椎名作品二次創作小説投稿広場


太陽を盗んだ男

第四話


投稿者名:UG
投稿日時:06/10/ 7

 イタリア半島南部にある風光明媚な大都市ナポリ。
 美しい自然、温暖な気候、実り豊かな平野、枯れることのない川や湖、それに加え海岸線に連なる良港での交易。
 「ナポリを見て死ね!」とまで賛美されるこの大都市は、その豊かさ故、諸外国から次々とやってくる支配者に翻弄される苦悩の歴史を歩んでいた。
 その支配者うちの一人、神聖ローマ皇帝フェデリーコ2世によって治世が行われていた13世紀前半には、ゲルフ(教皇派)である「ボローニャ大学」に対抗する、皇帝直轄の国立総合研究所「ナポリ大学」がこの地に創立されている。13世紀初頭のナポリはギベリン(皇帝派)にとって重要な位置を占める都市であった。
 しかし、卓越した政治手腕から世界の驚異と謳われたフェデリーコ2世の死後、南イタリアは大混乱に陥る。
 ナポリも例外ではなく、幾度かの戦乱を経て13世紀半ばからはゲルフ(教皇派)であるフランス・アンジュー家の支配下となり、ナポリは南イタリアに於けるゲルフ(教皇派)の拠点とも言うべき役割を果たすようになっていた。
 この様に外部からの侵攻・侵略に晒され独自の発達を遂げてきた大都市ナポリ。
 そんなナポリとアッピア街道を結ぶ道を二頭の馬が疾走していた。




 ナポリへ向かい疾走する二頭の馬。
 その馬の背には初老の男と二十代後半の青年の姿があった。

 「こちらの道の方が正解だったようだな」

 前方に目当てのものを見つけ初老の男が笑みを浮かべる。
 油断無く光る目が、どこか偏執的な印象を与える男だった。
 それに対するように、痩せ気味の青年が如何にもやる気が無いと言った具合に顔を歪める。

 「で、どうするんですか? 生粋の荒事担当は向こうの方に行っちゃってますが・・・」

 「無論、お前が止めるんだよ。陽光の下ならば我らに利がある・・・それに、この道ならば材料には事欠かないだろう?」

 「気に入りませんね。そういう言い方・・・」

 青年は初老の男を冷たい視線で睨む。
 そうやらこの二人の間には主従の関係はないらしい。

 「いいのか? お前が異端とならずにその力を使えるのは、我らと共にあるからなのだぞ」

 初老の男の物言いに、青年の口元が屈辱に歪んだ。
 青年は気持ちを切り替えるように大きく息を吐いてから、前方に向かい詩を呟き始める。


 ―――われ正路を失い・・・


 道の先では黒塗りの馬車がナポリを目指し疾走していた。





 降り注ぐ太陽を浴び、6頭立ての馬車がナポリへ向かって疾走している。
 その車体を現代の人間が見れば霊柩車をイメージするかも知れない。通常の馬車よりも大きめな黒塗りの車体は、棺を運べるよう座席を最小限に留めた設計となっていた。
 御者座に座り馬車を駆る二十代後半の男は、先程から物思いに耽るようにぼんやりと周囲の景観を眺めている。
 男から見て左側には、ポンペイを一夜にして滅亡させた火の山ヴェズーヴィオが威厳を持ってそびえ立ち、前方に広がる紺碧の海にはカプリやイスキアの島々が浮かんでいる。
 そのようなナポリを取り巻く雄大な風景を目の当たりにしても、彼の心は何も感じていないようだった。
 しかし、追跡する二人組が彼の駆る馬車に追い着いたとき、覇気を失った彼の目にほんの一瞬だけ輝きが戻る。

 「・・・亡霊?」

 彼の目は進行方向の街道に生じた怪異を捉えていた。
 街道の両端からローマ時代の剣闘士が現れ馬車の進路を塞いでいる。
 次々に現れた亡霊たちは、停車した馬車を何重にも包囲していた。

