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太陽を盗んだ男

第六話


投稿者名:UG
投稿日時:06/10/25

 「ふざけるな! 化け物がっ!!」

 バンパイアであるブラドーが口にした友という言葉。
 その言葉はピエトロの神経を逆撫でしていた。
 彼の纏っているマントの左裾が跳ね上がり白木の杭が投じられる。
 それと同時にピエトロは前方に猛ダッシュをかけた。 
 超人的な反射神経を有するバンパイアに、投擲した武器が通じるとはピエトロ自身思っていない。
 一息で投じられた急所を正確に狙う三本の白木の杭。そのすぐ後に続く剣による斬撃はその威力を倍増させ、ブラドーの頭から背までを一気に断ち切るはずだった。
 万一剣が受け止められたとしても、フリーとなった左手がその心臓に深々と4本目の白木の杭を突き立てる。
 幾人ものバンパイアを滅ぼしてきた連続攻撃に、ピエトロは絶対の自信を持っていた。

 「ふざけてなどおらんよ」

 ピエトロが刀を抜き放つよりも早く目の前にブラドーが現れる。
 その姿を認めた瞬間、ピエトロの鳩尾を凄まじい衝撃が襲った。
 真っ直ぐ鳩尾を貫くように打ち込まれたブラドーの前蹴り。それにはじき飛ばされ樫の木に激突したピエトロは、遅れて飛来した白木の杭に右肩を貫かれた。

 「グッ・・・」

 耐えきれぬほどの痛みに苦鳴が漏れる。蹴られた腹部は所々で内臓破裂を起こしているようだった。
 苦悶の表情を浮かべ体を折り曲げようとしたピエトロであったが、右肩の杭がそれを許さない。
 右肩を貫いた杭は、剣を抜こうとした体勢のままピエトロを樫の木に縫いつけていた。

 「動くな」

 その杭を抜こうとした左手と右腕が、新たに飛来した杭によって樫の木に縫いつけられる。
 どちらも彼の反応速度を遙かに超えた攻撃だった。
 先程投じた三本の杭が全て受け止められていたことを理解し、ピエトロは驚愕の表情を浮かべる。

 「白木の杭か・・・確かに夜の一族の弱点と言えなくもない。だが、当たらなくては話にならんな」

 ブラドーは茫洋ともいえる口ぶりでピエトロに語りかける。
 だが、その言葉にはソリスやマルコに対するような温かみは一切含まれていなかった。
 凍り付くような視線に晒されたピエトロは、それに屈しないよう憎悪の視線をブラドーに向ける。
 口腔内に登ってきた自身の血の味が、彼に冷静さとバンパイアへの怒りを取り戻させていた。

 「ほう、この状況で敵意を失わないとは・・・追っ手の規模を聞き出してからと思ったが」

 ピエトロの目に危険な何かを感じたブラドーは、止めを刺すべく右の抜き手をピエトロの心臓に向ける。
 その時聞こえてきた蹄の音にブラドーの動きが止まった。

 「この音はッ! ソリス、戻ってきてしまったのか!?」

 それは数頭の馬が馬車を引く音だった。
 ブラドーは慌てて街道に飛び出し道の彼方を見つめる。
 彼は何か突発的な事態―――マルコの急変を想像していた。
 音の聞こえてくる方角がソリスが向かった方角で無いことに気付き、ブラドーはようやく安堵の表情を浮かべた。

 「!」

 突如背後から斬りかかってきたピエトロの殺気にブラドーは反応する。
 馬車の存在を確認するため一瞬だけ外した視線。どのような技を使ったのかピエトロは己を縫いつける白木の杭を外し、必殺の一撃をブラドーに打ち込んで来ていた。

 「それで不意打ちのつもりかッ!」

 ブラドーは地に伏せるように回転し、ピエトロの足に向かって蹴りを放った。
 斬り掛かってくるピエトロの間合いに潜るように放たれた蹴りは、踏み込んできた彼の足を刈り取り大きくバランスを崩させた。
 ブラドーは回転によって生じたエネルギーをそのまま流用し、躓き、死に体となったピエトロの顎に右の掌底を打ち込み脳を揺らす。
 炸裂した掌底に意識を完全に断ち切られ、ピエトロはその場に力なく崩れ落ちた。

