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太陽を盗んだ男

第五話


投稿者名:UG
投稿日時:06/10/17

 「マルコさん!!」

 彼の右肩に深々と突き刺さった白木の杭に、ソリスは悲鳴のような声をあげた。
 御者の負傷に失速し停車する馬車。そこへピエトロの騎馬が駆け込んでくる。

 「危ない! ブラドー様ッ!!」

 襲い来る攻撃を予測し、ソリスは棺に覆い被さると固くその目を閉じた。

 「!?・・・・・・」

 しかし、ピエトロはまるで馬車が見えていないかのようにその隣をすり抜け、アッピア街道へと駆け抜けていく。
 一向に来ない攻撃に恐る恐る顔を上げたソリスは、遠ざかるピエトロの姿を信じられないような表情で見送った。
 彼女はその不可思議な現象がマルコの技によるものと気づいていない。

 「一体何が!?・・・アッ、抜いてはダメです!!」

 ソリスは肩に刺さった杭を引き抜こうとしたマルコを慌てて止めると、急いで馬車を降り御者座に駆け上った。
 杭を抜くと出血が止まらなくなるとソリスは判断していた。
 マルコのシャツを破き傷口を確認すると、近くの草むらからヨモギを何本か摘み取り葉を良く揉んでから傷口に当てる。
 気休め程度の止血作用だが無いよりはましだった。

 「チクショウ・・・ミスりました」

 手当を受けながらマルコが悔しそうに呟く。
 その顔は苦痛に歪んでいた。

 「ターラントまでの近道にヤツを誘導しちまいました。俺たちは遠回りのアッピア・トライアーナを行くしかない・・・」

 ターラント。イタリア半島の土踏まず部分にある港町の名をマルコは口にした。
 そこに至るにはプーリア州を通るアッピア・トライアーナではなく、本来のアッピア街道の方が近道である。
 マルコが分岐を誤ったのは、馬車の幻を発現させる直前、右肩に突き刺さった白木の杭が原因だった。
 突き刺さる杭の衝撃に、マルコは幻影を放つ方向を狂わされていた。

 「!?」

 不意に人の気配を感じマルコは背後を振り返る。
 馬車の近くに人影は見えず、町の中心部から先程の爆発を聞きつけた人々が集まってくるのが見えた。
 逃走経路を目撃されたことに軽く舌打ちすると、彼は自由になる左手で手綱を操りピエトロとは違う道へ馬車を発進させた。

 「そんなに動きながらでは止血は無理です! それに、早く治療できる場所に行き処置をしなくては!!」

 マルコの動きと馬車の振動に手元を揺らされ、止血を行っているソリスが慌てたように叫ぶ。
 ソリスによって巻かれた包帯代わりのシーツが見る間にマルコの血で染まっていった。

 「無理ッス! 分岐を誤った以上、速度を落とす訳にはいきません。それに敵がこの武器を使うのなら尚更です」

 マルコは忌々しげに右肩の杭を一瞥すると、手綱を操り馬たちに更に速度を上げるよう命令した。
 路面から伝わる振動が、肩に激痛をもたらしたが彼はそれに耐え続ける。
 マルコは背後から得体の知れないプレッシャーを感じていた。

 「白木の杭はバンパイアを滅ぼす手段の一つです。それを使う妖魔狩り・・・ヤツはブラドー様の弱点を熟知している可能性が高い」

 「ブラドー様の弱点を・・・」

 聞き慣れない思い人の弱点にソリスは顔を青ざめさせる。
 陽光や、敬虔な信者が持つ十字架などはソリスも伝聞で聞いていたが、白木の杭というのは初耳だった。
 不死の肉体を持ち、強力無比な戦闘力を誇るバンパイアの弱点。
 それは、人類の長い歴史において多くの犠牲の上に知り得た経験則であり、この時代にはまだまだ一般に流布していない情報の方が多かった。
 マルコは訪れた国々の伝承から、それらの弱点を幾つか耳にしている。
 だからこそ彼は単身ブラドーの居城に忍び込むという暴挙を平然と行っていたのだった。
 あの晩、彼の携えていたバッグにもニンニクと白木の杭が用意されていた。

