之丞にも少しは理性が残っていたのか「むぅっ!」と言葉を詰まらせ黙る。
 やはりメドーサに怒られるのはこいつでも怖いらしい。
 実際、調子乗ってると殺されたり洗脳されたりするしな。

 だが、雪之丞はやはり雪之丞。

「でもやろうぜ!」

 ぐっとサムズアップ。
 にかっと笑いながらのたまう雪之丞。

 うむ、頭カチ割ってやりたい。

 どんだけ脳味噌つるつるなんだキサマ。
 こいつの半分くらいは『けんか』で構成されているに違いねぇ……ちょっと悩んだくらいじゃ意味ねーっす。
 きっと魔装術使わなけりゃ平気だとか思ってやがるんだろうが……そういう問題じゃねぇっつーの。

 メドーサが俺達に求めているのは優秀な手駒であることであって、仲間になることじゃない。
 つまり現在の俺は手下ですらない手駒さんなのだ。
 存外メドーサの手下になるのは難しいのさ。

 ともかく、そんな鉄砲玉とドッコドッコイな俺達が言いつけを破ったりしたら、厳しいプロ意識に基づいてサクッと殺されるかもしれん。

 …まぁ、雪之丞たちなら多少逆らっても今はまだ殺されやしないだろうけどな。魔装術まで身に付けた割と優秀な手駒だから。
 逆に考えると、まだ魔装術を身に付けてないことになってる俺が逆らったら、ぶっ殺されるかもわからん。
 戦っても負けはせんが、竜族は正面からガチでやり合うのは面倒臭い相手ではある。
 メドーサと戦う意味もねーし。

 というわけで、俺だけは雪之丞と遊んではやれん。
 大人しくしておこう。


 ◆


 居間の壁を背もたれにして、ずずっと茶を一口啜り、湯飲みを板張りの廊下に置く。畳にお茶をこぼすのはよくないからな。
 そうしてのんびりと、陰念と勘九郎の二人掛りで雑巾みたいに捻り絞られている雪之丞を見ていたところ―――

 ゴシャンッ!

 と、なにかを濡れた地面に叩きつける大きな音が、白竜寺境内に響いた。

「……山門の方からだな」

「そうなのか? 一体なんだ?」

「さぁ…なにかしら?
 ……侵入者にしてはちょっと派手よねぇ〜?」

「ぐええぇぇ〜……」

 むぅ…面倒だが、見に行かないわけにもいくまい。
 そして俺は今、誰よりも廊下に近い男。

 すっくと立ち上がる。

「じゃ、俺が見に行ってくるわ…」

 面倒臭いけど。

「あら? いいわよ、私が行くから」

「あ、そう? なら頼むわ」

「ええ、まかせてちょうだい」

 と親切な中に何事かを隠しているようなすまし顔で、雨の中、外へ出て行くオカマ。
 がらり、ぴしゃんと戸を閉める音が聞こえたのを確かめてから、俺も続いて居間を出る。

「あ、陰念。雪之丞、もう白目剥いてんぞ」

 ついでに雪之丞も助けておく。


 ◆


 ジャー、と水音を背にトイレのドアを閉める。

「ふー…すっきりした」

 お茶飲みすぎたな。

 さて、唐突な話だが、昨日一昨日あたりは実のところメドーサが天龍童子を襲う頃だった。
 俺が最初の人生でメドーサと会ったのはこの天龍暗殺未遂の時…色々あってメドーサは天龍の霊波砲で重症を負い、小竜姫さまとの決着を着ける事無く逃げていった。

 そして『その時』はじめて見たメドーサは、四日前に見た例の時代錯誤な外套姿だった。

 …俺が美神令子除霊事務所にいなくても別段困らない頃だし、たぶん最初の時と同じように進んでいるだろう。
 大体『いつも』そんな感じだし。

 けど問題はこのあとなんだよなぁ…

 シャツをズボンに託し込みながら母屋の廊下を進み、つらつらと考える。
 ウグイス張りでもないのに、古い廊下の板はきゅっきゅと鳴く。ボロい。

「―――ん、やっぱりね」

 縁側から辿ってきた水と血の跡は、思ったとおり『離れ』の障子の向こうに消えていた。
 その離れに至る渡り廊下をこちらに向かってやって来る、黒い胴衣の大男。

「横島!?」

「よぉ、勘九郎…やっぱりさっきの音はメドーサさまだったみたいだな」

 驚く勘九郎に、わざと気の抜けた調子で声を掛ける。
 渡り廊下の向こうから歩いてきていた勘九郎だが、目の前に来るまで俺に気付かなかったらしい。ぼけーっとしてやがんな。
 ゆっくりと警戒を滲ませる勘九郎。

