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太陽を盗んだ男

第三話


投稿者名:UG
投稿日時:06/ 9/24

 アッピア街道
 ローマから各地へ伸びる街道の中でも特に有名なそれは、紀元前312年に執政官のアッピウスによって建設が行われたことによりその名がつけられていた。
 当初はローマからナポリの北側に位置するカプーアまでが整備されたが、その後延長を重ねターラントやブリンディジ・・・つまり、この物語の始まりの地であるプーリア州までたどりついている。
 何層にも舗装され表面を平らな石で覆われた石造りの街道は馬車が余裕ですれ違えるほどの道幅を有し、1マイルごとに置かれたマイルストーンや、主要箇所におかれた水場や馬の乗り換え所など、現代の高速道路にも通じるインフラは強大なローマ帝国の大動脈の役割を果たしていた。
 ローマ帝国滅亡後、整備もされず徐々に衰退していった街道であるが未だ主要な陸路であることには変わりはなく、ソリスを移送する異端審問官の一行は街道沿いに位置する教会に宿をとりながらローマを目指している。
 一行がローマに辿り着くまであと1日。ブラドーとマルコは未だ姿を現していない。





 徐々に傾いた太陽が辺りを茜色に染め始めた頃、ソリスを移送する異端審問官の一行はローマから1日の距離にあるフォンディの町に辿り着く。
 ローマを目前に気が緩んだのか、町の外れにある巡礼教会に宿を求めた審問官のリーダーは、教会前の広場で客を誘う吟遊詩人の歌にぼんやりと耳を傾けていた。
 見慣れぬ楽器を手にした吟遊詩人の奏でる曲が、夕日に照らされた景色と相俟って堪らない寂寥感が男の胸に広がっていく。

 「変わった楽器だな」

 教会から足を踏み出し、一曲歌い終わった吟遊詩人にリーダーは話しかけた。
 別段、音楽に素養のある彼ではなかったが、その楽器が奏でる音には妙に心惹かれるものがあった。

 「リュートと申しまして、東方から伝わった楽器でございます」

 吟遊詩人はそう答えると、リュートと紹介した楽器をかき鳴らす。
 洋梨を半分にしたような形状の本体に張られた4本の弦が、何かの骨で作られた撥に弾かれ先程の余韻を打ち消すような音を響かせた。
 その音にリーダーが感じていた楽器への興味が嘘の様に消失する。まるで夢から覚めたかのように。

 「ふん、異教徒の楽器か。儂の姿を見て何の臆面もなく・・・これだから下賎の輩は」

 「はは、その点は十字軍の戦利品ということでご容赦下さい。それに・・・」

 吟遊詩人はリュートの背中に小さく刻印された教皇庁の印をリーダーに見せる。

 「教皇様は殊の外、この音色を気に入ってくださってます」

 その印と吟遊詩人の言葉にリーダーは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

 「ま、まさか、あなた方が必要ということは・・・」

 「いや、ソレに対してではありません・・・例の娘はあれですか?」

 リーダーはホッとした表情を浮かべながら、吟遊詩人の問いかけに肯く。
 視線の先では馬車から下ろされたソリスが、厳重な警備のなか与えられた宿坊の一室に連行されていった

 「夕刻とはいえ、バンパイアのしもべの連行を陽光の下で行うとは・・・」

 あまりにもお粗末な対応に吟遊詩人は苦笑を浮かべた。
 バンパイアに吸血された者は、たとえバンパイア化が起こっていなくとも陽光を嫌い日の光を浴びただけで苦しむようになる。
 こんな対応をローマ市内で行えば、ソリスの冤罪を市民にアピールするに等しかった。
 異端審問官とは言っても、彼らは人間の相手しかしていない。

 「以後、そのように雑な対応は控えてください。どこでギベリン(皇帝派)の目が光っているか・・・奴らの方に動きがあったようです」

 「内通者がいると言うことですか?」

 リーダーは信じられないといった表情で作業を続けている部下に視線を向ける。
 異端審問官には教皇への忠誠心が何よりも求められていた。

 「あなたの部下がという訳ではありません。我々が奴らの行動をある程度知れる様に、奴らも我々の行動をある程度知ることができる、組織というものは大きくなれば大きくなるほど綻びも生じやすい・・・」

