椎名作品二次創作小説投稿広場


太陽を盗んだ男

第八話


投稿者名:UG
投稿日時:06/11/ 5

 男は裏山の木陰に独り佇み、祭りで賑わう村の広場を眺めていた。
 収穫の時期を終え、村は数日前から準備されていた祭りで賑わいを見せている。
 中央の広場には幾つもテーブルが並べられ、その周囲では村人たちが滅多に口にすることはない豪華な料理に舌鼓を打ちながら酒を酌み交わす。
 やがて芸達者な村人が音楽を奏で始め、それにあわせるように踊りの輪が広がっていった。
 男は村人総出の踊りにも加わろうとはせず、ただ眩しそうにはしゃぎ回る村人を遠くから眺め続ける。
 彼はこの村の一員では無かった。
 正確に言えば、男の体に流れる血の半分は、この村出身の母親から受け継いでいた。
 しかし、彼に流れるもう半分の血が、彼をこの村にとっての異物たらしめている。
 少年時代に味わった村人からの拒絶は、未だに彼の心に暗い影を落としている。

 「何です? 大事な用って」

 少し離れた茂みから聞こえた若い女の声に、男は気配を消しその場を後にしようとする。
 無用のトラブルを避けるため、彼は村人の前に姿を現さないようにしていた。
 しかし、その後聞こえた悲鳴のような声に、その場を立ち去ろうとした彼の足が止まる。

 「イヤッ! 止めてくだ・・・」

 後半がくぐもった声になったのは、口を塞がれたからだろう。
 それを行った男のダミ声が、争うような物音と共に聞こえてきた。

 「へへっ、城に上る前に俺たちが味見をしてやろうっていうんだ! 大人しくしろ!!」

 「兄貴の言うとおりだぜ! 何のために身寄りのないお前を、親父が世話してきたか忘れた訳じゃあるまい?」

 踵を返した男は、二人組の村人に組み伏せられた少女の姿を目撃する。
 身なりと会話から判断すると、村の実力者の息子が使用人の少女を無理矢理手込めにしようとしているのだろう。
 よく似ている所から二人組は兄弟かも知れなかった。
 兄貴と呼ばれた男が少女の口を塞ぎながら上に覆い被さり、弟分がにやけ顔で少女の両腕を押さえている。
 男は少し悩んだ末、わざと物音を立てながら二人組に歩み寄った。

 「アン? 何だテメエはッ!!」

 男の接近に気付き、弟分が恫喝の声をあげながら近寄ってきた。
 立ち上がってみると男より頭一つ大きい。体の厚みは倍近くあった。
 体格で遙かに勝る彼は、現れた男の胸ぐらを掴み振り回そうとする。
 しかし、華奢に見えた男の体躯は鋼のような強靱さで彼の腕力をものともしなかった。

 「ナメやがって!」

 「ま、待て!」

 恥辱に顔を赤らめ、右拳を振り上げた弟分を兄貴と呼ばれた男が止める。
 その声を発したときには、彼は既に少女を解放し逃走の姿勢をとっていた。

 「無礼はお許しを。これはちょっとしたおふざけで・・・約束は必ず守ります! だから今日の所は・・・」

 「兄貴!? まさか、コイツ、イヤこの方は・・・」

 「親父の付き添いをしたとき、城でお見かけしたことがある。馬鹿! 早くその手をどけろ!!」

 顔を一瞬で青ざめさせ、弟分は男の胸から急いで手を離す。
 そして、平身低頭し後ずさった。

 「・・・・・・立ち去れ」

 男の発した命令は絶対なのか、二人組は脱兎のごとくその場を後にする。
 後に残された少女も恐怖の相を浮かべ男を見上げていた。



 ―――よせ、それ以上関わるな!


 
 男の行動を必死に止めようとする声が響き渡った。
 しかし、その声は男には届いていない。
 男は迷った末に、倒れ込んだ少女に手を差し伸べていた。

 「大丈夫か?・・・」

 差し出された手を見つめるうち、少女の顔から恐怖の相が薄れていく。



 ―――やめろ! その手を取っちゃいけない!!