「…なぜメドーサさまだと思ったのかしら?」

「ほれ、血の跡がな…怪我してるのか?」

 微妙に不自然な誤魔化し。完璧すぎる方が疑いは尾を引く。
 まぁ、本当はこうなることを知っていただけだけど、そんなこと言っても信用されるわけないし。

「……ええ、でも大丈夫よ。私にも下がっていろと仰っていたわ。
 そう深い傷でもないんでしょうね」

 言葉を選んで答える勘九郎に「ふ〜ん」と適当に返事を返しながら、勘九郎と連れ立ってその場を立ち去る。
 隣に並ぶ勘九郎を目の端に捉える。まったく慌てた様子がない。

 ―――それが逆に動揺していると知らせているようなもんなんだが。

 普段の勘九郎ならこんな無感動な態度は取らない。うそ臭い心配顔を張り付かせ、くねくねと俺達の不安を煽るだろうさ。
 勘九郎の動揺っぷりはそのまま、メドーサの怪我が重いらしいと俺に示している。
 あの女が完全に人払いをするということも、そのことを確信させる。

 たぶん、メドーサは弱っているところを襲われないように警戒しているのだ。
 白竜寺の門下生は勘九郎を除いて皆がメドーサに逆らいうるのだから、その判断は正しい。

 けどそれは、今のメドーサには自分が消耗していること俺達に隠す余力すらないということだ。
 どれほど消耗しているかは知らないが、今回はやばいかもしれん。

 最初の人生の通りなら、メドーサがここで死ぬことはありえないが……今回は俺がここにいる。
 繰り返す人生でも、なにがどう作用してどんな結果をもたらすか、完全には予測できない。
 ここでメドーサが死ぬことも、その時の条件次第では有り得ることだ。

「ど〜すっかなぁ〜」

「なにがよ?」

 わざと口に出した言葉に勘九郎が即応する。過敏だ。

「いや、夜這い。怪我してるなら負担かけないほうがいいかねぇ〜、と」

「ええ、今夜は止しておいたほうがいいでしょうね」

 間髪いれず、やはり即答。判断するのが早すぎる。
 俺はこうして、傍目にはいつもの横島忠夫のまま、勘九郎の反応からメドーサの現状を冷静に推理する。
 心の乱れている今の勘九郎には、まったく普段どおりに振舞う俺の胸のうちまで悟ることは出来ない。

 その後も勘九郎を突っついて色々と判断の材料を集めた。
 あくまでも世間話のつもりで答えを返すが、今の奴は不自然の塊。いくらでも欲しい答えを吐いてくれる。
 ……いや、オカマって時点で十分不自然だけどな。

 ……むぅ…しかしメドーサのやつ今回はマジでここで死ぬかも。
 これはどうあっても今夜中に『離れ』に行ってみないとな。


 ◆


 夜も更けて雨も上がり、夜空には月と星。
 『変』の文珠と本堂に転がっていた仏像で作ったダミーを布団に残し、『穏』で身を隠してやって来ました離れ前。
 勘九郎の目が厳しかったので結構苦労した。文珠二個も使うとは思わなかったね。打ち止めだわ。

「鈍ってるなぁ……色々と。
 ……まぁそのうち鍛えなおしますカイノー」

 影の薄そうな言葉遣いで声を潜めながら、シュッと障子をずらして離れの中に滑り込む。
 十畳程度の広さとはいえ、離れの中は明かりもついていないから暗いことこの上ない。

「って、あ〜あ〜……」

 離れの奥。障子を抜けて差し込む月明かりから逃げるようにして、傷だらけのメドーサが倒れていた。
 手足を縮こまらせ、まるで胎児のように身を丸めた姿。

「―――さもなきゃ焼死体だな」

 …が、よく見ればメドーサの体は小さく震えている。まだ生きている。
 ひゅうひゅうと、笛を吹くような呼吸の音が聞こえる。
 案外しぶとい……というか、今まさに最後の時?

「ふむ、嫌な時に来ちまったかもなぁ〜……」

 最後を看取る〜とかは白々しくて好きじゃない。
 俺の知っているだけで、この女は何回最後の時を迎えているやら……。

「まあ今回は死ぬ方だったということで、成仏してください……ん、仏に成っていいのか?」

 魔族なのに。

 …まあ今回の目的達成はならずってことで、新しい目的探しの旅にでも出よう!

