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ニューシネマパラダイス

スタンド・バイ・ミー


投稿者名:UG
投稿日時:06/12/ 4

 「遅いよ早苗ちゃん!」

 「ゴメン! 山田君・・・4限が実験だったのよ」

 人気のない校舎の裏
 二人は昼休みにここで待ち合わせ、寄り添うように昼食をとるのが日課となっていた。
 早苗の手には最近自分で作るようになった弁当が二つ抱えられている。

 「片付けがなかなか終わらなくって・・・待たせちゃった?」

 ぺろりと舌を出し、すまなそうに手を合わせた早苗に山田は胸の高鳴りをおぼえる。
 最近知った早苗の舌の感触が、彼の脳裏に生々しく思い出されていた。 

 「凄くね・・・だから」

 彼はベンチから立ち上がり早苗の肩に手を回す。
 驚くほど柔らかい早苗の体を引き寄せると、早苗は本心からでは無い弱々しい抵抗を見せた。

 「ダメ・・・人が来ちゃう」

 「大丈夫、誰も来ないよ・・・それに来たって構うもんか」

 多少の強引さを見せ、山田は早苗の体をぎゅっと抱きしめる。
 力を抜いた早苗に抵抗の意思はない。
 山田はしばらく早苗を抱きしめてから、一旦体を離し彼女の唇を目指し顔を近づけていく。
 緊張の為か、早苗の息は荒くなっていた。


 ふしゅる―――っ、ふしゅる―――っ


 「ふしゅるう?」

 聞いたことのない・・・というか、未来から送り込まれた殺人機械のような呼吸音に眉をひそめた瞬間、腹部に強い衝撃を受け山田はその場にうずくまった。
 彼は苦痛に顔を歪めながら、己の腹部を蹴り上げた早苗の姿を信じられないものでも見るように見上げる。

 「なにをするだぁ―――っ!」

 咄嗟に抗議の声をあげた山田は、自分を見下ろす早苗の目に続く言葉を失った。
 逆らったら殺される。その目には尋常ではない迫力があった。

 「・・・すぐ、助けます。待っていてください我が君」

 足下で震える山田を一瞥もせず、早苗は学校から姿を消す。
 彼女が見据えた方向―――東京を目指して。






 ――――――― スタンド・バイ・ミー ―――――――







 サクッ

 小気味いい音を立ててサクサクの衣をかみ切ると、ジューシーな肉汁が口のなか一杯に広がった。
 火傷しそうな程熱いソレを、はふはふと口の中で転がすように咀嚼する。
 左右に大きく振れる彼女の尾が、手に持ったメンチカツへの満足度を表していた。

 「しかし、肉屋の揚げ物は独特な美味さがあるでござるな!」

 左手にぶら下げた大荷物を気にした風もなく、シロは紙に包んだメンチカツに二口目をかぶりついた。

 「揚げ油にラードを使ってるらしいから・・・家庭じゃ色々な面でとても」

 隣を歩くおキヌは、複雑な表情を浮かべながら手に持ったコロッケに遠慮がちに歯を立てた。
 大きく噛もうが、小さく噛もうが摂取カロリーに違いは無いのだがその辺は気分というヤツだった。

 「揚げたてってこともあるかもね。二人とも、いつもサービスして貰っているの?」

 珍しく買い物に付き合ったタマモも、肉屋でオマケして貰ったコロッケを気に入ったらしい。

 「そうでござる! あそこのご主人は買い物の時だけでなく、先生との散歩の途中でもサービスしてくれるでござるよ!」

 「ふーん」

 メンチをすっかり平らげ満足そうな笑みを浮かべたシロを見て、タマモは主人の気持ちが少し分かった気がする。
 お得意様ということもあるのだろうが、これだけ美味そうに食べて貰えれば作り甲斐があるのだろう。
 それにすれ違った通行人の何人かは、引き寄せられるように肉屋の店先で足を止めていた。

 「さて、おキヌ殿! 次は何を買うでござるか?」

 メンチを包んでいた紙を丸めてポケットに入れると、シロは片手に寄せていた荷物を両手に振り分ける。

 「えーっと」

 コロッケを手に持っているため、おキヌは買い物メモに頼らずそれぞれが手に持った荷物を指さし確認する。
 米や野菜など、重くかさばる物はシロが持っている。卵や豆腐のような注意が必要な物は自分の手の中に、ティッシュや洗剤などの日用品はタマモが担当していた。
 平日の夕刻、いつものような買い物の風景。
 しかし、平穏な日常は背後から駆け込んでくる一人の女によって、徐々に奇妙な方向へ向かっていくこととなる。

 「ソイツをつかまえて欲しいあるーっ!」

 「え? キャッ!!」

 聞き覚えのあるイントネーションにおキヌが振り返った瞬間、何者かに追われているらしき女がおキヌにぶつかった。

 「おキヌ殿! 大丈夫でござるかっ!!」

 「大丈夫!? おキヌちゃん」

 尻餅をついてしまったおキヌを、シロとタマモが両脇から起こしてやる。
 両手に持っていた荷物が邪魔で、二人は咄嗟の行動が出来ないでいた。

 「私は大丈夫・・・でも、荷物が」

 シロとタマモにスカートの汚れをはたいて貰いながら、おキヌは残念そうに袋の中身を見る。
 その中の卵と豆腐は無惨にも原型を留めていなかった。

 「しかし、謝りもせずとは・・・捕まえて弁償させるでござるよ!」

 「今のヤツ、あそこのコンビニに逃げ込んだわよ」

 タマモは数軒先にあるコンビニに女が逃げ込むのを目撃していた。
 そちらの方へ向かおうとする彼女たちに、先程の声の主がようやく追い付く。

 「おおっ! お前たちは令子ちゃんとこの・・・お礼はするから今のヤツを捕まえるのを手伝って欲しいあるっ!!」

 「厄珍さん! 一体どうしたんです!?」

 「泥棒ね! 今の女、ワタシの店から仮面を盗んでいったね。南米で発掘された珍しい仮面よ」 

 全力で追いかけてきたのだろう。
 厄珍は荒い息でそう言い放つと、3人を伴い女が籠城したコンビニに向かって再び走り出す。
 僅かに遅れて、コンビニから女性の悲鳴が聞こえて来た。







 店の中では、逃げ込んだ女が女子高生を人質に籠城の体勢をとっていた。
 首筋に鋭いナイフを当てられ、人質の女子高生は恐怖に顔をひきつらせている。

 「馬鹿な真似はやめてその娘を離すね。そんな仮面で人生を棒に振るつもりあるかっ!」

 5割り増しの男前度で珍しくまともなことを言う厄珍。
 それもそのはず。人質の女子高生はかなりの美形・・・しかも巨乳だった。

 「そんな仮面? ハッ! この仮面の価値を知らないで扱っていたとはね」

 女は左腕に抱えた仮面を大事そうに胸に当てた。
 デフォルメされた遮光器式土偶のようなデザインが、まるでそれを石のブラジャーのように感じさせている。
 皮肉なことに女はソレを必要としない体型―――貧乳だった。

 「あの仮面に何かあるんですか?」

 厄珍の背後からおキヌが話しかける。
 おキヌは女の抱えている仮面に、得体の知れない迫力を感じ取っていた。
 それはシロとタマモも一緒だったのだろう。
 三人とも突撃を見合わせ、慎重に事態の成り行きを見守っている。

 「知らんある、チチカカ湖周辺の古代遺跡から発見されたことから【チチ仮面】と呼ばれているが、機能、使用目的等全くの謎ね」

 厄珍は責めるような視線を女に向けた。

 「南米の呪具を研究する東都大の大学院生と聞いたから信用したのに・・・騙されたね」

 騙されたという言葉に、何か嫌な思い出があるのか女の顔色が変わる。
 スレンダーな才媛。見ようによっては十分美人の部類に入るのだが、狂気に歪んだ目が彼女の魅力を台無しにしていた。

 「パットや補正下着はもう沢山・・・これからはもう騙されたなんか言わせないッ!」

 女の目に宿る狂的な光が一層強さを増す。
 そして女は、手に持ったナイフで陳列棚に並んだ牛乳パックを一気に切り裂いた。




 「私は貧乳をやめるわ―――ッ!!」




 ガショッ!
 飛び散った牛乳が【チチ仮面】にかかった瞬間、仮面から肋骨のような機構が飛び出し女の体に突き刺さる。
 胸板に張り付いたそれは、正に石のブラジャーだった。
 痛みに硬直し、棒立ちになった女の姿に声を失う店内。
 しかし、本当の驚きはそのすぐ後に来たのだった。

 ガシャン!

