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太陽を盗んだ男

第一話


投稿者名:UG
投稿日時:06/ 9/ 2

 夜明けと共に行われる早朝の祈りで修道院の朝は始まる。
 そして朝食後に教会を訪れる平信徒のためのミサを行い、その後は午前中に2回、正午に1回、日没までに2回の祈りを捧げ、午後8時頃にようやく就寝前の祈りとなる。
 更に就寝してからも祈りは続く。
 真夜中に眠りを中断して行われる夜半の祈り、その後すぐに行われる早暁の祈り。
 祈りの合間に行われる食事と労働。修道院の一日は祈りの為にあると言える。
 そのような修道院の中にあって、ソリスという存在は極めて異質であった。



 「ソリス様!」

 小さな、しかし鋭い声がミサの最中出かかったソリスの欠伸を食い止めている。
 ソリスは自分の隣で祈りを捧げる修道女に苦笑いを浮かべた。
 ほぼ一晩中、出産の手伝いをしていた彼女の眠気は現在ピークに達している。
 あれから教会にもどり多少の仮眠をとったものの、緊張の連続だった昨夜の疲労はそう簡単には抜けていない。
 平信者のためのミサが終了するまでの間、ソリスは苦労して欠伸をかみ殺し続けることとなった。


 「一日一度だけの祈りで済んでいるのですから、せめてミサだけはきちんと受けていただかなくては私の立場が」

 部屋に戻ろうとするソリスに説教を続けながら修道女が後をついてくる。先程のミサでソリスの欠伸を注意した女だった。
 年はソリスと同じくらいか、切れ長の目が周囲に冷たい印象を与えている。

 「わかりました・・・だけどね、ルナ。昨日はお産の手伝いで大変だったのよ」

 ルナと呼ばれた修道女は、軽く肩をすくめると自分には全く関係がないというような仕草をみせた。
 この行動だけでもこの女がソリスに好意を持っていないのが透けて見える。

 「医者のまねごともいい加減控えていただかなくては、昨夜のようなことが頻繁に起こるようではソリス様のお世話をするよう・・・」

 「見張りでしょ・・・命じられているのは」

 自分の行動を否定されソリスは少し感情的になっていた。
 祈りには参加していないが、日常の労働に於いてソリスの作成する薬品は非常に高い評価を受けている。

 「とにかく、叔父様の思惑通り私はこの場所で甥の成長を待てば良いのでしょう! それまでは私の好きにさせて貰います」

 昨夜妊婦に見せた慈愛の顔は何処に消えたのか。
 ソリスはそう言い放つと、敷地の一角にある巡礼用の宿に籠もってしまう。
 個室を与えられている所などソリスの待遇は破格だった。
 なにより、シスターの姿をしていながら彼女は修道院に正式に入会してはいない。
 修道院内の規律にあまり縛られることなく、昨夜のような活動を行えたのもそれ故のことだった。


 「全く、一体いつまでお姫様のつもりなのかしら! 院長様もなんであんな我が儘を許しておくのか・・・」

 ドアの外に閉め出された形となったルナは、閉じられたドアの向こうに聞こえないよう小声で悪態をつく。
 そして、ソリスのお目付役をやらされている自分の不幸を呪うのだった。







 翌日
 ミサを終えたソリスは、教会から荷馬車で2時間ほどの距離にある森の中にいた。
 植樹されたオリーブなどが目立つ南イタリアにあって、この周囲の森は湧き出る泉の影響からか樫や松などの高木が生い茂り、ローマ帝国以前の自然を色濃く残している。
 荷馬車に揺られながら進んでいくと、泉の側にとんがり屋根の小さな家がぽつんと建っているのが見えてくる。
 平たく切り出した石灰岩を積み上げ作られた、トゥルッリと呼ばれるこの地方でよく見られる建築物だった。
 とんがり屋根の先頭にあるピナクルと呼ばれる飾りは、太陽信仰を持つ民から伝えられたと言われている。
 屋根に描かれた魔除けの模様は、未だこの地にキリスト教以外の古い信仰が残っていることを伺わせた。

 「あら、ソリスちゃんいらっしゃい!」

 丁度、家から出てきた女がソリスを日だまりのような笑顔で迎えた。
 青に近い紺色の髪をなびかせた彼女の姿に、ソリスも笑顔で応える。
 自然の美を人の形に切り出せばこの様な姿になるに違いない。
 ソリスが先生と呼ぶウィッチドクターだった。