 「人間離れした生命力、これも妖魔狩りの力か・・・グハッ!!」

 ピエトロを見下ろしたブラドーの体が突如銃撃に晒される。
 その銃撃は猛スピードで接近する馬車から行われていた。

 「この攻撃はあの時のッ! 追っ手の中にあの忌まわしい錬金術師がいるのかッ!!」

 堪らず森の中へと駆け込んだブラドーは、新たに現れた敵の存在に戦慄する。
 今の攻撃は50年前、自分を寸前の所まで追い込んだ攻撃と同じ種類のものだった。
 木立から顔を覗かせ前方に視線をとばすと、既に停止している馬車の御者座にドクターカオスの姿が認められた。

 「奴が追っ手に加わっていたとは。それにあの馬車の速度・・・奴のことだ、ただの馬ではあるまい」

 このまま撤退した場合、追撃をくらうのは確実だった。
 少なくともカオス本人か機動力を潰さない限り、無事、ブラドー島に辿り着くことは出来そうにない。
 何より今回の行動にはマルコの命がかかっていた。
 不意に夜空が明るく輝く。それが馬車より打ち出された照明弾であることにブラドーは気づいていない。


 ―――太陽?


 戦闘中であるにもかかわらず、ブラドーは辺りを照らしながら夜空を舞い落ちる火球に一瞬だけ意識を奪われた。
 その足下に転がってきた円盤状の物体に、ブラドーの霊感が全力で警戒信号を鳴らす。
 円盤の爆発と同時に散乱した鉄球が周囲の木々に凄まじい破壊の爪痕を残した。

 「カオス、貴様ッ!!」

 それがマルコが用いる火薬玉に近いものと気付いたブラドーは、間一髪で爆発に巻き込まれずに空中へと回避している。
 しかし、それすらもカオスの策の内だった。
 遮蔽物から飛び出したブラドーの体は再び機銃の掃射に晒されることなり、無数の銃弾が彼の体に撃ち込まれた。

 「クッ・・・このままでは」

 容赦なく降り注ぐ銃弾の雨にブラドーは窮地に追いやられる。
 持ち主の危機を察したのか、彼の薬指に巻いてある紙の指輪が淡い光を放った。






 「やりましたか!? カオス殿!」

 御者座で隣りに座るブラムが興奮気味に叫ぶ。
 彼はカオスの機銃の威力を初対面の時に身をもって知っていた。

 「この程度で片付けば苦労はない。奴は並のバンパイアなら10回は滅ぼせる量の機銃弾を受けて自力で城に戻った男だ・・・」

 カオスは油断無く周囲に視線を走らせる。
 その視線の動きに合わせ屋根の上の機銃が滑らかに動いた。
 カオスのゴーグルから伸びているワイヤーが、銃口を向けるべき方向をタイムラグ無しで機銃へと伝えていた。

 「それにな、遮蔽物が多いここのような場所では奴の方が有利なのだよ。やりようはあるがな」

 カオスがリモコンを操作すると、数発の照明弾が馬車から発射された。
 それと同時に馬車の下部から円盤状の対人地雷が放出される。
 円盤は操縦者の意志に従って目標地点まで転がっていき、対象を破壊、または隠れ場所から追い出す役目を担っていた。

 「見ろ! 狙い通りだ」

 木立の向こうで起こった爆発の後、上空に姿を現したブラドーにカオスは容赦なく弾丸を撃ち込んでいく。
 50年ぶりに決着がつきそうな予感に、カオスは目眩にも似た高揚感を味わっていた。
 しかし、彼の口元に浮かんだ笑みは夜空をランダムに移動するブラドーの姿に凍り付く。
 空中を目まぐるしく移動するブラドーの通過箇所が、僅かに遅れて到着する銃弾に次々と砕かれていった。

 「何故あたらん!?」

 カオスは焦りを禁じ得なかった。
 各種のセンサーを兼ね備えたゴーグルはブラドーの姿をロストしている。
 照明弾により辛うじて目視できるブラドーの姿を、カオスは必死に攻撃していた。

 「何処を狙っているんです! 敵は正面に・・・」

 「カオス様、危ないっ!」 

 馬車の中から聞こえてきたドゥランテとテレサの叫び声に、カオスは反射的に緊急防御のスイッチを押す。
 装甲板を展開し棒立ちになった馬が御者座を隠すのと、金属音が響き渡ったのはほぼ同時だった。