 女の胸からはがれ落ちた【チチ仮面】が床に落ち真っ二つに割れた。

 「し、信じられない・・・」

 おキヌたちは目の前で起こった怪異に息を呑む。
 女の胸から【チチ仮面】を剥がしたのは、急激に成長を始めた彼女の胸だった。
 先程までAカップだったサイズが、今ではDカップに迫る勢いとなっている。

 「URYYYYYYYYY―――ッ!」

 「キャッ!」

 謎の叫びを放った女は、人質の女子高生のブラウスに右手を無造作に突っ込んでいた。
 予想外の行動に、女子高生は小さな悲鳴を上げたっきり体を硬直させてしまう。
 女の手は彼女のブラジャーに差し込まれていた。

 「KWAHHHコリコリ弾力のある乳首にさわっているぞぉ厄珍! このあたたかい胸の弾力! 心地よい感触よッ!」

 「【チチ仮面】にそんな効果があったとは・・・」

 女はすごく羨ましそうな顔をした厄珍に凄まじい笑みを見せる。

 「それだけではないわッ!」

 女が言葉を発するのと同時に起こった現象。
 その現象に、おキヌたちは恐怖の相を浮かべる。

 「あ、ああああ・・・」

 脱力したような声をあげる女子高生。
 彼女の胸のサイズは吸収されたかのようにどんどん萎んでいき、代わりに女の胸が更に成長を続けた。
 既にカップはDを遙かに通り越してF、おキヌたちには想像も出来ない領域に女は踏み込んでいた。

 「さて、次は・・・」

 女はまだ満足していないのか、気絶した女子高生を手放し周囲の女性客を見回す。
 厄珍の背後で立ちつくすおキヌたち3人に目をやると、彼女は冷ややかな笑いを口元に浮かべた。
 そして、己の成長に有頂天になった女は、言わんでもいいことを口にしてしまう。




 「貧弱、貧弱ぅ!」




 ピシッ!!

 その言葉に厄珍は空気が凍り付くのを感じた。
 過去の経験から、彼は頭部を保護しつつ物陰に飛び込む。
 これから起こる激しい戦闘の巻き添えを食らわないように。

 「あなたが・・・」

 幽鬼のようなオーラを纏いつつおキヌが一歩踏み出す。

 「泣くまで・・・」

 「殴るのを・・・」

 シロ、タマモもそれに続いた。
 3人の尋常でない迫力にたじろぐ女だったが時既に遅し。
 女は周囲を固められていた。

 「止めないッ!!」

 逃走の姿勢を見せようとした女に、3人が同時に飛び掛かる。
 激しい戦闘は女が泣いても止まらなかった。









 警察署の前にポルシェが急停車する。
 ドライバーが車庫入れするのも待ちきれなかったのか、助手席からGジャン姿の若者が飛び出し建物の中に走り込んでいった。

 「無事かッ! みんなッ!!」

 「横島さん!」

 「先生ッ!」

 コンビニで起こった騒動について事情聴取を受けていた3人は、連絡をうけ駆けつけた横島の姿に安堵の表情を浮かべる。

 「えーっと、あなたが保護者? 随分若いようだけど・・・」

 調書を作成していた刑事に、横島はGS有資格者のパスを提示する。
 職業柄GSを目にする機会が多いのか、年配の刑事はそれだけで納得してしまった。

 「んじゃあ説明しましょうか。こちらの3名がコンビニに乱入した女を取り押さえてくれたまではいいんですがね・・・どうも過剰防衛じゃないかと・・・」

 「そんなコトはどうでもいいッ! おキヌちゃん、シロ、タマモ、無事かッ!!」

 3人は自分たちの身を一番に案じてくれる横島の姿に胸を熱くする。
 女の一言にキレてしまい、やりすぎてしまった捕り物劇。
 生身にしか見えない女に加えた攻撃は、除霊という名目が立たない場合は過剰防衛ととられても仕方がないレベルだった。

 「俺が来たからには安心しろ!」

 冷静になった今、3人は自分たちがやりすぎてしまったことを理解している。
 それでも、そんなコトはどうでもいいと言い切る横島の言葉は胸に染みた。

 「大丈夫、どこも・・・」

 3人は口々に横島に自分の無事を伝えようとする。
 しかしその言葉は、横島の仕草によって止められていた。
 横島は両手を胸の前に持ち上げ、ワキワキと握ったり開いたりを繰り返す。
 彼が言わんことしているコトを想像し、3人の額に青筋が浮かんだ。

 「胸を吸収されても大丈夫ッ! 適度に与えられる揉む刺激ッ! それによって促されたホルモンの分泌が胸を発達させるッ! これが、ヨコシマッ・バスト・グローイングアップ・フェノメ・・・」

 「ナニ訳のわからんことを言うとるかッ!」

 臨界を迎えようとしていた3人の怒り。
 横島が泣くまで殴るのを止めない程の怒りは、遅れてやってきた美神の神通棍によって向ける矛先を失う。
 先程コンビニで女に加えた以上の攻撃が、容赦なく横島に加えられていた。

 「お騒がせしました・・・」

 荒事に慣れているはずの警官たちがドン引くほどの折檻を終わらせ、美神が年配の刑事に微笑む。
 頬にはねた返り血が、微笑みに何とも言えぬ妖艶さを与えていた。

 「防犯カメラや目撃者の証言からは分からないでしょうが、今回の件は紛れもなく霊障です。被害を最小限に留めるために、私のアシスタント3名がとった行動は適切と言っていいでしょう・・・いや、この3人が現場にいて幸運でした」

 厄珍からも連絡を受けていた美神は、既に状況の把握を終了させている。
 彼女は至極冷静に、3人の行為が除霊の一環であることを刑事に説明した。

 「そうっスよ! そんなおっぱ・・・女性の敵が逃げ出していたらどれだけの被害が出ていたことか。未曾有の危機を未然に防いだ3人に落ち度は無いっス!!」

 「・・・・・・はぁ、そんなもんですか」

 僅か数秒で復活し今回の敵の恐ろしさを語る横島に、刑事は呆れたような顔をする。
 これまで多くのGSを見てきた彼にとっても、今回縁があった美神事務所は規格外だったらしい。
 早くこの件から開放されたいかのような態度を隠しもせず、彼はおざなりとも言える速度で調書を完成させた。

 「ま、女子高生と古物商店主から被害届もでてますし・・・GSの方がそう言うのであるならば、この件はオカGに担当が移されます。後の手続きはあなた方の方がお詳しいでしょう?」

 「ええ、それでは3人を引き取ってもかまわないと?」

 美神の目配せで、横島が素早くおキヌたちの荷物を手にする。
 帰っていい雰囲気を作り出す絶妙とも言えるタイミングだった。

 「いいでしょう・・・あ、そうだ! ちょっと待って下さい!!」

 3人を引き連れ、警察署を後にしようとした美神が足を止めた。

 「え? なんですか」

 美神は口元に浮かんだめんどくさそうな歪みを、一瞬で営業用のスマイルに切り替え振り返る。
 0円どころではなく、ある意味最も高くつきそうな笑顔だった。

 「いやぁ・・・ついでと言ってはなんですが、プロの方に相談に乗って貰えればと思いまして」

 刑事がバツが悪そうに頭を掻く。
 私設事務所を構えるGSの報酬を知っているだけに、ロハで協力を求めるのは些か気が引けていた。

 「実は先程、家出らしい娘を保護しましてね。どうも、その・・・様子が尋常でない・・・」

 「分かりました。何かの障りでないか視てみましょう」
 
 美神は自分から協力を申し出る。
 先程の一件が、確実に警察の手から離れるのを期待したボランティアだった。
 美神の辞書にはボランティアはそう言うモノとして載っているらしい。

 「助かります。盛り場でチンピラと揉めていた所を保護したのですがどうも要領を得なくて・・・制服や言葉遣いから田舎の高校生ということは分かるのですが」

 刑事は席を立つと、美神たち一行を別棟にある留置スペースに案内しようとする。
 3人は車で待たそうかと思ったが移動の流れが出来上がってしまったため、美神は仕方なく全員を引き連れ刑事の後を付いていった。

 「揉めた相手は全員病院送り、しかし、目撃者の証言ではその娘は指一本動かしていないそうです。事情を聞こうにも本人は腕のいい霊媒師を捜しているの一点張り・・・なんとかなだめすかして連れて来たのですが」

 「霊媒師?」

 「ええ、何でも大切な人の一大事だとか。我々に霊媒師リストを作成させている間、本人は留置場に自分から入り込んで好き勝手やってます」

 刑事に促され留置場の前に立った美神と横島は、中にいた見覚えのある人物の姿に言葉を失っていた。
 しょげながらトボトボ後を付いてきたおキヌたちからは、まだ留置場の人物は見えない。
 留置場の中にはラジカセを始め様々な物品が運び込まれており、その奥では、問題の人物が多少の苛つきを見せながらリストの完成を待ちわびていた。
 その人物は美神と横島をジロリを一瞥すると、手に持った500ml牛乳パックの口を開ける。
 そして、手にしたシャーペンの先でパックの下部に穴を空けると、その穴から一気に牛乳を飲み干した。

 「霊媒師は見つかったかえ?」

 その発言に、美神と横島は留置場内の人物が自分たちの知っている人物では無いことに気づく。
 まだその姿を視界に収めていないおキヌに向かい、美神は急ぐように声をかけた。

 「おキヌちゃん、早く来て!」

 「おキヌ?」

 美神が口にしたおキヌという名に、留置場内の人物が反応した。
 彼女は鉄格子に歩み寄り、美神が振り返った方に視線を向ける。
 視線を合わせた二人は、同時に驚きの表情を浮かべた。