 「ミサには間に合ったの?」

 「はい、何とか」

 あの晩ブラドーと別れたソリスは、怪我をした男の代わりに荷馬車を操りここまで来ていた。
 そして親子3人を先生に預けた後、ソリスは男から荷馬車を借り受けすぐに修道院へ帰っている。
 今日は荷馬車を取りに来た父親に付き合い、母親と赤ちゃんが家に帰るのを見届けに来たのだった。

 「パパちゃんは、言いつけ通り準備はできた?」

 「へえ、確かに」

 先生に話しかけられ父親が照れたように頭を掻く。”ちゃん”をつけるのは先生の口癖らしい。
 二日前、狼に噛まれた傷は先生の手当によって驚くべき回復を見せている。
 彼は先生の指示に従い様々な準備をした後、妻と子を連れ我が家に帰ることになっていた。

 「それは良かったわ! ママちゃんも赤ちゃんもお待ちかねよ」

 離れていた一分、一秒が男にとって耐え難い時間だったのだろう。
 先生に促され男はいそいそと家の中に入っていった。

 「あ、ソリスちゃんは私と少しお散歩しましょう。親子水入らずを邪魔しちゃいけないわ・・・それに少し聞きたいこともあるし」

 「聞きたいことですか?」

 ソリスは先生の後をついていきながら質問を待った。

 「んー大したことじゃないんだけどね。あの晩、変わったことがなかった? パパちゃんも、ママちゃんも無我夢中で良く覚えてないみたいなのよ」

 ソリスの脳裏にあの晩の記憶が蘇る。
 血を吸わず、お産の手伝いだけをして帰って行った風変わりなバンパイアの顔が浮かんだ。
 そして、勘違いしたブラドーが自分の手を握ったときの顔を思い出し、ソリスは思い出し笑いをしてしまう。

 「素敵な笑顔ね・・・ソリスちゃんに会ってから一番の笑顔よ」

 間近で自分を見つめる先生に気付きソリスの顔が真っ赤になる。
 彼女は同姓の目から見ても美しすぎた。

 「何か素敵な出会いがあったのかしら? でも、そうするとますます分からないのよ。ママちゃんのお腹には強い妖気が残っていたの・・・強力な夜の一族の気が。ね、何があったか話してくれない?」

 「実はあの晩、ここに向かう途中に・・・・・・」


 ソリスは先生に問われるままあの晩あったことを話し出す。
 恐ろしい体験だったはずなのに、不思議とその時のことを思い出すと胸が温かくなった。
 先生は時に驚き、時に笑顔を浮かべながらソリスの話に耳を傾け続ける。

 「変わったバンパイアもいるものねー。それで疑問が解けたわ。ママちゃんのお腹にあったから取り出しといたけど、多分、そのバンパイアちゃんが霧になったとき体内に残っちゃったものね」

 先生はそういうとソリスの目の前に芥子粒ほどの金属の粒を差し出した。

 「何です? これは」

 「銀・・・ただし強力な呪いがかけられたね。そのバンパイアちゃん、相当強力な魔導師に恨まれているみたいね・・・能力を制限する呪いがかけられているわ。体内に残っている銀の量にもよるけど霧になるのは相当な苦痛だったはずよ」

 「そんな、それじゃなんで・・・」

 「言ったでしょ。変わり者なのよ! 良かったら今度、そのバンパイアちゃんも連れてきなさいな」

 自分自身考えてもいなかったブラドーとの再会を口にされ、ソリスは驚いたような顔をする。
 彼と再会したとき答えなくてはならない用事を、ソリスはまだ思い付いていなかった。

 「でも、また会えるか分からないし・・・」

 「あら、それなら良いおまじないを教えてあげるわ」

 「おまじない?」

 「そう、とっても簡単なおまじない・・・会いたい人のことをずっと考え、会いたい、会いたいって心の中で唱え続けるの。本当は好きな人にやるおまじないだけどね。ソリスちゃんにはそういう人いない?」