「じゃ、そういうことで……」

 くるりと回れ右、メドーサに背を向けて離れの障子戸に向かおうとして―――

 目が合った。

「オオオオオオオ―――……」

「…………」

 …どうやらいつの間にか文珠の効果が切れていたらしい。
 顔見知りのビッグ・イーターが六匹…障子の隙間からこっちを見ていた。
 小動物ちっくなその仕草が逆にキモイ。

 誰にも気付かれずに逃げようと思ってたのに、こいつらに見つかったら暴れにゃ逃げ切れんがな。暴れたら勘九郎とかに気付かれるがな。めんどいがな。

「…………」

「…………」

 言葉もなく睨みあう。

 ……どうやら離れの中までは入る気はないらしい。
 俺が離れを出てから襲い掛かってくるつもりなのだろーか。

「…………」

「? なんだよ?」

 無言のまま、くいくいと身を揺する大口ども。
 なに? 後ろ後ろ〜……って、ぎゃー!

「…う、……横島、か?」

「…………うす、横島っす」

 薄っすらと目を開けたメドーサが、朦朧とした様子で侵入者であるところの俺に誰何の声を上げた。
 ……で、その声につい答えてしまった。アホか俺は。

「……何しに、きた………ああ…夜這い、か……?」

「左様でございますです、はい……」

「…はっ、は……悪いが、いまは、相手してやれそうに、ないねぇ……」

 話を合わせながらメドーサの様子を窺う。
 パッと見で死に体だったのにまだ余裕がありそうだからな……技術どころか目も曇ったか、俺。
 生まれ直しの材料にされたら堪らんので、なるべくメドーサから距離をおく。

「いくら俺でも、怪我してる女の寝込み襲ったりしませんよ?」

「……そうかい? ……でもだったら……ああ、私が勘九郎に、口止めをした…だっけ、ねぇ……」

「メドーサさま?」

「そ、うだ…おまえに魔装術を伝えるんだっ、たか……」

 だんだんと、メドーサの様子がおかしくなってきた。
 こちらの話を聞いていない……目も虚ろ。呂律が怪しい。

 メドーサはそのまま辻褄の合わないことをむにゃむにゃ呟いていたが、突然、こてんと頭を畳に落として静かになった。

 ……死んじゃったかな?

「あ、まだ生きてる……竜族って本当にしぶといなぁ〜……」

 近寄って口元に手をかざせば、弱々しい呼吸を感じた……てぇか持ち直してないか、この女?
 …いや、ろうそくの最後の火が云々ってやつだな、うん。

 経験上、このメドーサの反応は、ほっとけば死ぬパターンだ。
 なんか今回は今までの繰り返しが時々当てになってないけどな!

「……」

「オオオオ―――……」

 ちらりと肩越しに後ろを見やれば、いまだにうねうねと大口が……って、ちょっと待て。
 おまえらその看護セットどこから持って来た?

「手拭いとか救急箱はまだわかる……
 が、水を張った盥とか、どうやって持って来たんだ……手もないのに」

 もだえるな。別に褒めてない。

 ……しかし、ここから逃げるにはやつらを片付ける必要があり、それをすると勘九郎とかに気付かれる。
 そうすると逃げるのが面倒臭くなるし…諦めてメドーサの看病でもしてやりますか?
 なんだかんだで、今回はまだこのねーちゃんと一発もヤってねぇし。
 元を取れてない気がするな。こう、心情的に。

「そう、あくまでも仕方なく、だ……ほんとなら俺は逃げる気満々だ」

 大口とメド子しかいないのに、それ以外の誰かに言い訳する気持ちでぶつくさ呟く。
 受け取った手拭いを水で湿らして傷口を拭い〜って、服と血のせいで何にも見えねぇよ。

「おお! つまり合法的に脱がしちゃってもいいってことっすね!」

 怪我人の寝込みを襲うなんて気が咎めるが……これも救命活動だ。仕方がないのだよ。

「命を救うという崇高な行為の前では、俺の不満などカスみたいなもんだってことさ……ククク……」

 ぱっぱっぱーと竜神の装具を取っ払い、深め傷や腹にあいた特に大きな傷口を清潔な布で拭う。同時に消毒。
 細かいのは放っておいても問題ない。なんといっても竜族だ。人間とは治癒力が違う。
 途中で余計なところに手が伸びそうになったり、実際に伸ばしてみたりしたが……まあ、役得ということで。


 ◆


 離れを漁って見つけた見覚えのある浴衣を着せ、適当に敷いた布団にメドーサを寝かせた。

「あい、おしまい〜……って、このままじゃ、やっぱり死ぬなぁ」

 傷の処置は完璧。が、ちょいと血を失いすぎたようだ。これ以上は本当に死ぬかも。
 ……文珠があれば一発快癒なんだが、ないもんは無い。
 こうなれば傷口から俺の霊力を送って自己治癒力を補強するか? 魔族相手に効くかは知らんが。

