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何度目かの人生を。

何度目かの人生を。 四回目。


投稿者名:if文
投稿日時:07/ 1/18

 草木も眠る丑三つ時。
 満月の青白い光に照らされた、白竜寺境内、道場前―――

「……。…………。」


 砂利を踏み散らし、腰を落とし両手を前へ突き出した姿勢で、ゆっくりと歩く。一歩一歩、ゆっくりと。
 十メートルほど距離に何十分も掛けて進み、折り返す。
 同じ時間を掛けて、また歩く。

 既に十と五回繰り返されたその歩みは、砂利の上に二筋の道となって刻まれている。
 歩法の練習……ではなく、運動イメージの模索と、そのすり合わせだ。
 一歩一歩、ゆっくりと足を踏み出しながら、体の中……自身の筋肉、骨、内蔵の動きを確認し、イメージ上の自身の動きになぞらえる。

 無駄と不足の見本のような各々の動きにため息が漏れるが、それでも飽きることなく、現在の肉体に最適な運用法を探り続ける。
 少しずつ歪んだ体幹を正し、あちらこちらへ移る重心を、腹の下の丹田に定める。
 傍目には何も変わらないだろうが、一歩進むごとに理想的な身体バランスに近づいていく。

「…………よし。」

 ゆっくりと深呼吸し、滝のような汗を拭って姿勢を正す。
 イメージとのすり合わせは、まぁ満足できる程度にはできた。

 とはいえ、肉も骨も鍛えていない体だから、明日には元通り……どころか、今も刻一刻と歪み続けている。
 日々成長を続けている十代の体では、はじめからイメージのような最高の調整は望めないのだけれど。
 それでもこの調整をやる前と比べれば、運動能力には天と地ほどの差がある。

 不足は感じるが、現状では最高の状態。
 これ以上を望むのは贅沢というもの。

「…いくぞ、今日こそ……
 あの向こうへ……!」

 決意を声に宿し、戦いに臨む。


 ◆


 深夜の白竜寺で最も人口密度の高い建物。
 古びた平屋の日本家屋である母屋。

 俺はいま、その母屋と距離を置いて建てられた『離れ』へと続く渡り廊下の前にいる―――

「今日こそ越える……
 ……そして俺は男になる!」

 一歩。渡り廊下に踏み込んだ途端、濃密な殺気が四方から俺を捉えた。
 どうやら、今日も奴らはヤル気いっぱいらしい。
 米神をかすめて冷や汗が地に落ちる。

 ―――いくぞ!

 一歩踏み入った猫足立ちの姿勢から、身を屈めることすらなく、一瞬で疾走の体勢へ。

 ゼロから一へのその動きは、見る者がいたならば、まるでコマ落としのように見えたろう。
 俗に言う、無拍子。一、二の動作を一で終わらせる技術。
 実戦で使うなら、予想される動作と実際の動作との落差をもって人を欺く技だ。

 離れまでの距離は十数メートル。
 駆け抜ける俺の行く手を塞ぐように、渡り廊下の手すりを越えて飛び出す影たち―――

「オオオオオオオオ―――!」

「でやがったな!」

 ギュッと音を立てて急停止。

 獰猛な吼え声と共に現れたその生き物たち。
 太った蛇に、たてがみと大きな口を無理矢理くっつけたような、その姿。
 竜族に連なる魔竜ビッグ・イーター……その数、五匹。

 こいつら相手に無拍子で動きまわったところで、効果があるのかは……正直わからん。
 ぎょろぎょろと、口の上にいくつもある目玉をめぐらせる大口ども。
 目玉があるならひょっとしたら通用するかもしれない……その程度だな。気休めだ。

 大口どもはうねうねと宙をのたうちながら、今にも飛び掛ろうと力を溜めている。
 俺の行く手を、入れ替わり立ち代り…巧みに塞ぎ続ける。
 人間なら兎も角、相手は魔獣の類。『戻った』ばかりの貧弱な体では、ちとキツイ相手だ。
 事実、昨日までの俺はこの時点で七割方アウトだった。だが―――