 先生の言葉にソリスは諦めに似た表情を浮かべる。

 「先生は私の境遇をご存じでしょう・・・私は父を死に追いやった叔父の子、しかもまだ10歳の子を婚約者に持たされているんですよ。父の死を悼み巡礼中の私が、数年後旅先でその子と運命的な出会いをするなんて筋書きまで作られて」

 先生はやれやれと言った表情を浮かべると、辺りに自生する何本かの草花を摘み取る。

 「ウマノミツバ、オグルマ、ハナヤスリ・・・これで何ができる?」

 いつもの謎かけだった。
 ソリスはこうやって様々な薬品の製造法を先生から教わっている。
 その知識で作った薬品は自給自足を基本とする修道院内で重宝され、最近では近隣の農民からもソリスは頼られるようになっていた。

 「古傷の洗浄薬です」

 「正解、ソリスちゃん才能あるからどこでもやっていけるわよ。だからね・・・イヤなら逃げちゃえばいいじゃない!」

 「なっ、そんな簡単に!」

 「簡単よ! ステキな人と恋に落ち、子を作り、命を繋ぎ死んでいく。それが生きるってことなの。あとのアレコレはおまけみたいなもの」

 「不思議ですね・・・先生がそう言うと本当に簡単そうな気がします」

 ソリスは笑顔を浮かべる。
 少なくともあの風変わりなバンパイアに答える用事は決まっていた。
 そしてこの日より3日後、彼女はその答えを本当に口にすることとなるのだった。








 暗い夜道を疾走する6頭立ての馬車
 現代の人間が見れば霊柩車をイメージする車体は夜の一族特有のものだった。
 通常の馬車よりもやや大きめな黒塗りの車体は、棺を運べるよう座席を最小限に留めた設計となっている。
 かなりのハイペースで進んでいるのに車体がさほど揺れていないのは、贅をこらして作られた車体の性能だけではなかった。
 それを駆る御者の男はなかなかの腕前らしく、煌々と照らす月の光で路面の状態を正確に読み取り、進むべきルートを馬に命じている。
 その男は修道院を遠巻きに眺める場所で馬車を止めると、背後の窓越しに主に到着を告げた。

 「到着しましたよ。ブラドー様」

 「うむ。ご苦労・・・しばしここで待て」

 中から返ってきた返事に、御者の男―――マルコはやれやれといった顔を浮かべる。
 マルコがソリスの居場所を調べた日から、ブラドーは毎晩修道院の近くまで出向きソリスの通りがかるのを待っていた。

 「あの、ブラドー様、ちょっといいスか?」

 「なんだ?」

 「念のため聞いときたいんスけど、今日も来なかったらどうするんですか?」

 「決まっておろう、明日来るだけだ」

 至極当然いった様子のブラドーに、マルコは大きなため息をつく。
 気の長さはその生物の寿命に比例するようだった。

 「いいっスか! 確かに俺が調べた範囲では、ソリスさんは近隣に急病人が出たときにはこの時間でも外出しますよ! でもね、そんなコトは滅多に起きないんです。都市部ならいざ知らず、このあたりの人は日が落ちたら外出なんてしないもんなんスから」

 「ほう、何故だ?」

 ブラドーの疑問にマルコは答えに困る。
 まさか原因の一端が目の前の男にあるとは流石のマルコにも言えなかった。

 「とにかく、ソリスさんに会いたかったら俺が繋ぎをつけますよ、いいですね!」

 「馬鹿者! 貴族たる余がそんなみっともないマネができるか!!」

 現在やっている行為が700年後にストーカーと呼ばれることをブラドーは知る由もない。
 尤も、両者がお互いを思っていれば純愛と呼ばれるのはいつの時代も変わらぬことなのだが。
 何か言いたげなマルコに、ブラドーは多少得意げな顔を見せるのだった。

 「余はソリスと再会の約束をしたのだ。約束は果たされなくてはならない・・・そして、再会にはそれに相応しい出会いと台詞があるのだ! お前のような小僧にはわからんだろうがな!!」

 「はあ、そんなもんスか」

 マルコは釈然としない顔をする。
 少年の頃より旅から旅に明け暮れていた彼にとって、出会いは一瞬が勝負だった。
 会う、即、寝る、の価値観で長いことやってきた彼にはその辺の恋愛の機微がどうしても理解できない。
 彼はそれを一つ所に落ち着けない自分の業だと思っていた。
 半ばあきれ顔でブラドーを見たマルコは、彼の表情に緊張が走るのを見逃さなかった。