 吟遊詩人の言葉に、リーダーは水面下で行われているゲルフ(教皇派)とギベリン(皇帝派)の権力闘争の凄まじさを感じていた。

 「私が来たのはその為というわけでして・・・明け方には、更に3名が合流します。最後の一晩、気を引き締めてお願いしますよ」

 「おお・・・あなた方が来てくれるのなら100万の援軍を得たに等しい。それでは最後の一晩、気を一層引き締めて任務にあたらせてもらいます」

 深々と一礼し教会に戻ったリーダーを見送ってから、吟遊詩人は再びリュートを演奏し始める。
 だが黄昏時の広場に響く旋律は、その曲を弾き終わらぬうちに猛然と駆け込んできた馬車の音にかき消された。

 「シエーナの貴族が・・・なかなか動きが早いじゃないか」

 その馬車に掲げられた紋章に、吟遊詩人が氷のような笑みを浮かべた。

 シエーナ
 ローマの北300kmに位置する頑強な自治都市は、12世紀頃から頭角を見せ始めゲルフ(教皇派)に属する都市と幾度となく戦闘を繰り返している。
 交易と金融業で大きな富を得たこの都市は、ギベリン(皇帝派)の中でも主立った勢力といえた。
 敵対する勢力の到着に、巡礼教会は異様な緊張に包まれ始める。




 「休息中の者も全て警護に回せ。明日の事は考えなくて良い」

 審問官のリーダーは部下にそう言いつけると自身は単身礼拝堂に向かっていく。
 そこには先程到着したシエーナの貴族が3名の従者と共に祈りをあげる姿があった。

 「なかなか敬虔な信仰心をお持ちのようで・・・」

 祈りが終わるのを待ってからリーダーが声をかけると、貴族の男がたった今リーダーに気付いたかのように振り返る。
 年の頃は40代の半ば、穏和そうな笑みを浮かべてはいるものの、その瞳はリーダーに蛇を連想させた。

 「いや、急に巡礼を思い立っただけでして」

 「それにしては聖遺物が有るわけでもないこの様な辺鄙な教会まで・・・何かこの地に特別な御用でも?」

 明らかな挑発だった。
 ローマからアッピア街道を南下する場合、ローマから一つ手前の町であるテッラチーナまでは湿地帯故に旅人から嫌われている。
 別段、巡礼に出かけた者がこの地に立ち寄るのは不自然なことではなかった。
 従者が男を庇うように周囲を固めるが、巡礼が良く着るフード付きの上着を着ているためその表情は読めない。
 男は何のことはないという風にリーダーの問いに答えた。

 「二百年近く放置された後、教皇様のお力で再建された町・・・信徒としては一度見ておきたいと思っておりました」

 「それは教皇様もお喜びでしょう」

 わざとらしい男の物言いに、リーダは胸の中で舌打ちをした。
 事実フォンディの町はローマ帝国崩壊後、592年に一時放棄され754年に教皇庁により再建されている。

 「そちらは何か重罪人の護送でも?」

 「何故そう思われますか?」

 「ご高名な異端審問官の方々が厳重な警備をとっていますので・・・違いましたかな?」

 「さて・・・」

 リーダーが話を逸らそうとしたとき俄に教会の周辺が騒がしくなる。

 「敵襲です!!」

 扉を開けて飛び込んできた部下の叫びに、リーダーを始め礼拝堂にいた全員が外へと飛び出していった。




 「何者かッ!」

 夕暮れの中、教会の敷地内は乱戦の様相を呈していた。
 農具らしきものを振り回す20名近い乱入者に部下たちが必死に応戦している。

 「分かりません、いきなり襲いかかってきて」

 呼びかけに応えた部下は突き出される鋤を難なくかわすと、手にした戦闘槌をカウンターで相手の顔面に叩き込んだ。
 その光景を見たリーダーは乱入者が戦闘訓練を積んでいない素人であることをすぐに見抜く。
 ソリスが監禁されている敷地奥の部屋に視線を移すと、そちらに乱入者が向かう様子はなかった。

 「相手は素人だ! この場で撃退しろ!!」

 リーダーはこの場での撃退を命令する。
 どう見ても素人としか思えない動きの乱入者に、彼は戦闘訓練を積んだ部下が負けるはずがないと思っていた。
 しかし、その後に起こった光景を見て、リーダーは自分の判断が間違いだったことに気づく。

 ゆらり・・・

 先程部下に顔面を殴られ昏倒した乱入者が、まるで何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がった。
 立ち上がったのはその者だけではなかった。他の場所でも部下に打ち据えられ倒れ込んだ乱入者が音もなく立ち上がり始める。
 そんな悪夢のような光景が至るところで起こっていた。

