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太陽を盗んだ男

第七話


投稿者名:UG
投稿日時:06/11/ 1

 「間違っていたらごめんなさい・・・ソリスちゃん、あなた妊娠してるんじゃない?」

 「なッ!・・・」

 妊娠を指摘する先生の言葉にソリスは顔を強張らせていた。
 顔を赤らめ口を数回パクパクさせた後、ようやく思考と言語中枢が噛み合ったのかソリスは声を荒げる。

 「私とブラドー様はまだそんな関係ではありません!!」

 「あら、勿体ない。じゃあ、私の勘違いね・・・さっき二人分の気をソリスちゃんに感じたものだから」

 先生はあらためてソリスの腹部に注目するが、そこに生命の気配は感じなかった。
 出迎えた時に感じた違和感は気のせいだと判断し、先生は意地の悪い笑顔を浮かべる。

 「でも、"まだ"ってことはその気はあるのね?」

 先程笑われた仕返しか、からかうような先生の言葉にソリスは顔を真っ赤にして肯く。
 しかし、その顔には不安が色濃く浮かんでいた。

 「・・・私とブラドー様との間に子供はできるでしょうか?」

 ブラドーと共に暮らすことを決めたソリスにとって、それは何よりも大きな問題だった。
 寿命の異なるブラドーと自分。しかし、子供へと命を繋ぐことが出来ればその差は埋められるような気がしていた。

 「有史以来、人間が神様や魔物と恋をした話は数多くあるけどね・・・」

 真剣なソリスの様子に、先生も腕を組み記憶を遡る。
 彼女の膨大な知識の中でさえ、バンパイアと人間が結ばれ尚かつ子供まで出来るとは聞いたことが無かった。
 バンパイアと人間の恋愛もあることはあったが、その全てが吸血によるバンパイア化か、人間の家族が雇ったハンターによる討伐というお決まりの結末を迎えている。

 「まあ、努力次第ってことじゃない? でも、間違ってもブラドーちゃんにニンニクなんか食べさせちゃだめよ! あの子たちニンニクが死ぬほど苦手だから」

 冗談とも本気ともつかない先生の言葉にソリスがクスリと笑う。

 「じゃあ、頑張って努力します。折角素敵なヒトと出会えたんだから、後は命を繋いでいかないと」

 それが以前口にした自分の言葉であることに気付き、先生は顔をほころばせた。

 「それが出来れば素敵なことね。そうすれば多分・・・」

 何かを言いかけた彼女だったが、その言葉は最後まで発されることは無かった。
 結界内に浸入したバンパイアの気配を感じ、彼女は玄関の扉へと歩み寄る。

 「さて、素敵なヒトが到着したみたいよ。バンパイアは招かれ・・・」

 「ブラドー様ッ!」

 招かれなければ家に入れない。
 バンパイアの特性を説明しようとした先生だったが、外に飛び出したソリスにその声は届いていない。
 苦笑いを浮かべソリスの後を追うと、二人は庭先で人目もはばからず固く抱き合っていた。

 コホン!

 咳払いを一つすると、彼女はわざと二人の間に割り込むようにしてブラドーと対面する。

 「初めまして。ブラドーちゃん」

 「・・・・・・」

 自分を見つめる美しい笑顔に、ブラドーは奇妙な感覚に包まれていた。
 まじまじと先生を見つめるブラドーに何を思ったのか、ソリスはブラドーの右袖を引っ張る。

 「ブラドー様!」

 ソリスの呼びかけにブラドーの意識がようやく彼女から逸れた。

 「私の先生です。先生はマルコさんを助けてくれたんですよ」

 ソリスの報告にブラドーの顔に笑顔が浮かぶ。
 その顔を見て、先生は驚きの声をあげそうになった。
 バンパイアを見るのは初めてではないが、それまで抱いていた仏頂面のイメージからブラドーは大きくかけ離れていた。

 「余の友を救ってくれたようだな。礼を言う」

 口の利き方が不遜なのは生まれついてのものらしい。
 しかし、深々と下げた頭が彼の感謝の大きさを表していた。
 先生はそんなブラドーの姿を珍しいものでも見るように観察する。
 そして、何かに気付くと彼女はソリスに向き直った。