 「どうかしましたか?」

 「静かに、何も話すでないぞ!」

 ブラドーは馬車での遠出を始めてから初めて車外へ足を踏み出す。
 彼の目は修道院から外へ出てきた熱源を捉えていた。
 常人より夜目が利くマルコだったが、何が起きたのかしばらくは理解できず、徐々に緊張を高めるブラドーの表情からようやく何者かの接近を知った。
 やがてマルコの目にも接近してくる人影がはっきりと見え出す。
 接近してくる人影はシスターの姿をしていた。
 隣りに立つブラドーの方を見るが、彼はまるで接近する人影に気がつかないとでも言うようによそ見をしている。
 そして、ブラドーの姿に気付いた人影が驚きの声をあげたのをきっかけに、彼もようやくその口を開くのだった。

 「ブラドー様!」

 「おお、奇遇だなこんな所で! 余も偶然通りがかってな」

 マルコはブラドーが口にした再会に相応しい台詞に頭を抱えた。










 「ありえねえ・・・」

 パチパチと音をたてるたき火を前に、マルコは森を散策するブラドーとソリスを眺めていた。
 信じられないことだが、ブラドーが口にした再会の言葉はソリスに有効だった。
 その結果、夜にしかとれない薬草を採取しいくというソリスを、ブラドーは馬車で送ることに成功している。
 当初の目的地はほんの目と鼻の先だったが、思わぬ足を手に入れたソリスは少し離れた群生地まで出かけることにしていた。

 「御陰で助かりました・・・」

 「いや、余も偶然、暇を持て余していただけだ」

 どうやら採集が終わったらしく、二人がたき火の側に帰ってくる。
 無造作に敷いたペルシャ風の敷物に腰を下ろすと、ブラドーはソリスの手にした籠をのぞき込んだ。

 「この茸は一体なんなのだ?」

 「ヒトヨタケという茸です。一晩で消えてしまうのでこう呼ばれるのですが、お酒癖が悪い人用の薬になるんです」

 「うむ、そうか」

 「・・・・・・」

 先程から続けられるぶつ切りの会話にマルコは頭を抱えたくなる。
 このままでは折角うまくいった再会も、今夜限りの縁になってしまいそうだった。
 仕えている主人は、普段は二枚目だが本人が格好をつけようと意識すると途端に三枚目になってしまうらしい。
 マルコは目の前のブラドーが、自分を感動させ忠誠を誓わせた男と同一人物とはとても思えなかった。
 ブラドーも空回りしている自分にようやく気付いたのか、しきりにマルコに助けを求めるような視線を送っている。
 マルコは笑いをかみ殺しながら、先程用意しておいた奥の手を火にかけたポットに放り込んだ。

