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太陽を盗んだ男

第九話


投稿者名:UG
投稿日時:06/11/12

 背中に感じる振動に、マルコの意識が覚醒を始める。
 うっすらと目を開けるが周囲は完全な闇。彼には自分が置かれている状況をすぐに理解することができない。
 次第に鮮明さを増す意識のなか、彼はブラドーに置いて行かれそうになったことをようやく思い出す。

 「ブラドー様! 置いてけぼりはナシっスよ!!」

 彼は周囲の状況を確認しないまま急いで上体を起こそうとした。
 大量に摂取した霊薬のおかげか体に残るダメージは皆無。それどころか彼の体は生命力に満ちあふれている。

 ガスッ!

 馬車の内部に響く派手な衝突音。
 彼の額には新たなダメージが刻まれた。





 「目が覚めたか? マルコ」

 車内から聞こえた衝突音に、ブラドーは前を見据えたまま声をかける。
 彼が姿勢を維持する理由はその音に気づいた様子もなく、彼の左肩に形の良い頭部をもたれかけたまま静かな寝息を立てていた。

 「ええ、おかげさんで、すっかり目が覚めました・・・」

 車内から聞こえる不平混じりの声に、ブラドーは思わず笑みを浮かべる。
 彼には仏頂面で額に手を当てるマルコの姿が容易に想像できていた。
 やがて馬車のドアが開く音がし、ステップを渡るようにマルコが御者座に近づいていく。
 三人で座れる広さではないため手すりに手をかけたままの姿勢だったが、その姿に杭のダメージを窺うことはできなかった。

 「棺に寝かすなんて何の冗談っスか?」

 大きな声で問いただしたかったが、ソリスが起きそうなのでぐっと堪える。
 起きあがる際、棺の蓋に痛打した額は未だズキズキと痛みを発していた。

 「長椅子はソリスに使わせようと思ってな。寝心地が悪かったか?」

 ちっとも悪びれた様子を見せず、ブラドーはマルコの問いに答える。
 彼らは身内にすら自分の棺を貸し与えることはない。
 自分が破格の扱いをされたことにマルコは気付いていなかった。

 「いや、死んだようにぐっすり眠れました・・・」

 「そうであろう」

 ブラドーの満足そうな声に、皮肉が不発だったことを悟ったマルコは苦笑を浮かべる。
 彼は棺に入れられたことを好意によるものと考えることにした。

 「でも何故かソリスさんはそこで寝ることになったと・・・」

 マルコは仕返し代わりに、未だこちらを振り向かないブラドーをからかい始める。
 ブラドーが姿勢を変えないのは、ソリスの睡眠を妨げないようにする以外の理由があるように見えた。

 「うむ、余の側が一番安心して寝られるそうだ」

 世間知らずの主人には、のろけを口にしている意識はないのだろう。
 全く照れた様子もない返事に、マルコはやれやれという顔をした。
 そんな彼の脇を数匹の蝙蝠が通過し馬の背に着地する。

 「・・・偵察っスか?」

 「言っていることがわかるのか?」

 「分かるわけ無いでしょう!」

 ブラドーの言葉につい大声を出しそうになるマルコ。
 微かに動いたソリスに彼らは慌てて声のトーンを落とした。

 「・・・蝙蝠の鳴き声すら聞こえませんよ」

 「たまに常人離れしている所を見せるからな。蝙蝠の声ぐらい聞けても不思議じゃないと思ったのだが・・・」

 「ヒトのことを何だと思っているんスか! で、その蝙蝠はなんと?」

 マルコはその蝙蝠が追跡者への備えと思っている。 
 昨夜ブラドーが先を急いでいたことからも、妖魔狩りはまだまだ自分たちを執拗に追い立てるはずだった。

 「今のところ後方に追跡者の姿は見えんそうだ。機動力を潰せたのは幸いだったな・・・しかし、奴のことアレが出てきたら」

 ブラドーはカオスフライヤーの存在を警戒していた。
 50年前、自分を寸前のところまで追いつめた忌まわしいカオスの発明品。
 陸路を追ってくる追跡者をまいたことは確かなようだが、空を追ってくるフライヤーが存在した場合、昨夜の内に稼いだ距離が帳消しになる。
 ブラドーが蝙蝠を使役し、周囲の状況を探らしているのはその辺りに理由があった。