 「ソリスちゃん。お茶の支度をお願い」

 「いや、生憎だが先を・・・」

 追跡者の中にいたカオスの存在が、ブラドーに先を急がせる。
 お茶の誘いを辞退しようとしたブラドーだったが、先生はその言葉を遮った。

 「そうね、ブラドーちゃんの分には薔薇の花びらを浮かべてあげて。少し疲れている様だから」

 柔らかいが逆らいがたい何かを含んだ物腰。
 それ以上にソリスの顔に浮かんだ心配の表情が、ブラドーにお茶の誘いを固辞することを諦めさせていた。

 「・・・ありがたく招待を受けよう。ソリス、疲れが吹き飛ぶようなとびきり旨いお茶を頼む」

 「まかせて下さい! ブラドー様」

 心配無用とばかりに向けられた笑顔に、ソリスも花のような笑顔で返す。
 彼女が家の中に入っていったのを確認すると、先生はブラドーのマントに手を伸ばした。

 「急いでいる所を悪いわね。でも、マルコちゃんが目を覚ますまでもう少し時間が必要なの・・・それに、受けたダメージの回復も必要でしょう?」

 暗闇では目立たないが彼の服には所々銃弾による穴が空いていた。
 先生の手がマントをめくり内側のジャケットをずらすと、彼の血で汚れたシャツが露わになる。
 バンパイアの超回復力で傷は塞がっているが、服に残る惨状が先程行われた死闘の凄まじさを物語っていた。

 「ソリスに黙っていてくれたことは感謝しよう」

 ブラドーはバンパイアらしい仏頂面を浮かべマントを元に戻す。

 「夜のバンパイアに手傷を追わせる子がいるとはね・・・マルコちゃんを傷つけた子?」

 「いや、ソイツよりも数段質が悪い。ドクター・カオス・・・50年前、余に呪いの銀を撃ち込んだ錬金術師が、余とソリスを追跡しているメンバーにいた。機動力は奪っておいたが奴のこと・・・油断は!!」

 間近に近づいてきた先生の顔にブラドーは慌てたような顔をする。
 悠久の時を生きた彼にとっても目の前にいる彼女は美しすぎた。

 「吸血はしていないようね・・・」

 急な接近は、吸血の有無を確かめるためだった。
 体に受けたダメージを回復する最も簡単でありふれた行動。
 それをブラドーが行っていないことを彼女は見抜ていた。

 「吸血はしばらく控えることにしておる」

 「ソリスちゃんに嫌われないようにするため?」

 先生の問いかけにブラドーは複雑な表情を浮かべる。
 それは安堵と不安の入り交じった表情だった。

 「ソリスには吸血する姿を見せた・・・」

 驚きの表情を浮かべた先生に、ブラドーは自分とソリスの身に起こった出来事をかいつまんで説明する。
 自分の存在に端を発したソリスの出自に関わる陰謀。ソリスはイタリア支配を狙う双方の勢力から狙われることになっていた。
 ソリスを助け出した晩、ブラドーはソリスに自分の思いを打ち明けている。
 その時に吸血する姿を見せたのは彼なりのけじめだった。
 人の命を糧としていた自分が人であるソリスと暮らすために、それは避けてはならないことだと彼は思っていた。

 「ソリスを狙う一方の勢力はその時しもべとした貴族が押さえるだろう。ソリスが吸血する姿を見て余を嫌悪するようなら、余はローマに攻め入るつもりだった・・・・・・」

 自分の思いが受け入れられなかった場合、ブラドーは全力でソリスを取り巻く人の世を守るつもりだった。
 しかし、彼の思いを受け止めたソリスは人の世を捨て彼と共に歩むことを選んでいる。

 「良かったら聞かせて。何でブラドーちゃんは出会った晩にソリスちゃんを噛まなかったの?」

 「約束したからな・・・ソリスの用事が済むまで待つと」

 出会った晩に既に噛む気を失っていたとは言えなかった。

 「ソリスちゃんの用事って?」

 「再会したときに聞かせて貰った。いい男と出会い、子をなし、命を繋ぎ死んでいく・・・実にソリスらしいと思わんか?」

 先生はブラドーの言葉に日だまりのような笑顔を浮かべる。
 そして、ブラドーが先程浮かべた不安の原因が、ソリスと同じ理由にあることを理解した。

 「そうね・・・」

 先生はブラドーに背を向けると、庭の片隅に植えた薔薇の木に歩み寄った。
 彼女が何事か語りかけながら蕾に触れると、それはみるみるうちに血のように赤い花弁を開かせていく。
 丁度その時、お茶を煎れ終わったソリスの声が家の中より聞こえて来た。