 「早苗お姉ちゃん!!」

 「おキヌ・・・本当におキヌか? 御呂地村のおキヌなのか?」

 「そうよ! 今更ナニ言ってるの、お姉ちゃん!!」

 おキヌの言葉を聞き、早苗の目から止めどなく涙が流れた。

 「良かった・・・我が君の言ってたことは本当だった」

 「ちょっと、泣いたりして変よ。お姉ちゃん! それにこんな所にいるなんて」

 おキヌは鉄格子越しに早苗の手に触れる。
 その手の温かさを感じ、早苗は涙を袖で拭うとおキヌの目を真っ直ぐ見つめた。

 「姉などではない・・・会いたかったぞ、おキヌ」

 「?」

 別人のような早苗の反応におキヌが首をかしげる。
 その仕草に以前の彼女を思い出し、早苗は心からの笑みを浮かべた。

 「まだ、分からぬか! わらわじゃ」

 早苗の背後に、霊体が浮かび上がる。
 その姿を見たおキヌは驚きの表情を浮かべた。

 「女華姫様・・・」

 「そうじゃ、女華じゃ・・・」

 早苗の体から抜け出した女華姫は、おキヌの手をしっかりと握りしめる。
 おキヌと女華、実に300年ぶりの再会だった。




 「つ、強そうなスタンドでござるな・・・」

 「近距離・パワー型ね」

 急な展開に混乱したシロとタマモが訳の分からない発言をする。

 「二人は知らなかったわね・・・この人は私の300年前のお友達で、氷室家のご先祖様でもある女華姫様」

 姫という響きに釈然としないものを感じた二人だったが、再開を喜ぶおキヌの姿に押し切られ曖昧な会釈を女華姫に送る。
 美神、横島は導師の記録で女華姫の姿を目にしているが、これが初対面となる女華姫に、おキヌは事務所の面々を紹介しようとする。
 おキヌは自分が生き返った経緯を説明したくってうずうずしていた。

 「紹介します、女華姫様、この人たちがずっとお世話になっている・・・」

 「おキヌちゃん、先ずは田舎の御両親に状況を説明して」

 携帯を片手に美神が会話に割って入る。
 連絡している先はおキヌの実家だった。

 「御両親がもの凄く心配しているわよ、とにかく説明して安心させなきゃ」

 携帯から微かに漏れ聞こえる過保護気味の両親の声に、おキヌは実家で巻き起こった騒動が容易く想像できた。
 この様子なら新幹線に飛び乗りすぐに早苗を迎えに来るだろう。
 何か目的をもって東京に来たらしい女華姫と、どう折り合いをつけさせるかおキヌは戸惑いの表情を浮かべた。
 しかし、なんと説明すべきか悩むおキヌの懸念は、横合いから携帯をひったくった女華姫の一言で呆気なく解決する。
 女華姫は携帯に向かい、たった一言こう叫んだのだった。





 「わらわが、氷室家初代、女華姫である!!」





 先祖代々どんな言い伝えがされていたのか甚だ謎であるが、この一言のみで早苗―――女華姫の美神事務所への長逗留が許される。
 一日も早く娘の体が先祖の霊から解放されるように、早苗の両親は一心不乱に祈ることしか出来ないようだった。

 「・・・おキヌちゃん、こんな所で長話もなんだから事務所に帰ってからにしましょう」

 美神は呆れたように呟くと年配の刑事を振り返る。
 こちらの一件も、警察の管轄でないのは明らかだった。
 美神が何を言いたいのか分かったのか、刑事はやれやれとばかりに首を縦に振った。






 夜の街を疾走するポルシェ
 女華姫を伴い警察署を後にした美神たちは、簡単な自己紹介のあと女華姫から状況の説明を受けていた。
 乗車定員については獣形態となったタマモが、シロの膝の上に座ることで折り合いをつけている。

 「そう・・・強制的に降霊させられた旦那さんを探して」

 美神の脳裏に機構に記録されていた導師の姿が浮かぶ。
 おキヌの魂を使用して死津喪比女への地脈流入を断った導師は、その後女華姫と結婚し、氷室家の初代となることによってその機構を子々孫々守り続けていた。
 その導師の霊魂が強力な霊媒師によって召還され、行方不明になっていると言うのだった。

 「我が君が、この地にいる霊媒師に召還されたのは間違いないのじゃ! わらわは何としても霊媒師を捜し、我が君を助けなければならん!!」

 「そういうコトならば先ずは情報収集ね・・・情報がないまま無策に動くのは危険だわ」

 事務所前にポルシェを停車させ、美神は後部座席を振り返る。

 「今晩の仕事は私と横島クンでやるから、おキヌちゃんたちは事務所で待機して情報の収集を・・・ママに頼んでオカGの資料も送ってもらいましょう」

 「え、でも美神さんと横島さんだけじゃ・・・」

 「大丈夫だよ! 簡単な除霊だから今夜中にカタがつくし、久々の再会なんだからつもる話もあるでしょ!」

 横島の言葉に、おキヌが浮かべた表情を女華姫は見逃さなかった。
 彼女は運転席と助手席を交互に見つめ微かに口元を緩める。
 おキヌが本当に生身になったことを、女華姫は今のやりとりで実感していた。

 「それなら拙者たちだけでも・・・」

 「ダメよ! 私たちがいないときに緊急の事態が起こったら、アンタたちが二人を守らなきゃ」

 「いや、それには及ばん」

 自己紹介ではわからなかった事務所の人間模様に、女華姫はどこか楽しげだった。

 「もとより一人で我が君を助けようとしてたのじゃ。自分とおキヌの身はわらわ一人で十分守れる・・・勝手が分からぬ現世故、情報の収集を手伝って貰えるのは非常にありがたいが、あまり迷惑はかけられぬ。それにシロ殿とタマモ殿はそちらに付いていった方が仕事も早く終わるであろう?」

 女華姫はそう言い放つと横島が座席をずらすのを待たず、おキヌの体を抱えポルシェの後部座席から予備動作なしで飛び上がった。
 何か特殊な呼吸法をしているかのような動きに、美神を始め一同呆然とした表情を浮かべる。

 「それでは美神殿、ご厚意に遠慮無く甘えさせて貰うとします」

 深々と頭を下げた女華姫に苦笑すると、美神はアクセルを踏み込む。
 300年という歳月にも変化しない二人の友情を美神は感じていた。









 「やっぱり風呂はいいな! おキヌ!!」

 バスルームから近づいてくる上機嫌な声に、夕食の後片付けをしていたおキヌがクスリと笑う。
 夕食を取りながら昔話に華を咲かせた女華姫は、おキヌに勧められるまま入浴を済ませている。
 行方不明の導師を探そうと先程まで気が気でない様子だったが、亡くなって久しい彼女にとって久しぶりの湯の感触は格別だったのだろう。
 すっかりリラックスした様子の女華姫は、下半身にスエットスーツ、上半身は首から提げたバスタオルのみといった出で立ちでダイニングに姿を現した。
 ビジュアルは早苗のものなので安心して欲しい。

 「ちょっと、女華姫様! はしたないですよ!!」

 「気にするな、わらわとおキヌの仲ではないか」

 恰幅のよい母親の体質を引いているのか、血の繋がらないおキヌと異なり早苗の胸はかなりの盛り上がりを見せていた。
 首から提げたタオルはその張りのある盛り上がりに押しのけられてはいたが、辛うじてトップ部分に引っかかりそこを隠す役割を果たしている。
 すっかり早苗の体になじんだ様子の女華姫は、洗い物をしているおキヌを邪魔しないようコップに水を汲み、うまそうにソレを一息で飲み干した。
 唇の端からこぼれた水が、豊かな胸の谷間に流れ込む様を見ておキヌは力なく笑う。
 おキヌも似たような経験があるだけに、リラックスした様子の女華姫の気持ちは良く理解できた。
 断っておくが似たような経験とはこぼれた水の流れ方ではなく、生き返った直後の入浴についての感想である。

 「で、知らせは届いたのか?」

 「いや、まだです。多分、もうそろそろ来るんじゃ・・・」

 おキヌは落ち着いた様子で、丁度洗い終えた皿を水切り用の籠に立てかけていく。
 のんびりとも取れるその行動に女華姫が苛つきを見せないのは、先程おキヌがてきぱきと情報収集に動く様を見たのと、夕食時におキヌ復活までの話を聞いたからだった。
 女華姫は美神事務所に全幅の信頼を置いていた。

 「じゃあ、私も入れるウチに入っちゃいますから・・・美神さんたちが帰ってくるまでには、絶っ対に出しておいた服を着てくださいね!」

 おキヌはそう言ってエプロンを外すと、自身の着替えを取りに自分の部屋へと向かっていく。
 気にしているのが美神ではないことを理解した女華姫は、その背に向かい苦笑混じりの返事をした。






 ちゃぷ・・・

 湯船に張られた湯の中にゆっくり体を沈めながら、おキヌはそっとため息を吐いた。
 一日の疲れが湯に溶け出すような感覚に、心身共にリラックスしていくのが分かる。
 色々あったせいか、今日の風呂は格別の味わいだった。