 まあ、どうせなら助けようかねぇ……うん、ここまでしたんだし。
 『次』にこの乳に会えるのがいつになるかもわからんし。

「……本当は俺が関わるようなことじゃないんだけどなぁ〜、と……」

 俺のいない場所で起きたしがらみには、あまり関わりたくないのだ。
 おこがましいというかなんというか……なんか恥ずい。
 気を取り直して、仰向けに寝かせたメドーサの頭を腹に抱え込み、大きくあいた腹の傷口に手を伸ばす。
 その傷口から、メドーサの体に霊力を注ぎ込む。

 我ながらなかなかの霊力量だ。生々しい体験のあとで煩悩が漲ってるからな!
 どうやら効果が出始めたようだ。青褪めていたメドーサの肌の色も薄くなっていた呼吸も、幾分か良くなってきた。

「……ここまでするのは俺的ルール違反のような気もするが……まぁ気にしないでおこう」

 『今回』実りある人生を送るための、必要悪だと割り切ろう。


 ◆


 いつの間にか眠っていたらしい。
 まぶたの向こうから射す日の光。庭を跳ねる雀のさえずり。
 俺はどうやら手足を大の字に放り出した姿勢で寝転んでいるようだ。
 脳だけがはっきりと意識を取り戻している。
 体の感覚はフィルターが掛かったように曖昧で、まだ休息を必要としているのだとわかる。

 ―――起きるか。

 そう意識して声に出さないと、このまま寝入ってしまいそう―――と、声に出ていないな。
 長時間の霊力放出のせいで、酷く疲労しているのだ。

 どうも自分の実力を過信していたらしい。
 昔よりも遥かに器用になってはいるが、霊力の総量は『この頃』のものなのだ。
 単純に霊力の量に関わることは苦手ってらしい。
 惰眠を貪りたがる体を無視して、無理矢理に目を開いた。

「……知らない天井―――でもないぞ」

 はじめに見たものは、離れの天井じゃあなかった。
 ならなんだと言われれば……いや、なんだろうこれ?

 視界のほとんどを占める、正体不明の何か。
 それが俺の頭の上に庇のように陰を作っている。

「ん、起きたか?」

「……あれ、メドーサさま?」

 庇の向こうから、逆さまのメドーサの顔が覗き込んできた。
 って庇じゃねぇ…この大きな影はメドーサの乳だ。すげぇ。でけぇ。

「傷はもういいんすか?」

 内心では目前の大迫力に欣喜雀躍して煩悩を漲らせているのだが……。
 装うことになれた俺は、さも気にしていないような表情でメドーサに問う。

「……ああ、お陰さまでね」

 答え、くすりと笑みを浮かべるメドーサ。
 あれ? ひょっとして見透かされてる?

 次いでメドーサはその冷たい手で俺の前髪を除け、額に当ててくる。

「どうやら熱も下がったみたいだね……」

「熱? 俺がっすか?」

 あんたじゃなく?

「ああ。私の傷を塞ぐのに霊力を注いでいたんだろう? 治りが早すぎる。
 ……私が気づいた時には、おまえは霊力の使い過ぎで畳の上にひっくり返ってたよ」

 言いながら額に当てていたその手をずらし、俺の頭をゆっくりと撫ではじめるメドーサ。

 ……おおう。なんかみっともない……。

 膝枕の上で頭を撫でられている現状が……ではなく、俺がメドーサを助けるつもりで逆に世話を焼かれているということが。
 なんか、偉そうなことを色々と考えていただけに、余計恥ずかしい……。

「―――って、おお! 膝枕!? なんか気持ちいいと思ったら!」

「ああ……まぁ精々堪能しな」

 笑みを強めるメドーサ。
 俺の頭を撫でる手がより優しげなものになる。…って、いかん煩悩が溶かされる!
 ああ〜…しかし後頭部がやわっこくてあったかくて…クセになりそう。

 間違いなく蕩けきった顔をしているんだろうな、俺。
 そんな俺を楽しげに見ていたメドーサだが「そういえば…」と俺の頭を撫でる手を休め、迫力満点の胸の向こうから覗き込んできた。
 細く長い髪が、俺の頬まで落ちてくるからくすぐったい。

「おまえ、離れに辿り着いたみたいじゃないか?」

「ああ〜、そういえばそうっすね〜」

 文珠使ったからルール違反で無効だけど。
 朦朧としていたメドーサには気付けなかっただろう。
 昨晩も似たような話をしたはずなのに、覚えてもいないようだし。

「それで…どうする?」

 つまり夜這いがか!

「どうもしませ〜ん。
 霊力使いすぎて動くのがしんどいですし、今回はノーカンにしておきましょ〜?」

 と表面上では蕩けつつ、心中で血の涙を流して遠慮する。
 大口どもが告げ口とかできるのかどうか知らないが、すこし調べられたら完璧すぎる侵入方法に疑問を持たれるかもしれん。
 文珠は俺の奥の手だ。隠し通せるならその方がいい。

 となれば、事は有耶無耶にしておいた方がいいのだ。メドーサが気にしないようにな。
 夜這いは自分ルールと違って相手がいることだから、ルール違反もしたくないし。

 ……いや、ただの強がりなんだけどな。畜生!