 制止する声も空しく、少女は差し伸べられた男の手を恐る恐る握った。

 「温かい手・・・お城にあなたのような方がいるなんて安心しました。ありがとうございます」

 少女は花のような笑顔を浮かべていた。


 ―――そんな顔で笑うな! 俺はお前に・・・


 鳴り響く絶叫に、男は自分が夢を見ていることを理解した。



 夢であることを意識できてからも、男に目覚めによる解放は訪れなかった。
 それどころか見ている光景は一変し、彼を紛れもない悪夢へと引きずり込んでいく。
 村を望む森の中にいたはずの男は、石造りの室内に佇んでいた。

 ずるり

 先程まで花のような笑顔を浮かべていた少女の表情が一変する。
 男の目の前で少女の衣服は剥がされ、まだ成熟しきっていない若い裸体が露わになっていた。
 やがて彼女の足下から絡みつくように人型の闇が湧き上がる。
 その闇が彼女の腰や胸に達し、侵蝕するように蠢くと彼女の口からすすり鳴くような声が漏れ始めた。

 『最も美味い血を知っているか・・・』

 少女の体を侵蝕している闇が声を発する。
 闇が蠢く度に少女の漏らす声がより激しさを増した。

 「黙れッ!」

 男は少女を助けようと、手にした長剣で闇に斬り掛かる。
 しかし、圧倒的とも言える力の差に彼の剣は空しく弾かれていた。

 「グッ・・・」

 壁に激突し男の意識が遠ざかりかかる。
 彼の意識をつなぎ止めたのは、皮肉にも絶頂に達した少女の声だった。
 朧気な視界に、女の白い肌が這うように近づいてくる。


 ―――よせ! やめてくれ・・・


 男の意識が哀願する。
 しかし、目の前の光景はより一層の鮮明さをもって彼の精神を追いつめた。
 男ににじり寄った少女の目は虚ろだった。
 汗や唾液でぬらついた彼女の肌はなまめかしい輝きを放っている。
 その首筋には細い血の筋を引く赤い二つの点―――噛み跡があった。
 少女は虚ろな目で男を見上げ何かを口にしようとする。


 ―――やめてくれ、それを言われたら俺は・・・


 その後来る絶望的な展開を予想し、男は悲痛な叫び声をあげようとしていた。




 パキッ!

 近くで生じた枯れ枝を踏み折る音が、ピエトロの意識を覚醒させていた。
 鍛え上げた戦士の本能が、無意識のうちに長剣を引き抜き接近する人影の喉元に突きつける。

 「キャッ!」

 突如首の近くに出現した長剣にテレサは小さな悲鳴をあげた。
 手に持ったパンを落とさなかったのは、反応が追い着かなかったに過ぎない。
 反対側の手に持っていたカオス作のランタンが、地に落ちた影を微かに揺らしていた。

 「何の用だ・・・」

 地面から上半身を起こした姿勢で、ピエトロは剣を鞘に戻す。
 ブラドー戦で負ったダメージを癒すため、カオスが馬を修理している間に取った仮眠が彼に悪夢を見せていた。

 「カオス様があなたにも持っていけって・・・」

 しまわれた剣に安堵の表情を浮かべると、テレサはピエトロの側に、生ハムとチーズを挟み込んだライ麦パンと水で薄めたワインを置く。
 屈んだ彼女の胸元に先程の光景を思い出し、ピエトロは毛布をかぶるようにして反対側を向いた。

 「具合が悪いようなら果物とか柔らかい食べ物にしようか? うなされていたわよアナタ」

 「俺に構うな・・・」

 気遣うように伸ばされたテレサの手を振り払うと、ピエトロは確固たる拒絶の意志を表す。

 「そうさせてもらうわ!」

 向けられた背中に大きく舌をだすと、テレサはそれっきり興味を失ったように少し離れた馬車の方へと戻っていく。
 馬車のライトが煌々と闇夜を照らす先には、地面に座り込むようにしてカオスが黙々と作業を続けていた。