 「あ、でもそんな心配することないッスよ!」

 不安そうなソリスを勇気づけようと、マルコは苦痛に歪む表情を無理に笑顔の形にし、努めて楽観的に振る舞った。

 「不意をつかれなきゃブラドー様ならあんなヤツ楽勝ですから。だから、夜までなんとしてでも逃げ切ります」

 肩の傷は疼きを増していたが、ソリスによる止血が功を奏したか徐々に出血は収まりつつある。
 日没まであと2時間。マルコはそれまで何とか逃げ切るつもりだった。








 アッピア・トライアーナ
 本来のアッピア街道より分岐しアドリア海沿いに半島の踵部分に伸びるこの街道は、沿岸部にたどり着くまでに半島中央部にある山岳地帯を横断する。
 樫などの高木が生い茂る森林を切り開いて作られた街道は、街道を維持するローマ帝国が滅んだことにより荒廃の一途を辿っていた。

 ガタッ!

 疾走していた馬車が、街道脇の木の根によって生じたギャップを拾った。
 棺の中で眠りについていたブラドーは、その衝撃に意識を微かに覚醒させる。


 ――― ひどい振動だ・・・何があった? マルコ・・・


 覚束ない意識の中、ブラドーは馬車を襲う振動にいつもと異なる何かを感じていた。
 意識を外部に向け周囲の状況を探ろうとしたが、感覚と思考にモヤがかかっているようで何一つ探ることは出来ない。


 ―――チッ、忌々しい錬金術師め・・・


 ブラドーは心の中で悪態をつく。
 以前の彼は昼の眠りの最中でも、眷属を操り周囲の状況を察知することくらいは出来ていた。
 それが出来なくなったのはドクターカオスの呪いを体に受けてからである。
 銀の銃弾を受けてからの彼は、日中、仮初めの死とも言える深い眠りを余儀なくされていた。
 陽光の影響が最低となる黄昏の瞬間さえ、彼の感覚は霧の中にいるように不確かであった。


 ―――しかし、この感覚。日没まであと僅かなはず


 徐々に意識が覚醒に向かっていることから、完全な日没まであと僅かであることはわかる。
 逆に言えばそれ以外の状況は完全に五里霧中な状態だった。
 このような状況下で、居城以外で昼間を迎えるのは自殺行為に等しい。
 だが、ブラドーは現在馬車を走らせている男を信頼し、自分の命を預けていた。

 『あとは頼みましたよ。ブラドー様・・・』

 その男―――マルコの声が聞こえたような気がした。
 何か予兆めいたものを感じたブラドーは、再び外の様子を探るべく意識を集中する。
 彼の耳は必死にマルコに呼びかけるソリスの声を捉えていた。

 「マルコさん! マルコさん、しっかりして!!」

 ブラドーがその声を耳にしたのと、日が完全に沈むのはほぼ同時だった。
 陽光の影響下を抜け出した彼の五感が一気に覚醒する。
 棺から抜け出したブラドーは、濃密な血の臭いを感じ取っていた。






 「ブラドー様! マルコさんが・・・」

 停止していた馬車から降りると、ブラドーはソリスに抱きかかえられているマルコを目撃する。
 気を失う最後の瞬間まで馬車を走らせていたのだろう。マルコは手綱を握ったままぐったりと意識を失っていた。
 ブラドーは彼の肩に突き刺さった白木の杭に気づき、自分が寝ている間に追っ手との戦闘が行われたことを理解する。

 「昼の間に何があったのだ?」

 ソリスに視線を移し彼女が無事なことを確認すると、ブラドーはマルコの手から手綱を外しながらソリスの説明に耳を傾ける。
 マルコの覚悟を表すように固く握られた手にブラドーは沈痛な表情を浮かべた。