 「スパルタクスの亡霊たちか・・・」

 男はさして慌てもせず、過去ローマに対して反乱を起こした剣闘士の名を口にする。
 スパルタクスの反乱―――別名、剣闘士(グラディエーター)戦争と呼ばれる程の大規模な反乱は、紀元前73年、スパルタクスという名の剣闘士奴隷が数十名の仲間と共に訓練所を脱走した事に端を発している。ナポリに近いヴェズーヴィオ火山に逃げ込んだ彼らはその後差し向けられた鎮圧部隊に圧勝し、その知らせを聞いた各地の奴隷たちが彼の元に集まったことにより反乱軍は瞬く間に7万を超える規模となった。
 スパルタクスの卓越した戦闘指揮や人望は寄せ集めにすぎない反乱軍をよくまとめ、その後2年に渡り強力なローマ軍に反乱軍は連戦連勝を続ける。
 しかし、反乱軍の行動にも幾つかの綻びが生じ始め、紀元前71年、ローマの威信をかけた総力戦とも言える戦いの中彼は戦死する。
 その後反乱軍は鎮圧され、捕虜になった6000名の奴隷たちはアッピア街道沿いに生きながら十字架に磔にされた。
 十字架の列はポンペイにまで達し、その後、この道を通る者は片付けることを禁じられた遺骸を何年にも渡り見続けることとなる。
 御者座の男は、目の前に現れた剣闘士たちをその時の亡霊だと見抜いている様だった。

 「私に何か用か?」

 男は周囲を取り囲む亡霊を全くと言っていいほど恐れず、停車した馬車から降りると包囲の外側にいた馬上の二人を見上げる。
 初老の男はそれを主人の威を借りた虚勢と受け取り、見下したような視線を男に向けた。

 「中の棺と娘を引き渡して貰おう」

 その言葉に男の表情が険しくなる。

 「ほう、馬車の中身を知っているのか・・・で、私からソレを奪えると本気で思っているのか?」

 「ただの人間にしては胆が座っているな・・・楽には死ねんぞ」

 初老の男の言葉には恫喝の響きが込められていた。
 二人のやりとりを聞いていた青年は、男の変化に不気味なものを感じる。
 亡霊に囲まれてもなお無気力さを漂わせていた男は、苦笑に似た形に唇を歪めると静かに・・・しかし怒りに満ちた声でこう言ったのだった。

 「人間? この私をただの人間だと? 面白い、この私をどうやって殺すと言うのだ」

 男の右手の中で何かがカチリと音を立てる。
 その音と同時に馬車の屋根から細長い筒の様なものがせり出し、轟音と共に周囲を取り囲んだ亡霊を粉砕していった。
 亡霊を粉砕し消滅させたものが、筒の先端から高速で発射された銀の銃弾であることに二人は気付いてない。
 銃という兵器が歴史に登場するのは、この時代より100年以上先の1473年まで待たなくてはならなかった。
 二人は呆然と目の前の光景を見つめる。
 容赦なく降り注ぐ対妖魔加工された銀の銃弾によって、1300年以上この地に括られていた哀れな剣闘士の亡霊たちはようやく消滅することを許されていた。

 「動くな、動けば今の亡霊と同じ運命を辿る・・・お前たちは何者だ?」

 概念にない兵器を突きつけられ二人は困惑の表情を浮かべていた。
 自分たちに向けられた銃口の意味を二人は理解していない。
 懐に手を伸ばしかけた青年に向けて、一度だけ発射音が響いた。

 「うわっ!」

 威嚇の銃弾を受け、青年の乗っていた馬が跡形もなく消滅する。
 それは先程の亡霊の時と全く同じ反応だった。

 「動くなと言ったはずだ。ネクロマンサー」

 男に自分の能力を口にされ、その場に尻餅をついた青年が驚きの表情を更に深める。
 青年が乗っていた馬が死霊であることを男は一目で見抜いていた。
 銃口の意味にようやく気付いた二人は、自分たちの命が男に握られていることを理解する。
 青年は視線で、自分の懐から落ちた本を指し示す。
 その本に刻印された教皇庁の印を見て男の表情が微かに強張った。

 「教皇庁直属の妖魔狩り・・・教皇庁が密かに組織した教義から外れた異能者による退魔集団。それが何故マリアを狙う」

 聞き慣れぬ名前を聞き、二人の頭に違和感がよぎった。
 目の前の男は自分たちが追跡するブラドーの従者では無いらしい。
 それではこの男は何者なのか? 

