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VISITORS FROM THE ABYSS

アリよさらば


投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:06/11/ 7

 〜ここまでのあらすじ〜


 ベスパとジークの二人は絶海の孤島アルマスで行方不明になったワルキューレ率いる部隊の捜索に向かうが、現地でマリアを発見、直後に謎の生物群に襲われてしまう。
 ジークは休眠状態に追いやられ、霊力をほとんど吸い取られて弱体化したベスパは、生き延びるため決死のサバイバルを開始する。そんな彼女を『デュナミス』と呼ばれる生物群が執拗につけ狙うのだった。


空を飛ぶエネルゲイア『フェルミオン』にジークを奪われたベスパは、デュナミスの巣があるというスタジアムにおびき出されて敵に囲まれ、逃げ場を失う。フェルミオンはジークを連れたまま深い穴の中へ姿を消し、後を追おうとするベスパの行く手を新手のエネルゲイア・ラムダが阻む。


 用語・人物解説


 デュナミス:この物語の舞台となるアルマス島にはびこる生物群の総称。他の生物と同化して進化する。
       蜂の化身であるベスパが天敵。

 エネルゲイア:デュナミスの進化形態。姿、能力とも比較にならないほど強力。
        ベスパの能力をコピーしている個体が複数存在する。

 シード:魔族が開発した情報記録装置。魂を保管することも可能。

 マリア:現在ボディが大破、シード内にて保護され、視力を失ったベスパの目の代わりをしている。

 ラムダ:アリ型のエネルゲイア。力が強く、格闘戦が好き。
     ベスパを『ボインのねーちゃん』と呼ぶ。
     
     



 第7話終了時のベスパの能力


     霊波砲:回復(威力弱)
    飛行能力:消失
    物質透過:消失
    妖毒生成:回復(威力弱)
    身体能力:大幅に低下
 物理・霊的耐性:大幅に低下
    温度耐性:消失













 


 アリ(蟻)は、昆虫綱・ハチ目・スズメバチ上科・アリ科に属する昆虫を指す。
 アリとハチは羽根の有無や生活圏の違いから区別されているが、実際はスズメバチなどの蜂にとても近縁な種族であり、アリ科の動物は全てハチそのものと言える。集団で生活し、活発で肉食。世界的な視野で見れば、毒針を持ち刺す種族の方が圧倒的に多い。毒の成分もハチとほぼ同じで、スズメバチに刺された時と同程度の激しい症状を引き起こす種類も存在する。




「――まあ、そういうこった。俺は元からアリの魔物ってワケじゃねぇが、あんたの毒については耐性があるんだよ」

「うぐっ……」

「そして反撃のコブラツイストォ!」

「あだだだだ!?」


 背後から足をフック。両腕を首に巻き付け上体をねじり上げる技を受け、ベスパは思わず涙目になってしまう。テレビやマンガでおなじみの技であるが、実際に受けてみると骨がきしみ、呼吸が苦しくてものすごく痛い。本能的に危険を察知したベスパは必死に身体を動かし、首に巻き付いている腕に力一杯噛み付いた。この反撃にロックが緩んだ瞬間を見逃さず、背負い投げに近い形でラムダを投げ飛ばした。


「目立った弱点がないって、こういうこと……」

「小細工無しのガチンコ勝負、楽しもうじゃねーか!」


 愉悦に満ちた声を上げ、ラムダは襲いかかった。ベスパも負けじと拳を叩き込む。互いに殴り合い、蹴り、投げ飛ばし――肉体のみでぶつかり合う激しい戦いが続く。しかし、パワーとスタミナで劣るベスパは次第に追いつめられていく。
 三秒間押さえ込んだら勝ちという、譲歩した条件を自ら提示しただけあってラムダは手強く、簡単に押さえ込める相手ではなかった。むしろ自らピンチを演出し、そこを切り抜ける状況を楽しんでいる節さえ見受けられる。だが、その慢心こそベスパが利用できる唯一の隙でもあった。重い攻撃に押されながらもチャンスを待ち、ベスパは何度でも立ち上がり続けた。