 「そうか、そんなことが・・・」

 目的地までの最短ルートに進めなかったことを気にしたマルコは、自身の怪我を顧みず全速力で馬車を走らせ続けたのだった。
 彼は傷の痛みと出血による悪寒に耐え続け、日没を確認するとブラドーに後を託すように意識を失っていた。
 ブラドーは手綱を外し終わったマルコの手を握りしめ無念そうに目を閉じる。
 自分とソリスの身を最後まで案じた男の命はこのままでは危険な状態にあった。
 握った手から感じるマルコの生命力は、大量の出血により今にも消え入りそうなほど衰弱している。
 一刻も早いヒーリングが彼には必要だった。

 「クッ・・・このままでは」

 ブラドーの顔が苦悩に歪んだ。
 バンパイアであるブラドーにヒーリング能力はない。しかし、彼にはマルコの命を救う手だてが一つだけあった。
 吸血によるバンパイア化。不死者の一員となればこのくらいの傷で死ぬことは無い。
 だが、彼はその方法をとることを躊躇していた。

 「マルコさんはこの道に進んだことをずっと気にして・・・」

 「・・・いや、それはかえって幸運だったのかも知れん」

 マルコを止められなかったことを悔やむソリスの言葉に、ブラドーは一筋の光明を見たような気がした。
 意識を失ったままのマルコを抱き上げると、彼はソリスの目を真っ直ぐ見つめる。

 「ソリス。これからマルコをお前の先生の所まで連れて行くのだ・・・出来るな?」

 このまま街道を進めば夜半にはソリスのいた修道院の近くに辿り着く。
 その近くの森に居を構えるソリスの先生。
 自分にかけられた呪いに気付く程のウィッチドクターなら、マルコの命を救えるとブラドーは考えていた。
 力強く肯いたソリスを満足そうに見つめると、ブラドーはマルコを馬車の中に運び入れその体を長椅子に横たえた。

 「先生ならば大丈夫です・・・すぐに先生に診せれば」

 自分に言い聞かすように呟きながら、ソリスは仮眠用に持ち込まれていた毛布をマルコにかける。
 体温の低下がそれほど酷くなっていないのが救いだった。
 このまま誰にも邪魔されず先生の所までたどり着ければ何とかなる。
 ソリスの先生への信頼は崇拝とも言える程だった。

 「馬には静かに、且つ速やかに走るよう命じておく。お前は馬に道を指し示すだけでよい」

 「え、それではブラドー様は・・・」

 ブラドーの言葉に別行動の意志を感じ取ったソリスが不安げな顔をする。
 その不安を打ち消すように、ブラドーは毛布の上に置かれていたソリスの左手に自分の左手を重ねる。
 二人の薬指には紙で作られた指輪がつけられていた。

 「余の我が儘を許してくれ。余はどうしてもこの男をしもべにしたくないのだ」

 その真剣な表情を見て、ソリスはブラドーの言いたいことを理解する。
 先生の治療が妨害される場合、マルコを助ける為には吸血するしかない。
 ブラドーは追跡者を先生の所に導かないよう、この場に残り対峙するつもりだった。

 「・・・今度は私たちの番ですね」

 彼女は逃避行を開始した昨晩のことを思い出していた。




 フォンディの教会でソリスを奪還してから、一行はブラドーの居城をめざし南下をはじめていた。
 ソリスに追い着くために疲弊させた馬は、教会襲撃のどさくさで程度の良い馬と交換している。
 その作業を終えたマルコは昼間の疲れか気を利かしたのか不明だが、ブラドーとソリスに御者座を明け渡すと明け方近くまで馬車の中に引きこもり続けた。
 夜はブラドーが、昼はマルコが御者を担当するというローテーションが二人の間には確立している。

 コホン!