 「なんです? この香り」

 辺りに立ちこめる香りに、興味を持ったソリスがポットをのぞき込んだ。

 「以前、アラブに行ったとき偉いお坊さんに頂きましてね・・・珈琲という飲み物です。今のブラドー様には必要な飲み物かと思いまして」

 マルコは慣れた手つきで、持参した銀製のカップに琥珀色の液体を注いでいく。
 ネルにはブラドーの居城から持ち出したシルクのスカーフを使用していた。

 「いい香り・・・」

 手渡された珈琲の香りにソリスがうっとりと目を細める。
 そして、火傷に注意しながら恐る恐る飲み込んだ珈琲の味に不思議そうな顔をした。

 「不思議な味ですね。痺れるように苦いのに、何処か甘くって・・・」

 ソリスは初めて飲む珈琲にほっと一息つくと、先程からマルコの紹介を受けていないことに気付く。

 「あの、ブラドー様、こちらの方は?」

 「おお、この間から雇うことにした余の従者でな、名をマルコという」

 会話のきっかけを得たブラドーは嬉しそうにマルコの紹介をする。
 紹介されたマルコはソリスにうやうやしく一礼した。

 「アラブの方に行かれてたと仰ってましたが」

 「この男、人間にしてはめずらしく色々な場所に行っておってな。御陰で待っている間、色々な話を聞けて退屈することはなかった」

 「待っている間?」

 「えーっと、行ったのはアラブだけじゃなくってですね・・・」

 慌ててブラドーのフォローにまわったマルコは、自分が辿った道のりをソリスに一気にまくし立てる。
 マルコが語った旅の行程をざっとまとめると以下の通りになる。
 イタリアの都市ベェネツィアを出発し、イランから中央アジアを経てモンゴル高原南部に到着、その地を治める元の皇帝クビライが作った上都(ザナドゥ)で彼に仕えながら中国各地を訪問。その後、現在の中国福建省にあたる泉州から海上交通を経てイランで経由で再びイタリアに帰国する。
 当時としては考えられない移動距離に、北イタリアの故郷と、現在の修道院周辺しか知らないソリスはただただ目を丸くするばかりだった。

 「一体何のためにそんな旅を」

 ソリスの頭からはブラドーの失言は消えていた。
 その問いかけにマルコは苦笑いを浮かべ、ブラドーに視線を送る。

 「マルコは、プレスター・ジョンの王国を探していたらしい」

 「プレスター・ジョン?」

 耳慣れない言葉にソリスは首をかしげる。

 「東方にあって敵の背後から聖地奪回に力を貸してくれると、十字軍の間で噂されていたキリスト教国っスよ。本当に噂でしかなかったんで、可愛がってくれたカーン様には申し訳なかったけど帰って来ちゃいました。で、今は次の目的地であるアトランティスを目指し、ブラドー様にお仕えしてるって訳です」

 どうやら噂に踊らされたことがマルコは気に入らないらしかった。
 彼の口から語られる内容が、自分の認識する世界とかけ離れすぎているためソリスは軽い戸惑いを覚えていた。

 「あんまり話が大きすぎて良くわからないわ。お願いだからもう一度ゆっくりと説明してくれませんか?」

 ソリスは語られた内容をもう一度理解し直そうと、たき火から小枝を抜き取り地面に円を描き始める。
 その地図をみたマルコは別な意味で苦笑を浮かべた。

 「ソリス様、それってもしかして世界地図ですか?」

 ソリスは円の中央にT字型の水域が流れている世界地図、俗にいうTO図を描いていた。

 「ええ、教会で教わりませんでしたか?」

 「そんな地図を信じているのは教会くらいなもんスよ! ベェネツィア商人たちはみんなこんな風に世界の形を理解してます」

 きょとんとした顔をしたソリスから枝を受け取ると、マルコはヨーロッパ、アフリカを含む地中海周辺から遠く中国までの地図を地面に描いた。

 「これが世界なの?」

 「そうっス! 広い世界のほんの一部っスけど・・・イスラムの船乗りの中には、俺たちが住んでる場所がまん丸い玉の上だなんて言うヤツもいますよ!」

 「嘘ばっかり、私をからかって楽しいんですか!」

 常識を遙かにこえた情報を信じ切れず、からかわれたと勘違いしたソリスはふくれっ面になった。
 そんな彼女の様子に笑みを浮かべるとブラドーはソリスの手をとって立ち上がらせる。

 「それでは余が証拠を見せてやろう」

 ブラドーはそういうとソリスを抱きかかえ空に舞い上がった。

 「キャッ! ブラドー様、一体なにを・・・」

 「怖かったら目を瞑っておれ」

 ソリスの悲鳴にも上昇を緩めようとはせず、ブラドーはその体を抱きかかえたまましばらく上昇を続けた。








 「目を開けてみよ」

 ブラドーの言葉に恐る恐る薄目をあけると一面の星空が目に飛び込んでくる。
 しっかり体を抱きかかえられているため、足下をみないようにすればそれほど恐怖は感じなかった。