「伝家の宝刀! ジャーマンスープレックスッ!」

「が……ッ!?」


 ベスパは背後から身体を引っこ抜くように投げられ、後頭部から激しく叩きつけられた。その威力は強烈で、衝撃によって地面がすり鉢状にめり込んでしまうほど。ラムダによって強引に立たされたものの、蓄積したダメージによって足はフラフラになっていた。


「さて、名残惜しいが……これ以上は泥試合だ。そろそろ決めさせてもらうぜ」


 ラムダが渾身の力を込め、弓を射るように拳を引いて力を溜める。この一撃をもらってしまえば、もう二度と立ち上がることはできないだろう。避ける事も間に合わず、ベスパはせめてあと一発を叩き込んでやろうと一歩踏み込む。ところが足がもつれ、バランスを崩して前のめりに倒れそうになってしまった。咄嗟に身体を回転させて受け身の姿勢に入ったが、それがベスパとラムダの双方にとって意外な体勢になっていた。全力を込めたラムダのパンチが放たれた瞬間、その顔面にベスパの踵(かかと)が直撃していたのである。それは空手や骨法でいう『浴びせ蹴り』の体勢によく似ていた。


「うが……ッ!?」


 全力を込めた攻撃にカウンターを合わされた形になったラムダは顔面を抑えてよろめいた。カウンターには充分気を配っていたが、当のベスパも意識せず放った攻撃はモーションが読めず、完全に予想外の攻撃であった。全力の攻撃を倍返しにされたダメージは深く、ラムダは完全に足を止めてしまっていた。


(今だ――!)


 このチャンスをベスパが見逃すはずもない。ふらつく身体を奮い立たせ、正面から飛びかかる。右腕を巻き付けるように首を、左腕で太腿をがっちりと掴んで全身をバネと化す。


「うおおーーーッ!」


 咆吼と共に全ての力を解放し、身体を後方に反らし――フロントから抱え上げるスープレックスの形で――ラムダを地面に叩きつけて押さえ込んだ。するとすかさず3カウントが取られ、続いてゴングがけたたましく鳴り響くのがハッキリと聞こえてきた。


「はあ、はあ……か、勝った……のか?」


 ホールドを解いたベスパが顔を上げると、この大番狂わせに観客席のデュナミス達が騒ぎ始めていた。身体を震わせてガチガチとアゴを鳴らし、今にも飛びかかって来そうな雰囲気である。今の状態でこの場を突破しようにも、体力が持たない事はベスパ自信が良く分かっていた。続けざまに訪れる危機をどう乗り越えるか――ラムダとて死んだわけではなく、単に押さえ込みに成功しただけに過ぎない。口約束など簡単に覆して襲ってくるのも魔族の常。どう考えても前向きなイメージが出てこない状況の中、大の字になって倒れているラムダが声を発した。


「……負けたぜ。自分で言うのも何だが、あんたに勝ち目はないはずだったんだがな」

「だろうね。そろそろ遊びはやめてトドメを刺しに来る頃なんじゃないのかい?」

「……」


 ベスパの言葉に身体を起こしたラムダは、表情の窺えない顔をベスパに向けた。黒い複眼にベスパの姿を映し、答える。


「俺達は使命のためだけに活動する使い走りの魔物だが……まるっきりそれしかできない機械でもねぇ。自分で考え、感じる心は持ってる」

「……!」

「フィニッシュホールドが『爆NEWスープレックス』とは恐れ入ったぜ。伊達にボインなわけじゃねーんだな、わははは!」

「やかましいッ! 恥ずかしい技名を付けるなっ!」



(注):爆NEWスープレックス・ホールドは実在するプロレス技です



「――と、とにかくあんたの勝ちだ。手を貸してやるわけにはいかねーが、ここは見逃してやるよ。先を急いでるんだろ」

「ほ、本気で言ってるのかよ」

「いい勝負だった……それでいいじゃねーか。おら、俺の気が変わらねーうちにさっさと――」


 シッシッと追い払うような仕草をしていたラムダの胸元が、突然裂けた。


「お?」

「!?」


 目に見えない何かが突き刺さっていた。次第にそれは輪郭を現し、長く湾曲した刃の形を取る。ラムダの背後で、緑色の殺し屋――カマキリタイプのエネルゲイア――デルタが左腕の鎌を突き立てていた。