「今日の俺は一味違うぜ。
 ―――かかって来やがれっ!」

 言うが早いか、魂消るような吼え声を上げながら殺到してくる大口ども。
 俺は冷静に、まずは同時に襲いかかって来た先頭の二匹をそれぞれ両手でいなす、追ってその下顎を掌底で打ち抜く。
 さらに、その陰に隠れるようにして距離を詰めて来ていた一匹を、上から思いっきり踏み潰した。
 そこまでを一呼吸のうちに―――しかし眼前には既に一匹が大きな口をかっと広げ、俺を頭から飲み込もうと迫り……

「グァアアァア―――!!」

「甘い!」

 先に踏み潰され、足元で痛みにのたうつ大口の勢いを踏み台に、渡り廊下の天井まで一気に跳びあがる。ついでに眼前の大口の頭も蹴っ飛ばす!
 天井の梁を掴んで目をやれば、俺が居た場所を越えて、悲鳴と共に後方へ抜けていく大口。残るは一匹。

「オオオオオオ―――!」

「はい、残念賞っ!」

 冷静にも後に控えていたそいつは、俺の位置を正確に捉え飛び上がって追い縋ってきた。知恵つけるなよ、獣のくせに。
 だが、運動能力の上がっている今の俺には、大口一匹程度、恐れるような相手じゃない。
 迫ってくるそいつの胴体を両足でがっちりと挟み込み、梁を掴んだまま身を捻り、勢いつけて天井に叩きつける。
 これで俺の邪魔をする大口は、見える範囲では全て排除。

 手を放して渡り廊下の上に降り立ち、一息つく間もなく全速力で『離れ』へ―――

「―――っ! あれはっ!」

 またもギュッと足の裏と廊下の擦れる音を立てて急停止。
 ソレを見て、ぴたりと体が固まってしまった。

 渡り廊下の向こう……『離れ』の内と外を遮る障子がそっと開き、そこからにゅっと伸びた、なにやら白いモノ。
 それが、冷たい夜気の満ちた渡り廊下の中空に、ひらひらと踊っていた。

「あ……あれ、は……」

 目が離せない。体も動かない。
 ひらひら、ちらちら。俺を誘うようにからかうように、白いモノはその身を揺らす。
 長く、白く、……そして、遠目に見てもすべらかな感触を容易に思い描けるそれは―――

「ふ、ふとももーーーっ!!」

 理性が吹っ飛んだ。
 代わりに体は動くようになった。
 渡り廊下を一気に駆け抜ける。
 それこそ、周囲の状況に気も払えないほど一心に。

 俺は渡り廊下を渡り切り、ひらひらと誘うフトモモに飛び掛り―――

「ふともふぎゃぁっ!?」

 ふとももに手の届く寸前、気配を隠して潜んでいた六匹目の大口に足を取られ、悲鳴を上げて廊下に突っ込んだ。


 ◆


「……はっ! お、俺は一体なにを!?」

 気がつけば、いつの間にか大口の尾に簀巻きにされ『離れ』の前……白いフトモモの踊っている前に寝転がされていた。

「あ〜あ……惜しかったねぇ〜」

 明かりの失せた離れから、女の声。
 障子の僅かな隙間から差し出されていたむっちりとしたフトモモが引っ込み、代わりにその向こうから現れたのは…

「メ、メドーサさま! まだ寝てなかったんすか!?」

 着崩した浴衣姿で笑う、メドーサだった。

「当たり前だろ。
 毎晩毎晩飽きもせずに夜這いかけてくる奴がいるってのに、呑気にぐーすか寝てられるか」

 腕を組み、離れの建物を支える柱に寄りかかって俺を見下ろすメドーサ。
 その目には、この状況を楽しむような光が窺える。
 きっと俺が縛られて寝転がされてるからだな。サドか。
 あと黒だった。