 「奴? 俺の肩に杭を打ち込んだ奴っスか?」

 ブラドーの懸念を予想だにしないマルコは別な所に反応した。
 マルコの問いに答えようと、ブラドーは一旦フライヤーの存在を頭から振り払い昨夜あったことを口にする。

 「いや、あの者なら暫くは立つこともできまい。トドメを刺そうと思ったが邪魔する質の悪い奴が現れたのだ・・・ドクター・カオス。50年前、余に呪いをかけた忌々しい錬金術師が追跡者の中に混ざっておった」

 「マジっスか!? で、どうなったんスか?」

 マルコは身を乗り出すようにして、自分が意識を失っている間に行われた戦闘の様子を訪ねる。
 興味津々の彼にブラドーは自嘲気味に口元を歪める。

 「惨敗だよ。お前の術の御陰で一矢報いることはできたが、余は這々の体で逃げ出した」

 「いいじゃないっスか! 戦略的撤退、逃げるが勝ちっスよ!!」

 至極当然といった様子のマルコに、ブラドーは困惑混じりの笑みを浮かべた。
 貴族のプライドが邪魔をし、不利な状況で戦わざるを得なかった50年前の自分に聞かせてやりたい台詞だった。

 「お前にそういわれると本当にそういう気がしてくる。不思議なことに奴から逃げ出した悔しさなど、ソリスのもとに帰った途端にどうでもよくなってしまった」

 「不思議でも何でもないですって! そりゃあ、ブラドー様にとってソレが何よりも大切ってことでしょ。妖魔狩りなんていう戦闘狂に付き合ってやる必要は更々無いっスよ!!」

 「何よりも大切・・・そうか、そうだな」

 ブラドーはやっと自分の気持ちが理解できたかのような晴れ晴れとした物言いをする。
 マルコはそんなブラドーに満面の笑みを浮かべた。

 「そうっス! 今回の一件に勝ち負けがあるとすれば、お二人が幸せになれるかどうかでしょう? とにかく逃げて逃げて逃げまくって、お二人がブラドー島で幸せになればそれが俺たちの勝利っス!」

 「不思議な男だなお前は・・・」

 ブラドーは急に真顔になると、横目でマルコの姿を確認する。

 「最初に会った時も、お前はすぐに逃げ出した・・・術の発動中に手持ちの武器で攻撃することも出来たろうに。何故だ? 白木の杭やニンニク、夜の一族の弱点をお前は知っていたのだろう?」

 カオスとの対決時、マルコの術で攻撃の機会を得たブラドーは、出会いの晩にそれを行わなかったマルコの行動が気になっていた。
 尤も、それを行った時点でマルコとブラドーの関係は生まれていない。ブラドーはあの晩の出会いに感謝していた。

 「土下座で済めば土下座、だめそうならば逃走、それでもダメなら覚悟を決める。それが俺の流儀っスから」

 「余も見習いたいものだな・・・お前の域に達するまで相当時間がかかりそうだが。つまらんプライドに拘り、大切なものを見落としがちな余には必要なことかもしれん」

 「石頭のブラドー様じゃ、すぐには無理ッスね! 700年くらい修行しないと俺の域には達せませんて」

 マルコはブラドーの言葉を冗談だと思っていた。
 世間知らずなお人好しに、自分のような腹芸は無理に決まっている。
 しかし、ブラドーに見習いたいと言われ悪い気はしなかった。

 「だったら、馬鹿に徹して周りを巻き込むって言うのはどうです? ブラドー様みたいな二枚目に土下座は似合いませんし・・・周りが自分の思い通りに動いていくのも楽しいモノっスよ!」

 「そうか・・・いつの日か試してみよう」

 「ええ、いつの日にか、大切な何かの為に・・・」

 ブラドーは敢えて未来のことを口にしていた。
 もう少しでブラドーは眠りにつかなくてはならない。
 彼の感じている不安がわかるのか、マルコもブラドーの言葉に追従する。