「そりゃ残念だねぇ。もう二度とこんなチャンスはないかもしれないのに…」

「んなこたぁありませんて! 俺の煩悩を侮られちゃ困りますよ!?」

 などと、メドーサの笑いを含んだ脅しに対して身振りを交えて力説してみせる。
 メドーサはそれを見て、楽しそうに声を上げる。あらやだ、なにげに可愛いぞこの女。


 ◆


 優しく撫でられる。
 あやすように撫でられる。
 撫でられてるお陰で煩悩すら湧いてこない。

 気がつけば、されるがままにぼけーっと時間を過ごしていた。
 随分と時間が経ったはずなのに、誰もここまで俺を探しに来ない。
 俺が修行しないでよく行方を眩ませてたせいでもあるだろうが、メドーサの言いつけがあるのが大きいか。

 それにしても……むぅ、ちょっとまずい気がする。なんか妙にメドーサが優しい。
 そもそもなんで膝枕されて頭まで撫でられてるんだ俺は?
 どうやらメドーサの命を助けようと頑張ったせいで、俺に対する評価が犬ころ程度から何段飛ばしかで上がってしまったようだ。
 まぁ今回の俺の行動は、そこに至るまでの事をを知らなかったら、物凄く健気に思えるだろうからなぁ……。

 ―――って、いかん! このままでは身動きが取れなくなりそうだ!

 元が敵の相手と気持ちが通じ合うのは『次』でしんどいので今回はやめようと決めていたのに……通じるどころかラブに発展しそうじゃねぇか。
 我ながらちょいと軽率に過ぎた。

 まぁ、ひょっとしたらまだ軌道修正が間に合うかもしれん。
 やれることからやってみよ〜…

「?…おい、横島?」

「―――てや」

 むにゅ。

 気の抜けた掛け声と共に両手を突き上げ、目の前のでっかい乳を持ち上げた。おお…重たい。
 それまで蕩けていた俺の雰囲気が変わったのを察したのか、ちょうど不思議そうな表情で俺を覗き込んでいたメドーサは、いきなりの事態に対処できなかった。がっしと掴みましたよ、ええ。
 メドーサは一瞬だけ驚いた表情となり―――すぐに半眼となり、ぎりぎりと精神的に圧力を伴う引き攣った笑みを浮かべながら、底冷えするような声で尋ねてくる。

「…なにしてるんだ、おまえ?」

「乳を揉んどります! 目の前にあったもんですから!」

 むにゅむにゅ。
 メドーサから発される圧力が強まり、背に冷や汗が噴出す。
 が、それでもやめない。

「…………楽しいか?」

「うす! ものスゲェ楽しいです!!」

 本当はメド子内での俺の評価を落とそうと思ってしでかしたことなんだが……これは冗談抜きでマジ楽しい。


 むにゅむにゅ、むにゅむにゅむにゅむにゅ。
 ネーチャン相変わらずいいもん持っとりますなぁ!
 バナナで釘が打てるくらいの冷たい目で見下ろされてるのを感じるのだが、気にしない!
 なおも強まるメドーサからの圧力に、この場でぶっ殺されるかもしれんという考えが脳裏をよぎったが、それも気にせん!
 というか、このまま死ぬのもアリな気がしてきた。

  薄い浴衣越しに手の平に染み込んでくる痺れるような温み重みに煩悩が刺激され、なんかもう今回の目的とかどうでも良くなってきた!

「ぬおー! いま俺は天国にいる!」

 殺すなら殺せ! さあ!
 冷たい眼差しで口の端をひくつかせるメドーサに、ノーガードの心構えで臨む。
 メドーサがふっと息を吸い込むのを感じ、いよいよ一撃必殺? と突っ込み待ちの芸人の心境で目を瞑る。
 ―――が、一秒二秒と過ぎても必殺の一撃は振ってこない。
 おかしいな〜? と安心半分落胆半分でちらりと薄目を開く。

 見えたメドーサはむにゅむにゅと胸を揉まれながらも頭を振り―――

「……はぁ、まぁいいけどね。別に」

 そんなことをのたまった。ため息混じりに。

 …………って、ええっ!?

「な、なんですと!?」

 メドーサの予想外の言葉に瞠目しつつも俺の手は依然、乳を揉み続けている。
 いや、これは手の野郎が勝手にだなぁ……。

 ていうか、え? え? 本当にいいんすか!?
 こんなん美神さんが相手だったりしたら、たとえ結婚してても傷害事件に発展しますよ!?