 「まさか精神攻撃とはなっ!」

 カオスは機銃による攻撃をオートに切り替えた。
 各種センサーが幻覚によって守られたブラドーの位置を特定し攻撃を開始する。
 闇の中に生じる苦痛の気配。それと同時に空中を飛び回るブラドーの姿がかき消えていく。
 入れ替わるように現れた人影に機銃の掃射が容赦なく浴びせられ、闇夜に硝煙と血の臭いが立ちこめた。

 「逃げられたか・・・」

 カオスはリモコンを操作し機銃の掃射を止める。
 機銃の掃射が行われていた箇所には夥しい蝙蝠の死体しかなく、ブラドーの姿は何処にも見られなかった。

 「いや、こちらが助かったというべきかもしれん・・・なあ」

 カオスは己のとなりで顔面を蒼白にしたブラムに声をかけた。
 彼の目の前には、ピエトロの長剣が数センチの距離で制止している。
 マルコに渡された指輪によって得た好機に、ブラドーは倒れているピエトロから長剣を奪いカオスに投じていたのだった。
 その長剣は激しく回転しながらカオスの馬を切断し、ブラムの手前でようやくその勢いを止めていた。

 「お前たちの御陰で助かった。奴の姿が見えていたのか?」

 カオスは車内を振り返り、ドゥランテとテレサに礼を言った。

 「ええ、ドクターが見当違いの場所を攻撃している間、奴は悠々と・・・」

 「でも、私の言葉がカオス様を助けられたなんて光栄です!」

 先を争いカオスの言葉に答える二人に、カオスは苦笑を浮かべ再び前方に視線を移す。
 精神攻撃への防御がなされた車内に人を残していたのは幸運としか言いようがない。
 カオスは今後、乗り物を造る際には完全な防御を備えたものにしようと心に決める。

 「しかし、今の能力は以前の奴には無かった。変わった能力者を味方につけたかブラドー・・・」

 カオスはそう呟くと、盾となった馬の破損状況を確認する。
 6頭中無事なのは2頭のみ。
 だが、大破した2頭から使える部品を取り出せば2頭は修理可能なようだった。
 最高速は無理にしても、4頭ならば十分追跡は可能になる。
 早速修理に取りかかろうとしたカオスは馬に刺さったままの長剣にその手をかけた。

 「クッ、あの馬鹿力が・・・ブラム! 何時までぼさっとしている!!」

 カオスの叱責にようやく我に返ったブラムは、カオスを手伝おうとピエトロの剣へ手を伸ばす。
 馬車から慌てて飛び出してきたドゥランテもそれに加わった。
 顔を真っ赤にして刀身と格闘する三人。しかし、三人がかりでさえ馬の胴体に食い込んだ刀身を引き抜くことは出来なかった。
 その作業に四人目の男が加わったとき、頑強なまでに食い込んだ刀身はさして抵抗を見せないまま、するりと男の手に移っていく。

 「・・・ピエトロ。危ない所を助けて貰ったのだ、カオス殿に礼の一つでも言ったらどうだ」

 無言のまま長剣を背の鞘に戻すピエトロに、ブラムは避難めいた声を出した。
 独断先行の結果が返り討ち。本来ならもっと責められるべきであるが、ブラドーの力をまざまざと見せられた今では一対一で戦い命があっただけでも賞賛に値する。
 それ故、ブラムの叱責はどこか歯切れが悪かった。

 「コラ! 何処へ行く!!」

 我関せずとばかりに背を向けたピエトロ。
 彼の歩みを止めたのはブラムではなく、馬の修理をはじめたカオスの言葉だった。
 
 「このまま行けば先程と同じ結果になるぞ・・・奴はお前が滅ぼした脆弱なひよっことは格が違う」

 「脆弱だと・・・」

 口元を強張らせながらピエトロが振り向く。
 その言葉に込められた怒りをカオスは軽く受け流した。

 「滅ぼされた後に死体が残るようでは齢百年を超えてはいまい。恐らく、誰かに噛まれた後天的なバンパイアだろう」

 齢百年という言葉にカオスは何の感慨も持ち合わせていなかった。
 彼の言葉の持つ不思議な迫力に気圧されたのか、ピエトロはカオスの言葉に耳を傾ける。

 「だが奴は違う。失われた大陸にルーツを持つと言われる生まれながらの夜の一族・・・私の術を受けながらあれほどの力を発揮するとは」

 カオスは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
 その表面には魔法陣や複雑な術式が隙間無く書き込まれている。
 淡い光を放つ古代文字が、その術が未だに発動中であることを物語っていた。