 「カオス様! 一体今の音は!?」

 その疑問は、先程の機銃の音に驚き馬車から顔を覗かせた女によって明らかとなる。
 女の発した名前に、二人はようやく自分たちが途轍もない勘違いをしていたことに気付いたのだった。





 「ドクター・カオス・・・不死の法を体現した不世出の天才錬金術師」

 カオスの正体に気付いた青年が呆然と呟く。
 この頃のカオスにヨーロッパの魔王という二つ名はまだつけられていない。
 初老の男の方もカオスの評判は耳にしていたのだろう。
 その表情にみるみる計算高い笑顔が浮かんだ。

 「ご高名なカオス殿とはつゆ知らず、大変失礼をいたしました。私の名はブラム。妖魔狩りのとりまとめをやらせていただいております。この男が・・・」

 「私の名はドゥランテ・アリギエーリ。お噂はかねがね、ずっとあなたにお会いしたかった」

 ブラムと名乗った男の紹介を遮り、ネクロマンサーの青年はカオスに歩み寄り自ら名を名乗った。
 その眼差しに尊敬にも似た何かを感じ、カオスの表情が強ばりを弱めていく。

 「ドゥランテ・アリギエーリ・・・永続する者か、どこで私のことを知った?」

 カオスの問いに顔を輝かせた青年はスイス・イタリア国境付近の地名を口にする。
 続けて加えられた説明に、カオスの顔に柔らかいものが混ざった。

 「・・・姫から私のことを」

 「ええ、あれから2年が経とうとしてますが、放浪中の私を手厚く迎え入れてくれて・・・マリア様はあなたの事ばかり話されてました」

 「そうか・・・」

 カオスの顔に浮かんだ軟らかい表情。
 それは紛れもない追憶の微笑みだった。

 カオスとマリア姫は単なるパトロンと錬金術師ではなく男と女の関係となっていた。
 そうなる切っ掛けとなった美神と横島による時間移動で、マリア姫はマリアの存在を知る。
 不老不死の思い人の隣りに、ずっと寄り添い続ける自分と同じ顔と名前を持つ人造人間。
 マリア姫はマリアの存在によって、自分がカオスから永遠の愛を受けていることを実感している。
 その為、マリア姫は度重なるカオスからのプロポーズを断り続けた。
 それだけではなく、老いを実感してからのマリアは頑なにカオスとの面会を拒むようになっていた。
 不老不死の男の隣りに立ち続けるマリアに、いつまでもカオスが自分を重ねられるように。

 ―――心はいつもあなたと共に

 それはとても愚かで、不器用な、しかし紛れもない愛だった。
 死の瞬間、マリア姫はカオスから預かっていた製造中のマリアに後を託しこの世を去っていく。
 ドゥランテがマリア姫と会ったのは、彼女が死去する前年のことだった。





 「おお、その様な縁があったとは・・・そうなれば我らの過ちも主のお導きかも知れませんな」

 態度を軟化させたカオスに、ブラムは取り入るような仕草を見せる。
 会話に割って入られ、ドゥランテは少しだけ不愉快な顔をした。
 彼はカオスとの邂逅を心底喜んでいるらしい。

 「我々は現在、強力なバンパイアを追跡しておりまして・・・先程勘違いしてしまったのも、馬車の目撃情報がアッピア街道を南下し続けるというものと、ナポリへ向かい分岐したというものに別れたからでしてな。チームを二手に分け追跡を継続したところ、我々の方がカオス殿に遭遇したという訳でして・・・」

 「バンパイア? 私をバンパイアと間違えたと言うのか」

 「全くお恥ずかしい。無礼のお詫びに、我らの知り得た情報をカオス殿にもお見せしましょう。そして出来ましたら我々に協力していただきたいのですが・・・」

 ブラムはそう言うとドゥランテに視線を移した。
 戦死した吟遊詩人の代わりに、カオスを抱き込もうという意図には虫酸が奔ったが、ドゥランテはさして抵抗を見せず己の能力を発動させようとする。
 彼にとってもカオスと行動を共にすることは願ってもないことだった。
 ドゥランテは馬車の中にある棺の中身―――マリアに興味があった。