「……まぁ、本来なら契約履行しなきゃならないわけだからな。
 おまえの事情で出来ないのが悪いんだが……このくらいは認めてやるよ。」

 そう言いながらも不機嫌そうなメドーサ。
 しかし先ほどまでの圧力はない。

 ……って、そういう理由かよ! ぬぅ、キカイダーよりも適当に出来ているはずの良心回路が痛む……。

 いや! つーかそれじゃ駄目じゃん! 当初の目的から外れまくりじゃん! 怒らせなきゃーよぅっ!
 良心は痛むがさらなるセクハラでメドーサの怒りを煽らなければ! 心を鬼にするんだ!

「望むところだ!」

「ああ?」

 やべ、本音デタ。
 ヤクザみたいなドスの利いた声出してくるメドーサ。怖い。だが手は動くのです。

「……か、代わりってことはこんなことしてもオッケーすねーっ!?」

 誤魔化すつもりでつい大声をあげ、なにすりゃええねんと一瞬迷い、しかし体は正直だったりする。

「…な、なんだオイ。なにする気―――って、コラー!?」

 最後まで聞く事無く、俺は仰向けの姿勢からぐるんとその場で一回転。
 つまりうつ伏せ。膝枕でうつ伏せ。どういうことか言うと、ヘヴン。

「うおおおおお―――!」

「待て―――そりゃ駄目、ってコラ待てやめろ――!!」

 メドーサの静止の声も聞こえない。
 感動の叫びが俺の口から自然と迸る。くぐもってるが。
 いや、もはや言葉は無意味!

「うぅぅうううおおおおお―――!!」

 心の赴くままに! 叫ぶ!!

「い、いい加減にしろ―――っ!!」

 ズドンッ!!

「ごふんっ!?」

 メドーサの怒声。迸る魔力。へこむ後頭部……全部一度に感じ取って気を失い―――うつ伏せだったせいで鼻をしたたかに畳にぶつけ、その痛みで我に返った。
 え〜、つまり凄いぱんちを人体急所に遠慮呵責無しに見舞われたのだ?

 ―――! いだだだだ! わかったら痛くなってきたっ!?

「ぐあああああ〜…!? め、目玉が飛び出すかと思った〜〜っ!!」

「ち、調子に乗るからだ! …まったく、どういうヤツなんだおまえは…」

 見たとおりのヤツです。
 いささか中身がこぼれそうになってますが。

 あまりの痛みに後頭部を抱えて一人悶絶する俺。うぬぅ超いてぇ!
 メドーサは素知らぬ顔で膝から股の間に落っこちてうねうねと悶えている俺の頭をひょいと持ち上げると、もう一度仰向けにして膝枕の体勢に戻した……あれ?

「…サービスタイムはまだ終わりじゃないんすか?」

 ずきんずきんというより、がっつん!がっつん! と痛む頭に柔らかい感触が響くが、気持ちがいいので我慢しながら尋ねた。

「……私は労う時はそいつの働きに見合うようにきっちり労ってやるさ…」

 と、苦笑混じりに優しく頭を撫でられる〜……あああ〜…痛みが〜、煩悩が溶けてしまう〜!

 って、ちょっと待て! 「労う時は労う」って嘘やん!
 俺が独力で香港の風水盤を完成させた時なんて、チラっと見て「ああ、ご苦労」の一言のみだったぞ! 嘘つくな!
 …と、声を大にして主張したいが、『前』のことを言っても意味がない上に通じない。畜生め!

 俺が密かに育てた悶々に、なにか別の意味を読み取ったらしいメドーサ。
 一瞬、迷うような表情を見せたが、すぐに俺の耳元に口を寄せ……すいません乳が顔にがばっと! がばっときてるんですが!?
 俺の反応なんて予想済みだったんだろうか。思わず身悶えして大喜びする俺の隙を突くように、密やかな声で「それにこれは『お礼』だからな……」なんて言葉が耳をくすぐった。

 お礼。たぶん、治療の。
 ……膝枕は契約の内じゃなかったということか。
 背けられた上に乳が邪魔して、メドーサの顔は見えない。
 でも声に照れが混じっていたのがモロバレなんすけど。

 ……い、いかん。煩悩とは違うもんで胸がどきどきする。
 いらんことをしたせいで、余計深みに嵌ったような気が……。


 ◆


 ―――なんてことが半日ほど前にありました…現在は昼頃。

 白竜寺道場内に集められ、メドーサの前の板張りの床に一列に正座する、四人の門下生。
 道場は相変わらず薄暗い。窓くらい開ければいいのに。蒸し暑いし。汗臭い。

「……おまえたち、いよいよ本格的に働いてもらうよ……」

 緊張した面持ちでメドーサの言葉を聞く勘九郎たち…こいつらにしてみれば犯罪の片棒を担ぐわけだから、真面目に話を聞く気にもなるだろうさ。
 俺はまだ魔装術を伝授されていないことになっているから、世間的にも逃げようと思えば逃げられるが〜……そういう気にはならんな、朝から素敵なサービス受けたばっかだし。

 まあメドーサの下で働くのは過酷っちゃー過酷なんだが、美神さんと比べりゃなんぼかマシなんだよな。
 それなら公認で煩悩満たせるチャンスがあるほうが励めらぁ!