 「カオス様、聞いてください。あの人酷いんですよ!」

 媚びを含んだ口調でテレサがカオスの肩にそっと手を置く。
 傷ついた様子を見せながら、彼女は後ろから覗き込むようにして作業を続けるカオスの反応を窺っていた。
 後頭部に軽く触れている胸にもカオスは全く反応せず、地面に横たわる大破した2体の馬から必要な部品を黙々と取り出している。
 馬車の照明によって作業に必要な光量は十分確保されていた。
 テレサは深追いは禁物とばかりに、カオスの背から離れ前方に回り込む。
 乗ってくれば涙の一つも浮かべきつく抱きつくつもりだったが、単に告げ口好きの女と思われてしまうのは本意では無かった。
 テレサは自分の作ったサンドイッチをカオスが平らげていることに気付くと、話題をそっちの方に変えようとする。

 「嬉しい。全部食べてくれたんですね。お味はどうでした?」

 カオスの顔をのぞき込むようにテレサはかがみ込む。
 大きく空いた胸元は計算の内らしい。
 カオスはその計算には乗らず手を休めると、水で薄めたワインに蜂蜜を加えたものを一口すする。
 蜂蜜はカオスの分にだけ密かに入れられたサービスだった。

 「美味かった・・・昔、姫が作ってくれた弁当を思い出した。姫の作ったものにはチシャが挟まっていたが・・・」

 カオスは以前、マリア姫とよく弁当片手に出かけたことを思い出していた。
 パンに挟むメニューが多かったのは、乗り物を操縦しながらでも食べられるようにというマリア姫の気遣いである。
 健啖家のカオスが美味そうに食べる様を、マリア姫はいつも楽しそうに眺めていた。

 「チシャ以外はマリア様から教わったレシピ通りです。葉物は保存が利きませんからね・・・生野菜が必要なら馬車の中に保存できる機械をつけてください!」

 遠くを見つめるようなカオスに、テレサは若干不機嫌そうな顔をした。
 テレサは身寄りのない自分を幼い頃から雇い入れ、色々な教育を施してくれたマリア姫に感謝し尊敬もしている。
 しかし、それとこれとは話が違う。自分の女としての魅力が、マリア姫の思い出に太刀打ちできていないことを彼女は苦々しく思っていた。
 マリア姫の死後、カオスの身の回りの世話をするようになったテレサは、彼を誘うような仕草を幾度となく見せている。
 それは、放浪に無理矢理同行するようになってから更に顕著になり、今では簡単な着替えくらいはカオスがいる馬車の中で平気で行っていた。
 ドゥランテはあらぬ誤解を心配していたが、同じ馬車で男女が旅をしているにも関わらず、間違いが起きていない現状のほうが間違いだと彼女は本気で思っていた。

 「食料の鮮度を保つ機械。そうだな・・・それもいいかも知れん」

 テレサの気持ちに全く気付いていない様子で、カオスは彼女の不満から出た軽口に答える。

 「カオス殿の能力をそんなことに使うのは勿体ないですな」

 突如会話に加わってきたブラムに、テレサは露骨に嫌な顔を見せた。
 馬車の目的地を変更されたこともあり、テレサは妖魔狩りのメンバーを好きではない。
 特にブラムが自分に向ける、なめ回すような視線には虫酸が奔った。
 胸元を正しブラムの視線を遮るような仕草をしたテレサに、カオスは空になった皿を遠慮がちに差し出す。

 「テレサ、すまんがもう少しくれないか?」

 いつも以上に食欲を見せたカオスは、初めて自分からテレサにおかわりを要求した。
 何のことは無かったが、それが妙に嬉しくテレサは笑顔を浮かべる。

 「もちろん! でも、少しお時間をいただいてよろしいですか?」

 「構わんが何故だ?」

 「さっき近くで食用のアザミを見かけたもので、それをチシャの代わりに・・・マリアアザミって言うんですよ」

 「そうか・・・」

 テレサの口にした名前に、カオスは寂しげではあったが確かに笑顔を浮かべていた。
 今はそれだけで十分とばかりに、テレサはランタンを手にすると上機嫌で闇の中に消えていった。




 「先程、ドゥランテに何を申しつけたのです?」

 テレサの後ろ姿を残念そうに見送りながら、ブラムは姿を消したドゥランテの行き先をカオスに尋ねる。
 カオスは既に作業を再開し、ネジ山に電動式のドライバーを差し込んでいる所だった。