 「あんまり変なコト教えないで下さいね。マルコさん」

 「起きていたのかソリス・・・」

 「ええ、御陰でいい話が聞けました。約束を守ってくれたようですね」

 突如会話に加わってきたソリスにブラドーはバツの悪そうな顔をする。
 しかし、ソリスはそんなことはお構いなしで、ブラドーの左腕を抱きかかえた。

 「俺の流儀って変っスか?」

 「とっても素敵です。でも、真面目なブラドー様にはちょっと無理かなって・・・今のところは約束を守ってくれただけで十分」

 左腕を包む感触に、ブラドーはソリスと交わした約束を思い出す。
 カオスの馬に投じた剣を阻まれた後、彼が追撃を行わなかった理由がそこにあった。
 彼はその御陰で、オートに切り替わった機銃の掃射から辛くも逃れられている。

 「余がソリスとの約束を破る訳がなかろう」

 「じゃあ、もう一つ約束して下さい」

 「なっ、こ、こんな所で出来る訳・・・」

 「そういう意味じゃありません!」

 何を勘違いしたのかブラドーが顔を赤らめる。
 その反応にソリスは彼以上に顔を真っ赤にした。
 ソリスはブラドーの左腕を解放すると真っ直ぐブラドーに向き直る。

 「本当の約束です。これから私に隠し事をしないと・・・ブラドー様は、さっきから何を心配しているんです?」

 「敵わんな本当に・・・」

 直向きな彼女の視線に観念したように、ブラドーはカオスと再会して以来ずっと懸念だったカオスフライヤーの存在について語り始めた。










 やや赤みを帯びた朝焼けの光が周囲を照らし始める。
 マルコは徐々に色彩を取り戻し始める周囲の光景に目を細めた。
 あと一時間もしないうちに景色は、石灰岩の白と海の青、草木の緑に埋め尽くされる。
 陽光の下、生命に満ちあふれる南イタリアの風景。
 それを決して目にすることはないブラドーには、世界はどのように映っているのだろうか?
 ぼんやりとそんなことを考えていたマルコの背後で、カーテンの開く音が聞こえた。

 「ブラドー様はお休みになりましたか?」

 「ええ、後は頼むと・・・」

 「約束はたっぷり出来たようですね」

 「なっ・・・」

 不意をつかれ言葉に詰まるソリス。
 続いて起こった窓を叩く音に、真っ赤に染まるソリスのふくれっ面を想像したマルコは思わず笑みを浮かべた。
 決して見ることはない陽光。それだからこそブラドーはソリスを求めたのかも知れない。
 彼女の存在はこれから先も彼を照らし続け、彼の見る景色を色彩で溢れさせる。
 マルコはそう確信していた。

 「ブラドー様が目覚める頃には海の上っスね」

 「そうですね・・・でも」

 ソリスの声に混ざる不安げな響きに、マルコは努めて明るい声で答えた。

 「大丈夫っスよ! そんな便利な機械があるんだったらとっくに追い着かれてますって!! それに・・・」

 マルコは体をひねりソリスの方を向くと、腰のポーチから彼の見聞録を取り出す。

 「いざという時にはコレを使って逃げればいいんです。これから向かう土地には洞窟や鍾乳洞とか、隠れる場所がかなりありますから・・・」 

 マルコは先程話し合った行程を反芻する。
 当初の予定を変えずターラントから海路をとるのは、遮蔽物のない海上にいる時間を可能な限り短くしたいブラドーの希望だった。
 カオスフライヤーが存在した場合、対抗できるのは飛行能力を持つブラドーしかいない。

 「それって、マルコさんの旅の記録ですよね?」

 「そうっスよ!」

 笑顔を浮かべたマルコの手の中で本が淡い光を発し、ソリスはほんの一瞬だけ目眩を感じた。
 何かに気付いたのかマルコは慌てたように立ち上がり、いつの間にか手に持った火薬玉を投じようと馬車の後ろを振り返る。
 ソリスが何事かと身を乗り出した瞬間、彼の右肩に白木の杭が深々と突き刺さった。

 「キャッ! マルコさんッ!!」

 「なんスか?」

 ソリスがあげた叫び声に、何処からかとぼけた返事が帰って来る。
 その声と共に目の前にいる苦痛に体を折り曲げたマルコの姿がかき消え、自慢げな笑顔を浮かべたマルコの姿に変わっていった。