 「コレで暫くは保つんじゃない?」

 その花を手折りブラドーに渡すと、先生はソリスの呼びかけに応え家へと向かって行った。
 彼女の姿を見送りながら薔薇の精気を吸ったブラドーに驚きの表情が浮かぶ。
 たった一輪の薔薇の精気。だが、精気に満ちあふれるその薔薇には先程受けたダメージを回復させてしまうほどの生命力が含まれていた。

 「なッ! どのような育て方をすればこのような・・・」

 「秘訣はたっぷりの愛情ね。いらっしゃいブラドーちゃん。歓迎するわ」

 先生はブラドーに微笑みかけると、先に入った家の中からブラドーを招き入れる。
 それが自分の特性を知った上の行動と気付いたのか、ブラドーは軽く一礼すると先生の家に入っていった。






 招かれたブラドーがまず気づいたのは室内にこもる薬品の臭いだった。
 寝息を立てているマルコの旁らに置かれた薬品の器。
 その薬品の臭いを嗅いだだけで、ブラドーはマルコが最高の治療を受けたことを理解する。

 「マルコに最高の治療を施してくれたようだな」

 相変わらずの不遜な物言い。
 しかし、彼の表情には溢れんばかりの感謝が現れていた。
 マルコの様子を確認すると、ブラドーは案内されるままお茶の支度がされたテーブルにつく。
 少し遅れてソリスがその隣りに腰掛けた。

 「エリクサー、ネクター、ソーマ、呼び名は異なるが、かって大国の王が渇望したとされる霊薬。調合し、それを服用させることができる者がまだ存在していたとは・・・ソリスは良い師を持った」

 「物知りね。ブラドーちゃん」

 「こう見えても余は長く生きていてな」

 ブラドーが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
 暗にちゃんづけを止めろと言いたいのだが、色々と世話になった手前それも叶わなかった。

 「すまんがマルコを救ってくれた礼は後払いになる。手持ちの財産は宝石とかくだらん物ばかりでな・・・霊薬に見合う価値のものを今の余は持ち合わせておらん」

 「いらないわよ。お礼なんて・・・こっちも良いものも見せて貰ったからお互い様ね」

 「良いもの?」

 怪訝な顔をしたブラドーに先生は笑いかける。

 「ソリスちゃん、ホント、いい顔で笑うようになったわ。私と会ったばかりのソリスちゃんて、そりゃ酷い顔をしていてね。私の所に出入りしてだいぶマシになったけど・・・今の表情はブラドーちゃんの御陰。私が何年もかけたものを、ほんの僅かな時間で・・・妬けちゃうわ」

 「ふん、ソリスは出会ったときから輝いていた。余がずっと追い求めた太陽のようにな」

 若干不機嫌そうにブラドーは答える。
 ソリスが酷い顔と言われたこともあったが、照れ隠しの方が大きかった。

 「あら、ブラドーちゃん、太陽を見たことがあるの?」

 「有るわけなかろう。だが、どんなものか想像はつく。ソリスのように眩しく、温かなのであろう?」

 いつの間にか逆転している印象に、先生は声を立てて笑った。
 笑われたと思い仏頂面を浮かべたブラドーに気付くと、先生は目尻に浮かんだ涙を拭いながら弁明する。

 「ごめんなさい、あなたの事を笑ったんじゃないの。原始女性は太陽だった・・・そのうち誰かが言いそうな言葉だけど、まさかバンパイアのブラドーちゃんが口にするとは・・・ソリスちゃん、最高の褒め言葉と思わない?」

 顔を真っ赤にして俯くソリスの姿に先生は更に笑いを深めた。
 ブラドーは仏頂面のままソリスの煎れたお茶に口を付け、たちまちその表情を緩めていく。
 薔薇の香り高いそのお茶には、彼を思うソリスの気持ちが込められていた。