 「先回りできそうな裏道を探させにな。死者の声が聞けるドゥランテならばそう難しくはあるまい」

 カオスは作業の手を休めずに、ブラムの問いに答える。
 アッピア街道には地元の人間にしか知られていない無数の裏道が存在する。
 かって数で劣るスパルタカスの軍勢が、南イタリアの地で連戦連勝を続けたのはこの裏道の存在が大きかった。
 街道を長く伸びた形で行軍する正規軍を相手に、スパルタカスは裏道から神出鬼没に現れるゲリラ戦をとっている。
 各地からの逃亡奴隷により構成された彼の軍は、地の利を知り尽くした軍隊と言えた。
 カオスはその道を通り、遠回りするブラドーに先んじるつもりだった。

 「あのやる気のない男が・・・」

 妖魔狩りのまとめ役である自分よりも、遙かにリーダーシップを発揮しているカオスにブラムは苦笑を浮かべた。
 特殊能力故に引き受けさせられたまとめ役だったが、彼にリーダーとしての素質は無い。

 「先回りとはターラントに向けてですかな? 奴らが海路を取る場合ブリンディジから海に出ることも考えられますが」

 ブラムはイタリア半島のアキレス腱の位置にある港町の名を口にした。
 土踏まずの位置にあるターラントよりもその町には早く着く。
 カオスは作業の手を止め、懐をまさぐりながらブラムの疑問に答えた。

 「それは考えづらい。沈んだ大陸の記憶という説もあるが、奴らは本能として水を嫌うからな。ターラントを目指すのも、そこが奴の目的地にとって最短距離だからだろう・・・それに」

 懐から取り出されたカオスの手の中で、馬車のものとは異なるリモコンが光の点滅を見せた。
 その点滅の箇所から対象の位置を確認すると、カオスは再びリモコンを懐にしまい作業を再開する。

 「万一ブリンディジから海にでたとしても、遮蔽物のない海に出た瞬間に奴は海の藻屑となる。それよりも洞窟の多いあのあたりで籠城されたり、吸血によって仲間を増やされたりする方が遙かに心配だな。奴は一匹狼だった昔とは変わってしまったらしい・・・」

 その口調には裏切られたような失望が含まれていた。
 従者を伴い、人間の娘を掠うなど以前のブラドーからは考えられない行動である。
 カオスは従者を持たず、常に一人で行動していたブラドーに自分と似たものを感じていた。
 一騎打ちの末、能力を封じたまま彼を放置したのもそのあたりの心情が大きかった。

 「奴を海の藻屑に? 一体どうやって・・・」

 「50年前と同じだよ。今、手の内を見せんのは奴に先程言った手を取らせないようにだ。追いつめられた者は何をするかわからんからな・・・希望を持たせ油断した所で一気に叩く! まさか敵が前方から現れるとは奴も思ってはいないだろう」

 未だ納得がいかない様子のブラムに、カオスは意地の悪い顔を見せる。

 「まとめ役であるお前が、馬鹿正直に追跡するというのなら止めんがな。先程のようにブラドーが打って出てきたらどうする?」

 「まさか・・・先程カオス殿が撃退したというのに」

 「滅んでない以上、既に回復した可能性もある。一人吸いきれば十分だろう・・・我らが相手にするのはそういう存在だ」

 狩られた自分を想像したのかブラムは自分の首筋に手を当てる。
 夜に待ち伏せを受けた場合、自分たちが狩られる側にまわる可能性は十分にあった。

 「カオス殿の言う通りにした方がいいようですな・・・実は現在、あちらの私と連絡がとれなくなっています」

 「・・・何かあったのか?」

 「奴らの知り合いが張った結界内にいるようです。何でもウィッチドクターに従者の治療を任せるとか」

 「治療? 奴が従者の命を気遣っているとでもいうのか?」

 カオスはブラムの発した何気ない一言に鋭い反応を見せた。

 「い、いや。貴重な能力者の下僕を惜しんだようです。吸血していないのは昼間の行動をさせるためでしょう」

 ブラムはカオスの反応に慌てて虚偽の報告をした。
 今までの会話で、ブラムはカオスとブラドーの間に何か特殊な因縁があることを感じている。
 彼はカオスを仲間に引き入れるために、敢えて邪悪なブラドーを演出していた。
 カオスはソリスの出自に関わる権力闘争や、彼女が噛まれていない事実を知らされていない。