 「昨夜戦死した仲間からの情報です」

 ドゥランテは先程懐からこぼれた本を手に取り、何も書かれていないページを開いた。
 羊皮紙の中央に手を添え数回深呼吸を繰り返す。
 精神を集中した後、彼は自作の詩を呟き始める。



 ―――私の記憶という本の中の

     その章の最初のページに

     貴女に初めて出逢えた日のことが

     こう書かれている

     新しい人生が始まると



 ドゥランテの呟きが終わり、羊皮紙に添えた右手の平をどけるとその場所に徐々に人の顔の様なものが浮かび上がった。

 「降霊か?」

 カオスの問いにドゥランテは小さく肯く。
 ネクロマンサーである彼は、死者の魂を呼び寄せその者が伝えたいメッセージを聞くことが出来た。
 本の中央に浮かんだ顔は、紛れもなく昨夜死亡した吟遊詩人のものだった。


 ―――化け物が・・・私の演奏を全てかわすとは


 その声は苦痛に満ちていた。
 死した後も、彼の魂は救われていないらしい。
 自分が置かれている状況が理解できているのか、吟遊詩人はそのまま独白を続ける。


 ―――奴は、黒い馬車で南に・・・従者の男と例の娘と共に・・・


 ―――気をつけろ・・・奴は本物の夜の一族だ・・・最も古く、最も強力なバンパイア


 吟遊詩人の言葉にカオスの表情が微かに動く。
 その顔には徐々に精悍さが戻りつつあった。


 ―――許さんぞ・・・誰か、誰か私の仇を・・・奴の名はブラドー


 ブラドーの名を口にし、執着が緩んだのか吟遊詩人の顔が本の中に沈んでいく。
 彼が最後に口にした名にカオスは不敵な笑みを浮かばせていた。

 「ブラドー・・・奴が再び活動を始めたと言うのか。ならばこの出会いは奴と決着をつけろという姫の導きか」

 かって死闘を演じたバンパイアと自分の運命が再び交差する。
 カオスはマリア姫と死別して以来、常に空虚だった己の胸に炎が燃え立つのを感じていた。

 「おおっ! 手を貸して貰えますか」

 カオスの協力が得られることがわかり、ブラムは心の底から笑顔を浮かべる。
 政治がらみから一転、強力なバンパイアの相手をすることとなった今回の任務にブラムは不安を抱えていた。
 ローマに状況を知らせたものの、急な事態に対応するため援軍を待つ時間的余裕は無い。
 逃走するブラドーを斃しソリスを捕らえるには、現在稼働中の4名で任務にあたらなければならなかった。
 その4名のうち、オフェンス担当の吟遊詩人は既に死亡している。
 残されたのは自分と、戦闘支援中心のドゥランテ、それと現在別行動中であるもう一人のオフェンス担当の男だった。
 そして、今回の任務に関してブラムはその男を信用していない。
 ブラムはカオスと出会えた幸運に感謝していた。

 「それでは早速あちらと・・・おや、先にあちらの方から知らせが来ましたね」

 ブラムは目を瞑り何かに肯くような仕草をする。

 「あちらも馬車に遭遇したようです。ピエトロの悪い癖が出なければ良いのですが・・・」

 ピエトロとは別れた仲間の名前なのだろう。
 ブラムは心配そうに呟くと意識を集中し、もう一方に自分たちに起こった状況を説明する。
 それがブラムの能力なのか、彼はもう一方のチームとリアルタイムの連絡が可能なようだった。

 「遠視か?」

 「さて・・・」

 ブラムの能力を口にしたカオスに、彼はとぼけたような顔をする。
 自分の能力を知られる事は異能者にとっては死活問題なだけに、カオスは別段不機嫌にはならない。
 今の質問は効率の良い追跡を行うための合理的な思考によるものだった。

 「まあいい・・・それではお前はずっと御者座だな。ドゥランテ、ブラムの馬を元に戻せ! これからの追跡は私の馬車で行う」

 「いや、待てドゥランテ! 追跡には疲労しないお前の馬の方が・・・」

 会ったばかりのカオスの命令の方が彼にとっては優先順位が高いのだろう。
 ドゥランテはブラムの制止を無視し、彼の能力によって呼び出されていた馬の死霊を元にもどす。
 慌てて馬から降りたブラムの足下には、依り代に用いたらしい小さな骨が転がっていた。