 「50年前、奴の体内に打ち込んだ銀の機銃弾は未だに排出されてはおらん。理屈では能力の殆どを封じ、出せる力は全盛期の一割にも満たないはず・・・やはりあの時とどめを刺しておくべきだったか」

 カオスは50年前の戦いを思い出す。
 自慢の発明品であるカオスフライヤーの能力を最大限に発揮できる大空での戦い。
 夜の自分がやられるはずはないというブラドーの慢心をついた攻撃は、寸前の所まで彼を追いつめていた。
 だが現在、カオスフライヤーは無く、引き際を悟った所からもブラドーに慢心は見られない。
 それどころか単独行動しかとらなかったブラドーが、不可思議な術をつかう能力者を味方につけたことは脅威と言えた。
 ブラドーに対する策を考えるカオスの思考を乾いた笑い声が遮る。

 「アイツが脆弱・・・そうか、アイツは紛い物だったと言うわけか」

 ピエトロの嘲笑にも似た笑い声が闇夜に響く。
 初めて聞くピエトロの笑い声に、ブラムは驚きの表情を浮かべていた。








 パチパチとはぜる松明の火の粉が、疾走する馬車から後方へ流れていく。
 御者座の近くに掲げられた松明に照らされ、闇夜に浮かび上がる景色をソリスは注意深く観察している。
 先生の住む森への道を見つけることがソリスの役割だった。
 一応手綱を握ってはいるものの、馬車を引く6頭の馬はブラドーの命を忠実に聞き入れマルコの体を揺らさぬよう静かに、かつ速やかに街道を疾走し続けている。
 馬車の周囲を飛び回る数多くの蝙蝠が、闇夜を走る馬の手伝いをしているなどとはソリスには知る由もなかった。

 「もうそろそろなんだけど・・・」

 生い茂る木々に邪魔され月の光は当てにならない。
 それに、修道院から先生の所には幾度も訪れているが、街道から先生の住む森に向かう道は一度しか通ったことが無かった。
 闇夜に浮かび上がるのは単調な木々の姿ばかり。
 ソリスは以前通った時の記憶を懸命に思い出そうとする。
 そんな彼女の目に水面に映った月の光が差し込んだ。

 「あ・・・」

 ソリスは街道を僅かに外れた泉の存在に気付く。
 馬たちの喉を潤す意味もあり、ソリスはそちらへの方向転換を馬たちに命じた。
 昔から水飲み場として使われているらしく、街道から泉には馬車の轍が刻まれていた。
 徐々に露わになる泉周辺の景色に、ソリスの脳裏に過去一度だけこの泉を訪れた時の記憶が浮かび上がる。
 それは故郷を追われ修道院に向かう途中の出来事だった。



 ――― ダメよ! そんなこと考えちゃ!!


 その時かけられた先生の言葉が思い出される。
 所領を簒奪した叔父の策略によって、両親と死別したソリスは情緒不安定な状態にあった。
 優しく包んでくれていた世界が崩壊し、修道院での生活を余儀なくされる自分。そこへ向かう途中に馬の休息のため訪れた泉。
 その泉に引き込まれそうになっていたソリスは、薬草詰みのため偶然泉を訪れていた先生の言葉に救われていた。

 「もう絶対に考えませんよ・・・先生」

 ソリスはその時の出会いを今でも感謝している。
 彼女は馬が水を飲み終わるのを待ってから、その時に通った道へと馬を誘導する。
 不思議なことにあの日、ソリスを移送する叔父の手下は馬車に乗り込んできた先生を止めようともせず、修道院には遠回りとなるはずの森経由の裏道を選択していた。
 かっては絶望に沈み通った道。しかし、その道は今のソリスにとって希望へと続く道となっていた。