 十分睡眠をとったのか、わざとらしい咳払いを一つすると、マルコは馬車の窓から顔を覗かせ御者座に座る二人の様子を窺う。
 安心し連行中の疲れが一気に出たのか、ソリスはブラドーに寄り添いながら静かな寝息を立てていた。

 「そろそろ交代の時間っスけど」
 
 「そうか・・・」

 ブラドーは名残惜しそうに自分の肩に寄りかかるソリスの頭部を優しく撫でる。
 長い睫毛を微かに震わせ、ソリスは意識を覚醒へと向かわせていった。

 「あっ! すみません、私いつの間にか・・・」

 「気にするな。御陰で良いものが見れた」

 いつの間にか眠りに落ちていた自分を恥じるようなソリスの姿に、ブラドーは笑顔を向ける。
 飽きることなく彼女の寝顔を見ていたのは本当のことだった。
 ブラドーは馬車を止めソリスの手を取ると、マルコに明け渡すべく御者座を後にする。
 しかし、二人はなかなか馬車の中には入ろうとせず、もどかしげな様子で御者座に登ろうとするマルコに口を開いた。

 「マルコ、あれから二人で話し合ってな・・・目的地を変更する。港町ターラントへ向かってくれ」

 その地名を聞き、マルコの顔に笑顔が浮かんだ。
 イオニア海に面した港町から連想する行き先はただ一つ。
 現在は無人島となっているもう一つの居城がある島。ブラドー島だった。
 以前に報酬の本のありかを聞いた際、マルコはその場所のことをブラドーから聞かされている。

 「そうっスか! そうと決まれば善は急げっスね」

 御者座で一晩中愛を語り合った二人は、そこで新たな生活をはじめることを誓い合ったのだろう。
 マルコは二人の決意を応援しようと、腰のポーチから本を取り出し最後に書き込んだページを一枚破る。

 「この本は俺の見聞録でして・・・ジパングって国で作られた紙で出来てるんスよ」

 「ジパング?」

 聞き慣れない国名とマルコが行っている行為にソリスが不思議そうな顔をする。

 「ええ、行ったことはありませんが、カーン様の大軍を撃退した東の果ての島国です。なんでも国の殆どが黄金で出来てるとか・・・」

 マルコは切り取った紙を更に二つに切り分けると、細く折りたたんでから器用に丸め二個のリングを作りはじめる。
 丁寧に結ばれた結び目が、独特の意匠を施された工芸品のように不思議な魅力を醸し出していた。

 「さてと、出来た! この紙は霊力との相性が抜群なんです。まあ、お守り代わりにつけといて下さい」

 「ありがたく貰っておこう・・・」

 その指輪の価値を正しく理解しているブラドーは、マルコの手の平に乗せられた自分用らしい大きい方の指輪に手を伸ばす。
 しかし、マルコはブラドーの指が届く寸前、手の平を遠ざけブラドーの指を空振りさせた。

 「自分でつけてどうするんスか! こういうときは指輪を交換するのがお約束でしょう!!」

 「そうなのか?」

 ブラドーは何のことかわからないとでも言う風にソリスの顔を窺う。
 その顔が赤くなっているのに気付き、ブラドーはようやくマルコが何をさせたいのか理解した。

 「それならそうと早く申せ」

 やや照れくさそうに小ぶりの指輪を手に取ると、ブラドーはソリスの薬指にそれをはめる。
 ソリスもそれに習い、更に顔を赤らめながらブラドーの薬指に指輪をはめた。
 二人の作業を見届けたマルコは咳払いを一つすると、真面目な表情で二人に語りかける。

 「誓いのキスは見ているコッチが恥ずかしくなるんで割愛しますが、これだけは覚えといてください。これから先、お二人の仲を邪魔しようとする奴がどれだけ現れたとしても、俺は・・・ベェネツィアのマルコはお二人の仲を祝福します。だから、俺に誓ってください・・・絶対に幸せになると」

 今回の逃避行は二人が幸せになるためのものだとマルコは言っていた。
 決して不幸へと追い立てられたものではないと。
 世界にたった一人かも知れない理解者。しかし、その存在は二人にとって何よりも心強く感じられた。
 彼の気持ちを理解したブラドーとソリスは、共に手を取るとマルコに誓いを立てる。
 必ず幸せになると。
 マルコはそんな二人を最高の笑顔で祝福した。