 「今更だけど、私、本当に幽霊だったんだな・・・」

 夕食時に女華姫に聞かせた話を、おキヌは頭の中で反芻する。
 美神たちとの出会いから生き返るまでの道のり。女華姫は物珍しそうに聞いていたが、それを話したおキヌ自身もどこか奇妙な気分を味わっていた。
 生身の生活に慣れれば慣れるほど、自分が幽霊だったという実感が徐々に薄れていく。
 それが霊体が安定するということらしいが、こうやって昔の自分を知る人に出会ってみると、幽霊だった自分と生身の自分、どちらが本当の自分なのか迷いが生じてくる。
 どちらも本当の自分だと分かってはいたが感覚的な違いはどうしようも無かった。

 「変よね。どっちも私なのに・・・」

 湯に浸かりながら考え事をしていると、頭がぐるぐると回るようで思考がまとまらなくなってくる。
 おキヌは少し頭を冷やそうと、湯船の縁に腰掛けるように体を湯の外に出した。
 臀部の少し下辺りに痛みを感じ、おキヌは体を曲げその部分に視線を向ける。
 昼間、尻餅をついた場所が薄い青あざになっていた。

 「そう、これが私の体・・・・・・」

 なんのことは無かったが、そのことが妙に自分が生身であることを実感させ、おキヌは軽い微笑みを浮かべた。
 もっと生身の自分を実感しようと、おキヌはまだ成長過程にあると固く信じる部分に掌を当てる。
 彼女の脳裏に先程の横島の言葉が思い出されていた。
 そして、その部分がもっと存在感を持つようにと、おキヌは強く念じながらふにふにと手を動かし始めた。

 「・・・おキヌ、何をしておるのだ?」

 「キャッ!」

 背後から突如声をかけられ、おキヌは軽い悲鳴をあげ湯船に飛び込む。
 慌てて振り返ると、霊体の状態になった女華姫が浴室のガラス戸をすり抜けていた。
 高貴な出の女華姫は、この辺りにプライバシーの感覚が希薄だった。

 「イヤ、コレハ、おキヌ・バスト・グローイングアップ・フェノメンといって・・・」

 しどろもどろになりながら、おキヌは無遠慮に浴室内へ入り込んできた女華姫に意味不明なことを口走る。

 「何となくわかったが、そんなコトせんでも・・・おキヌは十分通用すると思うがな」

 「イ、一体ナンのコトです!?」

 「あの横島という男のことだが違うのか?」

 言葉に詰まったおキヌの反応に、女華姫はにんまりと笑った。

 「自信を持て! 器量よしのお前のことだ、きっとうまくいく」

 女華姫は湯から僅かに覗いたおキヌの肩を、ぴしゃりと励ますように叩いてから昔を懐かしむような顔をする。

 「こんなわらわでも我が君は愛してくれた、我が君はわらわをぎゅっと抱きしめ可愛いと囁いてくれた・・・」

 「幸せだったんですね。女華姫様・・・」

 「ああ、愛する人と共におキヌの眠る祠を守り続け、母にもなれた・・・おキヌのことだけが気がかりだったが、もう思い残すことはない。後は我が君を見つけあの世に帰るだけじゃ」

 幸せそうな笑顔をみせた女華姫に、おキヌもつられるように笑顔を浮かべた。

 「で、それを言うためにここに?」

 「おお、そうじゃ、美神殿の母上からメールというものが届いたらしくての。待ちきれんので呼びに来た・・・」

 「わかりました。すぐに上がりますから外で待っていてください」

 愛する人がいなくなった女華姫の気持ちは良く理解できた。
 それに、おそらく上半身裸のまま、脱衣所の外に放置されているであろう早苗の体も気になる。
 おキヌはクスリと笑うと、女華姫が出ていくのを待って入浴を手短に切り上げた。









 深夜、美神事務所
 すっかり寝静まった事務所内に、カチャカチャと控えめなキーボードの音が響く。
 間接照明に切り替えた室内でパソコンのモニターがぼんやりとした光を放ち、美神の姿を薄暗い室内に浮かび上がらせていた。
 除霊から帰ってきてから既に数時間が経過している。
 おキヌが集めた資料を分析し、本格的な導師探索を明日からと決めたのはつい1時間前のことだ。
 明日に備え事務所のメンバーに睡眠をしっかりとるよう申しつけてから、美神は昼間の一件と今夜の除霊についての報告書を作成していた。
 目には悪いのだろうが明かりを点けたままデスクワークを行うと、おキヌが気を使い付き合ってしまう。
 つい長引いた風を装い事務仕事をするのが美神の習慣になってしまっていた。

 「遅くまで精がでるの」

 慣れない環境からか、それとも夫の行方が気になるのか、女華姫はおキヌの部屋を抜け出すと事務所へと姿を現していた。

 「眠れないの?」

 暗闇に浮かぶ女華姫の霊体にも驚かないあたり、さすがオカルトのプロといったところか。
 美神は作成中のファイルを上書きしキーボードから手を離した。

 「もう、わらわに眠りは必要ない・・・が、早苗には休息が必要じゃろう」

 「・・・ウチの事務所の結界は好都合だったということね」

 霊媒として類い希な才能を持つ早苗と、その先祖たる女華姫の親和性は高い。
 しかし、専門の訓練をしていない早苗には長時間の降霊は負担となるはずだった。
 美神は事務所の結界を利用し、女華姫が一時的に早苗を解放したことを理解する。

 「しかし、若いのに大したものじゃな・・・」

 「何のこと?」

 書類作成も一段落ついたのか美神はPCの電源を落としてから席を立つと、ポットのお湯で紅茶を入れはじめた。
 おキヌならばお湯を沸かすところから始めるのだろうが、別段そこまでの味は求めていない。

 「その器量で実力も一流。我が君についての情報を集めた人脈を持つのも肯ける・・・そして当然のように手伝ってくれる気前の良さ」

 「おだてたって何も出ないわよ。それに、ロハで手伝うのはおキヌちゃんのお友達だから」

 無愛想ともとれる態度で、美神は紅茶にブランデーと蜂蜜を一垂らしする。
 美神相手に金銭交渉をしないですんだ幸運に女華姫は気付いていない。
 集めた資料を元に、美神たちは明日から導師の行方を捜すことになっていた。
 幸いにも明日は土曜、おキヌは学校を休まずに行動を共に出来る。

 「が、それだけにわからん。美神殿なら言い寄ってくる男など星の数ほどいるだろう」

 「それが何で分からないのよ? 女は結婚して家に入れなんて、300年前の理屈を言うんじゃないでしょうね・・・」

 「一体、横島殿のドコがそんなに良いのじゃ?」

 女華姫が口にした言葉に、美神は口を付けていた紅茶をゴクリと飲み込んでしまった。
 食道を熱い塊がゆっくりと通過するのが分かる。
 時計の秒針がきっちり一周する間、美神は固まったように動かなかった。

 「な、ナニを言ってんのよ! アンタはっ!!」

 「男は年上が良いと思うのだが。わらわと我が君のように・・・」

 女華姫のビジュアルで語られるのろけ話は、友人でも何でもない美神にはショックが大きい。
 アルコールではない原因によって赤くなった顔から一気に血の気が引いていた。

 「導師が年下なら惚れなかったって訳でもないでしょうに・・・」

 「我が君は年上でなくてはならん!」

 早苗の姿でいるうちからさんざん聞かされているのろけ話。
 辟易したような美神の言葉は、叫びにもにた女華姫の声に止められていた。

 「あ、いや・・・大声を出してすまん。我が君には、わらわより先に転生して貰わなくてはならんのだ・・・」

 「アンタ、転生の仕組みを知っているの?」

 美神は驚いた様子で、女華姫に詰め寄る。
 死後、記憶が一定の処理を受けるということはオカルト業界では常識だった。
 有名なものでは、冥界を流れるレテ川の水を飲むと記憶を失うという伝承がある。
 まれに前世の記憶を残す者もいるが、それは前世に於いての生前の記憶に過ぎない。
 死後、魂がどのような行程をへて再生するのか?
 数多のオカルト学者が求め、未だに答えを知り得ない問いを美神は口にしていた。

 「・・・・・・?」

 女華姫は何も思い出せないとでも言うように首をかしげる。
 厳重な情報管理が引かれていることを理解し、美神は肩の力を抜いた。

 「やっぱり、そう簡単に転生の謎は手に入らないか・・・でも、何で先に転生して貰わなくてはならないの?」

 この質問には答えられるのか、女華姫はもじもじしながら小声で呟く。

 「我が君が先に生まれてくれれば、わらわは後を追いかけ絶対に我が君を探し出す。わらわには我が君と出会えない人生など考えつかん」

 「あ・・・・・・」

 女華姫の言葉を聞き、美神は胸が熱くなるのを感じた。
 いや、胸だけではない。疼きにもにた温かい波動が全身に伝わり、美神は自分の体を抱きしめるようにして椅子に全身をもたれかける。
 横島よりも先に生まれた自分。それならば、二人の出会いは彼の努力に他ならない。
 突如感じた満たされた気持ちに、美神はメフィストの記憶が悦びを感じたのだと思っていた。

 「・・・だから、霊媒師から導師を助けようと?」

 「そうじゃ。持ち霊とされてしまい転生が叶わなくなったら・・・」

 「安心して・・・」

 美神は上気した顔を見られたくないのか、椅子から立ち上がると女華姫に背を向ける。

 「必ず導師は助け出してあげる・・・たとえ、相手が何者でも」

 「ひょっとして・・・ひょっとして美神殿たちも、前世で縁が・・・」

 自分の話を聞いた美神の反応から、女華姫は美神と横島の縁を感じとっていた。
 美神は小さく。本当に小さく肯くと、そのまま自分の部屋へと向かっていく。
 女華姫は感極まったような表情でその後ろ姿を見送った。