 それから暫くしてソリスの駆る馬車は、いつも訪れる先生の家までの小道にさしかかる。
 見慣れた景色の登場に、安堵の表情を浮かべたソリスの耳が微かな呟きを拾った。

 『チッ、結界か・・・それならば』

 不意に背後で聞こえた呟きに慌てて振り返るが、馬車の中にはマルコ以外の人影は無かった。

 「マルコさん! 意識が戻ったのですか!?」

 窓を叩き中のマルコに呼びかけるが返事は無い。
 足下から何かがはい上がってくるような感覚に、ソリスはマルコの急変を想像し大声で何度も呼びかけ続けた。

 「なーに、ソリスちゃん。こんな真夜中に大声を出して」

 日だまりのような声を背に受け、ソリスは顔を輝かせる。
 いつしか馬車は先生の家に辿り着いていた。
 トゥルッリと呼ばれるこの地方でよく見られる建築物。
 とんがり屋根の独特な一軒家の前で、先生はソリスの馬車を出迎えていた。

 「先生、馬車の中に怪我人が! 大切なお友達なんです!!」

 制止した馬車から飛び降りると、ソリスは慌てたように先生の手を引き馬車の車内へと導こうとする。
 そんなソリスの様子に、先生は一瞬だけ怪訝な表情を浮かべた。

 「大切なお友達って、この間のバンパイアちゃん?」

 「違います! ブラドー様のお友達です。マルコさんは私たちを助けるために怪我を・・・」

 先生を伴い車内に入ったソリスは、マルコにかけられた毛布を恐る恐る外す。
 彼の胸が緩やかに上下しているのを見て、ソリスはあまりの安堵にその場にしゃがみ込んでしまった。

 「あら、丈夫な子ねー。これだけ出血して死なないんだから・・・」

 「え、それじゃあ」

 先生の言葉にソリスの顔がみるみる輝く。
 ソリスの先生に対する信頼は信仰にも近いものだった。

 「先ずはこの杭を抜いちゃいましょう。ソリスちゃん、お湯を沸かしてちょうだい」

 しなやかな体躯にどれ程の力が隠されているのか、先生は軽々とマルコを抱きかかえると自分の家へと向かっていく。
 その後を追いかけたソリスは、急いで家のドアを開け先生の通行を助けると、湯を沸かす準備に取りかかった。








 「さて、この服は治療の邪魔ね・・・」

 時折訪れる患者のための寝台にマルコは寝かされていた。
 エスニック調の上着を脱がされた彼の上半身の至るとことに古傷がついている。
 その傷一つ一つが、彼が送ってきた人生が波乱の連続であることを物語っていた。

 「ずいぶん落ち着きがない人生を送ってきた様ね。マルコちゃん・・・」

 先生はその手をマルコの頭部に伸ばしかけるが、彼の腰に付けられたポーチに気付くとその中にしまわれていた本に手を伸ばした。
 その本をパラパラとめくる先生の目に好奇の光が宿りはじめる。
 マルコの見聞録に全て目を通し終わった彼女の口元には、腕白な息子を見守る母親の様な笑顔が浮かんでいた。

 「全く、幾つになっても子供みたいに・・・でも、気に入ったわマルコちゃん」

 先生はソリスが沸かした湯でタオルを湿すと、マルコの傷口周辺を丁寧に拭っていく。
 桶に張った湯がたちまちマルコの血で赤く染まった。
 先生は注意深く幹部に指先を当てるとソリスを見て微笑を浮かべる。

 「杭を抜かなかったのは良い判断ね。中で出来たささくれが、太い血管を引っかけているわ」

 「良かった・・・でも、それではどうやって杭を抜くんです?」

 自分の判断が正しかったと言われソリスの顔が輝く。
 先生に杭が抜けないなどとは欠片も思っていないようだった。

 「んー、ソリスちゃんとブラドーちゃんがやった方法と似たようなものね」

 先生は傷口近くに指先を当てると一気に指先を潜り込ませる。
 彼女の指先は全く抵抗を受けていないように見えた。

 「凄い・・・」

 ソリスは目の前の光景に目を奪われていた。
 内部でどのような動きをしているのか、肩に埋没した指先は杭に生じた小さなささくれを一つ一つ丁寧に取り出している。
 マルコが苦痛の表情を浮かべていないことからも、先生の行っている行為が常人には不可能な技であることは間違い無かった。