「反則反則ー!
 そんなんないっすよ!
 相手が起きてたら夜這いにならんじゃないっすかー!」

 ぴちぴちと、大口の尾に縛られたまま飛び跳ねて抗議する。
 こかされたせいで体が痛いが、浴衣の奥にちらちら見える黒い下着のお陰で煩悩が盛り上がって気にならん。
 大口はそんな俺に迷惑そうな顔を……表情はよくわからんが、していた。

「反則〜? そんなことないだろう?
 私が起きていようと寝ていようと、離れまで辿り着いたらおまえの勝ち。
 夜這い成立なんだから」

 笑いを含んだ声音で、からかうようにのたまうメドーサ。
 くそう、確かにその通りなんだが……ああ乳が! 浴衣で腕なんて組むから! 乳が強調されてえらいことに!!
 …って、いかん。いつの間にか脱線しとった。

「ぬぅ! じゃ、じゃあさっきのフトモモはなんっすか!
 ありゃ明らかに俺の動揺を狙った小細工っすよ! 反則ー!」

「ああ、ちょっとトイレに行こうと思ってねぇ〜…
 まさか、それがヨコシマの邪魔になるとは思わなかったよ」

「うおーーー!
 そんな確信犯っぽい笑みを浮かべて言うこっちゃねーーーー!」

「あっはははははっ……!
 いや、本当に思わなかったんだよ? 証明する方法はないけどねぇ」

 真面目ぶって頭を振るも、我慢できずにけらけらと笑い出したメドーサは、笑んだまま余裕で嘘吐きやがった。
 つうか、笑いごっちゃねーんすけど! マジで!!
 約束と違うぞちくしょー!

「くくく……
 しかし今日はなかなかいい感じだったじゃないか。
 また明日がんばりな」

「ふんがーーーー!」

 笑い、離れに戻るメドーサ。
 転がったままの俺に「おやすみ」と一言、ぴしゃりと戸が閉められる。
 廊下に残されたのは、うねうねと宙を漂うビッグ・イーター六匹と俺だけ。
 どうやら今日もまたウロコっぽい一晩になりそうだ……

 てか、やっぱりトイレっての嘘じゃねーかっ!


 ◆


「で、どうだったんだよ?」

「昨日も失敗したってか?」

「……おう」

 明けて翌朝。
 場所は白竜寺、道場。

 俺の答えに呆れかえるマザコンとチンピラ。
 三人、一列になって薄暗い道場の入り口脇に座り込み、猥談の真っ最中。

 水を向けられた今の俺は、きっと憔悴し切った顔をしていることだろう。
 昨日も結局、大口さん方の添い寝付きで一晩を明かしたからな。

 あいつら、あったかいんだけど、重いし生臭いのだ。

「いい加減、諦めたらどうなんだ?
 条件が厳しすぎるだろが。」

「いーや! そんなことはない!
 昨日はあと一歩のところまで行ったんだぞ?
 絶対に俺は辿り着いてみせる! 死んでも夜這う!」

「それ、そんな拳を振り上げて言うようなことじゃねぇだろ……」

 陰念の冷静な突っ込みを軽やかに流す。
 俺にとっては煩悩を満たすことは非常に重要なことなのだ。マジで。
 霊力の源という理由もあるが、繰り返す人生で楽しいことなんて数えるくらいしかなく、ナニなこともその一つなのだ。

「大体よぉ、あの蛇女のどこがいいんだよ?
 そこまで頑張るほどいい女か、あれが?
 怖いだけじゃねぇか」

「体がいい」

「マジでそれだけかきさまは」

 それだけです。
 下手に気持ちが通じ合ってもやるせないだけだから、今回は愛とか恋とかは無しの方向で。
 肉体のみの友達希望。

「おまえらがどうあれ、俺にとっては金よりもあの乳のほうが価値のあるものなのだ!」

 気取った仕草を交えつつどうしようもない事を言い切り、すっくと立ち上がる。

 後ろから掛かる二人の声に手をひらつかせ、道場を出る。
 宵っ張りで動き回っていたせいで腹が減ったから、母屋でなんか食おう。


 ◆


 メドーサが提供するのは、魔装術と法外な額の金。
 その見返りに、白竜寺の門下生はGSとなったら魔族に有利になるように働く。
 GSを目指す者なら躊躇するのが普通だろう。