 「疲労しない点に於いては私の馬の方が優秀だぞ。それに最高速もな」

 カオスはそういうと馬車を牽引する馬の首筋を触りそのカバーを開けた。
 どう見ても生きている馬としか見えなかった内部に、無数に走る配線を目にした二人の目が驚きに見開かれる。
 特にドゥランテの表情は感動しているとさえ言えた。

 「御者座で仲間の位置を伝えれば後は勝手にコイツらが走る。追い着いたら教えろ」

 首筋の装甲を戻してから、カオスはドゥランテを伴い馬車のドアへと歩き出す。
 置いて行かれたブラムは心ここにあらずと言った様子だった。
 まるでここにいない誰かと会話しているかのように。

 「少し狭いが、追い着くまでの辛抱だ」

 カオスはそういってドアを開けると馬車の中へと乗り込んでいく。
 続いて乗り込むドゥランテの姿に、先程馬車の中からカオスの名を呼んだ金髪の女が慌てたように背中を向けた。
 マリア姫とカオスの恋愛を知っているだけに、ドゥランテはその女の存在に眉をひそめる。
 彼がマリア姫から聞いた話が正しいとするならば、カオスの隣には人造人間のマリアがいるはずだった。
 先程見た馬の外装の技術も、マリアの外装を作る技術の一環だとドゥランテは考えている。
 彼はマリア姫から製造中のマリアを見せて貰っていたのだった。

 「・・・・・・」

 ドゥランテは壁際に置かれた棺の中にいるであろうマリアが気になったが、直接の質問は躊躇われている。

 「目的地を変更する。ナポリは後回しだ」

 「そんな! どうしてです」

 カオスの言葉に振り返った女は、ドゥランテと目が合うと再び気まずげに背中を向ける。
 すらりと通った鼻梁と切れ上がった意志の強そうな瞳。振り返った女は十分美人の範疇に入っていた。
 そしてドゥランテは、その女にどこか見覚えがあった。

 「昔の因縁でな・・・そんなことより紹介しよう。この者の名はドゥランテ。ひょっとして会ったことがあるのではないか?」

 会ったことがある。その言葉を聞き、ドゥランテは自分の感覚に確信を持った。

 「この者の名はテレサ・・・こら、客人に背を向け続けるとは失礼だぞ。姫の所ではそんな不作法は教わっていないだろう」

 女は観念したようにドゥランテに向き直ると丁寧に一礼する。
 その凛とした動作に、彼はテレサという女がマリア姫の召使いだったことを思い出した。

 「そう言えばマリア様の所でお会いしましたね・・・あの頃の私は最悪の精神状態だったので言われるまで気がつきませんでした。申し訳ありません。テレサさん」

 テレサの一礼にドゥランテも礼儀に沿った一礼を返す。
 その様子にテレサはどこかホッとした表情を浮かべた。

 「お久しぶりです。ドゥランテ様」

 「しかし何故、あなたとドクター・カオスが・・・」

 その質問にテレサは答えず、ただ曖昧な笑顔をドゥランテに向ける。

 「姫の最後を看取ってくれたのがテレサでな・・・遺言で私の世話を頼まれたらしい」

 代わりに答えたカオスの口調はどこか寂しげだった。

 「マリア様が?」

 「ええ、私の手を握りカオス様をよろしく頼むと」

 テレサの言葉にドゥランテの胸に沸き上がった疑問は、追跡を開始した馬車の振動に口にする機会を失う。

 「追跡が始まったか・・・」

 ドゥランテは窓の外を流れる景色に目を見張る。
 かなりの速度が出ているはずなのに、体に感じる振動は動き出した最初のものだけだった。

 「カオス殿! ベネベントの町までどれくらいで着きますか!?」

 御者座からブラムの切羽詰まったような声が聞こえてくる。
 どうやら別行動しているチームに何か動きがあったようだった。










 アッピア街道
 なだらかな丘陵地帯を走る街道の周囲にのどかな田園風景が広がっている。

 「いたぞ・・・」

 のどかな風景に不釣り合いな漆黒のマントを身に纏った男が、遙か先を疾走する小さな点を指さす。
 どう見ても二十歳そこそこにしか見えない容姿。しかし、その背には一振りの長剣が携えられ、騎馬を駆る姿は歴戦の戦士のような風格を身に纏っていた。
 何よりも特徴的なのは道の彼方を見据える彼の双眸だった。
 暗く輝きのないその瞳からは、憎悪以外の感情を読み取ることは出来なかった。