 「今度は私たちが出来る限りのことをしなくては・・・」

 その時の笑顔を思い出し、ソリスは自分の手に重ねられたブラドーの手を握りしめる。

 「だけど約束して下さい。必ず無事に帰って来ると・・・マルコさんが言うには追っ手はブラドー様の弱点をよく知る者だそうです」

 「安心するが良い。今は夜。如何に余の弱点を・・・」

 ソリスが次にとった行動にブラドーの言葉は止められていた。
 彼女はブラドーの手を自分の胸に抱くように強く握っている。
 胸のふくよかな感触と、自分を見据える真っ直ぐな視線にブラドーは身動きが出来なくなっていた。

 「敵わんな。ソリスには・・・」

 ソリスが欲しいのは言葉などでは無かった。
 ブラドーは静かに、しかし力強くソリスを抱き寄せるとその唇に無事の約束をした。







 6頭立ての馬車がアッピア街道を疾走する。
 観察力が鋭い者ならば、凄まじい速度で走るその馬車に何処か違和感を感じることだろう。
 全力で走る以上の速度を出している6頭の馬は、一欠片の息切れもせずに一糸乱れぬ足運びを見せている。
 それを指示しているはずの御者は、経験したことの無い速度に顔を青ざめさせながら馬車から振り落とされないよう必死で御者座にしがみついていた。
                                                                                                                                                                         
 「そうですか・・・マリア様は三ヶ月前に」

 御者を務めるブラムの苦労とは無縁な車内で、マリア姫の死を聞かされたドゥランテは沈痛な表情を浮かべた。
 放浪中の自分を手厚く向かい入れてくれた彼女の姿が思い出される。
 身を引き裂かれるような悲劇を経験し、各地を放浪していた彼にとってマリア姫との出会いは運命的なものと言えた。
 ドゥランテはその出会いにより人生の目標を見いだせたといっても過言では無かった。

 「とても残念です。マリア様には私の魂を救っていただいた恩を返せないまま・・・」

 「そうか、お前は私の知らない姫に出会っているのだったな」

 「するとドクター、あなたはマリア様の最後の場には?」

 ドゥランテの問いかけにカオスは力なく首を振る。

 「私は20年以上姫の姿を見せて貰っていない。その亡骸すらな・・・」

 カオスの浮かべた堪らなく寂しげな表情に、ドゥランテはカオスの旁らに腰掛けるテレサに視線を向ける。
 テレサの肯きに、彼は存命中に聞かされたマリア姫の意志が死後も忠実に守られていることを理解した。
 カオスの追憶に存在するマリア姫の姿は、彼女がかってみたマリアの姿でなくてはならない。
 今後も生き続けるカオスの心に老いた自分を残さぬよう、晩年のマリア姫はカオスとの面会を一切拒否し手紙のやりとりのみを行っていた。

 「マリア様はずっとあなたの知っている方だったと思いますよ。尤も、私はドクターの知っているマリア様を存じ上げませんが」

 ドゥランテはマリア姫の希望通りに、彼女の姿がカオスの心に残っていることに安堵に似た気持ちとなる。
 しかし、それだけにテレサの存在が理解できなかった。
 マリア姫の死後、カオスの隣りに立ち続けるのは永遠の存在として生まれたマリアのはずだった。

 「して、ドクターは何故この様な放浪を?」
                                                           
 ドゥランテはすぐには核心に踏み出さず、慎重にマリアが姿を見せていない理由を探ろうとしていた。
 マリア姫の死後、カオスは研究施設を引き払い馬車で放浪の旅を始めたらしい。