 「私は奴を買いかぶっていたらしいな」

 カオスは忌々しげに破損したパーツを投げ捨てた。
 その姿に、ブラムは自分の策が空回りしたことに気付く。カオスにとってブラドーは好敵手でなくてはならないらしい。
 いまさら別行動をとるとは思えないが、カオスの自主的な協力を得るためには彼のモチベーションを下げるわけにはいかない。
 余計なことを言いそうなドゥランテがこの場にいない幸運に彼は密かに感謝していた。

 「いや、確かに奴は我らの手に余る恐ろしい敵。カオス殿に出会えなかったらば我らはどうなっていたか・・・導いてくれた神に感謝しております」

 ブラムの言葉にカオスの表情が微かに揺らぐ。彼は今回の邂逅を、マリア姫の導きだと思っていた。
 カオスに生じた揺らぎを、自尊心をくすぐられたと勘違いしたブラムは話題を更に別方向へと変えていく。

 「カオス殿。正式に我らの仲間になる気はありませんかな? 今は夜中故、ローマとの連絡は絶っておりますが、今まで見た貴男の深い見識、是非我らのリーダーとして貴男を推薦したい」

 ブラムは思い切ってカオスを妖魔狩りにスカウトしていた。
 乗ってくる可能性は低いが、リーダーの座を明け渡すと言われれば悪い気はしないだろうと彼は思っていた。

 「ローマと連絡・・・二重存在では無かったのか」

 カオスは妖魔狩りの地位ではなくブラムの能力の方に反応した。
 二重存在。
 同時に自己を存在させる能力をカオスは口にする。
 今までの言動から、カオスはそれがブラムの能力だと推理していた。

 「敵いませんな・・・」

 自分の能力をほぼ言い当てられブラムは大仰に驚きの表情を浮かべた。
 意図していたのと違う話題で話を反らせたことに、彼は内心苦笑を浮かべている。

 「ローマに一人、そして奴の馬車にも一人・・・尤も完全な存在ではありませんが」

 彼は自分の能力を使い、ほぼリアルタイムでローマとの連絡を可能にしている。
 それ故、彼は妖魔狩りのとりまとめとして、教皇庁の指示を妖魔狩りに伝える立場にいた。
 話を反らすための思いつきだったが、ブラムはカオスを仲間に引き込むことを本気で考え始める。
 カオスが本当にリーダ役を引き受けてくれれば、一癖も二癖もある妖魔狩りのメンバーをまとめるのも容易だろう。
 そうなれば、連絡役としての危険な実働は分身に任せ、本体である自分はローマで楽隠居できるとブラムは考えていた。

 「ますます気に入りました。是非我らのリーダになっていただきたい。カエターニ枢機卿も喜ばれるはずです」

 「興味はないな」

 カオスは心の底からどうでも良いという風に、再び作業に没頭し始めた。
 もとは話を反らすための話題だったにも関わらず、カオスの反応にブラムは口元をひきつらせる。
 彼はいま口にした枢機卿に忠誠を誓っていた。

 「教皇様と懇意にしておくのは今後の研究のためにもいいのでは?」

 「教皇? 教皇の座は現在空位のはずだが・・・」

 ブラムの言葉にカオスは怪訝な顔をした。
 前教皇ニコラウス4世の死後、教皇選出は難航しその座は現在のところ空位となっている。

 「確かに・・・しかし、カエターニ様が教皇に選出されるのは時間の問題でしょう」

 ブラムは再び枢機卿の名を口にした。
 カエターニ枢機卿。ここ数年、目立った活動をしている異端審問官は彼によって組織されていた。
 教皇庁の威厳を誇示し、新興の自治都市を牽制する目的で組織された異端審問官。
 ブラムたち妖魔狩りは、異端審問官が希に遭遇する本物の怪異への備えだった。