 「すまんなおキヌ・・・わらわはどちらも応援したくなってしまった」

 女華姫はすまなそうな表情を浮かべ、小声でそう呟いた。









 翌日
 木造二階建てのアパートの一室に電子音が鳴り響いた。
 けたたましく鳴り出した目覚まし代わりの携帯のアラームに、目覚めた横島はのろのろと布団から手を伸ばす。
 寝ぼけた意識が若干の違和感を感じたものの、横島はいつものようにアラームを止めようとしていた。
 しかし、いつもは簡単に止まるはずのアラームは何故か鳴りやむ様子を見せない。
 何度かチャレンジしてから、横島はようやくその音がアラームではなく呼び出し音であることに気がついた。
 液晶に表示された情報から、横島はそれが美神の携帯からかけられたものであることを理解する。
 時刻は6時半を少し過ぎたばかり。
 8時に事務所を出発のはずだったが、急な電話をかけてきたところを見ると何か状況に変化があったらしい。
 横島は携帯を開くと通話ボタンを親指で押した。

 「どうしました? 美神さん」

 「・・・昨日の依頼主からクレームよ。10分でそっちに着くからそれまでに支度しといて」

 クレームという響きに横島の背筋に悪寒が走る。
 携帯から聞こえてくるコブラの排気音が、切迫した事態を表していた。
 信頼で成り立っている業界だけに、依頼主からのクレームには早急な対処が必要である。
 昨夜の除霊は、霊を引き寄せやすい物件の除霊と結界の設置。
 後日、美神の指示通りにリフォームすれば問題は解決するはずだった。
 横島は自分が設置したお札の位置を素早く頭に巡らせる。

 「ひょっとして俺がミスったんですか?」

 「それをこれから確認にいくんだけど、ミスの可能性は低いのよね・・・依頼主にも引き渡し時にちゃんと確認してもらっているし」

 美神の口調に叱責のニュアンスがないことを感じ、横島は安堵の表情を浮かべた。

 「とにかく、昨日の物件に霊が戻ってきたのは事実らしいわ。私とアンタで再度除霊を行い原因を究明する・・・いいわね」

 「了解っス! 速攻で片付けて、後は予定通りって訳ですね」

 「そういうコト。遅れるんじゃないわよ」

 通話が終わった携帯を折りたたみ、横島は脱ぎっぱなしにしていたGパンに手を伸ばす。
 他の身支度と言えば洗顔、歯磨きくらい。
 朝食に何かと思ったが、集合時にご馳走になるつもりだったので炊飯器の支度はしていなかった。
 横島は苦笑を浮かべつつ、いつもはブラックで飲むインスタントコーヒーに砂糖を沢山放り込む。
 少しでも血糖値を上げようという涙ぐましい生活の知恵だった。




 早朝という時間帯を考慮してか、エンジンの音も抑えめにコブラがアパートの前に停車する。
 横島は既に身支度を済ませアパート前に待機していた。

 「支度が早いじゃない」

 美神はそう言うと、助手席に置いていた包みを自分の膝の上に移動させる。
 横島を座らせるためのスペース作りだった。

 「俺の場合、身支度って言っても大した手間じゃないッスからね」

 横島は先程と同じような苦笑を浮かべながら、コブラの助手席に体を潜り込ます。
 ドアが閉まるのを確認すると、美神はすぐにコブラを発進させた。

 「んで、状況はどうなってんスか?」

 加速によるGを背中に感じつつ、横島はクレームに至る経緯を美神に質問する。
 横島自身、昨夜の除霊に落ち度があったとは思えなかった。

 「6時ちょっと過ぎに依頼人から知らせがあってね・・・」

 美神は手短に電話の内容を説明する。
 除霊を行った物件に再び雑霊が戻って来てしまったらしく、確認のため物件に寝泊まりした依頼人は軽いパニックに陥っていた。
 依頼主の話によれば、除霊を行う前よりも目撃する浮遊霊の数が増えているらしい。
 実害は出ていないようだが要領を得ない依頼人の説明に、美神はすぐに向かうことを約束し電話を終了させた。

 「・・・て訳で急いで現地に向かうことになったのよ!・・・ナニよその顔は」

 不思議そうな顔で自分を見つめる横島に気付き、美神は怪訝な顔を浮かべる。

 「いや、朝が弱い美神さんがよく電話に出たなと思いまして・・・それに寝起きにしてはすごく綺麗だし」

 「な、ナニ馬鹿なコトいってんのよっ! アンタ、まだ寝ぼけてるんじゃない!!」

 美神は血色の良かった頬を更に赤らめ、慌てたような声を出した。
 その反応に横島は更に不思議そうな顔をする。
 低血圧な美神の寝起きは、もっとスロースタートのはずだった。
 依頼人からの電話を受けてから事務所を出るまでの僅かな時間に、美神はどれ程の身支度を行ったのか?
 化粧などには疎い横島だったが、それでも男の自分より数段手間が掛かることは理解していた。

 「どうせ10分じゃロクな食事もしてないんでしょ! コレでも食べてシャキッとしなさい!!」

 照れ隠しを含んだ動作なのか、美神は素っ気ない仕草で自分の膝の上に置いていた包みを横島に押しつけた。

 「うわっ! めちゃくちゃ助かります!!」

 包みの中身を確認し、横島は喜びの声をあげる。
 ほんのりと温かさを残すおにぎりが3つ、アルミ箔に包まれ小型の魔法瓶に寄り添っていた。

 「朝飯ゴチになろうとしてたんで何も用意してなかったんスよ・・・・・・すっげー美味いッス」

 アルミ箔を剥がし、大きな口でかぶりついた横島は感動にも似た声を発する。
 まだ温かさを残すおにぎりは炊きたてのご飯を握ったのだろう。
 口に入れた途端にはらりとばらけ、握るときにつけた手塩の塩加減と、中身に詰めた佃煮の味が白米の旨味を絶妙に引き立てていた。
 横島は瞬く間に一個目を平らげ、コップに注いだ魔法瓶のお茶を満足そうに啜った。

 「やっぱり、不思議っスね・・・」

 「何がよ・・・」

 運転中の美神は横目で横島を見る。
 先程から自分に向けられていた不思議そうな視線は更に深まっていた。

 「身支度で忙しいはずなのに、おにぎりまで作ってくれて・・・」

 横島の言葉に美神は驚いた顔をする。
 朝食用に炊きあがったばかりの白米。火傷しそうな程熱いそれを見事な手つきで握ったのは他ならぬ美神だった。

 「何でわかったの・・・」

 「美神さんの味がしましたから・・・うわっ!!」

 何気なく口にした自分の返事が、事故を引き起こしそうになるとは横島も思ってみなかっただろう。
 その言葉を聞いた美神はハンドルを切り損ね、横島が持ったコップの中で飲みかけのお茶がこぼれそうなほど暴れる。
 豆腐屋の親父にダメ出しされるのが確実なコーナーワークを見せ、コブラは何とか体勢を立て直した。

 「に、握る前にちゃんと手を洗ったわよ! イヤらしいっ!!」

 美神の口調には事故りそうになったのとは別な動揺が浮かんでいた。
 耳まで真っ赤な美神に、横島は彼女の臨界点が近いことを察する。

 「俺が口にする言葉は全てセクハラ扱いっスか?」

 「そうよ! アンタは存在自体がセクハラよっ!!」

 適度なガス抜きを終わらせた横島は、苦笑を浮かべながら二つめのおにぎりに手を伸ばした。

 「傷つくなー・・・・・・おキヌちゃんからなら、美神さんは必ずそう言ってから渡すでしょう?それに・・・」

 横島はそう言いながら、片手で器用にアルミ箔を剥がす。
 左手はお茶の入ったコップを握ったままだった。

 「握る人で味が違うのは本当のコトっすよ! 嘘だと思うのなら自分で食べてみてください」

 横島はそう言うと、右手に持ったおにぎりを美神の口元に差し出した。
 左ハンドルのため覗き込まれるような姿勢になった美神は、むず痒いような気分を味わいながら恐る恐るおにぎりに口をつける。
 断らずに口をつけたのは毒味の心境だった。

 「ね! 違うでしょう?」

 にこやかに覗き込む横島に、美神は照れくささを隠しながら口の中のおにぎりを咀嚼する。
 食べている時の口元を凝視されるとどうも落ち着かない。それに自分にとっては何の変哲もないおにぎりだった。

 「違いなんてわからないわよ。単にアンタがお腹を空かせて・・・・・・!」

 自分を見つめる横島の笑顔に徐々に邪悪なものが混ざっていく。
 その変化を目の当たりにし、美神は横島の意図にようやく気付いた。

 「アンタ、最初からソレを狙って!!」

 引っ込められた食べかけのおにぎりを取り返そうと美神は右手を伸ばす。
 コブラは大きく蛇行した。

 「ふはははははっ! どうせセクハラ野郎と思われているのならっ!」

 横島は口を大きく開けると、美神が口を付けたところを味わうように齧り付く。
 殴られながら口にしたソレは本当に美神の味がした。







 「えーっと、やっぱり助手の方の失敗だったんでしょうか?」

 新築のマンション
 美神の到着を待ちかまえていた依頼主は、顔を腫らせた横島を見て失敗の原因を憶測する。
 苛烈な性格で有名な美人GSが、失敗した部下をきつく責め立てたと男は想像していた。