 「あの地に残る理由はもう無いのでな、尤も何処かに行かなくてはならない理由もないが・・・・・・」

 「何を言っているんです! カオス様はナポリに向かうと言ってくれたじゃないですか!!」

 それまで黙って二人の会話を聞いていたテレサが、カオスを元気づけるように会話に割り込んでくる。

 「それはお前が半ば強引に決めた目的地だろう」

 カオスの話では放浪の旅に出ようとしたカオスに、テレサは姫の遺言を理由に半ば無理矢理同行しているらしかった。
 ドゥランテはこの機を逃さずテレサの存在をカオスに訪ねる。
 顔には出していないが、マリア姫の遺言を口にする娘にドゥランテは疑惑の目を向けていた。

 「それにテレサさんのような若い娘さんとの道行きは、あらぬ誤解を受けそうですが・・・」

 「まッ、イヤらしい! 私はマリア様の遺言通り、カオス様の身の回りの世話をさせていただいているだけです!!」

 「しかし、私が聞いた話では・・・」

 テレサについての核心に触れようとしたドゥランテの言葉は、御者座のブラムの声に遮られた。



 「カオス殿・・・出来れば私も中に・・・」

 馬が蹴り上げる砂塵に涙を浮かべながらブラムが情けない声を出した。
 カオスの馬車で追跡を開始してから、彼はずっと御者を勤めている。

 「ダメだ! 車内は外部からの物理的な攻撃と精神攻撃、双方に対しての防御が機能している。お前の能力が遠話か遠視か知らんが、ブラドーの居場所を見失いたくなければそこで我慢しろ」

 窓から顔を覗かせたカオスは無慈悲にそう言い渡しブラムの申し出を却下した。
 霊力による交信を遮断する外装を持つ車内では、ブラムの情報収集が出来なくなるとカオスは言っているのだった。
 車内で始まりそうになったテレサとドゥランテの言い争いの場にも戻る気のないカオスは、そのままステップに踏み出し御者座に移動する。
 カオスの言葉に、ブラムは渋々ではあったが御者座に残ることを覚悟したようだった。

 「そろそろベネベントだが、独断先行したピエトロという男はどうした?」

 「困った男です・・・敵にうまく誤魔化されアッピア街道に進んでいってしまいました。しかし、従者を負傷させたことと、道を誤らせたことはお手柄と言えますな・・・ブラドーたちはアッピア・トライアーナを南下しターラントを目指すようです」

 その口ぶりから、カオスはブラムが何らかの方法でブラドーの馬車を捕捉していることを理解する。

 「ふむ、そろそろ日没も近い。その者と合流後、再びブラドーを追跡するというわけだな」

 「果たしてそう旨くいきますか・・・」

 カオスの言葉にブラムはやれやれと言った具合に首を振った。

 「ピエトロのバンパイアに対する憎悪は並大抵のものではありませんからな・・・我らとの合流前に、もう一戦くらい交えようとするかも知れません」

 「・・・正気とは思えんな。夜のブラドーに真っ向から対峙するとは・・・その者の能力はなんだ?」

 過去の自分の行動を棚に上げたカオスの発言であったが、あの時のように重装備を使わぬ限り夜間のバンパイア退治は不可能に思える。
 カオスはピエトロという男の能力に興味が湧いていた。

 「さて・・・・・・あ、いや、本当にわからんのです」

 歯切れの悪い自身の答えを、とぼけたと勘違いされたくないブラムは慌てたように声のトーンをあげた。

 「自分の能力を隠すのは我らの中ではそう珍しいことではないのです。ピエトロに関して言えることは、どんな危険な任務についても必ず生きて帰ってくると言うことぐらいでして・・・奴の初仕事。教皇庁の転覆を企む魔導師を斃したときなどは、召還された100体を越える妖魔の中に単身取り残されながら魔導師の首を持ち帰りました。ピエトロという名も、我らを組織したカエターニ枢機卿がその時の褒美に与えたものでして」

 「ローマの守護聖人の名とは大仰な・・・」

 「我らの仲間になってからも、奴は自分のことを名前すら語ろうとはしませんでしたからな・・・」

 扱いづらいが腕の立つ若者に、ブラムは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
 直接戦闘の力ではなく、情報収集に特化した能力を持つブラムには絶えずついて回る苦悩と言えた。