 「そうかな? 風の噂では禁欲主義を貫く高徳な修道士が有力と聞いたが。確か名はピエトロ・・・成る程、そういう訳か」

 カオスは離れた場所で眠るピエトロに哀れみの視線を向けた。
 彼に名を与えたカエターニ枢機卿は、親愛の情からではなく政敵への怨嗟の意味を込め、血に飢えた妖魔狩りに彼の名を与えたのだろう。
 血なまぐさいことを嫌い、前教皇がとっていた穏健路線の継続を期待されるその修道士は、自分と同じ名をもつ妖魔狩りの噂を耳にする度にその胸を痛めるはずだった。

 「滑稽なことに奴は貰った名を気に入っているようでしてな。親から名を貰えなかった訳でもないでしょうに・・・」

 カオスの推測を裏付けるようにブラムが声を潜める。
 その顔に刻まれたピエトロへの嘲笑に、カオスは不快な表情を浮かべた。

 「それにしても意外ですな。カオス殿のような方は政治には疎いと思っておりました」

 「無知と無関心は違う」

 「これは失礼を。確かに下馬評ではピエトロ修道士が有力・・・ですが、今の教皇庁には強い教皇が必要なのです」

 ブラムは我が事のように胸を張る。
 カエターニという男は、能力者の持つ異端故の歪みを巧みに利用し取り込むのが得意なようだった。
 妖魔狩りのメンバーは仲間うちに限り、カエターニのことを既に教皇と呼んでいる。

 「最終的にものを言うのは力でしょう・・・万一の時にはピエトロ修道士に退いて貰えば良いだけのこと」

 ブラムの言葉にはある種の覚悟が込められていた。
 事実この日から数ヶ月後、次代の教皇にピエトロ修道士が選出されケレスティヌス5世を名乗ることとなるが、彼はブラムの言葉通り「教皇に選ばれた者は選出を拒否できる権利を持つ」という法令を発令し、僅か半年で教皇の座を退位する。
 この劇的な退位劇を仕組むのが、その後、ボニファティウス8世として即位するカエターニ枢機卿であることは言うまでもない。
 その後、前教皇だったピエトロ修道士は捕らえられ、城に幽閉され亡くなる運命だった。

 「全くもって感心が無いな! 私は50年前の因縁にケリをつけられればよい」

 カオスはこの会話を打ち切るように大破した馬の外装を荒々しく閉じた。
 その様子に、ブラムはカオスの機嫌を損ねてしまったことにようやく気付く。
 策士を気取り腹芸を好む癖に、彼は人の心を捉える才覚に欠けていた。

 「これは失礼。作業のお邪魔でしたな・・・それでは私はそろそろあちらとの連絡に」

 卑屈な態度を見せながら、ブラムはそそくさと小高い場所をめざし遠ざかっていく。
 この辺りの態度が、妖魔狩りの他のメンバーから軽く見られている要因であることに彼は気付いていない。
 カオスはブラムが視界から消えると露骨に顔を歪め、吐き捨てるように呟いた。

 「フン、政治は好かん! あんな奴らを相手に一生を無駄にしたフェデリーコの気が知れん!!」

 カオスは取り出した部品をまとめようとしたが、イラついた気分がそれをうまく行わせなかった。
 彼は手にしていた電動ドライバーを放り投げると、手を頭の後ろに組みゆっくりと後ろに倒れ込む。
 こうやって星空を眺めるのが彼の気分転換だった。





 森の木立を切り裂くように街道の真上に満天の星が輝いていた。
 以前と変わらぬ輝きに、カオスはふと昔見た星空を思い出してしまう。

 「姫・・・」

 胸に湧き上がる堪らない寂寥感に堪えきれず彼は口元を歪めた。
 マリア姫と初めて男女の関係になった晩、彼女と共に見上げた星たちは今も変わらぬ光を放ち続けていた。
 そして、それを見上げる自分もまた。

 「姫・・・私は本当に奴と戦うべきなんだろうか?」

 今ひとつ気乗りしなくなったブラドー討伐に、カオスは夜空に浮かぶ星を通してマリア姫に語りかける。
 しかし、生い茂る木々の隙間から見える星々は、彼の問いかけに答える気配すら見せなかった。