 「それよりも貴方たちこれからどうするつもり?」

 先生の問いに二人は目を見合わせた。
 テーブルの下で握り合った手の動きに気づき、先生は目を細める。

 「今は無人島となっているがイオニア海にそれなりに実りある所領を持っていてな、しばらくの間その島を魔力で隠し暮らそうと思う。余とソリスが静かに過ごすには、今の世はあまりに雑多なことがありすぎるのでな」

 「ソリスちゃんはそれでいいの? そんな島に二人っきりで・・・」

 先生は初めて二人の行く末を心配する趣旨の発言をした。
 ブラドーを直に見た彼女に、二人の恋愛に関しての心配はない。
 それだけに、人の世を捨て離れ島に逃げ込もうとするソリスが不憫だった。
 そんな先生の気持ちがわかったのか、ソリスは答えるべき言葉を選び始める。

 「・・・ブラドー様に会うまでは私の世界はこの形をしていたんです」

 先生の言葉に答えながら、ソリスはテーブルの表面にお茶の滴で絵を描き始めた。
 丸にT字型の水域。ブラドーと初めて空の散歩へ出かける切っ掛けとなったTO図と呼ばれる世界地図だった。

 「でも、マルコさんからもっと複雑で広い世界の話を聞かせてもらって・・・ブラドー様からは、私たちが住んでいる世界が球体をしていることまで教えて貰いました」

 ソリスは一旦言葉を切って先生を見つめた。

 「世界は私が思っていたよりもずっと複雑で広かった。でも、今の私に必要な世界はブラドー様のいる所だけ・・・あとのアレコレはおまけのようなものなんです」

 「そう・・・それがソリスちゃんの選んだ道なのね」

 先生の言葉に納得のニュアンスを感じ、ブラドーはお茶を飲み干すと席を立った。
 追っ手のことを考えるとゆっくりしてはいられなかった。

 「世話になりっぱなしで悪いが先を急ぐ。追っ手の奴らがこの地の居城に引きつけられている間に、できるだけ距離を離したいのでな」

 ブラドーは追跡してくる妖魔狩りがこの地の居城に向かうと考えていた。
 彼はブラムの能力により自分たちの行き先が筒抜けであることを知らない。

 「マルコちゃんはどうするの?」

 先生の問いかけにブラドーは苦しげな顔をする。
 彼はマルコに対して苦渋の決断をしようとしていた。

 「・・・・・・マルコは」

 「うーっ、天国と地獄を一遍に味わった気分っスよ・・・」

 ブラドーが口を開くのと同時に、ふらつく足取りでマルコが隣の部屋から顔を覗かせた。
 若干顔色が優れないものの、先程までの状況から考えれば奇跡的な回復といえる。

 「マルコさん!」

 「目が覚めたようね・・・」

 「・・・・・・!?」

 先生の存在に気付いたマルコの目が、見慣れぬ美女の姿に釘付けとなった。

 「誰っスか・・・このもの凄く綺麗なお姉さんは?」

 「まあ・・・」

 先程のキスを思い出したのか先生の顔に微かに赤みが差す。

 「私の先生です。マルコさんの傷を治してくれたんですよ」

 ソリスの言葉は彼の耳に入っていないようだった。
 マルコは肩の傷を確認することも忘れ、ふらつく足で先生に歩み寄るとその手を固く握りしめる。
 そして、ブラドーとソリスが今まで見たことのない程の真剣な表情で、マルコは彼女の目を見つめこう言うのだった。

 「生まれる前から愛してました!」

 「知ってるわよ。マルコちゃんは生きるのが楽しくって仕方がないって顔してるからね」

 規格外の告白は、規格外の受け答えにあっさりと返されていた。
 呆然とするソリスを他所に、先生は先程から無言を貫くブラドーにチラリと視線を向けてからマルコの手を握り返す。

 「私もマルコちゃんのこと好きよ。良かったら此所に残って一緒に暮らさない?」

 「・・・・・・」

 その様子からブラドーの意図に気づいたマルコは、先生に向かい寂しげな笑顔を浮かべる。

 「・・・・・・すみません。メチャクチャ嬉しい誘いっスけどそれだけはできません」

 マルコは名残惜しそうに、柔らかな先生の手から自分の手を引きはがした。
 そして、ブラドーに避難めいた視線を向けるとがらりと変わった口調で話しかける。
 彼がブラドーに対し、この様な態度をとるのは初めてだった。