「カマキリ野郎――!?」

「デルタ……どういうつもりだ、おい」

「造反者ハ消ス。当タリ前ノコトダ」

「何でここにいる!? お前の持ち場じゃねーだろーが!」

「ふぇるみおんカラノ命令ダ。貴様ガ失敗シタ場合ハ代ワッテ始末セヨ、トナ」

「それで隠れてずっと見てやがったのか。くそったれ……」

「吠エルナ。クダラヌ余興ガ終ワルマデ待ッテヤッタノダ。感謝シロ」

「せ、せっかくの勝負を台無しにしやがって……頭に来るぜコノヤロー!」

「死ネ、造反者――」


 左腕の刃で貫いたまま、デルタは右腕を振り上げ、ラムダの首めがけて打ち下ろした。処刑台のギロチンのごとく首を狙う刃が背後から迫ると、ラムダは首を回し強力なアゴでそれを受け止めた。ペンチのようなアゴの力は強力で、噛み付いた刃を決して放そうとはしない。胸を貫く刃を両手で握りしめ、ラムダは叫んだ。


「お、おい、ボインのネーちゃん。こいつは俺がぶん殴っておくから早く行きな……!」

「お前――」

「危ぶむなかれ――迷わず行けよ、行けばわかるさ、ってな。いいから早くしろ!」

「わ、わかったよ!」


 膠着状態になっているラムダとデルタの脇をすり抜け、ベスパは走る。そしてスタジアム中央部にぽっかりと口を開けた穴の中に飛び込んでいった。






 穴の底は深く暗く、一条の光すら差し込まぬ闇の世界であった。


「視界が悪すぎて話にならないね……どうする、マリア?」

『トラブルの・解決方法を・検索。感覚機能・チェック。暗視プログラム・カスタマイズの・必要・あり。実行します――プログラム構築完了。エーテルグラフィーを・起動します』

「わっ、と。急に見えるとビックリするね」

『周囲の・霊的波動を・映像に・変換しました。生命体、および・高い霊力を帯びた物質は・明るく・表示されます』

「サンキュー。ちょっと白黒のテレビみたいだけど、上々だよ」


 ベスパは本来魔族であり、人間やアンドロイドのそれとは異なるエーテル体スペクトル(霊的色彩)を主な視界としている。霊力を大幅に失ったことでこの『霊的視界』を失った彼女は、体内に保管しているマリアの魂と感覚を共有することで視界を得た。いわゆる、通常の人間と同じ光の反射による色彩の世界ということである。そのため、光の差し込まぬ闇の世界では視界が効かず、身動きが取れない。
 マリアは自身に記憶されていた暗視プログラムをカスタマイズし、擬似的な霊的視界を表示した。ベスパ本来の視力に比べて色彩や解像度は劣るが、暗闇の中で必要充分な視界を確保できていた。


「海賊の地下道……なるほどね」


 延々と下りが続く洞窟を奥に進んだベスパが辿り着いたのは、広大なホールのような空間であった。そこはかなりの広さと奥行きがあり、壁には埃と蜘蛛の巣だらけの海賊旗が掛けられていた。金貨や宝石のような財宝は発見できなかったが、海賊の物だと思われる古ぼけた家具や装飾品などはそのまま残っていた。いずれも埃が土のように積もり、ひどく汚れていた。
 穴の中にデュナミスの気配や、追っ手が掛かった様子もない。全てどこかに出払っているようだ。ラムダとデルタのことも気になったが、まずは先を急ごうとベスパは通路を探す。周囲を見渡してみると、壁の一部が不自然に発光しているのに気が付いた。近づいてよく調べてみると、壁の向こうからかすかに光が漏れている。軽く壁を叩いてみると、それだけでボロボロと崩れ落ちてしまった。先には小さな部屋があり、そこから光が漏れているようだった。