 「そろそろいいわね・・・」

 桶に浮かぶ白木の欠片が10に近づこうとしたとき、彼女の右手が一気に白木の杭を引き抜いた。
 再び溢れようとする血液を止めるため、先生はソリスに杭を手渡すと傷口に強く掌を押しつけ霊力を注ぎ込む。
 彼女はヒーリングで肩の傷を塞ぐつもりだった。

 「ソリスちゃん、その杭をかまどで燃やしてきてくれない? 真っ白な灰になるまで念入りに」

 杭を手渡されたソリスは今までマルコが感じていた苦痛を思い、居たたまれない表情を浮かべていた。
 切っ先にぬらつくマルコの血液は、その杭が深々と彼の肩に突き刺さっていたことを容易く想像させている。
 呆然とするソリスに先生はもう一度指示を重ねた。

 「しっかりするのソリスちゃん! その杭を使った子は相当強い恨みを持っているわ。強い恨みでつけられた傷は治りが遅い・・・だからソリスちゃんがその杭を灰にするの。呪いを解くように、マルコちゃんが治るように丁寧に心を込めて」 

 「わかりました。先生!」

 ようやく指示を理解できたソリスは急いで隣の部屋に移動すると、先程湯を沸かした火の中に何本かの薪とともに杭を放り込んだ。
 マルコの血液が染み込んだ杭から異臭が漂うのも一瞬、かまどの中に燃え上がった炎は黒衣の青年の恨みを浄化するかのように杭を燃やし始める。
 それが真っ白い灰になるまでの間、ソリスは必死にマルコの無事を祈り続けた。




 十分を優に越える時間が経過した。
 かまどの中の杭は原型を留めぬほど燃え落ち、ソリスは隣の部屋に戻ろうとかまどの前から立ち去ろうとする。
 ソリスがかまどの前から立ち上がるのと、先生が部屋の中から現れたのはほぼ同時だった。

 「ご苦労様、とりあえずマルコちゃんの傷は塞がったわ」

 「ありがとうございます!」

 急いで部屋に駆け込みマルコの様子を確認するソリスに目を細めながら、彼女はまだ治療が終わっていないことをソリスに伝える。

 「傷痕は残っちゃうけど、マルコちゃん結構そういうの勲章にしちゃいそうなタイプだからいいわよね。でも、まだ傷を塞いだだけ、これから失った生命力を取り戻す薬を調合するわよ・・・先ずは・・・」

 先生はこれから調合する薬草の種類と分量を謳うように口ずさむ。

 「え、本当にそれをマルコさんに?」

 耳にした薬草の名にソリスは戸惑いの表情を浮かべた。
 手短に伝えられた薬草はどれも劇薬扱いのものばかりだった。
 少量の毒物は用法を間違えなければ薬になることは理解していたが、いま聞いた分量はどうかんがえても毒にしかならない。
 ソリスの戸惑いを他所に先生は迷いの無い動作で、かまどに乗せた小鍋に薬草を放り込んでいった。

 「ええ、いま言った材料だけじゃ毒にしかならないけど、ソレに特殊な薬草を加えるとね・・・」

 彼女はそう言うと窓際に置いてある植木鉢に歩み寄る。
 そして何種類かの植物の中から、スズランに似た植物を選び無造作に手を伸ばした。
 ここを訪れるようになってから何度となく注意を受けたソレを引き抜こうとする先生の意図に気付き、ソリスは悲鳴のような声をあげる。

 「先生! ソレの声を聞くと・・・」

 慌てて耳を押さえたソリスの目前で、その植物はなんの抵抗も見せず、するりと鉢から引き抜かれていた。
 目の前に露わになる人間のような形をした根。
 ソリスはそれが無音のまま引き抜かれたことに目を丸くする。

 「マンドラゴラを抜くのにはちょっとしたコツがあるのよ。犬が可哀想だからね・・・ソリスちゃんは真似しちゃだめよ!」

 マンドラゴラ
 強力な魔法植物であるそれは、引き抜かれた際に不気味な悲鳴を上げることで有名だった。
 その声を聞いた者には死が訪れるため、通常は犬にそれを引かせる。
 だが、ソリスが先生と呼ぶウィッチドクターは悲鳴を上げさせずにそれを鉢から抜き取っていた。