 「コレは別件です。早速霊障のあった最上階を調べて見ましょう・・・行くわよ! 横島クン」

 「あ、ちょっと待って下さい。今、霊が集まっているのは地下駐車場なんです」

 依頼主の男の言葉に、美神と横島の足が同時に止まった。

 「この物件に起こった霊障は、最上階の設計がアンテナの役目をしてしまったからだと説明しましたね」

 「ええ、ですから一晩泊まってみて安全を確認しました。それで、明け方ゴルフに出かけようと地下駐車場に降りたところ・・・」

 電話口では聞かされなかった情報に美神は歯がみする。
 もし意図的であったら、別な霊障をクレームで処理させる悪質な依頼主ということになるが、目の前の男はそれ程気の回るタマには見えなかった。
 それに、少しでも目端の利く者ならば、美神相手にただ働きさせようとは思うはずがない。

 「地下の霊障は別な原因が考えられますね。少なくとも地下の霊が最上階に上がらなかったのは、私共の結界が正常に機能している証拠です」

 「そんな馬鹿な・・・次から次へと別な霊障が起こるなんて」

 「確率的に無い話ではないんです。運が悪かったとか・・・御祓いでもしてみます?」

 依頼主は美神のブラックジョークに気づかない様子だった。
 横島が素早く装備の変更を行ったのを横目で確認すると、美神は地下駐車場へのスロープに向かっていく。
 受け取った見鬼君は方位磁針のように一定方向を指し続けていた。

 「横島クン、地脈マップを出しといて・・・」

 見鬼君が見せた反応に美神は一抹の不安を覚える。
 昨夜の除霊の時には検出しなかった地脈の流れを、見鬼君は検出していた。

 「こりゃ凄いっスね・・・」

 地下二階分ある駐車スペースの最下部に降り立った時、横島は目の前に集まった雑霊の集団に感嘆の声をあげた。
 霊団と言っても差し支えのない数の雑霊が、駐車場の床に張り付き一心不乱に何かを吸収しようとしていた。

 「ガキの頃にやった虫取りを思い出しますよ・・・」

 「うまい例えかもね。樹液に群がる虫のように、コンクリの基礎から漏れる地脈を吸いに霊が集まっている」

 「え、それじゃあ・・・」

 不安な声をあげた依頼主に美神は地脈マップを指し示す。
 丁度、この物件の真下を通るように地脈の流れが地図上に書き込まれていた。

 「ええ、昨夜の除霊とはまったく別な霊障です。この色は都市計画によって流れを変えられた印なんですが、何者かが地脈の制御を解いた・・・」

 何気なく言った自分の言葉に、美神は衝撃を受けていた。
 動揺を気取られないように踵を返すと、美神は一刻も早くこの場を後にしようとする。

 「ちょ、ちょっと待って下さい! このまま放っておくんですか!? 地脈を再び制御してくれるとか」

 慌てて追いかけてくる依頼主にも足を止めず、美神は素っ気ない口調で応対した。

 「地脈の制御は国家レベルの事業です。建設会社の一存で行えません・・・それに契約にあった除霊は問題なく行えていましたし。地下にも同様の結界を張れば少なくともこれ以上の霊の流入は避けられますが・・・」

 「また、お金がかかるんですか!?」

 「ええ、3千万ほど・・・と、言いたいところですが昨夜除霊したのも何かの縁です。実費の一千万ですぐに結界を張ることもできますがどうします?」

 こう言っている間にも美神は歩みを止めようとしない。
 既に地下一階へ上がるスロープは目の前まで来ていた。

 「分かりました・・・しかし今は小切手の準備が」

 「後で結構です。小切手を取りに来るとき、ついでに今いる雑霊の除霊もサービスします」

 美神はポケットから破魔札を取り出すと部屋の隅に無造作に貼り付ける。
 その札の値段が100万であることに気付き横島は笑いをかみ殺した。

 「横島クン! コレと同じものを他の隅にも、終わらせたらすぐに追いかけてきて」

 美神はそう言い残すとすぐに地上に向けて走り出した。
 その姿に唯ならぬものを感じ、横島は急いで作業を終わらすと美神の後を追いかける。
 横島が地上に現れるのと、駐車場の出口にコブラが横付けされたのはほぼ同時だった。

 「そんなに慌てちゃってどうしたんスか? まあ、慌ててた割には相変わらずの阿漕な商売でしたが・・・」

 横島が飛び乗るのと同時に、猛スピードで走り出したコブラ。
 急激なGに顔をしかめながら、横島はいつものような軽口を叩く。

 「本当はほっといても良かったんだから良心的よ! それより、急いで事務所に連絡して・・・」

 「まあ、ほっといて厄介な霊が寄ってくるよりは良心的ですか・・・んで、なんて伝えればいいんです?」

 横島は慣れた手つきで携帯を操作する。
 事務所の番号はアドレスの二番目に記録されていた。

 「私たちが帰るまで結界を最強にして表に出るなって・・・」

 「まさか、今回の件と何か関係が」

 ただならない美神の様子に、横島もようやく地脈の封印解除と降霊させられた導師の関連性に気付く。
 携帯から聞こえる呼び出し音が積み重なる度に、横島の中で不安が増大していった。









 横島と美神が現場に到着する少し前
 8時出発に間に合うよう身支度を済ませた残留メンバーは、手持ちぶさたな時間を過ごしていた。

 「うーっ! もうすぐ予定の時間になるでござるよ」

 捜索を控え散歩に行かなかったシロは、欲求不満気味に室内をうろうろする。
 散歩で思いっきり汗をかきシャワーで洗い流すのを日課にしている彼女にとって、運動量のない朝はどうも気持ちがモヤモヤしてしまっていた。
 そんなシロを相手にする気にもなれないのか、タマモは興味なさそうに女性週刊誌の鬼嫁記事に目を通す。
 おどろおどろしい記事の余白に、投稿されたペットの紹介コーナーがあるなどくらくらするほど素敵な編集の雑誌だった。

 「美神さん、おにぎり持っていったみたいだから・・・少し遅くなるかも知れませんね」

 食後のお茶を啜りながらおキヌがポツリと呟く。
 おキヌはキッチンの汚れと炊飯器の様子から、自分が朝食の支度をする前に美神が何かしらの作業を終えたことに気付いている。
 みそ汁の出しをひくため目覚ましをかけた6時半には、美神は既に作業を完了させていた。

 「仕事の苦情が来たのならしかたあるまい。あの若さで一国一城の主じゃ・・・女手一つではいろいろ気苦労もあるだろう」

 女華姫が取りなすようにおキヌの言葉を引き継ぐ。
 昨夜の会話が原因か、彼女はおキヌを慰めつつ美神の立場をさりげなくフォローしていた。

 「そういうことね。みんながみんな同じことをやっている訳にもいかないし、役割分担も必要よ!」

 タマモは雑誌を放り投げると、横島だけを連れて行った美神のことをストレートに口にする。
 その口調が何処か刺々しいのは、散歩に行かないシロの相手を朝からずっとしていたからだろうか。
 しかし、どこかモヤついた残留組の雰囲気は床に落ちた雑誌によって霧散する。

 ―――これで確実にバストアップ!
    バスト・グローイングアップ・フェノメン

 廻し読みしているメンバーが余程しっかり目を通したのだろう。
 雑誌のページは独りでに開くまでにクセがついてしまっていた。

 「はあ・・・」

 三方から同時に聞こえたため息に苦笑しつつ、女華姫は床に落ちた雑誌を拾い上げようとする。
 その手を不意に止めると、彼女は窓辺に近寄り事務所前に立っている男を見下ろした。

 「あの男・・・」

 女華姫は急いで階段を駆け下りると事務所の外を目指す。
 ヘッドホンをかけながらゆるい感じで立っていた男は、霊媒師特有の雰囲気をまとわりつかせていた。




 「へえ、少し呼んでみただけなのに・・・」

 「貴様が我が君を呼び出したのか?」

 女華姫と対峙した男は真っ正面から吹き付けられた殺気を軽く受け流す。
 柳に風。春風駘蕩たる雰囲気を纏った男は自分の能力に相当自信があるようだった。

 「女華姫様! この人が導師さまを召還したんですか!?」

 慌てて女華姫の後を追いかけてきたおキヌが男を睨み付ける。
 シロ、タマモも警戒の視線を男に向けていた。

 「やっぱ、女華姫だったか・・・霊媒師について嗅ぎ回っている奴らを調べて来いと言われただけだったけど、アンタに会えるとはラッキーだったな。アンタの旦那を召還したのは俺の兄貴だよ」