 「一体何が・・・」

 「凄いでしょ! 詳しいことは秘密ですが、コレに昨日の記録を書き込んでおいたんです」

 マルコはそういうと腰のポーチに彼の見聞録を大事そうにしまう。

 「今のが、その本に書かれた記録ってことですか・・・あの時の?」

 ソリスは昨日の光景を思い出す。
 確かに今見たマルコの姿はベネベントで傷を受けた時のものだった。

 「一回使うと消えちゃいますけどね」

 「ベネベントでもそれを?」

 ソリスの問いに、マルコは自信満々に肯く。
 その表情を見たソリスの胸に安堵の気持ちが広がっていった。

 「そうっス! 俺の見聞録には他にもまだまだいろんな光景が記録されています。それを使えば空飛ぶ機械だってまいて見せますよ! 逃げることに関しちゃ、俺はブラドー様より上手っスから」

 ソリスの浮かべた安堵の表情に満足げな笑みを浮かべると、マルコは前を向き直り再び馬に鞭を入れた。
 もうそろそろアッピア・トライアーナとアッピア街道の終点であるブリンディジが見えてくる。
 そこで馬を交換し、再びアッピア街道に入れば港町ターラントまでは数時間の距離だった。













 ターラントとブリンディジを結ぶアッピア街道。
 その街道を見下ろす小高い丘の上に、4頭立ての馬車が停車している。
 白と青で占められる景色の中で、漆黒の馬車は明らかに異物でしかない。
 その御者座に座るブラムは、車内を振り返ると絡みつくような笑みを浮かべる。

 「何から何までカオス殿の読み通りに進むとは流石ですな」

 あちらの自分と呼ぶ分身と連絡が取れたのか、ブラムは車内で休息中のカオスに声をかけた。

 「それに奴らの話では、この馬車以上の兵器が存在するとか・・・ますます我らの仲間に加わって頂きたくなりました」

 「くどいぞ、ブラム。その話なら断ったはずだ」

 素っ気ない返事にブラムは困った様な顔をする。
 定時連絡の際、枢機卿にカオスのことを伝えたところ、彼はカオスに強く興味を持ってしまっていた。
 ブラムは今回の仕事が済み次第、カオスをローマに招くよう命じられている。

 「でしたらローマに行き枢機卿にお会いするだけでも・・・カエターニ様はフェデリーコのことを不問に・・・」

 「しつこいわよ! カオス様は興味が無いそうです!!」

 卑屈な笑顔を浮かべたブラムに、テレサが凄い剣幕で割って入る。
 ナポリ行きを中断されただけでなく、ローマにまで引っ張られたのでは堪ったものでは無かった。

 「フン、小娘が!」

 目の前で荒々しく引かれたカーテンに悪態をつくと、ブラムは近くで休憩中のピエトロに視線を向けた。
 カオスに言われたことがショックだったのか、ピエトロがバンパイアに向ける狂的なまでの攻撃性は今のところなりをひそめている。

 「我らだけで事を収めればカエターニ様も・・・」

 ブラムは計算高い目をピエトロに向けると御者座を後にした。







 「全く、あのスケベ親父が・・・」

 荒々しくカーテンを閉めたテレサは、興奮収まらぬ様子で車内を振り返る。
 そして驚きの表情を浮かべたカオスの視線に気付くと、慌てて顔に浮かべた怒りの表情を収めた。

 「あら、私ったら・・・」

 取り繕うようなレテサの笑みに、カオスは思わず吹き出してしまう。
 見た目や性格は全く異なるが、今の直情的な行動を見ると根の部分はマリア姫と似ているのかも知れなかった。

 「笑うことないじゃないですか! バンパイア退治が終わればナポリに向かえるって言うのに、ローマなんて言い出すあの人が悪いんですよ!」

 「すまんな、つい・・・しかし、テレサ。お前は何故ナポリに拘るのだ。そろそろ聞かせてくれても良いだろう?」

 カオスの浮かべた苦笑でも愛想笑いでもない本当の微笑みに、テレサは自分の目的を口にする決心がつく。
 重大な計画を打ち明けるかのように、テレサはカオスにナポリでの目的を語った。

 「ナポリ大学で認められれば・・・いや、ナポリ大学なら絶対にカオス様の力を認めてくれます。そこの門をたたけば・・・」

 彼女は国立の研究機関であるナポリ大学の名を口にした。
 マリア姫の葬儀よりずっと胸に秘めていた思い。彼女はカオスを世に認めさせるつもりだった。
 カオスの浮かべた困ったような表情に気付かず、テレサは今まで胸に秘めていた思いを語り出していた。