 と、俺が今朝の回想で霊力稼いでる間に話は佳境に入ってきていたらしい。
 まとめると「金が欲しけりゃ働け!」「術の分は元を取らせろ!」みたいなことだ。
 メドーサが未だに癒えきらないはずの体で普段は怠けまくりの弟子の指導に現れたのは、いよいよGS資格試験が迫ってきたからだ。

「おまえら魔装術使いが普通の人間に遅れを取る事なんてまずありえないだろうが、それでも実戦は何があるかわからない。
 油断や慢心で資格を取る前に負けるなんてことがないように」

 ぎろり、と目前に並ぶ俺達をねめつけるメドーサ。
 最後にちょろっと脅かすことで門下生の気を引き締めるんすね。

 …逆効果ですぜメドーサさまよぉ。

 メドーサの視線が自分の上にとまる度に、門下生たちの精神状態は悪い方に転がっていっている。
 陰念はびびっちゃってるし、雪之丞は意味なく燃え上がるし、勘九郎はオカマだし……もぉ、最悪です。
 やっぱこの女、人間育てるのには向いてないよ。
 というか『メドーサ』がガンつけたら、具合悪くなるに決まってるじゃんよぅ…

 ギロッ!

 隣の勘九郎にとまっていたメドーサの視線が、今度は俺に向く。

 ニカッ!

 と嘘臭くも一点の曇りもない笑顔を返す。きらりと光る白い歯。
 メドーサはそっぽを向いて舌打ちするが、その頬が赤い。
 こうして話を始めてから、メドーサの態度は終始こんなんだ。

 「まぁ、あとから照れがくるなんて可愛いこと…そのうち慣れて普通に戻るだろう…むしろ戻ってくれ」と気にしない振りを続けているのだが〜……なんか段々と悪化してきているような……。

 …い、いかん。俺までどきどきしてきた…。

 えーい、駄目だ落ち着け!
 『今回』あのねーちゃんに対しては煩悩のみでいく予定だったろ!

「……あ〜…まぁ、おまえらには手間と金が掛かっている…
 私の期待を裏切ることのないように……以上、解散!」

 咳払い一つ。付け足すような一言を残し、逃げるようにして道場から去っていくメドーサ。
 その背を見送りながら、マジでどうすんべぇと悩んでいると―――

「ちょっとちょっと…どうなってるのよ横島!」

 勘九郎がおばちゃんみたいに手をパタパタさせて声を掛けてきた。

「なにがだよ?」

「なにがって…メドーサさまよ!
 あんたと目が合う度になんだかとっても可愛い反応してたわよ!?」

 とぼけようとする俺に、声を潜めて…いや、後半はどっちかというと叫び気味に疑問を投げかけてくる勘九郎。
 その勘九郎をはさんだ位置の陰念も、音が出るくらい首を縦に振って、先を促す。

「そ、そうだ! ありゃなんだ!? なんか変なもん食ったんじゃねェのか!?」

「冷酷冷血な蛇女だと思ってたんだがなぁ…意外だ」

 陰念の言葉を受けて、雪之丞までなんか酷いこと言っている。

「…て、おまえらマジで勇気あるな! メドーサは魔族だぞ? 人間より耳いいんだぞ?」

 聞こえてたらどうすんだ! 俺はおまえらと心中なんてごめんこうむる!

「……というか、おまえらはあのねーちゃんになんかある度に俺のせいだと思うのはなんなんだ!?」

「なんだ? おまえがなんかしたんじゃないのか?」

 意外そうな声を上げるマザコン。
 オカマとチンピラも似たようなモンだ。

 きさまら…いや、俺がなんかしたんすけどネ!

「俺や雪之丞は何だかんだ言って、あの女とはあんまり関わらないようにしてるからなァ…
 そしたら殆ど毎日顔合わせてるおまえか勘九郎が原因かと思うだろ、ふつう。」

 さらに「それにどう見ても横島が原因だと思うぞ、今回のは」などとのたまう陰念。
 雪之丞も勘九郎もうんうん肯く。

 つぅか、なんだ? おまえらわざわざ距離とって生活してんのか? あの乳と!