 「ああ、向こうが言うにはコッチが本物らしい・・・待て! ピエトロ!!」

 隣で馬を駆っている初老の男が、馬車に追い着こうと馬の速度を上げようとした男に声をかける。
 その容姿はカオスが遭遇したブラムと瓜二つだった。

 「先走るな! お前はバンパイアが相手だと周りが見えなくなる。向こうの俺もそれを心配しているぞ!」

 「だったらお前が行くか・・・ブラム」

 こちらの男もブラムと呼ばれているようだった。
 向こうの俺と呼んだのはカオスたちと共にいるブラムのことらしい。
 その顔が不機嫌そうに歪むと、苛つきを隠せない様子で口を開く。

 「俺が何もできないとでも言いたいのか? 向こうの俺はドクター・カオスという強力な助っ人を得たらしい。この場は俺の能力で追跡を行い、襲撃は合流後という作戦もとれる・・・」

 ブラムは目の前に突きつけられた長剣に言葉を失う。
 直前まで手綱を握っていたはずのピエトロの手が、瞬き一つもしないうちに背中の長剣を抜き放っていた。

 「待てんと向こうに伝えろ」

 自分を射抜く視線に危険を感じ取ったのか、ブラムは向こうの俺と呼ぶもう一人のブラムに状況を伝える。
 意志決定権は向こうにあるのか、数秒のやりとりの後、ブラムは憮然とした表情でもう一人のブラムの意志を口にした。

 「クッ・・・ブラドーを滅ぼすのは構わん。しかし、女は必ず生かしておくのだぞ!」

 「さてな・・・」

 ピエトロはそう言い捨てると馬の脇腹を蹴り、馬車の追撃姿勢へと入っていく。
 後に残されたブラムも必死にその後を追った。





 「マルコさん、後ろから馬がもの凄い勢いで・・・」

 馬車の座席から後ろに目を配っていたソリスは、猛スピードで追いかけてくるピエトロの姿を目撃していた。
 旁らにはブラドーの棺。彼女はブラドーを追っ手と陽光から守るためずっと棺の側に寄り添っている。
 昨晩撃退した吟遊詩人の残した一言を二人は聞き逃さなかった。
 追っ手として差し向けられた残りの妖魔狩りは、何らかの方法でブラドーについての情報を手に入れたらしい。
 既にソリスを奪還したのがバンパイアであると知られている場合、敵の追撃が昼に集中することをマルコとソリスは覚悟していたのだった。

 「チッ、もう追い着いて来やがったか」

 マルコは御者座の上に立つと馬車越しに背後の光景を振り返る。
 まだ米粒程の姿ではあったが、追跡してくる人影は徐々にその存在感を大きくしていった。
 焦ったように太陽を見上げるが、傾き具合からいって日没までにはあと3時間は必要だった。
 前方に視線を移すと遠くにベネベントの町が見えてくる。

 「あそこまで逃げ切れば何とか・・・」

 ローマから南イタリアに伸びるアッピア街道は、ナポリの北東にある町ベネベントで二手に分かれる。
 イタリア半島の中央を通り半島の踵部分にある町ブリンディジに至る当初からのアッピア街道に対し、後に接続したアドリア海に沿ってプーリア州を縦断しブリンディジに至る街道はアッピア・トライアーナ(トライヤヌスのアッピア街道)と呼ばれている。
 マルコはこの分岐を利用し日没までの時間稼ぎをするつもりだった。

 「ソリス様! 後ろから来る奴の姿が豆粒くらいになったら教えてください」

 マルコは窓越しにそう伝えると、隣りに置いたザックから以前脱出に用いた火薬玉を取り出す。
 既に前の晩から用意しておいた火薬玉にはそれぞれ長さの異なる導火線がセットされていた。
 マルコは慣れた手つきで導火線の長さを微調整する。
 そして、御者座に括り付けておいた火縄の火が消えてないことを確認すると、ソリスの合図を待ちながら全力で馬車をとばした。