 こともなげに犯人の身内であることを白状した男におキヌたちは呆気にとられる。
 男の纏う極めてゆるい雰囲気に、女華姫を除く3人は飲まれ掛かっていた。

 「で、アンタの旦那がなかなか言うことを聞いてくれなくてね。俺が説得のためにアンタを召還することになったんだけど一足遅くて・・・その子と親和性が高いんだね。子孫かなんかかい?」

 「我が君に何をやらそうというのだ・・・」

 「地脈を少し暴れさせ東京に直下型の大地震を起こす・・・簡単だろ?」

 まるで天気の話をするかのように大災害起こすと口にした男に、女華姫の顔が強張る。
 死者の魂と長い間交流しているせいで、男の精神からは生と死の境界が消え失せていた。
 良く言えば無垢。悪く言えば放送コードに引っかかる。
 死んでも生きられる・・・男は真剣にそう思っていた。

 「・・・我が君がそのような真似をするわけがなかろう」

 人の死を何とも思っていない男に、女華姫は吐き気すら覚えていた。
 おキヌの命を犠牲に地脈を断った最愛の男は、一生をその贖罪に費やしたといっても良かった。
 江戸に戻れば破格の待遇で迎え入れられただろう彼は、おキヌの体を守り続けるため小さな社の宮司でその一生を終えている。
 共に守り続けたいという女華姫の思いを受け止め、彼は様々な困難を乗り越え女華姫を妻に迎えていた。

 「だから、アンタを人質にと思ってね。悪いけど大人しく俺の持ち霊になってくれない?」

 男の背後に人魂が浮かぶ。
 どうやらその人魂が男の持ち霊らしかった。

 「断る・・・だが、お前の兄の所まで案内はしてもらおうか。我が君をいつまでも持ち霊などにはさせておけぬ」

 「だーかーらーっ! 俺らのでっかい目標のためにちょいと地震を起こしてくれれば解放するって。全く、他の奴らが召還した導師たちはすぐに制御を解いたって言うのに・・・地震起こすくらい問題ないじゃん!!」

 「ふざけるなっ!」

 激昂した女華姫は男に飛び掛かろうとした。
 精神力がものをいう霊媒師の勝負では、冷静さを失った方が負ける。
 男は己の勝利を確信し、持ち霊の侍を自分の体に憑依させると相手を見切ったときの口癖を呟いた。

 「小っちぇな・・・」

 自分が今回の話での禁句を口にしたことに、男は最期まで気付くことは無かった。



 「アナタがッ!」

 「泣くまでッ!」

 「殴るのをッ!」

 「止めないっツ!!!」




 15分後
 1ダース以上の交通法規を無視し事務所に駆けつけた美神と横島は、おキヌたちに泣いても殴るのを止めて貰えなかった男と対面することとなった。
















 都内某所
 地下鉄の保線作業を行う管理通路の入り口前に、美神たちは姿を現す。
 先程捕らえた男は、この通路から地脈を制御する施設への出入りを行っていたらしい。
 文珠によって読み取った男の記憶。
 その記憶を頼りに、美神たちはこれから導師の奪還を行うつもりだった。

 「しっかし、東京都民を生け贄に【大いなる精霊】を降霊させるなんて正気の沙汰とは思えませんね。つーか、【大いなる精霊】とか【霊媒師の王】ってなんなんです? アイツも本当のところはよく知らなかったみたいだし・・・」

 横島は悪態をつきながら男のつけていたヘッドホンを頭につける。
 記憶を読み取るついでに男たちの目的も読み取っていた横島だったが、結局何がやりたいのかは理解できなかった。

 「本人が知らないのに私が分かるわけないでしょっ! とにかく、そういう訳の分からない奴らはギッタギタにして、二度と馬鹿な考えを起こさせないようにしてやればいいのよ!!」

 美神はそう言ってからケースに収められた不定形の物質を横島の頭から被せる。
 それは見る間に横島の全身に広がっていき、先程捕らえた男の外見を作り出していた。

 「ほう・・・実際にみるとたいしたものだな」

 「エクトプラズムスーツって言うんですよ。外見を似せるだけですけど、導師様を召還した霊媒師に近づくだけだったら・・・女華姫様、本当に大丈夫なんでしょうね?」

 これから行う作戦内容を反芻し、おキヌは不安げな視線を女華姫に向ける。
 作戦は至ってシンプル・・・先程捕らえた男に化けた横島が、女華姫を連行し中枢に潜り込むというものだった。
 導師を召還した霊媒師の5m以内に接近すれば、後は女華姫が何とかするらしい。

 「わらわを信じよ! 先程はおキヌたちに先を越されたが接近戦ならばわらわは無敵じゃ!!」

 早苗から抜け出し、笑いながら力こぶを見せつけた女華姫は、不意に優しい顔をおキヌに向ける。

 「それにな・・・おキヌたちにはまだ分からぬだろうが、愛する者のためならば時に信じられない程の力を出せるのだぞ」

 「分かります、それくらい・・・」

 「ふっ・・・そうか、すまなかったな子供扱いして」

 横島に視線を向けたおキヌの頭をクシャクシャと撫でてから、女華姫は早苗の体に戻り両手を横島の方に差し出した。

 「頼みましたよ。横島殿」

 「すぐに解けるように結びますからね・・・」

 横島はそう言いながら女華姫の手にロープを巻き付ける。
 連行を装って敵の中枢に潜り込むには必要な演出だった。

 「さて、ママがあの男に気付いたようよ。オカGが来るまでに片付けちゃいましょう」

 マナーモードに切り替えた美神の携帯が点滅する。
 一連の霊媒師の計画を知った美智恵からの呼び出しらしい。
 美神は先程、美智恵ならば気付くレベルの情報をメールで送っていた。

 「美神殿には、本当に世話になりました」

 両手を戒められながら女華姫は深々と美神に頭を下げた。
 東京を灰燼に帰す計画を知って尚、美神が導師を救出する時間を与えてくれたことに女華姫は気づいている。
 計画阻止を第一に考えた場合、導師の霊体を消滅させるのが最も効率の良い作戦だった。

 「気にすることはないわよ! 手柄を独り占めした方がもうけが大きいってだけだから」

 「それでは、そう言うことにしておきましょう・・・シロ殿、タマモ殿も援護を頼みましたよ」

 女華姫はシロとタマモにも丁寧にお辞儀すると、横島に伴われ地下通路に足を踏み入れていった。
















 東京の地下には無数に空間が存在する。
 多くは近年作られた地下鉄や下水施設などのインフラが中心だが、ごく僅かに呪術的利用を目的とした空間も存在した。
 それらの空間は巧みに隠蔽され、通常は人の目に触れないよう管理されていたが、希に地下鉄の延長などで際どいニアミスを生じさせることもある。
 今回、横島が向かった先はそのような接点の一つだった。

 「聞こえてる? 横島クン」

 懐中電灯を手に地下通路を進む横島の耳に美神の声が響く。
 ヘッドホンに紛れ込ませた通信機の感度は良好だった。

 「感度良好です。そっちはちゃんとついて来てますか?」

 「シロ、タマモは夜目が利くからね。女華姫が行動を起こした瞬間、一気になだれ込める距離にはつけているわよ」

 「了解です。ヤツの記憶ではそろそろ・・・ありましたね。結界で偽装されてますが入り口を見つけました」

 横島は昭和初期に造られ放棄された路線の一角に、空間の歪みを感じ取る。
 レトロな雰囲気を醸し出すタイル張りの壁に恐る恐る手を触れると、壁は何の抵抗も見せず横島の手を飲み込んだ。

 「行きます・・・こちらからの通信は以上で」

 「了解。油断しちゃダメよ」

 美神の言葉には答えず、横島は女華姫を戒めたロープを握ると暖簾を潜るかの気安さで壁の中に飛び込んでいった。





 壁の中の空間は、霊的施設特有の淡い光に包まれていた。
 横島は懐中電灯をしまうと、男の記憶で読んだとおりか確認するため周囲をゆっくりと見回す。
 記憶で見た光景では、現在いる通路状の空間を奥に50m程進めば制御施設のある空間に辿りつくはずだった。

 「大人しくついてきな! もうすぐ会わせてやるからな」

 敵陣のまっただ中を意識した横島は、男がそうとるであろう態度で女華姫を連行する。
 作戦成功の鍵は演技力が握っている。目的の空間に辿りついても、横島はゆるい雰囲気を維持し続けていた。

 「おかえり・・・ご苦労だったね」

 地脈制御を行っている装置の向こうに、捕らえた男にそっくりな人影が立っている。
 霊媒師のリーダーである捕らえた男の兄だった。
 その周囲を固める20人近い霊媒師の姿に、横島は導師以外の召還された者たちが既に地脈を解放してしまったことを理解した。
 男の記憶では地震発生後、【大いなる精霊】をめぐりこの者たちは生死をかけた争いをするはずだった。