 「カオス様は片田舎に埋もれて終わる方ではありません。マリア様もそう考えるはずです・・・」

 テレサはマリア姫の死後、形見の人形を引き取りにきたカオスの背中を思い出していた。
 幼い頃より見上げてきた大きな背中はそこには無く、悲しみに打ちひしがれた弱々しい背中にテレサは思わず抱きついてしまっていた。
 マリア姫からカオスの武勇伝を聞いて育ったテレサには、そんな弱々しいカオスを見るのは耐え難かった。
 それと同時に、弱々しいカオスが自分の手によって成功していく様を見たいという欲求が、彼女の胸に沸々と湧き上がってくる。
 カオスは彼女の目に、マリア姫の思い人ではなく、自分が奮い立たせるべき男として映るようになっていた。

 プッ!

 車内の片隅で起こった嘲笑にテレサの顔色が変わる。
 昨夜の疲れから仮眠をとっていたドゥランテが、腹を抱えて笑っているのが目についた。

 「何が可笑しいんです! カオス様の実力はアナタも知っているでしょう!!」

 「ドクターの事を笑ったのではありません。アナタが・・・」

 自分を睨み付けるテレサに、ドゥランテは苦労して笑いを抑えると彼女を指さす。

 「・・・アナタがあまりにもドクターの事を知らないので。ナポリ大学の創立者のことを知ってますか?」

 「フェデリーコ2世でしょ! それくらい知っています」

 フェデリーコ2世という名にカオスが微かに反応する。
 シチリア王国の王位継承者である母と、神聖ローマ帝国皇帝の父を持つフェデリーコは、生まれながらにして教皇領を挟撃する二つの国の王権を継承できる運命を背負っていた。しかし、三歳にして父を失い、シチリア王国内でも不穏な空気に晒されはじめた彼を、母親のコンスタンツェは当時の教皇であったイノケンティウス三世に後見を求めることで守ろうとする。
 当時、教皇として最高の権力を誇っていたイノケンティウスは、教皇の権力増大に繋がるこの申し出を喜び、シチリアの首都パレルモで過ごすフェデリーコに当代一流の学者をつけ帝王学を施す。幼少時より天才生を発揮していたフェデリーコが教皇に従順な王として成長すれば、教皇領は安泰となるはずだった。しかし、イノケンティウスの目論見は、母であるコンスタンツェが招いた当時無名だった一人の錬金術師によって水泡と化す。
 彼は居並ぶ学者たちを知識で圧倒し、そのカリスマとも言える教授法でフェデリーコの目を広く世界へと向けさせたのだった。
 その錬金術師の名は―――

 「それではドクターが、フェデリーコの家庭教師だったということは?」

 ドゥランテの言葉にテレサは愕然とする。
 マリア姫から聞かされていた話によれば、カオスは都市部では無名な存在のはずだった。

 「その様子ではご存じないようですね。ドクターがマリア様の所に保護を求めたのは、ゲルフ(教皇派)から疎まれたからなんですよ・・・私の母校ボローニャではそれはもう酷い評判でして・・・」

 「器の小さい奴らだ・・・」

 パレルモの王宮で何があったのかカオスは口元を歪めた。

 「それじゃ何で? ギベリン(皇帝派)の方ならばカオス様は認められていたのでしょう?」

 「それはドクターに聞いてみなくては分かりません」

 ドゥランテはカオスに視線を向け更に続けた。

 「しかし、ドクターはフェデリーコが成人する前に袂を分かっている。ナポリ大学はドクターに戻って貰いたい彼が、ドクターのために設立した研究機関を母体とした大学なんです」

 ドゥランテは、大学の設立に関わった者しか知り得ない事実を口にしていた。
 ナポリ大学の地下には、未だ人の目に触れたことのないカオスの為の実験室が存在している。
 その施設は、その後ナポリを支配したシャルル・ダンジューによる改革からも逃れ、いつ訪れるか分からない主を待ち続けていた。