「これは……?」


 狭い部屋の中には一人分の白骨が散らばり、その脇に一冊の古ぼけた本が落ちていた。本はうっすらと光を放ち、これが外から見えていたのだろう。ベスパは本を拾い上げ、ページをめくった。痛みが激しく読み取るのが困難だったが、どうやら海賊の日記らしい。そこには、こう記されていた。




 ――商船を襲撃した手下が、妙な女を連れてきた。金髪の若い女で、上玉だ。売ればいい金になるだろう。しかし、手を出そうとすると鋭い目つきで睨まれ、みんな気が萎えてしまうと言う。情けない連中だ。
 お宝を配分した後、例の女に会いに行った。薄暗い独房に閉じこめてあるのに、まったく泣いたりわめいたりしない。確かに妙な女だ。特にあの目で睨まれると、心の奥まで見透かされているようで寒気がしてくる。さっさと売ってしまうとしよう。

 商船から強奪した積み荷の中に、不気味な装飾の古文書が混じっていた。中東の方から流れてきた荷らしいが、得体の知れない気配が漂っている。長年この稼業をやっているが、本物の魔術書や呪術道具を何度か見たことがある。その経験から、こいつもそれと同じようないわく付きのブツだろう。これはオカルト好きな好事家が高値で買い取ってくれるはずだ。

 女が騒ぎ出した。古文書の話を誰かから聞いたようで、あれは自分の持ち物だと言っている。古文書を見せてやると、目の色を変えて返してくれと懇願してきた。なるほど、確かに大事な物のようだ。だが、これは金になる。返してやる義理もないし、女はいずれ売り飛ばされる運命だ。そう言ってやると、女は不気味な予言をした。
 やがてこの地に星が落ち、奈落への扉が開く。堕落し、穢れた者どもは神の怒りに怯え、苦しみに悶え滅ぶだろう――。
 そんな世迷い事を信じて海賊が務まるものか。女の戯れ言は無視して寝ることにする。

 退屈していた手下どもが古文書を遊び道具にしていた。高く売れることを知らず、そこに書かれていた神を呼び出すという呪文を面白半分に試していたらしい。手下の中にあの本が読める奴がいたのには驚いたが、乱暴に扱ったおかげで一部が破れてしまっていた。床には奇妙な紋章が描かれたページが落ちていたので拾い上げ、バカどもを海に放り込んでサメのエサにしてやった。古文書を取り返したものの、もう売り物にはならないだろう。破れたページの紋章を眺めていると、確かに不思議な力が宿っている気がする。古文書と紋章のページは家に持って帰ることにした。

 夜中に世界がひっくり返ったような衝撃が地面を揺るがし、目が覚めた。窓の外を見ると森が吹き飛び、大きな穴が地面に開いている。何が落ちてくればこんな事になるのだろう。まるで星が降ってきたような――そして穴の中から得体の知れない化け物どもがうじゃうじゃと湧き出している。その光景を見て悟った。手下が面白半分に試した呪文は本物だったのだと。ただし、呼び出したものは神どころか悪魔の群れだ。
 異様な出来事に戸惑っていると背後で笑い声がした。振り向くと、あの女がいた。凍てつくような目つきをした、独房に閉じこめていたはずのあいつが。女は不気味に笑い続け、古文書を奪い返すと霧のように消えてしまった。夢を見ているのかと思ったが、あちこちから悪魔に襲われる手下や仲間の悲鳴が聞こえ、肉を裂き骨を噛み砕く音がする。全て紛れもない真実だ。あの女もきっと人間に化けた悪魔だったに違いない!
 慌てて地下の隠れ家に逃げ込んだが、それは間違いだった。奴らは暗闇を好み、隠れ家のトンネルは奴らの住処に繋がっていた。逃げ場を失い、小部屋に逃げ込んで壁を塞いだが、いつまで持つのか。外の物音も聞こえなくなった。不安と寂しさを紛らわすために筆を執ったが、長く持ちそうもない。誰か、誰か助けてくれ――