 「ああ、俺たちについて調べていた連中を始末したついでに、こんなラッキーなことがあってね・・・女華姫はこの女の中に降霊している」

 横島がそう言い放つと、リーダーの周囲を固める霊媒師がどよめきの声をあげる。
 戦闘狂特有の戦いへの期待に、横島は内心舌打ちをした。

 「さて、それじゃ、感動の再会といきますか」

 さりげなく接近を試みる横島。
 その歩みを聞き覚えのある声が静止する。

 「逃げろっ!」

 「我が君っ!!」

 リーダーの背後に一瞬だけ現れた導師の姿に、早苗の背後にも女華姫が姿を現す。
 導師はたちまち人魂の姿に変えられると、リーダーの手の中に握られてしまっていた。

 「美しい愛情だねえ。愛する妻の身を心配するなんて・・・もっと近くで会わせてやろうじゃないか」

 横島は揶揄するような態度で、紐を引っ張るとリーダーの方へ再び歩み始める。

 「いや、今のは君に対しての警告だと思うよ横島君・・・動くなッ!!」

 正体を見破られた動揺も一瞬。
 リーダーに対して踏み込もうとした横島と女華姫を、鋭い声が静止させる。
 彼の手の中では導師の魂が苦しげにひしゃげていた。

 「5m以内に接近して何をするつもりか知らないが、それ以上近づいたら導師の魂を砕くよ」

 リーダーの目に本気を感じ取ったのか、女華姫が小さな悲鳴を上げる。
 横島はエクトプラズムスーツを解除すると諦めたように両手を挙げた。

 「見破られていたって訳か・・・20人もの霊媒師が相手じゃ抵抗はしないよ」

 降伏の意を表した横島の姿にリーダーは微笑を浮かべた。

 「美しい信頼関係だね。こっちの情報を流せば美神令子が何とかしてくれると?」

 自分の発言に込められた意図を見透かされ、横島は苦労して驚きの表情を隠す。
 通信機によるモニターを意識してか、リーダーは呼びかけるように宣言する。

 「それじゃあ四人揃ってこっちに来て貰おうか、美神令子!」

 「来ちゃダメだ! 美神さん、コイツはヤバすぎる!!」

 待機した人数まで言い当てられ、横島は腹芸を諦める。
 横島の心が折れたことに、多少つまらなそうな顔をしたリーダーはゲームの相手を美神に切り替えた。

 「来ないと今すぐに地脈を暴れさせるよ! 今の地脈だけでも10万人は殺せる・・・だけど正直な話、生け贄は100万人は欲しいからやりたくないんだよね。それが君に有効か分からないし・・・だからラストチャンスに賭けないかい?」

 「・・・私に、賭を挑むなんていい度胸じゃない」

 リーダーの言葉に何を感じたのか、美神たちは言われるまま制御装置のある空間に姿を表す。
 極めてクールに自分を射抜く視線を受け止めたリーダーは、酷く落胆した表情を浮かべていた。

 「なんだ・・・最初から切り札を握ってしまってたのか」

 つまらなそうに呟いたリーダーに、美神の顔に動揺が走る。
 その顔を見たリーダーは、珍しく驚きの表情を浮かべた。

 「へえ、君の父親も僕と同じ体質なのかい? それじゃ、真に気をつけるべきは君の母親と師匠というわけか」

 リーダーの吐いた台詞に、横島は自分たちが手玉にとられた訳を理解する。
 相手は自分たちの思考を読みとれるようだった。

 「考えが読めるのだったら何故こんな回りくどいことを? 導師の考えを読めば制御キーは手に入るはずでしょ」

 「読めるのは生きている者の思考だけでね。だからこそ仲間の霊媒師も降霊中だけは寄ってきてくれるんだけど・・・・・・思考を覗かれて気にしないのは、僕のゆるい弟くらいだから」

 「アンタの・・・」

 「悪いけど弟は人質にならないよ。もとより、君たちに捕まってこうなることを期待してたんだから・・・全く、アイツは最後までやり遂げたってことがないんだから」

 美神の考えを読んだリーダーは瞬時にその考えを否定する。
 その台詞の裏読みするほどの余裕は美神には無かった。

 「さてと、僕が君たちに求めるのは邪魔をしないこと。しばらく黙って見ている見返りは、東京の運命を女華姫の選択に任せるっていうことでどうだい?」

 リーダーは楽しそうに女華姫に視線を移す。
 考えが読めない相手との交渉を、彼は心から楽しんでるようだった。

 「僕の持ち霊になれば導師を解放する。君も導師の制御キーを知っているのは調査済みだからね・・・導師の装置を使い彼の記録を残したのは君だろう?」

 リーダーの指摘に女華姫は動揺を隠せないでいた。
 彼女の表情からリーダーの話が本当だと感じ取った美神は、一か八かの賭けに出ようとする。
 しかし、捨て身の攻撃に出ようとした美神たちの動きは、女華姫のとった意外な行動によって止められていた。

 「動くな! 美神殿!!」

 女華姫は隣りに立っていた横島を捕まえると、その首に霊体の腕を巻き付けていた。

 「女華姫様! 何をするんです!!」

 「気でも狂ったでござるかっ!!」

 機先を制された美神が立ちつくす中、おキヌとシロが抗議の声をあげる。
 予想もしていなかった展開に、リーダーは堪らない笑顔を浮かべていた。

 「至って正気! わらわの腕は石灯籠をも砕く。横島殿の命が欲しかったら、そこで大人しくしておるのじゃ」

 「アンタ、アイツらと同じことをやってるって気づいている?」

 タマモが氷の目で女華姫を睨み付けていた。

 「百も承知、わらわの苦悩をお主たちも味わうがよいぞ・・・のう、おキヌ、美神殿」

 にらみ合う4人と女華姫。
 その間に行き交う殺気の何と凄まじきことか。

 「ほんの少しだけ同情してあげてたけど、やるしかないようね・・・丁稚に人質の価値はないのよ」

 美神の台詞にリーダーは吹き出すのを堪えていた。
 代わりに女華姫の笑いが辺りに響き渡る。

「そんな心構えじゃ勝負にならんぞ! わらわは我が君のためなら命も惜しくはない・・・自分の命も、他人の命もな。わらわは我が君の優しい手を知っている。抱きしめてくれたときの胸の厚み、耳元で囁いてくれる優しい声も・・・わらわは我が君無しでは生きられん!」

 女華姫は大きく行きを吸うと、続く台詞を地下の空洞中に響き渡るほどの大声で叫ぶのだった。













 「お主たちのように、自分で慰めるだけじゃ満足できんのじゃ―――っ!!!」












 時は止まった。


 美神たちはもちろん、横島や霊媒師たちも意識のブレーカーが落ちていた。
 人から聞いた話だが、母親に見けられ机の上に並べられたエロ本に気付いた中学生がこの状態になるらしい。
 念のために言うが作者の実体験では決してない。



 「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ―――ッ!!」



 予想外の更に外を行く発言に完全に凍り付く空洞内。
 その一瞬の隙を付き、女華姫の猛ラッシュがリーダーをはじめとする霊媒師の集団を再起不能にしていった。



 そして時は動き出す。



 未だ水を打ったように静まりかえった空洞内。
 導師の霊体を助け出した女華姫は、まるで何も無かったかのように早苗の体を抜け出すと、一同を振り返り別れの挨拶を一言だけ言い放った。

 「それじゃ、おキヌ、また来る!」

 心底申し訳なさそうにぺこぺこ頭を下げる導師の霊体を伴い、女華姫は虚空へと姿を消していく。

 「に・・・、二度と来るな! ボケ―――っ!!」

 ようやく金縛りがとけた美神たちの叫びは、女華姫には届いてはいないようだった。








 「はっ! オラ、一体?」

 一日ぶりに解放された早苗が驚いたように周囲を見回す。
 気付けば近くにいる男は山田ではなく、横島に代わっていた。

 「オラいったいどうしただ? 校舎裏で山田君といたのに? ここは一体どこなんだ?」

 早苗は呆然と立ちつくす横島の胸ぐらを掴みグラグラと揺すった。
 その衝撃で横島もようやく正気を取り戻す。
 横島は頭を振りながら今起こったことを反芻していた。

 「おれは今女華姫の能力をほんのちょっぴりだが体験した。い、いや・・・体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが・・・あ、ありのまま、今、起こった事を話すぜ!」

 横島は早苗というよりか自分に言い聞かすように続けた。

 「俺は女華姫に人質にされていた・・・と思ったらいつの間にか敵が壊滅していた。な、何を言ってるのか分からねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった・・・頭がどうにかなりそうだった・・・催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・何せ、みんなが自分で慰・・・ぶべらっ!!」

 横島が女華姫の台詞を口にしようとした瞬間、美神たち4人の拳が横島に炸裂する。


 ―――横島が・忘れるまで・殴るのを・止めない!


 その拳には強い意志が込められていた。

 「ぐはっ! 何するんスか美神さん! あ、シロ、タマモ、お前たちまで・・・・・・ああっ、おキヌちゃん君だけは・・・」

 容赦なく撃ち込まれる打撃の数々。
 理不尽な、しかし、避けようのない攻撃に晒され続け、そのうち横島は考えるのを止めた。







 余談

 広い敷地の中に存在する先祖の墓に向かい、神主姿の男と恰幅の良い女が歩いていく。
 自分の娘が解放されたことを、二人はまだ知らない。
 ふたりは言い伝えに残る、時折現れ嫌な空気を残し帰って行く先祖が、一日も早く娘を解放するよう先祖の墓に祈るのだった。

 その墓碑銘は―――女華姫(プリンセス・メガ)

 ちなみに供え物は蜜柑らしい。


 ――――――― スタンド・バイ・ミー ―――――――


           蜜柑?           


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