 「ひょっとして俺を置いていくつもりッスか?」

 「まだふらついておるではないか。お前の働きには感謝しておる・・・報酬のヘルモクラティスは必ず」

 「信じられないっスね! 俺は何と言われようとついていきますよ」

 ブラドーの言葉に、自分を置いていこうとする意図を確信しマルコは声を荒げた。
 別段ブラドーが裏切るなど思ってはいない。報酬は重要だが彼にはそれ以上にブラドーとソリスの行く末が気になっていた。
 自分をなだめようとするブラドーの手を払おうとした時、マルコはブラドーの指輪に封じた術が発動していることに気付く。
 そしてブラドーのマントに残る戦闘の傷痕にも。

 「・・・納得のいく説明をしてくれますね?」

 ブラドーの顔に浮かんだ微かな狼狽がソリスを意識してのものと察したマルコは、そのことは口にせずにブラドーに更に詰め寄る。
 危機的状況を脱していない場合、自分の存在は二人にはまだ必要なはずだった。

 「ソリスの師が作った霊薬がなければお前はどうなっていたかわからん。余はもう、お前のことを従者とは思えんのだ・・・友にこれ以上迷惑はかけられん」

 「ったく・・・・・・」

 自分を友と呼ぶブラドーの苦しげな言葉に、マルコは息を大きく吸ってから長いため息を吐く。
 その一呼吸で先程までの荒々しい気分が胸の内から全て吐き出されていった。

 「どこまで世間知らずなんスか! ブラドー様、ひょっとして今まで友だちなんか持ったことないんでしょう!?」

 「悪いか・・・」

 仏頂面を浮かべたブラドーに、マルコはいつもの不敵な笑みを浮かべた。
 そして、これから自分がやるべき仕事を口にし始める。

 「世間知らずなお二人に代わって、馬の交換交渉やターラントでの船の手配を早急にやらなきゃならないし、おっかねえ妖魔狩りの連中が追っかけてくる昼間の御者も大変です。どれも従者なら迷惑と思うことばかりッスね・・・でもね、そんなことを迷惑と思わないのがダチなんです!」

 マルコはふらつきの残る足で寝ていた部屋へ戻ると、すぐに霊薬が入った器を手に戻ってくる。

 「これが霊薬っスね」

 マルコの問いに、先生は静かな微笑みを浮かべ肯く。
 それは、我が子の決断を見守る母親のような微笑みだった。
 立ち上る異臭に一瞬怯んだマルコだったが、覚悟を決めたようにブラドーに視線を向ける。

 「日の出までには必ず元の体調に戻ります。置いていくのは無しッスよ」

 「あ、それは!」

 霊薬を一気飲みしようとするマルコに、ブラドーとソリスは同時に声をあげる。
 ソリスは先程の光景から、ブラドーは古の知識からその薬が気絶するほど不味いことを知っていた。

 「!!!」

 口に含んだ瞬間に全身に起こる拒否反応。
 大振りな器に隠れマルコの表情は見えないが、硬直した体から彼の苦悶が窺えた。
 やがて、大きく上を向いた彼の喉がヒク付きながらも嚥下の動きを見せ始める。
 三人は固唾を飲んでマルコの喉の動きを見守っていた。

 「・・・・・・お見事よマルコちゃん」

 先生の呟きが沈黙を破る。
 沈黙しマルコの奮闘を見守る3人の中で、彼女は真っ先に彼が霊薬を飲み干したことを理解した。
 マルコは先生の言葉に応えるように傾けていた器を口から離す。彼の顔色は真っ青というより緑色に近かった。

 「ウプッ!」

 器を離した途端に逆流しそうになるソレを、マルコは両手を口にあて無理に押しとどめた。
 うずくまり小刻みに痙攣しながら必死に嘔吐を耐えるマルコ。そんな彼を先生は静かに見つめていた。
 席から立ち上がり彼の側に跪くと、彼女はマルコの頭を胸に抱き背中をそっとさすりはじめる。