 「すごい、周りが全部星空なんて・・・」

 「遠くの方に見える空との境界がわかるか?」

 ブラドーの問いにソリスは無言で肯く。
 満天の星空が、遥か彼方で真っ暗な境界線に飲み込まれているのがわかった。

 「我らが住む世界は本当に球体なのだよ。そう思ってみると少し湾曲して見えなくもないだろう」

 「本当に?」

 未だ半信半疑のソリスにブラドーは苦笑する。
 人間の視覚では殆どの景色が闇に塗りつぶされていることに、彼は今の言葉を聞くまで気付いていなかった。

 「すまんな、昼間の景色ならもう少し実感しやすいのだろうが、余は陽光の下に立てない身なのでな」

 「・・・・・・信じます。ブラドー様がそう仰るのなら」

 寂しげに笑ったブラドーの姿に、ソリスは胸が締め付けられる気がした。
 そのままブラドーの胸に顔を埋めると、ずっと聞こうと思っていたことを口に出す。

 「何故あの時助けてくれたんですか?」

 「助けたのではない、用事が済むまで待っているだけだ」

 「ブラドー様は強力な呪いにかかっているのでしょう?」

 自分を見上げたソリスに、ブラドーは苦労して驚きの表情を押さえた。
 少しずつ排出されてはいるものの、50年前カオスによって打ち込まれた銀の弾丸は彼の体内に溶け込み未だに彼を苦しめている。

 「何故それを・・・」

 「先生が母親のお腹に残った銀を見つけて・・・霧になるのは相当な苦痛だろうと、それなのに何故?」

 「たいした先生だな・・・確かに余は忌々しい錬金術師の術をこの身に受けている。正直、こうしてお前を連れて飛んでいる今も絶えず苦痛が襲っているぞ」

 「それではどうして・・・」

 真剣に自分を見つめるソリスにブラドーは笑いかける。
 自分の身を心配してくれるソリスの気持ちに、彼の胸は温かいもので満たされていた。

 「あの晩の余はお前に日の光を感じた。余が長年求めていた太陽の力を・・・だから手を貸した」

 「日の光?」

 「温かいのだ、お前とこうしていると。陽光に触れたことのない余だが、日の光とはこの様なものではないかと思っている」

 ブラドーの言葉に、ソリスは再び彼の胸に顔を埋める。

 「ステキな人と恋に落ち、子を作り、命を繋ぎ死んでいく・・・」

 「なんだそれは?」

 「用事です。私の・・・」

 「そうか、ではそれが済むまでずっと待つとしよう」

 ブラドーはそういうと降下を始める。
 馬車の近くに降り立つまで二人は無言だった。










 再びブラドーとソリスが出会うまで、そう時間はかからなかった。 
 三度目の逢瀬は恋になるとは誰の言葉だったか。
 二人は確かに恋に落ちていた。
 遅々として進まぬ二人の仲に歯がゆさを覚えるマルコに見守られながら、不器用な二人はそれからも逢瀬を重ねていく。
 そして、二人を見守る視線に他者の視線が加わった時、物語は思わぬ方向へと動き出すこととなる。





 「まさか、そんなことって・・・」

 空を舞うブラドーとソリスの姿を見て、物陰に隠れていた女が呆然と呟く。
 ソリスと同じシスター姿。修道院でソリスの世話役をしていたルナという修道女だった。


 修道女は原則として修道院の外には足を踏み出さない。
 しかし、ルナは夜間外出が増えたソリスを不審に思い後を尾行していた。
 尾行して早々、馬車に乗り込み移動したソリスをルナは必死に追いかけている。
 原則を破った以上、何かを掴まなくてはならないとルナは思っていた。
 最近のソリスに現れた艶をルナは見逃さなかった。 
 潤んだ瞳や光沢を増した肌、時折見せる悩ましげなため息はルナに恋人の存在を予感させていた。
 普段から疎ましく思っている元領主の姫が恋をしている。
 望まぬ相手と結婚させられると思っていたからこそ収まっていた感情が一気に吹き出す。
 ルナを尾行に駆り立てたのは、出自の違うソリスへの他ならぬ嫉妬の感情だった。
 ようやく馬車を見つけ遠巻きに様子を窺おうとした時、彼女は夜空を流れるように移動するブラドーとソリスの姿を目撃する。
 月を背に抱き合う二人の姿は幻想的な絵画のように美しかった。
 ルナはその光景に嫉妬の表情を浮かべたが、やがてその表情は毒々しい嘲笑へと姿を変えていく。 

 「・・・まさか化け物が相手とはね」

 ルナは近隣の土地を治める領主が、バンパイアであるという噂を思い出していた。

 「院長様にこのことを伝えればどうなるかしらね・・・・・・いや、もっといい方法が」

 ルナは今回の一件を利用することを思い付く。
 彼女はあまりにも野心家で、そして愚かだった。


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