 「まさかこれは・・・」

 リーダーはまるで不死者の様に立ち上がる乱入者の姿に、十字軍の間にまことしやかに囁かれていた噂を思い出す。
 山の老人。多額の金銭で暗殺を請け負う暗殺教団。
 彼らの暗殺者育成は独特だった。薬物で眠らせた若者を山の上に作った楽園に運び、薬物と最高の快楽を与え洗脳する。
 再び眠らされ町に戻された若者は、味わった快楽が忘れられず楽園に戻りたい一心で、己の命を顧みず与えられた任務を果たそうとする。
 ある者は十字軍の騎士に両腕を切り落とされながらその喉を噛み切ろうとし、またある者は腹部をヤリで貫かれたまま騎士を馬から引きずり下ろす。
 薬物で麻痺した彼らの身体は、頭部を破壊しない限り活動を止めようとはしなかった。
 そして彼らの恐ろしさは、頭部を破壊しない限りすぐには死なないタフネスさだけではない。

 「気をつけろ! ソイツらの接近を許すな!!」

 部下に警告を発したが遅かった。
 倒したと思い込んだ油断から、背中を見せてしまった部下が乱入者に腕を掴まれてしまう。
 ゴキリという嫌な音が響いた。
 苦痛の叫びを上げる暇もなく、背後から乱入者に抱きつかれた部下は全身の骨が砕ける音を発しながら絶命していった。

 「クソッ!」

 駆け寄ったリーダーは部下の落とした戦闘槌を拾い上げると、渾身の力を込めてそれを振り下ろす。
 部下の死体を抱きかかえたままの乱入者は、その一撃に脳漿を飛び散らせようやく絶命した。
 リーダーは仰向けに倒れた乱入者の脇腹から、折れた肋骨が飛び出していることに気づき恐怖に顔を歪ませる。
 薬物による筋力増加に加え、自分の身を顧みない身体運用は常人を遙かに超えた筋力を発揮させる。
 自分の体すら傷つける常人離れした怪力こそが、山の老人の手による暗殺部隊最大の脅威だった。

 「不味いなこれは・・・」

 リーダーはソリスが監禁されている部屋へと走り出す。
 万一の時にはソリスとルナを連れこの場を脱出しなければならなかった。




 「ついて来い! 余計な真似はするなよ」

 リーダーはソリスを部屋からつれ出すと、手枷を嵌めたまま馬車の所に連行しようとする。
 ソリスは目の前で行われている激しい戦闘にも眉一つ動かさず、手枷の鎖を引かれるまま黙ってリーダーの後をついて行く。
 修道院からずっと、一言も泣き言を漏らさないソリスにリーダーは不気味さを感じていた。
 過去に審問を行った同世代の女は、一部の例外を除きその真偽の区別無く一様に取り乱し慈悲を請うていた。
 ソリスの姿は一心に何かを念じている様に見えるが、一部の例外、発狂したようにはとても見えなかった。
 馬車の支度が出来るまで植え込みに隠れ様子を窺っていると、部下がルナを連れて合流してくる。
 蔑んだようなソリスの視線を、ルナは何も感じていないような虚ろな目で見つめ返す。
 告発した者とされた者。だが激しい罵り合いは起こらず、どちらも軽く視線を合わせただけで一言も言葉を発さなかった。

 「脱出するのでしたら力を貸しますが」

 紋章をつけた馬車が目の前に停まり、窓の中から先程の貴族が声をかけてくる。
 その意図を理解しリーダーは忌々しさに顔を歪めた。
 ソリスとルナを馬車に乗せた瞬間、ギベリン(皇帝派)を攻撃する材料は相手の手に落ちてしまう。
 奇異な襲撃者がこの者たちの仕業なのは明らかだった。

 「今、部下に取りに行かせています。危険ですのであなた方は先にお逃げ下さい」

 怒鳴り出したい気持ちを抑え辞退の言葉を口にした時、貴族の隣りに座っていた巡礼者姿の男がそのフードを外す。
 東方の面影を残す黒髪の男が不気味な笑みを浮かべていた。
 その顔を見てずっと無表情だったルナが欲情にも似た表情を浮かべる。