「馬鹿どもめ! 男の風上にも置けんわ!」

「あんな怖い女にそういうつもりだけで近寄れる方がおかしいと思うぞ!?」

「そうだな〜、女で身の破滅〜って野郎の話は幾らでも聞くしなァ……
 美人には違いねェが、アレを花に例えるなら食人花って感じだぜ?
 刺されるどころか丸ごと食われそうだ。マトモな野郎は距離を置くと思うぜ」

 雪之丞が反発し陰念が同意の声をあげるが、んなこたぁ知ったこっちゃねぇす。
 この俺はかつては煩悩のために貧苦に塗れた生活を望んで送り、人生繰り返すようになってからですら煩悩で身を持ち崩す経験多々アリな男……。
 ―――だが! 破滅したのと同じくらい成功してるんだから、俺は正しい! 絶対に間違ってやしないぞぅっ!

 己の信念に基づき、最早きさまらのようなHETAREと話す事などないとばかりに、ぺっと唾を吐く真似をする俺。
 あくまでも真似だけだ。道場の掃除をする時に困るからな。

 そんな俺の態度に口の端を捲らせて犬歯を剥き出す雪之丞と陰念。

「おまえ人が心配してるのにだなぁ〜」

「うっせ、ばーか! おまえのカーチャンでーべそ〜!」

「ガキかおまえは!」

「俺のママはでべそじゃね―――っ!」

 やんのかコラァッ!? 今なら買ってやるぞチクショー!

「ちょっといくら道場だからって喧嘩は駄目よ!
 ―――それに、ああ見えてメドーサさまにも可愛いところは沢山あるのよ?
 …今回のは今までと違いすぎて、なんだか怖いけど…」

 顎に指先を当て、しなりと宙を見る勘九郎。
 ころっとその演技に乗って、うんうんと後半部分にだけ同意を示すマザコンとチンピラ…おまえら最近息あってんな…。

 まぁ勘九郎の言っていることも分かる。
 あのメドーサの態度はなんと言うか…そう、中学生?みたいだった。人付き合いの下手なヤンキーの。
 もしくは遊んで欲しいけど遊んでと言えない子供とか猫……本質は蛇だが。あれ、遠のいた?

 まぁとにかく、今までと違いすぎて事情を知らない奴からすると怖いだろう。

 今朝のことは誰にも言っていないが、メドーサは俺と目が合う度に挙動不審になるから、こいつらが原因を俺に求めるのも当然だろう。

 とはいえ、何があったのかをわざわざバラす気もない。
 ……というか年甲斐もなく、実質遥かに年下の女に本気でどきどきしてるとか、恥ずかしくて人には言えん。
 我ながらまるで中坊みたいな初々しさだ……うん、人のことは言えんな。

「だから絶対横島がなんかしたんだって!」

「でもね雪之丞? 横島は昨日は自分の部屋で寝てたわよ?」

「なら朝早くになんかしたんじゃねェのか?」

「いや待て、それよりなんで横島が寝てるトコに勘九郎が行くんだ!?」

「あら、失言……」

「おい洒落になってねェぞ!」

「やめろやめろ! それ以上は怖いから訊くな陰念!」

 それにしてもこいつら……俺がちょいとトリップしてる間に周りであーでもないこーでもないと喧々諤々。騒がしいことこの上ない。
 もー! ワタクシ、そろそろおいとまいたしますわっ!

 ということで、もう一度自分に矛先が来る前に逃げることにした。
 俺は突然その場から座った姿勢のままで入り口に向かって飛び上がり、三人から距離を取って立ち上がった。
 劇画調にカリカチュアライズされた表情で「ドドドドド…」とかの描き文字を背負う。
 驚き振り向く三人に、明らかに重力を無視したバランスの悪い立ち方で、びしりと指を突きつけた。とてもメメタァな気分だ!

 …人間、長生きしてると色んなことが出来るようになるもんだ。

「とにかくっ! 俺は知らん、なんも知らんぞ!!」

「本当かよ?」

「本当だ!」

 嘘だけどな!

「嘘ついてねェか?」

「くどい!」

 突き通せば本当になるさ!

「恥ずかしがることないのよ?」

「うっせ!」

 勘の鋭いオカマは嫌いだ!

 劇画調のまま言い捨て、なおも食い下がる三人を無視して、その場からとっとと逃げる。
 そしてそのまま境内を抜け、山門から長い階段を駆け下りながら、独りごちる。

「予定とは違うが…これはこれでアリかもなぁ…」

 と、ためしにメドーサのことを思う。
 だいぶマズイ。途端に甘酸っぱい気持ちが……ぬぅううっ!?
 なんと惚れっぽい男か俺は。

 ……まあ、しゃあない。『次』のことはその時になってから考えよう。
 たとえその時にどれほど後悔するとしても、『今』は間違いなく楽しいんだ。

 ……精一杯この気持ちを楽しもう。


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