 日記はここで終わっていた。そして次のページには、折りたたまれた紙が挟んであり、まばゆい光を放っていた。ベスパは紙を広げようとしてみたが、あまりに眩しいために断念した。何が書いてあるのか確認することはできなかったが、強力な霊力が籠もっているのは間違いなさそうだ。


「何かに使えそうだね……それにしてもこの話、まるで今の状況と同じ――」


 そう呟いてベスパはハッとした。この日記に書かれていることが真実なら、この事件――デュナミスの出現は何者かが故意に行ったものではないのか。そして今まで得た情報と照らし合わせると、サン・レオン社に関わる人間が引き起こした可能性が極めて高い。だとすれば、このようなリスクを冒してまで兵鬼を開発しようとしているのは何故なのか。あの怪物の群れをどうやって抑えるつもりなのか。思わぬ収穫を得たものの、依然として疑問を拭い去ることはできないでいた。
 ベスパは紙を懐にしまうと、早々に小部屋から出た。ここに来たのは宝探しではなく、ジークを奪い返すためである。奥へと続く道をもう一度探すべくホールへ戻った途端、氷のような殺気が背筋を貫いた。
 ――いる!
 ベスパは身構え、周囲を見渡す。敵の姿は見えない。だが、気配は確かに感じる。視線を動かしてその姿を探していると、天井からまばゆい光が降ってきた。姿はハッキリ見えないが、間違いない。それはついさっき感じていたのと同じものだった。


「マリア、光量絞れる!?」

『イエス、ミス・ベスパ。ブライトネスレベルを・調整しました』


 マリアの答えと共に、細長い手足に逆三角形の頭を持ち、鎌状の刃を持つ怪物の姿が浮かび上がる。カマキリ型のエネルゲイア・デルタであった。禍々しい殺気を放つデルタは、ベスパの足元に何かを投げてよこした。


「――ッ!?」


 ベスパは絶句した。無造作に投げ捨てられたものは、つい先程まで殴り合いを繰り広げ、道を空けてくれたラムダの上半身であった。身体を右肩から左脇にかけて切断されており、残っている部分も無数に切り刻まれていた。


「て、てめぇ……!」

「使命ヲ果タサヌごみニ用ハナイ。次ハ貴様ダ」


 目の前の非道にベスパは考えるより早く殴りかかろうとしていたが、足が何かに固定されたように動かない。驚いて足元を見ると、黒く太い腕が足首をがっちり掴んでいた。


「あ、慌てるなよボインのネーちゃん」

「お前、大丈夫なのか――!?」

「大丈夫なわけねーだろ。ヘタ打って結局このザマさ……ロクに足止めもできなくてすまねぇな」

「なんで謝るんだよ……ほんとにバカなのか、お前」

「あれは小細工抜きの良い勝負だった……そうだろ? いくら仲間でも俺たちの戦いに泥を塗るマネだけは許せねぇ。だから、借りてたモンを返すぜ」


 ラムダの心臓に当たる位置から、まばゆい光を放つ霊力の塊が浮き上がる。ベスパがそれを吸収すると、ラムダから急速に霊気の光が失われていく。にもかかわらず、感情を現すことのないその顔は笑っているように見えた。