 「くっ・・・ん・・・・・・」

 彼女の脳裏に昨夜刷り込まれた命令が蘇り、ルナは息をひそめ己の身に隠し持っていたナイフを引き抜くとその刀身を露わにする。
 その視線の先にあるのは無防備に背を向けるソリスの首。
 凶行を止めるべき、リーダーと部下は馬車の貴族に気を取られルナの変貌に気付いていない。
 振り上げられた刃先を、沈もうとする夕日が赤く輝かせた。

 ポロン

 リュートの音が微かに響く。
 その音に振り返ったソリスは、ナイフを振り上げたまま固まっているルナに気付き小さな悲鳴をあげた。
 やがて微動だにしないルナの目からゆっくりと血の涙があふれ出す。
 続いて耳、鼻、口。彼女の頭蓋骨の中で反響したリュートの音が、内部の脳を完全に破壊していた。
 ルナは糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
 それと同時に物陰から先程の吟遊詩人が現れ、馬車の貴族に氷の様な視線を向けた。

 「偶然現れたギベリン(皇帝派)の目の前で告発者が告発した者を殺す。しかも、その者が修道女とすれば逆に立場が悪くなるのは・・・短時間にしてはよく考えたものだ」

 「貴様、何者だ!」

 馬車から飛び降りた黒髪の男が右手を振るうと、彼の右袖から鞭のようなものが襲いかかる。
 吟遊詩人はソリスの腰に手を回すと鞭の射程外へと飛び退った。

 「鞭・・・いや、その指の動きは触手とでも言うべきか」

 ソリスを背後に庇うと吟遊詩人は感心したような視線を黒髪の男に向けた。
 吟遊詩人の目の前では、回避が遅れたリーダーと部下が触手に巻き取られ息絶えていた。
 捕捉と同時に二人の首をかき切ったのが、硬質化した爪だったことを吟遊詩人は見抜いている。

 「今のは右手のみ・・・次は逃がさん」

 黒髪の男は二人の死体を解放すると吟遊詩人に向けて両手を突き出す。
 十本の触手が同時にあらゆる方向から吟遊詩人に襲いかかった。

 「なかなかの能力ではある。だが・・・」

 吟遊詩人がリュートをかき鳴らすと、彼の周囲に接近した触手が消滅した。
 霊力を音に乗せて物質を破壊する。恐るべき吟遊詩人の能力だった。
 両手の指を失い苦痛の叫びを上げる男を、吟遊詩人は冷めた目で見下ろす。
 リュートが鳴り響き、黒髪の男はルナと同じ運命を辿った。

 「暗殺稼業では人間の相手しかしてこなかったのだろう・・・さて」

 逃走に移った馬車がリュートの音を浴び大破した。
 主を守ろうと御者座の二人が剣で斬りかかるが、リュートの音色に呆気なく崩れ落ちる。
 吟遊詩人は呆然と立ちつくすソリスの鎖を手にすると、彼女を引きずるように大破した馬車へ向かった。

 「見覚えは?」

 夜間の走行用に掲げられていた松明を手に取り、大破した馬車の内部を照らす。
 闇に沈みつつある馬車の内部に浮き上がった見覚えのある顔に、ソリスの表情がほんの一瞬だけ強張った。

 「叔父の友人です・・・」

 ソリスは何の感慨もないというような口ぶりだった。
 自分の暗殺に叔父が関係してたとしても特に驚くようなことではない。
 ソリスの叔父とはそういう男だった。

 「不憫な・・・だが、お前の叔父も異端者としてすぐに後を追わせてやろう」

 吟遊詩人は生かすためにソリスを助けたのではなかった。
 しかし、彼が意図したほどその台詞はソリスに絶望を味わわせていない。 
 ソリスは彼女の近くを飛び回る小さな黒い影に目を奪われていた。
 かがり火に照らされた、鳥類とは異なる羽ばたきにソリスは顔を輝かせる。

 「蝙蝠・・・まさか、お前本当に!!」

 吟遊詩人の声はその直後に聞こえてきた大量の羽音にかき消された。
 夜空を埋め尽くす程の蝙蝠が教会内部に雪崩れ込み、吟遊詩人を始め戦闘継続中の審問官や乱入者たちに襲いかかる。
 日は既に沈み、夜の一族の時間が始まっていた。