 「マリア様は答えてくれましたか?」

 遠慮がちにかけられた声にカオスは視線を夜空からずらす。
 皿を手にしたテレサが近くに立っていた。

 「いや・・・」

 カオスは歩み寄ってくるテレサを避けるように体を起こす。
 長いスカート丈のため中が見えることはないが、下から覗き込むような姿勢は居心地が悪かった。
 彼女が見せる無防備とも言える仕草を、カオスは幼さ故のことだと思っている。
 テレサは幼い頃より、マリア姫の代役として幾度となくカオスと顔を合わせていた。
 マリア姫の隠居先である地方の居城。その近くを定期的に訪れるカオスに、手紙やマリア姫が作った焼き菓子などを渡すのがテレサの重要な仕事だった。
 現在のテレサは、カオスを意識しだした頃のマリア姫と同じ年齢となっている。
 しかし、カオスにとってテレサはマリア姫の使いをしていた少女のままだった。

 「姫は私の声に応えてはくれん・・・どうやら私は嫌われてしまったらしい」

 「そんなことありません!」

 苦笑を浮かべたカオスの言葉にテレサは大声を出した。
 子供だと思っていた彼女に叱られた気がし、カオスは驚いたような顔をする。

 「済みません、私ったら・・・」

 自分でも驚いたのかテレサは口元に手を当てる。
 しかし、まだ言い足りないことがあるのか、彼女はカオスが敷いた作業用の敷物の上にぺたりと座るとカオスを正面から見つめた。

 「マリア様は最後までカオス様のことを愛してました。だから残されるカオス様のことを気にされて・・・」

 彼女はカオスに微笑むと、手に持った皿をカオスの前に差し出す。
 その上にはチシャの代わりにマリアアザミを挟み込んだ、生ハムとチーズのサンドイッチが乗せられていた。

 「私、奉公に上がってからずっと、マリア様からカオス様のことを聞いて育ったんです。もちろん他のことも沢山教わりましたが、私にはカオス様の話を聞くのが一番楽しかった・・・これもそのうちの一つなんです」

 テレサの微笑みに、カオスはサンドイッチに手を伸ばし口へと運ぶ。
 生ハムの塩気と濃厚なチーズの味に、鮮烈なアザミの香りとほろ苦さがアクセントとなっている。
 その味はカオスに過ぎ去った日の思い出を呼び覚まさせていた。

 「美味いな・・・姫の作ってくれたものと同じ味がする」

 「当然です!」

 テレサは冗談っぽく胸を張る。
 そしてすぐに真顔になると、何か重大なことを打ち明けるかのようにカオスに囁きかけた。

 「私はカオス様が何が好きか知ってるんです。マリア様から聞いていたから・・・私の中にマリア様の思いが繋がっているんですよ」

 「テレサ・・・」

 カオスは潤んだ目で自分を見つめるテレサに女を感じていた。
 そのことを誤魔化すように、彼はテレサが作ったサンドイッチを思いっきり頬張る。

 「ッ!」

 慌てて食べたせいか、アザミの葉特有のトゲのような部分が彼の舌を刺した。
 カオスはその痛みが妙に嬉しく顔をニヤつかせる。
 彼はその痛みが、思い人と同じ名を持つ植物が起こした嫉妬のように感じていた。
 カオスはマリア姫が時折見せた感情を思い出し、懐かしさと共に口の中のサンドイッチを噛みしめる。

 「どうしました?」

 「いや、何でもない。世話になったな、コレは貰っておくぞ!」

 カオスはテレサに彼特有の不敵な笑みを向けると、残りのサンドイッチを受け取り次の作業へと取りかかった。
 修理に必要なパーツは既に取り出し終わっている。後は軽微な損傷の馬にそのパーツを取り付けるだけだった。

 「カオス様! アレは一体!?」

 再びドライバーを手にしたカオスに、何かに気付いたテレサが声をかける。
 彼女の指さす方角からは、朧気な光が接近しつつあった。

 「・・・見つけたかドゥランテ」

 カオスはそれだけ言うと、手にしたドライバーを駆使し急ピッチで作業を終わらせようとする。
 接近する光源は、抜け道を見つけたドゥランテが伝令として使役した人魂だった。


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