 「先生の真似なんか私にできるわけないじゃないですか・・・」

 苦笑まじりのソリスの言葉を聞き流し、彼女は必要な分量だけ根を切り取ると傷口にかまどの灰をなすりつけ再び残りの根を鉢に植え直す。
 どうやらそれが悲鳴を上げさせない何かと関係している様だった。
 かまどの上で煮立った鍋を火から下ろし切り取った根を加えると、異臭とともに液体の色が毒々しく変化していった。

 「本当に飲めるんですか? これ・・・」

 鍋に顔を近づけたソリスが口元を押さえながら質問する。
 口に入れるなど到底不可能と思われる極彩色の色彩が、鍋の中で目まぐるしく変化を続けていた。

 「見た目や臭いなんか、これの味にくらべたら可愛いものらしいわ。気絶するほど不味いらしいからね・・・」

 先生は大振りの器に鍋の中身を濾しとると早く冷めるように攪拌する。
 一層濃度を増した異臭はソリスを涙目にするほどだった。
 調合した薬がある程度冷めたことを確認すると、先生はマルコが眠っている隣の部屋へと移動していった。

 「マルコちゃんはいい子みたいだから。特別にね・・・」

 後をついてきたソリスに小さく笑いかけると、彼女はマルコが横たわる寝台に腰掛ける。
 そして、薬を口に含むとマルコに覆い被さり、彼の口に直接それを流し込んだ。

 「!」

 口に注がれた形容不可能な味の刺激にマルコの意識が一気に覚醒へと向かう。
 舌や喉に感じる味に彼の全身がそれの嚥下を拒んでいた。
 しかし、それと同時に唇に感じる柔らかな感触が彼に現状を受け入れる事を強要する。
 天国と地獄。目まぐるしく切り替わる感覚はいつしか天国の方に軍配があがったようだった。

 「!!!」

 半ば無意識のマルコに抱きしめられ、先生は彼の生命力に驚いたような顔をした。
 彼女の頭と背中を引き寄せ、背中から首筋へと撫で上げる指先には杭によるダメージは見受けられなかった。
 ソリスは目の前で繰り広げられる濃厚なキスシーンに顔を赤らめる。
 それはソリスがブラドーと行ったキスとは明らかに次元が異なっていた。

 「はい、そこまでっ!」

 無理に唇を引きはがし、先生がマルコのおでこをピシャリと叩くと彼の腕から力が抜ける。
 マルコは幸せそうな顔で、すやすやと寝息を立て始めていた。

 「全く、いい子だと思って油断したら・・・こっちの方はとんでもなく大人じゃない」


 プッ!


 顔を赤らめた先生をみてソリスは思わず吹き出してしまっていた。
 思えば、いつも超然としている先生が取り乱したのは初めてのことだった。

 「なーに、ヒトが驚いたの見て笑ったりして」

 「ごめんなさい。でも、先生が慌てたなんて初めて見たものだから・・・」

 どうやらツボに入ってしまったらしく、ソリスはややふくれっ面となった先生の前で笑い続けた。
 その姿にやれやれとばかりに息を吐くと、先生は沸かしたお湯の残りでハーブティーを入れ始める。
 先程作った薬の臭いを押し出すように、ハーブの香りが部屋の中を満たしていった。

 「でも、ソリスちゃん本当に良い笑顔を浮かべるようになったわ」

 「・・・先生の御陰です」

 差し出されたハーブティーにソリスはようやく笑いを治めると、目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。

 「先生があの時、声をかけてくれなかったら・・・いや、それからも色々なことを教えてくれなかったら。私、本当にお世話になりっぱなしで」

 「気にすることはないわよ。ソリスちゃんが来てくれて私も楽しかったから・・・でも、さっき私の真似なんかできるわけないって言ったでしょう? アレは間違い」

 「でも私、先生と比べたら・・・」

 「私と比べたり、真似なんかする必要は全くないの! ソリスちゃんはソリスちゃんにしか出来ないことが沢山あるんだから・・・」

 ここで先生は一旦言葉を切る。
 そして、ソリスの目を見つめ先程感じた疑問を切り出した。

 「間違っていたらごめんなさい・・・ソリスちゃん、あなた妊娠してるんじゃない?」

 その言葉に、ソリスは顔を強張らせた。


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