 「あ、ああ・・・」

 夜空に浮かぶ思い人の姿に、感極まったソリスは言葉にならない声を発しブラドーの近くに走り寄った。

 「すまない、だいぶ待たせてしまったようだな・・・」

 ブラドーはソリスの前に舞い降りると、手枷に戒められたソリスの手を痛々しそうに見つめる。
 そして、ブラドーの指がまるでウエハースを砕くようにそれを破壊すると、ソリスはブラドーに強く抱きつきその胸に顔を埋めた。

 「おまじないが効きました・・・」

 今まで耐えていたものが一気に吹き出したのだろう。
 ブラドーの胸をソリスの涙が濡らす。

 「先生に教えて貰ったんです・・・会いたい人のことをずっと考え、会いたい、会いたいって心の中で唱え続ければその人に会えるって・・・」

 「ソリス・・・」

 ソリスを抱きしめようとした手が背後に生じた気配に止まる。
 蝙蝠に埋め尽くされた吟遊詩人の周囲がリュートの音と共に陽炎のように霞んだ。

 「まさか本物がお出ましとは・・・噛み跡がないという話にすっかり騙されました」

 「ほう、余の眷属を寄せ付けぬとは・・・」

 間断なく襲いかかる蝙蝠を次々に分解しながら吟遊詩人は凄まじい笑みを浮かべた。

 「もともとこちらが本業でして。教皇庁直属の妖魔狩り・・・聞いたことくらいはあるのでは?」

 ブラドーは近くにマルコがいることを確認すると宙に舞い上がる。
 その意図を理解したマルコは、戦いに巻き込まれないようソリスを物陰に避難させた。

 「知らぬな。大道芸に興味はない」

 「無知な化け物が・・・人間の娘に懸想するあたりロクな者ではあるまい」

 ブラドーの物言いに、吟遊詩人の物言いから慇懃さが消える。
 それと共に鳴り響くリュートの音。
 放たれた破砕音波は高速で移動したブラドーの残像をすり抜け教会の壁を崩壊させた。
 ブラドーが見せた反応に、吟遊詩人は軽く口笛を吹く。

 「今の攻撃に反応するとは、それでは・・・」

 吟遊詩人の左手が目にも留まらぬ動きを見せ、この時代の誰もが聞いたことのない曲を奏で始める。
 空中を目まぐるしく移動するブラドーの通過箇所が、僅かに遅れて到着する破砕音波に次々と砕かれていった。

 「クソッ、何故当たらん!」

 吟遊詩人は自己最速の演奏が全てかわされている事に驚嘆していた。
 いま行っている攻撃は、過去どんな高速移動する妖魔にもかわされたことのない攻撃だった。
 彼の武器であるリュートは、破壊対象が遠距離であるほど破砕範囲が絞られる。
 だが、敵の回避運動に存在する一定のリズムさえ読み取ってしまえば、どんな高速移動をされても破砕範囲に敵を捉えられると吟遊詩人は思っていた。
 しかし、彼は曲を弾き終えるまでブラドーの回避行動にそれを見いだすことは出来なかった。

 「どうした? もう芸は出し尽くしたか」

 制止しこちらを見つめるブラドーを、吟遊詩人は忌々しそうに睨み返す。
 今の回避運動がカオスの呪いに耐えながらのものであることを知ったら、彼は絶望の淵に沈みおとなしく仲間たちの到着を待ったかも知れない。
 だが、それをするには彼のプライドは高すぎた。

 「なかなかやるじゃないか化け物。これ程の力を持つバンパイアが何故人間の娘などと・・・」

 吟遊詩人は挑発の言葉を口にしようとする。
 逆上し攻撃を仕掛けてくるブラドーの接近をギリギリまで許し、広範囲の破砕音波を最大のパワーで叩き込む。
 捨て身の作戦を彼は躊躇いもせず取ろうとしていた。

 「そうか、あの娘の方がお前を誘ったか。血を吸ってくれと淫売のように媚びてな」

 「黙れッ!」

 ソリスを侮辱されたブラドーは怒りの表情を浮かべ吟遊詩人に突進していった。

 「掛かったな!」

 ブラドーの爪が吟遊詩人を切り裂こうとしたした瞬間、リュートが一際大きく鳴り響きブラドーの姿は霧散していった。

 「やった、いかに不死者といえども・・・」

 己の勝利を確信した吟遊詩人は口元に笑みを浮かべる。

 「嫌ーッ! ブラドー様ッッ!!」

 かき消えたブラドーの姿にソリスの悲鳴があがった。 
 その悲鳴に吟遊詩人は笑みを凍り付かせる。

 「ブラドー・・・まさか、最も古く、強力な夜の一族かッ!」
 
 吟遊詩人の全細胞が警戒信号を発していた。
 今、自分が戦っている相手は、これまで相手にしてきた妖魔とは一線を画す存在だった。

 「そんな化け物中の化け物が何故人間の娘一人に・・・」

 しかし時既に遅く、背中から胸に突き抜けた衝撃に吟遊詩人は言葉を失った。
 そして、自分の胸から突き出た腕が握っているものを認識し、彼は自分が既に敗北していることを理解する。
 胸から突き出たブラドーの右腕は彼の心臓を握りしめていた。