 術と金の代わりに魂を売り渡せと言われたのも同然なのだから。

「悪くない話だと思わないか?
 私らのやることを時々手助けしてくれるだけでいいんだ……」

「おっす! 不肖、横島忠夫。
 メドーサさまのために全身全霊で働かせていただきます!」

「だがもしも断ると言うのならおまえも石に―――て、早いなオイ!」

 が、俺には何の躊躇いもない。
『今回』の世界がどうなろうと、俺の知ったこっちゃねーのだ。
 俺にとってはどうやって遊ぶかの方が重要。
 だから契約するのに抵抗なんてあるはずもなかった。

 ただ、一つだけ条件を出した。
 その方が面白そうだったし、俺が魂売るならそっちの方が俺らしいから。

「……夜這い?」

「うす! 是非とも!」

「……おまえが? ……私にか?」

「うす! 金よりそっちのほうがいいっす!」

「…おまえなぁ〜」

 メドーサは、最初呆れ、次に怒り、最後に笑って承諾した。

 条件は、霊能力は一切使わず、一晩のうちにメドーサの寝起きする離れに自力で至る。
 妨害はメドーサ本人以外が行い、お互いに殺したら駄目。
 離れ到達に失敗したら、その日は終了。

 自分で言いだしたことなんだが、まさかメドーサが承諾するとは思わなかった。
 それどころか魔族としての正式な契約扱い……つまり、履行は絶対的な義務としてオッケー出しよった。
 本当に、なんでこんなアホな条件飲む気になったのやら……

「…おまえの馬鹿さ加減が気に入ったから、かねぇ…」

「はっはっは! つまり言ったもん勝ちってことっすね!」

「そうだな。私の機嫌次第じゃ、おまえの頭はその肩の上になかったかもしれないけどな」

「…………はっはっは…」

「なぜ?」と訊ねた俺に「契約結んだあとに聞くことじゃないだろ」と笑いながら答えたメドーサ。

 思わず顔を撫でる俺。
 若い体にはヒゲも生えていない。つるりとした感触。
 頭ついてて良かったな、オイ。
 メドーサはそんな俺の様子を見て楽しそうに笑う。

「まあ、他にも理由はあるけどね。
 余計な出費を抑えられるってのも、その一つだね」

「なんか、やってることの割りに足元の定まった理由っすね…」

「…非合法活動には金がかかるんだよ…基本、現地調達だし」

「世知辛いっすね」

 がっくりと肩を落としてため息つくメドーサ。
 知られざる衝撃の真実。メドーサの活動費は自腹だったらしい。
 つうか、必要経費くらい出してやれよ…なんてみみっちいんだアシュタロス。

「ま、これからがんばりな。色々と」

「ええ、もちろん頑張りますとも! ベッドの中でも頑張ります!」

「それはおまえの努力次第だろうさ」

 気を取り直して再びにまりと笑むメドーサに、半ば以上演技のアホさで張り切って見せる。
 なんにせよ俺は当初の目的どおり、アシュタロスの手先の、そのまた手先に落ち着いた。

 これが、一ヶ月前の話―――


 ◆


「今日も失敗したんですって?」

「誰から聞いた……って、陰念か雪之丞しかいねぇな」

 母屋の台所でおにぎりを食べていた俺に、勘九郎が声を掛けてきた。
 ちなみに中身はシャケだ。

 現在、白竜寺には俺と陰念、雪之丞、勘九郎の門下生四人と、メドーサしかいない。
 道場主の禿は、俺が来た時にはメドーサが石にして本堂に置き去りだったし、逆らった奴も大体は同じ。
 他は殺されたか、それとも魔装術の失敗で魔物になったか……いずれにしろ、碌なオチじゃないな。

「ちがうわよ。メドーサさまに直接お聞きしたのよ」

「あん?」

 メドーサが? 勘九郎と? そんな、どうでもいい世間話を?