 「マルコさん!」

 ソリスの合図と共に、マルコはもう一度後ろの様子を見る。
 丁度意図した距離に追跡者はいた。
 マルコはソリスの勘の良さに内心舌を巻く。
 過去に生活を共にした騎馬民族の中にも、これ程の距離感覚を持っている者はそういなかった。

 「ベネベントまでの時間を稼いでくれよッ!」

 御者座に座り直すと、導火線に火をつけた火薬玉を次々と街道の上に落としていく。
 マルコは最初から直撃を期待してはいなかった。




 馬車を追跡中のピエトロは、急に速度をあげ始めた馬車に追跡が気づかれたと判断する。
 彼方に見えるベネベントの町はアッピア街道の分岐点。その分かれ道を利用し相手は自分を捲こうとしているらしい。
 ピエトロは更に馬の速度を上げる。そのスピードアップまでがマルコの計算だとわかるのはそれから3分後のことだった。

 「陽光の下では逃げるしかできんか・・・無様だなバンパイア」

 ピエトロは必死に自分から逃れようとするブラドーの馬車を冷ややかな目で見据えた。
 御者が望みをかけているだろうベネベントの町までには、余裕で馬車に追い着くことが出来る。
 追い着き横に並んでから、彼は先ず御者を斬り殺し馬車を止めるつもりでいた。
 昼間行動できる従者を排除してしまえば、あとは自分の思うままとなる。
 自ら進んでバンパイアと供にいるという女は、陽光の下で苦しますつもりだった。
 バンパイア化していなくとも、血を吸われた者は日の光を嫌がる。
 滅びはしないが肌を焼く陽光の痛みに発狂する者や、殺してくれと懇願する者も珍しくない。
 事実、ピエトロは過去何人か吸血された者をこの方法で殺している。
 バンパイアは更に執拗な方法で苦しませるつもりだった。
 暗い欲望を満足させる手を考え、ピエトロの目が狂気にも似た光を帯びる。
 その瞬間、彼の近くでマルコの落とした火薬玉が炸裂した。

 「!」

 爆風や破片による直接のダメージは無いに等しい。
 しかし、爆音に驚き恐慌状態に陥った馬に暴れられ、ピエトロは大きく姿勢を崩した。
 マルコが投じた火薬玉は、ピエトロではなく彼が乗っていた馬への精神的なダメージを狙ったものだった。

 「チッ、何だこの攻撃は!?」

 ピエトロは馬から振り落とされないよう、必死に手綱を引き絞る。
 彼自身、爆発物による戦闘は経験が無かった。一瞬、自分に何が起きたのか理解できなかったが、続いて起こった爆発に、ようやく今の攻撃が馬車から投じられた火薬玉によるものと気づく。
 次々に起こる爆発がさらに馬を暴れさせたが、彼は人間離れした筋力と反射神経で何とか馬上に留まった。
 ピエトロは馬の首筋を撫でながら何とか馬を落ち着かせようとする。
 すぐに追跡に移れるような状態では無いことがわかると、彼は一端馬を下り怪我の有無などを確かめながら街道の彼方を睨んだ。
 そこには小さな点にまで遠ざかった馬車の姿があった。

 「なめたマネを・・・楽には死ねんぞ」

 簡単に斬り殺すつもりだった御者から思わぬ反撃を受けた屈辱が、ピエトロの心に更に暗い炎を燃え上がらせていた。





 ベネベント
 内陸山岳地域の町ベネベントはローマ時代の大規模な劇場や、凱旋門が残っていることで知られる。
 この凱旋門は114年、トラヤヌスによりアッピア街道が延長されたのを祝って建てられていた。
 しかし、ローマ帝国時代に街道の分岐点として栄えたこの町も、現在では田園風景に埋没したのどかな田舎町でしかない。
 約30年程前に、この地でギベリン(皇帝派)とゲルフ(教皇派)の激しい戦いが行われたことは既に遠い出来事の様だった。
 そんなのどかな空気を台無しにするように、一台の馬車が町の東側にある凱旋門に向かって疾走する。