 「アイツは母親の怨念に囚われすぎたのだ・・・マレ・ノストルム―――われらの海。ローマ帝国の復興などを目指さなければ、人生を浪費せずにすんだものの」

 カオスの物言いに、ドゥランテは呆れたような顔をした。
 三度の破門にも屈せず教皇勢力と渡り合い、その途中では卓越した政治力でエルサレムを無血開城した彼の人生をカオスは浪費と言い放っていた。
 彼が自分の王宮で保護した様々な知識や文化、芸術は後に訪れるルネッサンスの萌芽と言っても過言ではない。
 ドゥランテが行っている詩作も、彼の行った文化運動の影響を色濃く受けていた。

 「それよりもドゥランテ。お前はなぜ私についてそんなに知っているんだ?」

 死者の声が聞けるドゥランテならば知ることは可能かも知れない。
 しかし、それを行う目的がカオスには分からなかった。
 カオスに鋭く光る目を向けられ、ドゥランテも話の核心に踏み込む決心を固める。
 彼は胸に下げていたペンダントを取り出すと、慈しむような視線をそれに向けた。
 その表面には若い女の肖像が刻まれていた。

 「ベアトリーチェ―――我が永遠の淑女。幼き頃より私の心を離さない彼女を永遠の存在にすることが、私の人生の目標です」

 「それが私と何の関係があると言うのだ?」

 「ベアトリーチェの死を知った私は、悲しみのあまり故郷フィレンツェを後にし北イタリアを彷徨い歩きました。マリア様にお会いしたのはその時の事・・・」

 ドゥランテの口から語られた思い人の名に、カオスは何か得体の知れない予兆のようなものを感じる。
 これから彼が語る内容が、自分の抱えている問題と深く関わるような気がしていた。

 「マリア様は行き倒れていた私を保護するだけでなく、希望を与えてくれたのです。あなたとマリアの話によって・・・ドクター、何故なのです!」

 「ちょっと、失礼ですよ!」

 ドゥランテは今にも掴みかかりそうな勢いでカオスに詰め寄る。
 テレサが非難の声をあげたが彼の勢いは止まらなかった。

 「何故、あなたの側にマリアがいないのです! あなたの側に立ち続けるのはこの娘ではなく、永遠の存在となったマリアのはずです!! それをマリア様も望んでいたというのに何故なんです!! 私は永遠の存在というものを見てみたい・・・そして私もいつの日かベアトリーチェを永遠の存在に・・・」

 「・・・目覚めんのだよ」

 苦しげなカオスの声に、ドゥランテとテレサの動きが止まった。
 カオスはそのまま席を移動し、車内の片隅に置かれた棺のような箱へと手の平をあてる。
 本人を確認する機構が働いたのか、棺の蓋は音もなくスライドし内部に横たわるマリアの姿を露わにする。
 その眠るような姿を見たカオスの顔が苦悩に歪んだ。

 「人工魂の製造は完璧だった・・・あれだけの作業を再び行うことは不可能だろう。だが、マリアは目覚めん・・・」

 カオスは苛立った様に馬車の壁面を叩く。
 小刻みに震えた手が彼の苦悩を表していた。

 「何が足りんのだ。何が・・・50年前、私と姫の前に現れたマリアは確かに・・・」

 「これ・・・マリア様が持っていた人形ですか?」

 呆然と呟くテレサの声にカオスは振り返る。
 背後に立っていた彼女からは一切の表情が消えていた。

 「そうだ、これよりずっと私の隣りに立ち続ける存在。遠い未来より移動してきたマリアと、私と姫は50年前に出会っているのだ」

 時間移動の概念がないテレサには、カオスの言っている意味が半分も理解できていない。
 しかし、若き日のマリア姫の容姿と名を与えられたマリアの存在に、彼女は老いたマリア姫がカオスとの逢瀬を避け続けた訳を理解した。
 そして臨終の際に口にした彼女の言葉の意味も。

 「信じられない・・・こんなモノの為に。こんなモノの為にマリア様は・・・」

 「テレサ! 姫がどうかしたのか!?」

 ただならぬ様子のテレサに何かを感じたのか、カオスはテレサの肩に手を当てるとマリア姫のことを問いただそうとする。
 しかし、俯いたままのテレサは肩に置かれたカオスの手を荒々しく振り払った。