 聞き間違いか? と振り返った。
 にやにや……というか、微笑ましいものを見るかのような勘九郎。

 やめれ。俺、その顔、嫌い。

「楽しそうだったわよ?
 昨日横島はこうきた、今日はこうだった、次はどう動くか……ってね」

「…………」

 嫌な空気だ。こう、同級生の恋愛ごとを語る女子高生と相対する時のような……
 なにが悲しくてそんな微妙な空気を厳ついオカマ相手に醸さにゃならんのか。

「ちょっと妬けるわ。
 私たちのほうが、メドーサさまとの付き合いは長いのに」

「差なんて一週間もないじゃねぇか。
 つうか、それは物笑いの種か暇つぶしの肴にされてるだけだろーが」

「そうかしら?
 …いえ、今はまだそうかもしれないわね」

 口元に手を当てて、ころころと含み笑う勘九郎。
 勘九郎が碌でもないことを考えている気がする。

 メドーサは人間を虫の親戚かなんかと思っているが、これだけ熱心に夜這ってたら、犬コロくらいには進展しているだろう。
 が、それより一歩でも進むと、ちょっとしたセクハラで殺されそうになる。照れ隠しで。
 ある意味、美神さんよりも愛情表現の下手な女なのだ。中途半端に後押しされると逆に迷惑。
 頼むから余計なお節介はしてくれるなよ?

「微妙な含みを持たせるな。
 これまでもこの先も、おまえの期待するようなもんは無い!
 あるとしたら肉体関係のみだ!!」

 と、主観的にも客観的にも最低なことをのたまう。
 大体、今回はそういう甘ったるいのは無しでいこうと決めてるのだ。
 一方通行の愛情ならむしろ大歓迎だが、そんなん無理だし。
 たいした理由もなくヤルことヤッってれば、どうしたって情が移る。
 だからこそ、今回は契約の形でパライソな行為を要求しているのだから。距離を保とうぜ。

「俺があのねーちゃんに従ってるのは体! あの体目的に過ぎんのだ!!
 それ以上でもそれ以下でもない!!」

 面倒臭いことを企んでいそうな勘九郎に、しっかりと釘を刺す。
 メドーサとのナニなことはむしろ望むところだが、気持ちが入るのはゴメンだぞ。

 俺の答えに肩を竦める勘九郎。
 苦いの半分、楽しそうなの半分の、微妙な笑顔。

「体だけが目的ね…本当に女の敵よねぇ〜……
 そのうち刺されるわよ?」

「そんな深い関係になった相手はおりません」

 『今回』はまだ、な。


 ◆


 白竜寺唯一の出入り口である山門。
 門下生一同がその前に並び、勘九郎だけが一歩前に出てメドーサと小声でなにやら話し合っている。
 やがて何事か言い含められたらしい勘九郎が、メドーサから離れた。

「私の不在中は勘九郎の指示に従うように。
 ……あとは任せたわよ、勘九郎」

「はい、メドーサさま。
 お気をつけて」

 竜神のいでたちの上から外套をすっぽり被ったメドーサが、門から飛び立っていく。
 白竜寺に来てからメドーサが仕事で外出することは何度かあったが、今回のような怪しげな姿ではなかった。
 いつも出かける時は、スーツとか胸元がガバーッと開いたドレスとか……いかん、盛り上がってきた。

「随分とおかしな格好だったな……」

「つうか、仮装だなアレは。何処行くつもりなんだ、あの女?」

 陰念と雪之丞が、今や豆粒のような大きさになったメドーサを見上げながら、誰にともなく呟く。

「なんか知ってるんじゃねぇのか、横島?」

 って、俺に訊いてたのかよ。
 しらねぇよ。なんで俺に訊くんだおまえらは。

 逆に問うた俺に、雪之丞は不思議そうな顔を陰念と見合わせる。

「いや……なんでって言われてもなぁ」

「何だかんだいっても仲良さそうに見えるからな。体目当てなのに」

「だな。体目当てなのに」

 うっせーな。体目当てがそんな悪いことかちくしょー!