「デルタは強いぜ……油断するなよ」

「ちょ、ちょっと待ちなってば!」

「元気があれば、何でもできるってな。今度は俺の方から挑戦しに行くからよ、それまで負けるんじゃねぇぞ、ボインのねーちゃん――!」


 悲壮感の欠片もない言葉を最後に、ラムダは砂のように崩れて消滅した。跡には物言わぬシードが残されているだけだった。ベスパはそれを拾い上げてうつむき、唇を噛んで強く握りしめる。どこまでも『らしくない』魔物の最後だった。


『喪失した・霊力の一部を・獲得。潜在能力の・一部が覚醒。霊波の出力・及び・身体能力が・強化されました』


 鉛のように重く感じていた身体がフッと軽くなり、全身に力が漲る。握り締めた拳に燃えるような力が宿っている。ベスパは顔を上げて射抜くような視線をデルタに向けた。


「――!?」


 デルタには何が起こったのか、即座には理解できなかった。雷光の如きベスパの一撃が顔面を捉え、力任せに振り抜いて吹き飛ばしたのである。海賊の家具を粉砕しながら壁に叩きつけられたデルタは、もうもうと舞い上がる埃の中で膝を付いていた。


「そうさ、間違っちゃいない。使命に忠実なのも裏切り者を消すのも、魔族なら当然のことさ。けどね――」


 抑揚のない押し殺した声であったが、彼女の内に湧き上がるものは臨界点を越えていた


「お前はムカつくんだよ!」


 感情を爆発させたベスパの怒号は大気を震わす。獅子の如き気合いを乗せ、ベスパは追撃の拳を叩き込む。が、今度は手応えが感じられなかった。ベスパの拳は岩盤を砕いていたが、デルタの姿が見あたらない。避ける余裕など無かったはずだ――警戒するベスパの鋭敏な触角が気配を探る。


(壁の中――!)


 ベスパが後方に飛ぶのと、岩盤から音もなく刃が突き出したのは同時だった。前髪をわずかに切り落とした刃は壁に消え、入れ替わりに逆三角形の頭が出現した。シューシューと威嚇するような声を発したデルタは、再び壁に潜って姿を消す。物質を透過する能力を持つデルタにとって、岩盤で囲まれた洞窟の中はコンテナ置き場同様に絶好の狩り場となる。この一撃でそれを悟ったベスパは壁から距離を取り、ホールの中心で相手の出方を待つ。


(さあ、どう出る?)


 壁から出てくる様子はない。視線を動かしてデルタの位置を探っていると、地面を移動する光が見えた。それは大きく回り込みながら移動し、死角となる方向から近づいてくる。ギリギリまで引き付けてから飛び上がると、足元からデルタの刃が飛び出してきた。


(この視界なら隠れた敵も見つけられるのか。いよいよツキが回ってきたようだね!)


 続いて前後左右から地面を滑るように刃が迫ってきたが、相手の位置が見えているベスパにそんな攻撃が当たるはずもない。


「コソコソ隠れなきゃ戦えないのかクソ野郎。隠れんぼがしたいなら、あの世で好きなだけ遊んでな!」


 ベスパは移動するデルタの光に狙いを定め、右拳に全霊力を集中。一撃必殺のパワーを溜めていく。


「極楽へ逝っちまいな!」

「ギャアアアアアッ!?」


 地中に潜むデルタめがけ、渾身の力を込めた鉄拳が炸裂した。ホールの床には衝撃で蜘蛛の巣のような亀裂が走り、その破壊力を物語っていた。
 手応えはあった。ようやく一矢報いて溜飲を下げることができたベスパは、髪を掻き上げて立ち、足元の様子を確かめようとした。


「何か、足元から変な音が……うわああああッ!?」


 そう呟いた瞬間、ホールの床が崩れて抜け落ち始めた。ホールの真下にはさらに広大で深い空間が広がっており、岩盤が砕けたために自重を支えきれず崩壊を始めたのである。ベスパは自ら招いた崩落に巻き込まれ、さらに深い奈落の底へと落下してしまうのだった――。




 


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