 「砕けたのではなく霧に姿を変えていたのか・・・化け物め」

 吟遊詩人の背後で徐々にブラドーの体が実体化する。
 彼は破砕音波が届く寸前、霧に姿を変え攻撃をやり過ごしていたのだった。

 「動くな、動けば殺す。余の質問に答えれば・・・」

 「化け物に命乞いはせん。あの娘は何か勘違いしているようだが、陽光の下で暮らせないお前たちは我らと根本的に違うのだよ。お前らは我ら人間にとって闇の象徴でしかない! 呪われた生を生き続ける化け物がッ!!」

 吟遊詩人は最後の攻撃をブラドーに加えようとする。
 それは多数の妖魔を滅ぼしてきた彼なりの意地だった。
 しかし、右手に握られた撥は弦を弾くことはなく足下に転がる。
 ブラドーの手の中で彼の心臓は握りつぶされていた。

 「これでお前たちの事は仲間に伝わる・・・お前たちに逃げ場は・・・」

 不気味な一言を残し吟遊詩人は絶命した。

 「根本的に違う?・・・そんな事は百も承知だ」

 ブラドーはそう言い捨てると、絶命した吟遊詩人から右手を引き抜いた。
 足下に崩れ落ちるそれを一瞥もせず、ブラドーは大破した馬車へと向かっていく。
 そこにはソリス暗殺を企てた貴族の姿があった。
 走り寄ってきたソリスを手で制し、ブラドーは気を失ったままの貴族に手を伸ばす。

 「よく見るのだ。ソリス・・・」

 「ブラドー様?」

 その意図が理解できずソリスが不安げな表情を浮かべる。
 ブラドーは貴族の胸ぐらを掴み持ち上げると、ソリスの目の前でその喉元に牙を突き立てた。

 「!・・・・・・」

 血潮を嚥下するブラドーの喉の動き。初めて見る吸血の現場にソリスは言葉を失っていた。
 やがて吸血された貴族が意識を回復するが、それは今までの彼ではなかった。
 ブラドーが牙を離すと、貴族の男はその足下に恭しく跪く。

 「戻って伝えろ・・・命が惜しければ二度と下らん真似はするなと」

 「畏まりました。ブラドー様」

 彼はそう言うと驚くべきスピードで闇の中に走り去った。
 その姿を複雑な表情で見送ってから、ブラドーはソリスを振り返る。
 そして真剣な眼差しで言葉を失っている彼女を見つめた。

 「今のが余の本性なのだよ・・・人の血液から生を得、そして余に血を吸われた者は忠実なしもべとなり絶対の忠誠を誓う・・・」

 ブラドーは皮肉な笑みを浮かべた後、心情を吐露するように声を荒げた。

 「だが、それが何になると言うのだ! 陽光の下にも立てず、闇の中で永遠にも感じる時間を生き続ける一生など・・・ソリス、余はお前の中に日の光を見た。余はお前と共に在りたいのだ、人としてのお前と共に・・・」

 ブラドー精一杯の告白だった。人の命を糧とする、呪われた不死者たる彼が人であるソリスと共に在りたいという。
 それはソリスから人の世を奪うと言っているに等しかった。
 だからこそ彼はソリスに自分の真の姿を見せていた。
 その覚悟に応えるようにソリスはブラドーに歩み寄る。

 「だからお前が余の本性を見て、それでも構わぬというのなら・・・」

 ブラドーの唇はソリスのそれによって塞がれていた。
 直前の吸血の痕跡を留める唇へのキス。
 それは、100万の言葉よりも雄弁にソリスの覚悟を表していた。

 「・・・行こう。我が居城に」

 ブラドーの言葉にソリスは無言で肯く。
 この時からブラドーとソリスの逃避行が始まる。
 教皇庁直属の妖魔狩りはすぐ近くまで迫っていた。


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