 「気をつけろぃ!」

 すぐ近くをもの凄いスピードで通り抜けた馬車に、慌てて道を譲った荷馬車の御者が抗議の声をあげた。
 幹線道路である街道は十分馬車のすれ違いが可能な道幅を有していたが、町の内部では様々な障害物や通行人のことを考え徐行で進むのが暗黙のルールとなっている。

 「まったく、今の若いモンは・・・!!」

 驚いた馬が暴れたため、彼の荷馬車から積み荷の幾つかが街道に落ちてしまっていた。
 馬車を操っていたマルコに悪態をつきつつ、荷馬車の御者は道に散らばった積み荷を急いで拾い集めようとする。

 「危ない!」

 沿道にいた知り合いが発した警告の声に、慌てて振り返った男は猛スピードで駆け込んできた騎馬の姿に思わず首をすくめた。
 周囲の人々があげたどよめきの意味を、目を瞑っている男は気付いていない。
 長剣を背負った黒衣の乗り手は、見事な手綱さばきで男を飛び越えるとそのまま馬車を追いかけていった。



 ピエトロは火薬玉を警戒しつつ馬車との差を詰めていく。
 先程、抜け目ない攻撃を仕掛けてきた御者は、そろそろ何かを仕掛けてくるはずだった。
 ピエトロの予想通り、街道の分岐へと向かう凱旋門手前で逃走一辺倒だったマルコに動きが生じる。
 御者座に立ち後ろを振り返ったマルコは、馬車の車体越しに火薬玉を投じようとしていた。

 「同じ手を何度もくらうかッ!」

 手綱を持っていたピエトロの左手が霞む。
 どれ程の速度で投じたのか、火薬玉を持っていたマルコの右肩に、親指ほどの太さの白木の杭が深々と突き刺さっていた。

 「クッ・・・」

 苦痛に顔を歪めたマルコの手から火薬玉が落ち、ピエトロからやや離れた所で爆発した。
 爆音に軽い目眩を感じたが、今度は馬もそれ程驚いてはいない。
 街道の分岐で馬車はアッピア街道側を選択していた。
 再び逃走に移った馬車に並ぼうとピエトロは更に馬の速度を上げる。
 しかし、馬車はピエトロの馬以上の加速を見せどんどん遠ざかろうとしていた。
 限界以上の疾走を見せた馬によって、馬車はかってないほどの速度で走り出していた。





 「ベネベント手前で離されすぎたか・・・」

 しばらく追跡を続けるも一向に縮まらない馬車との差に、ピエトロは馬車がベネベントで馬の交換を行った可能性を考えていた。
 一方ピエトロの馬はドゥランテたちと別れた後、一度も乗り換えを行っていないため既に限界を迎えようとしている。
 しばし思案したピエトロは、人の目を気にするように周囲を見回す。
 まるでこれから行うことを人に見られたく無いかのような仕草だった。
 そして芥子粒ほどの大きさにしか見えない遙か後方から追走してくる空身の馬を目にすると、彼は何かに気付いたように遠ざかりつつある馬車に視線を戻した。

 ギリッ・・・

 食い縛った口元から歯軋りの音が聞こえる。
彼は馬車の車内に、先程御者座から火薬玉を投げつけた男の姿を目撃していた。
 ピエトロは背負った長刀を抜き放つと、渾身の力を込めて馬車に投げつけた。
 それは凄まじい速度と回転で馬車を貫通すると、その先の街道に深々と突き刺さる。
 その途端、ピエトロの目の前から追跡していた馬車の姿が幻のように消え去った。

 「人間の癖になかなかやる・・・」

 ピエトロは今の消失現象がブラドーの従者によるものだと考えていた。
 馬から降り街道に突き刺さった刀に歩み寄ると、ピエトロは一息でそれを引き抜き、流れるような動作で脇に立つマイルストーンに斬りつける。
 振り下ろされた刀身が僅かな停滞も見せず背中の鞘に吸い込まれると、鏡のように滑らかな断面を見せマイルストーンは真っ二つになった。

 「ブラムが取り憑いたならば、奴らはもう逃げられん・・・だが、向こうのブラムが来るまでにはまだ間があるな」

 ピエトロは先程まで乗っていた馬が街道脇の草むらにだらしなく倒れ込む姿を一瞥すると、こちらに向かってくる空身の馬へと向かっていく。
 その馬は先程までブラムが乗っていたものだった。


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