 「しかし、妖魔100体と夜のバンパイアを同等に考えるとは妖魔狩りも底が知れる」

 「いや、我らと出会った時、奴は夜のバンパイアを滅ぼしていたのですよ・・・それも単身、相手の居城に乗り込んで」

 カオスが口にした皮肉混じりの言葉に触発され、ブラムはピエトロとの出会いを思い出す。
 鮮明によみがえったその時の光景に彼の顔が嫌悪に歪んだ。


 2年前、教皇領内の地方領主の居城。
 バンパイア退治を命じられたブラムたち妖魔狩りは、ある貴族の存在に辿り着いていた。
 自身の能力を駆使し、城の内部構造や昼間の防衛機構を調べ尽くしたブラムは、明け方、妖魔狩りの精鋭とともに襲撃を試みる。
 そこでブラムは身の毛もよだつ光景を目撃することとなる。
 門扉に張り付いた原型を留めていない人狼の死体。
 近隣の村から掠われてきたと覚しき若い娘たちは、ほぼ例外なく一突きで心臓を貫かれ折り重なるように息絶えていた。
 その死体の全てが腹を割かれていることに気付き、ブラムは惨劇を巻き起こした人物の内包する闇に恐怖する。

 「あの時の奴の顔は今でも時折夢に出ます・・・」

 生々しい破壊の爪痕を残す室内。
 陽光の差し込まぬ主の間に松明片手に侵入したブラムは、闇に浮かび上がる満身創痍のピエトロを目撃する。
 その足下には白木の杭に胸を貫かれ、首を切り落とされた領主の死体があった。
 室内の状況から、ブラムは目の前のピエトロが日の出前にバンパイアである領主を滅ぼしたことを理解する。

 「領主の首を目の前に掲げ、奴は笑顔を浮かべていました・・・どのような人生を送ればあのような顔を」

 「その話が本当だとすると急いだほうがいいな・・・」

 続いて語られたカオスの言葉に、ブラムは恐怖の相を浮かべた。











 山岳地帯
 森を貫く街道を疾走する一騎の騎馬。
 街道を照らす月が時折雲に隠れるが、馬を操る黒衣の若者はさして困難を感じている様子もなく道の先にいるであろう馬車を追い続けている。
 ブラドーたちを追跡する妖魔狩りの一員。ピエトロであった。

 「止まれ・・・」

 何かに気付いた彼は突如馬に停止を命じる。道の先には月の明かりに照らされ漆黒のマントを羽織った人影が浮かび上がっていた。
 普段滅多に感情が浮かぶことのないピエトロの目に、焼け付くような憎悪の炎が灯る。
 彼は一目で人影の正体に気付いていた。
 最も古く、最も強力な夜の一族。
 妖魔狩りの追跡を断ち切るべく攻めへと転じたブラドーの姿に、ピエトロは残忍な笑みを浮かべた。

 「主が直々に来たところを見るとしもべの男は死んだようだな」

 隙を見せないよう馬から降りると、ピエトロは間合いを計るようにブラドーへと近づく。
 馬から離れたのはバンパイアの動物を使役する能力を警戒してのことだった。

 「マルコを傷つけたのはお前か? ならば報いを受けて貰おう・・・」

 再び月が雲に隠されブラドーの姿が闇へと沈んでゆく。
 彼の目が闇の中で赤く輝きを増した。

 「それと、あの男はしもべなどではない・・・」

 「それならば何だというのだ」

 わざと大きなモーションで、ピエトロは背負った長剣の柄に右手を添える。
 それに隠れるように、左手は腰のベルトに差している白木の杭に伸びていた。
 ピエトロの目は闇の中に溶け込むブラドーの姿を捉えている。
 ブラドーは不敵な笑みを浮かべると、力強くこう宣言した。

 「友だ・・・」

 「ふざけるな! 化け物がっ!!」

 ブラドーの言葉に激昂したピエトロの左手が霞む。
 不意をついて投じられた白木の杭は、真っ直ぐブラドーの心臓に向かっていった。


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