 「出てって下さい」

 「出てけと言ってもここは私の馬車・・・」

 「いいから出ていってッ!」

 ヒステリックに叫ぶテレサの目に涙を認め、カオスとドゥランテは慌てたように馬車から飛び出す。
 二人とも女の涙に免疫が無かった。

 「馬鹿よ・・・マリア様は」

 独り取り残された車内でテレサはマリアを見つめていた。
 不死の法によりこれから先も生き続けるカオス。彼の心に自分の姿を残そうとしたマリア姫の行動に、彼女は納得していなかった。
 テレサは眠るように横たわるマリアを覗き込む。

 「何で、何で私じゃなくあなたなのよ・・・」

 マリアの頬に一滴の涙が落ちる。
 それはまるでマリアが流した涙のように、彼女の頬を流れ落ちた。








 「テレサの奴、何だというのだッ! 急に怒り出しおって・・・」

 自分の馬車を追い出されたカオスは、テレサの涙に狼狽したことを誤魔化すように悪態をついた。
 
 「ドクターは本当に分からないので?」

 「何のことだ?」

 カオスは心底何のことか分からないという表情を浮かべる。
 その言葉にドゥランテは呆れたように首を振った。

 「ドクターはもう少し女性の心について研究された方がいい」

 「・・・ほう、私に意見するとは。お前はさぞ研究したのだろうな」

 諭すようなドゥランテの口ぶりに、小馬鹿にされたように感じたカオスは不機嫌さをあらわにする。
 しかし、カオスの怒りはドゥランテの自虐的な笑いにたちまち勢いを弱めていった。

 「ええ、手酷い失敗をすれば学習もします。私は自分の稚拙さ故に彼女を失った。ベアトリーチェは親の決めた銀行家の男と・・・」 

 ドゥランテは彼女の肖像が刻まれた胸のペンダントを握りしめる。
 そして苦しそうに自分とベアトリーチェのことを語り始めた。

 9歳の時に訪れた春の祭り。
 同い年の彼女に出会ったドゥランテは魂を奪われるような感動を覚え、その思いは18歳で再会したとき熱病のような恋へと姿を変えた。
 彼はその思いを周囲に悟られないよう、別の女性に宛ててとりとめのない数編の詩を作る。
 その行動は彼について様々な風評を生じさせ、結果、彼は自分の思いを伝えぬうちにベアトリーチェを失った。 

 「その後、彼女は24歳の若さで・・・」

 ドゥランテは懐にしまっている本に手を伸ばす。
 それは、彼が降霊に使用する詩集だった。

 「私はもう一度彼女と話がしたい。彼女に気持ちを直接伝えたい、そして、出来ることなら・・・」

 「ドゥランテ、まさかお前、その女とは・・・」

 ドゥランテの口ぶりからカオスは、彼がベアトリーチェの降霊を行えていないことに気付く。
 しかし、それを問おうとした彼の言葉は、急に動き始めた馬車に止められていた。
 カオスとドゥランテは慌てたように馬車を追いかけ、ステップに飛び乗った。

 「いきなり出発するなど、何があったブラム!」

 「おや、降りていたのですか。これは失礼しました」

 叱責混じりのカオスの言葉に、ブラムはわざとらしい謝罪を行った。
 しかし、前を向いたままのその目に反省の色はない。

 「そろそろ奴らが通過しますのでな。今回は私とピエトロでやらせていただきます」

 「ドクターを差し置いてアナタがですか?」

 功を焦ったブラムの行動を見透かしたように、ドゥランテが嘲笑を浮かべる。
 自分のことを見下しがちな若きネクロマンサーにブラムは顔をひきつらせた。

 「舐めるなよ若造! 女の生き死ににピーピー泣きわめく何処かの小僧とは年期が違うのだ。愛しの人妻は降霊に応じてくれるようになったか?」

 揶揄するようなブラムの言葉にドゥランテの顔が怒りに染まる。
 懐に伸ばしかけた彼の手を、隣りに立っていたカオスが押さえた。
 カオスはそのまま御者座によじ登るとブラムの隣りに腰掛ける。

 「余程自信があるようだな」

 「ええ、ある程度近づけばこっちのもの・・・」

 感情を抑えたカオスの言葉にブラムは不敵な笑みを浮かべると、街道が通る石灰岩の台地に馬車を侵入させる。
 ブラドーたちを乗せた6頭立ての馬車は、すぐ近くまで来ていた。


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