 「それはアレキサンダーや始皇帝が飲み干せなかった薬・・・よく頑張ったわねマルコちゃん」

 自分を見下ろす慈愛に満ちた顔にマルコは恐る恐る口から手を離す。
 その口元には誇らしげな笑顔の形が張り付いていた。

 「カ、カーン様にもチャレンジさせたいッスね」

 マルコはそう言い残すと、その笑顔を浮かべたまま再び意識を失った。

 「マルコ!」

 駆け寄ろうとしたブラドーを手で制し、先生はブラドーに先程の返答を求めた。

 「さっきの返事を聞いていないわ・・・ブラドーちゃん、こんな素敵なお友達を置いていくと罰が当たるわよ!」

 「わかっておる・・・」

 ブラドーは彼女の腕から奪い取るようにマルコの体を抱き上げた。

 「三十年も生きていない男に教えられるとは・・・全く、余の今までの人生は何だったのだ」

 「それが限りある命の素晴らしさなのよ。あなたも何となく気付いているんじゃない?」

 「そうだな・・・日は沈み、そしてまた昇る。それが命の正しい姿なのかもしれん」

 ブラドーはマルコを抱きかかえたまま馬車へと移動する。
 マルコを車内に寝かせてから御者座へ向かい、ソリスが旅支度を終わらせ出てくるのを待った。
 数分後、大荷物を抱え家から出てきたソリスと先生の姿に、ブラドーは呆れたような顔をする。

 「なんだソレは?」

 「向こうに着いてから必要そうなものを持っていっていいと言ったらね。元お姫様とは思えないしっかり者よソリスちゃんは」

 「先生が嫁入り道具にって言ってくれたんですから、遠慮したら罰があたります」

 悪ぶれた様子もなく、雑多な物を詰め込んだ袋を馬車に放り込むと、ソリスはブラドーを追いかけ御者座によじ登った。

 「ブラドー様、薔薇の種も貰って来ましたからね。向こうに着いたら一緒に薔薇園を作りましょう」

 「余が野良仕事か? 重労働を迷惑と思わん我が友マルコに任せたい所だが・・・」

 「ダメです。二人でやることに意味があるんですから」

 「そうか・・・」

 諦めに似た笑顔とは裏腹に、ブラドーはそのような日々が来ることを心から望んでいた。

 「それよりも、ずっと寝ていないのであろう。馬車の中で休め」

 「ここの方が良く眠れます。あんなに安心して寝たのは久しぶり」

 ブラドーはソリスの仕草に言葉を失う。
 自分の肩にもたれ掛かるソリスの頭の重み。
 その重みがブラドーには心地よかった。

 「それじゃあお別れね。ソリスちゃん、笑って別れましょう」

 ブラドー島で過ごすことを決めたソリスが此所を訪れることはもうない。
 先生が口にした別れの言葉。彼女は最後にソリスの笑顔が見たいと言っているのだった。

 「・・・・・・」

 ソリスはブラドーから体を離すと別れの言葉を口にしようとする。
 しかし、今までの感謝を表す言葉はそう簡単には見つからなかった。

 「・・・世話になった」

 ブラドーはソリスが泣き出さないうちに馬に鞭を入れる。
 不器用な彼なりの感謝の表れだった。

 「先生!」

 走り出した馬車に突き動かされるようにソリスが叫ぶ。

 「頑張りますから・・・私、頑張りますから!」

 「私には最高の挨拶よ。ソリスちゃん」

 ソリスの言葉の意味はブラドーにはわからない。
 しかし、こちらに手を振る先生の浮かべた表情から、その言葉が彼女を心から満足させたことをブラドーは理解する。
 鞭を入れる度に速度を上げる馬車。先生の姿が見えなくなるまでソリスはその言葉を叫び続けた。





 「・・・頑張るのよ。ソリスちゃん」

 既に見えなくなった馬車に手を振るのを止めた先生は、ゆっくりとその手を下ろした。

 「しかし、変わった子だったわ・・・ブラドーちゃんだけが特別なのかしら? それとも、他のバンパイアも変わり始めている?」

 彼女はその場でしばらく思索に耽る。
 月の光を浴びたその姿は、神々しいまでの美を体現していた。

 「・・・調べる必要があるわね」

 彼女はそう呟くと何処かへと姿を消していった。


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