「はいはい、それぐらいにしてちょうだい。
 各自、いつも通りの修行に戻って。
 それじゃあ、解散」

 パンパンと手の平を打ち合わせ、俺達を追い散らす勘九郎。
 それにしても、毎度のことながらメドーサが出掛ける度にお見送りって、健全な道場みたいで笑えるなぁ。

「あ、横島はちょっと残りなさい」

「え〜?」

 なんで俺だけ〜? と文句を言おうとして、勘九郎の真剣な表情にそれを飲み込んだ。
 いつもは柔和な笑みを浮かべている口元を引き結び、ゆっくりと続ける。

「…あんた、そろそろ覚悟しておきなさい」

「覚悟? なにを?」

「……魔装術を覚える覚悟を、よ」

「ああ……」

 ……って、なんだ、そんなことかよ。
 むしろ「いまさら?」という気分だな。

 陰念も雪之丞も、もちろん目の前のオカマも、すでに魔装術を体得済み。
 そんな中で、なんで今まで俺が放置されてたのかってことの方が謎だ。
 まあ、何回も繰り返している事情があるから、実は俺も魔装術は使えるのだが〜…そんな特殊な事情、知られているわけがないし。

「メドーサさまが、この一月の間に見たあんたの実力なら、問題ないだろうって仰ってね。
 仕事を終えてから正式に術を授けるから、準備をさせろとのことよ」

「わかった」

 さっきこそこそ話してたのはそれか。
 つうか、ひょっとしなくてもメドーサに教える気がなかったのが俺が放置されていた原因か?
 しかし、さすがはメドーサ。毎晩のアホなイベントも、俺の実力を測るのに利用してたのね。

「…………」

 うんうんと一人感心していたのだが、今だに勘九郎がこっちを見ているのに気がついた。
 なにかまだ言いたいことでもあるのだろうか?

「………なんだよ? まだなんかあるのか?」

「いいえ別に………ただ、これであんたも私たちと同じ、ね」

 勘九郎は、にがい声でそう告げて、境内に戻っていった。
 ひょっとしなくても俺のことを心配してくれていたらしい。
 まあ、魔装術を伝授される際に魔物化するかどうかは実力云々もあるが、かなりの部分が運だからなぁ。
 陰念、雪之丞、勘九郎以外は魔物になっちゃったらしいし、普段の俺のおちゃらけっぷりを見ている勘九郎が不安になるのもわかる。

 ここは素直にありがたがっておこう。
 既に使える身としては無用なことだけれど、それでも心配されてうれしいとは思う。

「それにしても魔装術ねぇ〜……なんか、本当に久しぶりだよな」

 勘九郎も境内に引っ込み、傍には誰もいない。
 ぼんやりと空を見上げながら、遠慮なく独りごちた。

 魔装術自体は雪之丞がいつも使ってたから、珍しくはない。
 強力なのはいいんだけど、普通にGSやる分には持て余すんだよな、アレ。
 禁術あつかいだから使うと業界での評判も悪くなるし。極めるのはしんどそうだし。
 つうか、ぶっちゃけアレ極めたことねーし。

 魔物になって延命するのには何回か使ったけど……
 魔装術を暴走させて魔物になると、生まれつき魔族の連中からは軽く見られるんだよな。

「―――気が向いたら、今回ついでに極めてみるのもいいかもな〜」

 なんて、軽く嘯いて境内に戻る。
 とりあえず今日は何もせんで無心に雲を数え続ける修行でもするか。

 ……人、それをサボリと言う。


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